マーラー(声楽曲)

2021年5月 2日 (日)

マーラー 歌曲集「リュッケルトによる5つの歌曲」 名盤 ~私はこの世に忘れられ~

マーラーの歌曲集で「さすらう若人の歌」「亡き子をしのぶ歌」と並んで演奏会で度々取り上げられる「リュッケルト歌曲集」は、正確には「フリードリヒ・リュッケルトによる5つの歌曲」(Fünf Lieder nach Rückert)で、ドイツの詩人リュッケルトの詩を題材に1901年から翌年にかけて書かれた歌曲集です。

初版の際は出版社の都合で、のちに歌曲集「少年の魔法の角笛」に挿入される「少年鼓手」と「死んだ鼓手」の2曲を加えて「7つの最後の歌」とされましたが、現在では「リュッケルト歌曲集」(5曲)とされています。中でも「私はこの世に忘れられ」と「真夜中に」がマーラーらしい非常に印象的な名曲です。

ピアノ伴奏版とオーケストラ版の2種類が存在しますが、マーラー自身がオーケストレーションしたのは4曲のみで、「美しさゆえに愛するのなら」のオーケストレーションは、指揮者のマックス・プットマンによるものです。
ソリストは通常、メゾ・ソプラノもしくはソプラノ、あるいはバリトンによって歌われます。
また、曲の順序については指定が無い為に、演奏の順番は演奏者に委ねられます。

<楽曲>
1.私の歌を覗き見しないで
2.ほのかな香りを
3.私はこの世に忘れられ
4.真夜中に
5.美しさゆえに愛するのなら

1905年1月にマーラーがウィーン楽友協会において自ら指揮をした管弦楽版4曲の順番は次の通りでした。

1.ほのかな香りを
2.私の歌を覗き見しないで
3.私はこの世に忘れられ
4.真夜中に

ですので、以前はこの順番で4曲のみを演奏するのもよく見受けられました。

其々の詩については大意だけを載せておきます。

私の歌を覗き見しないで(BLICKE MIR NICHT IN DIE LIEDER!)
私が歌を作ってるところを覗かないで。
悪いことして捕まったみたいに、下向くしかないじゃない。
蜜蜂たちが巣を作る時だって、やっぱり他の人に見せたりしないでしょう。
たっぷりの蜜があふれた蜂の巣が出来あがったら、誰より先に味見してちょうだい。

ほのかな香りを(ICH ATMET EINEN LINDEN DUFT)
ほのかな香りをかいだ。
部屋には菩提樹の小枝がある。
その菩提樹の枝は、あなたがやさしく折ったもの。
菩提樹の香りの中に、そっと愛のほのかな香りをかぐの。

私はこの世に忘れられ(ICH BIN DER WERT ABHANDEN GEKOMMEN)
私はこの世から姿を消してしまったの。
きっと、私なんかもうすっかり死んだと思われてるんだわ。
私にはどうでもいいことよ。
私だけの至福の中で、私だけの愛の中で、私だけの歌の中で、ひとりで生きているの。

真夜中に(UM MITTERNACHT)
真夜中に、目をさまして、空を見上げた。
星の群れの中のどれ一つとして、私に笑いかけてはくれなかった。
真夜中に、暗いところで物思いにふけっていた。
私を慰めてくれるような明るい希望は何もなかった。
主よ、あなたは死と生をいつも見守っておられる。

美しさゆえに愛するのなら(LIEBST DU UM SCHÖNHEIT)
綺麗だからってだけなら、愛してくれなくていいわ。
若いからってだけなら、愛してくれなくていいわ。
愛してるから愛するのだったら、私を愛して。
いつまでも、私のことを愛してね!

それでは愛聴盤のご紹介をします。

<管弦楽伴奏版>
41vh2x4kf6l_ac_ キャスリーン・フェリアー(コントラルト)、ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィル(1952年録音/DECCA盤) これは、あの歴史的名盤である「大地の歌」のセッション録音の際に合わせて録音されました。「私はこの世に忘れられ」「ほのかな香りを」「真夜中に」の3曲のみですが、フェリアーとワルターのマーラー録音が聴けるのは貴重です。現代の歌手と比べれば歌唱には古めかしさが感じられもしますが、何という深い情感を持つことでしょう。当時のウィーン・フィルの甘く柔らかい音色がそれに輪をかけています。もちろんモノラル録音ですが、「大地の歌」と同等の明瞭な音質です。

Srcr9088_20210502130501 ジェニー・トゥーレル(MS)、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1960年録音/SONY盤) これも「ほのかな香りを」「私はこの世に忘れられ」「真夜中に」の3曲のみの演奏です。トゥーレルはこの他にも「亡き子をしのぶ歌」などでバーンスタインにソリスト起用されていました。深い情念を歌える良い歌手です。バーンスタインのマーラーはもちろん素晴らしいですが、問題はニューヨーク・フィルの音色で、「真夜中に」のフィナーレの金管楽器の音の明るさには抵抗を感じます。

Mahler965 D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、カール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1963年録音/グラモフォン盤) これはマーラー自身のオーケストレーション版による4曲の演奏です。Fディースカウはこの曲を何度も録音していますが、その最初のものにしては深い表現力と歌唱の上手さは流石です。ベームの指揮もキリリとして素晴らしく、まだほの暗い響きを持っていたベルリン・フィルからマーラーの音楽の情感を見事に引き出しています。

Mahler710glcwmuul_sy355_ D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、ズービン・メータ指揮ウィーン・フィル(1967年録音/オルフェオ盤) これはザルツブルグ音楽祭でのライブ録音です。前述のベーム盤では4曲のみでしたが、しっかりと5曲を歌っています。それをFディースカウの全盛期のライブで、しかもウィーン・フィルの演奏で聴けるのは貴重です。メータもこうした合わせ物は大の得意ですし、この時代にしては優れたステレオ録音であるのも嬉しいです。

41sxmm4zghl_ac_

ジャネット・ベイカー(Ms)、サー・ジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管(1969年録音/EMI盤) バルビローリがマーラーの主要な歌曲集をベイカーと録音してくれたのは幸運でした。どの曲も、いかにもマエストロらしい、聴き手の心のひだに染み入ってくるような演奏です。マーラーを得意としたベイカーの歌唱がまた同様に素晴らしいです。最後に置かれた「私はこの世に忘れられ」も深くて感動的です。

Mahlerthbrzdfft5 トーマス・ハンプソン(Br)、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル(1990年録音/グラモフォン盤) バーンスタインの再録音盤では5曲とも演奏されています。ウィーン・フィルの音の柔らかさ、美しさは当然のことながらニューヨーク・フィルをしのぎ、大きな魅力となっています。ハンプソンの声質は美しいのですが、Fディースカウと比較すると、どうしても小粒には感じられます。しかしここでは精一杯の歌唱を聴かせています。

313a121wgvl ヴィオレタ・ウルマーナ(S)、ピエール・ブーレーズ指揮ウィーン・フィル(2003年録音/グラモフォン盤) これも5曲での演奏です。ブーレーズのマーラーはバーンスタインのようなスケールの大きさは有りませんが、ウィーン・フィルの音色を最大に生かした極めて繊細な美しさを聴かせています。ウルマーナもまた美しい声質を持つソプラノで、余り大げさにならない繊細な歌い方が正にブーレーズのソリストとしてピッタリだと言えます。

845221050263 クリスティーネ・シェーファー(S)、クリストフ・エッシェンバッハ指揮ベルリン・ドイツ響(2008年録音/カプリッチオ盤) これも5曲での演奏です。現存する指揮者で一番好きなエッシェンバッハはブラームスやマーラーでの濃厚な音楽造りが特に素晴らしいです。シェーファーの感情表現豊かな歌唱はそれにピッタリで、この曲集が本来ドイツリートであることを思わせてくれます。バーンスタインよりも遅い「私はこの世に忘れられ」の素晴らしさはワルター盤以来かもしれません。出来るならエッシェンバッハのピアノ伴奏でも聴いてみたいものです。

<ピアノ伴奏版>
Mahler71mnpavvoll_sl1016_ D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、バーンスタイン(Pf)(1968年録音/CBS盤) バーンスタインの指揮するマーラーは最高ですが、ピアノ演奏もまた実に素晴らしいです。この深い情緒表現は正にマーラーそのものと言えます。Fディースカウも同様に表情力豊かで素晴らしいですが、主導権を握っているのはバーンスタインという印象です。不思議なのは収録が「美しさゆえに愛するのなら」を除く4曲であることです。前年のザルツブルグではメータと管弦楽版で5曲を歌っているのに、ピアノ版で何故4曲かが謎ですが、恐らくバーンスタインの考えかと勝手に推測しています。

Mahlerimg0912 D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、バレンボイム(Pf)(1978年録音/EMI盤) 前回から10年後のピアノ版の再録音ではピアノがバレンボイムに変わりました。今度は曲目も5曲歌っているのは嬉しいです。バレンボイムのマーラーの音楽の表現力はバーンスタインには及びませんが、その分逆にリート伴奏らしさが有ります。Fディースカウも自分のペースで力まず自然に歌っている印象を受けます。なお所有の東芝EMI盤ではピークで幾らか音割れ気味なのがマイナスです。

51reipvrhjl_ac_ 藤村美穂子(MS)、ロジャー・ヴィニューレス(Pf)(2009年録音/フォンテック盤) 女声のピアノ伴奏版は意外と少ないので貴重です。ドイツの歌劇場で活躍する藤村さんですので「日本人としては」という枕詞は不要かもしれません。日本でのライブ収録ですが、美しい声でしっとりと聴かせてくれます。ただしマーラー特有の粘着質さに乏しいのは良し悪しです。ですので「ほのかな香りを」のような曲は美しく素晴らしいです。絶対のお勧めとまでは行きませんが、ピアノ版が欲しいという方には良いと思います。

| | コメント (16)

2017年11月20日 (月)

マーラー 歌曲集「亡き子をしのぶ歌」 名盤

Mahlermaria
マーラーの歌曲集「亡き子をしのぶ歌」は、ドイツ語の原題が「Kindertotenlieder」ですので直訳すれば「子供の死の歌」となります。正否を論じるほどのことでは有りませんが、印象として前者は”母親”の歌、後者はどちらかいうと”父親”の歌という気がするのは私だけでしょうか。

この曲集はドイツの詩人フリードリヒ・リュッケルトの詩が使われていますが、リュッケルトは二人の息子を失った悲しみを実に428篇もの詩に詠いあげました。その息子の一人の名前はエルンストで、それは13歳で病死したマーラーのすぐ下の弟と同じ名前でした。ですのでマーラーは亡き弟を偲んでこの歌曲集を書いたという説が有ります。

この歌曲集を書き上げた1904年という年は、第5交響曲の初演、第6交響曲の完成、第7交響曲の作曲開始と極めて充実した時期に当たります。このような輝かしい時期に詩人の実体験に基づく曲に夫が取り組むことに妻のアルマは不安を抱き、途中で創作を思い止まらせようとしたそうです。けれどもマーラーはそれを聞き容れずに作品を完成させます。そして翌年の1905年に初演されますが、その僅か2年後に長女のマリア・アンナをジフテリアと猩紅熱で失くしてしまいます。これもマーラーの生涯の悲劇としてよく知られた話です。

そんな背景から生まれたこの歌曲集は本当に素晴らしいです。実際に我が子を失った親にとっては余りにも哀し過ぎて、聴くのが躊躇われるほど辛過ぎるとは思いますが、マーラー特有の旋律の魅力と美しさは繰り返して聴けば聴くほどに心に深く感じられてゆきます。

曲は5篇の詩から成ります。(各曲の要旨)

第1曲 いまや太陽は明るく昇る
いまや太陽は明るく昇る、夜中に何の不幸も無かったかのように。
不幸が起こったのは私だけだ、太陽は皆を明るく照らしている。 

第2曲 いまや私にはよく判る
いまや私にはよく判る、なぜあんなに暗い炎をその目に輝かせていたのかが。
だが私には判らなかったのだ。あの光で私に告げようとしていたのだね。 『私たちをよく見ててね。だってすぐに遠くに行っちゃうんだから』と。

第3曲 おまえの母さんが部屋に入ってくるとき
おまえのお母さんが部屋に入ってくるとき、私にはいつものようにお前がその後にくっついてちょこちょこと入ってくるように思われるのだ。昔のように!

第4曲 よく私は考える、子供たちは外へ出かけただけなのだ
よく私は考える、子供たちは外へ出かけただけなのだ!
すぐにまた家に帰ってくるだろう!天気は良いし心配は無い。あの子たちはちょっと寄り道しているだけなのだ。

第5曲 こんな天気、こんな嵐の日には
こんな天気、こんな嵐の日には決して子供たちを外へ出したりはしなかった。
それなのにあの子たちは運び出されてしまった。それに対して私は何も言えないのだ。

さて、この曲は音域から通常アルト(もしくはメゾ・ソプラノ)かバリトンで歌われますが、指定はされていません。
詩の内容については第3曲目が完全に父親の詩で、残りの4曲はどちらとも言えません。
しかしこの曲が一般的に女性歌手により歌われることが多いのは、子供を失う悲しみ=母親、女性という印象を与えるからかもしれません。曲想からしてもどう聞いても女声がふさわしく感じられます。

音楽的にはどの曲も魅力的で甲乙つけ難いですが、個人的には第1曲と第4曲のマーラーならではの個性的な旋律に強く惹かれます。第5曲の嵐のように迫りくる緊迫感もとても魅力です。

それでは愛聴盤のご紹介です。

Mahlerimg091キャスリーン・フェリア―(A)、ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1949年録音/EMI盤) フェリア―がまだ20代で国際的には無名の頃にワルターがその才能を見出してマーラーの音楽をレッスンしただけあり、本当に素晴らしい歌唱です。一つ一つの言葉やフレーズに込められた情感とニュアンスの深さは比類が在りません。また、今では失われてしまった当時のウイーン・フィルのほの暗く情緒的な音色は比類ない魅力が有ります。録音も優れていて古い割には鑑賞上全く気になりません。このような演奏こそが正に「不滅の名盤」の名に値するのでしょう。

Mahler965D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、カール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1963年録音/グラモフォン盤) ベームのマーラーの印象はかなり薄く、事実シンフォニーは聴いたことが有りません。ただ歌曲は「さすらう若人の歌」やこの「亡き子を偲ぶ歌」を演奏しています。決して情緒に溺れはしませんが、彫が深く行き応えが有ります。
特に第5曲の音の迫力と雄弁な金管楽器の扱いは圧巻です。当時のベルリン・フィルの暗めの音色にも惹かれます。問題はむしろFディースカウで、非常に上手い歌唱なのですが、例によって演出臭さが拭えず、どうも知性が感情に勝ってしまうのが玉に瑕です。

Mah9_horenジャネット・ベイカー(Ms)、ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮スコッティッシュ・ナショナル管(1967年録音/BBCレジェンド盤) 知る人ぞ知るマーラー指揮者ホーレンシュタインのエジンバラでのライブですが、ロンドン響との「第9番」にカップリングされています。ホーレンシュタインの深く情緒的な指揮に惹き付けられますが、オーケストラも優れていて何ら不満を感じません。 しかしこの演奏が心を打つ最大の理由は、ひとえにベイカーの歌唱にあります。元々マーラーを得意としますが、非常に深みがあり何とも素晴らしいです。

064クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)、カール・ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1972年録音/オルフェオ盤) 数少ないベームのマーラーでザルツブルク音楽祭のライブです。独唱をマーラーを得意とするルートヴィヒが歌います。オケはSKドレスデンですしベームなのでやはり情緒面々と歌いあげるようなスタイルではありません。しかし表情豊かに歌い上げるルートヴィヒに引っ張られてか、演奏全体の印象は極めて人間的で感情のひだがひしひしと感じられる結果となっています。当たり前のことなのですが、これはやはり『歌曲』なのですね。第4曲など悲しみが本当に心に迫ります。

Ph13058ブリギッテ・ファスベンダー(Ms)、クラウス・テンシュテット指揮北ドイツ放送響(1980年録音/Profil盤) マーラーの交響曲第5番に付属の二枚目のディスクにこの曲だけ収められた贅沢な扱いです。テンシュテットらしい遅いテンポにより情緒面々と沈滞するような演奏で、やはりこの曲は「こうでなくては!」と感じさせます。どの曲でも魅力的ですが、特に第4、5曲が優れていてます。後者のオーケストラの音の彫りの深さはどうでしょう。表情豊かなファスベンダーの歌唱も非常に優れています。

Mahler_6de5ba13アグネス・バルツァ(Ms)、ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1985年録音/CBS SONY盤) 総じてマゼールのマーラーはテンポが遅めですが、この歌曲も例外ではありません。第1曲などはバーンスタインよりも遅く、沈滞の極みとなっています。ウイーン・フィルの音もさすがにワルター時代の濃厚な味わいは薄れましたが、他の団体の音と比べればマーラーの音楽への適性は群を抜いています。バルツァの感情豊かな歌も曲に向いていて、子を失った母親の哀しみを痛切に感じさせて感動的です。

Mahlerthbrzdfft5トーマス・ハンプソン(Br)、レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1990年録音/グラモフォン盤) バーンスタインとウイーン・フィルとの組み合わせがやはり魅力的です。ウイーン・フィルの持つ美しい音はもちろんのこと、各フレーズの歌わせ方、彫の深さはやはりバーンスタインが最高です。ハンプソンもFディースカウのような演出臭さを感じさせないばかりか、美しい声と落ち着いた歌唱で心に深く訴えかけてきます。

313a121wgvlアンネ・ソフィー・フォン・オッタ―(Ms)、ピエール・ブーレーズ指揮ウイーン・フィル(2003年録音/グラモフォン盤) ブーレーズのマーラーはバーンスタインやテンシュテットのような巨人タイプでは有りません。ウイーン・フィルの持つ音の美感を生かしながら、さらりと水が流れるような透明感のある音楽を引き出しています。オッターの若々しく澄んだ声もそれにピッタリであり、心に静かにしみこんでくるような哀しさを感じさせます。但し痛切な感情表現を求める場合には少々物足りなく感じるかもしれません。

名演奏が多過ぎて絞り込むのも躊躇われますが、マイ・フェイヴァリット盤を選ぶとすればやはりフェリアー/ワルター盤です。次点はバルツァ/マゼール盤とします。男性歌手のものとしてはハンプソン/バーンスタイン盤です。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年9月15日 (金)

マーラー 歌曲集「少年の魔法の角笛」 名盤

Wunderhorn_1874_titel
マーラーの歌曲集「少年の魔法の角笛」は本当に魅力に溢れる作品です。演奏時間が50分にも及ぶ大作ですが、聴いていて楽しくて仕方が有りません。

マーラーの20代から30代の頃の多くの作品に影響を与えている「少年の魔法の角笛」(Des Knaben Wunderhorn)は、クレメンス・ブレンターノとルートヴィッヒ・アヒム・フォン・アルニムの二人が収集したドイツの民謡歌謡の詩集です。「少年の不思議な角笛」、「子供の不思議な角笛」あるいは「子供の魔法の角笛」とも訳されます。(写真は1874年版の表紙絵)

マーラーはこの詩集に音楽を付けて歌曲集としました。但し初めから一つの歌曲集として作曲をしたわけではなく、それぞれ個別に作曲した曲を出版時に一つにまとめ上げましたので、初演時や出版時、さらに出版後に曲の入れ替わりが起きています。

当初出版されたのは以下の12曲です。番号は単に便宜的に記しただけで、演奏する際の曲順は演奏者に委ねられています。

1.歩哨の夜の歌
2.むだな骨折り
3.運の悪い時の慰めっこ
4.この歌を作ったのはだあれ?
5.この世の生活
6.魚に説教するパドヴァの聖アントニウス(交響曲第2番の第3楽章に流用)
7.ラインの伝説
8.塔に囚われ迫害される者の歌
9.美しいラッパの鳴り響くところ
10.お高い良識 自慢する歌
11.原光(交響曲第2番の4楽章に転用)
12.三人の天使が歌った(交響曲第3番の5楽章に転用)

これに後から以下の2曲が加えられました。
13.起床ラッパ
14.少年鼓笛兵

その後、11は交響曲第2番の4楽章に転用され、12も交響曲第3番の5楽章に転用されました。そのために演奏の際に省かれることが多く、1~10に13、14を加えた12曲で演奏されることが一般的となっていました。しかし演奏者によっては11を加えて13曲とすることも有りますし様々です。

その一方、6は交響曲第2番の第3楽章に堂々と流用されていますが省かれることは有りません。マーラーならではの屈指の名曲だからかもしれません。

また更に補足しますと、出版される前まで含まれていて、出版の際に削除された「天上の生」という曲が有りますが、これは交響曲第4番の4楽章に転用されています。

さて、以上のような複雑な経緯が有るためにCDを選ぶ際には、まず収録曲に気を付けなければなりません。もちろん収録曲が多ければ演奏は二の次で良いという問題でもありませんが、個人的には「原光」入りの13曲のものを好んでいます。

さらに楽譜には、歌をどのパートに歌わせるかの指示が有りませんので、様々に歌われています。それぞれの曲を男性が歌ったり、女性が歌ったり、あるいは男女の掛け合いで歌ったりとCDによって色々です。当然、そこには聴き手の好みが現れるわけで、演奏の良し悪しを語る前に自分好みの歌手の配役を選ばなければなりません。ただ、それは幾つかのCDを比較してみて初めて気づくことではあるのですが。具体的には「この歌を作ったのはだあれ?」「ラインの伝説」は絶対に女性に歌ってほしいし、「パドヴァの聖アントニウス」は男性に歌って欲しいです。

曲の演奏順番も多種多様ですが、これは余り気にしていません。

ともかくは所有盤をご紹介します。

<管弦楽版>
Mahler51tjx1stoil_sx355_ワルター・ベリー(T)、クリスタ・ルードヴィヒ(Ms)、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1967、69年録音/ソニー盤) 「原光」を加えた13曲収録です。オーケストラの音色は明るいのですが、ロマンティックで情緒が非常に豊かに感じられます。各曲のテンポの振幅が大きく実に雄弁に演奏していて楽しませてくれます。弾ける様な楽しさは同じニューヨーク・フィルとの交響曲第4番を思い起こさせます。そして二人の歌手が大変素晴らしいです。歌の分担もまずは理想と言って良いですが、「パドヴァの聖アントニウス」だけはルードヴィヒが歌わずに男性のベリーに歌って欲しかったです。

Mahle41t8c3n03klディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、エリーザベト・シュヴァルツコップ(S)、ジョージ・セル指揮ロンドン響(1968年録音/EMI盤) 一般的な12曲収録です。二人の歌手がべらぼうに上手く、両者とも時に過剰な表現意欲を見せる欠点がここではほとんど感じられません。音楽にピタリと同化していますし、二人の絶妙な掛け合い部分には思わず聴き惚れます。セルのオーケストラ統率力にも抜群でロンドン響の一糸乱れぬアンサンブルに驚きます。その分表現がやや堅苦しい印象も無いわけではありません。問題は私の大好きな「この歌を作ったのはだあれ?」をこともあろうにFディースカウが歌っていること。この歌はやはり女性でしょう!しかし逆に「パドヴァの聖アントニウス」では素晴らしい歌を聴かせてくれます。「原光」が入らないのも現在となってはマイナスです。

418kq5z8nclベルント・ヴァイクル(Br)、ルチア・ポップ(S)、クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1985、86年録音/EMI盤) テンシュテットのマーラー交響曲全集の完成段階で並行して録音されました。一般的な12曲収録ですが、あたかもシンフォニーのように管弦楽が濃密に演奏されていて説得力抜群です。和声や対位法の処理の素晴らしさも流石です。好き嫌いが分かれそうなのは、曲によってはまるでオペラのようにオーバーな歌い方をしているヴァイクルです。特に初めは抵抗感が有りますが、聴き慣れてみるとこれはこれで面白さも感じます。ポップの歌唱は美しく素晴らしいです。男性、女性の歌の分担は正に理想的で、自分の好みと100%合うのはこの盤とインバル盤のみです。ただ「原光」が入らないのがとても残念です。

Mahler51wrcxaz3xl_sx355_アンドレアス・シュミット(Br)、ルチア・ポップ(S)、レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1987年録音/グラモフォン盤) 「原光」を加えた13曲です。ニューヨーク・フィルとの旧盤と比べると全体的に落ち着いたテンポに変わっています。旧盤のどきどきするような愉しさは失われましたが、その分コンセルトヘボウのしっとりと落ち着いた響きが非常に美しく魅力的です。シュミットは地味ですが堅実、ポップは美しい声質に惹かれます。但し「パドヴァの聖アントニウス」をやはり女性が歌うのは旧盤と同じでバーンスタインの考えなのでしょう。これは個人的にはマイナス。最後に「原光」が置かれていますがこれは非常に美しい名演です。

Mahler_img_5ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、ダニエル・バレンボイム指揮べルリン・フィル(1989年録音/ソニー盤) 一般的な12曲収録ですが、何といってもFディースカウが一人で歌ってしまう驚きのディスクです。彼自身はシュヴァルツコップ、セルとの共演盤の声のパワーに任せた歌唱よりもずっと表情のゆとりと円熟さを感じさせます。なのでどの曲を聴いても余り違和感を覚えません。しかし男女で歌われる演奏に比べればどうしても変化に乏しい印象になるのはやむを得ないところです。それにこの人特有の演出臭さが無いわけではありません。バレンボイムはベルリン・フィルから柔らかい響きを引き出していて中々に見事な指揮ぶりを聞かせます。

Mahler230010525_2ベルント・ヴァイクル(Br)、イリス・フェルミリオン(S)、エリアフ・インバル指揮ウイーン響(1996年録音/DENON盤) 「原光」を加えた13曲です。歌の分担は理想的で、「パドヴァの聖アントニウス」は男性のヴァイクルが歌っていますし、「この世の生活」と「ラインの伝説」はしっかりと女性が歌っています。色々なCDが有る中で好みと100%合うのはこの盤とテンシュテット盤のみです。ヴァイクルは表情が大げさでオペラっぽく歌いますし、フェルミリオンはオバさんっぽい声質なので最初は戸惑いましたが、何度か聴くうちに不思議とハマりました。インバルもウイーン響の持つ素朴な音を美しく鳴らしていて素晴らしいです。

Mahler51ckktvwq1lマティアス・ゲルネ(Br)、バーバラ・ボニー(S)、リッカルド・シャイ―指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(2000年録音/デッカ盤) 「原光」と「三人の天使が歌った」を加えた14曲の収録ですのでこれはアドヴァンテージとなります。「原光」はメゾに、「起床ラッパ」はテナーにそれぞれ1曲づつ別の歌手に歌わせているのは特徴的です。どの曲も美しく整えられた演奏ですが、比較的あっさりとしていてバーンスタインのようなマーラーへの濃密な思い入れは感じられません。美しいですが余り印象に残りません、曲の分担でも「この世の生活」と「ラインの伝説」を男性のゲルネに歌わせるのは疑問。どちらも絶対に女性でしょう!

<ピアノ版>
Mahler51tjx1stoil_sx355_ワルター・ベリー(T)、クリスタ・ルードヴィヒ(Ms)、レナード・バーンスタイン(Pf)(1968年録音/ソニー盤) これはウイーンでのライブ録音であり、LP盤での発売当時はオーケストラ盤との二枚組でした。その後は別々に販売されていましたが現在はCD二枚組としてオリジナルの形で販売されています。ですのでこれは是非この形で購入して欲しいです。バーンスタインはピアニストとしての技量を論じる前にマーラーの音楽の表現者として計り知れない深みと大胆さを持っているのは流石です。この音楽を是非ともオーケストラ版と聴き比べて欲しいです。元々楽しい歌曲が更に楽しくなります。

Mahlerimg0912ィートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、ダニエル・バレンボイム(Pf)、(1978年録音/EMI盤) オーケストラ版のセル盤とバレンボイム盤の中間に録音された、マーラー歌曲集に収められています。こちらも一般的な12曲の収録です。バレンボイムはピアニストから出発した指揮者ですので、技術も表現力も素晴らしいピアノを聴かせています。歌曲の伴奏と考えればバーンスタインよりもずっとそれらしいです。ここでも男性一人が歌うので変化に限界は感じますが、好き嫌いは別としてFディースカウの表現力には舌を巻きますし、これはこれで楽しむことが出来ます。

以上の中から、マイ・フェイバリットを選ぶとすれば、管弦楽版はバーンスタイン/ニューヨーク・フィルの旧盤。ピアノ版もバーンスタイン盤です。どちらも最高に楽しい歌曲集の最高に楽しい演奏です。それがカップリング2枚組で購入できるのですから他に選択の余地はありません。
他に上げるとすればテンシュテット/ロンドン・フィル盤とインバル/ウイーン響盤です。どちらも男性歌手がオペラっぽい点が共通していますが、男女歌手の曲分担はベストですしオーケストラも素晴らしいです。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2017年7月24日 (月)

マーラー 歌曲集「さすらう若人の歌」 名盤

マーラーの音楽の醍醐味は管弦楽を駆使した大編成のシンフォニーにありますが、歌曲もマーラーのファンにとっては格別な魅力を持つ分野です。

歌曲集も幾つか有りますが、連作歌曲集としては「さすらう若人の歌」(Lieder eines fahrenden Gesellen )が最初の作品です。僅か4曲で短いですが、マーラーの最も良く知られた歌曲集であり、素晴らしい魅力に溢れます。

この作品は、本人の手紙の中に記されているように、ヨハンナ・リヒターという女性歌手へのかなわぬ思いが作曲動機となりました。作品は管弦楽版とピアノ伴奏版の二つが有りますが、先にピアノ伴奏版が完成して、その後に管弦楽用の楽譜が完成しました。もっとも初演は管弦楽版のほうが先に行われたという記録が残っています。

歌曲の歌詞はマーラー自身の手で書かれましたが、ドイツ民謡集『子供の魔法の角笛』に影響を受けていて、実際に第1曲は民謡集をベースにしています。

日本では「さすらう若人の歌」と訳されていますが、"Eines fahrenden
Gesellen"
とはドイツでは「マイスターとなるために国を広く渡り歩いて修行をする職人」という意味なのだそうです。
マーラー自身もこの作品を書いた当時、指揮や作曲を学びながら数々の都市を周っていましたので、自らを曲の主人公に重ね合わせたことでしょう。そして若きマーラーは作品の主人公のように失恋の痛手を負っていたのです。”旅と失恋”というテーマは「美しき水車小屋の娘」に出てくる粉ひき職人とも共通していますね。

曲集は4曲から構成されます。

1.
恋人の婚礼の時(enn mein Schatz Hochzeit macht

2.
朝の野を歩けば(Ging heut' morgens übers Feld

3.
僕の胸の中には燃える剣が(Ich hab' ein glühend Messer

4.
恋人の青い目(Die zwei blauen Augen
 

1曲「恋人の婚礼の時」 若者は恋人を失った悲しみを歌います。どんなにこの世の美しさを想ってみても、眠りについている時でさえ、その痛手と苦しみから解放されることはありません。

2曲「朝の野を歩けば」 晴れやかな気分の曲です。朝陽を浴びながら鳥のさえずりや牧場の朝露のような美しい自然の中を歩く喜びに溢れますが、恋人が去ってしまったことを思い出すと自分には幸せが花開くことは無いのだと気づきます。この曲の旋律は交響曲第1番の第1楽章に出てきます。

3曲「僕の胸の中には燃える剣が」 若者は寝ても覚めても、失った女性が自分の心臓にナイフを突き立てるという妄想に襲われ続けます。悪夢から覚めたとき、自分が黒い棺に横たわっていれば、目が二度と開かなければと願わずにいられません。

4曲「恋人の青い瞳」 恋人の青い眼差しは若者に愛と苦しみの両方を与えました。「なぜ私を見つめたりしたんだ?今の私には永遠の苦しみと嘆きしかない」と歌います。
 しかし、街道に立つ一本の菩提樹の蔭で、ようやく安らかに眠ることができ、「人生がどうなるか知りもしないが、全てがまた素晴らしくなった。恋も、苦しみも、 現(うつつ)も、夢も!」と肯定的に曲が終わります。
シューベルトの「菩提樹」を思い起こしますが、悲壮感で終わるシューベルトとは逆の終わり方が興味深いです。 この曲の旋律は交響曲第1番の第3楽章に出てきます。

曲は、バリトンもしくはメゾ・ソプラノで歌われますが、歌詞内容からはバリトンがふさわしいように思います。

それでは愛聴するCDのご紹介です。

管弦楽版
この曲は何と言ってもフィッシャー=ディースカウと切り離すことは出来ません。

Mahlerimg091D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管(1952年録音/EMI盤) 古いファンはこの曲とこの演奏とは切っても切り離せないと思います。フルトヴェングラーが「トリスタンとイゾルデ」のセッション録音を行ったときに時間が余ったことから、その録音に参加していたFディースカウとこの曲の録音が急遽決まったそうです。おかげで我々はこうして永遠の名盤を聴くことが出来るのです。フルトヴェングラーの指揮は全体に遅いテンポで粘りますが、演奏の味の濃さは比類が有りません。若きFディースカウの歌唱も曲に没入していて後年の演出臭さを感じません。そうなると元々の表現力がマーラーにはぴったりです。録音は歌が大き過ぎてバランスが悪いですが明瞭さは充分です。オーケストラの音はさすがに古めかしく感じますが鑑賞に問題はありません。

Mahler710glcwmuul_sy355_D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、フルトヴェングラー指揮ウイーン・フィル(1950年録音/オルフェオ盤) 前述のEMI盤に2年先立つ歴史的な録音が有ります。これこそはFディースカウのデビューコンサートで一大センセーションを巻き起こしたときの記録です。EMI盤の音質に比べればかなり聴き劣りしますが鑑賞には一応耐えます。何よりもウイーン・フィルの柔らかい音が魅力的です。Fディースカウの歌の表現力の幅と完成度は2年後のEMI盤よりも未成熟な気はしますが、他の普通の歌手と比べれば既に大きく凌いでいます。


Mahler965D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、クーベリック指揮バイエルン放送響(年録音/グラモフォン盤) クーベリックのセッション録音には少なからずみられる傾向ですが、冷静にして表現も幾らか
あっさり気味です。ですのでフルトヴェングラー盤が好きな方には物足りなく感じられると思います。その為かFディースカウの音楽への没入度もいま一つです。けれどもこの曲をマーラー青春の曲と捉えれば、むしろこれぐらいで丁度良いかもしれません。凡百の歌手と比べれば充分過ぎるほどの上手さです。歌とオーケストラの総合点ではトップレベルですのでリファレンスにしたい演奏です。

Mahler_img_5D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、バレンボイム指揮ベルリン・フィル(1989年録音/SONY盤) このバレンボイム盤はゆったりと表情豊かに演奏していて満足出来ます。ベルリン・フィルは音色が明るいのでマーラーの情念が幾らか薄められはしますが美しいですし、演奏そのものは秀逸なので不満ということではありません。但しこれもフルトヴェングラー盤が好きな方には、おっとりし過ぎに感じられることでしょう。第2曲の躍動感もいま一つです。総合的にはFディースカウの歌唱に演出臭さが少ないのは好みですし、
ソニーによる録音は優秀ですし、これはもっと見直されて良い演奏だと思います。

Mahler230030467ミルドレッド・ミラー(Ms)、ワルター指揮コロムビア響(1960年録音/CBS盤) この歌曲集と密接に関わる交響曲第1番があれほど素晴らしいワルターなので期待するところですが、その期待を裏切らない素晴らしさです。楽譜、音符一つ一つの読みの深さはバーンスタインと並びます。それほどテンポが遅いわけでも無いのにオーケストラの表情が何とも味わい深いです。但し歌手にメゾ・ソプラノが選択されていて、ワルター/ニューヨーク・フィルの「大地の歌」でも使われたミラーです。とても良い歌唱なのですがこの曲はやはり男性で聴きたいところです。


Mahler976クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)、ベーム指揮ウイーン・フィル(1969年録音/オルフェオ盤) ベームのマーラー録音は少ないですが、これはザルツブルク音楽祭のライブです。録音も明瞭でウイーン・フィルの音の魅力を味わえます。但しこの演奏にワルターのようなマーラー愛を感じられるかと言えば微妙です。やはりベームにマーラーは余り似合いません。3曲目などもベームにしては凄みが有りません。また
ルートヴィヒの歌唱も意外に良くありません。一生懸命歌っているのですが、粘りが多くしつこすぎに感じます。メゾ・ソプラノなので余計に強く感じられてしまうようです。

Mahlerthbrzdfft5トーマス・ハンプソン(Br)、バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1990年録音/グラモフォン盤) バーンスタインとウイーン・フィルの組み合わせとあれば歌手は誰でも構わない、と言っては極端ですが、それぐらい魅力的な演奏です。フルトヴェングラーに匹敵する大きなスケールと劇的な表現力が圧巻です。録音もずっと新しいのでウイーン・フィルの音の繊細さや美しさをとことん味わうことが出来ます。
ハンプソンはFディースカウと比べると小粒で声に華やかさも不足しますが、バーンスタインの元で中々に健闘した歌唱を聴かせています。これをFディースカウが歌っていたらなどと思うのは止めておきましょう。

Mahler230010525ヨルマ・ヒンニネン(Br)、インバル指揮ウイーン響(1992年録音/DENON盤) ヒンニネンはフィンランド生まれのバリトンですが声質が重く暗い印象を与えます。なので2曲目などは余り似合いませんが、逆に4曲目などでは深く沈んだ雰囲気が音楽にぴったりで非常に惹き付けられます。高域の声が苦しそうに聞こえるのは僅かにマイナスですが、全体的には悪くありません。インバルも落ちついた指揮ぶりで、
ウイーン響の持つ素朴で柔らかい音色を生かしていて素晴らしいです。個人的にはフランクフルト放送響との交響曲全集の響きよりもむしろ魅力に感じられます。

313a121wgvlトーマス・クヴァストホフ(Br)、ブーレーズ指揮ウイーン・フィル(2003年録音/グラモフォン盤) ブーレーズのマーラーはバーンスタインのような巨人タイプでは有りませんが、ウイーン・フィルから極上の美感を引き出しています。それでも第2曲までは特別な印象までは受けませんが、第3曲での演奏の切れ味の良さに耳を奪われ、続く第4曲では一転して遅いテンポで沈滞する味わいに強く惹きこまれます。クヴァストホフの歌も後半2曲の方が出来が良いと思います。総合的にはFディースカウには及ばず、ハンプソン並みという感じでしょうか。このCDは録音が新しいので特にウイーン・フィルの音を楽しみたい方にはお勧め出来ます。

ピアノ伴奏版
ピアノ版でもやはりFディースカウが巾を効かせます。(笑)


Mahler71mnpavvoll_sl1016_D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、バーンスタイン(Pf)(1968年録音/CBS盤) この録音はバーンスタインというマーラー演奏の巨人との共演。このコンビでオーケストラ盤が無いのは残念ですが
喝を癒します。バーンスタインのピアノが全く素晴らしいです。ピアニストとしてどうこう言う以前にマーラーの音楽として最高だからです。この表現の大胆さと表情はどんなに上手いピアニストでも真似できないと思います。加えてオーケストラ以上に曲の構造を理解させます。Fディースカウも同様に表情力豊かで素晴らしいのですが、個人的には何となく演劇臭く、その上バーンスタインに無理やり合わせた歌唱に感じてしまえるのが少々残念です。

Mahlerimg0912D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、バレンボイム(Pf)(1978年録音/EMI盤) 前回から10年後のピアノ版の録音ではピアノがバレンボイムに変わりました。マーラー音楽の表現者としてはバーンスタインの足元にも及びませんが、しかしFディースカウは逆に自分の歌を自然に歌っている印象を受けます。凄みには欠けますが歌曲としてのまとまりはずっと良いです。一長一短なものの聴き手の大半の方は、やはりバーンスタイン盤を選ぶと思います。かく言う自分も、どちらか一つと言われれば、やはりバーンスタイン盤に軍配を上げます。

Mahler194クリスティアン・ゲルハーエル(Br)、ゲロルド・フーバー(Pf)(2009年録音/RCA盤) このドイツのバリトンは大好きです。リリカルな声そのものはFディースカウよりも好みます。この人は「さすらう」を室内楽版で一度録音していますのでこれが二度目になるので十分に歌い込んですっかり自分のものにしている印象を受けます。フーバーのピアノも非常に安定して美しくゲルハーエルの歌唱と寸分の隙も感じさせません。破格のFディースカウ/バーンスタイン盤と完成度の高いゲルハーエル/フーバー盤はがっぷり四つのいい勝負です。

室内合奏版(シェーンベルク編曲)
さすがにFディースカウは出てきません。(笑)


Mahler61cd20pmpl_sx300_ql70_ロデリック・ウイリアムズ(Br)、ジョアン・ファレッタ指揮アタッカ四重奏団、ヴァージニア・アーツ・フェスティヴァル・チェンバー・プレイヤーズ(2015年録音/NAXOS盤) 前回ご紹介した室内楽編曲版「大地の歌」のCDにカップリングされています。シェーンベルク編曲の室内合奏版はピアノ版とはまた異なる新鮮さが有ります。これは是非とも聴いて頂きたいです。ロデリック・ウイリアムズはアメリカ人の歌手ですが声も若々しく美しい声が魅力的です。室内アンサンブルの演奏も繊細な味わいが有りとても素敵です。これは間違いなくナクソスの掘り出し物の一つとしてお勧めです。

ということで、この名曲は多くの名盤に恵まれますが、マイ・フェイヴァリット盤は管弦楽版ではFディースカウ/フルトヴェングラー盤とハンプソン/バーンスタイン盤の二つです。

ピアノ版ではFディースカウ/バーンスタイン盤とゲルハーエル/フーバー盤の二つ。室内合奏版は一つですのでそのまま。こんな感じです。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2017年6月27日 (火)

マーラー 「大地の歌」 ~マーラーのピアノ版、シェーンベルク編曲による室内楽版~

マーラーの「大地の歌」は、全曲を通して歌曲的な要素が非常に高いことと交響曲番号が付けられていないことから交響曲に含めないのが主流のように見受けられます。

しかし番号が付いていないのはマーラーが『交響曲第9番』に纏わる不吉なジンクスを嫌った為ですし、何よりも本人が「交響曲」だと言っているわけですから、それを全集から外すことには少なからず疑問を感じます。

それはそれとして「大地の歌」には、マーラー自身が書いたピアノ伴奏版の楽譜が存在します。この楽譜がコンサートでの使用を前提としたものなのか、それとも単に交響曲を作曲するための草譜なのかは分かっていません。

ともかく、ピアノ1台で伴奏される場合にはやはり歌曲として扱われるのが妥当だと思います。

このオリジナルピアノ版の出版は、東京の国立音大が資金協力をして実現したことから、世界初演はこの大学のホールで1988年にヴォルフガング・サヴァリッシュのピアノ演奏により行われました。

現在ではCDも幾つか出ていますが、私が所有しているのは世界初演の翌年にリリースされて、いまだに評価の高いカツァリスがピアノを弾いた演奏です。

414p5haf5bl
トーマス・モーザー(テノール)、ビルギッテ・ファスベンダー(メゾソプラノ)、シプリアン・カツァリス(ピアノ)(1989年録音/TELDEC盤)

このCDに関しては、とにもかくにもカツァリスのピアノの上手さに尽きます。演奏が時に説明口調となり煩わしさを感じるという欠点の有るカツァリスですが、マーラーのこの曲ではそれが全て長所となっています。

カツァリスは高い技巧を持ち、オーケストラの演奏に引けを取らないほどの幅広い表現力があり、どの曲でも聴いていて非常に面白く、惹き込まれてしまいます。

当たり前ですが、ピアノのみの伴奏で聴くとこの曲が完全に歌曲のように聞こえます。

歌手の二人については、モーザーはとても素晴らしいです。ファスベンダーはジュリーニ盤などでこの曲を歌っていますが、この演奏ではあっさりと淡白に歌っていてやや物足りないです。しかし総合的に、ピアノ版でこれ以上の演奏を見つけるのは現在も今後も中々に難しいと思います。

一方、この曲にはシェーンベルクが室内楽版に編曲した楽譜も存在します。

シェーンベルクが自ら立ち上げた“私的演奏協会”では当時の新しい音楽を人々に紹介するために演奏会を毎週開催して、様々な作品を紹介しました。

その演奏会では費用上の問題から、管弦楽作品を室内楽に編曲をして演奏が行われましたが、この「大地の歌」もマーラーを敬愛していたシェーンベルクが室内楽編成に編曲したものです。

CDは幾つも出ていて有名どころではフィリップ・ヘレヴェッへやオスモ・ヴァンスカなどのディスクも有りますが、私の愛聴しているのは新盤で入手性も良い下記のものです。

81kzflkqmcl__sl1429_
チャールズ・レイド(テノール)、スーザン・プラッツ(メゾソプラノ)、ジョアン・ファレッタ指揮アタッカ四重奏団、ヴァージニア・アーツ・フェスティヴァル・チェンバー・プレイヤーズ(2015年録音/NAXOS盤)

ナクソスレーベルには中々侮れないディスクが多々存在していますが、これもその一つです。余り耳にしない演奏家名ですが、指揮者は女流のジョアン・ファレッタですが、幾つものコンクールで優勝している実力者です。そしてアンサンブルの中心となるのは米国の新進カルテットのアタッカ四重奏団です。こちらもご存知の方は多くないでしょうが、2011年の大阪室内楽コンクールで優勝を飾り、その後も来日して演奏を行っています。このカルテットの第ニヴァイオリンを担当しているのは日本人の徳永慶子さんです。このカルテットに管楽器、コントラバス、ピアノが加わり演奏されています。

この編曲版を耳にして最初は戸惑うかも知れません。しかし聴き進むうちに直ぐに面白さの虜になると思います。普段聴いている分厚い管弦楽の響きとはうって変って非常に透明感あふれる繊細な音が繰り広げられるからです。もっとも個人的にはこの編成の場合にはピアノの音がやや異質に感じられます。むしろピアノを外した方が良いのではと思います。これが始めからピアノ版であれば当然気にならないのですが。

歌い手のチャールズ・レイドもスーザン・プラッツもアメリカ人ですが、二人ともマーラーを良く研究しているようでとても共感に満ちた歌を聴かせています。

ピアノ版だとこの曲が歌曲に聞こえますが、室内楽版だと歌曲と交響曲の中間のイメージとなるのがとても面白いところです。

『どちらが』ということではなく、マーラーが、大地の歌が、お好きな方には是非どちらも聴かれて欲しいと思います。

<関連記事>
交響曲「大地の歌」 名盤

| | コメント (2) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

A.ヴィヴァルディ G.F.ヘンデル J.S.バッハ(カンタータ、オラトリオ他) J.S.バッハ(ミサ曲、受難曲) J.S.バッハ(協奏曲) J.S.バッハ(器楽曲:弦楽器、管楽器) J.S.バッハ(器楽曲:鍵盤楽器) J.S.バッハ(管弦楽曲) J.S.バッハ(諸々その他) イギリス音楽(ホルスト、ヴォーン・ウイリアムズ、デーリアス他) イタリアのバロック音楽(モンテヴェルディ、ペルゴレージ、コレッリ他) ウェーバー エルガー グラズノフ グリーグ サン=サーンス シベリウス シベリウス(交響曲全集) シベリウス(交響曲) シベリウス(協奏曲) シベリウス(室内楽曲) シベリウス(管弦楽曲) シューベルト(交響曲) シューベルト(器楽曲) シューベルト(声楽曲) シューベルト(室内楽曲) シューベルト(管弦楽曲) シューマン(交響曲) シューマン(協奏曲) シューマン(器楽曲) シューマン(声楽曲) シューマン(室内楽曲) ショスタコーヴィチ(交響曲) ショパン(協奏曲) ショパン(器楽曲) ストラヴィンスキー スペインの音楽(ファリャ、ロドリーゴ他) スメタナ チェコ、ボヘミア音楽 チャイコフスキー(交響曲) チャイコフスキー(協奏曲) チャイコフスキー(室内楽曲) チャイコフスキー(管弦楽曲) ドイツ、オーストリアのバロック音楽(パッヘルベル、ビーバー、シュッツ他) ドイツ・オーストリア音楽 ドビュッシー ドヴォルザーク(交響曲全集) ドヴォルザーク(交響曲) ドヴォルザーク(協奏曲) ドヴォルザーク(室内楽曲) ドヴォルザーク(管弦楽曲) ハイドン(交響曲) ハンガリーの音楽 ビゼー フォーレ(声楽曲) フォーレ(室内楽曲) フランク フランス音楽(ドリーヴ、プーランク、サティ他) ブラームス(交響曲全集) ブラームス(交響曲第1番~4番) ブラームス(協奏曲:ピアノ) ブラームス(協奏曲:ヴァイオリン他) ブラームス(器楽曲) ブラームス(声楽曲) ブラームス(室内楽曲) ブラームス(管弦楽曲) ブルックナー(交響曲全集) ブルックナー(交響曲第0番~3番) ブルックナー(交響曲第4番~6番) ブルックナー(交響曲第7番~9番) ブルッフ プッチーニ プロコフィエフ(管弦楽曲) ベルリオーズ ベートーヴェン ベートーヴェン(交響曲全集) ベートーヴェン(交響曲第1番~3番) ベートーヴェン(交響曲第4番~6番) ベートーヴェン(交響曲第7番~9番) ベートーヴェン(協奏曲) ベートーヴェン(器楽曲) ベートーヴェン(室内楽曲) ベートーヴェン(弦楽四重奏曲全集) ベートーヴェン(弦楽四重奏曲:初期~中期) ベートーヴェン(弦楽四重奏曲:後期) ベートーヴェン(歌劇、声楽曲) マーラー(交響曲第1番~4番) マーラー(交響曲第5番~7番) マーラー(交響曲第8番~10番、大地の歌) マーラー(声楽曲) メンデルスゾーン モーツァルト(交響曲) モーツァルト(協奏曲: ピアノ 第01~9番) モーツァルト(協奏曲: ピアノ 第10~19番) モーツァルト(協奏曲: ピアノ 第20~27番) モーツァルト(協奏曲:ヴァイオリン) モーツァルト(協奏曲:管楽器) モーツァルト(器楽曲) モーツァルト(声楽曲) モーツァルト(室内楽曲) モーツァルト(歌劇) モーツァルト(諸々その他) ヤナーチェク ヨハン・シュトラウス ラフマニノフ(交響曲) ラフマニノフ(協奏曲) ラフマニノフ(室内楽曲) ラヴェル リヒャルト・シュトラウス(交響曲) リヒャルト・シュトラウス(楽劇) リヒャルト・シュトラウス(歌曲) リヒャルト・シュトラウス(管弦楽曲) リムスキー=コルサコフ レスピーギ ロシア音楽(ムソルグスキー、ボロディン、カリンニコフ他) ワーグナー(楽劇) ワーグナー(歌劇) ワーグナー(管弦楽曲) ヴェルディ(声楽曲) ヴェルディ(歌劇) 名チェリスト 名ピアニスト 名ヴァイオリニスト 名指揮者 政治・経済問題 文化・芸術 旅行・地域 日本人作品 映画 映画(音楽映画) 歌舞伎 演奏会(オムニバス) 舞踏&バレエ 芸能・スポーツ 読書 趣味 音楽やその他諸事 音楽(やぎりん関連) 音楽(アニメ主題歌) 音楽(シャンソン・タンゴ・ボサノヴァ) 音楽(ジャズ) 音楽(ポップス) 音楽(ロック) 音楽(和楽)