マーラー 歌曲集「リュッケルトによる5つの歌曲」 名盤 ~私はこの世に忘れられ~
マーラーの歌曲集で「さすらう若人の歌」「亡き子をしのぶ歌」と並んで演奏会で度々取り上げられる「リュッケルト歌曲集」は、正確には「フリードリヒ・リュッケルトによる5つの歌曲」(Fünf Lieder nach Rückert)で、ドイツの詩人リュッケルトの詩を題材に1901年から翌年にかけて書かれた歌曲集です。
初版の際は出版社の都合で、のちに歌曲集「少年の魔法の角笛」に挿入される「少年鼓手」と「死んだ鼓手」の2曲を加えて「7つの最後の歌」とされましたが、現在では「リュッケルト歌曲集」(5曲)とされています。中でも「私はこの世に忘れられ」と「真夜中に」がマーラーらしい非常に印象的な名曲です。
ピアノ伴奏版とオーケストラ版の2種類が存在しますが、マーラー自身がオーケストレーションしたのは4曲のみで、「美しさゆえに愛するのなら」のオーケストレーションは、指揮者のマックス・プットマンによるものです。
ソリストは通常、メゾ・ソプラノもしくはソプラノ、あるいはバリトンによって歌われます。
また、曲の順序については指定が無い為に、演奏の順番は演奏者に委ねられます。
<楽曲>
1.私の歌を覗き見しないで
2.ほのかな香りを
3.私はこの世に忘れられ
4.真夜中に
5.美しさゆえに愛するのなら
1905年1月にマーラーがウィーン楽友協会において自ら指揮をした管弦楽版4曲の順番は次の通りでした。
1.ほのかな香りを
2.私の歌を覗き見しないで
3.私はこの世に忘れられ
4.真夜中に
ですので、以前はこの順番で4曲のみを演奏するのもよく見受けられました。
其々の詩については大意だけを載せておきます。
私の歌を覗き見しないで(BLICKE MIR NICHT IN DIE LIEDER!)
私が歌を作ってるところを覗かないで。
悪いことして捕まったみたいに、下向くしかないじゃない。
蜜蜂たちが巣を作る時だって、やっぱり他の人に見せたりしないでしょう。
たっぷりの蜜があふれた蜂の巣が出来あがったら、誰より先に味見してちょうだい。
ほのかな香りを(ICH ATMET EINEN LINDEN DUFT)
ほのかな香りをかいだ。
部屋には菩提樹の小枝がある。
その菩提樹の枝は、あなたがやさしく折ったもの。
菩提樹の香りの中に、そっと愛のほのかな香りをかぐの。
私はこの世に忘れられ(ICH BIN DER WERT ABHANDEN GEKOMMEN)
私はこの世から姿を消してしまったの。
きっと、私なんかもうすっかり死んだと思われてるんだわ。
私にはどうでもいいことよ。
私だけの至福の中で、私だけの愛の中で、私だけの歌の中で、ひとりで生きているの。
真夜中に(UM MITTERNACHT)
真夜中に、目をさまして、空を見上げた。
星の群れの中のどれ一つとして、私に笑いかけてはくれなかった。
真夜中に、暗いところで物思いにふけっていた。
私を慰めてくれるような明るい希望は何もなかった。
主よ、あなたは死と生をいつも見守っておられる。
美しさゆえに愛するのなら(LIEBST DU UM SCHÖNHEIT)
綺麗だからってだけなら、愛してくれなくていいわ。
若いからってだけなら、愛してくれなくていいわ。
愛してるから愛するのだったら、私を愛して。
いつまでも、私のことを愛してね!
それでは愛聴盤のご紹介をします。
<管弦楽伴奏版>
キャスリーン・フェリアー(コントラルト)、ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィル(1952年録音/DECCA盤) これは、あの歴史的名盤である「大地の歌」のセッション録音の際に合わせて録音されました。「私はこの世に忘れられ」「ほのかな香りを」「真夜中に」の3曲のみですが、フェリアーとワルターのマーラー録音が聴けるのは貴重です。現代の歌手と比べれば歌唱には古めかしさが感じられもしますが、何という深い情感を持つことでしょう。当時のウィーン・フィルの甘く柔らかい音色がそれに輪をかけています。もちろんモノラル録音ですが、「大地の歌」と同等の明瞭な音質です。
ジェニー・トゥーレル(MS)、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1960年録音/SONY盤) これも「ほのかな香りを」「私はこの世に忘れられ」「真夜中に」の3曲のみの演奏です。トゥーレルはこの他にも「亡き子をしのぶ歌」などでバーンスタインにソリスト起用されていました。深い情念を歌える良い歌手です。バーンスタインのマーラーはもちろん素晴らしいですが、問題はニューヨーク・フィルの音色で、「真夜中に」のフィナーレの金管楽器の音の明るさには抵抗を感じます。
D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、カール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1963年録音/グラモフォン盤) これはマーラー自身のオーケストレーション版による4曲の演奏です。Fディースカウはこの曲を何度も録音していますが、その最初のものにしては深い表現力と歌唱の上手さは流石です。ベームの指揮もキリリとして素晴らしく、まだほの暗い響きを持っていたベルリン・フィルからマーラーの音楽の情感を見事に引き出しています。
D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、ズービン・メータ指揮ウィーン・フィル(1967年録音/オルフェオ盤) これはザルツブルグ音楽祭でのライブ録音です。前述のベーム盤では4曲のみでしたが、しっかりと5曲を歌っています。それをFディースカウの全盛期のライブで、しかもウィーン・フィルの演奏で聴けるのは貴重です。メータもこうした合わせ物は大の得意ですし、この時代にしては優れたステレオ録音であるのも嬉しいです。
ジャネット・ベイカー(Ms)、サー・ジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管(1969年録音/EMI盤) バルビローリがマーラーの主要な歌曲集をベイカーと録音してくれたのは幸運でした。どの曲も、いかにもマエストロらしい、聴き手の心のひだに染み入ってくるような演奏です。マーラーを得意としたベイカーの歌唱がまた同様に素晴らしいです。最後に置かれた「私はこの世に忘れられ」も深くて感動的です。
トーマス・ハンプソン(Br)、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル(1990年録音/グラモフォン盤) バーンスタインの再録音盤では5曲とも演奏されています。ウィーン・フィルの音の柔らかさ、美しさは当然のことながらニューヨーク・フィルをしのぎ、大きな魅力となっています。ハンプソンの声質は美しいのですが、Fディースカウと比較すると、どうしても小粒には感じられます。しかしここでは精一杯の歌唱を聴かせています。
ヴィオレタ・ウルマーナ(S)、ピエール・ブーレーズ指揮ウィーン・フィル(2003年録音/グラモフォン盤) これも5曲での演奏です。ブーレーズのマーラーはバーンスタインのようなスケールの大きさは有りませんが、ウィーン・フィルの音色を最大に生かした極めて繊細な美しさを聴かせています。ウルマーナもまた美しい声質を持つソプラノで、余り大げさにならない繊細な歌い方が正にブーレーズのソリストとしてピッタリだと言えます。
クリスティーネ・シェーファー(S)、クリストフ・エッシェンバッハ指揮ベルリン・ドイツ響(2008年録音/カプリッチオ盤) これも5曲での演奏です。現存する指揮者で一番好きなエッシェンバッハはブラームスやマーラーでの濃厚な音楽造りが特に素晴らしいです。シェーファーの感情表現豊かな歌唱はそれにピッタリで、この曲集が本来ドイツリートであることを思わせてくれます。バーンスタインよりも遅い「私はこの世に忘れられ」の素晴らしさはワルター盤以来かもしれません。出来るならエッシェンバッハのピアノ伴奏でも聴いてみたいものです。
<ピアノ伴奏版>
D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、バーンスタイン(Pf)(1968年録音/CBS盤) バーンスタインの指揮するマーラーは最高ですが、ピアノ演奏もまた実に素晴らしいです。この深い情緒表現は正にマーラーそのものと言えます。Fディースカウも同様に表情力豊かで素晴らしいですが、主導権を握っているのはバーンスタインという印象です。不思議なのは収録が「美しさゆえに愛するのなら」を除く4曲であることです。前年のザルツブルグではメータと管弦楽版で5曲を歌っているのに、ピアノ版で何故4曲かが謎ですが、恐らくバーンスタインの考えかと勝手に推測しています。
D.フィッシャー=ディースカウ(Br)、バレンボイム(Pf)(1978年録音/EMI盤) 前回から10年後のピアノ版の再録音ではピアノがバレンボイムに変わりました。今度は曲目も5曲歌っているのは嬉しいです。バレンボイムのマーラーの音楽の表現力はバーンスタインには及びませんが、その分逆にリート伴奏らしさが有ります。Fディースカウも自分のペースで力まず自然に歌っている印象を受けます。なお所有の東芝EMI盤ではピークで幾らか音割れ気味なのがマイナスです。
藤村美穂子(MS)、ロジャー・ヴィニューレス(Pf)(2009年録音/フォンテック盤) 女声のピアノ伴奏版は意外と少ないので貴重です。ドイツの歌劇場で活躍する藤村さんですので「日本人としては」という枕詞は不要かもしれません。日本でのライブ収録ですが、美しい声でしっとりと聴かせてくれます。ただしマーラー特有の粘着質さに乏しいのは良し悪しです。ですので「ほのかな香りを」のような曲は美しく素晴らしいです。絶対のお勧めとまでは行きませんが、ピアノ版が欲しいという方には良いと思います。
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