ハインリッヒ・ビーバー 「レクイエム」 名盤
2006年の秋のこと、ザルツブルクを訪れる機会が有ったので大聖堂に立ち寄り、ここで起きたいにしえの様々なシーンを想像しては感慨に浸りました(上の写真はその際に撮影したものです)。
モーツァルトが1756年にザルツブルクで誕生して洗礼を受けたのもこの大聖堂ですので、ちょうどその250年目だったのですね。
そして、モーツァルトが生まれる約70年前の1687年、ここで初演が行われたのがビーバーの「15声のレクイエム」です。故郷のボヘミアからザルツブルクへ移り住み、宮廷楽長となったハインリッヒ・ビーバーでしたが、仕えていた大司教マクシミリアン・ガンドルフ・フォン・キューンブルクが亡くなった時に追悼ミサの為に演奏されました。マクシミリアンが突然亡くなったのが5月3日、ミサはその6日後の5月9日に行われたことから、この曲は生前から既に用意されていたものと考えられます。宮廷音楽家の仕事というのは、そういうものなのでしょうね。
この曲は演奏時間としてはおよそ25分ほどですが、構成は以下のように5部からなります。
Ⅰ.入祭唱(Introitus)-キリエ(Kyrie eleison)
Ⅱ.続唱(Sequentia)-怒りの日(Dies iræ)
Ⅲ.奉献唱(Offertorium)
Ⅳ.サンクトゥス(Sanctus)-ベネディクトゥス(Benedictus)
Ⅴ.アニュスデイ(Agnus Dei)-聖体拝領唱(Communio)
初演時には下記の図のように合奏隊が中央だけでは無く、左右の上部に2隊づつ置かれ、全部で5隊に分かれて演奏が行われたそうです。
ビーバーというと、どうしても名曲「ロザリオのソナタ」を始めとしたヴァイオリン楽曲のイメージが強いのですが、宮廷音楽家として宗教曲も多く書き上げています。後年この地で同じ宮廷音楽家を務めたモーツァルトが書いた「レクイエム」はウイーンに移ってからの作曲ですので、ザルツブルクの「レクイエム」といえば、やはりビーバーの作品となるでしょう。
モーツァルトの「レクイエム」は未完ながら相当な大作で、音楽には強い哀しみや激しさ、あるいは荘厳さを感じさせますが、ビーバーのこの曲には深刻さは感じられず、大きな起伏が見られない淡々とした音楽となっています。人の死が「悲劇」では無く、「安らかな天国への旅立ち」なのだという宗教観に忠実に基づいているのでしょう。幸福感や慈愛を感じさせる落ち着いた曲想です。
それでも、弦楽による伴奏などは音楽の端々で極めて効果的に生かされていて、さすがはビーバーという印象を受けます。この曲は一度聴いただけではそれほど強い印象は受けませんが、何度も繰り返して聴き込むうちに、心にじわじわと浸透してくる不思議な魅力を持ちます。やはり愛すべき名作です。
愛聴盤はサヴァール盤で特筆大書すべきディスクです。
ジョルディ・サバール指揮ラ・カペラ・レイアル&コンセール・デ・ナシオン(1999年録音/ALIAVOX盤)
何といっても、ザルツブルク音楽祭で初演場所である大聖堂で行われたライヴ録音です。しかもこの時には初演時の再現が試みられ、5つの合奏隊を立体的に配置しています。残念ながら録音では視覚的な確認は出来ませんが、立体的な音響効果からある程度想像が出来ます。「レクイエム」に先立ち、器楽合奏のみの「葬送行進曲(Marcia Funebre)」が演奏されますが、これも初演時の再現なのでしょうか。演奏についてはビーバーの楽譜には書かれていないトランペットとティンパニが加えられている為に、非常に壮麗な印象を受けます。但しライブ録音ですので、古楽器の演奏に幾らか安定感を欠く面が見られるのと、ヴァイオリンの音が埋もれて聞こえる点がマイナスです。一方で深く豊かな残響の中から浮かび上がる透明なコーラスは神秘感を漂わせて素晴らしいのですが、それは飽くまでも”純音楽的”なそれであり、必ずしも”宗教的な敬虔さ”を感じさせるものでは有りません。初演時の演奏がどのようなものであったか”学究的に”追及した演奏であることは間違いありませんが、この演奏が真に感動的に感じられるかどうかは、結局は聴き手の心と耳に負うところが大きいと思います。
さて、実はビーバーはレクイエムをもう1曲書いています。「レクイエム」ヘ短調です。作曲年が不明なのですが、印象としてはどうもこちらの方が後に書かれたように感じます。お分かりの方がおられたら是非ご教授願いたいです。しかし嬉しいことに、こちらには名指揮者ギレスベルガーの名盤が有ります。
ハンス・ギレスベルガー指揮ウイーン少年合唱団&ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス(1968年録音/TELDEC盤)
モーツァルトの「レクイエム」で奇跡的な名演奏を聴かせてくれたギレスベルガーですが(下記:関連記事参照)、ビーバーでも素晴らしい名演奏を残しています。但し、このディスクではアーノンクールが演奏する他の曲が表に立っていて、うっかりするとギレスベルガーの名前を見逃します(というかジャケット表面には書かれていない!)。ウイーン少年合唱団の純真な歌声はこれこそ正に宗教曲だという印象を受けます。独唱にもボーイ・ソプラノとアルトが使われていて、当然ながら歌唱は完璧では有りません。けれども宗教曲において完璧性を第一優先したいわけでは有りませんので、気になりません。それよりも素朴で地味な歌声はレクイエムというよりも、むしろモーツァルトのミサ・プレヴィスでも聴いているような印象です。何という美しい音楽なのだろうかと感じずにはいられません。またスタジオ録音ですので、ビーバー得意のヴァイオリンの音のソノリティの明確さも大きな魅力です。それでいてコーラスは残響豊かな教会で歌っているように聞こえて素晴らしいです。ちなみにこのCDは現在はapexから廉価盤が出ていますので入手し易いはずです。
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