北欧は森と湖の国フィンランドの作曲家ヤン・シベリウス。僕はこの人の音楽が大好きです。その音楽の特徴はフィンランドの自然や風土を表わしながら、いつしか心象風景をも感じさせることです。彼の作品では何といっても7曲の交響曲が傑作ですが、それらの真の魅力を聴き取るにはある程度の時間をかけてじっくりと鑑賞していく必要が有ります。その点、もっとずっと親しみやすくポピュラーな作品といえばヴァイオリン協奏曲二短調です。
この曲は第一楽章が始まったとたんに北欧の清涼な空気が流れてくる気分になります。事実シベリウスはこの楽章の冒頭部分に関して、「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と述べています。曲が進むと更にうっそうとした森の中分け入ったり、凛とした一輪の花が咲いている雰囲気だったりと正に北欧の自然そのものなのです。第二楽章はあたかも北欧の夏の夜想曲。涼しく静かに夜が更けて空には満点の星空が・・・というイメージです。第三楽章は一転して何やら荒々しいリズムの原始的な舞曲のようです。但しそれは決して大げさなものではなくて、ずっと内省的なものなのです。
なお、この曲の楽譜には、通常使用されている1905年版とは別の1903/04年初稿版が存在します。シベリウスの遺志で初演以来公開を許されていませんが、唯一の例外としてカヴァコス/ヴァンスカによるBIS録音が有り、聴くことは可能です。
僕はこの曲は大好きで、あまたのヴァイオリン協奏曲の中でもベートーヴェン、ブラームスに次ぐベスト3の位置をチャイコフスキーと争います。
それではそんな僕の愛聴盤をいくつかご紹介させて頂きます。
カミラ・ウィックス(Vn)、エールリンク指揮ストックホルム放送響(1952年録音/EMI盤) この中では最も古いモノラル録音で、シベリウスが彼女の演奏を聴いて”最高の演奏だ”と称賛した逸話は有名です。確かに作品へのリスペクトを感じて印象は良いのですが、大きく歌わせる熱演スタイルであるのが今では古臭く感じられる為に余り頻繁に聴きたくはなりません。これがドイツロマン派のような曲であればこういうスタイルは大好きですが、透徹したシベリウスの音楽には向いていません。また終楽章のリズムがヨタついて聞こえるのもかなりマイナスです。エールリンクの指揮は悪くはないですが管弦楽の音質に多くの期待は禁物です。
ダヴィド・オイストラフ(Vn)、オーマンディ指揮フィラデルフィア管(1959年録音/CBS盤) この曲は、演奏効果を狙って過剰に歌いまわしたりすると本来の魅力が歪曲されてしまいます。たとえばオイストラフとロジェストヴェンスキー/モスクワ放送響の1965年ライブ盤が典型でした。バイオリン演奏的には優れていても、シベリウスとして優れているかと言うと別なのです。オーケストラの音がまるでチャイコフスキーなのも頂けませんでした。同じオイストラフならば、このオーマンディ伴奏盤の方がむしろシベリウスの音楽にはまだ近いと思います。この曲の演奏にしては人間的な温かみが少々過剰ですが、それを好む方はおられるでしょう。
ヤッシャ・ハイフェッツ(Vn)、ヘンドル指揮シカゴ響(1959年録音/RCA盤) さすがはハイフェッツというべきか、実に潔い演奏です。テンポは速めで情緒に溺れることなく颯爽と弾き進みます。もちろんこの難曲を余りに軽々とこなすので、何となくサラサーテでも聴いているようです。ヘンドルの指揮はそれに合わせているので、ここには北欧特有の暗さや冷たい空気感は存在しません。半世紀前のディィスク選びにも限りの有る時代であれば”名盤”に数えられるのかもしれませんが、現在ではこれを”シベリウスの音楽”として聴くことは出来ません。
トッシー・スピヴァコフスキー(Vn)、ハンニカイネン指揮ロンドン響(1959年録音/エヴェレスト盤) スピヴァコフスキーは現在のウクライナ出身で、ドイツで学んだヴァイオリニストです。13歳でヨーロッパ・ツアーを行い、18歳でフルトヴェングラーに認められてベルリン・フィルのコンサートマスターに抜擢されました。オールドファッションな奏法ですが、弾き崩すようなことは無く意外と端正さも有ります。3楽章辺りではテクニック的に厳しい部分は有りますが、全体的には味わいも豊かですし好みは別として楽しいです。ハンニカイネンの指揮はさすがに堂に入っています。録音も明瞭です。
オレグ・カガン(Vn)、ハンニカイネン指揮フィンランド放送響(1965年録音/独Live Classics盤) 1965年のシベリウスコンクールで優勝したのは、43歳という若さで世を去ってしまうオレグ・カガンです。これは記念コンサートのライブ録音ですが、指揮は何とタウノ・ハンニカイネンです。カガンのヴァイオリンは、この人特有の澄んだ端正な音で清涼感を感じさせて、この曲に適しています。フレージングには多少の緩さを感じないでもないですが、やはり優勝しただけのことはあります。3楽章での目立つミスはご愛嬌。ハンニカイネンはロシアから来た若者を支えて、貫禄充分のサポートを行っています。古いライブ収録の割に明瞭な音質です。(詳しくは下記<関連記事>を参照)
チョン・キョンファ(Vn)、プレヴィン指揮ロンドン響(1972年録音/DECCA盤) これは昔から評論家の宇野功芳先生が激賞してきた名盤です。僕もこの演奏でこの曲の魅力を長いこと堪能してきました。キョンファのバイオリンの音は端正で余計な脂肪分が無く、厳しさと優しさが両立しているのがこの曲の持つ雰囲気にピッタリなのです。若い頃の彼女の独特の切れ味もまた魅力となっています。プレヴィンの伴奏オケも同傾向で非常に美しく、この演奏はいまだにこの曲の代表的な名盤の一角を占めていると思います。
ギドン・クレーメル(Vn)、ロジェストヴェンスキー指揮ロンドン響(1977年録音/DENON盤) ザルツブルグで行われたセッション録音で、この組み合わせなら案外面白いかもと期待しましたが、当ては外れました。クレーメルは昔の大家のように大きく歌い上げることは無いので、この作品には良いのですが、この人特有の癖の有る奏法が満載なので、シベリウスを聴いた気にはなりません。その割に3楽章のリズムもキレ無くユルいのでガッカリです。ロジェストヴェンスキーのこの曲の録音は多いですが、ロシア然としたモスクワ放送響の演奏よりはずっと聴けます。
チョン・キョンファ(Vn)、ラトル指揮フィルハーモニア管(1982年録音/DRUMCAN盤) この演奏は正規盤ではなく所謂海賊CD-R盤ですが、演奏が非常に素晴らしいのでご紹介しておきます。前述のDECCA盤よりも10年後の演奏だけあってずっと円熟味を増したゆとりを感じますが、音楽の厳しさは相変わらずです。ラトルの伴奏も美しさと厳しさを持っていて非常に見事です。録音も良好ですし、DECCA盤と両方を楽しみたいところです。もしどちらか片方を選べと言われれば僕はこの感興の高いライブ演奏の方を選ぶかもしれません。
イダ・ヘンデル(Vn)、ヴェラー指揮スウェーデン放送響(1984年録音/WEITBRICK盤) スウェーデンでのライブ録音です。この人のシベリウスはベルングルド/ボーンマス響とのEMI盤で余り良い印象は持っていなかったのですが、どういう風の吹き回しか聴いてみました。テクニック的にはこの難曲を十全に弾きこなすレベルには有りません。ところが耳を覆うほどかと言えば、そんなことも有りません。1楽章でその演奏の緩さ、温かさに慣れてしまえば、むしろ「こんなシベリウスも有りかな」と思ってしまいます。指揮のワルター・ヴェラーは凡庸ですが、オーケストラの音は曲に合っていると言えます。録音は優れています。
ナイジェル・ケネディ(Vn)、ラトル指揮バーミンガム市響(1987年録音/EMI盤) ケネディはイギリス出身にしては結構奏法が個性的で自由奔放なところが有ります。しかしロシアの奏者のようなカロリー過多という訳では無いところが、やはり英国のお国柄かなと考えたりもします。シベリウス本来の寡黙な音楽でも有りませんが、中々に楽しむことが出来ます。ラトルの指揮も適度に表現意欲を見せますが踏み外すほどでは有りません。管弦楽の響きに特別な魅力は感じませんが悪くは無いです。センスの無いCDジャケットは海外盤です。
ジョセフ・スヴェンセン(Vn)、サラステ指揮フィンランド放送響(1989年録音/RCA盤) スヴェンセンはアメリカ生まれですがノルウェー人と日本人の両親を持ちます。現在ではヴァイオリニストと指揮者の両方で活躍中です。この録音は余り知られていませんが、安定したテクニックと適度にロマンティックな表現のソロで中々に聴かせてくれます。そして何しろオーケストラが素晴らしいです。こういう演奏を聴いてしまうとやはりシベリウスはフィンランドの楽団に「限る」と改めて思えてしまいます。隠れ名盤のトップにも成り得る気に入った演奏です。
レオニダス・カヴァコス(Vn)、ヴァンスカ指揮ラハティ響(1990年録音/BIS盤) 厳格だったシベリウスの遺志により初演以来演奏されなかった初稿版を遺族との長い交渉の末に録音許可を得たという唯一のディスクです。初稿版と現行版の両方を納めています。両者を純粋に聴き比べると、当然ながら現行版のほうが遥かに完成度の高さが感じられます。資料としての価値は高いですが、鑑賞目的では興味の有る方にはどうぞと言えるだけです。カヴァコスはシベリウスコンクールの優勝者ですが、正直それほど感銘は受けません。実際のホールで聴くようなヴァイオリンが小さめの録音バランスです。
タスミン・リトル(Vn)、ハンドリー指揮ロイヤル・リバプール・フィル(1991年録音/EMI盤) 日本では知名度は低いですが、母国の英国ではナイジェル・ケネディと並んで人気が有ります。二人は同じメニューイン門下ですが、自由奔放なケネディとは正反対のリトルは端正で上品、正に英国淑女のような演奏スタイルで、確かな技術に裏付けされた豊かな閃きを湛えます。細身で清潔感の有る美しい音はシベリウスに適していますが、”寡黙さ”を持ちながらも優しさが感じられるのが魅力です。指揮者のハンドリーも同じ英国生まれの名指揮者で、終楽章では曲の荒々しさにやや不足しますが、リトルに相応しい素晴らしい指揮ぶりです。
五嶋みどり(Vn)、メータ指揮イスラエル・フィル(1993年録音) 五嶋みどりが初期に録音した演奏です。1楽章ではクールに端正に弾いていて中々の出来栄えです。けれども2楽章では、あの北欧のロマンの表現に少々物足りなさを感じます。また3楽章ではリズムや表情に僅かですが妙なクセが感じられます。キョンファが曲の魅力を十全に感じさせてくれるのとは異なります。メータ指揮のオケは伴奏としては素晴らしいのですが、シベリウスの透徹した美しい響きには遠いと言わざるをえません。その点、この曲よりもむしろカップリングの「スコットランド幻想曲」のほうが楽しめます。
イダ・ヘンデル(Vn)、ラトル指揮バーミンガム市響(1993年録音/TESTAMENT盤) ヘンデルが65歳時のロンドンでのライブですが、その割には前述したスウェーデンでのライブに比べて技術的に大きな衰えは感じません。むしろ良く弾けていますが、終楽章は遅いテンポでも苦しそうです。シべリウスにしては良く歌わせるので透徹感は希薄ですが、逆に温かみを感じさせるのが聴き手によっては好まれるかもしれません。ラトルもシベリウスは得意としていて中々の好演です。
ペッカ・クーシスト(Vn)、セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィル(1996年録音/ONDINE盤) 元々本場物に人一倍こだわりのある僕を心底満足させる名演が有ります。クーシストは1995年、19歳にして母国のシベリウス・コンクールに優勝して、その翌年にこのCDを録音しました。フィンランドでは大変なベストセラーになりましたが、日本ではほとんど知られていません。端正で凛とした美しさの音はキョンファにも通じますが、キョンファが時折演奏家の個性を感じさせるのに対して、クーシストはシベリウスの音楽そのものしか感じさせません。これは個性が無いこととは全く異なり、それでこそシベリウスの音楽は生きるのです。良く聴けば意外と自由に弾いているにもかかわらず、それがごく自然に流れるように聞こえます。その為に、過剰な表現は一切無いのに全然物足り無さを感じません。技術的にも非常に優秀ですが、それより何より、母国の偉大な芸術家への敬愛の念というものを、この演奏以上に感じさせられたことは有りません。セーゲルスタム/ヘルシンキ・フィルも澄み切った音が本当に美しく、しかし時に荒々しくと正に理想的で、この曲の最高のオーケストラ演奏だと言えます。これは音楽と演奏とが真に一体化した稀有な名演奏です。
諏訪内晶子(Vn)、オラモ指揮バーミンガム市響(2002年録音/フィリップス盤) このCDは実はジャケット買いしました。(^^) なんという美しいお顔でしょうか!美人に滅法弱いワタクシはイチコロなのです。ですので大甘の演奏評価になるとは思いますが、実は掛け値なしに素晴らしい演奏なのです。この曲の特徴あるリズムやフレージングの掘り下げが実に見事です。楽器の音もやはり端正で余計な脂肪分の無いタイプですので、シベリウスに向いています。やはりシベリウスは「クール&ビューティ」でなくては!そういえばやはり女性に弱い宇野先生も最近は推薦盤をキョンファからこの諏訪内に寝返りさせました。まったく齢がいもなくねぇ。(笑) ただ、彼女は一昨年僕がこの曲を生で聴いた時、更には昨年秋のNHK音楽祭と、確実に音楽の深みを増しています。やはり山谷有りの人生経験は人そのものを成長させるのでしょうね。
セルゲイ・ハチャトリアン(Vn)、クリヴィヌ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア(2003年録音/Naive盤) アルメニア出身で輝かしい活躍をしているハチャトリアンのデビューCDです。この人は高度なテクニックを持ちますが、この曲ではそれを過剰に誇示することを避けています。北欧の寡黙さとまでは行きませんが中々に好感が持てます。クリヴィヌ指揮の管弦楽も僅かに表情過多なれど許容範囲内でありまずは好演です。この曲の傑出した演奏とまでは思いませんが悪く有りません。ちなみにカップリングされたアラム・ハチャトリアン(紛らわしいが血筋では無いみたいです)作曲のヴァイオリン協奏曲の方は掛け値なしの名演です。
ヘンニング・クラッゲルード(vn)、エンゲセット指揮ボーンマス響(2003年録音/NAXOS盤) クラッゲルード という人は余り知られていませんが、ノルウェーの出身で北欧の作曲家の作品の録音を相当数行っています。テクニックもかなりの高さですが、この曲でヴィルトゥオーゾ的な派手な演奏に陥らないのはやはり北欧の演奏家です。透徹感ではクーシストに一歩譲りますが、音色が寒色系なのは好ましいです。指揮者のエンゲセットもまた無名ながら、非常に素晴らしい指揮でソリストを引き立てています。なお、このディスクにはノルウェー作曲家のシンディングのヴァイオリン協奏曲第1番イ長調と世界初録音の「ロマンス」が含まれているのも興味深いです。
リサ・バティアシュヴィリ(Vn)、オラモ指揮フィンランド放送響(2007年録音/SONY盤) バティアシュヴィリは16歳で1995年のシベリウス・コンクールで第2位に入賞しました。優勝者はクーシストです。このCDはヘルシンキで行なわれたライブ録音です。音がとても柔らかく、人間の肌のぬくもりを感じます。音量も小さめなように想像されます。フレージングにはメカニカルな雰囲気が無く、あくまでも人間的な印象です。本来、この曲には、もう少し透徹したクールさが適すると思いますが、違和感を覚えることはありません。1楽章や3楽章では迫力に物足りなさを感じますし、スケールも小さいですが彼女の味なのですね。オラモは、優しく包み込むような演奏に終始しています。(詳しくは下記<関連記事>を参照)
ヒラリー・ハーン(Vn)、サロネン指揮スウェーデン放送響(2007年録音/グラモフォン盤) 彼女は若いし可愛いのでおじさん的には贔屓したいのですが、美しい音で楽譜に忠実に弾いているのは良いとしても、どうも演奏家の意思が余り感じられません。この曲はやたらに熱く弾かれても違和感を感じますが、余りに客観的に弾かれても退屈してしまいます。若い彼女にはまだまだシベリウスの音楽を自分のものにできていないような気がします。同じ若い奏者でもシベリウスの母国フィンランド生れのクーシストと比べてしまうとその差は大きいです。特に第1楽章に音楽の掘り下げ不足を感じます。それでも、第2楽章では中々に美しく弾いていますし、第3楽章は若々しい躍動感が有って楽しむことができます。サロネンの指揮は、さすがにフィンランド出身ということもあり素晴らしいです。
この他にも、オーケストラ演奏に期待して、ミリアム・フリード(Vn)、オッコ・カム指揮ヘルシンキ・フィル盤、イダ・ヘンデル(Vn)、ベルグルンド指揮ボーンマス響盤なども聴いてはみましたが、いずれもオーケストラの演奏は良いのですが、バイオリンに魅力を感じません。フリードは上手いのですがシベリウスらしくありませんし、ヘンデルにはテクニックに不満を感じます。僕の大好きなバイオリニストのシェリングとロジェストヴェンスキー盤も全くの期待はずれでした。
比較的新しいところでイリア・グリンゴルツ(Vn)、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団が有りますが、オーケストラは非常に素晴らしいもののグリンゴルツの個性と癖がこの曲との距離を感じてしまいます。技巧的にも意外と細部に詰めの甘さが残ります。
ということで、マイ・フェイヴァリットは圧倒的にクーシスト/セーゲルスタム盤です。次点としてはキョンファ/プレヴィン盤、スヴェンセン/サラステ盤、諏訪内晶子/オラモ盤、クラッゲルード/エンゲセット盤あたりですが、CDジャケットで選べば、もちろん美貌全盛期の諏訪内晶子が断トツです。って何だか訳が分からなくなって申し訳ありません。(苦笑)
<補足>
ウィックス/エールリンク盤、ハイフェッツ/ヘンドル盤、スピヴァコフスキー/ハンニカイネン盤、クレーメル/ロジェストヴェンスキー盤、五嶋みどり/メータ盤、ヘンデルのヴェラー盤とラトル盤、ケネディ/ラトル盤、スヴェンセン/サラステ盤、カヴァコス/ヴァンスカ盤、リトル/ハンドリー盤、ハチャトリアン/クリヴィヌ盤、クラッゲルード/エンゲセット盤を追記しました。
<関連記事>
シベリウス ヴァイオリン協奏曲 続・名盤 ~二つのヘルシンキ・ライブ~
最近のコメント