ドヴォルザークの曲には交響曲以外にも大変な傑作が有ります。それはチェロ協奏曲ロ短調です。個人的には古今のあらゆるジャンルの「協奏曲」の中でもブラームスのピアノ協奏曲第2番と並んで最も好んでいます(ただしモーツァルトの幾つかの協奏曲はまた別として)。
この曲はチェロ独奏、管弦楽パート共に壮大なスケールでありながら、叙情的でメランコリックなメロディが次から次へと現れては聴き手をいっぱいに魅了します。まさに美しいメロディの宝庫です。そして、曲全体がボヘミアの自然を想わせる雰囲気に満ち溢れています。ですのでこの曲を愛する人はとても多いのではないでしょうか。
第3楽章後半で現れるソロ・ヴァイオリンとチェロとの掛け合いも大変に魅力的で、毎回耳を傾ける大好きな聴きどころです。
それほどに溺愛をしている曲ですが、自分の愛聴盤はアナログLP盤時代も含めて、時と共に随分と移り変わってきました。それをご紹介してみます。
パブロ・カザルス独奏、ジョージ・セル指揮チェコ・フィル(1937年録音/EMI盤) SP盤時代からの名盤中の名盤で、その後のフルニエやデュ・プレの登場により役目を終えた感は有りましたが、今改めて聴き直してみてもやはり存在感のある演奏には感銘を受けます。現代の奏者とテクニック比較を云々する以前に、音楽の大きさがまるで違います。むしろ速めのテンポで進み行くのですが、音楽の表情の豊かさや訴えかけが凄いです。それはセルとチェコ・フィルにも同じことが言えます。嬉しいことにこれだけ古い録音にもかかわらず、EMIのCD復刻状態が極めて良く、とても明瞭な音で聴くことが出来ます。これは不滅の名盤です。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ独奏、ヴァ―ツラフ・ターリッヒ指揮チェコ・フィル(1952年録音/スプラフォン盤) 生涯にこの曲の録音を10種以上残しているであろうロストロポーヴィチの初期の録音です。歴史上の指揮者ターリッヒとチェコ・フィルが管弦楽を演奏しているのが魅力で、少しも機械的ではない素朴な響きによりボヘミアの味わいが一杯に滲み出ています。ロストロポーヴィチはこの当時、既に高度な技巧を確立していて表現力も素晴らしいのですが、ハイポジションで「はて?」と思える箇所が時々見受けられます。セッション録音の回数が限られていたのでしょうか。録音はモノラルながら案外と優れていてソロ、管弦楽共に充分満足できます。
エンリコ・マイナルディ独奏、フリッツ・レーマン指揮ベルリン・フィル(1955年録音/グラモフォン盤) イタリア生まれながらドイツ音楽を得意としたマイナルディと往年のソプラノ歌手ロッテ・レーマンの弟で名指揮者のフリッツ・レーマンの組み合わせと言う興味深い録音です。ゆったりとしたテンポでスケールの広がりの有る演奏ですが、マイナルディは現在の耳にはテクニック的には物足りなさを感じます。むしろ抒情的な歌い方や、しっとりとした味わいに非常に魅力が有ります。当時のベルリン・フィルは暗く深い音色を持ちますが、レーマンの指揮もそれを生かして深々したものです。モノラル録音ですが音質は明瞭です。
ルードヴィヒ・ヘルシャー独奏、ヨゼフ・カイルベルト指揮ハンブルグ国立フィル(1958年録音/テレフンケン原盤:ERATO盤) 最初期のステレオ録音ですが音質はかなり上々です。ヘルシャーは戦前ー戦後のドイツを代表する名手でしたが録音が少ないために現在では歴史に埋もれた感が有ります。しかしこうして聴いてみれば、テクニックではフルニエに僅かに及ばないものの、太く男っぽい音色が非常に魅力的です。歌いまわしも神経質なところが無く骨太ですが、決して粗野な訳ではありません。ボヘミア的な味わいはともかくも、情緒的に大きく歌う所などは実に素晴らしいです。カイルベルトとオケも同傾向のヘルシャーとの相性がぴったりの演奏です。
パブロ・カザルス独奏、アレクサンダー・シュナイダー指揮プエルトリコ・カザルス音楽祭管(1960年録音/グリーンドア盤) カザルスにはSP盤時代の名盤から何と23年後のステレオ録音が残されていて、しかもこれは世界でも稀少、日本では正式発売されなかったライブ音源です。演奏当時84歳のカザルスは、技術面では聴き劣りするのは確かです。しかしこの音楽の実在感は一体何なのでしょう。単なる「表現力」などという言葉では言い表せない凄まじいまでの魂の燃焼が有ります。カザルス音楽祭の立役者であり、ブダペスト四重奏団のヴァイオリニストでもあるシュナイダーの指揮するオーケストラも、熱く素晴らしい演奏を繰り広げています。これは大変に貴重な演奏記録です。(更に詳しくは<関連記事>ご参照のこと)
ピエール・フルニエ独奏、ジョージ・セル指揮ベルリン・フィル(1962年録音/グラモフォン盤) フルニエのチェロはもともと大好きです。素晴らしいテクニックを持ちますが、それを少しもひけらかそうというハッタリを感じさせません。もちろん、それは聴き手によって好みの分かれるところだとは思います。この演奏はフルニエにしては非常にスケール大きく大胆に歌いきった名演奏です。そのうえ歌い回しのきめ細かさは後述のロストロポーヴィチやデュ・プレ以上ですので、ドヴォルザークの音楽にしっくりきます。セルの指揮するベルリン・フィルの音も、カラヤン盤よりもずっと暗めであるのがこの曲に適しています。
ヤーノシュ・シュタルケル独奏、アンタル・ドラティ指揮ロンドン響(1962年録音/マーキュリー盤) シュタルケルがまだ30代後半の録音でありテクニックが正に快刀乱麻の凄さです。速いテンポで颯爽と、それでいて表情豊かなところはヴァイオリニストで言えばレオニード・コーガンというところか。およそひ弱さの無い男性的でハードボイルドな演奏であり、ドラティの指揮がそれに更に拍車をかけますが、両者とも無機乾燥なわけでは無く、端々に情緒の深さも感じさせます。しかしボヘミアの素朴さよりはマジャールの燃える血潮を感じさせるところが、この曲の代表盤として上げるのは躊躇させます。
ピエール・フルニエ独奏、イシュトヴァン・ケルテス指揮ルツェルン祝祭管(1967年録音/AUDITE盤) フルニエのこの曲の録音は数種類が残されていますが、若くして水難事故でこの世を去ったケルテスと共演したルツェルン音楽祭での貴重なライブ録音です。フルニエはスケール大きな音楽というタイプでは無いですが、実演による気迫は充分、フレーズ毎の歌い回しにも心がこもり切っていて、胸にじわじわと迫ってきます。ケルテス指揮のオーケストラも臨時編成の弱さを感じさせることなく、集中力の高い音で独奏チェロを十全に支えています。ステレオ録音で時代を考慮すれば音質は優れています。(更に詳しくは<関連記事>ご参照のこと)
ジャクリーヌ・デュ・プレ独奏、セルジュ・チェリビダッケ指揮スウェーデン放送響(1967年録音/TELDEC盤) 後述するデュ・プレが1970年にEMIへ録音した演奏には非常に感銘を受けました。けれども、更にそれを上回る感動を覚えたのは、EMI録音の三年前にチェリビダッケとストックホルムで共演をしたライブ録音です。これを聴くとデュ・プレはこの曲をこの時には完全に自分のものとしていたことが分ります。独奏もオーケストラも、こちらの演奏の方が上回っています。聴いているうちに手に汗を握り、白熱した音楽には引きずり込まれずにいられません。デュ・プレの激しい演奏からはドヴォルザークの音楽の癒しというものはそれほど味わえませんので、ならばいっそ徹底仕切った表現のこちらが良いと思います。録音も非常に明瞭でバランスも含めてEMI盤より優れます。
ジャクリーヌ・デュ・プレ独奏、ズビン・メータ指揮ベルリン・フィル(1968年録音/ MELOCLASSIC盤) なんと2023年にもなってデュ・プレの唯一のザルツブルク音楽祭出演であった1968年のドヴォコンが聴けるとは思いませんでした。この前年のチェリビダッケ共演盤も素晴らしかったですが、こちらのライヴではメータとベルリン・フィルの熱さが半端なく、デュ・プレと三者が死に物狂いでぶつかり合う極めて壮絶な演奏です。その為かデュ・プレが他の録音に比べても最も表情豊かで激しさが有ります。つまりデュ・プレのファンにとっては最高の演奏だと思います。録音はモノラルとのことですが、明瞭で広がりが有るのでステレオ録音かと思うほどです。ディスクにはシューマンの協奏曲、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第5番、ブリテンのチェロ・ソナタなどのライヴが収録されていて嬉しいです。
アニア・タウアー独奏、ズデニェク・マーカル指揮チェコ・フィル(1968年録音/タワーレコード盤:グラモフォン原盤) タウアーはほとんど知られていませんが、1945年生まれのドイツ人です。10代で主要なコンクールで優勝したことで、華々しく演奏活動を開始します。ところが28歳の時に既婚の医者と恋愛関係となり、もつれた上に医者は自殺、タウアーもその後を追ったらしいですが、その詳細は不明とされます。これはそんなタウアーの23歳の時の録音で、デュ・プレほどの壮絶さは持たないことから第一印象ではやや不利です。しかし正確な技巧に裏付けられた素晴らしい演奏です。バックもマーカル/チェコ・フィルとは何と豪華でしょう!録音は明瞭です。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ独奏、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1968年録音/グラモフォン盤) 僕がこの曲を最初に聴いたのは、このロストロポーヴィチ/カラヤン盤でした。最初はチェロのテクニックの上手さに仰天し、オケも凄いなぁーと愛聴していました。しかし後から天才デュ・プレのチェロを聴いてからは、ロストロ先生はどうもテクニックは凄いもののデュ・プレのようなひたむきな切実感が感じられない気がしてしまいました。終楽章も構え過ぎていて高揚感に欠けます。それはセッション録音であるのも原因かもしれません。前述のデュ・プレのザルツブルクライブの翌月の録音ですが、同じベルリン・フィルでも随分印象が異なるのが面白いです。しかしこれだけチェロとオケが立派な演奏というのはそうそう有りません。ロストロポーヴィチはこの曲をセッション録音だけで7種も残していますが、その中では全盛期のこの録音が一番だと思います。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ独奏、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管(1969年録音/AS disc盤) これはイタリアの海賊盤で、クリーヴランドでのライブですが、最晩年のセルとクリーヴランド管との共演とあっては、ロストロポーヴィチの気合がいつも以上だったようです。もちろんライブということも有るでしょうが、前述のカラヤン盤とは明らかに異なる集中力と気迫です。セルもまた晩年にはかつてのメカニカルさが消えて解放感が大きく加わりました。残念なことにステレオ録音の割に音質が貧弱で不安定ですが、演奏の凄さは充分に分かります。もしも正規録音が世に出れば、間違いなくこの曲のベスト盤を争います。
ジャクリーヌ・デュ・プレ独奏、ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ響(1970年録音/EMI盤) 天才女流チェリスト、デュ・プレの演奏との最初の出会いは、このドヴォルザークの録音でした。そして非常に感銘を受けました。歌い回しの雄弁さが圧倒的で、音の一つ一つへの精神的な思い入れが本当に凄かったからです。一方バレンボイムの指揮は評判が悪いですが、それはデュ・プレの凄さに比べるとどうしても冷静な印象を受けてしまうからで、特に悪いものでは無いです。常に全力投球のデュ・プレには、ドヴォルザークの音楽としてはもう少し癒しが欲しい気もします。オブリガート部分になっても常にオケの楽器以上にチェロが目立つようなEMIの録音バランスにはやや古さを感じます。
ピエール・フルニエ独奏、ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1970年代録音/METEOR盤) 昔から有名なフルニエとセル/ベルリン・フィル盤はもちろん素晴らしい名盤なのですが、クーベリックと共演したライブ録音も有ります。ライブでの感興の高さと、円熟味が増していて、むしろ更に魅力的な演奏に思います。このディスクは海賊盤ながら音質はなかなかに良いのが嬉しいです。カップリングはドヴォルザークの交響曲第8番ですが、オルフェオからリリースされている’76年ライブの正規盤とはまた別の演奏が楽しめます。この海賊盤は以前は中古店で見つければ¥600程度でしたが、その後は入手に苦労するようになっているかもしれません。
ピエール・フルニエ独奏、ズデニェク・マーカル指揮ケルン放送響(1972年録音/WEITBLICK盤) これはフルニエ66歳、円熟期のケルンでのライブですが、相変わらず安定した技巧もさることながら、完全に掌中に収めたこの曲を実に味わい深く弾いています。チェコ出身のマーカルも素晴らしい指揮をしていて、ドイツの楽団からボヘミア的な爽やかな雰囲気を一杯に引き出しています。ケルン放送による録音も優れていて、フルニエのチェロの音も、オーケストラの音も自然でいて非常に美しいです。フルニエのこの曲のベストを争うディスクであることは疑いが有りません。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ独奏、カレル・アンチェル指揮トロント響(1972年録音/TAHRA盤盤) アンチェルがカナダ亡命後に常任指揮者となったトロント響にロストロポーヴィチを迎えた際のライブ録音です。チェコ・フィルで無いのは残念ですが、アンチェルのこの曲の録音は他に無いので貴重です。しかもロストロポーヴィチの演奏はライブならではの高揚感と感情移入が有り、どのセッション録音よりも素晴らしいです。録音はステレオ録音にしては管弦楽が不明瞭ながらも、独奏チェロが良く録れているので問題ありません。
ヨゼフ・フッフロ独奏、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1975-76年録音/スプラフォン盤) フッフロ、ノイマン、チェコ・フィルと全てチェコの演奏家による録音ですので、本場ものの味わいをこよなく愛する自分にとっては決定盤になりそうな期待が有りました。ところが、フッフロはこのスケールの大きな曲には力量不足を感じます。ノイマンも幾らかぬるま湯的な演奏に終っているのが物足りません。それでも2楽章のしみじみした味わいとチェコ・フィルの美しい音色は魅力ではあります。ノイマンはサードロやマイともこの曲を録音していますが余り注目はされていませんね。
ポール・トルトゥリエ独奏、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン響(1977年録音/EMI盤) トルトゥリエはどんな曲を演奏しても癖無く悠然とした構えの王道とも呼べる印象を受けます。この曲も正にそのような演奏で、一切の誇張や虚飾とは無縁ですが音楽の魅力をその通りに伝えてくれます。技術的にも文句ありません。プレヴィンの指揮も同様の特徴を持ち、独奏チェロを上手く生かすことに非常に長けています。双方とも欠点が無いのが欠点と思えるぐらいバランス感覚に優れていますが、強いて言えば全体的に緊迫感とボヘミアの田舎臭さが薄いことでしょうか。
堤剛独奏、ズデニェク・コシュラー指揮チェコ・フィル(1981年録音/SONY盤) 僕は最近はチェロ独奏の良さもさることながら、むしろオーケストラにボヘミアの味を強く求めるようになりました。その点で非常に良い演奏が有ります。ズデニェック・コシュラーがチェコ・フィルを指揮して、独奏は我が国の名チェリスト堤剛の演奏です。プラハでのこの録音、スプラフォンの制作スタッフの協力を得て、故大賀典雄会長自らがプロデュースするという大変な力の入れようでした。ところがSONYにはヨーヨー・マという人気タレント盤が有りますから、こちらは今では廉価盤扱いとなっています。けれども、この曲の管弦楽パートに最もボヘミアの味わいや心に染み入るノスタルジーを求めたいと思ったら是非このCDを聴いてみてください。名指揮者コシュラーの実力の程を嫌というほど思い知らされます。堤さんの独奏チェロも非常に立派なのですが、ソロの音量をことさら強調する録音バランスでは無いために、幾らか地味に聞こえ、チェコ・フィルの音に溶け込んでいる印象です。しかし僕はこれはこれでとても好きです。(注:現在出ている廉価盤よりも旧規格CDのほうが間違いなく音が良いです。出来れば中古店でお探しください。)
リン・ハレル独奏、ウラディーミル・アシュケナージ指揮フィルハーモニア管(1982年録音/DECCA盤) ハレルは技術的にも高いレベルにありますし表現力も備えているのですが、その割には余り心の奥底には響いて来ません。時に現れるクセのある音の引き摺り(ポルタメントとはまた異なる)も抵抗感が感じられます。アシュケナージの指揮についてはオケの響きは大変厚く立派なのですが、常套的で特別な閃きに乏しいのとボヘミア的な緒感の不足を感じます。ですので決して悪い演奏では無いのですが余り取り出すことが無いCDです。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ独奏、小澤征爾指揮ボストン響(1985年録音/エラート盤) ロストロポーヴィチのこの曲の実に7回目のそして最後の録音です。ここにはカラヤンとの共演の互いに一歩も譲らぬ競い合うような緊張感は有りません。親しい友人だと公言していた小澤が実に見事に合わせてくれるので本当に気持ちよさそうなチェロを聴くことが出来ます。ボストン響も温もりを感じさせる美しい音です。カラヤン盤との余りの違いに選択をすることは困難です。聴き手の好みの問題でしかありません。ただ、あえて個人的に言えば、ロストロの場合にはやはりカラヤン盤を取ります。
ヨー・ ヨー・マ独奏、ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィル(1986年録音/SONY盤) 一時代を築いた人気チェリストヨーヨー・マはこの曲を二度録音していますが、これは最初の録音です。マゼール特有の遅めのイン・テンポでベルリン・フィルを鳴り響かせて立派この上無いのですが、少々もたれる感が無きにしも非ずです。マは完ぺきなテクニックと美音で爽やかに聞かせますが、音楽の主導権はあくまでマゼールに有る印象を受けます。その分、チェロとオケとの溶け合いは最高レベルにあり、非常に高次元でバランスの取れた名演だと言えるでしょう。ボヘミアの空気感は無くともこの演奏を第一とする方がおられても何ら不思議はありません。
ミクロ―シュ・ペレーニ独奏、イヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管(1987年録音/フンガロトン盤) ペレーニは決して大げさに歌わせずにかなり端正なイメージの演奏です。確かにスケールの大きさは無いのですが、常に心がこもっていて聴いていて心に染み入ります。フィッシャーとブダペスト管も派手さを避けた柔らかく素朴な響きがチェロと抜群のハーモニーをもたらしています。オール・ハンガリアンによる演奏ですが、ボヘミアの自然への共感が迸っている非常に素晴らしい演奏です。
ジュリアン・ロイド・ウェッバー独奏、ヴァ―ツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1988年録音/フィリップス盤) ロイド・ウェッバーはイギリス生まれですが、60代の最円熟期に椎間板ヘルニアが元で演奏が出来なくなり引退しました。ちなみに兄のアンドリューは「オペラ座の怪人」の作曲者です。フルニエに師事しただけあり、気品が有り、技巧は確かですし、抒情的な部分の歌い回しが美しいです。但し品が良すぎて迫力には欠けます。一方ノイマンはこの曲を知る限り4回は録音していますが、余りソリストには恵まれていません。中ではスプラフォンとの共同制作で最後に残したこの演奏が最も充実しています。
ミッシャ・マイスキー独奏、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(1988年録音/グラモフォン盤) これはテルアビブにおけるライブ録音です。冒頭からバーンスタインの遅いテンポによる物々しいオケ演奏に驚きます。表情の豊かさは類例が無いほどで、確かに説得力は有りますが、ボヘミアの爽やかな空気感は消し飛んでいます。マイスキーは独特の情緒感に溢れる歌い回しにいやがおうにも引き付けられます。この演奏はハマった人には最高でしょうが、個人的にはどれほど好みではありません。
ヤーノシュ・シュタルケル独奏、レナード・スラットキン指揮セントルイス響(1990年録音/RCA盤) シュタルケルの再録音盤になりますが、テクニックは相変わらず冴えに冴え、ハイポジションの音はさながらヴィオラのように聞こえます。若いころと比べると随分余裕が出てきたように感じますし、曲の沈滞する個所ではしみじみとした雰囲気を一杯に醸し出しています。しかし、それでも情に溺れて造形を崩すようなことは有りません。そこがこの曲の場合、やや物足りなさを感じる結果となります。スラットキン/セントルイス響の音も金管の明るさがしばしば目立ち、やや興ざめとなります。いい演奏だとは思いますが、あと一歩陶酔し切れないのが残念です。
ダヴィド・ゲリンガス独奏、小林研一郎指揮チェコ・フィル(1996年録音/オクタヴィアレコード盤) この録音は元々ノイマンが指揮者に予定されていたところを、ノイマンの急逝によりコバケンに変わったという話です。その良し悪しは別として、非常に素晴らしい演奏となりました。ゲリンガスは必ずしも聴き手を圧倒するヴィルトゥオーゾタイプではありませんが、充分な技術と音楽性を持ちます。この録音でも、実にしなやかにチェロを歌わせて、曲の情緒感を表現し尽くしています。コバケンも構えは立派ですがオーソドックスなアプローチでチェコ・フィルの美しい音を引き出しています。閃きの点ではコシュラーに一歩及びませんが、このCDは録音の優秀さも相まって、ソリスト、指揮者、オーケストラいずれも素晴らしく、総合的にナンバーワン・ディスクかもしれません。
アリサ・ワイラースタイン独奏、イルジー・ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィル(2013年録音/DECCA盤) ワイラースタインは1982年ニューヨーク生まれで、これは彼女の2枚目のディスクですが、驚くほど力強く、表現力豊かなチェロです。男勝りと言っても過言ではありません。その点はデュ・プレと共通していますが、ワイラースタインのほうがより丁寧に細部まで完璧に弾いている印象を受けます。歌い回しも素晴らしく美しいですが、幾らか抑制が感じられ、理知的な印象を受けます。ビエロフラーヴェクとチェコ・フィルの演奏については文句無しです。堅実ですが、チェコ・フィルの素朴で美しい音がたっぷりと味わえます。総合的な魅力で、過去の名盤と充分に肩を並べるディスクだと思います。(更に詳しくは<関連記事>ご参照のこと)
ということで、現在はボヘミアの深い味わいとノスタルジーを最も強く感じることが出来る堤さん/コシュラー盤を他のどの演奏よりも愛聴しています。数種類有るフルニエ盤はどれもが素晴らしいですが、あえて一つ選べばマーカル/ケルン放送盤でしょうか。デュ・プレではチェリビダッケ/スウェーデン放送盤、メータ/ベルリン・フィル盤を選びます。録音の新しいものでは、ゲリンガス/コバケンが第一に上げられます。
<補足>カザルスのセル盤およびシュナイダー盤、マイナルディ/レーマン盤、ヘルシャー/カイルベルト盤、ロストロポーヴィチのターリッヒ盤、セル盤、アンチェル盤および小澤盤、フルニエのケルテス盤およびマーカル盤、デュ・プレ/メータ盤、タウアー/マーカル盤、トルトゥリエ/プレヴィン盤、ハレル/アシュケナージ盤、ヨーヨー・マ/マゼール盤、シュタルケルのドラティ盤およびスラットキン盤、ペレーニ/フィッシャー盤、ロイド・ウェッバー/ノイマン盤、マイスキー/バーンスタイン盤、ゲリンガス/小林盤、ワイラースタイン/ビエロフラーヴェク盤を追記しました。
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