モーツァルト ピアノ・ソナタ 全集他 名盤 ~名女流に限るということでもないが~
モーツァルトの作品ではオペラと宗教曲は別として、それ以外のジャンルではやはりピアノのための作品に優れた曲が多いように思います。ことにピアノ協奏曲は正に百花繚乱で、「優れた曲が良くもまぁ、こんなにも。」と思わずにはいられません。それに比べればピアノ・ソナタは幾らか見劣りはしますが、モーツァルティアンにとっては、やはりかけがえのないジャンルです。
全部で18曲有るピアノ・ソナタの中で、特に人気が高い曲と言えば、シンフォニーになぞらえてみると交響曲第25番ト短調に相当するイ短調K310、それにK331「トルコ行進曲付き」でしょう。ピアノの初心者が習う”小ソナタ”ハ長調K545ももちろん良く知られています。また初期の作品の中にも第4番変ホ長調K282や第5番ト長調K283などの名作が含まれます。
しかし、やはり音楽の充実度では、1784年にウイーンのアルタリア社から出版された第10番ハ長調K330、第11番イ長調K331、第12番ヘ長調K332、の3曲が断然際立っています。自分でも最も好んでいる3曲です。
なお補足として、曲番号表記の場合、第8番と第9番、それに第15番以降の曲順がモーツァルト旧全集と新全集では入れ替わっています。過去に発売されているディスクによって曲番号の表記が異なりますのでご注意を。
<番号が入れ替わった曲>
第8番(旧:K310→新:K311)
第9番(旧:K311→新:K310)
第15番(旧:K545→新:K533/494)
第16番(旧:K570→新:K545)
第17番(旧:K576→新:K570)
第18番(旧:K533/494→新:K576)
それはともかく、気に入った演奏があれば、全集を幾つも購入したいところなのですが、自分の好みにピタリとハマる演奏は意外に少ないのが実情です。例えばグレン・グールドの演奏はバッハのようで面白くは有っても、むしろ嫌いと言って良いですし、アラウは音がゴツゴツでまるでベートーヴェン、内田光子やグルダもいま一つしっくりとは来ません。仲道郁代も好みとちょっと違います(美しいお姿は正に好みなのですが)。
恐らくは、モーツァルトのソナタは技巧的に余り難しく無いために、逆に演奏が難しいのだと思います。構造がシンプルであり”美の本質”しか感じさせないような曲は実は演奏が難しいのでしょうね。有名な「トルコ行進曲」も著名な演奏家が弾いてガタガタに感じられる例も少なくありません。
では、どのような演奏が自分の好みかと言えば、使用楽器はフォルテピアノでなくて構わないのですが、現代風の音では無くて1950~60年代風の比較的地味な音が好きです。弾き方はスタッカート気味で端正なものが好き。フレーズの最後の音をだらしなく伸ばすロマン派風の弾き方は好みません。テンポは中庸が良く、十六分音符を端折らないようになるべく厳格にリズムを刻んで欲しい。但し表現はクールよりもパッションを感じられる方が良いかも。
と、ざっとこんなイメージなのですが、気に入っている演奏が必ずしも多く当てはまるものでも無いような気がしますし、全て当てはまるからといって実際に気に入るかどうかは分かりません。結構いい加減です。(笑)
ともかく、数少ないお気に入りの演奏をご紹介してみようと思いますが、どういうわけかお気に入りの全集はほとんど女流演奏家です。モーツァルトのソナタを純粋に演奏しようとすると、女流の方が向いているのかもしれません。男性演奏家だとどうしても”力技”になってしまったり”邪念”が現れてしまう傾向が強い気がします。
―全集盤―
イングリッド・ヘブラー(1963-1967年録音/タワーレコード:旧フィリップス原盤)
ヘブラーの両親はポーランド人ですが、ザルツブルグとウイーンで本格的に音楽を学んだ彼女はモーツァルトを最も得意としていました。これは比較的最近購入したもので、以前は原盤を持つ旧フィリップスで廃盤に近い扱いだったのを、タワーレコードが再発売してくれました。ありがとう、タワー!
全集を二度録音したヘブラーの一度目の全集ですが、その後DENONに録音した二度目のものは入手性が良いです。あえて旧盤を購入した理由は、この人の若い頃の演奏が好きだからです。特に新盤と聴き比べをしたわけではありません。
この演奏を例えて言うと、『自分が高校生ぐらいだとして、五~六歳年上の綺麗で優しくピアノがとても上手なお姉さんが家で弾いている』というそんなイメージ(空想?妄想?)が湧いてくるような演奏です。プロの演奏家がステージで聴かせるような表現意欲の旺盛さを全く感じない純真素朴な演奏です。どの曲もゆったりとしたテンポで正確な拍を刻み、十六分音符を明確に弾いてくれています。ピアノのスタッカート気味のタッチも力みが無く、正に珠を転がすような美しい音です。過剰な残響を付けない録音が実際に直ぐ目の前でピアノを弾いているような臨場感を与えてくれます。いいなぁ、この雰囲気。くつろいだ気分で聴くにはこれ以上の演奏は無いと思います。但し、第8番イ短調K310のようなドラマティックな曲はおっとりし過ぎて物足りないです。その他の曲でもおっとりした演奏は多いですが仕方ありません、”優しいお姉さん”ですから。それに、これが一番”ロココ”な雰囲気を感じさせてくれます。
リリー・クラウス(1967-1968年録音/SONY盤)
ハンガリー生まれのリリー・クラウスは「モーツァルトは燃え立つ火です」と語ったそうですが、確かにこの人の演奏にはパッションの炎が感じられます。当時の演奏家としてはテンポの緩急の巾が大きく、ダイナミクスの変化にも激しさを見せます。但しそれも”当時としては”ということであり、現代の演奏家が大ホールに響き渡るような派手な演奏を恣意的に行っているものとは根本的に異なります。あくまでも演奏は自然体であり、内面から湧き上がる情熱という種類のものです。クラウスの音自体は、ヘブラーと同様に古典的なスタッカート気味の弾き方で、珠を転がすような美しい音です。
クラウスも全集を二度録音しましたが、1回目はモノラル録音なので、2回目のステレオ録音盤を愛聴しています。どういうわけか「クラウスの全集はモノラルの旧盤に限る」という評価が今だに横行しているようですが、それは昔のCDが「金だらいを叩いたような音」と某評論家氏に評されたからであって、現在のソニーのリマスター盤では充分に美しいピアノの音を味わえます。
繊細さではヘブラーに軍配が上がりますが、何と言ってもクラウスのパッションには強く惹き付けられます。神経質では無い思い切りの良さが有る意味”男性的”ですが、モーツァルトに対する途方も無く深い愛情を本質に持つので、荒っぽさは感じません。”肝っ玉母さんの深い愛”、正にそんな感じです。
とにかくどの曲を聴いていても少しも飽きることなく、モーツァルトの音楽がどんどんと心の中に浸みこんで来ます。自分の感性と相性が良いからだと思います。あのK310においても後述するリパッティに迫る素晴らしさだと思います。K331の「トルコ行進曲」も完璧な素晴らしさです。
マリア・ジョアン・ピリス(1974年録音/DENON盤)
ピリスも女流とは言え、ヘブラーの”無心”の演奏に比べると、端々に表現意欲が感じられます。といってテンポやフォルムを崩したりはしないので、現代では希少とも思える純粋で美しいモーツァルトの演奏を聴くことが出来ます。それに積極的に”聴き込もう”と思う時には、確かにヘブラーより面白みが多く感じられます。アレグロのテンポは現代風に速めで歯切れが良いですし、フォルテの打鍵もかなり強調されます。ただ、極端というほどでは無く、若々しい高揚感が感じられていて良いです。決して古典派風のピアノ奏法を逸脱しているわけではありません。装飾音の弾き方は優雅でセンスが良く、”現代のロココ”を感じさせてくれます。古典的な造形性を重視していても、内面にはロマンティックな感情を一杯に押し込めているのも魅力的です。
ただ、一つ問題として「トルコ行進曲」が異常に遅いテンポで沈み込んだ演奏なのです。この解釈にはちょっと驚かされます。
ピリスも既に全集を二度録音しましたが、これは彼女がまだ20代の時に日本のイイノホールで録音された第1回目のもので、DENONによるデジタル録音がピアノの透明な音を綺麗に捉えてくれていてとても素晴らしいです。残響が多過ぎ無いのもメリットです。グラモフォンに録音した2回目の全集では、演奏家ピリスの表現(演出)意欲が増幅されていて個人的には好みません。
自分にとって、これがリファレンスかと聞かれれば”イエス”ではありませんが、ちょっと気分を変えて聴きたい時には非常に楽しませてくれる全集です。
現在ではブリリアントレーベルからライセンス盤が廉価で出ていますので解説書の不要な人にはお買い得だと思います。
というわけで、三女流による全集盤はどれも愛すべきもので、”優しいお姉様あるいは奥様タイプ”のヘブラー、”熱い不倫相手タイプ”のクラウス、”若々しさに惹かれる恋人タイプ”のピリスと、どのタイプも良いよなぁ・・・って一体何の話??
真面目な話に戻りますと、この三組に順序を付けるのは難しいです。ですが、強いて言えば1番リリー・クラウス、2番イングリッド・ヘブラー、3番マリア・ジョアン・ピリスというところです。あくまで個人的にですが。
※補筆
しかしながら男性ピアニストを載せないのもどうかと思いますので、補筆をすることにしました。購入した演奏を順に挙げてゆきます。ただ、バレンボイム、バックハウス、リパッティを除いては名女流の演奏ほど気に入ったものはありません。
ワルター・ギーゼキング(1953-1954年録音/EMI盤)
モノラル録音ですので冴えない音に感じられる方には低評価だと思います。しかし現代の大ホールに響き渡るようなピアノの音のモーツァルトを好まない自分にとっては心地良い音に感じられます。昔の国内LP盤はぼやけた酷い音に記憶していますが、CDにリマスタリングされたおかげでしっかりと明瞭な音を楽しめます。当時としてはスマートな演奏が「即物的」などと称されましたが、現代の耳で聴けば、とても温かみのあるおおらかな演奏に感じます。これはソナタ以外の小品も全て収められています。
グレン・グールド(1966-1974年録音/SONY盤)
どの音も極端なスタッカートで切れ良く、右手も左手も同じように音型を明確に弾いていて、どうもモーツァルトというよりもバッハのように聞こえてしまいます。全般的にアレグロは異常なまでに速く音符が機関銃のように飛んできますし、緩徐楽章も速めです。ところがK331などは第1楽章は極端なまでに遅く、トルコマーチもずいぶん遅いテンポで弾いています。要するに常識とは反対の演奏ぶりです。それが演奏者の音楽的本能から自然に出て来るのならさほど抵抗感は感じないのでしょうが、このモーツァルトはグールドがわざとそうして楽しんでいるようで抵抗感が大いに残ります。ロココの優雅さを消し去ってバロックに回帰したということなのでしょうか。
アンドラ―シュ・シフ(1980年録音/DECCA盤)
シフが20代でメジャーデビューを果たした頃の録音ですが、端正で美しい音色と優れたテクニックを基盤とした全集です。総じて比較的速めのイン・テンポで進み、ある意味では古典的な演奏スタイルの印象を受けます。決して学究的ということでは無いのですが、スマートで理知的な演奏に好感を憶えます。その反面、真面目過ぎる感も無きにしも非ずで、ハッとさせられるような閃きに欠けるために人によっては余り面白くないと感じるかもしれません。
フリードリッヒ・グルダ(1980-1982年録音/グラモフォン盤)
グルダはベートーヴェンはソナタもコンチェルトも全集盤を完成させていますが、モーツァルトに関しては録音はかなり乏しいです。コンチェルトもごく限られていて(演奏は素晴らしいですが)、ソナタも正規録音はほとんど無く、この自宅でのプライヴェート・テープ録音が死後にリリースされただけです。一応ほぼ全曲ですが、K309のみ抜けています。当然、録音条件は悪く、万全なものとは呼べません。演奏も割にごつごつしたベートーヴェン的なもので、個人的には余り好みません。ただ、ファンにとってはこれしか聴けないので価値が無いとは言いません。
ダニエル・バレンボイム(1984-1985年録音/EMI盤)
今では大指揮者のイメージが強いですが、20代で取り組んだモーツァルトのピアノ協奏曲は今も価値を失わない素晴らしいプロジェクトでした。それに比べると話題性では地味な印象のソナタ全集ですが、これがまた大変に素晴らしい演奏です。表情の変化が豊かでかなりロマンティックなスタイルですが、モーツァルトの音楽の愉悦感がこれほど感じられる演奏も珍しいです。聴いていて楽しいことこの上ありません。女流以上にチャーミングな全集として絶賛したいです。
―選集/単独盤―
ヴィルヘルム・バックハウス(1955、1961、1966年録音/DECCA盤) 所謂「選集」というのはほとんど聴かないのですが、このバックハウスのCDは例外です。第4番、第5番と、第10番から第12番までの3曲が収められています。LP時代には、1955年録音の第11番は含まれていませんでしたが、CD化されて名演が1枚で聴けるようになりました。総じてアレグロ楽章では元気が良くて男性的だと言えるかもしれませんが、それでいて無神経で感受性に乏しい演奏とはまるで次元が異なります。緩徐楽章も決して神経質では無いのですが、バックハウス特有のおおらかさ、滋味深さが良く出ていてとても味わい深いです。特に、第11番K331の第1楽章の天国的な美しさなどはK595の第2楽章につながります。「トルコ行進曲」のリズムの良さと立派さにも惚れ惚れします。ウイーンの名器ベーゼンドルファーの柔らかい音を忠実に捉えたDECCAの録音も幾らか古くは成りましたが素晴らしいです。
ヴィルヘルム・バックハウス(1966年録音/オルフェオ盤) これはザルツブルグ音楽祭でのライブ録音で、第5番K283と第11番K331の2曲を弾いています(他にベートーヴェンのソナタ「熱情」、第32番op111なども)。前述のDECCAのスタジオ録音盤と大きな違いは有りません。もちろんライブですので、スタジオ録音に比べれば造形や指回りに僅かの崩れは有りますが、高齢にもかかわらず明確に弾けていますし、逆に即興の味わいが加わるのが愉しいです。モノラルですが録音は良質ですし、バックハウスの晩年のライブが聴ける点でファンにとっては貴重です。
ヴィルヘルム・バックハウス(1969年録音/DECCA盤) これこそは有名なバックハウスの最後の演奏会です。バックハウスはこの年の7月26日と28日にアルプス山麓の「ケルンテンの夏」音楽祭で行われたコンサートの二日目の演奏中に心臓発作を起こしました。それでも後半の曲目を変更して弾き終えたのですが、その僅か5日後に85歳で亡くなりました。このCDには26日に弾いた第11番K331が収められています。このコンサート自体が感動無くして聴くことは出来ないものですが、この曲を生涯最後まで弾き続けたレパートリーの一つとした理由が分かるような気がします。ミスタッチが全く無いわけではないですが、とても一週間後にこの世を去る人とは到底思えない生命力に満ちています。スタジオ録音とはまた別の名演奏だと思います。
ディヌ・リパッティ(1950年録音/EMI盤) 白血病のために僅か33歳でこの世を去った天才ピアニスト、リパッティが残した録音は決して多くは有りませんが、いずれもかけがえの無い遺産です。中でもモーツァルトのピアノ・ソナタイ短調K310は知る人ぞ知る名演中の名演で、リパッティの演奏が有るのでこの曲の人気がこれだけ高いのだと思います。リズム感や切れの良さはもちろん、音楽の呼吸や間合い、フレージングの良さなどが絶妙です。モノラル録音ですが、派手さの無い底光りするようなピアノの音色が心に浸み渡ります。この演奏を聴かずしてK310を語ることは絶対に不可能です。「仮に」の話、リパッティがモーツァルトのソナタ全集を録音していたら、きっと最高のものに成っていたのではないでしょうが。そう思えて仕方が有りません。
ディヌ・リパッティ(1950年録音/EMI盤) 1950年9月16日、亡くなる二ヶ月前にブザンソンで行われたリパッティ最後の演奏会のライブ録音です。悪性リンパ腫の末期であった為、高熱と痛みに耐える注射を何本も打ちながら舞台に登ったそうです。死を覚悟しながらも、音楽家として生きた自分の命が完全に燃え尽きるまでは聴衆に演奏を聴かせようという壮絶なまでの使命感を感じずにはいられません。バックハウスの最後のライブ盤と並んで、音楽ファン必聴の記録です。K310についてはスタジオ盤よりもテンポが速めで何かに追われるような強い切迫感が有ります。こちらの演奏にも大いに惹かれますが、リファレンスにしたい完璧な演奏としてはやはりスタジオ盤が上げられます。ライブながら音質は明瞭でスタジオ盤に聴き劣りしません。
ウラディミール・ホロヴィッツ(1966年録音/CBS盤) ホロヴィッツはモーツァルトも何曲かはレパートリーにしていました。これはカーネギーホールでのライブ盤ですが、K331を弾いています。ホロヴィッツはかつてTVでピアノ協奏曲K488の第二楽章を「これはシシリアーナだよ」と言って、舞曲風に演奏しましたが、このK331の第一楽章の主題もそんな風に弾いているように聞こえます。しかし全体はオーソドックスで優雅さを失わない美しい演奏です。「トルコ行進曲」も意外なほどゆったりと、しかしリズムは明確に堂々と演奏していて惹かれます。ここにはグールドのような突飛なアプローチは有りません。
バックハウスの選集は曲目がとても良くK330以外の名曲をカバーしていますし、そのK310にはリパッティの名演が有ります。ですのでこの二枚が有れば、あえて全集を持っていなくても事が足りるかもしれません。それぐらいこの二人は素晴らしいです。男のモーツァルトでも良いものは良いです。
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