ブラームスの残した2曲のピアノ協奏曲はどちらも大曲です。2曲とも演奏時間が50分を越える演奏も有りますし、この人のどの交響曲よりも長大な作品です。管弦楽パートは実に充実して響きは分厚くスケールが大きいので「ピアノ独奏を伴う交響曲」とも呼べるでしょう。事実当時のウイーンの評論家ハンスリックもそのように述べました。早い話が「交響的協奏曲(シンフォニック・コンツェルト)」なのですね。
僕は高校生の頃にブラームスの交響曲が大好きになったのですが、ピアノ協奏曲についてはそれまで一度も聴いたことが有りませんでした。そこで、ある日レコードを買うことを思い立ち、当時新盤のギレリス独奏、ヨッフム/ベルリン・フィルのLP盤を買いました。ところが、そのレコードを聴いてみたものの良くは分かりませんでした。長過ぎてつかみどころが無かったのです。今思えば、高校生の若造が一度聴いて理解出来るような曲でしたら、とっくに世の中から飽きられていることでしょう。何度も聴き返し聴くうちにだんだんと気に入り、いつしかブラームスのみならず、数多のピアノ協奏曲の中でも最愛の2曲になっていました。
第2番は疑いなく古今のあらゆる協奏曲のジャンルの最高峰だと思います。かの楽聖の「皇帝」でさえもひれ伏す、正に「協奏曲の王様」ではないでしょうか。曲の構成もユニークな全4楽章から成ります。通常の3つの楽章に更にスケルツォが加わるのです。
第1楽章アレグロ・ノン・トロッポ ソナタ形式で長大でシンフォニック。ホルンのゆったりとしたソロにピアノの分散和音が寄り添う序奏からして、もうぐっときてしまいます。その後もピアノとオーケストラが丁々発止と渡り合って全く飽きさせることがありません。
第2楽章アレグロ・アパショナート 大海のように勇壮なスケルツォ楽章です。スケールの大きさはマーラーのシンフォニーのそれにも匹敵するでしょう。けれども曲想はいかにもブラームス風なので魅力充分です。
第3楽章アンダンテ ゆったりとした緩徐楽章です。秋も深まった頃に聴くと一層に味わい深いです。チェロのしみじみとした独奏が長々と続くのも大きな聞きものです。
第4楽章アレグレット・グラチオーソ 軽快なロンド楽章です。この楽章は作曲期間中の2回のイタリア旅行の影響があるので明るいとよく言われるのですが、そこはブラームスのこと。メンデルスゾーン先生のような脳天気な明るさには到底なりません。それでも終楽章が軽やかなので曲を聴き終った後にどっと疲労することがありません。もしも仮にこの楽章が重々しい曲だったら、まるでマーラーやブルックナーを聴いた後のように(良い意味で)どっと疲れ果てることでしょう。
それでは僕の愛聴盤をご紹介します。
エドウィン・フィッシャー独奏、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1943年録音/EMI盤) 戦時中のライブの放送局録音で、もちろんモノラル録音です。過去にDGなど様々なレーベルから出ていますが、音質は人によっては劣悪と感じるかもしれないレベルで、管弦楽はともかくも、せめてピアノの音がもう少し明瞭だったらと思ってしまいます。しかしフィッシャーもフルトヴェングラーも演奏は凄まじく、テンポの緩急の巾は大きく、濃厚なロマンティシズムと壮絶な迫力に思わず引きずり込まれます。決して自分の好みでは無いブラームス解釈なのですが、それでも有無を言わせない凄さです。ぜひご自身のお耳でご鑑賞されてください。
スヴャトスラフ・リヒテル独奏、エーリッヒ・ラインスドルフ指揮シカゴ響(1960年録音/RCA盤) このころのリヒテルの演奏はどれも凄かったです。後年のマゼールとのEMI盤も有りますが、荒さが気になって余り好みません。その点、このRCA盤は理性をかなぐり捨てて音楽に没入する気迫とデリカシーの両方が備わっていて魅力です。即興的なテンポ伸縮が有るので造形性は薄いですが、実演のような熱気は西側にデビューしたばかりの意欲の表れなのでしょう。ラインスドルフ指揮のシカゴ響の重厚な音もリヒテルを大いに盛り立てます。鬼神が乗り移ったかのような壮絶な演奏で、一度聴き始めると虜になります。録音も鮮明感には欠けますが、中々に優れています。
アルトゥール・ルービンシュタイン独奏、ヴィトルド・ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィル(1960年録音/Muza盤) ルービンシュタインには1960年のライブ録音もあります。この2枚組みのCDには、親切にもステージ・リハーサル(中断無しの通し練習)とコンサート本番の両方の録音が収められているので、とても楽しめます。ルービンシュタインの祖国ポーランドでの演奏会ですので、RCAへのスタジオ録音とはまるで違った気迫が感じられます。ピアノのミスタッチが幾つも有るのはご愛嬌ですが、ほとんど気にもなりません。これは隠れ名盤であり、個人的にはRCA盤以上に好んでいます。
ジーナ・バッカウアー独奏、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ―指揮ロンドン響(1962年録音/マーキュリー盤) バッカウアーはギリシア人ですが、父親はオーストリア人です。ギリシアで学んだ後にコルトーやラフマニノフに師事しています。テクニックは素晴らしく、非常に明快なピアノで、余りルバートなどはせずにサクサクと進みます。情緒的に粘らないのは地中海風なのでしょうか。それでも第3楽章ではしっとりと味わい深く聞かせます。スクロヴァチェフスキーも同様にロンドン響からサクッと切れの良い演奏を引き出しています。個性的ですが一聴に値します。
ルドルフ・ゼルキン独奏、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管(1966年録音/CBS盤) バックハウス、ルービンシュタインと来れば、ここはオールド・ファンの為にはゼルキンに登場してもらうしかないでしょう。第1番と同じジョージ・セルとのコンビの演奏ですが、演奏そのものはピアノとオケのどちらに関しても第2番のほうが更に充実しています。この頃のゼルキンのピアノにはまだまだ若々しさがあります。この人の壮年期の演奏は本当に気迫がもの凄かったです。これもとても好きな演奏です。
アルトゥール・ルービンシュタイン独奏、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ケルン放送響(1966年録音/ICA CLASSICS盤) これは1966年のチューリッヒでのライブ録音ですが、オーケストラがケルン放送響というのが嬉しく、ドイツ的な分厚い響きは、当然のことながらワルシャワ・フィルを凌駕しています。ルービンシュタインも相変わらず男性的で豪壮なピアノが素晴らしく、ここでもミスタッチなど少しも気になりません。曲が進むにつれて両者の気迫がどんどんと増していき、思わずのけ反りたくなるような迫力と充実感に圧倒されます。録音も良いですし、ルービンシュタインのみに限らず、この曲のベスト演奏の一つに数えたいと思います。
ウィルヘルム・バックハウス独奏、カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1967年録音/DECCA盤) 僕が最も愛してやまない演奏は、宇野功芳先生ではないですが、やはりバックハウス盤です。晩年のバックハウスのピアノは本当にしみじみとして心の奥底に染み入る美しさです。決して力で押しまくるようなことは無いのですが、堂々としていて威厳が有り、実に立派なピアノです。普通のピアニストが軽く弾く最終楽章でも、ゆったりと一音一音を慈しむかのように弾き進める愉悦感は、他のピアニストからは決して味わえません。どの部分をとっても含蓄の深さを感じるので何度聴いても飽きることが有りません。強いて不満を言えば、ベームの指揮は大変立派なのですが、ウイーン・フィルの音がDECCA録音ということも手伝い、透明感が有り過ぎて(音響的に)分厚さ感がやや不足することぐらいでしょうか。
ダニエル・バレンボイム独奏、ジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管(1967年録音/EMI盤) バレンボイムが27歳の時の録音で、その後は指揮者としても活躍しますが、この頃は新進の才能あふれるピアニストとして認識されていました。同時期に録音された第1番と同様に、長大なブラームスの曲をゆったりとしたテンポを基調として、堂々とスケール大きく、且つロマンティックな味わいや音楽の持つ陰陽を深く表現していて驚くばかりです。テクニック、打鍵の明確さ、美しさも文句ありません。バルビローリの指揮も風格と情感が滲み出ていて素晴らしいです。録音も良好です。
クラウディオ・アラウ独奏、ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1969年録音/フィリップス盤) 名門コンセルトへボウの響きが素晴らしいです。ハイティンクの指揮も非常に立派です。アラウは実演では意外と即興的に演奏する場合が有るように思いますが、ここでは頑固なまでにどっしりとした演奏をしています。正に「動かざること山の如し」といった風情です。ピアノの一音一音に聴き応えが有ります。ドイツの頑固おやじのような武骨さがブラームスを思わせますが、それはともかくとしても、これはコンセルトへボウのいぶし銀の音色と相まって、忘れることの出来ない演奏です。
アルトゥール・ルービンシュタイン独奏、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管(1971年録音/RCA盤) ルービンシュタインのブラームスはどれも本当に素晴らしいです。最近では、さっぱり話題に登りませんが、これは入手し易いセッション録音として、バックハウスに次いで味わいの深い名演奏だと思います。それはルービンシュタイン晩年の録音だということもあるでしょう。オーケストラの音はやや明るめですが違和感を感じる程ではありませんし、オーマンディのリズム感もずっしりと落ち着いていてブラームスらしく、とても好ましいです。これはもっと多くの人の話題に上がって良い名盤です。
エミール・ギレリス独奏、オイゲン・ヨッフム/ベルリン・フィル(1972年録音/グラモフォン盤) LP盤では愛聴しましたが、そのうちにベルリン・フィルの余りに豪放な響きがブラームスには似合わない気がするようになりました。しかし、これほどまでに壮大でスケールの大きな演奏も珍しく、聴き応えは充分です。またギレリスは余裕のテクニックで弾きこなしていますが、第3楽章などでは淡々と深い抒情性を感じさせます。これはやはりこの曲の名盤の一つとして上げておかねばならないでしょう。
ヴァン・クライヴァーン独奏、キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1972年録音/RCA盤) 人一倍本場もの嗜好の強い自分が、以前ならアメリカ人ピアニストとロシアの指揮者とオケの演奏するブラームスなど聴きもしなかったでしょうが、聴いてみるものです。これはクライヴァーンがチャイコフスキーコンクールでの優勝以来、何度も共演をしたコンドラシンとのモスクワでのライブです。ゆったりと遅めのテンポで堂々とスケール大きく男性的なピアノはギレリス顔負けであり、クライヴァーンが並みの才能では無かったことがよく分かります。ドイツ音楽を得意としたコンドラシンもブラームスの響きを造り上げていて素晴らしいです。
マウリツィオ・ポリーニ独奏、クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル(1976年録音/グラモフォン盤) 僕はそれほどには感じませんが、この曲はブラームスのイタリアへの憧れが反映されていると言われます。その点、イタリアン・コンビの演奏はドイツ的な晦渋さからは解放されています。若きポリーニのピアノも切れの良いテクニックで颯爽としているので、沈滞するようなブラームスらしさは感じません。時にはこういうブラームスも良いのかもしれませんが、筋金入りのブラームス好きには幾らか物足りないかもしれません。ウイーン・フィルの響きが厚く捉えられた録音なのは嬉しいです。
クリスティアン・ツィメルマン独奏、レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1984年録音/グラモフォン盤) まだ27歳という若きツィメルマンの演奏です。初めて冒頭の何十小節かを聴いた時は、「なんて凄い演奏だ!」と思いました。表情の彫の深さといい、打鍵の美しさといい申し分無かったからです。ポリーニのほうがよほど青二才に思えました。けれどもだんだん聴いているうちに、特にゆったりとした部分で間がもたないのですね。こういう処はバックハウスや他の巨匠の至芸には及びません。バーンスタインも力演ですが、音楽に含蓄の深さは余り有りません。それでも、大変美しく分かりやすい演奏なので、初めてこの曲に親しもうという方にはお勧めできます。
イヴァン・モラヴェッツ独奏、イルジー・ビエロフラーヴェック指揮チェコ・フィル(1988年録音/スプラフォン盤) 第1番と同じ演奏家ばかりが並んでしまうのは申し訳ないのですが、このモラヴェッツ盤も大好きです。ここでも第1番と同じように、テクニックだけでない非常に音楽的な名人芸を披露していて大変に魅了されます。およそ"愉しさ"という点では随一の演奏ではないでしょうか。但しビエロフラーヴェックの指揮は割に平凡でオケの音も厚みに不足します。録音はデジタルで非常に優秀なのが嬉しいです。
ゲルハルト・オピッツ独奏、コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送響(1993年録音/RCA盤) ドイツのピアニスト、オピッツが40歳の時の演奏ですが、正にドイツ正統派のスタイルを継承していてスケールが大きく重厚、骨太で底光りのするピアノが同郷の先輩であるリヒター=ハーザーのようです。このような、およそ姑息さとは無縁の表現でこそブラームスの音楽は生きます。Cデイヴィスの指揮も堅牢なドイツ的表現で、バイエルン響から音の厚みと美しさを見事に引き出しています。CDは第1番とカップリングされていて便利です。
二コラ・アンゲリッシュ独奏、パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送響(2009年録音/ERATO盤) これはずっと新しい録音となります。フランス系ですがドイツ音楽を得意とするアンゲリッシュにとってブラームスは重要なレパートリーです。卓越したテクニックで難曲を悠々と弾きこなしていて爽快です。随所でちょっとしたルバートや音のタメを利かせるのは、伝統的なドイツスタイルの味わいを感じさせます。ただし重ったるくなることは有りません。パーヴォが統率している管弦楽も非常に充実しています。これは先行した第1番の協奏曲と並ぶ新鮮な名盤です。
それにしても何度聴いても飽きない名曲中の名曲ですね。まだまだ素晴らしい演奏が沢山有りますので、それらについては下記の記事からご参照ください。
<補足>
ルービンシュタインの1966年盤、フィッシャー盤、バッカウアー盤、クライヴァーン盤、アンゲリッシュ盤を追記しました。
<後日記事>
ブラームス ピアノ協奏曲第2番 続・名盤
ブラームス ピアノ協奏曲第2番 続々・名盤
ブラームス ピアノ協奏曲第2番 新・名盤
ブラームス ピアノ協奏曲第2番 新々・名盤
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