J.S.バッハ「無伴奏チェロ組曲」BWV1007~1012 名盤 ~チェリストの聖書~
しばらく記事のUPが空いてしまいました。というのもバッハの無伴奏チェロ組曲を集中して聴いていた為です。これまでに購入したCDを引っ張り出して聴き直していたら、いや面白くて。。。
こういう面白さは集中して一挙に聴かないと中々分からないのですよね。
バッハの作曲した「無伴奏チェロ組曲」は、言わずと知れたチェロ独奏用の楽曲集ですが、第1番から第6番までの6つの組曲から成ります。作曲された年代は正式には分かっていませんが、ケーテン時代の1720年前後の作曲と推測されています。作曲の背景については、宮廷オーケストラ団員でヴァイオリン、チェロ、ビオラ・ダ・ガンバを弾きこなしたクリスティアン・フェルディナント・アーベルの為に書かれたという説が有力です。残念ながらバッハの自筆譜は存在しませんが、幸いなことにバッハの妻のアンナ・マクダレーナによる綺麗な手書き写譜が残されています。
バッハはケーテン時代に「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(全6曲)」を『第1巻』として作曲しましたが、この「無伴奏チェロ組曲」にはマクダレーナの写譜に『第2巻』という表記が記されています。但し、実際に作曲されたのはチェロ組曲の方が先であるというのが通説です。
この作品は長い間、単なる練習曲として歴史に埋もれていましたが、大チェリストのパブロ・カザルスがまだ13歳の時に、故郷のバルセロナの楽譜店で偶然にも古い出版譜を見つけたことから陽の目を浴びるようになったというエピソードは良く知られています。
現代において「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」はヴァイオリニストの“聖書”ですが、こちらはチェリストの“聖書”です。両作品は鍵盤楽器以外の無伴奏による器楽楽曲として双璧の存在で、永遠に輝きを放ち続けることでしょう。
無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009
無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV1010
無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV1011
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012
各組曲は、プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット(もしくはブーレかガヴォット)、ジーグの6曲から成っていて、いずれもプレリュードの後に5曲の舞曲が続きますが、ヴァイオリン・ソナタ&パルティータのように「フーガ」や「シャコンヌ」は有りません。
演奏においては、番号が進むごとにだんだんと難しくなり、第5番ではスコルダトゥーラという変則調弦(A線を全音低いG音にする)が用いられます。さらに第6番は元々「ヴィオラ・ポンポーザ」という腕に乗せて弾く大型のヴィオラ(バッハが考案したという説が有りますが証拠は無く、そもそも実物も現存していません)の為に書かれていますが、これは普通に調弦されたチェロの4弦の上にさらに 高いE弦を加えた5弦の楽器です。その為にモダン・チェロで演奏するのは至難の業であることから、特に古楽器奏者の間では、同じ5弦のチェロ・ピッコロを用いて演奏されることも多いです。
全曲の中では第1番のプレリュードが映画やテレビCMで頻繁に使われて、様々な楽器でも演奏されることから良く知られていますが、第6番のガヴォットなども耳に馴染みが有ると思います。他の曲も舞曲のレベルにはとても収まり切らない哲学的な深さを秘めていたりと、そのどれもが傑作です。しかも、これらは様々な演奏スタイルを受け入れられる大変に懐の広い楽曲です。
それでは所有しているCDを現代楽器(モダン・チェロ)と古楽器(バロック・チェロ)とに分けてご紹介してみます。
<モダン・チェロによる演奏>
パブロ・カザルス(1936-39年録音/EMI盤) 13歳で楽譜を発見したカザルスが、そのうち1つの組曲を演奏するのにも10年かかりましたが、録音を行なったのは60歳前後のことです。つまり半世紀近くも曲集を研究したことになります。ところが演奏には、まるで今生まれたばかりのような生命力と情熱が漲っています。アカデミック臭さは微塵も感じられず、音楽がまるで嵐のように迫り来ます。それは例えばワルター/ウィーン・フィルのモーツァルトやフルトヴェングラーのベートーヴェンを聴くのと共通します。その後に登場する数々の演奏家や古楽器演奏とは違う、正にカザルスだけが持つ深い人間の精神性に裏付けされた個性的な演奏で、単なる歴史的遺産というだけに留まらず、立派に現役の演奏として鑑賞出来ます。古いSP録音なので音質は古めかしいですが、所有する東芝EMIのGRシリーズ盤では、変にデジタル臭くリマスターされていないのが嬉しいです。
ピエール・フルニエ(1960年録音/アルヒーフ盤) フルニエはこの曲を2回セッション録音していますが(他にライブも2種残されています)、その最初の録音です。長い間カザルス盤と共に「定番」として君臨した演奏だけに、現在でも輝きを失うことはありません。全体のテンポは中庸ですが、呼吸に深さが有るので、実際以上に落ちついて聞こえます。崇高さと気品に溢れていますが、厳格過ぎることが無いので、ここには大きな慈愛の心に包み込まれるような安心感が有ります。技巧的にも充分高いのですが、それを表立って示される気が全くしません。これこそが本当の音楽家、いや芸術家というものでは無いでしょうか。無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータで言えば、ちょうどヘンリク・シェリング盤に相当します。録音年代は古くなりましたが、優秀なアナログ録音なのでCDで聴いても充分美しく聴けます。
エンリコ・マイナルディ(1963-64年録音/DENON盤:オイロディスク原盤) マイナルディはイタリア生まれですが、主にはドイツ/オーストリアで活動しました。この録音当時66歳で、元々技巧的に特に優れるとは思いませんが、驚くほど遅いテンポで弾いています。表情も朴訥で一本調子の印象です。ところが重低音が腹の底にまで響き、聴いているうちに何か巨大な聖堂か、あるいは巨峰を仰ぎ見るような錯覚に捉われます。それはクレンペラーかクナッパーツブッシュの指揮に通じるかもしれません。第2番のメヌエットや5番、6番のガヴォットの余りの巨大さには言葉を失います。6曲は通常ならCD2枚で収まるところが3枚となっている極めてユニークな演奏と言えます。従って最初に聴くのには向きませんが、幾つかの演奏を聴いた後に体験してみるのが良いでしょう。オイロディスクによる重心の低い録音は落ち着いた響きで素晴らしいです。
ダニール・シャフラン(1969-74年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) ロストロポーヴィチと並ぶロシアの大チェリストだったシャフランは一般の知名度こそ高くは有りませんが、少ない録音からもその驚くべき実力が窺い知れます。幸いこの全集を残してくれたことは大きな喜びです。バッハの偉大な作品にがっぷり四つで組み合う気迫はカザルスにも匹敵します。超絶的な技巧もさることながら、その表現力は余りに凄まじく、バロックの範疇を完全に飛び出していて、聴き手は言葉を失い、身体をわしづかみにされるままです。特に第6番は圧巻です。好みの違いは有るにしてもこの偉大な演奏は必聴です。所有するのは露ヴェネチア盤ですが、録音/リマスターは良好で、この凄演を聴くのに何ら支障は有りません。
ピエール・フルニエ(1976-77年録音/フィリップス盤) フルニエの前回のアルヒーフ盤から16年も後に行った2回目のセッション録音です。全体的にテンポが遅くなっていて、一つ一つの音をかみしめる様な深い趣が有ります。この楽曲をメイン・レパートリーの一つとして弾き続けて来た年輪の重みがひしひしと感じられて感銘を受けます。反面、曲の速い部分や難所では、さすがのフルニエにも技巧の衰えが幾らか感じられます。従って、アルヒーフ盤とどちらか一つということではなく両盤を揃えておきたいです。それでも「どちらかにしろ」と言われたとしたら。。。やはりアルヒーフ盤でしょうか。フィリップスの録音は柔らかく優れていますが、楽器の音像が大き過ぎるのがちょっと気に成ります。
アンドレ・ナヴァラ(1977-78年録音/カリオペ盤) イタリア系フランス人のナヴァラの録音も定評のあるところです。晩年の演奏にもかかわらず技術的にも安定していて、速いパッセージではさすがに苦労していますが、聞き苦しいことはありません。同時代のフランスには名チェリストが本当に大勢居ました。聴き手を驚かせるような凄味こそ有りませんが、繰り返し聴くほどに深い味わいが増してゆく、正にいぶし銀のような名演奏です。器楽的な良さと音楽的な良さが高次元でバランスよく保たれている点では代表的な演奏だと思います。優秀なオリジナル音源からのリマスターで、楽器の音像が広過ぎるのがやや気に成りますが、アナログ的で柔らかく厚みの有るモダン・チェロの美しい音には魅了されます。
ポール・トルトゥリエ(1982年録音/EMI盤) トルトゥリエの2回目の録音で、この時68歳でした。昔、某評論家が「完璧な技術」と評していましたが、現在の耳で聴いてみるとそれほどとは思えず、時代の違いかなと思ったりもします。全体は中庸のイン・テンポで進んでいて、過度な表情付けは全く有りません。偉大な作品に真摯に向き合っている点では好印象ですが、何か特別な閃きを感じられるかと問われると首をひねってしまいます。「練習曲」のように聞こえると言ったら言い過ぎでしょうが。ロンドンの教会で録音された為、深い残響の中で音像が浮かび上がります。楽器の音の生々しさは薄いですが、耳が疲れずに聴き易いと言えないことも有りません。
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1991年録音/EMI盤) スラヴァ(ロストロポーヴィチの愛称)が64歳の時にフランスの最も美しい村のひとつヴェズレ-に有り、ユネスコ世界遺産にも登録されている聖マドレーヌ大聖堂で行った、この曲の唯一のセッション録音です(他に1955年のプラハの春音楽祭でのライヴ録音が有ります)。時に技巧の高さに物を言わせた力任せの演奏をしてしまう事も有るスラヴァですが、ここでは淡々と無心にバッハに向き合っています。それが大聖堂の深く柔らかい残響と溶けあって、あたかも時間の流れに身を任せるような錯覚に陥りそうです。第6番などはこの人なら更に磨き上げられそうな気がしますが、全体としては同じロシアのチェロの巨人シャフランの劇的な演奏とはまた違う素晴らしさです。
ヤーノシュ・シュタルケル(1992年録音/RCA盤) シュタルケルは1950年代と60年代に全曲録音を行っているので、3回目の録音となりますが、この時は68歳でした。若い頃の演奏には余計なもの一切を削ぎ落した凄味と切れ味が有りましたが、それと比べると相変らず孤高の雰囲気は有るものの、随分と角の取れた円熟味が感じられます。しかし音程の正確さやフィンガリングはまだまだ見事です。音の粒の明確さ、旋律線の歌わせ方やリズムなど、曖昧さは皆無で、特に第6番を艶の有る高音で完璧に弾き切るのが凄いです。全体のテンポは案外ゆったりとして落ち着きが有りますが、音楽には自然に流れるような生命力を感じます。RCAによる録音も優秀で、深く美しい楽器の響きが快感です。
アンナー・ビルスマ(1992年録音/SONY盤) バロック・チェロの名手ビルスマは、後述する1979年の最初の録音ではバロック・チェロを用いました。ところが2回目となるこのニューヨークでの録音では、第6番でチェロ・ピッコロを使用した以外は、モダン・チェロのストラディヴァリウスを用いました。ビルスマ本人が「無伴奏チェロ組曲」の世界は広大であり、アプローチの可能性も無限である」と述べているらしく、実際に演奏そのものも最初の録音とはまるで別人のように表現豊かで多彩な演奏スタイルとなっています。それでもじっくりと腰の座った落ち着いた演奏はやはりビルスマです。まだ悟り切れない修行中の奏者が肩に力を入れた熱演とは異なる、王者の風格を感じます。バロック音楽一筋のビルスマと現代曲の片手間にバッハに取り組む演奏家とは、やはり一緒くたには出来ません。SONYの録音もそうした音楽を見事にとらえています。
ミッシャ・マイスキー(1999年録音/グラモフォン盤) マイスキー最初の全集録音から15年を経ての2回目の録音です。いわゆる厳格で求道的なバッハ像からは遠く離れた、豊かな表現意欲に溢れた自由闊達な演奏ですが、特に違和感を感じることもなく、非常に楽しめるバッハに成っています。テンポは全般的に中庸で、遅過ぎも速過ぎも無く、各曲とも適切な選択がされています。ですので、プレリュードでは荘厳さも充分に感じさせます。マイスキーの高い技巧の冴えも素晴らしく、この人は元々それほど好きな奏者では無いのですが、この演奏には驚きました。ベルギーの修道院にある木造りのホールで収録された楽器の響きが非常に美しく録られていて、演奏の魅力を更に高めています。
マリオ・ブルネロ(2009年録音/EGEA盤) イタリア生まれの現代の巨匠ブルネロには、トリノでの1993年ライヴによる旧録音(AGOLA盤)が有りますが、これは2回目の録音です。ブルネロと言えば自然を愛するチェリストで、富士山頂やサハラ砂漠など静寂の中で演奏することで内面から音楽が湧き上がるのだそうです。これはペルージャのサンタ・チェチリア礼拝堂でのセッション録音です。モダン・チェロの使用ですが、A=415ピッチで調弦した古雅な響きとノン・ヴィブラートに近い奏法が、バロック・チェロを聴いているような錯覚さえ覚えてしまいます。テンポは速くは無く、じっくりとした落ち着きが有りますが重苦しさは感じません。全体を包む瞑想感と弱音の繊細さにも惹きつけられます。随所での楽曲への新鮮な解釈が見られますが、奇をてらった印象は全く受けません。高度な技巧には安心感が有ります。制作はイタリアのマイナーレーベルですが、自然な音造りの優秀録音です。
<バロック・チェロによる演奏>
アンナー・ビルスマ(1979年録音/SEON盤) ビルスマの最初の録音で、第6番はチェロ・ピッコロを用いています。それまでの主流であったモダン楽器を使ったレガート奏法中心のロマン派然とした演奏達とは異なりノン・ヴィブラートで、スラーをかなり外してスタッカートを多用した素朴で古雅な音は、初めのうちは“干物の音”の様に感じられて抵抗が有りましたが、今ではむしろこちらの方が自然に感じられます。その後に次々と登場する古楽器演奏家は、自由な表現な即興演奏風のスタイルが増えて、それはそれでまた面白いのですが、ビルスマの古楽器派の原点のような禁欲的な演奏には心が落ち着きます。ビルスマは上述したモダン・チェロを用いて2回目の録音を行いましたが、このバロック・チェロの旧盤は正に不滅の演奏です。
鈴木秀美(1995年録音/ハルモニア・ムンディ盤) 鈴木秀美は2004年に再録音をしていますが、これは最初の録音です。日本の演奏家にも古楽器派が随分と増えましたが、この人はやはり我が国の古楽派のレジェンドです。師事をしたビルスマの奏法を継承してはいますが、薄くヴィブラートをかけるのと、スタッカートもビルスマほど徹底はしていません。もちろんロマン派然とした濃い表現は見られませんが、残響が多めの録音が功を奏して音的にはビルスマよりも美しく感じられるかもしれません。速い曲ではかなり気迫を込めて演奏していますが、音の粒立ちが余り良く無い為に幾らか雑に聞こえます。何もレジェンドにケチを付ける気は毛頭有りませんが、正直な感想です。なお、再録音については後述します。
ブリュノ・コクセ(2001年録音/アルファ盤) コクセは1963年生まれのフランスのバロック・チェロ奏者で、アンナー・ビルスマにも師事しています。この録音は17世紀から18世紀に制作された4台の楽器をモデルにして再制作されたチェロを曲ごとに使い分けて行われました。演奏は装飾音の数が多く、フレージングも即興的なぐらい自由自在です。それを風が吹くようにさらりと弾いてみたり、独白のような静寂をみせたりと一筋縄で行かないユニークさが有り、荘厳で重苦しいバッハとは対極にあります。技巧的にも素晴らしく、聴いていて実に楽しいのですが、一つ気に成るのは、左手が指板を叩く音が常にバチバチと派手に聞こえることです。個人的には指板の音は生々しさが感じられて好きなのですが、これはちょっと煩さ過ぎます。よほど近いところにマイクが立てられていたのでしょう。その割には楽器が遠目で柔らかく聞こえるので、不思議な録音です。
鈴木秀美(2004年録音/SONY BMG盤) 鈴木秀美の二度目の再録音盤です。前回から9年ぶりの録音と成りますが、当然その間に細部の解釈や弾き方をじっくりと見直した跡が見られます。楽器は前回と同じだそうで、第6番はチェロ・ピッコロを使っています。全体的にテンポがゆったりとして味わいが増したように感じられますが、録音の優秀さも寄与しているようです。そういう意味では日本の古楽派のレジェンドとして意味の有る録音となりました。但し速い楽曲での技術的な音の曖昧さは旧盤と変わりは無く、克服出来てはいません。もちろん他の欧米の巨匠達にも曖昧さが全く無いわけでは有りませんが、鈴木氏の演奏は少なくとも自分には何故か気に成ってしまいます。素晴らしい演奏の曲も有るだけに残念です。
ピーター・ウィスペルウェイ(2012年録音/Evil Penguin Records盤) ウィスペルウェイは、この当時まだ40代の終わりでありながら、何と3回目となる全曲録音でした。第6番はピッコロ・チェロを使用しています。ピッチをケーテン時代の宮廷楽団のピッチA=392に合わせているのがポイントで、当時の宮廷における楽器の響きを味わうことが出来ます。この人もまたビルスマに師事しましたが、演奏スタイルは非常に個性的かつ雄弁極まりなく、緩急自在の速さとリズム、間、フレージングを即興的に自由奔放に弾いていて驚かされます。バロック・ヴァイオリンのカルミニョーラやビオンディの演奏をそのままチェロで体現した印象を受けます。一方で深く情感を込めた部分にも大いに惹き付けられます。この人はモダン・チェロも弾きこなすテクニックが素晴らしいので、安心して身を委ねられます。楽器の古雅で深みのある音を捉えた録音も優れています。
さて、こうして聴いてゆくと、魅力的な演奏が数多く有るのでマイ・フェイヴァリットを絞り込むのも中々に迷いますが、モダン・チェロでたった一つ選ぶと成れば、やはりフルニエのアルヒーフ盤となります。次点としてフルニエのフィリップス盤、マイナルディ盤、ナヴァラ盤、ビルスマのSONY盤、ブルネロ盤というところです(多いな!)。バロック・チェロではビルスマのSEON盤が本命ですが、ウィスペルウェイ盤も外せません。
しかし、繰り返しますが、この懐の広い傑作は聴き手の好みが様々に分かれるでしょうから、どうかご自分のフェイヴァリットを探されてみてください。
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コメント
大変ご無沙汰しています。
ついにこの曲のご紹介、GWでもあり高まりました。
カザルス、フルニエ新旧、ビルスマ新旧、ナヴァラを所有しています。
カザルスは別モノとして、どちらか選ぶならフルニエは旧録です。ビルスマは新録、でも旧録は聴くほどに魅力が分かってきます。
エヴァンゲリヲンで使われた音源としても有名なナヴァラも好きです。
どれかLPで欲しいのですが迷います笑。昨年まではよく利用していたdiscogs.comは異常な円安で敷居が高くなってしまいました泣。
投稿: source man | 2023年4月30日 (日) 11時48分
source manさん、こんにちは。
大変長らくお待たせしました(笑)。
さすがに良いディスクを揃えられていますね!
ナヴァロやマイナルディのLPは良いでしょうが、高価過ぎるかもしれませんね。
むしろ狙い目はフルニエの旧盤かも。国内グラモフォンでも充分良いと思いますよ。
投稿: ハルくん | 2023年5月 1日 (月) 11時20分
ハル君、ご無沙汰です。ついこの間カザルス盤を聴く機会がありました。もっと早くに録音していればという意見もありますが、気迫で弾いていて語りかけてくるものが多い名録音ですね。難しい所も難しそうに弾いているのが人間味があって良いです。録音も僕の装置では十分でした。それまで聴いていたのはスラヴァ盤、カザルスを聴いた後ではツルンとした感じに聴こえます。やはりベストはフルニエですか、彼の録音は悉く絶品なので近いうちに聴きたいです。あとこの中で唯一実演に接したシュタルケル(神音程でした)も。
投稿: ふうさん | 2023年5月11日 (木) 18時44分
初めて聴いた無伴奏がフルニエの1972年東京公演(今ではcdもありますが)で、最初に購入したのがアルヒーフ版LPでした。その頃トルトリエ、ナバラ、シュタルケルなど聞きましたが、一番安定したおおらかで汚い音のない演奏はフルニエだと言う印象でした。それから15年以上経ってロストロポーヴィッチやマイスキー(旧版)にふれましたが、ロストロポーヴィッチ版はソルジェツイニン事件での失われた時間が痛ましく、力強いのですが、往年のしなやかな艶があまり感じられません。
大兄のブログを拝読し、アルヒーフ版のCDを聞き直してやっぱりこの演奏が一番落ち着いて曲を表現しているなあ、と思い筆を取りました。近いところではケラスも聞きに行って良かったとは思いましたが、フルニエのチェロの音とそれが実現させている解釈は今の時代でも古くならない気がします。
これからはフランスで活躍している青木さんや、新進では上野君のような若手が新しく古典となる演奏を創ることを祈りつつ、大兄のブログに賛同して!!大兄のブログがあってこそまた昔のcdを聞き直したり、新しい発見を味わえ、有り難く。
投稿: Hiroshi Noguchi | 2023年5月13日 (土) 09時06分
ふうさん、こんにちは。
大カザルスの演奏には何だかんだ言いながらもやはり魅力がありますね。スラヴァやシュタルケルの方がどんなに上手くてもです。
フルニエは。。。これだけ様々な方面から絶賛される演奏ってそうは無いですからね。素晴らしいですよ!(笑)
投稿: ハルくん | 2023年5月14日 (日) 05時42分
Hiroshi Noguchiさん
ご投稿ありがとうございます。大変楽しく読ませて頂きました!
72年の東京公演を聴かれているんですね。残念ながら私は聴いていませんが、その当時のシェリングの無伴奏を同じ東京で聴きました。この両雄のバッハには合わせ鏡のような印象を受けます。
独グラモフォンが二人の名盤を持つのもまた印象を高めます。
現代の新進までお聴きになられているんですね!
そのうえでフルニエの演奏が古くはならないとのご意見。さすがに重いです。
いつでもまたお気軽にコメントください。楽しみにお待ちしております!
投稿: ハルくん | 2023年5月14日 (日) 05時54分
復元楽器ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラでの録音について触れられていないのは片手落ちではありませんか?
寺神戸亮、ジギズヴァルト・クイケン盤がありますが。
投稿: 桜井 哲夫 | 2024年3月 3日 (日) 21時28分
桜井哲夫さん
コメントありがとうございます。
”片手落ち”と言われればそうかもしれませんが(汗)、これは評論書ではなくただの鑑賞記ですのでご容赦ください。
ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラもそうなのですが、モダンヴィオラ盤も聴いて加えたいなとは思っております。双方ともいずれは!
投稿: ハルくん | 2024年3月 4日 (月) 00時50分