シベリウス 交響曲第7番ハ長調op.105 名盤
シベリウスの最後の交響曲であって、本来は最後では無いはずだった交響曲。シベリウスは途中まで書いた第8番の楽譜を自らの手で焼き捨てたと言われていますが、妻アイノの証言によれば実は既に完成していたという話も有るようです。しかし煙と灰になってしまった以上、我々が聴くことのできる最後の交響曲はこの第7番なのです。曲は通常20数分で演奏されて古典派以降の交響曲としては随分短いです。シベリウスは曲のタイトルに「ファンタジア・シンフォニカ」とつけましたし、楽章の無い単一楽章構成になっていますので多分に交響詩的にも見受けられます。しかしこれはマーラーに代表される肥大化した交響曲とは全く逆におよそ無駄の無い極限にまで凝縮され尽くした交響曲なのです。
僕は第1楽章に相当するアダージョ部分が好きです。非常に哀しさを感じます。しかしそれは、あらゆる命が永遠に繰り返される輪廻そのもののような彼岸の雰囲気を感じます。もちろん続くスケルツォにあたる部分、更に刻々と移り変わる曲想の変化の妙も素晴らしく言葉を失うほどです。
この曲の演奏なのですが、シベリウス晩年の作品と有って第6番の演奏とどうしても重なってくるのは致し方ないところです。
サー・ジョン・バルビローリ指揮ハレ管(1966年録音/EMI盤) 1960年代後半に録音された交響曲全集に含まれます。バルビローリのシベリウスの特徴はかなりロマンティックで情感豊かに歌わせます。それがシベリウスの音楽の本質からは距離を感じますが、第4番あたりまではそれはそれで魅力が有りましたが、5番、6番ともなるとさすがに深遠なシベリウスの世界の表現には限界を感じます。ところがこの7番では弦楽のウエイトが高いためにハレ管の金管楽器の粗さもさほど気に成ることなく音楽を味わえます。録音も悪く有りません。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1967年録音/グラモフォン盤) カラヤンが1960年代に録音したシベリウスの第4番から第7番までの4曲の交響曲は中々の出来栄えです。多くのフィンランド勢の演奏と比べるとロマンティックさが幾らか余計に感じられもしますが、第6番以上に彼岸の境地に達したシベリウス最後の交響曲の孤高の雰囲気は良く出ています。ベルリン・フィルのアンサンブルは優秀ですし、一般的にはむしろ聴き易いかもしれません。録音も古い割りには優れています。
渡邉暁雄指揮ヘルシンキ・フィル(1982年録音/TDK盤) ヘルシンキ・フィル初来日の時のライブ録音です。アケさんの実力はヘルシンキ・フィルのような優秀なシベリウス・オケを振ると見事に生かされます。どちらか言えば古い感覚の良く歌った演奏表現です。この曲の持つ彼岸の雰囲気はなかなか良く出ていますが、温かみがやや有り過ぎる点で評価の分かれるような気もします。ライブなので仕方有りませんがアンサンブルがほんの少し荒い気もします。TDKの録音はここでも優秀です。
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィル(1986年録音/EMI盤) この曲でもやはりベルグルンド盤をリファレンスにしたいところです。どこまでも限りなく美しく、純粋にこの曲の素晴らしさを心底堪能出来る演奏です。全体に彼岸の雰囲気をいっぱいに漂わせていています。スケルツォ部分の上手さも見事です。EMIの録音はオフ気味ですが、気になる程ではありません。ベルグルンドには後述するヨーロッパ室内管との新録音盤も有りますが、どちらを選んでも困らない正に双璧の名演です。
ユッカ=ペッカ・サラステ指揮フィンランド放送響(1993年録音/FINLANDIA盤) これもサンクトべテルブルクでのライブ録音ですが、完成度に優れていて非常に美しい演奏です。スケルツォ部分のリズム感も歯切れが良く、素晴らしいです。但し、少々気になるのは幾らかせわしない面が有り、音楽に小ささを感じてしまう点です。あるいは空気の広がり感とでも言いましょうか、それが少しだけ不足している気がします。
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管(1995年録音/FINLANDIA盤) ベルグルンドのヨーロッパ室内管との新盤も秀逸です。ヘルシンキ・フィル盤よりも高く評価する人が居るのも充分に理解できます。完全に統率されたアンサンブル、ニュアンスの豊かさはひとつの演奏表現の極地だと思います。そうなると後は神秘性でヘルシンキ・フィル盤とどちらが上かということになるのですが、その点ではやはりヘルシンキが上のように思います。いずれにしてもどちらを選んでも問題は有りません。
オスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ響(1996年録音/BIS盤) ヴァンスカによく見られるピアニシモを多用する表現が、ここでもまた音楽を痩せて聞こえさせてしまう気がします。曲の持つ彼岸の雰囲気に決して不足しているわけでも無いのですが、何となくこの彼岸の曲にどっぷりと入っていけない感じが気になります。とは言え、これもやはり非常に美しい演奏であることには変わり有りません。
レイフ・セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィル(2002年録音/ONDINE盤) セーゲルスタムも同じヘルシンキ・フィルを指揮して、非常に素晴らしい演奏を多く残していますが、この曲は正直余り感銘を受けません。演奏には神々しい雰囲気というよりは純器楽的であり、どちらかいうと近現代音楽を聴いているような感じがします。この曲が果たしてそれで良いものか少々疑問に思います。ONDINEの録音は相変わらず優秀です。
ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ響(2003年録音/グラモフォン盤) ヤルヴィはシベリウスの交響曲全集をエーテボリ響とBISレーベルに録音しましたが、これは2001年から2005年にかけてのグラモフォンへの再録音全集からです。BIS盤は総じてテンポが速く勢いが有る反面落ち着きの無さが感じられましたが、再録音盤はゆったりと落ち着き、旋律を歌いあげます。けれどもこの曲では歌い過ぎることなくむしろ寡黙さを大切にして作品の持つ彼岸の雰囲気を十全に醸し出しています。フィンランドの指揮者以外でこれほどのシベリウスを演奏をするのは驚きです。
サー・コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団(2003年録音/LSO Live盤) ロンドンのバービカンホールでのライヴです。第6番の演奏にも感じられましたが、厳しさよりは滋味さが勝るように思います。まるで英国音楽のように大変美しいのですが、この曲の持つ彼岸の境地と思えるような孤高の雰囲気と感動がいま一つ薄いようです。素晴らしい演奏に違いないのは確かなのですが。
オッコ・カム/ラハティ響(2012年録音/BIS盤) これはラハティ響の来日に合わせてリリースされた交響曲全集に含まれます。実演でのラハティ響の編成は幾らか小さめでしたが、それがこの曲のような室内楽的な要素に強く支配される曲では長所が生かされて最高の演奏でした。この録音でもそのように再現されていてこの曲の孤高の境地、彼岸の雰囲気が十全に醸し出されています。カムの指揮は本質的にはロマンティシズムを感じさせますが、それでいてこの作品をこれほど深く掴んでいるのは流石としか言えません。
クラウス・マケラ指揮オスロ・フィル(2021年録音/DECCA盤) マケラが僅か24歳でオスロ・フィルの首席指揮者に就き、専属契約を結んだデッカでの最初の録音となった交響曲全集に含まれます。オスロ・フィルの、特に弦楽の美音が生きた本当に美しい演奏です。しかしこの彼岸にたどりついたような作品には、そうした現世を超越したような雰囲気を求めてしまいます。その点で、この演奏にはほんの僅かながら現世的な美のように感じられなくも有りません。「そんなことは無い、これだけ美しければいいじゃないか」とクレームの声が届きそうです。いやいや本当に。フィナーレまで聴いてくるとそんな気にもなります。
作品の素晴らしさゆえにどの演奏を聴いても感動させられますが、真に素晴らしい演奏は意外と少なく、ベルグルンド/ヘルシンキ・フィル盤、ヤルヴィ/エーテボリ響盤、カム/ラハティ盤の三つです。
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コメント
ついに来た7番!学生としては最後の定期で演奏しましたが(いい死に場所を見つけた果報者と言われた)実に難曲で見事に討死にしたのでありました。当時は上記のうち暁雄さんのCDしか出ていませんでしたから、他に何を聴いて勉強したのだったか?
とにかくDvorakやTschikovskyのようなカタルシス場面が出てこないので、強靱な精神的持久力で真ん中辺のTromboneのソロまでじわじわと持っていくまでが大変だし、後半から終盤の速い部分はアンサンブルの難度が高くて崩壊せずに終わるだけでも大変でした。団員皆に技術と愛着がなければ名演は望めませんね。
投稿: かげっち | 2009年4月20日 (月) 13時00分
以下、個人的・技術的な回想です-この曲Timpaniで始まるのですよね、これが鍵と思います。冒頭Fl(Cl)の旋律は語り部の主題と思って聴くと最後に再会した時感慨深いです。その後は広大な氷原か巨大な氷河を前にしたような思いで、呼吸を深く保ちながら全身にSibeliusの(Finlandの)気を充実させたいものです。ここの前半はHornの醸し出す和声に注目、後半はFl,Cl,Trb,Timpaniの軸に注目したいです(楽器配列はオケによって違いますが縦一直線に並ぶ可能性もあり面白い)。
スケルツォ風の部分は弦と管の掛け合いが面白くも難しいので、各オケの技量の差が出ます。Oboeが猛烈に上手くなければぶち壊しになります。終楽章風の少し明るい主題はフィンランド語のイントネーションに似ているような?大好きなのでもう少し長く続けて演奏したいのですけどね。ここも意外な箇所で旋律がTimpaniに現れると知ると驚きます。最初の語り部の主題を導出した音階が再びHornに現れると終結は間近。
実は、序盤や終盤の和声進行を見ると係留音や経過音が大量に混在していて、さながらトリスタンの前奏曲のように、調性が判然としません。ここを最適のバランスで決然と演奏しないと「宇宙」が完成しないという曲です。長い長いワンセンテンスで書かれた小説みたいな印象の曲です。
投稿: かげっち | 2009年4月20日 (月) 13時03分
かげっちさん、こんばんは。
さすがはシベリウスの熱烈なファンのかげっちさんらしい、とても熱いコメントをどうも有り難うございます。
7番はやっぱり良いですものね~。っておまえは5番、6番のほうが好きだと言っただろうって?ハイ確かに言いましたが、7番聴いている時は7番が最高なのですよ。まあファンなんてそんなものではないでしょうか。(笑)
かげっちさんは7番の演奏経験が有るのですね。実に細かく解説されてます。私はこの曲は演奏していないのでここまで細部の把握はできません。わかるのは何しろ演奏の難しい曲だということだけです。
投稿: ハルくん | 2009年4月21日 (火) 23時37分
つい興奮して長広舌になりお恥ずかしいです(どうどうどう・・ヽ(´▽`)/)
でも冷静に聴くと、万人向きの曲じゃないですよ、やっぱり。旋律や構成に安定感がなく、さりとてシューベルトの即興曲やシューマンの幻想曲のような「たゆたう楽興の魅力」でもない、凝縮しすぎていて落ち着かないというか、安心できない感があります。4番ほどじゃないけど、シベリウス初心者には奨めにくいですね。
投稿: かげっち | 2009年4月23日 (木) 12時19分
遂に第7番に到達して、たいへんご苦労様でした。私も昨年、朝比奈隆のブルックナーの録音を0番から9番までたどって行きましたがブルックナーの作品が大きく前に立ちはだかっているようで9番に行き着いた時は感無量でした。
第7番(第4番も)は私は若い頃はさっぱりわかりませんでしたが今は無くてはならぬ作品となりました。全てを凝縮したシベリウスの行き着いた音楽と言ってよいでしょう。まさに傑作だと思います。
シベリウスの録音にベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルの録音があるというのは本当に幸せです。この録音が無かったら私はシベリウスの作品を通り過ぎていたかも知れません。
時間があれば私も「クレルヴォ交響曲」から第7番まで順を追って聴きなおしていきたいものです。
投稿: オペラファン | 2009年4月23日 (木) 16時28分
かげっちさん、こんばんは。
7番は最初はとりとめがない感じがしますよね。一番馴染むのに時間がかかったのは4番です。やはり馴染みやすさでは1番、2番。続いて3番、5番、6番ではないでしょうか。4番、7番は魅力に気がついてさえしまえば、何度聴いても全く飽きのこない傑作と言えます。
投稿: ハルくん | 2009年4月23日 (木) 23時08分
オペラファンさん、こんばんは。
クレルヴォを含めた全曲は本当に傑作揃いだと思います。その上、ベルグルンド/ヘルシンキ盤のような超名演があるのでシベリウスファンにとってはほとほとこたえられません。
でもさんざん記事の中でも書きましたが、多くの自国演奏家の録音もどれもが一聴に値する名演奏だと思いますよ。
投稿: ハルくん | 2009年4月23日 (木) 23時13分
演奏が難しい曲だとわかる、ということは、中途半端な演奏ではボロが出ているということですね。上にあげられた盤ではそのようなことはないですけれども。
7番は確かに名曲ですが「名曲なんだ」と皆が言うから賛同しなきゃいけないような雰囲気ができてしまっている、とも思います。正直に私の気持ちを言うと、もう少し生理的快感を味わいたいのです。具体的には、後半のアレグロの旋律にもっと安定感がほしい(転調しないで続けてほしい)とか、語り部の主題に回帰した後をもう少し盛り上げたい(またはそのまま消えたい)とかいうことです。
完璧主義のシベリウスが推敲に推敲を重ねて密度の濃い音楽に仕立てたのはわかりますが、考えすぎというか濃すぎると感じる部分があって、広く共感を呼びにくいのだと思います。とっても好きな曲なんですけどね。
投稿: かげっち | 2009年4月25日 (土) 21時44分
こんばんは。
今日はアマ・オケでこの曲を聴いたのですが
CDではさっぱり分からなかったこの曲の魅力に気付きました。
ゆっくりめのテンポ(と私は感じました)で
淡々とした演奏でしたが
「浮遊感」「漂流感」ともいうべき「心地よさ」を覚えました。
「劇的な興奮」ではなく「身をゆだねる快感」でした。
とにかくどの部分も美しく無駄な瞬間がありません。
なんという素晴らしい曲か!!と思いました。
CDと実演を比べる愚かしさを差し引いても
シベリウスの交響曲は先入観を捨てて聴かねばと思った次第です。
投稿: 影の王子 | 2016年5月22日 (日) 21時14分
影の王子さん、こんにちは。
それまでCDで聴いて余りピンとこなかった曲を、生演奏でピンと来た経験は私も有りますね。
演奏の完成度はともかく音楽が伝わりやすいですし、聴かれた演奏も良かったのでしょうね。
改めてCDを聴かれると、以前とはずいぶん違った印象で耳に聞こえてくるかもしれませんよ。7番は6番や4番と並んで非常に奥深い名曲だと思います。
投稿: ハルくん | 2016年5月25日 (水) 12時53分
クラシックが大好きで自分が好きな曲、演奏がどんな評価なのかつい調べてしまいます。
シベリウスは私の中では人の気配がない、完璧な演奏を求めており、カラヤンに引かれてしまいます。そこには大自然の厳しさがあり、美しさがあります。
何故シベリウスはこれを交響曲第7番にしてしまったのか。ファンタジア・シンフォニカとして別にしていれば第8番も世に出せたのに。そんな思いがします。BISの7番終結部の断片を聴くとどれもがファンタジーであり、それにしていれば交響曲に、ならなかったのに。が、結論である決定稿が完璧すぎて交響曲とせざるを得ないとなったと感じます。7番があまりにも行き着くところにいってしたさまったがゆえに、そのあと8番も捨て、
書けなくなったのではないかと思うと、発表せずにしまっておけばよかったのに、なんて思ってしまいます。
投稿: ミカケン | 2021年4月16日 (金) 21時03分
ミカケンさん
カラヤンの7番のディスクも持っていますが、確かに美しい演奏ですね。私はそれほどでは無いのですが、カラヤンのシベリウスを好む友人も多いです。
「タピオラ」作品112を交響曲8番だなんてどなたかが言われていましたが、なるほどとも思いました。
投稿: ハルくん | 2021年4月18日 (日) 00時56分
昨日、実演を聴きましたが、あまりの情報量の多さ、構成の巧さ、立体的な音響に「感動」を通り越して「打ちのめされ」ました。この曲の凄さは到底録音に収まりません。これを聴いて、有名なシベリウスとマーラーの意見の対立が少し理解できた気がしました。「マス」で勝負するマーラーに対して、シベリウスは「凝縮」。自分としてはこの30分足らずの第7番が、1時間20分のマーラーの交響曲にも匹敵する感動を覚えました。
投稿: 桜井 哲夫 | 2024年9月16日 (月) 22時10分
桜井 哲夫さん
それは良かったです。
おっしゃる通り、どんな大曲にもひけを取らない深遠さを持つ大傑作ですね。
曲の真価に接した後には名演奏の名録音でも感動はまたひとしおですよ。
投稿: ハルくん | 2024年9月17日 (火) 11時49分