J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲BWV988 名盤 ~眠れぬ夜~
♪眠れない夜と雨の日には
忘れかけてた 愛が蘇る♪
(小田和正「眠れぬ夜」)
「眠れぬ夜」は小田和正がオフコース時代の初期にヒットさせた曲です。元々はバラードとして書かれただけあってメロディラインの綺麗な素敵な名曲ですね。
という話はひとまず置いておき、バッハのゴルトベルク変奏曲に纏わる逸話は、バッハの良き理解者であったロシア公使のカイザーリンク伯爵が不眠症にかかり、眠れぬ夜の慰安のためにバッハに変奏曲を書いてくれるように依頼をしたというものです。
伯爵お抱えの音楽家でバッハの弟子でもあったヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクがこの曲を弾いて伯爵に聴かせたことから「ゴルトベルク(もしくはゴールドベルク)変奏曲」という呼び名が生まれました。但し、このタイトルは俗称で、正しくは「二段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」であり、「クラヴィーア練習曲集第4巻」として出版されたものです。
この曲はバッハの鍵盤楽器曲の中でも特に人気の高い晩年の大傑作ですが、演奏には高度な技術が必要であり、ゴルトベルクが当時まだ14歳の少年であったことから、その逸話の信憑性は少々疑われています。
どちらにしても、眠れない夜にバッハを聴きながら、忘れかけていた愛を思い出す・・・それもまた味わい深い夜の過ごし方ですね。
曲は主題のアリアが最初と最後に置かれ、その間にアリアの30の変奏曲が展開されて全部で32曲から構成されます。3/4拍子のアリアは『アンナ・マクダレーナのためのクラヴィーア小曲集』第2巻の中に書かれていたフランス風サラバンドですが、変奏のベースとなるのは美しい旋律では無く、低音部の方です。曲全体は幾つもの秩序の元に構成されていますが、変奏曲は前半と後半に分かれていて、ちょうど真ん中に位置する第16変奏がフランス風の「序曲」と題されていて、後半の開始を示します。
二段チェンバロを使用する目的としては、音色や音量に変化を与える為ですのでバッハは変奏曲ごとに使用する鍵盤を一段か二段かの指示をしています。
チェンバロがクラヴィーアに鍵盤楽器の主役の座を奪われる時代になってからは、この曲が演奏される機会は無くなりました。けれどもワンダ・ランドフスカが自ら考案したモダン・チェンバロを使用してレコード録音を行い、更にはグレン・グールドがレコード会社に反対されながらもデビュー盤としてこの曲をリリースすると世界的な大ヒットとなりました。この曲が広く愛好されているのは、二人の功績が大きいです。
この曲はグールドのピアノ演奏で広く知られたことから、ピアノによる演奏が注目されがちですが、忘れてならないのはこの曲がチェンバロの為に書かれた曲であることです。同じ鍵盤楽器と言っても、チェンバロとピアノでは構造が全く異なりますし、ピアノで演奏を行うということは、例えてみれば同じ管楽器だからと言ってオーボエの曲をフルートで演奏することに等しいのです。
ということから、自分はこの曲はチェンバロで演奏するのが正道だと思っています。ただ、必ずしもピリオド・チェンバロに固執はしません。モダン・チェンバロの音の豊かさも中々に捨て難いからです。更に、ピアノも楽器としての表現能力に格段の広がりを持ちますので、ピアノによる演奏も否定しません。むしろ大いに楽しんで聴いています。
ということで愛聴盤のご紹介です。まずはチェンバロからです。
ヘルムート・ヴァルヒャ(Cemb)(1961年録音/EMI盤) ヴァルヒャはアンマー・チェンバロを使っていますが、この楽器は一般的なモダン・チェンバロの中では弦の張力が弱いので、なめらかな音質と余韻の美しさを持つのが特徴です。確かに低音域の音などは明らかに「弦楽器」に聞こえて魅力的です。EMIの柔らかい音の録音もプラスに働いています。ヴァルヒャの演奏は質実剛健そのもので古き良きドイツを想わせます。それは”チェンバロのバックハウス”とでも言えるでしょうか。”音楽に真摯に向き合うこと以外は何も考えない”という孤高の姿勢にはつくづく胸を打たれます。
カール・リヒター(Cemb)(1970年録音/アルヒーフ盤) ピリオド楽器が主流となった現在では、華やかな音色のモダン・チェンバロを使用したリヒター盤は”時代遅れ”かもしれません。しかしそれならば、彼の偉大な宗教曲の録音も同じことです。元々この人はトーマスカントルへの招きを断って、アマチュアのミュンヘンバッハ合唱団に人生を捧げたような人ですから、権威とか楽器の学究的な事に執着するようなことは無かったように思います。ここで聴かれるのは、間違っても”気軽に聴くバロック音楽”なんかでは無く、あの偉大な受難曲を書き上げた大バッハの魂です。中低音域はパイプオルガンの様に響きますし、この曲がこれほどまでに壮大に、まるで大伽藍のように感じられる演奏が一体他に有るのでしょうか。
グスタフ・レオンハルト(Cemb)(1976年録音/Harmonia mundi:RCA盤) 現在のピリオド・チェンバロの普及にレオンハルトの貢献は欠かせません。この録音は、ゆったりとしたテンポでありながら楽譜の反復を全て省略しているので50分弱の演奏時間ですし、演奏も硬直したリズムでは無く、呼吸の自然な変化が感じられるので退屈することが有りません。音楽にいかに呼吸が大切かを感じさせてくれます。それはバロック音楽に於いても同じなのですね。正に声楽曲の分野においても偉大な足跡を残したレオンハルトならではの演奏だと思います。舞曲風の変奏ではリズム感が強く表れますし、曲によっては非常に壮麗さを感じさせます。最新の録音ではありませんが音はとても明瞭です。
スコット・ロス(Cemb)(1985年録音/ERATO盤) 38歳でエイズの為に他界したロスの「ゴルトベルク」の録音には3年後のEMI録音も有りますが未聴です。こちらはカナダのオタワ大学でのライブ録音です。全ての反復を行なって演奏時間が70分以下という超快速の演奏ですが、音楽に不自然さが少しも感じられないのは正に天才の証です。持てるテクニックの素晴らしさだけでなく、「演奏には常に霊感を追求している」と生前に語っていたロスならではの必聴の凄演です。録音も優れています。それにしても若くして命を落とす芸術家に天才が多いのは何故でしょうか。
ボブ・ファン・アスぺレン(Cemb)(1990年録音/Virgin盤) 今回新たに入手して聴いた演奏でしたが、これは凄かった。古楽オケを率いて指揮もするアスぺレンですが、この壮大なスケールの音楽は明らかに鍵盤楽器の枠を大きく超えています。そういう点ではリヒターの印象に近いところが有ります。但しリヒターがあくまで求道的な大きさを感じさせるのに対して、アスぺレンは指揮者として大オーケストラを率いるかのような印象なのです。ある意味、効果を狙う表現意欲を強く感じます。鮮やかなテクニックも凄いですが、テンポの緩急やダイナミクスの巾が非常に大きく、チェンバロの音色が虹色のような変幻自在さを聞かせるのに驚かされます。ピアノも顔色を失う古楽チェンバロの演奏というところでしょうか。
続いてはピアノによる演奏です。グレン・グールド(Pf)(1955年録音/SONY盤) この曲を世に大きく広めた歴史的な価値は絶対に否定できるものでは無く、そういう意味でも必聴の名盤だと言えます。変奏の大半を速いスピードで弾き切る演奏は当時は極めて新鮮で衝撃的だったと思います。反面、テンポが速過ぎて舞曲的な曲にリズム感が得られないマイナスが生じてはいます。音質も録音年にしては優れ、グールド特有のノン・レガートのタッチが良く捉えられています。
グレン・グールド(Pf)(1981録音/SONY盤) グールドの新盤も世に定評のある名盤ですが、ダイナミクスの変化を駆使した極めてピアノ的な演奏です。演奏テンポが旧盤に比べてかなり緩やかに変化していますが、元々この人は同じ曲をどのようなテンポでも演奏できるという性格を持ちますし、これは恐らく円熟による自然な変化では無く、旧盤とは別の解釈を行いたいというグールドの意思の表れではないかと思います。特に後半へ入ってからの音楽の深さは尋常でありません。グールドの新旧盤どちらか一つだけ選ぶとすれば、音質も優れ、スリリングさと余裕とのバランスの絶妙な新盤を取ります。
マレイ・ペライア(Pf)(2000年録音/SONY盤) グールドのようなバロック音楽の枠をはみ出した衝撃性は有りません。美しいピアノタッチからつぐみ出される、限りない優しさに溢れた演奏です。しかめっ面のバッハでは無く微笑みを一杯に湛えたバッハです。現在もカイザーリンク伯爵が生きていたら、こういう演奏で聴きたがるのではないでしょうか。何の抵抗も無く音楽に親しむことが出来るので最初に聴くのには一番良いかもしれません。
今回所有ディスクを改めて聴き直してみて、マイ・フェイヴァリット盤を上げてみると、チェンバロでは古い奴だとお思いでしょうが、ヴァルヒャとリヒターの両モダン・チェンバロ演奏に強く惹かれます。けれどもどれかたった一つを選ぶとすれば、ずばりスコット・ロス盤です。
新たに聴いたボブ・ファン・アスぺレン盤は驚きですが、個人的な好みではまだ琴線に触れてまではいません。
ピアノではやはりグールドの新盤。これで決まりですが、ピアノには聴いていない録音が沢山有りますので、気に入る演奏がまだまだ隠れて居そうです。皆さんのお気に入りのディスクを教えて頂けると有り難いです。
<追記>
ボブ・ファン・アスぺレン盤を後から加筆しました。
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