5月にスタートしたモーツァルトのピアノ協奏曲特集が、とうとう最後の曲になりました。第27番K595です。この曲は3年前に、「クラリネット協奏曲&ピアノ協奏曲第27番」という記事にしたことがあります。その時に、僕がモーツァルトの音楽に開眼するきっかけとなったのが、この曲だったことをお話ししました。
モーツァルトは11歳の時に初めて第1番から第4番までの4曲を書いて以来、35歳で生涯を閉じるまでの24年間に全部で27曲のピアノ協奏曲を作曲しました。その最後の作品が、この第27番です。それはモーツァルトが神に召される11か月前のことです。
前作の第26番「戴冠式」からは、3年間の空白が有りましたが、第25番、26番が、大きな規模の管弦楽編成の華やかな曲だったのとはガラリと変わって、極限まで切り詰めたようなシンプルな編成の曲です。
この曲は、それまでの曲とは全く異なります。というのも「演奏会で聴衆に聴かせよう」という目的を持って書かれたようには聞こえないからです。例えてみれば、あたかも遠い天のかなたから聞こえてきた調べのような神秘性を漂わせています。「彼岸の音楽」とでも言いましょうか。モーツァルトが、たとえ本当に神様に使わされた音楽家だったとしても、そんな風に感じられる曲は決して多くありません。協奏曲であれば、やはり晩年の作品であるクラリネット協奏曲K622がそれです。亡くなる11か月前に書かれたことと、まるで彼岸のような雰囲気から、この時モーツァルトはすでに自分の死期を悟っていたかのようによく言われます。但し、僕は必ずしもそうとは思いません。というのもこの曲は、演奏によって印象が案外と変わるからです。枯れた詠嘆の雰囲気に聞こえることもあれば、瑞々しい命の息吹を感じる音楽に聞こえることもあるからです。けれども、当時はウイーンでの人気がすっかり落ちてしまい収入に困窮し、体調までも思わしくなかったモーツァルトが、まるで秋の青い空のようにどこまでも澄み切った音楽を書いたことは驚きです。
第1楽章アレグロは、天から聞こえてくるような弦のさざなみで始まります。それに乗って美しい第一主題が流れたかと思った瞬間、音は天空に舞い上がり、そして急降下します。昔、僕が学生の時に初めて耳にして、雷が脳天に直撃したような衝撃を受けた部分です。この瞬間に、僕はモーツァルトの音楽に目覚めたのでした。
第2楽章ラルゲットも天国のように美しい曲です。けれども孤独な寂しさを感じます。せっかく天国に来たというのに、まるでモーツァルトの魂が一人ぼっちで居るかのようです。ピアノもオーケストラも、余りの美しさに言葉を失います。
第3楽章アレグロは、ロンド形式です。この主題は次の作品である歌曲K596「春への憧れ」にそのまま転用されていますが、元々は民謡だそうです。それまでの明るく愉しいロンドとは異なって、どこか寂しさを感じさせます。モーツァルトにとって明るく楽しい春は、遠く手に届かない「憧れ」だったのでしょうか。
それでは、僕の愛聴盤のご紹介です。
ウイルヘルム・バックハウス独奏、ベーム指揮ウイーン・フィル(1955年録音/DECCA盤) 僕がかつてモーツァルトに開眼した演奏です。美しい音で純粋無垢な、本当に神々しいような演奏です。1950年代のステレオ録音なので、さすがに音の鮮度は落ちていますが、当時のDECCAは優秀なので全く不満は感じません。それどころか、現在では失われてしまった当時のウイーン・フィルの柔らかく、美しい音を聴くことが出来ます。編成の小さい弦楽が透明で室内楽的な音を醸し出しますが、ベームの指揮は見事としか言いようがありません。どこをとっても立派で深い意味が有ります。この曲の諦観の雰囲気も最も良く出ています。バックハウスのピアノについても全く同じことが言えます。ピアニスティックな要素がまるでないのに、何度聴いても飽きることが有りません。ピアノが楽器としてのピアノでは無く、まるで天から聞こえる音のようにも思えます。
ルドルフ・ゼルキン独奏、オーマンディ指揮フィラデルフィア管(1962年録音/CBS盤) ゼルキン壮年期の演奏です。1楽章のゼルキンのピアノは中々に美しいと思いますが、オーマンディのオケ演奏はさすがにベームほど立派ではありません。2楽章は遅いテンポで、心の奥底に沈んでいくような哀しさを感じさせます。3楽章では一転して、弾むような楽しさを感じさせます。全体的に中々に良い演奏だと思います。
ロベール・カザドシュ独奏、セル指揮コロムビア響(1962年録音/CBS盤) 1楽章のテンポは速めです。少々あっさりし過ぎかなとも思いますが、過剰な表情が無いのでこの曲の持つ純粋無垢な雰囲気がとても良く出ています。カザドシュの宝石のように粒立ちの良い音が余計にそう感じさせます。2楽章は案外ゆったりとしています。ここではセルのオケ演奏が非常に美しいです。3楽章は再び速めで清々しい演奏です。
エリック・ハイドシェック独奏、ヴァンデルノート指揮パリ音楽院管(1962年録音/EMI盤) この曲は天衣無縫のハイドシェックのスタイルには一番向かなそうですが、全くの杞憂です。端々にルバートや自由な表情の変化を聞かせますが、それでいてこの曲の諦観な雰囲気も持ち合わせるという、大変な離れ業をやり遂げています。こんな魔法のような演奏が出来る人は、中々他には居ないと思います。若いころのこの人は本当に天才でした。ヴァンデルノートのオケ伴奏も美しく素晴らしいです。
クリフォード・カーゾン独奏、セル指揮ウイーン・フィル(1964年録音/DECCA盤) カーゾンのピアノも淡々として過剰なものが何も有りません。純粋無垢な演奏がかえって哀しさを感じさせます。セルの演奏も同様で、時にスタッカートが短か過ぎなのが気になりますが、ウイーン・フィルの美しい音を生かしています。2楽章では遅いテンポで諦観の雰囲気を強く醸し出していて心に染み入ります。3楽章も落ち着いていて哀しみを感じさせます。
ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、イギリス室内管弦楽団(1967年録音/EMI盤) EMIの全集盤に含まれています。バレンボイムにもこの曲は向いていないかと思いきや、そんなことも有りません。1楽章はある種の「華」が有り、諦観よりも生命の息吹を感じます。但し、2楽章は遅いテンポで哀感の表出を目指したのでしょうが、少々粘り過ぎて音楽がもたれます。3楽章も遅めですが、やはり明るさと「華」を感じます。
ゲザ・アンダ独奏/指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム室内管(1969年録音/グラモフォン盤) 全集盤からの演奏です。1楽章のテンポは速めです。アンダのピアノは硬質で研ぎ澄まされたタッチが美しいですが、オケの音が少々薄く洗練不足に感じます。第2楽章は中庸のテンポですが、第3楽章のテンポは速く軽快です。現世の春の喜びを歌っているかのようです。全体的に悪い演奏とも思いませんが、特に素晴らしいとも思えません。
クリフォード・カーゾン独奏、ブリテン指揮イギリス室内管(1970年録音/DECCA盤) セル盤からわずか6年後に再録音を行いました。カーゾンは旧盤も素晴らしいですが、新盤は更に演奏の純度を高めている印象です。ブリテンの指揮はセル以上に完璧で、さすがはコンポーザーと感心させられます。完成度の高さでも新盤が上を行くと思います。どちらか一つに絞るとすれば、僕は新盤のほうを選びます。
エミール・ギレリス独奏、ベーム指揮ウイーン・フィル(1973年録音/グラモフォン盤) ベームのオケ伴奏は本当に素晴らしく、冒頭のオケの序奏だけでも完結した芸術に聞こえます。バックハウス盤でのウイーン・フィルの50年代の柔らかい音も最高でしたが、立派さではこちらが更に上回ります。但し3楽章はリズムが重すぎて少々もたれます。ギレリスはベームに触発されて素晴らしいピアノを弾いています。神々しいほどのバックハウスと比べるのは少々酷に思いますが、これは大健闘です。
アンネローゼ・ シュミット独奏、マズア指揮ドレスデン・フィル(1974年録音/独edel盤) 全集盤からの演奏です。1楽章は速いテンポで春の息吹を感じさせるようです。シュミットのピアノも力強く立派です。その分、詠嘆とか哀しみは余り感じません。2楽章も速めで、軽く流れてゆきます。3楽章は落ち着きと躍動感のバランスが良いです。全体的に堅実な演奏ではありますが、個人的には何度も繰り返して聴きたいというほどではありません。
フリードリッヒ・グルダ独奏、アバド指揮ウイーン・フィル(1974年録音/グラモフォン盤) さすがにウイーン・フィルの音は美しいです。アバドの指揮もしなやかで良いのですが、さすがにベームのような立派さや威厳は有りません。グルダのピアノも美しいですが、カデンツァではかなりピアニスティックに弾くのが好みから離れます。それでも全体の音楽は自然なので、装飾音を一杯に交えた、かつてのスワロフスキー指揮盤ほどの抵抗感は有りません。
マレイ・ペライア独奏/イギリス室内管(1979年録音/SONY盤) ペライアは1楽章をかなり速いテンポで開始します。これには躍動感よりもせわしなさを感じてしまいます。メリハリも必要以上に強調されています。ピアノは音は綺麗なのですが、弾き方がオケと同様で、どうも落ち着きません。2楽章は逆に落ち着いたテンポで哀感を出しています。3楽章は中庸の良いテンポです。というわけで、1楽章以外は素晴らしい演奏です。
ルドルフ・ゼルキン独奏、アバド指揮ロンドン響(1983年録音/グラモフォン盤) BOX選集に含まれています。1楽章は意外に標準的なテンポです。ゼルキンのピアノは、初めは音の粒の凸凹が気になるのですが、いつの間にか慈愛と哀感に惹きつけられてしまいます。2楽章は遅いテンポで淡々と進みますが、深々とした趣に強く惹かれます。3楽章はかなり遅いテンポで、とてものんびりしていますが、一音一音に味わいが有って心に浸み入ってきます。これは巨匠の晩年でなければちょっと出せない味なのでしょう。
ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、ベルリン・フィル(1988年録音/TELDEC盤) EMI盤から20年後の新盤です。ピアノ独奏は基本的に変わりませんが、フィンガリングやフレージングに更に磨きをかけた印象を受けます。オーケストラは録音のせいもあるでしょうが、編成が大きくなったような厚い響きに聞こえます。2楽章は旧盤同様に遅くロマンティックですが、音の流れは新盤の方が良いです。3楽章もゆったりと落ち着いていて美しいです。
ジャン=マルク・ルイサダ独奏、メイエ指揮オルケストラ・ディ・パドヴァ・エ・デル・ヴェネート(2001年録音/RCA盤) ルイサダは、あの素晴らしいショパン演奏で知られていますが、モーツァルトの録音はまだ多く有りません。ここでは、美しい音でデリカシーに溢れたピアノを聞かせてくれます。テンポは全体にゆったりと落ち着いていますが、枯れた雰囲気はなくどこか華を感じさせます。といってもピアニスティックな感じは全くしません。メイエの指揮するオケも美しいです。
以上を全て聴き直してみましたが、やはりピアノとオーケストラのどちらも素晴らしい演奏が理想です。その点で完璧なのは、やはりバックハウス/ベーム盤です。この孤高の曲の稀有な名演奏だと思います。ギレリス/ベーム盤もオーケストラの素晴らしさでは充分に匹敵しますが、ピアノがバックハウスの域には達していません。むしろ両者とも優秀なのは、カーゾン/ブリテン盤ですので、これをセカンドチョイスとしたいです。他にはユニークな、ハイドシェックEMI盤、ゼルキン/アバド盤にもとても惹かれます。なお補足ですが、バックハウス/ベームには1960年のザルツブルクでのライブ録音盤が出ていますが、演奏も音質もDECCA盤には及びません。記録として聴いてみたいと思う方のみに止めておくべきです。
ということで、この半年間、モーツァルトのピアノ協奏曲を改めて聴き直しましたが、モーツァルトにとってこのジャンルは本当に中心となる音楽だと実感します。もちろん他にもオペラやシンフォニーなどの素晴らしいジャンルが有りますが、 作曲家としても、演奏家としても本領を最大限に発揮できたのは、ピアノ協奏曲を置いて他には無いと思います。繰り返しになりますが、1番から19番までの曲も是非じっくりとお聴きになられてみてください。こんなにも魅力的な宝の山を見過ごすのは、本当にもったいないですよ。
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