ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調Op.26 名盤
マックス・ブルッフはケルン生まれのドイツの作曲家で、ブラームスより5歳年下です。早くから才能を示して、ヴァイオリン協奏曲第1番は特に人気が有り頻繁に演奏されました。もっとも、この作品はブルッフが28歳の年に初演されて好評でしたが、それでも満足出来ずにヨーゼフ・ヨアヒムに助言を求めて二年後に改定版を発表しました。そのかいあってヨアヒムが独奏した演奏会は大成功に終わりました。
ブルッフの曲は魅力的な旋律を持つことが特徴で、作品をとても親しみやすいものにしています。「旋律は音楽の魂である」「旋律を歌うのに不向きなピアノにはさほど興味を持てない」という発言もしていたそうです。彼はロマン派の中でも古典的な志向が強かったので、メンデルスゾーンやシューマン、ブラームスには非常に敬意を払い、反対にリストやワーグナーには敵対心を持ちました。
ひところはかなりの人気を博していましたが、ブラームスが交響曲第一番でセンセーショナルな成功を収めてからは、その陰に隠れてしまい、後年はごく少数の作品を除いてすっかり忘れ去られました。いつまでもヴァイオリン協奏曲第一番が最も知られていることにも不満を感じていたようです。
さて、そのヴァイオリン協奏曲第一番は現在でもよく取り上げられますし、人によっては古今のヴァイオリン協奏曲の五指に数えるかもしれません。僕も大好きですが、ブラームス、ベートーヴェン、シベリウス、チャイコフスキー、メンデルスゾーン・・・と自分の五指からは残念ながら漏れてしまいそうです。しかしブルッフの特徴である美しい旋律を凄く楽しめますし、その一方で胸が高まるような高揚感も持っています。第二楽章は単に美しいだけでなく、自然や神への祈りが深く感じられて感動的ですし、第三楽章はブラームスのヴァイオリン協奏曲の終楽章にも匹敵する躍動感が最高です。確かに時代の波にも消し去られなかっただけある名曲です。
なお、ブルッフには現在ではほとんど演奏されないヴァイオリン協奏曲第二番と第三番がありますが、幻想曲風な第二番、管弦楽がシンフォニックな第三番とも一聴に値するものの、第一番を超えたとはお世辞にも言えません。むしろヴァイオリン協奏曲スタイルの「スコットランド幻想曲」の方がずっと美しい名曲です。
それではCD愛聴盤をご紹介します。
クリスティアン・フェラス独奏、ワルター・ジェスキント指揮フィルハーモニア管(1958年録音/EMI盤) フェラスが意外に表現意欲旺盛に、かつロマンティックに弾いているのに驚きます。気迫もかなり感じられます。ところがEMIの録音がステレオながら古く感じられてがっかりです。フォルテ部分もリミッターをかけたかのように盛り上がらず、拍子抜けをしてしまいます。
ヤッシャ・ハイフェッツ独奏、サー・マルコム・サージェント指揮新ロンドン響(1962年録音/RCA盤) ハイフェッツとしては最後期の録音で、かつての魔人的な凄みこそ失われたものの、テクニックと音色の冴えはまだまだ衰えません。それどころかどんなに速い部分でも音符の一つ一つに意味が有ります。第二楽章も颯爽としている割に味が有ります。しかし白眉はやはり第3楽章で、疾風のごとく駆け抜ける演奏の切れ味は凡百の演奏家の追随を許しません。この曲の演奏として必ずしも一番好きということでも無いのですが、絶対に外せない名演というところです。
ティボール・ヴァルガ独奏、J.M.オーベルソン指揮ティボール・ヴァルガ音楽祭管(1965年録音/Claves盤) 1921年にハンガリーで生まれたヴァルガは教育に力を注いだこともあり知名度は高くないですが、高い技術と情感深く豊かな歌い回しは 当時の並み居る大家と比べても全く遜色の無い名ヴァイオリニストです。この演奏でもロマンティックな雰囲気を充分に醸し出していますし、2楽章の深い祈りも素晴らしいです。自身の冠音楽祭のオーケストラも中々に素晴らしいです。録音も明瞭で、残された録音が僅かですので大変貴重な演奏記録だと言えます。
ユーディ・メニューイン独奏、サー・エードリアン・ボールト指揮ロンドン響(1971年録音/EMI盤) メニューインはこの曲を最低3回は録音していて最後の録音となります。第1楽章など良く歌わせますが、技術の衰えが酷く耳を覆います。ところが第2楽章に入ると味わいが深まって思わず聴き惚れます。続く第3楽章も技術の衰え何のそのと堂々と弾かれるのですっかりこの人のペースにハマってしまいます。ボールトの指揮もメニューインを引き立てていて素晴らしいです。
チョン・キョンファ独奏、ルドルフ・ケンペ指揮ロイヤル・フィル(1972年録音/DECCA盤) 若きキョンファのシベリウスと並ぶ名ディスクは長く自分のリファレンスとして君臨しています。余計な甘さ、脂肪分が無く引締まった音の美しさ、切れの良い技巧とリズムが最高です。第二楽章のしみじみとした味わいと祈りの気分も素晴らしいです。ロイヤル・フィルは往々にして音の薄さを感じさせますが、この演奏では全くそんなことが無く、非常に立派で厚みが有る音を聴かせています。これはケンペの実力でしょう。
アルテュール・グリュミオー独奏、ハインツ・ワルベルク指揮ニュー・フィルハーモニア管(1973年録音/フィリップス盤) グリュミオーは美音でロマンティックに歌わせますが、決して粘着質にベタベタとなったりはしません。あくまでさらりと爽やかな印象を与えるのが、この曲には向いています。この人はライブ録音では意外と音程などに怪しい部分が見受けられますが、このセッション録音では完璧です。ワルベルクの指揮も素晴らしく充実して聴きごたえがあります。
レオニード・コーガン独奏、ロリン・マゼール指揮ベルリン放送響(1974年録音/DENON盤) 1960年頃までのコーガンは凄まじいまでの切れ味が凄かったですが、70年代ともなると凄みがだいぶ失われました。しかしこの人はロマンティックに走るわけではなくヴィルトゥオーゾのスタイルを変えなかった為に、その魅力も失われて来たのはやむを得ません。この録音でも第二楽章の祈りが弱く感じられるなどのマイナスが有りながら、それを終楽章で挽回できないというのが残念です。
サルヴァトーレ・アッカルド独奏、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管(1977年録音/フィリップス盤) パガニーニの印象の強いアッカルドですが、案外とドイツ物を録音しています。速いパッセージではいかにもヴィルトゥオーゾ的に技巧をひけらかしますが、緩徐部分ではロマンティックに歌い上げます。独奏の音色は明るく、ほの暗い情緒感はさほど望めないところをオーケストラのいぶし銀の音がしっとりとバランス良くカヴァーしています。また、このディスクの大きなメリットは第2番、第3番、スコットランド幻想曲が全て収められていることです。
アンネ=ゾフィー・ムター独奏、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1979年録音/グラモフォン盤) ムターのデビュー時の録音です。僅か16歳でこれほど高度な演奏をするのには驚嘆します。ただし常に大きなヴィヴラートを利かせたグラマラスな弾き方がこの曲として相応しいかどうかは聴き手の好み次第です。カラヤンとベルリン・フィルのグラマラスな演奏も同様です。どんなにシンフォニックで立派でもこういうヘビー級で爽やかさに欠けるこの曲の演奏というのは自分の好みからは全く外れてしまいます。
ヴィクトル・トレチャコフ独奏、アレクサンドル・ラザレフ指揮USSR国立響(1981年録音/RUSSIA REVELATION盤) トレチャコフは日本では余り知られていませんが、大好きなロシアのヴァイオリニストです。オイストラフやコーガンとはまた違う魅力が有ります。テクニックは優れますが大雑把なところが有り、そこが神経質にならない良さを感じます。独特の節回しで情緒一杯に歌わせるのも魅力で、普通はドイツ音楽をこんな風に弾かれると嫌なのですが、この人には不思議と抵抗が有りません。管弦楽も力強いです。ライブ録音ですが音質は良好です。
チョン・キョンファ独奏、クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1990年録音/EMI盤) キョンファ円熟期の再録音です。技巧的にさほど衰えは感じられませんが、若いころの鋭い切れ味は減少しました。その分ロマンティックさが増しました。テンシュテットの指揮も同様でスケールも大きいですが、終楽章ではややもたつきにも感じられます。EMIの録音の影響もあり、ロンドン・フィルの音がモノトーンっぽいのは残念です。個人的にはキョンファであればケンペとの旧録音がずっと好きです。
ピンカス・ズッカーマン独奏、メータ指揮ロンドン・フィル(1992年録音/RCA盤) ズッカーマンはこの曲をCBS時代に録音しているので、二度目の録音です。この時は既に44歳となり円熟を感じます。全体はゆったりしたテンポで堂々としてスケールの大きさが有ります。2楽章ではじっくりとした音楽の深みと祈りを湛えていて素晴らしいです。メータのバックは手堅い上に、ロンドン・フィルから美しい音を引き出しています。カップリングされたブラームスの演奏よりも、むしろ優れていると思います。
マキシム・ヴェンゲーロフ独奏、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管(1993年録音/TELDEC盤) 若きヴェンゲーロフの録音ですが、当時の実力のほどが充分に伺えます。美しい音と高いテクニックで余裕をもって弾き切っています。ロマンティシズムも兼ね備えていますが、くどくならない程度に上手く歌っています。半面、終楽章での切れの良さも素晴らしいです。マズアとゲヴァントハウスはここでも厚みのある音で独奏を堂々と支えていて、アッカルド盤での演奏に負けません。
諏訪内晶子独奏、サー・ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セントマーティン・イン・ザ・フィールズ(1996年録音/フィリップスン) 諏訪内さんのデビューCDでしたが、高い技術で危なげなく弾き切っています。やや細身に感じられる音色も奇麗です。端正な歌いまわしは清潔感に溢れます。但しここまで真面目に弾かれると人によっては面白みに欠ける印象を受けるかもしれません。しかしそのクールさがこの人の魅力です。オケは元々室内合奏規模ですが、ここではメンバーを増強しているようで、響きもそこそこ厚く鳴っていて、問題ありません。
五嶋みどり独奏、マリス・ヤンソンス指揮ベルリン・フィル(2003年録音/SONY盤) これはライブでの録音です。五嶋みどりは流石というか、ライブとは思えないぐらい高次元の完成度です。ただ逆にスリリングさを生み出すほどに追い込んでいる印象は受けません。これは贅沢な不満です。ベルリン・フィルの音は立派この上ないですが、この曲には厚く重すぎて余り向いていないように思います。それにヤンソンスの指揮と独奏に所々隙間を感じるのは自分だけでしょうか?とは言え一般的には高い評価を受けるであろう演奏です。
ということで、マイ・フェイヴァリット盤を上げるとすれば、迷うことなくチョン・キョンファ/ケンペ盤に決まりです。他にはハイフェッツ盤とティボール・ヴァルガ盤 は折に触れて聴きたいと思います。
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