作家の村上春樹さんはクラシック、ジャズ、ポップスなど、音楽のジャンルを問わず驚くほどの物知りですが、それも「単に聴いて知っている」というだけではなく、いかにも作家ならではの深い洞察力と感性を感じてしまい感心します。氏の比較的最近の著書「小澤征爾さんと音楽について話をする」という対談形式の本の中では、小澤さんを相手にクラシック音楽の様々な鑑賞知識を出してきて、小澤さんを驚かせています。もっとも、有名指揮者というのは、恐らく同業者の出したレコード(CD)を熱心に聴き漁るようなことはしないでしょうから、小澤さんが驚くのは決して不思議なことでは無いのでしょう。村上さんがひっぱり出したレコードの大半は、古くからのクラシック・マニアにとっては大半がお馴染みのものだと思います。でも、この音楽対談が成り立っているのは、確かに村上さんの知識ですので、そういう点でもとても楽しめました。
この本で面白いと感じたのは、音楽のプロの小澤さんがアマチュアの村上さんに対して音楽の事、指揮の事などを非常に解り易く説明していることです。それによって、小澤さん自身の音楽への考えが方が明確に浮き上がってくることです。小澤さんはつくづくプロフェッショナルな音楽家だなぁと思う反面、いわゆる昔の「巨匠」的なタイプで無いことが改めて感じられます。普段、小澤さんの演奏を聴いていて感じていることが、そのまま言葉になっていました。
ところで、この本を読んだ後で無性に読みたくなった本が有りました。それは僕が高校生の頃に読んだ「ボクの音楽武者修行」という本です。これは、小澤さんが若くしてブザンソン指揮者コンクールで優勝して、名門ニューヨーク・フィルの副指揮者としてバーンスタインとともに日本に凱旋帰国した後の1962年に出版された、小澤さん自らのエッセイです。桐朋音大を出たばかりで全くの無名の若者が、クラシック音楽の本場のヨーロッパで勉強をしようと思い立ちますが、先立つ資金が無い。しかたなくスポンサーを求めて企業を回りますが、援助を申し出てくれた会社は唯一、富士重工業の一社だけ。それもスバルのスクーターを提供するための条件として、下記の3つが上げられました。
1.日本国籍を明示すること
2.音楽家であることを示すこと
3.事故を起こさないこと
この条件をかなえるために、小澤さんは白いヘルメットにギターをかついで、日の丸を付けたスクーターにまたがるという何とも滑稽な出で立ちでヨーロッパを走り回ったのだそうです。
ヨーロッパへの渡航方法も、現在のように飛行機ではなく船です。しかも客船に乗るお金が無いので、なんと大型貨物船にスクーターと共に乗せてもらいます。乗客は小澤さんたった一人だけだったそうです。途中アジアや中東の国々に何度も停泊して荷物を積み下ろししながらの航海なので、ヨーロッパに着くまでには一か月半の長旅でした。
そんな船旅の道中の様子、ヨーロッパについてから後の様々な出来事、コンクールへ出場するときの逸話、優勝後にシャルル・ミンシュやバーンスタインに指揮を習い、ついにニューヨーク・フィルの副指揮者に就任して日本へ凱旋帰国するまでの話が、面白おかしくつづられています。ここには現在の大指揮者小澤さんの姿からは、とてもとても想像がつかないようなエピソードでいっぱいです。この本は、どんな青春冒険小説にも負けない楽しさに溢れています。高校生の時には図書館で借りて読んだので、新しく単行本を買おうかと思ったら、現在は新潮社から文庫本で出ているだけでした。もちろん文庫本でも面白さは変わりませんが。
高校生の頃、当然小澤さんの大ファンに成り、レコードを購入しては愛聴していましたが、そのうちに「巨匠」的では無い氏の演奏が自分の好みとは段々と異なってしまって、聴くことが少なくなってしまいました。今回、本当に久しぶりに「ボクの音楽武者修行」を読み返してみて、小澤さんの演奏を改めて聴いてみたくなりました。
最近のコメント