フィンランドの生んだ大作曲家ヤン・シベリウスは、交響曲第5番の楽譜に自ら「自然の神秘と生の憂愁」と書き記しました。けれどもそれは、シベリウスのほとんどの作品について当てはまります。特に後期の作品になると、心象風景やあるいはもっと大きな「宇宙の摂理」といったものさえを感じさせるのです。そういう意味では、曲想こそ異なるとは言えアントン・ブルックナーの音楽と共通している面が有ると思います。両者の音楽は同じように外面的な演奏を著しく嫌います。もしも演奏に演出効果を狙ったりすると音楽の持つ意味が全く感じられなくなってしまうのです。ひたすら真摯に音楽に帰依する演奏家のみが彼らの曲を演奏する資格を得られます。言うなれば「音楽を真に演奏できるのは、音楽に選ばれたる者のみ」ということなのです。
シベリウスの完成された交響曲は全部で7曲です。音楽に選ばれた指揮者が演奏をする場合には例外なく全てが名演になります。逆にそうでない指揮者が演奏をすると、およそ全く魅力を感じさせません。その意味では、シベリウスの曲のCDを選ぶときにはなるべく単独で選ばずに全集単位で購入するのがベストだと思います。また、そのほうが其々の曲を理解し易くなる利点が有るとも思います。
僕がこれまで聴いてきたシベリウスの交響曲全集の中で、愛聴盤をご紹介します。
オッコ・カム&渡邉暁雄指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー(1982年録音/TDK盤) これは全集盤として制作されたものでは無く、1982年に日本の各地でヘルシンキ・フィルのコンサートツアーが行われた時にライブ収録されたものです。1、4、7番を渡邉が指揮して、2、3、5、6番をカムが指揮しているのですが、二人のロマンティックな指揮ぶりがとても似通っているので、全集として聞いても何ら違和感が有りません。母国フィンランドの名門楽団のシベリウスはそれまで耳にしていた西洋のメジャーオーケストラの演奏とは全く異なり、「本物」を教えてくれました。残念ながら全集としては売られていませんが、単売のCD全てを絶対に揃えるべきです。それほど素晴らしい記念碑的な演奏記録です。
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー(1982~87年録音/EMI盤) 多くのシベリウス・ファンに絶賛された素晴らしい演奏です。シベリウス演奏を知り尽くし、その特有の響きを極め尽くしたヘルシンキ・フィルが名匠ベルグルンドの下で繰り広げる演奏は正にリファレンスと言っても差し支えありません。合計3回もの全集録音を残したベルグルンドですが、これは2回目のものです。3回目のヨーロッパ室内管とのものも高い評価を受けていますが、オーケストラが持つシベリウスの響きへの適合性の点で、やはりヘルシンキ・フィル盤が最も優れていると思います。どの曲をとってもベストを争う素晴らしさです。
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヨーロッパ室内管(1995~97年録音/FINLANDIA盤) ベルグルンドの3回目の全集で、世評も高いのですが、上述したようにヘルシンキ・フィル盤と比べるとオーケストラの音の点で後塵を拝します。とは言っても非常に優れた全集盤で有ることには変わらず、シベリウスやベルグルンドのファンには是非両方とも揃えられて欲しいです。このオーケストラの編成は幾らか小さめなので、初期の1,2番では響きが薄く感じられてしまい、むしろ3、4、6、7番といった中期以降の曲の方が素晴らしいです。
ユッカ=ペッカ・サラステ指揮フィンランド放送響(1993年録音/FINLANDIA盤) サラステは1980年代にRCAに同楽団とセッション録音を行っていましたが、これはロシアのサンクトペテルブルクで全曲演奏会を行ったときのライブ録音です。演奏の完成度が非常に高いので、恐らくはリハーサル時の録音との編集だと推測します。オーケストラも優秀ですがサラステの造る透徹したシベリウスの音楽はとても魅力的です。サラステは2008年8月にヴァンスカの後任としてラハティ響の音楽監督に就任しましたので、3度目の全集録音に大いに期待したいところです。
オスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団(1995~97年録音/BIS盤) ヴァンスカはラハティ響をヘルシンキ・フィルと並ぶ優秀なオーケストラに育て上げてました。かつて東京のトリフォニーホールで全曲演奏会を行ったのですが、僕は残念ながら聴き逃しています。それが本当に悔やまれるほど、これは素晴らしい演奏です。この全集はシベリウス・ファンには既に良く知られた名盤ですが、第5番は初稿と通常版との両方の録音が収録されているのが非常に貴重です。
ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団(2001~05年録音/グラモフォン盤) ヤルヴィの2回目の全集で、BISの旧盤も良かったですが、総じてテンポが速く落ち着きの無さが目立ち、曲による出来不出来が有りました。それに対して新盤は全曲素晴らしく、特に1、2、6、7番は曲のベストを争うかもしれません。全体はテンポが落ち着き、ロマンティシズムを強く感じさせて魅力的です。響きはBIS盤では透明感が有り過ぎて実際の音と異なる印象でしたが、新盤は実演で接した音に近いです。シベリウスの管弦楽曲CD3枚分が加えられているのも魅力です。(更に詳しくは関連記事を参照下さい)
レイフ・セーゲルスタム指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー(2002~04年録音/ONDINE盤) 同じヘルシンキ・フィルを指揮してもベルグルンドよりずっとスケールの大きさが有ります。適度の荒々しさと美しさの両立が実に魅力的でとても好きな全集です。セーゲルスタムには、以前デンマーク国立放送響を指揮した全集が有るのですが、そちらは少々荒々しさが過ぎている気がします。このセットには、ヴァイオリン協奏曲をフィンランド生まれの名手ペッカ・クーシストが弾く最高の演奏が含まれているのも大変嬉しいです。
サー・コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団(2002-08年録音/LSO Live盤) コリン・ディヴィスはシベリウスを好むようで、これ以前にもボストン響、ロンドン響と全集録音を行っていて、これが3回目の録音と成ります。各曲は個々にライブ収録されたので足かけ7年に渡りますが、統一感は完全に取れています。しかし、管弦楽の響きが暗いのは良いとしても、柔らかくくすんでいるのはシベリウスには必ずしも適しません。特有の透徹感や厳しさに欠けています。英国のオーケストラはシベリウスを得意にするという世評には疑問です。その要因は英国の伝統的なピッチの低さにあるでしょう。この全集には「クレルヴォ」も収録されているのは嬉しいです。
オッコ・カム指揮ラハティ交響楽団(2012~14年録音/BIS盤) 過去の名盤を凌駕する素晴らしい全集で、カムの新盤が出ずに欲求不満に陥っていたのを一気に晴らしてくれました。幾らか規模の小さい編成の様で、大編成の音に慣れている1、2、5番は音の薄さが感じられなくもありません。もっとも作曲当時の編成の再現に通じますし、ともすると管楽器が咆哮する1、2番でも抑制を効かせた、弦楽器主体にしたソノリティが素晴らしいです。さりとて高揚感が不足するわけでは有りません。5番も立派に金管を鳴らしますが過剰では有りません。それが3、4、6、7番のような室内楽的な曲となると、本来の『寡黙な』シベリウスの音楽に見事に適合します。元々カムはロマンティシズムを強く感じさせますが、シベリウスの音楽の本質は他の誰にも劣らないほど掴んでいます。(更に詳しくは関連記事を参照下さい)
クラウス・マケラ指揮オスロ・フィル(2021年録音/DECCA盤) フィンランドの若手マケラがデッカと契約を結び、最初の録音となった全集です。1番などはオスロ・フィルの穏健な響きが美しい反面、荒々しさが不足して物足りません。2番以降も総じて厳しさは足りませんが、良く歌いロマンティックで、爽やかで広々とした大気を想わせます。 とかく晦渋と言われる4番は聴き易く、この曲が難しいと思われる方には一番にお勧めしたいです。5番以降も深遠さこそ薄めながら、これだけ美しければいいじゃないかという気になります。全体の爽やかさはマケラの資質とオスロ・フィルの特徴が見事に合致したものです。非常に新鮮でマケラの若き才能を嫌と言うほど感じさせられる全集で、録音も優秀です。(更に詳しくは関連記事を参照下さい)
渡邉暁雄指揮日本フィルハーモニー(1981年録音/日本コロムビア盤) これは番外として上げておきたいと思います。なにしろ渡邉暁雄は母方がフィンランド人ですので、シベリウスと同じ血をひいています。当然シベリウスの音楽にはこだわりが有り、全集も2度録音しています。これは2度目の方で、日本人指揮者の優れた演奏としては朝比奈隆のブルックナーと並ぶものと考えます。残念なのは朝比奈と同様にオーケストラの実力が海外の一流オケと比べるとどうしても聞き劣りすることです。
上記の他で過去に入手した全集として、バルビローリ指揮ハレ管(EMI盤)は昔は随分と愛聴しました。しかし後から次々と現われたフィンランド演奏家勢のものを聴いてしまうと、オーケストラの音や録音も含めて魅力はすっかり失われてしまいました。やや新しいところではラトル指揮バーミンガム市響(EMI盤)が曲によっては(1、4,6番辺り)良いのですが、不満足の曲も多く全集としては魅力に欠けます。その同じバーミンガム市響をフィンランド出身のサカリ・オラモが指揮したものも有り(ワーナー盤)期待したのですが管楽器の音が煩くて気に入りませんでした。
それ以外にも、シクステン・エールリンク指揮ストックホルム・フィル(FINLANDIA盤)、アンソニー・コリンズ指揮ロンドン響(DECCA盤)といった古いところも有りますが、いずれも愛聴盤には成り得ませんでした。
その他にも、ロシア、イギリスなどの指揮者、楽団がかなりの数の録音を行っていますが、結果的に母国フィンランド人がフィンランドの楽団を指揮した演奏を中心に選んでしまいました。これは音楽への共感と響きの純度の点で、他国の演奏家では簡単に越えられない大きな壁だからです。単に演奏技術が高いだけではどうにもなりません。英国や北欧の演奏家だから良いというのは僕に言わせれば大きな(小さな?)間違いです。
僕はシベリウスを聴く時には大抵その時に気が向いたものを全集単位で選んで聴いています。ですので各曲を単独で比較することは余り無いのですが、今回は丁度良い機会でもあるので、改めて第1番から順番に全集以外のCDも交えながら聴き比べてみようと思います。気長にお付き合い下されば大変嬉しい限りです。
<曲毎の紹介>
シべリウスの交響曲 第1番~第7番 名盤
<関連記事>
ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ響のシベリウス交響曲全集 新盤
オッコ・カム/ラハティ響 シベリウス交響曲全集 新盤
クラウス・マケラ/オスロ・フィル シベリウス交響曲全集 新盤
最近のコメント