
初演が行われたミラノのサン・マルコ寺院
ヴェルディは、彼が敬愛したイタリアの詩人であり作家であるアレッサンドリ・マンゾーニの一周忌のために「レクイエム」を作曲しました。数多く作曲されたオペラと並んで有名な、ヴェルディの「レクイエム」です。
マンゾーニの一周忌は1874年にミラノのサン・マルコ寺院で行なわれましたが、その時に指揮をしたのはヴェルディ自身で、オーケストラはミラノ・スカラ座のメンバーを中心とする100名、コーラスが120名、4人のソリストは当時の一流を揃えたそうです。その三日後には会場をスカラ座に移して数回のコンサートが開かれました。
何しろ、この「レクイエム」は、円熟期の大傑作オペラ「アイーダ」の更に3年後の作品でもあり、それまで前例の無いほどにドラマティックだったことから、「余りにイタリア・オペラ的」「ドラマ的に過ぎる」「教会に相応しく無い」という多くの批判にさらされました。熱烈なワグネリアンであるハンス・フォン・ビューローも、この曲を「聖職者の衣服をまとった、ヴェルディの最新のオペラ」だと皮肉りました。
もっともブラームスは、こうしたビューローの評を聞いて、「奴は馬鹿な事を言ったものだ。これは天才の作品だ。」と言ったと伝えられています。
こうして酷評と賛美の両方が飛び交った「レクイエム」ですが、直に海外でも次々と演奏されるようになり、あのビューローも後になって「どんな下手な楽団員の手で演奏されても、涙が出るほど感動させられる」と評価を改めたそうです。
ヴェルディ自身は、「この曲をオペラと同じように歌ってはいけません。オペラで効果のある音声装飾はここでは私の趣味では無いのです。」と語っています。とは言っても、この曲への「教会音楽らしくない」という批評が的外れで無いことは紛れも無い事実ですし、どこからどう聴いても彼のオペラに聞こえてしまいます。けれども、例えばモーツァルトの書いた教会音楽も、やはり彼のオペラと同じように聞こえますので、作曲家の作法というのは中々変えられないもののようです。
ヴェルディがいかにもヴェルディらしく書いた、敬愛する詩人の為の鎮魂歌。それがこの「レクイエム」です。
曲の構成は下記の通りですが、全体で演奏時間が90分近くになる大曲です。
1.レクイエムとキリエ
レクイエム(安息を)
キリエ(憐れみ給え)
2.ディエス・イレ(怒りの日)
怒りの日
くすしきラッパの音
書き記されし書物は
あわれなるかな
みいつの大王
思い給え
我は嘆く
判決を受けた呪われし者
涙の日
3.オフェルトリウム(主イエズス)
4.サンクトゥス(聖なるかな)
5.アニュス・デイ(神の子羊)
6.ルックス・エテルナ(永遠の光りを)
7.リベラ・メ(我らを救い給え)
この曲の核心は言わずと知れた長大な「ディエス・イレ」ですが、「オフェルトリウム」の神秘的な美しさもまた大きな魅力で聴きものです。
ところで音楽評論家の宇野功芳先生は、たびたび「レクイエムならモーツァルトやフォーレよりもヴェルディのほうが感動的だ。」と書いています。もちろんヴェルレクは大変な名曲ですが、僕個人はモーツァルトやフォーレ、あるいはブラームスのほうが更に好きですし、感動的なように思えます。これは好みの問題ですね。
さて、僕の愛聴盤のご紹介です。曲の持つ性質、その歴史から言っても、やはりミラノスカラ座のオーケストラと合唱団で、あるいは少なくともイタリアの指揮者の演奏で聴きたくなります。
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC響(1951年録音/RCA盤) トスカニーニにはスカラ座で演奏した古い録音が有りましたが、それは正に阿修羅と化した壮絶な演奏で、あれほど凄い演奏はこれまで聴いたことが有りません。しかし音の悪さが鑑賞向きでは無く、通常鑑賞するにはこのパリッとした音質のRCA盤が最適です。もちろんモノラルですし最新録音には遠く及びませんが、演奏の素晴らしさに直ぐに慣れてしまいます。冒頭の「レクイエム」からフレージングが明瞭で、ムードよりも旋律線の強調が目立ちます。これがトスカニーニのイタリア・オペラの魅力です。「怒りの日」では決して速さに頼らず、ズシリとした聴きごたえが最高です。続く「くすしきラッパの音」での大見得を切るような音のタメと迫力にはゾクゾクします。トスカニーニの声が大きく入っているのも僕は興奮します。独唱陣のシェピやステファノを始めとする英雄的な歌唱は正に圧倒的ですし、トスカニーニの演奏と真に一体化した素晴らしさです。普通なら、録音の良し悪しが印象を左右する「ヴェルレク」なのですが、音の古さを物ともしないこの演奏はトスカニーニの起こした奇跡のうちの一つだと思います。
クラウディオ・アバド指揮ミラノ・スカラ座管(1980年録音/グラモフォン盤) アバドは、この曲を何度か録音していますが、やはりスカラ座での演奏は特別です。オーケストラと合唱の力強さと厚み、それにイタリア的な濃厚な味わいが最高だからです。録音もマスターはアナログですが非常に優れていて、分離の良さが際立ちます。強音でも音割れは有りませんし、彫の深い演奏を充分に味わうことが出来ます。「怒りの日」などではトスカニーニやムーティほどの興奮は誘いませんが、むしろ繰り返しの鑑賞には向いています。リチャレッリ、ドミンゴ、ギャゥロフらの独唱陣も実に充実していて素晴らしいです。やはりアバドのヴェルディはこのころが最高だったと思うのですが。
クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル(1991年録音/グラモフォン盤) スカラ座盤から僅か10年後の2度目の録音ですが、アバドがどういう演奏を意図したのかが良く分かりません。スカラ座の明瞭で押し出しの強い合唱に比べて、「ウイーンらしい抒情性」と言えば聞こえが良いですが、合唱の発声の柔かさがマイナスに感じられます。独唱陣ではカレーラスが一人極めてドラマティックに歌うので浮いてしまい、バランスを崩しているようです。けれども「怒りの日」などでは、スカラ座盤以上の迫力が有りますし、部分的には良いと思うのですが、全体では何か統一性の欠けた居心地の悪さを感じてしまいます。録音は広がりが有り、ダイナミックレンジも大きいですが、分離の良さではスカラ座盤に軍配が上がります。トータル的には迷うことなくスカラ座盤のほうを取りたいと思います。
リッカルド・ムーティ指揮ミラノ・スカラ座管(1987年録音/EMI盤) スカラ座の録音ではアバド盤の7年後ですが、音質に僅かに混濁感が有り、最強音で幾らか音割れを感じるのでアバド盤には劣ります。しかし演奏にはアバド以上の熱さが有ります。「怒りの日」も快速テンポで突き進み、正に炎のようです。スカラ座の合唱の凄さにはさすがに本家の底力と貫禄を感じますし、独唱もハーモニーも揃っていて不満は有りません。パバロッティもショルティ/VPO盤の時の美しさは失われましたが、まだまだ素晴らしい歌声を聞かせてくれます。この曲をいったい何度演奏したかわからないオーケストの自家薬篭中の上手さと雄弁さには舌を巻きます。このイタリア・オペラ的な味わいには抗しがたい魅力を感じます。
リッカルド・ムーティ指揮シカゴ響(2009年録音/CSO盤) ほぼ最新盤と言って良いムーティの再録音はシカゴ響と演奏されました。合唱はシカゴ響のものですが、スカラ座合唱団のパワフルさは無いものの、透明感があり美しいです。オーケストラの音の美しさと相まって、オペラティックな旧盤よりも、ずっと宗教曲的な静けさを感じさせる部分が多々あります。それでも優秀で分離の良い最新録音なので、「怒りの日」などは非常に充実した聴きごたえを感じさせます。独唱陣は余り各人の個性を感じさせない、オケとコーラスと良く混じり合ったトータル・ハーモニーとして聴かせるコンセプトのように受け止められます。旧盤のイタリア・オペラ的な味わいも良いのですが、ずっとユニヴァーサル的で純音楽的な美演の新盤も非常に良いと思います。
これ以外で、過去に所有したディスクとしては、まずジュリーニ/フィルハーモニア管のLP盤が有りますが、強音での音割れが酷く聴く気になれませんでした。CD化されてからは聴いていません。古いところではサバタ/スカラ座盤が有りました。CDですが、トスカニーニ盤のように音がパリッとしないので余り強い印象を受けませんでした。宇野功芳先生推薦のショルティ/ウイーンPO盤は確かに美演ですし、ショルティの力みも普段ほどは感じさせないのですが、どうも音だけがクールに鳴り響いている感じがして余り感動はさせられませんでした。
ということで、個人的には未だにトスカニーニ盤に最も強く惹かれますが、もしも他人に一つだけ薦めるとすれば、演奏、録音トータルで優れたアバド/スカラ座盤を挙げておきたいと思います。
なお、ヴェルディ生誕200周年記念の特別公演としてムーティ/シカゴ響による「レクイエム」が、10月10日にシカゴのシンフォニー・センターで行なわれるそうですが、これがWEB配信されます。下記を参照ください。
ムーティ/シカゴ響 ヴェルディ「レクイエム」ライヴ
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