ショスタコーヴィチ(交響曲)

2022年7月 7日 (木)

ショスタコーヴィチ 交響曲第15番イ長調 Op.141 名盤 ~最後の交響曲~

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交響曲第15番初演の日のショスタコーヴィチ(19721月8日 ヴィクトル・アフロモフ撮影‎)
 

ポスト・マーラーの最大の交響曲作曲家として位置付けることに誰も異論は無いであろうショスタコーヴィチですが、その最後の交響曲となるのが第15番です。曲は1971年に完成しましたが、 ロシア革命を描いて標題作品的だった交響曲第11番と第12番、あるいは声楽入りの交響曲第13番と第14番などとは異なり、1953年の交響曲第10番以来となる伝統的な4楽章構成の交響曲でした。 

ショスタコーヴィチは1970年の後半にこの曲のスケッチを書き始め、‘71年の自分の65歳の誕生日を記念する陽気な作品を作曲するつもりでした。曲は7月に完成され、9月に初演が計画されましたが、ショスタコーヴィチが2度目の心臓発作を起こしたために延期されます。結局、初演は’721月8日にモスクワで行われ、マキシム・ショスタコーヴィチ指揮モスクワ放送交響楽団によって演奏されます。初めはコンドラシンが指揮をする計画でしたが、この人も深刻な心臓病に襲われて、指揮が出来なくなった為に自分の息子を起用しました。 

作品は、合奏よりもソロが目立つ室内楽的なオーケストレーションで、各楽章に様々な作曲家の作品から引用がされていて、十二音技法などの技巧も駆使された意欲作です。中でも、他の曲からの引用を多用したことは、多くの話題と憶測を集めましたが、ショスタコーヴィチ自身の作品解釈は次のようなものです。 

『第15交響曲には、決まった表題は無い。漠然としたイメージのみがあって、第1楽章は、深夜のおもちゃ屋で起こるようなものだと言ったことがある。だが私がそう言ったからといって、必ずしも正しいとも限らない。この曲に引用した音楽には「ウィリアム・テル」、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」から、また余り親しまれていないグリンカのロマンス「疑惑」がある。どうしてそんなことをしたのかと問われるが、それには、そうしなければならなかったのだとしか答えられない。私の作曲家生活は長く、昔から多くの作品を書いてきたが、今になり、何故こうした、ああしたということを説明は出来ない。自分は、空想家でなく現実主義者だと思っているが、創作の問題には、多くの分からないことが有る。第15交響曲への引用も、それを正確に説明することは出来そうにない。
創作の過程とは何だろう。最初の音符を書いたときに、どんな音符で終わるか、はっきりと分かる場合も、雲をつかむように分からない場合も有る。第15交響曲ではそれが非常にはっきりしていて、明らかに見えるような気がしていた。この作品に私は昼も夜も熱中し、病院でも作曲をして、退院してまた書き、別荘で書きという具合に、ひと時も手放すことがなかった。最初の音符から最後の音符まですっかり分かっていて、それを書く時間が有りさえすれば済むといった作品の一つであった。』 

この作品は、ショスタコーヴィチが子供の頃に最初に好きになったという「ウィリアム・テル」の引用によって第1楽章が始まり、心臓発作で治療中の病院の点滴の音を表しているともいわれるシロフォンにより終楽章が結ばれます。このことからも、ショスタコーヴィチ自身の人生の回想であるのは確かです。この曲が果たして最高傑作であるかどうかは確信が持てませんが、自らの死期を悟ってしまい、それを受け入れた芸術家の作品というのは何と美しいものなのでしょう。

<曲構成 >

第1楽章 アレグレット イ長調
自由な形式で書かれていて、作曲者自身が「深夜のおもちゃ屋さんをイメージした」と述べた通り、ロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲が引用されます。この楽章は作曲者の幼年期から青春時代を表しているとする説も有ります。3連音、4連音、5連音が同時に奏でられる「リズムクラスター」も特徴的です。 

第2楽章 アダージオ-ラルゴ-アダージオ ヘ短調
三部形式で書かれていて、金管のコラール、チェロのモノローグと続き、ラルゴに入ると、葬送行進曲風になります。 

第3楽章 アレグレット ト短調
スケルツォですが、クラリネットによる主題は十二音列となっていて不気味です。トリオの主題はヴァイオリンソロより演奏されます。フィナーレでは打楽器が静かに刻んで終わります。 

第4楽章 アダージオ-アレグレット-アダージオ-アレグレット イ短調-イ長調
いよいよ終楽章では、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の「ワルキューレ」から“運命の動機”や「トリスタンとイゾルデ」の断片、グリンカの歌曲「疑惑」などが引用され、自身の作品からは交響曲「レニングラード」の“戦争の主題”を始め、幾つかの引用が続きます。また、ハイドンの交響曲「ロンドン」の冒頭も引用されています。 

それでは愛聴しているCDをご紹介します。 

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィル(1974年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンがこの曲の初演指揮をする予定だったにもかかわらず、心臓病に襲われたために断念せざるを得なかったのはさぞや心残りであったと思います。けれどもこうして2年後に録音出来たのは良かったです。その思いの丈をぶつけるような渾身の演奏です。モスクワ・フィルの鋭利な音と、ソロ・パートやアンサンブルの優秀さは聴き応えが有ります。第1楽章はアレグレットですが相当に速く、「ウィリアム・テル」が疾走します。コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれていて、録音がやや古くなりましたが充分鑑賞に耐えます。 

Shosta_540d2e59708ef エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1976年録音/BMG盤:メロディア原盤) これはレニングラード大ホールにおけるライブですが、第1楽章の速さはコンドラシンと互角で、疾走する愉悦感がたまりません。弦楽も管楽も鋭利で凄味の有る音なのですが、それらの一音一音に意味が感じられるので、どの箇所を聴いていても強く惹きつけられてしまいます。それはムラヴィンスキーと手兵のレニングラード・フィルだけが持つ凄さです。アダージオでのピアニシモからにじみ出る寂寥感は深さの極みで、あるいはフォルテシモの音が単に強烈なだけでなく、胸の奥深くまで響き渡り戦慄を覚えます。つくづく凄い指揮者であったと思います。 

Shosta15-61jee1rwqjl_ac_ ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響(1988年録音/グラモフォン盤) 父ヤルヴィはショスタコーヴィチも得意としますが、後期の曲を中心に録音していて、元々重い曲である13番や14番では速いテンポで切れの良い演奏でしたが、この15番では逆に鈍重さを感じるぐらいにオーケストラを煽らない演奏です。これはエーテボリ響の特質でもあるかもしれません。ですので、2楽章後半などは重厚に盛り上がります。楽器の音色には冷たさを感じず、むしろ明るい温かさを感じます。面白い演奏の一つだとは思いますが、特別な魅力が有るかと考えると、少々弱い感じです。 

Shosta-335_20220616125701 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン響(1989年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。どの曲の演奏についても共通して言えることですが、ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチは、鋭く研ぎ澄まされた切迫感よりは巨大なスケール感が強く感じられます。この曲においても、録音の影響が幾らか有るのかもしれませんが、まるで大編成の管弦楽のように聞こえます。演奏にも、ユーモアや洒脱さはさほど感じられず、ひたすら生真面目に聞こえるのはユニークです。その録音は中々に優れています。 

Shosta593ae52 クルト・ザンデルリンク指揮クリーヴランド管(1991年録音/ERATO盤) ザンデルリンクはソヴィエト時代にレニングラードで仕事をしていましたし、ショスタコーヴィチは東ドイツでも多く取り上げました。特にこの第15番は各地で何度も演奏しています。しかしザンデルリンクとクリーヴランド管との録音は他に余り無く珍しいです。ヤルヴィやロストロポーヴィチ以上に重量感のある演奏で、いかにもザンデルリンクらしいですが、そのぶん楽曲が一回りも二回りも大きく成り、貫禄が増したようです。アダージョの深遠さ、巨大さは比類なく、過去の大シンフォニーのごとしです。クリーヴランド管の響き、演奏は文句なしですが、録音は年代の割には明瞭さが幾らか足りないようにも感じられます。 

Shosta-6110ipi39il_20220616125701 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1998年録音/ブリリアント盤) バルシャイはムラヴィンスキー、コンドラシンと並ぶショスタコーヴィチ演奏の権威ですが、これはその交響曲全集に含まれる録音です。ドイツの優秀なオーケストラを完全に掌中に収め、ロシア風の冷たく重々しい響きと、切れ味鋭いリズムを兼ね備えていて素晴らしいです。現代音楽的な面白さと後期ロマン派的な奥深い音楽表現もバルシャイならではと言えます。盛り上がる部分の壮絶さも特筆されます。録音もずっと新しく、響きの美しさと凄味ある迫力を余すところなく捉えた名録音です。 

所有盤は以上で、古い録音が多いですが、やはりムラヴィンスキー盤はこの曲でもかけがえのない存在です。あとは演奏、録音共に素晴らしいバルシャイ盤も充分に本命を狙えます。

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2022年6月25日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 ト短調 Op.135 ~死者の歌~

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交響曲第14番には「死者の歌」という副題が付けられていますが、これはショスタコーヴィチ自身によるものでは無く、初レコード録音の際にその時の解説者が命名したものです。

作曲のきっかけは、ショスタコーヴィチが1962年にムソルグスキーの「死の歌と踊り」の管弦楽向け編曲を行ったときに遡りますが、その後にショスタコーヴィチは体調の悪化から死を意識するようになり、モスクワの病院に入院しているときに、僅か週間でこの曲のスケッチを完成させました。 

友人にあてた手紙にこの作品について触れています。 

『僕に、愛と死に関わる現象の間に永遠のテーマが存在する、という考えが浮かんだ。そして、詩の選択を始めたが、極めて無作為のものだ。だが、それらが音楽を通して一貫性を与えられているように感じられる。僕はあっという間にピアノ・スコアを書き上げた。それをオラトリオとは呼ぶことはできないだろう。オラトリオとするには合唱が必要だが、合唱は含まれない。ソプラノとバスの独唱者だけなのだ。もしかしたら、交響曲とも呼ぶべきではないのかもしれない。僕は自分の作品に何と名付けたらよいのか、初めて迷っている。』 

また、後からこのようにも述べています。

『この曲を書いている間、僕は常に何かが僕の身に起こるのではないかと恐れた。この右手が動かなくなるのではないか、急に盲目になるのではないかと。こうした不安は、僕に安らぎを与えることはなかった。』 

『死は始まりではなく、本当の終わりであり、その後には何もなく、何もない。私はあなたが目で真実を見なければならないと感じています。死とその力を否定することは役に立たない。否定しようがしまいが、どうせ死んでしまう。死そのものに抗議するのは愚かなことですが、暴力的な死に抗議することはできますし、そうしなければなりません。人々が病気や貧困で死ぬ前に死ぬのは悪いことだが、ある人が別の男に殺されたらもっと悪い。』

ショスタコーヴィチは、オーケストラ譜を書く段階で、指揮者ルドルフ・バルシャイに助言を求めています。
初演は、そのバルシャイ指揮モスクワ室内管弦楽団により19699月に行われますが、それに先立って行われたリハーサル演奏中に、同席していた共産党幹部アポストロフが心臓発作で倒れて病院に担ぎ込まれ、1ヵ月後に死亡するというアクシデントが起こりました。アポストロフは他ならぬジダーノフ批判でショスタコーヴィチを窮地に追い込んだ人物であったことから、人々はショスタコーヴィチの作品の祟りと噂しました。 

作品は11もの楽章から構成され、ソプラノとバスの独唱が付いている歌曲集形式であることから、一見、マーラーの歌曲集「子供の不思議な角笛」などを連想します。けれども、ショスタコーヴィチ自身は、これは「四つの楽章に結び付けた交響曲」であると言っています。

実際に四楽章に結び付けた場合、具体的な楽章分割がどのようになるかですが、これは色々と解釈が分かれるところです。例えば、①や②が上げられます。 

① 1楽章(序奏とみなす)/2-4楽章/5-7楽章/8-9楽章/10-11楽章
② 1-3楽章/4-6楽章/7-9楽章/10-11楽章

 いかがですか?学者はともかく、我々一般人(のロバの耳?)には、正直余り実感が湧きません。 

<楽章概要>
第1楽章「深いところから」 アダージョ(歌詞ロルカ)
バス独唱、弦楽合奏 
主題の冒頭はディエス・イレを模したものとされる。この主題は第10楽章で回想される。 

第2楽章「マラゲーニャ」 アレグレット(歌詞ロルカ)
ソプラノ独唱、ヴァイオリン独奏、カスタネット、弦楽合奏 

第3楽章「ローレライ」 アレグロモルト-アダージョ(歌詞アポリネール)
二重唱、鞭、ベル、ヴィブラフォン、シロフォン、チェレスタ、弦楽合奏 

第4楽章「自殺者」 アダージョ(歌詞アポリネール)
ソプラノ独唱、チェロ独奏、弦楽合奏 

第5楽章「心して」 アレグレット(歌詞アポリネール)
ソプラノ独唱、トムトム、鞭、シロフォン、弦楽合奏
兵士とその姉妹の近親相姦がテーマ。冒頭のシロフォンは12音からなる。 

第6楽章「マダム、御覧なさい」 アダージョ(歌詞アポリネール)
二重唱、シロフォン、弦楽合奏 

第7楽章「ラ・サンテ監獄にて」 アダージョ(歌詞アポリネール)
バス独唱、弦楽合奏 

第8楽章「コンスタンチノープルのサルタンへのザポロージェ・コサックの返事」 アレグロ(歌詞アポリネール)
バス独唱、弦楽合奏 

第9楽章「おお、デルウィーク、デルウィーク」 アンダンテ(歌詞キュッヘルベケル)
バス独唱、弦楽合奏 

第10楽章「詩人の死」 ラルゴ(歌詞リルケ)
ソプラノ独唱、ヴィブラフォン、弦楽合奏 

第11楽章「結び」 モデラート(歌詞リルケ)
二重唱、カスタネット、トムトム、弦楽合奏
人生の結びである死の賛美をテーマとする。曲の最後ではヴァイオリンが10パートに分かれ、激しい不協和音を奏する。 

初版は歌詞が全てロシア語訳でしたが、改訂した際にオリジナルの詩の言語に再翻訳されていて、オリジナルの詩とは細部も異なります。 

音楽には無調、十二音技法、トーンクラスターなどの前衛技法が用いられ、楽器編成は小編成の弦楽合奏と様々な打楽器のみという極めて特殊なものとなっています。 

それでは愛聴するCDのご紹介です。 

Shosta-335_20220616125701 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮モスクワ・アカデミー響(モスクワ・フィル)、ヴィシネフスカヤ(ソプラノ独唱)、レシェーチン(バス独唱)(1973年録音/ワーナーミュージック盤:メロディア原盤) ロストロポーヴィチはロンドン響、ナショナル響と交響曲全集を録音しましたが、14番だけは、モスクワで残したこのライブ録音をそのまま使いました。他のどの曲についても、ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチは、激しい切迫感よりは巨大なスケール感が強く感じられますが、この曲では例外的に非常に鋭利な演奏となっています。初演からまだ間もない時代の演奏であるのと、その初演をしたモスクワ・フィルであるのが理由でしょうか。初演で歌った奥様のヴィシネフスカヤも流石の上手さで圧巻です。バス独唱のレシェーチンもまた初演時の歌手で、何の不満も有りません。録音はこの年代のライブ収録であることを考えると優秀です。

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル、ツォロバルニク(ソプラノ独唱)、ネステレンコ(バス独唱)(1974年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) ショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であるコンドラシンは流石に素晴らしいです。フル・オーケストラの時の激しい演奏とは異なり、意外なほどにじっくりと音楽の深みを醸し出している印象を受けます。それでもモスクワ・フィルの音にはやはり底力が有ります。独唱者もツォロバルニクは決してヒステリックにならない豊かな表現力が有りますし、ネステレンコはいかにもロシアという深い声質が魅力で、二人とも文句の付け様がありません。もちろん最しい録音のような音質は到底望めませんが、明瞭なので鑑賞には何の支障もありません。写真の全集盤に含まれます。

Shosta14-barshai ルドルフ・バルシャイ指揮モスクワ室内管、カスラシヴィリ(ソプラノ独唱)、ネステレンコ(バス独唱)(1975年録音/TOKYO FM盤) バルシャイには‘69年の初演時のライブという歴史的な録音が存在しますが、私は残念ながら未聴です。その代わりと言っては何ですが、彼らが来日して東京文化会館で行った日本初演時のライブがリリースされています。当時のTDKコンサートで放送された音源ですが、録音も優れていてオーケストラが小規模の編成であることが良く分かり、それをホールの前方席で聴くような生々しい臨場感が素晴らしく、奏者の奏者の息づかいまでが届いて来るようです。作曲者と創作過程で深く関わっていたバルシャイですので、この人以上にこの曲の演奏に信頼できる指揮者は存在しないと言えるでしょう。独唱の二人も万全の歌唱です。

Shosta14-61jee1rwqjl_ac_ ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響、カザルノフスカヤ(ソプラノ独唱)、レイフェルクス(バス独唱)(1992年録音/グラモフォン盤) 父ヤルヴィとエーテボリ響の生の音は東京文化会館で聴きましたが、BISやグラモフォンのCDで聴く音とはだいぶ違い、とても深く暗い音でした。それはともかく、得意とするショスタコーヴィチですが、この曲でも全体的にテンポが速く、余り重苦しさは感じません。ある種の軽みが感じられ、ロシアのマエストロ達のような緊張感や凄味は有りません。全体はロマンティックな趣で美しく、前衛的なイメージが薄いのがメリットです。独唱もソプラノが抜群に美しく、何か宗教曲のようにさえ聞こえるのが不思議です。この曲が難しくて解らないと思う方には、むしろお勧めかもしれません。

Shosta-6110ipi39il_20220616125701 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響、シモーニ(ソプラノ独唱)、ヴァネーエフ(バス独唱)(1999-2000年録音/ブリリアント盤) ショスタコーヴィチ演奏の権威の一人にして、この曲に関しては初演の前から作曲者と深く関わっていたバルシャイの最後の録音です。ケルンで制作した交響曲全集に含まれる演奏ですが、オーケストラからロシア的な冷たい鋼のような響きを引き出していて流石です。ソプラノは声質が部分的にヒステリックに聞こえるのと、バスも幾らか明るめに感じるのが僅かなマイナスですが、細部まで音楽を完全に手中に収めた安定感と貫禄が半端なく、この演奏を聴いて作品の全貌が初めて見えた気がするほどです。録音も極上で、不協和音さえもが、かつて聞いたことの無い美しさを感じさせます。 

所有するディスクはこれだけですが、どれも本当に素晴らしいです。それを承知の上で更に絞れば、バルシャイの二種類、モスクワ室内管との‘75年東京ライブ盤とケルン放送響との’99-00年盤に演奏、録音を合わせて強く惹かれます。

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2022年6月16日 (木)

ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 変ロ短調 「バビ・ヤール」Op.113 名盤

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ショタコーヴィチが1962年に作曲した交響曲第13番は「バビ・ヤール」という通称を持ちます。

バビ・ヤールとは、ウクライナ(当時はソ連に属していました)のキエフ地方にある峡谷の名前で、第二次大戦中にナチス・ドイツによりユダヤ人の大虐殺が行われた場所です。およそ10万人のユダヤ人がこの谷に連行されて殺害されたとされます。

しかしバビ・ヤールの悲劇はユダヤ人だけのものではなく、その他にロシア人、ウクライナ人、ジプシーなど、あらゆる国籍の人々がバビ・ヤールで殺害されました。その為に、ソヴィエトの指導者たちはユダヤ人虐殺だけを強調せずに、キエフ市民およびソヴィエト全体に対する犯罪として扱いました。ところが、戦後になると開発により、バビ・ヤールの周辺には公園や集合住宅が建設され、近隣のダム建設による廃土によって峡谷は埋められてしまいます。 

バビ・ヤールでのユダヤ人虐殺は多くの芸術作品の題材となり、ロシアの詩人エフゲニー・エフトゥシェンコが書いた『バビ・ヤール』を、ショスタコーヴィチが交響曲第13番に取り入れました。 

この交響曲は、エフトゥシェンコの詩によるバス独唱とバス合唱付きの5つの楽章から構成されます。第1楽章の標題の「バビ・ヤール」は、この虐殺事件とともに、帝政ロシア時代における極右民族主義によるユダヤ人への弾圧、ソ連時代におけるユダヤ人迫害を暗示し、それを告発する内容の歌詞になっています。ただし第2楽章以降はバビ・ヤールの悲劇とは関係がありません。ソ連における生活の不自由さや偽善性を批判するような歌詞が多く用いられています。 

ソヴィエトには人種・民族問題は存在しないというのが建前であったことから、初演の後にフルシチョフの指示で第1楽章に使われた詩がエフトゥシェンコ自身により改変させられます。ショスタコーヴィチに対しても、詩の改変に基づく音楽の改定が要求されますが、ショスタコーヴィチは音楽の書き換えはせずに、スコアの上に詩の改変のみを鉛筆書きで行いました。

 改変された具体的な部分とは、ユダヤ人として生きる苦しみを、ロシア人やウクライナ人もユダヤ人と共にこの地に眠る、という内容への変更、虐殺により犠牲となった老人や子供に思いを馳せる部分を、ファシズムの侵攻を阻んだロシアの偉業を讃える内容への変更、でした。 

初演は、19621218日、モスクワ音楽院大ホールでコンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団、合唱団、ヴィタリー・グロマッツキーのバス独唱により行われますが、歌詞の内容が反体制的であった為に、初演前から当局のいやがらせが続き、独唱者が次々と交代しました。多くの警官隊が包囲する物々しい雰囲気で何とか初演が行われましたが、演奏が終わると客席は拍手と歓声に包まれ、舞台にはショスタコーヴィッチとエフトシェンコが万雷の拍手に迎えられました。

曲の構成 

第1楽章「バビ・ヤール」  アダージオ 変ロ長調
作品全体の核心となる楽章で、その歌詞はバビ・ヤールでのナチのユダヤ人虐殺や、帝政ロシア時代からソ連や世界に蔓延る反ユダヤ主義を厳しく糾弾しています。合唱により「バビ・ヤールの上に、記念碑は無い。険しい崖が墓碑銘のようなものだ。恐ろしいことに自分がユダヤ民族そのものであるかのように感じる」と歌われ、続いてバス独唱により「いま、自分はユダヤ教徒であると感じる。古代のエジプトをゆっくりと歩き回り、そして十字架に張り付けられて悲惨な最期を遂げる。今でもこの身体には、釘の跡が残っている。」と歌われてゆきます。西側諸国では1970年のアメリカ初演から改変前の歌詞で演奏されていましたが、ソ連においては1985年になって、ようやく改変前の元の歌詞によって演奏されるようになりました。

第2楽章「ユーモア」  アレグレット ハ長調
スケルツォ楽章で、「この世のどんな権力者もユーモアを手なずけることはできなかった」という皮肉に満ちた歌詞が歌われます。民族舞踊的な活力が有りユニークです。

第3楽章「商店で」  アダージオ ホ短調
寒さに耐えながら食料を買う為に行列するロシアの女性たちに悪徳な商売をする商店に、詩人は怒りを覚えるものの、かくいう自分は、高価な食品を買って店を出てゆく生活をしている、と歌われ、延々と重苦しい音楽が続いてゆきます。

第4楽章「恐怖」  ラルゴ
スターリン時代の恐怖政治がロシアから去った現在となっても、偽善や虚偽がはびこる新しい恐怖が現れている、と歌われます。 

第5楽章「出世」  アレグレット 変ロ長調
ロンドの終曲。地動説を唱えて囚われたガリレオを例にとって、真理を声高く発言して信念を貫き、後の世に認められる生き方こそが真の出世であると歌われます。 

それでは愛聴しているCDをご紹介します。

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィル/合唱団、グロマッツキー(バス独唱) 1962年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) これは初演から二日後の1220日に再演された際のライブ録音です。ムラヴィンスキーが初演の指揮を断った為にコンドラシンが指揮することになりましたが、ムラヴィンスキーが断った理由は妻が不治の病に冒されていて、自身も憔悴していたことや、この曲の政治的メッセージを嫌ったことなどが考えられますがはっきりはしません。しかしコンドラシンの指揮は代役どころではなく、モスクワ・フィルの鋭利で厚い音と共に鬼気迫る渾身の演奏です。アンサンブルも大きく崩れることは有りません。グロマツキーの声質は幾らか軽めなものの力の入った歌唱ですし、何よりロシアの男声合唱の底力は圧巻です。録音はステレオで、この時代のライブにしては良質で充分に鑑賞に耐えます。もちろん歴史的な価値も計り知れません。所有しているのはヴァネチア全集盤です。 

Shosta-kondra011_20220616125701 キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィル/合唱団、エイゼン(バス独唱)(1967年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) 初演から5年後に、コンドラシンにより再び録音が行われました。オリジナルの形で録音しようとしたところ、当局の圧力で結局は改訂版での収録となりましたが、少なくとも我々の耳には歌詞の違いは問題になりません。エイゼンの太い声での深い歌唱が圧巻です。管弦楽や合唱も前述した初演時のライブと比べると完成度が高く、圧倒されるほどに聴き応えが有ります。初演時ライブの荒々しいほどの緊迫感も捨て難いですが、繰り返して聴く充実感は再録音に軍配を上げざるを得ません。録音に関しては初演時ライブから飛躍的に向上した印象は受けないものの、やはりこちらが上です。所有するヴェネチアの全集盤には上述の1962年ライブと両方が収められています。

Shosta13-335 キリル・コンドラシン指揮、バイエルン放送響/合唱団、シャーリー=カーク(バス独唱)(1980年録音/タワーレコード盤:フィリップス原盤) 初演者コンドラシンの演奏はこの曲の原点であり、どれもが価値の高いものです。コンドラシンは、このミュンヘンでの演奏会の3か月後に心臓発作でこの世を去りますが、それを知っていた訳は無いでしょうが、正に全霊を傾けた演奏が感動的です。‘60年代のモスクワ・フィルとの演奏の方が鬼気迫る迫力においては勝りますが、こちらはスケールの大きさに加えて、音楽の悲しみがより深く感じられます。管弦楽も合唱も厚みが有りますし、バス独唱の英国のシャーリー=カークも聴き応えのある歌唱が見事です。ライブ録音ですが音質は優れています。 

Shosta-335_20220616125701 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響/合唱団、ギュゼレフ(バス独唱)(1988年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。どの曲の演奏についても共通していますが、ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチは、激しい切迫感よりは巨大なスケール感が強く感じられます。オーケストラの音色がやや明るめなのはやむをえませんが、アンサンブルは優秀です。ワシントンの合唱団も声質は明るいですが力強く健闘しています。バス独唱のギュゼレフはブルガリアのベテランで、幾らかオペラ的な歌唱ですが悪くありません。録音も中々に優れています。

Shosta13-61jee1rwqjl_ac_ ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響/合唱団、コッチェルガ(バス独唱)(1995年録音/グラモフォン盤) 父ヤルヴィはショスタコーヴィチも得意としていて、全集盤こそ有りませんが、後期の曲を中心に録音していました。全体的にテンポが速く切れが良く、拘泥せずに進むので重苦しさは余り有りません。それでも味わいを失わないのは流石です。オーケストラの響きも演奏に適した、ある種の“軽み”が感じられます。ロシアやドイツの楽団のような音の凄味は有りませんが、決してスケールが小さいわけではありません。合唱も切れが良く管弦楽との相性は良いです。コッチェルガはウクライナ出身で、声は余り太くはありませんが、その歌唱は非常に真摯なもので胸を打たれます。

Shosta-13-zap2_g1256783w ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィル/合唱団、アレクサーシキン(バス独唱)(1996年録音/RCA盤) 初演を断ったからなのか、何故かムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの録音が無いのは残念です。であれば、後継指揮者テミルカーノフで聴くしかありません。ムラヴィンスキーほどの透徹した鋭さは無いものの、冷たい鋼のようなオーケストラの音は健在です。コンドラシンのような一心不乱に炎の中に突き進むような凄さは無いものの、オール・ロシア演奏家による充実し切った分厚いサウンドとその音楽に浸りきれます。作曲家の自国の演奏を何より好む自分にとっては、かけがえのない魅力が感じられます。録音も非常に優れています。 

Shosta-6110ipi39il_20220616125701 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響/合唱団、アレクサシキン(バス独唱)(2000年録音/ブリリアント盤) ロシア人のバルシャイはショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であり、これはその交響曲全集に含まれる録音です。オーケストラこそドイツのそれですが、合唱団は初演と同じモスクワ・アカデミー合唱団、ソリストにロシア人を配するというこだわり様です。暗く重厚な管弦楽と声楽陣が一体となり正に圧巻の演奏です。その切れ味鋭く、かつ深い音楽表現はコンドラシン/バイエルン放送響盤にも匹敵しますが、録音はこちらがずっと新しいので、はるかに上回る優秀録音です。響きの美しさと凄味ある迫力を余すところなく味わえます。 

この曲についてはコンドラシンの幾つかの録音がスタンダードになるのは確かです。1967年の再録音盤を第一としますが、初演二日目のライブ盤も歴史的に不滅の価値を持ちます。録音を加味すれば1980年盤ということになります。
それに加えては、極上の音質のテミルカーノフ盤とバルシャイ盤という選択も有ります。

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2022年5月13日 (金)

ショスタコーヴィチ 交響曲第12番ニ短調「1917年」Op.112 名盤 ~十月革命~

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ショスタコーヴィチの交響曲第12番は、前作の交響曲第11番「1905年」に続いて再び、ロシアにおける革命の歴史を基に作曲されました。第11番では1905年の“血の日曜日事件“が題材とされましたが、第12番は1917年の”十月革命“が題材とされています。 

十月革命とは、191710月に首都ペトログラード(後のレニングラード、現在のサンクトペテルブルク)でレーニンに率いられて起きた労働者や兵士らによる革命です。一連のロシア革命の中では、帝政を崩壊させて臨時政府を成立させた二月革命に続く革命で、その後に続いた反革命運動との内戦を経て、最終的に1922年に世界最初の社会主義国家であるソビエト連邦が成立します。 

ショスタコーヴィチは、第12交響曲について「この交響曲はレーニンを偲ぶものとなる」と述べています。かねてからレーニンを題材にした「レーニン交響曲」の構想を持ってはいましたが、第二次世界大戦が起きたことで、創作が止まっていました。ようやく1959年に再着手されますが、翌年に病気になったこともあり、1961年の春から夏の間に本格的に取り掛かり、8月に完成されました。 

初演は196110月の共産党大会の開会日に合わせて、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルにより行われました。 

<曲の構成>
4楽章形式で各楽章には標題が付けられています。交響曲第11番ほどの直接的な描写は見られませんが、それぞれ十月革命にまつわるエピソードを想わせる曲想となっています。大曲の第7番、第8番、第10番あたりと比べると、演奏時間も40分程度と短めですが、全楽章が切れ目なく演奏されて簡潔にまとめられているので聴きやすい傑作だと思います。 

第1楽章「革命のペトログラード」 モデラート - アレグロ、ソナタ形式
低弦による序奏で始まります。変拍子の旋律が全曲の中心主題となります。革命歌「憎しみの坩堝(るつぼ)」も用いられています。ショスタコーヴィチ自身によれば、これはレーニンがペトログラードに帰還し、勤労者、労働者階級と出会う物語であるとのことです。 

第2楽章「ラズリーフ」 アダージョ、3部形式
「ラズリーフ」は、ペトログラードの北にある湖の名前です。レーニンがこの湖の湖畔で革命の計画を練ったと言われることに由来します。美しくも冷え切った空気感に包まれています。 

第3楽章「アヴローラ」 アレグロ、3部形式
静かな打楽器が開始の合図を示し、巡洋艦アヴローラの主砲による宮殿への砲撃が開始されて、ついに十月革命が始まったことを表します。非常に力強く勇壮な音楽です。 

第4楽章「人類の夜明け」 リステッソ・テンポ - アレグレット - モデラート、ロンド形式
ホルンにより勝利のファンファーレが始まり、弦楽、木管の変奏の後にトランペットとトロンボーンの強奏となります。いくつかの主題の変奏からクライマックスへと移り、最後は輝かしいコーダで終結します。ショスタコーヴィチによれば、これは十月革命の成就を表します。 

自伝によれば、ショスタコーヴィチは、この曲の作曲に向かうにあたり「これは自分の創作歴のなかでも重要な段階を画するものとなるだろう。自分としてはこの作品をたいへん重視している。この重要な課題を成し遂げるのに自分の支えとなるものが何であるかを考えるが、わたし自身が十月革命の生証人であり、レーニンがペトログラードに戻って来たその日に、フィンランド駅前の広場でレーニンの演説を聞いた人々の中には自分も混じっていたのだ。私はまだ若かったが、このことは永遠に記憶に刻み付けられている。忘れることの無いこの日の思い出が、創作する私の支えと成ってくれるに違いない。」と語ったとされます。 

それでは愛聴CDのご紹介です。 

Shosta-12 エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1961年録音/PRAGA盤:メロディア原盤) これは10月の初演から二か月後にモスクワの放送局スタジオで行われたセッション録音です(このCDのクレジットではレニングラード録音と有りますが)。そしてこの後には、ムラヴィンスキーはセッション録音を一切行っていません。メロディア盤では未聴ですが、このPRAGA盤は低域から高域までのバランスがとても良く、しかもリマスターにありがちな高域の強調も有りません。元からのステレオ録音でしょうが各楽器の分離も明瞭で、録音年代を考えると極めて優秀です。演奏も緊迫感の有るレニングラード・フィルの音がセッション録音による安定感を持って味わえるので貴重です。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1972年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。ムラヴィンスキーの演奏に対抗できる唯一の凄演と言えます。第1楽章から激しく鋭い金管の咆哮が腹の底に突き刺さるようですが、テンポに緊迫感が有るもののややスピード感が有り過ぎにも思えます。第2楽章では弦楽の冷たい響きにロシアの大地の香りが漂います。第3楽章の壮絶さも圧倒的で、終楽章までそのまま息つく間も無いほどです。録音についてはムラヴィンスキーの‘61盤より優れますが、マスタリングの影響か高音域が硬く感じられるのが残念です。 

Shostako12-xkh0yps7l_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1984年録音/ERATO盤:メロディア原盤) レニングラード大ホールでのライブで、ムラヴィンスキーのライブの中では優れた音質です。中低域の厚さやバランスも悪くありません。ただ、‘61年の録音と比べて、飛躍的に優れているかと言えばそれほどでもありません。むしろ、こちらは実演ならではの感興の深さが有りますし、レニングラード・フィルの金管も打楽器もセッション録音と違って容赦なく強奏されていて圧倒されます。当然、3楽章から終楽章になだれ込む迫力には言葉を失います。半面、所々に些細な傷は有りますが、もちろん問題にはなりません。 

Shosta-335 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン響(1995年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。この曲においてもロストロポーヴィチのショスタコーヴィチへの敬愛の念が強く感じられます。この曲でも激しい切迫感よりはスケール感や気宇の大きさが感じられる演奏スタイルです。ロンドン響はレニングラード・フィルのような鋭く切り裂くような音こそ持ちませんが、暗めの音色が音楽に適しています。アンサンブルは優れますし、重心の低い厚い響きも聴き応えが有ります。録音は強音に僅かなざらつきが感じられますが概ね優れています。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1995年録音/ブリリアント盤) ロシア人のバルシャイはショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であり、これはその交響曲全集に含まれる録音です。1楽章は哀感が漂って始まりますが、その後は実演さながらの熱気に包まれ、更にまた美しく歌われます。トゥッティの響きには迫力が有りますが、派手に成り過ぎない節度が有ります。2楽章は美しく情感に溢れ、3楽章、4楽章と力強く、また大地に根付くような輝かしさも充分で、非常に聴き応えが有ります。ロストロポーヴィチ盤と同じ年の録音ですが、音質、バランス共にこちらの方が明らかに上回ります。 

多くは聴いていませんし、毎回同じような演奏家ばかりですが、特にマイ・フェイヴァリットを選ぶとすれば、やはりムラヴィンスキーの1984年盤であり、録音も含めればバルシャイ盤がそれに並びます。

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2022年4月24日 (日)

ショスタコーヴィチ 交響曲第11番ト短調「1905年」Op.103 ~血の日曜日事件~

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ショスタコーヴィチが第二次大戦の終戦から10年以上経った1957年、51歳の年に作曲した交響曲が第11番ト短調「1905年」作品103です。これは、サンクトペテルブルクで起きた、いわゆる「血の日曜日事件」を題材としています。 

「血の日曜日事件」とは、1905年1月9日の日曜日、当時の首都サンクトペテルブルクにおいて、皇宮へ向かう労働者の平和的な請願行進に対し、政府の軍隊が発砲して、多数の死傷者を出した事件です。請願の内容は、政府の搾取や貧困、戦争に苦しんでいた当時のロシア民衆の素朴な要求を代弁したもので、民衆はロマノフ王朝の皇帝ニコライ2世への直訴によって情勢が改善されると信じていました。 

サンクトペテルブルクの全労働者18万人のうち行進への参加者は6万人ほどに達しましたが、デモ隊を中心街へ入れない当局の方針により、軍隊は各地で非武装のデモ隊に発砲しました。発砲による死者の数は反政府運動側の報告では4,000人以上に達したと主張され、他の報告でも死傷者の数は1,000人以上とされます。

この事件がきっかけとなって、ロシア皇帝崇拝が崩れ去り、全国規模の反政府運動が起きて、ロシア第一革命へと繋がってゆきます。 

ショスタコーヴィチがこの曲を書く前に語ったとされる言葉です。 

『今、私は第11交響曲を作っているが、冬までにはたぶん仕上がると思う。テーマは1905年の革命である。労働者の革命歌に鮮やかに映されている祖国のこの時代が私はたまらなく好きだ。これらの歌の旋律を広く交響曲に取り入れるかどうかは分からないが、この交響曲は性質上、ロシアの革命歌にごく近いものとなる。』 

<曲の構成>
4楽章構成で各楽章は切れ目なく演奏され、それぞれの楽章には表題が付けられていて、革命歌や自作合唱曲の引用が多いのが特徴です。 

第1楽章「宮殿前広場」 アダージオ 4/4拍子 ト短調
冬のペテルブルク王宮前の広場の情景が描かれています。これから起きる血に染まる日曜日を予感した静けさと不穏さがしじゅう漂います。革命歌「聞いてくれ!」、「囚人」(別題「夜は暗い」が引用されています。 

第2楽章「1月9日」 アレグレット 6/8拍子 ト短調
低弦による不穏な動きで始まり、徐々に緊迫感が高まってゆき、民衆の請願行進を描きます。展開部では、ついにトランペットの合図とともに政府軍の一斉射撃が始まり、民衆が撃ち殺される極めて劇的で凄惨な光景が描かれます。やがて音が静まり返ると、広場に横たわる多くの犠牲者が描き出されます。この楽章では合唱曲「革命詩人による10の詩」から「おぉ、皇帝われらが父よ」、そして「帽子をぬごう」が引用されています。また、この楽章は、ロシアの名匠エイゼンシュテイン監督の映画「戦艦ポチョムキン」において、映像背景の音楽として使用されました。 

第3楽章「永遠の記憶」 アダージオ 4/4拍子 ト短調
犠牲者への鎮魂歌です。やがて革命歌「君は犠牲になった」がヴィオラで演奏され、中間部では革命歌「こんにちは、自由よ」が力強く演奏されます。そして再び鎮魂歌に戻ります。 

第4楽章「警鐘」 アレグロ・ノン・トロッポ 2/4拍子 ロ短調 - ト短調 ロンド形式
革命歌「圧政者らよ、激怒せよ」が金管により印象的に開始され、やがて弦楽器により「ワルシャワ労働歌」が奏されます。圧政に抵抗して必死に立ち上がる民衆の力が表されて感動的です。やがてイングリッシュホルンの悲しい歌が心に沁みて、最後はチューブラーベルが打ち鳴らされて、帝政への警鐘となり曲が終わります。 

この曲は標題音楽と呼べるので、各楽章の音楽は表題に非常に忠実であり、「血の日曜日事件」の情景が生々しいほどに描かれています。ですので、それらの内容を理解して聴けば、とても解り易い曲です。また、多数の革命歌が効果的に引用されていることもあって、一層の親しみ易さをもたらしていると思います。それなら、いっそのこと合唱を伴わせて作曲してしまえば良かったのにと思うのは自分だけでしょうか?

初演は19571030日にモスクワで、ラフリン指揮ソヴィエト国立交響楽団により行われましたが、続く11月3日にムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルよるレニングラード初演が行なわれました。 

それでは所有しているCDのご紹介です。 

Shosta-11ayphxkbpl_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1959年録音/メロディア盤) 初演から2年後のライブ録音で、タコ・マニアのみならず、多くの人にこの曲の最高の演奏と評される名盤です。弦楽による凍り付くような悲しみの深さは底無しであり、そこには神秘感が一杯に漂います。そして金管や打楽器の凄まじい音も言葉には到底出来ず、壮絶の極みと言えます。それは単なる大音量とはまるで次元が異なります。この凄演に迫るのは、せいぜいコンドラシン盤ぐらいでしょうか。つくづく凄い時代であったと思い知らされます。録音はモノラルですが、当時のムラヴィンスキーのライブとしては良好で、中低域の厚さやバランスも悪くありません。他に1957年の初演時の録音も存在していて、録音は劣るものの演奏は更に凄いという話です。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1972年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。前述のムラヴィンスキーの壮絶な演奏に対抗できる唯一の凄演と言えます。長大な第1楽章では、激しく鋭い金管の咆哮が腹の底に突き刺さるようですが、一方で弦楽の冷たい響きには、どこかロシアの土の香りが漂います。第2楽章のスピード感と緊張感も圧倒的です。終楽章も同様に凄いです。ただし録音についてはムラヴィンスキー盤よりは数段良いものの、年代を考慮しても高音域が硬く、強調されていて古さが感じられるのが残念です。 

Shosta-335 ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響(1992年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集に含まれます。スケール感や気宇の大きさは素晴らしく、ロストロポーヴィチと親交のあった作曲者への敬愛の念が強く感じられます。オーケストラの重心の低い厚い響きが聴き応えあり、それを忠実に再現する録音の良さもプラスです。その半面、数々の革命歌がどことなく品良く演奏されていて、荒々しさや訴えかけがやや弱いようにも感じられます。やはりアメリカのオーケストラにロシアのそれのような胸に迫る演奏を望むのは、たとえスラヴァが指揮したとしても難しいのでしょうか。 

Shosta11-00028948316946 ウラディーミル・アシュケナージ指揮サンクトペテルブルク・フィル(1994年録音/DECCA盤) ピアニストとしてのアシュケナージは上手いのですが、余りに常識的なところを好みません。指揮者としても特別な魅力は感じません。このCDを購入したのは単にサンクトペテルブルク・フィル(旧レニングラード・フィル)の音を良い音で聴きたかっただけです。DECCAがレニングラード大ホールに乗り込んでの録音は実に素晴らしい音質です。クリアーでトゥッティの響きは厚く、かつての鋼のような音色を彷彿させます。もちろん革命歌も管楽器もロシアの味わいが豊かで満足です。ただしムラヴィンスキーのような厳しさは全く無く、むしろ指揮者の持つ楽天性のようなものを感じさせます。ですので、ショスタコーヴィチは暗くて嫌だという方には是非お勧めしたいです。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1999年録音/ブリリアント盤) ロシアのバルシャイはショスタコーヴィチ演奏の権威の一人であり、これはその交響曲全集に含まれる録音です。1楽章は地味ですが、不穏な空気感が良く出ています。2楽章はコントロールが効いていて、緊迫する部分でも過去のロシアの団体の緊迫感溢れる爆演タイプとはだいぶ異なります。3楽章のヴィオラは静寂に徹していて余り歌わせません。元ヴィオラ奏者だったバルシャイなので意外でした。終楽章も2楽章と同様にハーモニーの美しさ重視なので、圧倒される感じは受けません。全体を聴き終えた印象ではやや物足りなさを感じますが、その後の新時代の演奏の先駆けなのかもしれません。録音が新しいので音質は優れます。 

所有しているディスク枚数も少ないですし、この曲の場合にはムラヴィンスキーにステレオ録音が残されていない為に、自分としてはどのCDをとっても「帯に短し、襷に長し」といったところです。そこで、もし誰かにお勧めするならオーケストラにロシアの味わいが感じられて、録音の良いものという理由からアシュケナージ/サンクトペテルブルク・フィル盤が残ります。

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2022年4月13日 (水)

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番ホ短調 Op.93 名盤

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奇しくもこのブログでショスタコーヴィチの交響曲を取り上げ始めたのとロシアのウクライナへの軍事侵攻とが重なってしまいました。今も毎日届く悲惨な報道が終息するのは一体いつになることでしょう。 

それにしてもショスタコーヴィチの多くの作品は、聴いていると余りの緊張感で息が出来なくなり、凍り付くような感覚に襲われてしまいます。それというのも、この人はソヴィエト時代に生きた音楽家として、独裁政権により弾圧される恐怖や戦争の悲惨さを常に感じながら作曲を行っていたからに他ならないでしょう。 

これまでも書きましたが、自分はショスタコーヴィチの音楽をことさらに愛好するわけではありません。けれども現在のウクライナのような悲惨な状況を見ていると、なにか「聴かねばならない」という気持ちにさせられます。 

交響曲第10番ホ短調 作品93はショスタコーヴィチが1953年に作曲した交響曲です。 

ショスタコーヴィチは第二次大戦が終わって直ぐに交響曲第9番を作曲しましたが、その曲を聴いたスターリンがベートーヴェンの第九のような作品を期待していたのに全く違う、軽く、ふざけたような作品であった為に激怒したことでジダーノフ批判の原因となってしまい、しばらく作品の発表が出来なくなります。その為、第9番の発表から交響曲第10番が発表されるまでには8年の間が空きました。 

ショスタコーヴィチは弟子に宛てた手紙の中で「戦争三部作の真の完結編は,第9番ではなくこれから作る第10番だ」と書いています。また、作品発表後の討論会では「私は人間的な感情と情熱とを描きたかった」「この作品は欠点が多いがそれでも可愛いものだ」と述べています。

一方で、『ショスタコーヴィチの証言』では「あれは、スターリンとスターリンの時代について書いたものであった」「第2楽章は音楽によるスターリンの肖像である」とも書かれています。 

曲の初演は1953年にムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルによって行われましたが、ソヴィエト国内では、またしても作品の評価は賛否両論に分かれたそうです。

個人的には第7番や第8番のほうが優れた作品だとは思いますが、それでも聴き応えのある交響作品の一つであることは間違いないです。 

<曲の構成>
ショスタコーヴィチのドイツ語のイニシャルから取ったDSCH音型(Dmitrii SCHostakowitch)が重要なモチーフとして使われます。この音型は、「スターリンの肖像」とされた第2楽章までは登場しませんが、第3楽章で現れると第4楽章で頻繁に使われることから、スターリンの体制が終焉し、解放された自分自身を表現しているのだという説も有ります。 

第1楽章 モデラート ホ短調 3/4拍子 ソナタ形式全曲の半分近くを占める長大な楽章ですが、独裁による弾圧への恐怖、戦争の悲惨さが一貫して感じられます。 

第2楽章 アレグロ 変ロ短調 2/4拍子 スケルツォ『ショスタコーヴィチの証言』によれば、「音楽によるスターリンの肖像である」とされている短い楽章です。また、第1主題はムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』の冒頭に似ていて、暴君の圧政を表したものと読み取れます。実際に音楽が暴れまくります。 

第3楽章 アレグレット ハ短調 3/4拍子 三部形式
ワルツですが、どことなく暗さや不安な雰囲気を持ち、気持ちが晴れることは有りません。 

第4楽章 アンダンテ-アレグロ ロ短調-ホ長調 6/8 - 2/4拍子 ソナタ形式
序奏は低弦による暗い音楽ですが、主部に入ると力強く明るく転じます。それが展開部以降は狂気さえ感じさせて、コサック軍団の荒々しい疾走となり、その頂点でD, S, C, Hがトゥッティで鳴り響きます。何度もこの音型が繰り返されると、最後は輝かしく強奏されて終わります。 

それでは所有しているCDをご紹介しますが、それほど多くは有りません。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1972年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。後述するムラヴィンスキーの壮絶な演奏に対抗できる唯一の凄演と言えます。長大な第1楽章では、激しく鋭い金管の咆哮が腹の底に突き刺さるようですが、一方で弦楽の冷たい響きには、どこかロシアの土の香りが漂います。第2楽章のスピード感と緊張感も圧倒的です。終楽章も同様に凄いです。ただし録音については年代を考慮しても、高音域が硬く、強調されていて古さが感じられるのは残念です。 

Shostako10-xkh0yps7l_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1976年録音/ERATO盤:メロディア原盤) レニングラード大ホールでのライブで、タコ・マニアのみならず、多くの人にこの曲の最高の演奏と評される名盤です。弦楽による凍り付くような悲しみの深さは底無しであり、そこには神秘感が一杯に漂います。そして金管や打楽器の凄まじい音も言葉には到底出来ず、壮絶の極みと言えます。それは単なる大音量とはまるで次元が異なります。この凄演に迫るのは、せいぜいコンドラシン盤ぐらいでしょうか。つくづく凄い時代であったと思い知らされます。録音も当時のムラヴィンスキーのライブとしては良好で、中低域の厚さやバランスも悪くありません。これは‘76年3月3日の演奏記録ですが、他に録音品質が落ちるという3月21日の演奏も存在します。 

Shosta51phcu7smul_ac_ ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1981年録音/グラモフォン盤) カラヤンはショスタコーヴィチの録音はこの第10番しか残していません。オイストラフに「ショスタコーヴィチの交響曲を演奏するなら何番が良いか?」と尋ねた時の答えがこの曲だったというエピソードが有ります。1969年のベルリン・フィルのソヴィエト公演の際にはショスタコーヴィチ本人とムラヴィンスキーの前で演奏しました。ショスタコーヴィチは「これほど美しく演奏されたのは初めてです」と感想を述べ、ムラヴィンスキーは「実に感動しました。しかしあなたは自身の演奏をレコードで聴くべきです」と述べました。二人とも本心ではどのように思っていたのか興味津々というところです。カラヤンの録音にはそのソヴィエトでのライブ、‘66年および’81年のグラモフォン盤と3種有りますが、所有するのは最後の録音です。世界一の名器を鳴らしに鳴らした派手な演奏ですが、作曲者とムラヴィンスキーの感想を思い出しながら聴くと面白いです。 

Shosta-335 ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン響(1989年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ全集の演奏はナショナル響が大半ですが、ロンドン響が4曲、モスクワ・アカデミー響が1曲あります。この第10番はロンドン響が担当しています。ロシアやアメリカのオケのように金管が突出しない暗い響きは地味ですし、凍り付くような空気感やロシアの大地の土臭さも薄目ですが、全体のスケール感や気宇の大きさは素晴らしいです。これはロストロポーヴィチの作曲者の音楽への理解と敬愛以外の何ものでもないと思います。録音も優れています。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1996年録音/ブリリアント盤) ショスタコーヴィチ演奏の権威の一人バルシャイの残した交響曲全集に含まれる録音です。さすがにムラヴィンスキーやコンドラシンの壮絶さには及びませんが、作品への共感が滲み出た演奏はやはり感動的です。このドイツの優れた放送楽団にもバルシャイの意図が充分に浸透されていて、管弦楽の響きには冷たさや鋭さを持ちながら、こけおどしに陥らない緊迫感と迫力ある演奏を充分に楽しませてくれます。録音も優れていますし、それも含めればこの曲のお勧めディスクになります。 

以上ですが、この中からたった一つ選ぶとすれば、やはりムラヴィンスキー盤となります。また録音の優秀なものを選ぶならバルシャイ盤となります。

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2022年3月19日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第8番ハ短調 Op.65 名盤 ~スターリングラード交響曲~

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ロシアがウクライナへ軍事侵攻してからは、ロシアの国の様々な個人や団体への制裁が加えられていますが、それはロシア国民の目を覚まさせて体制を転換させる手段としてやむを得ないことだとは思います。

音楽の世界でも、ロシア作曲家の作品の演奏を取りやめるのをよく見かけて悲しい思いに駆られます。とくにショスタコーヴィチの作品までが規制対象に成りかけるのを見ると、それは違うんじゃないかと考えてしまいます。戦後まもなくはともかく、戦争悲劇や独裁政治体制を批判したショスタコーヴィチの音楽こそ、いま演奏されるべきだと思うからです。そこで、先の第7番に続いて第8番の交響曲を取り上げることにしました。 

この曲は第二次大戦中に、交響曲第7番(「レニングラード」)の次に書かれた交響曲です。第7番と同様に「戦争」を描いていて、終戦後に作曲された第9番も含めて「戦争三部作」と呼ばれます。しかしこの第8番は、前作の第7番と比べると余りに内容が暗く、健全なるソ連にそぐわないと多方から批判されてしまいます。しかし擁護派は、そうした保守派の価値判断の硬直性を指摘したことから、ショスタコーヴィチは友人への手紙の中に「この作品に対する議論は盛り上がったが、私の優位に終わった」と書いています。 

ところが、続く第9番もやはり内容が暗かったことから、ソ連共産党による前衛芸術に対する統制(いわゆる“ジダーノフ批判“)の対象となり、1960年まで演奏禁止となってしまいます。 

この作品は、モスクワにある「創作の家」で1943年の夏に僅か二か月余りで書き上げられました。『ショスタコーヴィチ自伝』によると、曲の完成直後にショスタコーヴィチはこの作品についておよそ次のような解説をしたとあります。 

「交響曲第8番には、多くの内的、悲劇的、劇的な葛藤がある。けれども全体は、楽観主義的な、人生肯定的な作品である。第1楽章は極めてゆっくりと進行し、極めてドラマチックな緊張を持ちクライマックスに達する。第2楽章は、スケルツォ的な要素の行進曲であり、第3楽章は活発でダイナミックである。第4楽章は痛々しく沈んだ性格を持つ。第5楽章は、様々な舞曲や民謡風の旋律を持った明るく喜びにみちた牧歌的な音楽である。

この第8番には、これまでの自分の仕事に含まれていた主義主張のようなものが今後の発展方向をみいだしているような気がする。この新作は、ごく簡単に言い表すと、たった二つの言葉で、「生きることは美しい」という風に表現出来る。あらゆる暗くて陰気なものが消え去り、美しいものが勝つ。」 

この解説によれば、世評に言われた“暗い音楽“よりはずっと、明るく肯定的な音楽であると、本人が考えていた可能性は有ります。ただし、暗く、厭世的な音楽が目の敵とされた独裁体制の下ですし、これは表向きの説明であることが十分に考えられます。そもそもこの自伝自体、ソヴィエト国家の監修のもとに編纂されたものです。 

一方で、後にソロモン・ヴォルコフにより編纂されたあの有名な『ショスタコーヴィチの証言』によれば、この曲は、人類史上でも稀有なほど凄惨な戦いとなった「スターリングラード攻防戦」の犠牲者や圧政で死んでいった人や苦しんでいる人たちのためのレクイエムだと本人が述べたとあります。 

曲の初演は1943年11月にモスクワで、ムラヴィンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団によって行われました。作品はそのムラヴィンスキーに献呈されました。国外では翌年、世界各地で「スターリングラード交響曲」の名称で演奏されました。 

<曲の構成>

1楽章 アダージョ-アレグロ-アダージオ ハ短調

2楽章 スケルツォ、アレグレット 変ニ長調

3楽章 アレグロ・ノン・トロッポ ホ短調

4楽章 パッサカリア、ラルゴ 嬰ト短調

5楽章 ロンド・ソナタ形式 アレグレット-アレグロ-アダージオ-アレグレット ハ長調 

それではこの曲の愛聴CDをご紹介してみたいと思います。 

Shostako8-737 エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1960年録音/BBC盤) まずは初演者のムラヴィンスキーとレニングラード・フィルです。これはこの曲のイギリスでの初めての公開演奏会のライブですが、注目したいのはこのコンビがロンドンで行った、あのチャイコフスキーの第4番のグラモフォン録音から僅か一週間後の演奏であることです。一般的には後述の‘82年の演奏が圧倒的に有名ですし、タコ・マニアも大抵はあちらを高く評価します。けれども、このロンドン・ライブはステレオ録音で、録音年代が信じられないぐらい音が明瞭で生々しく、中低域も厚くバランスの良い音質です。しかも肝心の演奏は壮絶極まりなく、聴いていて椅子からのけぞり落ちそうですし、静寂部分では恐ろしいほどの緊張感に背筋が凍りつくようです。客席の咳の音が始終聞こえるのを指摘する書き込みも見受けられますが、自分にはこの凄演の前には全く気になりません。 

Shosta-kondra011_20220319151901 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1967年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンによる世界初のショスタコーヴィチの交響曲全集に含まれます。古い録音でリマスターの影響も有り、高音域がかなり強調されていますが、トーン・コントロールを使えば充分に鑑賞できます。そして何よりも演奏の持つムラヴィンスキー並みのキレ味と緊張感に圧倒されます。実際の戦禍を経験して来た演奏家達にとっては、平和な時代になてから生まれた演奏家とは、この曲に向かう意気込みがまるで別物のように思えるのは当然なのでしょう。激しく鋭い金管の咆哮も我々の耳に響くのではなく、心の底に突き刺さるように響いて来ます。 

Shostako8-51m74gnnxvl_ac_ キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1967年録音/Altus盤) 前述のメロディア録音と同じ年に行われたモスクワ・フィルの来日ツアーでのライブです。録音は古いながらもNHKの録音はバランスが良く、むしろ聴きやすいです。何よりも実演ならではの演奏の緊迫度が凄まじく、セッション録音を遥かに凌駕します。その分、アンサンブルの乱れやミスは少なからず散見されますが、そんなことは少しもマイナスにはなりません。打楽器の強打や低音部の底力や激しさは、とても人間業とは思えません。この演奏もまたムラヴィンスキー盤のように聴いていて椅子からのけぞり落ちそうです。この実演を会場となった東京文化会館で聴いた日本の聴衆はどう受け止めたのでしょう。 

Shosta9f508cccd0034afaac9c5357a2d54afc クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン響(1976年録音/シャルプラッテン盤) ご存じの通りザンデルリンクはドイツの指揮者ですが、東西冷戦時代にはソヴィエトで活動しました。ですのでショスタコーヴィチもレパートリーで、特に8番は晩年まで好んで指揮したようです。この東ドイツの楽団との演奏は、ロシア勢の凍てつくような冷たさや、切り裂くような激しい音とは異なります。大きな広がりや重々しさは有りますが、底知れぬほどの暗さではなく、弦楽などには人間的な柔らかさが感じられます。2、3楽章の切迫感もそれほど強くありません。ロシア風ではなく、後期ロマン派的な演奏で聴きたい場合にお勧め出来ると思います。

Shostako8zki4ufzl_ac_sl1417_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1982年録音/Altus盤) これはレニングラード大ホールでのライブですが、タコ・マニアの大抵の人が最高の演奏だと評する名盤です。但し最初にリリースされたフィリップス盤ではピッチが半音高くなっていました。やがてピッチ修正盤も幾つか出ましたが、現在ではAltus盤が最も音の良いディスクだと定評が有ります(海外盤ではalto盤も充分鑑賞は出来ます)。確かにムラヴィンスキーのライブとしては音質も優れていて、中低域の厚さやバランスも良いです。表現の深さや完成度、そして金管や打楽器の音の壮絶さは相変わらずです。初演者がほぼ40年かけて最後に到達した孤高の境地だと言えるでしょう。しかし、個人的には‘60年ロンドン・ライブの激しさに、より強く惹かれる気がします。 

Shosta-335 ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響(1991年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチは、98年に東京で開催されたショスタコーヴィチ・フェスティバルの際に聴いた第7番の実演が思い出されます。このナショナル響との演奏はスケールと気宇の大きさが見事です。オーケストラは技術的にも優秀ですし、長く監督を務めたのでお互いの信頼感が大いに感じられます。ロシアの大地の土臭さは感じさせませんが、冷たい空気、寂寥感を良く出せています。録音も優れています。所有しているのは写真の全集盤です。 

Shostako8-81f7tvjuntl_ac_sl1500_ アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン響(1992年録音/グラモフォン盤) 長大な1楽章をかなりゆっくりと広がりを持って演奏します。弦楽の音が余り冷たく無く、肌のぬくもりを感じさせるのはプレヴィンらしいです。2楽章も同様で、旧ソ連の団体の凄味のある音とはだいぶ違います。インターナショナルなショスタコ演奏の先駆けなのかもしれません。従って、この演奏から「戦争の悲劇」という情緒的、文学的な要素は余り感じられません。それでも金管群はとても上手いですし、この曲を純音楽的に聴きたいという人には向いているのでは無いでしょうか。ロンドン響のくすんだ響きが美しく録られた録音も心地よいです。 

Shostako8-998 ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管(1994年録音/フィリップス盤) 新盤が出たので旧盤にはなりましたが、これはオランダのコンセルトヘボウで行われた録音で、重心が低く中低域が厚いフィリップスの音造りが聴き応え充分ですし、強奏でも音の迫力と響きの美しさのバランスが抜群です。演奏も1楽章から淡々と流れながらも、音楽に虚無感が染み渡っています。つくづく旧レニングラードの団体であると思い知らされます。頂点に向かってじわじわと盛り上げてゆくゲルギエフの手腕の見事さにも舌を巻きます。弱音の美しさはこの人のもっとも得意とするところで文句なしです。2、3楽章の躍動感と緊迫感、4楽章の静寂、終楽章の面白さと、どれも素晴らしいです。 

Shosta-6110ipi39il_20220319151901 ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1994-95年録音/ブリリアント盤) バルシャイもまたショスタコーヴィチ演奏の権威の一人です。これは交響曲全集に含まれる録音ですが、ドイツの優れた放送楽団にバルシャイの意図が充分に浸透されていて、非常にシリアスな趣に溢れます。管弦楽の響きは鋭さを持ちながらも威圧的なまでにはならず、音色も美しく、冷た過ぎることがありません。その分、ムラヴィンスキーやコンドラシンと比べると、幾らか緊迫感に不足する印象が拭い切れないのはやむを得ません。しかし完成度の高い良い演奏であるのは間違いなく、特に終楽章などは非常に雄弁で意味深いです。 

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パーヴォ・ベルグルンド指揮ロシア・ナショナル管(2005年録音/PentaTone盤) 言わずと知れたシベリウスのスペシャリストであるベルグルンドですが、ショスタコーヴィチも得意の様です。これはモスクワでのセッション録音ですが、面白いのはロシアの楽団が所謂ロシア的な金管の強奏を見せていない点です。例えれば、フィンランドの楽団によるシベリウスの1番や2番程度の鳴らせ方なのです。一方でオーケストラから意味深い響きを引き出す神技を持つこの人ならではの演奏でもあります。弱音による悲哀や虚無感の表出が素晴らしいです。伝統的なロシアンスタイルの演奏を好む方にはどう受け止められるか分かりませんが、独自のスタイルとして非常に感銘を受けます。録音も優秀です。

所有しているCDは以上ですが、この中から特に好きなものを上げるとすれば、ムラヴィンスキーの‘60年ロンドン・ライブと’82年レニングラード・ライブ、そしてコンドラシンの‘67年東京文化会館ライブ、この3つです。もちろんこれ以外のもっと新しい、この曲を既に”古典作品”として捉えた演奏も良いとは思うのですが、やはり”歴史の当事者”たちのこの曲の演奏には、胸に迫るものが痛いほどに感じられてなりません。

<補足>
ザンデルリンク/ベルリン響盤、ベルグルンド/ロシア・ナショナル管盤を後から追加しました。

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2022年2月23日 (水)

ショスタコーヴィチ 交響曲第7番ハ長調Op.60 名盤 ~レニングラード包囲戦~

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ショスタコーヴィチはポスト・マーラーの最大の交響曲作曲家と言われますし、その通りだと思います。ショスタコーヴィチの愛好家は、自ら「タコ・マニア」と称してはばからず、その思い入れも半端無く、ある意味マーラー・マニア以上かもしれません。自分もこの人の15曲の交響曲は一通り聴いていますが、マニアにはまだまだ程遠いです。

特に好きだと言えるのは、やはり5番、それにこの7番です。この2曲はマニアでない一般の音楽ファンが、最初に聴くべき名曲であると思います。この2曲以外は、マニア度がぐっと増しますが、私は8、11、12、13番あたりが好きです。 

ともかく交響曲第7番は一大傑作です。この作品には有名なエピソードがあり、それを知らなくても充分楽しめますが、作品の成立する背景を知ることで作品への共感が数倍増すのも確かです。 

この曲は、第二次世界大戦の際に、ドイツ軍に包囲されたレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)における、いわゆる“レニングラード包囲戦“の真っただ中で作曲されました。その900日近くにわたる包囲により、市民の餓死者は100万人を超えたとも言われています。すでにドイツ軍の包囲で飢餓が始まっていた1941年の9月にショスタコーヴィチは、市のラジオ放送でおよそ次のように語ります。

「1時間前、私は、新しい交響的作品の最初の2つの楽章を書きあげました。私は、一度も故郷を離れたことのないレニングラードっ子です。今の厳しい時を心から感じています。レニングラードこそは我が祖国、故郷、我が家です。市民の皆さんも私と同じ思いで、生まれ育った街並み、愛しい大通り、美しい広場、建物への愛情を抱いておられるでしょう。この作品を皆さんの前で発表することを誓います。」

この放送は多くの市民に感動を与え、ドイツとの抗戦意欲を奮い立たせたとされます。 

作曲の完成後、レニングラードでの初演に先立って、19427月に疎開をしていたムラヴィンスキーとレニングラード・フィルにより当時の臨時首都であったノヴォシビルスクにて初演が行われました。そして翌8月には、カール・エリアスベルク指揮、ラジオ・シンフォニー(現在のサンクトペテルブルク交響楽団)の演奏により、ついにレニングラードでの初演が行われました。演奏会の為に前線から多くの演奏家たちが呼び戻され、奇跡的に演奏会が実現したのです。演奏会の当日は空襲の標的にされないように灯りも消され、ドイツ軍とソビエト軍が激しい砲撃の応酬を行う音が聞こえていたにもかかわらず、市民は演奏に聴き入っていたそうです。 

ソビエトはこの作品をナチスのファシズムへの対抗の為にプロパガンダに利用します。初演を国家的なイベントとした政府は、ショスタコーヴィチにスターリン賞を授与します。更には反共産国であるアメリカにも楽譜を秘密裏に届けて演奏させることを目論み、トスカニーニの指揮によりアメリカ初演が全世界に放送されました。 

そうしたことから、大戦後には批判にもさらされてしまいますが、‘70年代に出版された「ショスタコーヴィチの証言」によれば、ショスタコーヴィチはこの曲について「ファシズム、それはもちろんだが、ファシズムとは単に国家社会主義(ナチズム)を指しているのではない。この音楽が語っているのは恐怖、屈従、精神的束縛である。つまり、第7番はファシズムだけでなくソビエトの全体主義も描いているのだ。」そう語ったと描かれています。 

ショスタコーヴィチが「ファシズムに対する戦いと勝利、そして故郷レニングラードに捧げる」としたこの曲は、通称「レニングラード」と呼ばれて、交響曲第5番と並ぶ人気作品となりました。 

<曲の構成>
第1楽章「戦争」 アレグレット ハ長調 ソナタ形式

まず、“人間の主題”が生き生きと力強く開始されます。次に“平和な生活の主題”が美しく落ち着いた雰囲気で奏でられます。やがて、スネア・ドラムのリズムが始まり、“戦争の主題”がそのリズムに乗って奏されます。この主題は敵の侵入を表すという説もありますが、自分にはなんだか田舎の予備役兵か義勇軍が、えっちらおっちら集まって来た行進のように聞こえます。とにかく、この主題は何度も繰り返され、ついには金管群による大迫力の音でソビエト軍とドイツ軍が激突する激しい戦闘シーンが描かれます。しかし、いつしか音楽が止み、静けさが戻ると、犠牲者への慰めが奏でられ、そしてコーダで再び“戦争の主題”が現れます。 

第2楽章「回想」 モデラート、ポコ・アレグレット ロ短調 スケルツォ
ショスタコーヴィチはこの楽章について、「楽しい出来事や過去の喜びを、穏やかな悲しみと憂愁が霧のように包み込んでいる。」と説明していて、とても変化に富んでいます。 

第3楽章「祖国の大地」 アダージョ ニ長調
ショスタコーヴィチはこの楽章について、「作品の劇的な中心を成している。」と説明しました。悲痛な嘆きのようなコラール主題で開始され、その後に穏やかな長い旋律が現れます。中間部はロシアの広大な大地を騎馬軍団が疾走するような緊迫感のある曲想です。 

第4楽章「勝利」 アレグロ・ノン・トロッポ ハ短調-ハ長調
前楽章から連続する地面の揺らぎのような低音とともに序奏が始まり、第一部となる“勝利”を表現するモチーフが展開されます。第二部は“作品の輝かしい帰結”と称され、遅いテンポの音楽が継続します。それは戦争の惨禍や無情さを訴えかけるようです。第三部は重厚、壮大な盛り上がりとなり、嵐のような緊迫感に包まれます。その頂点で“人間の主題”が奏され、勝利を高らかに宣言して感動的に終ります。 

※ 昔、武田薬品のCMでシュワちゃんのBGMに「ちーちん、ぷいぷい」と1楽章の戦争の主題が使われたのには驚かされました。タコ・マニアからは「ふざけるな!」とお叱りを受けそうですが、それぐらいポピュラーだということです。 

それでは愛聴するCDをご紹介します。 

Shosta414b05dd6wl_ac_ エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(1953年録音/BMG盤:メロディア原盤) まずは初演者のムラヴィンスキーとレニングラード・フィルです。古いモノラル録音で、当時のライブ収録としては普通の音質ですが、この壮大な管弦楽作品を聴くにはいかんせん音が貧し過ぎます。弦楽の音は硬く、金管の音は割れています。しかし凄まじいばかりの緊張感は半端なく、単なる「記録」に留まらない大きな感銘を与えてくれます。米Vangard Classics盤でも持っていて、音は幾らかハイ上がりですがBMG盤と大差はありません。 

Shosta-kondra011 キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル(1975年録音/ヴェネチア盤:メロディア原盤) コンドラシンは世界で初めて、ショスタコーヴィチの交響曲全集をメロディアに録音しますが、これはヴェネチアがライセンスで出したものです。ムラヴィンスキーにも引けを取らないキレ味と凄まじいまでの緊迫感がある演奏です。そうなのです。これは「戦争」なのですね。命がけの戦いですから、壮絶なのは当たり前です。録音は明瞭ですが音質が硬く刺激的で、当時のロシアの楽団に共通する金管の咆哮は相当に耳に応えます。けれどもこれは絶対に聴いておくべき演奏です。 

Shosta514gkxbefbl_ac_ マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(1988年録音/EMI盤) レニングラード・フィルのムラヴィンスキー時代直後の録音ですので、まずオーケストラが非常に素晴らしいです。引き締まった響きと鉄壁のアンサンブルは健在で、ムラヴィンスキーの副指揮者を務めたヤンソンスもスケール大きく、落ち着いた指揮には風格さえ感じさせます。ムラヴィンスキーほどの鋭利さこそ有りませんが、演奏の切れ味の良さは充分です。レニングラード生まれのヤンソンスには、この曲を知り尽くした感が有ります。緊迫感、疾走感も見事ですし、フォルテシモ部分の響きは厚く聴き応えが有ります。これはノルウェーのオスロで行われたEMI録音ですが、音の明瞭さと柔らかさのバランスがとても良いです。 

Shosta61ss0qshvcl_ac_ レナード・バーンスタイン指揮シカゴ響(1988年録音/グラモフォン盤) バーンスタインの二度目の録音で、この人の指揮するマーラーのように遅いテンポでスケール巨大な演奏です。ダイナミックスの幅も極めて広いです。第1楽章では戦争の主題が純音楽的に奏されていて、明るい響きがどことなく楽天的に感じられます。戦闘シーンの迫力は相当なものです。第2楽章も遅くリズムは粘り、しつこさがさながらマーラーのようです。第3楽章の荘重さは素晴らしいです。第4楽章もやはり遅くスケールは大きいですが、切迫感は今一つです。フィナーレも音響的には確かに凄いのですが、バーンスタインがこの曲に本当に共感しているかどうかは疑わしいです。世評の高い演奏ですがそれほど好みません。 

Shosta61q5nks5gdl_ac_sx425_ ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ指揮ナショナル響(1989年録音/ワーナーミュージック盤) ロストロポーヴィチのこの曲の実演は、‘98年に東京で開催されたショスタコーヴィチ・フェスティバルの際に、確か新日フィルか東フィルの演奏会で聴きました。その指揮姿を思い出すのは楽しいです。このナショナル響との演奏はおおらかな雰囲気で、あまり深刻調にはなりません。しかし音のスケールと気宇の大きさはさすがです。当時の主兵のオーケストラですので相性はとても良いと思います。アメリカの楽団ですのでロシアの大地の土臭さは余り感じさせませんが、冷たい空気感などの雰囲気を中々良く出せていると思います。写真は単独盤ですが、所有しているのは全集盤です。

Shosta3-img_1351 ルドルフ・バルシャイ指揮ユンゲ・ドイッチュ・フィル/モスクワ・フィル団員(1991年録音/BIS盤) ナチスドイツによるソヴィエト侵攻50年記念日に、ドイツの若手演奏家が終結した臨時オーケストラによりライプツィヒで行われたライブです。モスクワ・フィルが加わっていることもあり、技術レベルは高いです。しかし何より、この演奏には悲惨な戦争認識と平和への想いの強さが感じられて胸に響きます。1楽章のトゥッティでのスネアが強過ぎるのが気になりますが、ライブゆえの傷でしょう。3楽章は美しく感動的です。終楽章も気迫に溢れ、コンドラシン時代を思わせる金管の響きが迫力満点です。終結部の壮大さにも圧倒されます。録音も良く、実際のホールに居るような臨場感が素晴らしいです。

Shosta-6110ipi39il ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送響(1992年録音/ブリリアント盤) バルシャイのショスタコーヴィチ交響曲全集に含まれます。ドイツの優秀な放送オケだけあり、響きが美しく刺激的にならず、音色も冷た過ぎないので聴き易いです。1楽章の前半はどことなく乗り切らない印象も受けますが、中間部以降は充実して迫力満点です。2楽章は平均的ですが、3楽章は美しく感動的です。終楽章の緊迫感と迫力も素晴らしいのですが、バルシャイであれば前年のライプツィヒでの記念ライブの感動的な演奏と比べると少々分が悪いです。

Shosta51ugjy39s5l_ac_ エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送響(1993年録音/Daphne盤) スヴェトラーノフというと主兵のロシア国立響との一連の爆演の印象が強いですが、このスウェーデン放送響への客演は爆演とは違います。むしろ弱音部を始めとした美しさが印象的です。もちろんフォルテシモでの壮大なスケールの大きさは健在ですし、とりわけ終楽章の終結部は筆舌に尽くしがたいほどです。このオーケストラの優秀さは良く知られるところで、この演奏も素晴らしいです。むろんライブゆえの小さな傷がないわけではありませんが少しも気になりません。録音も優秀です。

Shosta230001134 ウラディーミル・アシュケナージ指揮サンクトペテルブルグ・フィル(1995年録音/DECCA盤) このCDには1941年のショスタコーヴィチのラジオ放送の一部が収録されていて、実際の声を聴くことが出来ます。演奏に関しては流石にサンクトペテルブルグ・フィル(旧レニングラード・フィル)の響きは相変わらず凄味があり素晴らしいです。ただ不思議なことに全体を覆う雰囲気が、例えば戦争の持つ悲惨さや暗さよりも、明るさや美しさの方が勝っているように感じられます。その点はアシュケナージのピアノにも通じる、ある種の楽天性が出ているのかもしれません。しかし終楽章の切れ味と迫力、終結部の壮大さは聴き応えがあります。DECCAによる優れた録音も貢献度大です。

Shosta71zqsdpn7l_ac_sl1000_ ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管/ロッテルダム・フィル(2001年録音/フィリップス盤) ロッテルダムにおけるライブで、後述の新盤が出たので旧盤にはなりましたが、忘れてしまうには惜しい名演です。第1楽章の戦争の主題が徐々に盛り上がってゆき、破滅へと向かう劇的な変化の描き方が単なる音響効果に終わらずに秀逸です。2楽章、3楽章も曲想の雰囲気の変化と情緒がとても豊かです。終楽章も繊細さと壮大なスケールの大きさが両立していて見事です。録音もライブ収録にしてはセッション収録的な明瞭な音が楽しめます。

Shostako61mk5ouompl_ac_ マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトへボウ管(2006年録音/RCO盤) ヤンソンスはこの曲を得意にしていて、3回は録音をしています。これはその2回目の録音で、コンセルトヘボウでのライブです。オーケストラの音の厚みが素晴らしく、優れた録音がその響きを満喫させてくれます。解釈、指揮ぶりはレニングラードPO盤と変わりないですが、切迫感はやや劣るように感じます。これは単に響きがまろやかなだけでは無いでしょう。どちらも素晴らしいですが、個人的にはレニングラードPO盤を上位に置きたい気がします。

Shosta635212019429 ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィル(2008年録音/SIGNUM盤) 同楽団との二度目の録音で、スイス、ジュネーヴでのライブです。どうしても前任のムラヴィンスキー時代と比較されるので気の毒でしたが、実際はこの楽団の実力は少しも落ちていないどころか、時代とともに演奏精度は逆に上がっていると思います。1楽章は、ゆったりと開始して徐々にテンポを速めながら戦闘と破滅になだれ込む解釈が興奮を誘い、3楽章の深遠なまでの美しさも特筆されます。但し、なんと後半のヴィオラの長い旋律と弦のコラールがカットされています。これは問題です。ユーリ、血迷ったか!それでも白眉は終楽章で、地響きを立てるような管弦楽に耳がくぎ付けとなります。終結部も壮大です。音の柔らかさと迫力のバランスが極上の録音も最高です。

Shosta81lo5eafmpl_ac_sl1500_ ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管(2012年録音/Mariinsky盤) ゲルギエフにとって二度目の録音となりますが、前回と異なり入念なセッション録音です。録音は実際のホールで聴くような臨場感のある音造りで極めて優秀です。その為か音響的には旧盤を上回る聴き応えを感じます。ところが聴き進むうちに、微に入り細に入り様々に表現し尽す手腕に段々と煩わしさを感じてしまいます。演奏の「勢い」「流れ」においては旧盤の方が勝るような気がします。これはやはりライブとセッション録音の違いでしょうか。しかし音そのものは新盤が上ですし、中々に甲乙がつけがたいというのが正直なところです。

所有しているCDは以上ですが、この中から特に好きなものを上げるとすれば、マリス・ヤンソンス/レニングラード・フィル盤です。バルシャイ/ユンゲ・ドイッチュ・フィル&モスクワ・フィル盤も感動的な点ではナンバーワンです。テミルカーノフ/サンクトペテルブルグ・フィル盤は、第3楽章のカットが惜しまれます。それさえ無ければ充分ナンバーワンに成り得ました。

あとは番外として、歴史的なムラヴィンスキー/レニングラード・フィル盤は上げざるを得ないでしょう。

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2022年2月 2日 (水)

マリス・ヤンソンス レニングラード・フィル 1986年来日ライブ盤 ~蘇る名演奏~

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マリス・ヤンソンス指揮
レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
1986年10月19日 サントリーホールにおけるライブ録音
(Altus盤)

これは1986年のレニングラード・フィルの来日ツアーの際に、ムラヴィンスキーの代役としてマリス・ヤンソンスが指揮をした演奏会のライブ録音で、ようやく一昨年秋にCDリリースされて陽の目を見たという、れっきとした「新盤」です。(直ぐに購入をしていながらも、ご紹介は約1年遅れ。トホホ。。)

それはともかく当時まだ40代に入って間もないマリス(お父さんのアルヴィド・ヤンソンスもまたレニングラードで活躍した名指揮者なので”ヤンソンス”だけだと間違えます)は、この当時すでにレニングラード・フィル(レン・フィルと略して呼ぶ方もおられるがこの名称は軽くて好みません)の副指揮者でしたが、代役とはいえツアー指揮者を任せらエれたのは大抜擢です。ちなみにムラヴィンスキーが来日できなくなったのは、ソヴィエトの体制に非協力的であった為に嫌がらせを受けたという説も囁かれています。

自分はマリスに関しては決して熱心な聴き手では無いですが、少なくとも知名度で比較すれば父のアルヴィドを大きく越える大指揮者となったマリスの数少ないレニングラード・フィルとのライブが、しかも日本での一夜のコンサートの録音がそのまま聴けるというのは実に有難いです。

それではこの貴重な2枚CDセットを聴いてみたいと思います。

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
この日のプログラムは前半がショスタコーヴィチ、後半がチャイコフスキーです。どちらもムラヴィンスキーの得意の曲で、特にショスタコの5番は晩年まで何度も繰り返し演奏されたので、レニングラード・フィルは目をつぶっても演奏が出来たほどではないでしょうか。この日の演奏も冒頭の音からムラヴィンスキーが指揮しているのではないかと思う程の緊張感で始まります。あの切り裂くほどの切れ味という点では流石にムラヴィンスキーには及びませんが、若きマリスの集中力も相当なものです。展開部の凄まじい迫力も絶好調で、ここは全盛期のムラヴィンスキーを彷彿させます。2楽章も緊張感と重量感を兼ね備えていて、その鋭い音に魅了されます。3楽章にも氷のような冷たさではなく、幾らか温もりが感じられるので別の魅力が有ります。終楽章は重量感を感じさせて開始します。しかし直ぐにギアを切り替えて疾走します。レニングラード・フィルの凄みさえ有る鉄壁の合奏力は健在です。後半も演奏の彫りの深さは抜群で、どこまでがムラヴィンスキーの力かマリスの力なのかは分かりませんが、そのムラヴィンスキーの幾つかの凄演に迫る素晴らしい演奏であることは確かです。

チャイコフスキー 交響曲第4番
1楽章のファンファーレがムラヴィンスキーのグラモフォン盤を想わせる鋭い音なのに喜びます。さすがにあそこまで戦慄を憶えることは有りませんが素晴らしい切れ味です。続いて第一主題に入るとかなり速めのテンポで進みます。かなり煽っていて前のめり気味なので、個人的にはもっとじっくりと苦悩に満ちた表現が欲しいように思います。展開部以降は切迫感と鋭い音による相当な熱演となっていて素晴らしいです。2楽章もあっさりと進みますが、さすがはロシアの名門オケだけあり、そこはかとなくロシア情緒を味合わせてくれます。3楽章のピチカートは鉄壁のアンサンブル能力が遺憾なく発揮されていて聴きものです。終楽章は快速テンポによる手に汗握る演奏でフィナーレまで一気にたたみ掛けます。ムラヴィンスキーはグラモフォン盤の後にライブ録音が残されていないことから、それを彷彿させるような凄い演奏に大満足です。NHKによる録音も極上で、2曲とも実際にサントリーホールのS席で聴くような臨場感が嬉しいです。

2曲を比較すると、個人的にはショスタコーヴィチの方に強く感銘を受けました。しかし、一夜のコンサートということを考えれば全体で味わうべきでしょう。この演奏を実際に会場で聴かれた方は運が良いと思います。

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2013年6月15日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ザンデルリンク/ロイヤル・コンセルトへボウ管のライブ盤

81hjtilpfpl__aa1500_クルト・ザンデルリンク指揮ロイヤル・コンセルトへボウ管(1999年録音/コンセルトへボウ管弦楽団アンソロジー第6集1990-2000より)

ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団による自主制作CD第6集には、ザンデルリングが指揮したものとして、前回ご紹介のブルックナー交響曲第3番の他にショスタコーヴィチ第5番という一品が収められています。

ザンデルリンクが引退したのは2002年ですが、最晩年の録音には1999年にシュトゥットガルト放送響に客演したライブのブルックナー第7番が有り、それは正に天を仰ぎ見るような壮大な演奏であり、僕のブル7のベストを争う愛聴盤です。その同じ年にライブ録音されたのが、このショスタコーヴィチ第5番ですので、最晩年の巨匠の威容を聴けるという点で大変に貴重です。

ザンデルリンクは旧東ドイツ出身ですが、東西冷戦時代にはソヴィエトのレニングラードで、ムラヴィンスキーの下で指揮者をしていました。ですので、この人は純正ドイツもの以外にも、ロシアのチャイコフスキー、ショスタコーヴィチ、あるいは北欧のシべリウスなどをレパートリーとしています。それでも、やはりこの人はドイツものが最高ですし、晩年には心の故郷に戻ったかのように、ドイツものを多く演奏していましたが、最晩年に名門コンセルトへボウと演奏したショスタコーヴィチということであれば興味は尽きません。

この自主制作CDはどれも録音が優秀で、しかも変に音をいじくりまわしていないので安心です。この曲も冒頭の力強い響きにすぐに引き込まれます。

第1楽章では、山あり谷ありという派手なドラマの演出はしていません。このあたりはいつものザンデルリンクそのものです。最晩年ということで緊張感の減衰が心配ですが、このひとに関してはそんなマイナスは見られません。元々アンサンブルに必要以上に神経質になったりはしませんが、自然な指揮ぶりに名門オケが忠実に応えています。そして巨大なスケール感がじわりじわりと膨れてゆきます。けれどもテンポが極端に遅い訳では無く、聴感上ではむしろこの10年も前にベルリン響と録音したブラームス交響曲全集の新盤のほうがずっと遅く感じられます。

第2楽章も同様にスケールが大きく、凄く重量感は有るものの、少しももたれたり推進力が失われたりしません。

第3楽章はムラヴィンスキーのように凍りつく様な冷たさを感じることもなく、それほど暗い悲壮感に包まれているわけではないのですが、何か非常に深いものを感じます。コンセルトへボウの音はそれは美しいのですが、決して表面的な美しさでは無く、内面的な美を浮かび上がらせているような気がしてなりません。

第4楽章は冒頭から気迫に驚かされます。ザンデルリンクにしては意外に速めのテンポに感じますが、巨大なものがぐんぐんと迫り来るようであり、良い意味での威圧感に圧倒される思いです。表情も大きく、引退前の巨匠のどこからこれほどのパワーが溢れだしてくるのか不思議になります。終結部の巨大さはやはりザンデルリンクです。ムラヴィンスキー/レニングラードにも匹敵する充実ぶりで、「天空の城ラピュタ」(?)という感じでしょうか。終演後に収録されている拍手の大きさには聴衆の満足感が現れていると思います。

いやぁ、ザンデルリンクはホント最後まで凄かったのですね。

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