ブラームス オルガンのための「11のコラール前奏曲」op.122 ~この世よ、われ去らねばならず~
ブラームスの葬儀が行われたウイーンのカール教会
親しい友人たちの次々の死、更には自らの死をも意識していたであろうブラームスにとって、最愛のクララ・シューマンの死は、余りにも大きな痛手となってしまいました。
彼は、オルガンのための「11のコラール前奏曲」を書き始めました。これこそは「4つの厳粛な歌」と同じく自分自身の為の鎮魂歌です。あれほど愛したクララへの追憶を胸に、もはや生きる意味や希望を全て失ってしまったブラームスが、自分の為に書き進めた最後の作品です。
ブラームスは若い時代にオルガンの為の曲を書いたことは有りましたが、その後40年ほどは書きませんでした。この作品122は、尊敬したバッハの形式と書法を用いて書かれ、終曲の古いコラール「おお、この世よ、われ去らねばならず」で曲集を終えます。
オルガンのための「11のコラール前奏曲」op.122
第1曲 わがイエスよ、汝は我を永遠に喜ばせ給う
第2曲 心より慕いまつるイエスよ
第3曲 おお、この世よ、われ去らねばならず
第4曲 われ心より喜ぶ
第5曲 装へ、わが魂よ
第6曲 おお、如何に幸いなるかな、信仰深き人々よ
第7曲 神よ、真の慈しみに満てる神よ
第8曲 ひともとのバラ生いいでぬ
第9曲 われ心よりこがれ望む
第10曲 われ心よりこがれ望む
第11曲 おお、この世よ、われ去らねばならず
という、全部で11曲のコラール前奏曲ですが、実はブラームスは、これらを1部と2部に分けて、それぞれ7曲づつ、合わせて14曲書くつもりだったという説も有ります。そうするとこの曲集は未完成作品だということになりますが、真偽のほどは、どうなのでしょうね。
この作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えてきました。以前から肝臓癌にかかっていたために、もはや医者の治療を受けても、病状は一向に良くなりませんでした。
それでも、自作曲の演奏会には無理をして顔を出してはいましたが、最後のコンサートになったのは、ウイーン・フィルによる「交響曲第4番」でした。指揮をしたのはハンス・リヒターです。ブラームスが来場していることを知った聴衆は、各楽章ごとに嵐のような拍手を送ったそうです。その半月後には、ブラームスはベッドから離れることが出来なくなり、とうとう1週間後に息を引き取りました。1897年4月3日のことです。ウイーンのカール教会で、人々が大勢参列する中で葬儀が行われました。そして3日後に、中央墓地に遺体が埋葬されました。
この曲集の録音は限られていて選択の余地は少ないのですが、自分が所有しているのはドイツのオルガニストのCDです。
クリストフ・アルブレヒト(1978年録音/シャルプラッテン盤)
アルブレヒトは1930年生まれのドイツのオルガン奏者です。生れた街は戦後、東ドイツに含まれました。若い頃に、ライプチッヒの聖トーマス教会でギュンター・ラミンに師事していますので、カール・リヒターとは兄弟弟子ということになります。合唱指揮者、指導者としても東側の枠を超えて活動をしましたが、その割に知名度が低いのは、リヒターのようなドラマティックな演奏スタイルでは無く、ドイツの昔気質のいかにも質実剛健な演奏だったからではないでしょうか。この録音では自身がオルガニスト兼指揮者を務めた、東ベルリンの聖マリア教会のオルガンを弾いていますが、どの曲も地味過ぎるようなほど質実な演奏です。けれども、このような曲の演奏は、これで良いと思います。
ということで、演奏そのものには不満が有りませんが、問題は、11曲が番号順では無く、ランダムに配置されていて、しかも初期の前奏曲やフーガが前後に置かれていることです。演奏家もしくはプロデューサーに、どのような意図があったのかは分りませんが、個人的には、この11曲は1番から順番に聴いてゆくのが良いように感じます。従って、CDを一度編集コピーし直して、順に聴くのも一つの方法だと思います。
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