ベートーヴェンの『第九』が古今のクラシック作品の中でも、最も偉大な作品の一つであることは疑いのない事実ですので、今更この曲について細かいことを書くつもりは有りません。
しかし、年末に第九を聴こうという習慣も、聞けば日本だけのことでは無く、ヨーロッパなどでも段々と増えているそうですね。日本から逆輸入の文化として、そのうちにすっかり定着するかもしれません。
それにしても、日本では12月になると音楽会は「第九」一色です。とりわけ東京では著しく、在京オーケストラはどこも揃って数回づつコンサートを開きますから、プロ・オケだけでも全部で40回前後。アマ・オケも同じように演奏しますから、第九の演奏会数は50~60回以上になるのではないでしょうか。第九だけはチケットも良く売れますので、おそらく東京都内だけでも延べ10万人くらいの人が第九を聴きに行く計算です。
確かにこの曲は、荒波にもまれた一年に禊(みそぎ)を行う気分で聴いて、新しい年を迎えるにはとてもふさわしい音楽だと思います。「苦悩を突き抜けて歓喜へ」とは未曾有の景気悪化まっただ中の今年の年末には特にぴったりでしょう。
第九のコンサートを聴きに会場に足を運ぶのも良し、自宅でCDを聴いて第九三昧するのもまた良しです。
ということで第九のCDの愛聴盤、お薦め盤などをご紹介することにしますが、1996年にベーレンライター版が出版されてからは、「もはや重厚でスケールの大きい演奏は時代遅れだ」というばかりに、猫も杓子も快速テンポを競うような時代になってしまいました。もちろん原点に遡る楽譜考証は重要ですが、「全員右向け右」みたいな風潮はどうかと思います。
それに、たとえどんなに録音が古くなろうとも、どんなに時代遅れと言われようとも、かのドイツの大巨匠ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの「第九」の演奏を避けて通ることは絶対に出来ません。そこでフルトヴェングラーとそれ以外の演奏で其々まとめてみることにします。
―フルトヴェングラーの演奏―
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1942年録音)(写真はターラのフルヴェン戦時中録音集) ファンには有名な戦時中の演奏です。僕が高校生の頃にカラヤンの次に買ったLP盤がこの演奏でした。その二つの演奏の余りの違いに愕然としました。すっきりスタイリッシュなカラヤンと壮絶極まりないフルトヴェングラー。どちらに感動したかは言うまでもありません。感受性豊かな若い頃にこの演奏に出会ったことが自分がクラシック音楽にのめり込む大きなきっかけになったと思います。さすがに今では滅多に聴くことは無いですが、クラシックファンならば一度は聴いておくべきだと思います。少々大げさに言えば人生観さえ変わるほどの凄さだからです。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団(1951年録音/EMI原盤:Grand Slam盤) 最も有名な戦後バイロイト再開の年の記念演奏会の録音です。戦時中演奏のあれほどの壮絶さは無いですが、限りなくスケール壮大な演奏です。というよりも、単なる「壮大さ」などとひと言では表現できない正に「宇宙的なまでの広がり」を持った演奏なのです。本家EMIの海外References盤の音も悪くは無かったですが、平林直哉さんのGrand Slamレーベルによる初期LPからの復刻盤が非常に音が良いのでお薦めです。MYTHOSの復刻盤よりも良いような気もします。これまでは団子状態に聞こえていた弦楽の細かい刻みまでが充分に聞き取れますので感動も新たです。これはファンには是非のお薦めです。余談ですが、朝日カルチャー講座の後に一度お話の出来た平林さんはいかにも誠実そうな印象でした。氏の仕事ぶりも全く同じ印象です。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団(1951年録音/オルフェオ盤) 上記の1951年バイロイトと同じ日の放送局正規録音ということで、オルフェオからCDがリリースされましたが、聴いてみるとこれは全く同じ演奏ではありません。ということは、これまでのEMI盤には実はかなり編集された部分が有ったのだと推測されます。けれどもオルフェオ盤は残念ながらEMI盤と比べてかなり音質が落ちます。ホワイトノイズが多いことに加えて高音強調型のマスタリングなので非常に聴き辛いです。従って音楽観賞用としてはEMI盤以上の存在意義は感じません。あくまでも編集の入らない”記録”としての位置付けとなるでしょう。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウイーン・フィル(1952年録音/ターラ盤) フルトヴェングラーのウイーン・フィルとの第九の録音は幾つか有りますが、最もドラマティクな演奏としては、この’52年のニコライ記念演奏会が挙げられます。1楽章の遅さと音のタメは驚くほどです。但し、それが逆に音楽の流れを悪くさせているようにも思います。ですので、個人的には流れと勢いのある’53年のほうを好みます。また独唱陣の出来も余り良いとは言えません。録音としても’53年のほうが優れています。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウイーン・フィル(1953年録音/独グラモフォン盤) ウイーン・フィルとの第九の録音の中で演奏・録音のバランスが一番取れているのが’53年のニコライ記念演奏会で、これは「ウイーンフィル150周年記念盤」として発売されました。’52年ほどのドラマティックさは有りませんが、非常に流れの良さを感じます。録音も良いので、べルリン・フィル盤でもバイロイト盤でも聴けない、ウイーン・フィルの持つ弦の柔らかな味わい、美しさを味わうことが出来ます。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団(1954年録音/オルフェオ盤) 通常”バイロイトの第九”と言えば1951年盤を指しますが、フルトヴェングラーが亡くなる年も同音楽祭で演奏をしていて、そのライヴ録音が出ています。後述のルツェルンでの演奏の僅か半月前のことです。オルフェオの51年盤が高音強調のマスタリングだったのに比べて、こちらは低音域が厚く、ティンパニがかなり目立ちます。ホワイトノイズが多く、テープ劣化で音が歪む箇所が多いのはやむを得ないとしても最大の致命傷は声楽ソリストの声をマイクが極端に大きく捉えている点です。変な話、歌謡歌手のマイク音量のように聞こえます。管弦楽と合唱団としては51年の演奏に決して劣らない素晴らしさですが、ソリストの録音で全てが台無しです。”記録”としての価値に留まります。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管(1954年年録音/audite盤) 大学生の頃ですが、フルトヴェングラーが亡くなる直前のルツェルン音楽祭の第九がバイロイトよりも凄いという評判を聞いて、どうしても聴きたくなりプライヴェートLP盤を購入しました。学生の身には随分と高価でしたが、実際に聴いてみてその噂通りの素晴らしさに本当に驚きました。但し音はかなり悪かったです。それが時を経て、いまから10年近く前にTAHRAレーベルがオリジナルテープからの復刻CDを出した時には、その余りに明瞭な音に驚愕したものです。演奏の真価がようやく明らかになり、その時には本当にバイロイト盤よりも上だと思いました。現在では様々なレーベルから復刻されていますが、無難な選択では放送局のオリジナルマスターテープを使用したaudite盤です。柔らかさと広がりを感じます。前述のTAHARA盤およびOTAKEN盤も音に硬さが有りますが非常に明瞭です。また聴いてはいませんが最近Grand Slamからオープンリールテープからのマスタリング盤も出ました。このあたりはどれを選んでも失敗は無いと思います。
―フルトヴェングラー以外の演奏―
フルトヴェングラーの幾つかの演奏があれば、正直「第九」はもう充分と思わないでもありません。事実、これまで他のどの「第九」の演奏を聴いても、フルトヴェングラーの良くて半分位の感動しか得られなかったからです。決して「感動」だけが鑑賞の尺度では無いとは思いますが、感動の無い第九などは聴きたくも無いですし、録音状態の良し悪し以外でフルトヴェングラーの彫りの深い表現を超えるものには未だに出会ったことがありません。とは言え、これだけの大作品です。フルトヴェングラー以外にも素晴らしい演奏は沢山存在します。実際に聴いてみればどれも面白く、ついつい耳を傾けてしまいます。それらのCDを古いものから順に挙げてみたいと思います。
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC響(1952年録音/RCA盤) 若いころはトスカニーニのドイツ音楽の演奏はドライに感じられて余り好まなかったのですが、改めて聴いてみるとその凄さに圧倒されます。テンポは速めで推進力が有りますが、ここぞという時の音のタメとカンタービレはこのマエストロならではです。それにしても80歳を越えて尚、他のどんな指揮者よりも音楽にエネルギーが充満しているのは驚きです。正にフルトヴェングラーと双璧の大指揮者でした。モノラルですが録音も明快です。
カール・ベーム指揮ウイーン交響楽団(1957年録音/フィリップス盤) 後年のグラモフォン盤の2種の録音ではなく、まだまだベームが壮年期で若い時代の演奏です。モノラル末期の録音なので音質も明快です。’70年代のグラモフォン盤と比べると、テンポもずっと早めで、ぐいぐいと畳み掛けるような勢いと生命力があります。円熟したグラモフォン盤よりもこちらのほうが好きだと言われる方も多いと思います。ただし自分自身はグラモフォン盤の余裕とスケールの大きさ、それにウイーン・フィルの音色の美しさを好みます。
アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィル(1957年録音/EMI盤) 全集盤に収められている演奏です第1楽章は幾らか遅めのテンポで重量感が有り、しかし推進力を失わないのが良いです。第2楽章ではリズムの切れの良さと推進力を感じますやはり遅めでじっくりと進みますが、途中から感興が高まりテンポも徐々に速まります。ベルリン・フィルと合唱にはドイツらしい堅牢さと音の厚みが有りますが、残念なことに録音の鮮度にやや不足を感じます。しかし同じ年のベーム番がモノラルであることを考えれば嬉しいです。
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管(1957年録音/EMI盤) EMIへのセッション録音による全集からです。同時代に人気の高かったフルトヴェングラー、ワルターのロマンティックな解釈に比べてずっとクールであくまでも造形感を重視した演奏となっています。ですので燃え立つような興奮は得られませんが、聴いているうちにじわりじわりと地面の底から持ち上げられるような感覚を憶えてゆきます。但しフィルハーモニアはこうしたクールな演奏に耐えるような音色を持たない為に、ドイツの名門オケを聴くような充実感に乏しいのがちょっと残念です。
オットー・クレンペラー指揮ケルン放送響(1958年録音/Medici Masters盤) クレンペラーの第九には前述の1957年録音のEMI盤の他にも57年ロンドンライブ、60年ウイーンライブなどがCD化されています。それらはいずれもフィルハーモニア管との演奏ですが、個人的にはそれほどの魅力を感じませんでした。ところがこのケルンライブには非常に引き付けられます。遅くスケール大きなテンポで、オーケストラのドイツ的で重厚な響きを存分に味わせてくれるからです。バリトンのホッタ―をはじめとするソリストも合唱も素晴らしく、クレンペラーの第九では第一に選びたいと思います。モノラルですがバランスの良い優れた録音なのも嬉しいです。
シャルル・ミュンシュ指揮ボストン響(1958年録音/RCA盤) 熱血ミュンシュの本領を発揮した炎のごとく燃え上がる演奏です。当時の演奏としてはテンポが非常に速く、息つく間も無いほどの緊張感を与える点ではフルトヴェングラーに迫ります。ただし管弦楽の音色が明るくフランス音楽のような音なので厳粛な印象は受けません。あくまでラテン的で明晰な興奮を誘う演奏だと思います。RCAのこのマスタリングは高音域が強調されていて余り好みでは有りません。
ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1959年録音/CBS盤) ワルターもフルトヴェングラーの第九と比較されて随分と割を食ったと思います。ところが、現在改めて聴き直してみると、これほどまでに指揮者の意図が伝わって形になっている演奏は極めて稀だということが分かります。第3楽章や、終楽章の歓喜の歌が弦楽で静かに歌われる部分の美しさは、ちょっと他には有りません。ワルターのベートーヴェンで素晴らしいのは、何も「田園」だけでは有りません。
フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプチッヒ・ゲバントハウス管(1959年録音/edel盤) コンヴィチュニーのベートーヴェンは学生の頃に廉価盤のLPで良く聴きました。安っぽくひどいデザインのジャケットでしたが演奏はどれも一級品でした。曲によっては一番好んだ演奏も有ったほどです。CD化されたこの全集も第一に選びたいほどです。第九も実に素朴な味わいであり、よく言われるようにまるで古武士の如き質実剛健な響きがなんとも魅力的です。合唱団、歌手陣も共にバランスがとても良いです。
ピエール・モントゥー指揮ロンドン響(1962年録音/DECCA盤) デッカ録音の全集に含まれますが単独でも出ています。 この全集はウイーンフィルとロンドン響が半々なのは良いとしても、何故か第九だけがウェストミンスターによる録音です。それがこうして全集となるのは有り難いのですが。肝心の演奏はこの人らしい軽さと重さが適度に混じりあったものですが、音色的には余り魅力のないイギリスのオケから音楽の香りを大いに漂わせるのは素晴らしいです。バス歌手のワードの歌い方がオーバーで古めかしく感じますが、全体としては「中庸の美徳」を感じる優れた演奏だと思います。
カール・シューリヒト指揮フランス国立放送管(1965年録音/Altus盤) シューリヒトの第九はEMIへの全集に当然含まれていますが、この人らしいカッチリ感は有るものの録音の古さからそれほど感銘は受けていませんでした。その点、このパリのライブはとても最晩年とは思えない躍動感と気迫に満ちていて圧倒されます。優秀なステレオ録音なので管楽器やティンパニの音の威力が半端でありません。終楽章の音楽の流れとアンサンブルが幾らか雑に感じられますが、それもライブ感と思えば許せます。シューリヒトファンには必聴の名演奏です。
ハンス・シュミット-イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響(1970年録音/ターラ盤) このCDはステレオ盤の方です(別のモノラル盤も有ります)。多少のざらつき感は有りますが奥行きの有る良好な録音なのが嬉しいです。どうもこの人はスタジオ録音の場合の柔和なイメージが強く、かなり誤解されているようです。ライブでも虚飾の無い実直なスタイルに変わりはないですが、力強さがまるで違うのです。この演奏も3楽章だけはあっさりしていますが、その他の楽章は非常に彫りが深く、剛健な北ドイツ放送響の音を充分に楽しめます。DECCA録音のあの穏やかなウイーン・フィル盤とは次元の異なる貴重なCDです。
カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1972年録音/グラモフォン盤) 30年以上も前の学生時代に聴いた時には、フルトヴェングラーに比べて随分生ぬるいと感じてしまい余り気に入りませんでしたが、現在改めて聴いてみると、やはり演奏の素晴らしさに感銘を受けます。何と言ってもウイーン・フィルの響きが美しいですし、音の緊張感にも決して欠けたりしません。テンポは幾分ゆったり気味ですが、実に堂々として立派であり、安心して身を任せられます。やはりベームは本当に偉大な指揮者でした。そのベームの第九の代表盤だ思います。
ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1976年録音/DENON盤) ノイマンは手兵チェコ・フィルとも、単独でも何度も来日しました。この第九は東京文化会館でのライブ演奏です。この第九は引き締まったテンポでストレートな良い演奏だと思います。元々チェコ・フィルの音は透明感が有りますが、金管全般とりわけトランペットを強く奏させるので、ドイツのオーケストラのように管楽器と弦楽器が溶け合う響きとは違って聞こえますが、それが逆に新鮮に感じます。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1976-77年録音/グラモフォン盤) カラヤン全盛期の70年代の録音だけあって音のコントロールが凄いです。オケも合唱も、ソリストまでも、それらすべての響き、音をカラヤンが彫琢の限りを尽くした驚くべき演奏です。しかし、果たしてこの音楽に込められたベートーヴェンの魂は、人類愛への祈りはどうかということですが、残念ながら余り感じられません。この曲を一つの「サウンド」として聴く分には大変感心出来ますが、それでは「第九」を聴く意味が有りません。また合唱の録音が、各パートの上手い歌い手を中心にマイクで拾っている印象ですので全体の壮大さを感じません。言葉を明瞭に聴かせるための方策なのでしょうか。名テノールのシュライヤーまでもが何となく窮屈な歌唱に感じてしまうのは気のせい?
レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1979年録音/グラモフォン盤) 写真は海外全集盤ですがもちろん単独でも出ています。昔はフルトヴェングラーに比べて随分スッキリしていると感じましたが、ベーレンライター版の普及した今の時代に聴けば、それなりに重さも有る立派な演奏です。要所で音にタメを作るのも巨匠風ですが、全体には推進力、生命力が溢れていてバランスの良さを感じます。何といってもウイーンフィルの音は大変美しいですし、合唱にも熱がこもっていて聴き応えが有ります。但しソリストについては余り感心しません。
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場管(1979/80年録音/キング盤) 録音された1970年代はSKドレスデンが多くの名人奏者を抱えていた時代で、ドイツ音楽ではウイーン・フィル以上に魅力的な音を響かせていました。ブロムシュテットは元々強い個性を感じる人ではありませんが、ここでは極上のオーケストラがまるで自然に鳴っている印象です。特別に深刻なドラマは有りませんが堅牢な造形を持つ素晴らしい演奏です。合唱団もソリスト陣も充実していますし、この楽団のいぶし銀の音のファンにとってはかけがえの無い演奏です。
オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン(1982年録音/DENON盤) スウィトナーの交響曲全集に収録されています。この人らしいドイツの伝統に沿ってはいても、新鮮さを失わない演奏です。SKベルリンの響きもドイツ的に溶け合っていて非常に美しいです。1楽章は速めで推進力がありますが、せかついた感じはしません。聴きごたえがあります。2楽章は速めで切れの良い演奏、3楽章は非常に美しく、心が洗われるようです。終楽章はことさら劇的に構えることなく誠実に熱演しています。
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1982年録音/オルフェオ盤) クーベリックも実演になると相当に人の変わる指揮者でした。スタジオ録音でも大抵バランス良くまとめてはいましたが、ライブの激しさを知るファンにとってはどうも物足りなさを感じることが多かったです。「第九」も同じバイエルン放送響とのセッションによるDG録音が有り、とてもよい演奏でした。ですが、やはりこのマエストロはライブ盤で聴きたいと思います。これは非常に素晴らしい演奏です。第1楽章の気迫、ドラマはフルトヴェングラーに中々迫りますし、第3楽章、第4楽章の弦のしなやかな美しさは非常に魅力的です。録音は優秀ですし、合唱もとても良く録れていて非常にスケールが大きいです。
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場管(1985年録音/Profile盤) これは第二次大戦のドレスデン爆撃によって崩れ落ちたゼンパーオーパーが再建された際の記念コンサートのライブ録音です。特別な演奏会だからかブロムシュテットとしては、かなりの気迫と熱気を感じます。我を忘れて造形性を崩すようなことは決して有りませんが、音そのものに非常に力が有ります。全体的に比較的速めのテンポで進みますが、このオケの充実した響きが聴かれます。素晴らしいのは終楽章で、特に合唱が入ってからは感動的な盛り上がりを見せて、そのままフィナーレへと雪崩れ込みます。録音も非常に優れています。
クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル(1986年録音/グラモフォン盤) これはアバド最初の「第九」録音で、ウイーンでのライブです。全体は幾らか遅めのテンポでスケールの大きさを感じますが、気迫のこもった管楽器や打楽器の音に気分を高揚させられます。3楽章も沈滞することなく静かに祈りを聴かせてくれます。終楽章も秀演なのですが、バリトンのプライの歌唱がオペラ的なのと、テノールのヴィンベルイが最初のマーチ部分を余りにアクセントを強調し過ぎて歌うのが気に入りません。聴きどころなので大きなマイナスです。しかしそれ以外は実に素晴らしい演奏です。
ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管(1987年録音/フィリップス盤) これは全集盤に収められていますが、単独盤も出ていると思います。オーケストラの響きと上手さが最高で、それを柔らかく捉えた録音が素晴らしいです。テンポは平均的で思わせぶりな音のタメが無くサクサクと進みますが、聴き応えは有ります。特に第三楽章までが素晴らしく、ハイティンクを見直します。終楽章も好演なのですが、セッション録音の欠点で、演奏のまとまりは良いものの少々クール過ぎて魂の高揚が余り感じられません。
クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン響(1987年録音/Weiblick盤) これはベルリン市制750周年を記念した祝賀演奏会のライブです。ザンデルリンクというとブラームス演奏でのイン・テンポで巨大な造形を構築する印象が強いですが、この第九では立派には違いないのですが、フォルテは激しく、アクセントも強調され、テンポの揺れも感じられます。極めてドラマティックな演奏です。第1楽章から激しく高揚してティンパニの強打に驚きます。第2楽章も激しさに興奮します。第3楽章は一転して静寂の気分一杯となり美しいです。終楽章も主題の歌わせ方の大きさに圧倒され、オーケストラと合唱の白熱ぶりは非常に素晴らしいです。録音も生々しさが感じられて良いです。
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ベルリン・フィル(1989年録音/グラモフォン盤) ジュリーニは不思議な指揮者で昔からイタリア的でもドイツ的でもない。何を振ってもジュリーニ的なのです。ベルリンPOも既にインターナショナルオケ化した後なのでこの演奏は決してドイツ的な音ではありません。第1楽章は遅めのテンポですが暗さは無く、およそ「苦悩」という雰囲気は生まれてきません。第3楽章も流麗で美しいですが神秘的ではありません。終楽章の合唱は力みの無いあっさりしたものです。後半になると少しも熱くならずにスケール大きく包み込むという、いかにもジュリーニ的な演奏です。
ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1989年録音/スプラフォン盤) これはビロード革命による民主化実現の年にプラハで開かれた記念コンサートのライブです。民主化を推進したハヴェル大統領も訪れて歴史的なコンサートとなりました。東京ライブに比べてテンポが遅めになり、見得を切る音のタメと間の取り方が「フルトヴェングラー的」です。チェコ・フィルはやはり澄んだ響きですが、東京ライブほどに金管が浮き上がらないので、ドイツ的な厚い響きに近いです。独唱陣と合唱も勝利と平和の祈りに満ち溢れていて感動的です。
クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1992年録音/LPO盤) テンシュテットの最後の活動時期のライブです。既に病魔に侵されて、死を目の前にしていたにもかかわらず、これほどの演奏が出来るとは驚きです。第1楽章冒頭から凄まじい迫力と集中力を感じます。全ての音に何と命がこもっていることでしょう。第3楽章ではゆっくりと、まるで時が止まっているような印象を受け、テンシュテット自身とオーケストラメンバーたちが一緒に音楽が出来る時間が残り少ないのを惜しんでいるかのようです。終楽章も凄まじいばかりの鬼気迫る熱演です。ティンパニや金管が部分的に騒々しく感じられるのだけはマイナスです。歌手陣と合唱は非常に優れています。
サー・コリン・デイヴィス指揮ドレスデン国立歌劇場管(1993年録音/フィリップス盤) 交響曲全集に含まれますが、このオケのいぶし銀の響きは健在です。ウイーンの流麗な柔らかさとは異なり、ドイツ的なガッチリしたリズムの上でマルカートに奏される音は少しも変わりません。それでいて得も言われぬ情緒感をそこはかとなく感じさせるのがこのオケの素晴らしさです。デイヴィスの指揮も堂々としたテンポ感で大きな造形を構築していて見事です。終楽章の合唱以降がテンポを全く煽らずに物足りなさを感じますが、そのままフィナーレまでじわりじわりと盛り上げてゆき最後は素晴らしい充実感を与えます。落ち着いた大人の為の極上の「第九」、そんな印象を受けます。
ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管(1999年録音/テルデック盤) 交響曲全集に含まれますが、この第九はスケールの大きな名演と言って良いと思います。バレンボイムが若いころフルトヴェングラーを尊敬していたのは有名ですが、確かにこの演奏にも影響が見え隠れします。全体的にじっくりとしたテンポでフォルテでグッと気迫を込める1楽章が特に印象的です。3楽章の天国的な感じも良いです。終楽章はスケール感は有るものの白熱度では先人に遠く及びません。合唱も悪くないですが、唯一テノールの独唱にややクセが感じられるのがマイナスです。
サイモン・ラトル指揮ウイーン・フィル(2002年録音/EMI盤) ベーレンライター版による第九です。快速テンポで進むかと予想していると意外に中庸な速さです。キメ所では十分に音をタメますし、昔の巨匠好きな自分にも満足を与えてくれます。管楽器や打楽器の端々での強調も非常に効果的です。ウイーン・フィルの弦の甘いヴィヴラートはかなり抑えられていますが、音色の美しさは変わりません。またコーラスにバーミンガム市響合唱団を起用したのは、精密なアンサンブルとハーモニーを狙ってのことだと思いますが、それが見事に当たっています。神々しい演奏だとは思いませんが、何度繰り返し聴いても新鮮で耳を奪われます。
クリスティアン・ティーレマン指揮ウイーン・フィル(2010年録音/SONY盤) 全集盤からの分売なのですが、これが中々に良い演奏です。フルトヴェングラーのような凝縮された音での鬼気迫る域には及びませんが、むしろ解放されて豊かに広がる響きでスケールの大きさを感じます。もちろんドラマティックさも、熱さも充分に有りますが、「激しさ」よりは「大きさ」を強く感じさせます。3楽章の表情豊かな弦楽の美しさは特筆ものです。終楽章の主題が最初に弦で奏されるところも非常に美しいです。合唱も美しく、モノラル録音のフルトヴェングラーは別格としても、ジュリーニや、クーベリック、シュミット-イッセルシュテットなどのステレオ録音の名盤に引けを取らない素晴らしい演奏の一つだと思います。
こうして並べてみると、ほとんど重量級の演奏が並んでしまいました。僕の好みははっきりしています。ドイツ的で重厚かつ激しい演奏が好きなのです。重厚なだけでも激しいだけでも駄目なのです。そうなると演奏は案外絞られます。フルトヴェングラーの中ではバイロイト盤とルツェルン盤が双璧。ウイーン・フィルとの録音では’53年盤をとります。
フルトヴェングラー以外で是非お薦めしたいのは、1にイッセルシュテット/北ドイツ放送響、2にクーベリック/バイエルン放送響、それに捨てがたいのが、トスカニーニ/NBC響、ベーム/ウイーン・フィル、ワルター/コロムビア響というところです。
それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
<補足>
フルトヴェングラーのルツェルン盤を書き換えました。バイロイト54年盤を追記しました。
また、トスカニーニ、クレンペラー、ミュンシュ、モントゥー、シューリヒト、カラヤン、バーンスタイン、スウイトナー、ブロムシュテットのライブ盤、アバド、ハイティンク、ザンデルリンクのライブ盤、ノイマンのライブ二種、テンシュテットのライブ盤、デイヴィス、バレンボイム、ラトル、ティーレマン盤を追加しました。
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