モーツァルト(歌劇)
2022年11月 4日 (金)
2015年6月18日 (木)
野田秀樹の天才! モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」
昨夜は演劇界の巨人、野田秀樹が演出したモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」をミューザ川崎で観劇しました。指揮は井上道義ですが、何でも井上さんから野田さんへの30年越しのラブコールがようやく実現したプロジェクトなんですって。今年の春と秋に全国で公演されますが、昨夜は春のラスト公演です。
野田さんと言えば中村勘三郎と組んだ幾つかの抱腹絶倒の創作歌舞伎が思い起こされますし、「アイーダ」をパロディにした歌舞伎も楽しかったです。それに比べると、今回はあくまでもまっとうなオペラ演出。ですが!そこは野田さんのこと、手垢にまみれた伝統的な演出とはかけ離れていますし、といって奇をてらった現代的な演出とも異なります。ドタバタコメディでありながら「男と女の愛情ドラマ」を本当に面白おかしく見せてくれました。
何しろ舞台設定が黒船来航時代の長崎です。通常ならば一番端役の庭師アントニ男(アントニオ)が初めから終わりまで語り部を務めます。レチタティーヴォを減らして物語の進行を歌手ではない俳優の廣川三憲を起用し、アントニ男として雄弁に語らせるという奇抜なアイディアです。受難曲で言えばさしづめ福音史家というところでしょうか。ですので、登場人物が複雑に入り組むこのオペラに初めて接した人でもとても理解し易くなっていたと思います。それは『普段オペラは観ないけれども、野田さんだから観てみようか。』という客層への配慮もあるようです。
<庭師アントニ男よりみなさまへ>
今宵は、懲りない「男と女」のお話しを、この庭師がいたします。 ところは長崎、港の見える丘。 時は黒船来航の世。 その黒船より、フルーツ、ピアノ、ダンス、牛鍋、オペラ、 そして西洋人が降りてまいります!
登場人物の伯爵と伯爵夫人、それに小姓ケルビーノの3人は黒船で海外から来た外国人の設定なので歌手も外国人です。その他の役は日本人の設定なので日本の歌手が演じます。歌詞やセリフについては外国人は原語で、日本人は日本語で演じました。その言葉が見事に融合していましたし、日本語で歌われるアリアの数々が不思議と違和感を感じさせません。確かに言語とは大きく異なるのですが、驚くほど自然に感じられています。歌詞は全て野田さんが書いたそうですが、これは正に天才のなせる業です!
演出には得意の歌舞伎の要素なんかも織り交ぜて、面白いこと楽しいこと!
川崎公演では管弦楽を東京交響楽団が担当しました。序曲や冒頭では幾らか不揃いの印象でしたが、途中から音が良くまとまってきて、素晴らしい演奏となりました。
歌手陣の配役もとても良く考えられたもので、感心しきりでした。フィガ朗(フィガロ)の大山大輔は美声で上手いのですが少々柔か過ぎで、もう少し力強さが欲しかったかな。小林沙羅のスザ女(スザンヌ)は一番良かったかもしれません。外国人3人についてはまず問題なし。ケルビーノは個人的には好まないカウンターテナーでしたが、この演出ではこれで良いのでしょう。
この他の歌手も良かったし、新国立歌劇場合唱団メンバーによる合唱も素晴らしかったです。
ともかく、こんなオペラを楽しむことが出来て本当に良かったです。
秋には全国公演の後半が有りますので、1000%のおススメですよ!
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2015年2月10日 (火)
井上道義指揮、野田秀樹演出 モーツァルト「フィガロの結婚」 ~庭師は見た!~
CDやDVDでの音楽鑑賞は本当に楽しいですが、生演奏の楽しみもまた格別なものです。聴きに行きたいと思うコンサートはもちろん沢山有りますが、なにせ緊縮財政状況ですので、近年は聴きに行くのは年数回に絞っています。
けれども、今年どうしても行きたいと思っているのが、井上道義指揮、野田秀樹演出によるモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」です。
ご存じの通り、井上さんは、昨秋喉頭がんの闘病から見事にカムバックしましたが、その際に井上さんは「これからは本当にやりたいと思うものをやって行きたい。その一つが野田秀樹演出の『フィガロの結婚』だ。何年も前から野田秀樹を口説いていて、せっかくやるなら一回や二回じゃなくて、日本中でやろうということになった。野田さんが演劇で培ったノウハウをオペラのなかに吸収したい。」と語っていました。
その「フィガロの結婚」がいよいよ5月から全国で十数回の公演が行われます。僕はそのうち6月の川崎公演を観に行きます。
野田さんは過去、新国立劇場でヴェルディの「マクベス」の演出を手掛けていますので、オペラ演出は二度目になります。また、歌舞伎座では中村勘三郎と組んで「アイーダ」をパロディにした「愛陀(あいだ)姫」を演出したことも有りますし、今回も野田さんらしい奇想天外なアイディアが飛び出すことでしょう。公演のキャッチコピーを目にしただけでもワクワクします。
<庭師アントニ男よりみなさまへ>
今宵は、懲りない「男と女」のお話しを、この庭師がいたします。
ところは長崎、港の見える丘。
時は黒船来航の世。
その黒船より、フルーツ、ピアノ、ダンス、牛鍋、オペラ、
そして西洋人が降りてまいります!
病魔との闘いに打ち勝った井上さんと演劇界の鬼才野田さんの初共演により生まれる「フィガロの結婚」。本当に楽しみです。
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モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」 名盤
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2014年11月 5日 (水)
モーツァルト 歌劇「魔笛」K620 名盤
モーツァルトがオペラで放った大傑作の三本の矢、第一の矢「フィガロの結婚」、第二の矢「ドン・ジョヴァンニ」に続く、第三の矢が「魔笛」です。これらのオペラは世界中のオペラハウスで数えきれないぐらい上演されて大変な経済効果をもたらしているでしょう。アベノミクスの第三の矢「成長戦略」の柱”女性の活躍”が足元から揺らいでいる安倍総理にとっては何とも羨ましいことでしょうね。
僕が「魔笛」の映像に初めて接したのは20代の時にイングマール・ベルイマン監督のオペラ映画を銀座のヤマハホールで観たときでした。モノクロながらも凛とした雰囲気と静と動の対比が素晴らしい作品であり、モーツァルトの音楽の素晴らしさにも改めて感嘆した記憶があります。
「魔笛」はモーツァルトの最後のオペラで、ドイツ語によるジングシュピールです。台本を書き、曲を依頼したのは劇場主であり劇団の座長シカネーダーですが、原作はヴィーラントの童話集『ジンニスタン』からの「ルル、あるいは魔笛」が元になっています。シカネーダーは俳優と歌手も兼ねていたので重要な役のパゲーノを演じました。このオペラはモーツァルト自身の指揮で初演が行れました。
このオペラは大ヒットとなり、1年間に100回も上演されました。モーツァルト自身もこのオペラは相当気に入っていたらしく、体調が悪化して死の床にあっても時計を手にして「今頃第1幕が終わるな」とか「今頃”偉大な夜の女王よ”と歌っているな」といった具合に「魔笛」の舞台を気にかけては、「もう一度魔笛が観たい」と言っていたようです。また、死ぬ直前にはパパゲーノの有名なアリアをくちづさんでいたそうです。
物語はメルヘンですが、ストーリーの矛盾性がしばしば指摘されます。それは、前半では悪者のザラストロと善者の夜の女王が、後半になると立場が全く逆に入れ替わってしまうからです。しかし所詮はメルヘンの世界ですし、サスペンスドラマなどでは善い者、悪い者が入れ替わる演出も良く有りますので、細かいことは言わすに楽しみたいと思います。
「魔笛」には親しみ易く魅力的な曲が本当に次から次へと登場します。コロラトゥーラ・ソプラノが連続する最高音を駆使して歌う有名な「夜の女王のアリア」は衝撃的な曲ですが、黒柳徹子が舞台で披露したぐらい有名です。パパゲーノのアリア「おいらは鳥さし」や、口に錠をかけられて歌う「フム・フム・フム・・・」など奇想天外の楽しい歌がふんだんに有る一方、タミーノのアリア「なんと美しい絵姿」やパミーナのアリアのように非常に美しい歌も有り、更に合唱曲も、まるでミサ曲でも聴いているような壮麗さです。
僕が好きなのはモノスタトスのアリアで、速いアレグロのテンポに乗って「俺は色が黒いので嫌われるけど、恋の喜びはある。俺も生身の身体、女を撫でたり可愛がったりしたいんだ。」と、眠っているパミーナにまとわりつきながら歌うのが何ともエロティックです。
けれども本当に一番好きなのは、恋人も女房も諦めて首をくくって死のうと思ったパパゲーノが最後にようやく出会えたパパゲーナと歌う二重唱「パ・パ・パ」で、運命の相手にようやく出会えた喜びを、こんなにも面白可笑しく、いじらしく表現してしまうとは正に天才。このような曲をモーツァルト以外の一体誰が書き得たことでしょう。
それでは、その物語のあらすじです。
―あらすじ―
時代:古代
場所:エジプトの架空の世界
登場人物
タミーノ(T):王子
パミーナ(S):夜の女王の娘
パパゲーノ(Br):鳥刺し
パパゲーナ(S):老婆、のちにパパゲーノの女房
夜の女王(S):世界征服を狙う女王
ザラストロ(Bs):大司祭
ほか
第1幕
王子タミーノが岩山で大蛇に襲われて気を失うが、夜の女王の3人の侍女達が現れて大蛇を退治する。ところが、たまたま通りかかった鳥刺しのパパゲーノが、「助けたのは自分だ」と嘘を付く。それに怒った侍女達は、パパゲーノの口に錠を掛けてしまう。
タミーノは侍女達から夜の女王の娘パミーナの絵姿を見せられると一目惚れをしてしまう。女王は「悪人ザラストロに捕らえられた娘を救い出してくれれば、娘を嫁に与える」と約束をする。
タミーノは”魔法の笛”を受け取り、ザラストロの神殿に向かう。口の錠を外されたパパゲーノも”魔法の鈴”を受け取り、タミーノにお供として付いて行く。
ザラストロの神殿に到着したタミーノとパパゲーノは離れ離れになるが、パパゲーノが先にパミーナを見つける。
一方タミーノは弁者から、ザラストロは本当は悪者などでは無く高徳な大司祭であり、世界の征服をたくらむ夜の女王の邪悪な野望の犠牲とならないようにパミーナを保護していたことを教えられる。
魔法の笛と鈴の力に導かれたタミーノとパミーナはザラストロの前でようやく出会え、お互いを運命の人と思い愛し合う。しかしザラストロは二人が結ばれるためには試練を受けることが必要だと説く。
第2幕
タミーノは試練に向かう。パパゲーノは嫌がるが、やはり恋人を得るために試練を受けることになる。
初めは「沈黙」の試練である。沈黙をして何も話さないタミーノに、事情を知らないパミーナは深く悲しむが耐え抜く。そして「火」の試練、「水」の試練と続き、タミーノとパミーナは”魔法の笛”の力を借りて無事に乗り越える。
一方パパゲーノは、辛抱出来ずに脱落してしまうが、”魔法の鈴”の力を借りることで、それまで老婆に化けていたパパゲーナと出会って恋人となる。
ことの成り行きに怒りに震える夜の女王は侍女達を引き連れてザラストロの神殿に侵入しようとするが、雷鳴とともに打ち砕かれてしまう。すると、輝ける太陽の世界が現れる。
ザラストロは試練に打ち勝ったタミーノとパミーナを祝福し、太陽神を讃えて幕が閉じられる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それでは愛聴盤のご紹介です。
オトマール・スウィトナー指揮ドレスデン歌劇場管/ライプチッヒ放送合唱団
ペーター・シュライヤー(T)、ギュンター・ライプ(Br)、シルヴィア・ゲスティ(S)、テーオ・アダム(B)、ジークフリート・フォーゲル(Br)他(1970年録音/オイロディスク原盤:DENON盤)
この演奏の魅力はとにかく管弦楽に尽きます。音がきりりと引き締まっているにもかかわらず硬さは感じられず、全ての楽器が柔らかく溶け合って本当に美しいです。特筆すべきは首席フルートのヨハネス・ワルターです。このオペらにおいてフルートは有る意味主役ですが(なにせ「魔笛」ですよ!)ワルターのフルートは正に”魔法の笛”で、音が実に柔らかく、まるでフラウトトラヴェルソみたいです。スウィトナーのテンポは中庸で最近の早いテンポの演奏を聴いた後だと落ち着きを感じます。派手さは少しも有りませんがオーケストラの典雅な響きを生かした素晴らしい演奏です。歌手陣ではシュライヤーのタミーノが秀逸です。反面パパゲーノと夜の女王には弱さを感じます。合唱は優秀ですが、ドレスデン聖十字架合唱団の三人の少年はすこぶる絶品です。全体に当時の東ドイツの誠実さが滲み出るような名演だと思います。
カール・ベーム指揮ベルリン・フィル/RIAS室内合唱団
フリッツ・ヴンダーリッヒ(T)、D.F=ディースカウ(Br)、ロバータ・ピータース(S)、フランス・クラス(Bs)、ハンス・ホッタ―(Br)他(1964年録音/グラモフォン盤)
優雅な「フィガロ」にベルリン・フィルのシンフォニックな音は頂けませんが、「魔笛」は問題ありません。むしろ整然としたアンサンブルが音楽に適しています。ベームは1955年にもウイーン・フィルとDECCAに録音を残していますが、全体的にウイーン的な音で少々緩さを感じてしまうので、「魔笛」に関しては迷うことなくベルリン・フィル盤を選びます。歌手ではなんと言っても不世出の名テナー、フリッツ・ヴンダーリッヒのタミーノがかけがえ有りません。ドラマティックで凛々しく、本当に惚れ惚れとします。但し他の歌手陣に大きなバラつきが有り、ザラストロのフランツ・クラス、弁者のホッターは良いとして、F=ディースカウのパパゲーノは散々指摘されることですが、利発さを隠して馬鹿を装っているようでどうも演出臭いです。ピータースの夜の女王も声は悪くありませんが歌に余裕が無く精一杯という感じです。従って、これはベームとヴンダーリッヒの印象ばかりの強い(にもかかわらず)個性的な名盤だと思います。
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管/合唱団
ペーター・シュライヤー(T)、ヴァルター・ベリー(Br)、アンネリーゼ・ローテンベルガー(S)、エッダ・モーザー(S)、クルト・モル(Bs)、テオ・アダム(Br)他(1972年録音/EMI盤)
サヴァリッシュ全盛期の録音なので、非常に引き締まって優れたアンサンブルを引き出しています。ドレスデン歌劇場の芳醇な響きには一歩譲りますが、管弦楽の美しい響きが素晴らしいです。よどみの無い音楽の流れが小気味良く、劇の進行を少しも飽きさせずに愉しませてくれます。歌手に関しても主要なキャストが皆優れています。ペーター・シュライヤーのタミーノは適役で、この役を何度も歌っていますが、この録音がベストの出来だと思います。ヴァルター・ベリーのパパゲーノもユーモラスな演技で表情が豊かであり”自然児”の雰囲気が出ていて素晴らしいです。エッダ・モーザーの夜の女王もテクニックが申し分無く声質も鋭いので怒りの雰囲気が滲み出ています。その他の歌手も充実していてほとんど疵が見られず、総合すると個人的には最も気に入っているディスクです。EMIの録音はデッカやグラモフォンに比べて透明感や立体感が幾らか不足がちですが問題はありません。
ゲオルグ・ショルティ指揮ウイーン・フィル/楽友協会合唱団
ウヴェ・ハイルマン(T)、ミヒャエル・クラウス(Bs)、スミ・ジョー(S)、ルート・ツィーザク、クルト・モル(Bs)他(1990年録音/DECCA盤)
ショルティのDECCAへの二度目の録音です。一般的には1969年録音の旧盤の評価が高いのですが、自分にはショルティがウイーン・フィルの手綱を締め上げ過ぎで息苦しく、デリカシーも感じられません。金管の強音などは暴力的にさえ感じられます。どうして世評が高いのか大いに疑問です。その点、この新盤ではそのような印象は受けず、ショルティの円熟ぶりを感じます。ウイーン・フィルのしなやかで美しい音の魅力が上手く引き出されていますし、ベームのDECCA盤のようなユルさも無く、速めのテンポによる適度な緊迫感が素晴らしいです。歌手ではスミ・ジョーの夜の女王が秀逸で素晴らしいです。その他は全体に小粒ながらも粒は揃っていて、ミスキャストが無いのが有り難いです。個人的には余り好まないショルティですが、このような良い演奏も有ります。DECCAの録音は非常に優秀で、雷鳴や鳥のさえずりの効果音が使われているのが楽しめます。
ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカルプレーヤーズ
アンソニー・ロルフ・ジョンソン(T)、アンドレアス・シュミット(Br)、ドーン・アップショウ(S)、コルネリウス・ハウプトマン(B)、ベヴァリー・ホック(S)他(1990年録音/EMI盤)
所有する唯一の古楽器派の演奏です。当然のことながらオーケストラの音色は”古雅”ですが、悪く言えば”痩せて乾いている”となります。ノリントンらしく非常に快速なテンポときついアクセント、それにティンパニの強打などが新鮮と言えば新鮮かもしれませんが、余り好みではありません。歌手は古楽器の音に合わせ、余り重い声の歌い手は使われていません。軽中量級の歌手ばかりです。やや物足りないとはいえ、粒は揃っていますし、全体のコンセプトからすれば適切な選択です。合唱は小規模で力みが無く美しいです。この演奏も派手な雷鳴や猛獣のうなり声などの効果音が使われていて、やや過剰ながらも楽しいです。色々と文句を付けてしまいましたが、面白い演奏であることは間違いないので、ご自身の耳で一聴する価値は有ると思います。
この他の演奏では、トスカニーニが1937年のザルツブルク音楽祭でウイーン・フィルと演奏した歴史的録音、カラヤンが1952年にウイーン・フィルと演奏したライブ盤(EMI)、ベームが1955年にウイーン・フィルと録音した旧盤(DECCA)、ショルティがウイーン・フィルと録音した旧盤(DECCA)、コリン・デイヴィスがドレスデン歌劇場管と録音した演奏(フィリップス)などを聴きましたが、どれも手放してしまい現在は持っていません。当然余り気に入りはしなかったからです。
最後にDVDもご紹介しておきます。
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管/合唱団
夜の女王:エディタ・グルベローヴァ(S)
タミーノ:フランシスコ・アライサ(T)
パパゲーノ:ヴォルフガング・ブレンデル(Br)
パミーナ:ルチア・ポップ(S)
ザラストロ:クルト・モル(Bs)他
演出:アウグスト・エヴァーディング
(1983年収録/ユニテル)
DVDはサヴァリッシュ/バイエルン歌劇場盤を所有しています。やや古い収録ですので画面は4:3ですし、映像も最新盤のように鮮明ではありません。けれどもアウグスト・エヴァーディングの舞台演出が奇をてらうことなくメルヘンの雰囲気に溢れていて安心出来ます。歌手もグルベローヴァの夜の女王、ルチア・ポップのパミーナはサヴァリッシュのCD盤を凌駕します。タミーノとパパゲーノはさすがにCD盤には及びませんが、他の歌手についても不満は無く粒が揃っています。全体を統率するサヴァリッシュの力は折り紙つきで極めてオーソドックスで完成度の高い「魔笛」を楽しむことが出来ます。
以上ですが、CDのマイ・フェイヴァリットとしては、現在はサヴァリッシュ/バイエルン歌劇場盤を上げます。歌手陣が理想的だからです。次点としてはオーケストラの魅力から、スウィトナー/ドレスデン歌劇場管盤とショルティ/ウイーン・フィルの新盤の二つとなります。
ということで、3月にスタートしてから8ヶ月続いたモーツァルト特集ですが、ここでひとまず幕を下ろすことにします。お付き合い下さり有難うございました。
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2014年10月18日 (土)
モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K527 名盤
モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」は、ダ・ポンテの台本によるオペラ・ブッファなので、本来であれば喜劇です。けれども、モーツァルトはこの作品を「ドラマ・ジョコーソ」と呼びました。「ドラマ」が”悲劇”を表すのに対して「ジョコーソ」は”喜劇”の意味ですので、モーツァルトはこのオペラには悲劇と喜劇の両方を込めたという見方が自然です。何しろ、幕が上がるといきなり真暗闇の場面に始り、そして殺人が起きて、最後はドン・ジョヴァンニの”地獄落ち”の壮絶な場面で終わりますので、通常のオペラ・ブッファのイメージからはまるでかけ離れます。全体を覆っている暗さ、重さは、とても単純に喜劇と呼べるような作品ではありません。
その主人公のドン・ジョヴァンニは、神をも恐れず人をも恐れず、ひたすら快楽の本能に従って行動する放蕩者ですが、従者のレポレッロが第1幕の「カタログの歌」で御主人様のことを歌っています。ちなみに”カタログ”というのは、過去にドン・ジョヴァンニが遍歴を重ねてきた数多くの女性たちの記録台帳のことです。
「カタログの歌」
オットー・エーデルマン(Bs)、フルトヴェングラー/ウイーン・フィル(1954年ザルツブルク音楽祭より)
イタリアでは640人、ドイツでは231人、
フランスでは100人、トルコでは91人、
スペインでは1003人、
田舎娘も、町の女も、女中も、伯爵夫人も、
男爵夫人も、公爵夫人も、お姫様も、
ブロンドの髪も、とび色の髪も、白髪も、
冬は太った女を、夏は痩せた女を、
大柄の女も、小柄の女も、
年増女も、若い娘も、
貧乏でも、金持ちでも、
醜い女も、美しい女も、
要はスカートをはいてさえいれば、
彼が何をするか、あなたもご存じの通り!
すごいですよねぇ・・・。女たらしもここまでくれば見上げたものです。何しろ、人種の違いも、年齢も、貧富の差も、容姿にも全くとられわることなく、全ての女性を分け隔てなく愛せる男だということですね。第二幕では「一人の女だけを愛したのでは、他の女が可哀そうだ。」とも言っています。
さて、一応ストーリーのおさらいをしておきます。
―あらすじ―
時代:指定なし(およそ17世紀)
場所:指定なし(恐らくスペイン)
登場人物
ドン・ジョヴァンニ(Br):スペインの好色な貴族
レポレッロ(Bs):ドン・ジョヴァンニの従者
騎士長(Bs):ドンナ・アンナの父
ドンナ・アンナ(S):騎士長の娘
ドン・オッターヴィオ(T):ドンナ・アンナの婚約者
ドンナ・エルヴィーラ(S):ブルゴスの貴婦人(ドン・ジョヴァンニのかつての恋人)
ツェルリーナ(S):村の娘
マゼット(Bs):ツェルリーナの婚約者、他
第1幕
伝説のドン・ファンことドン・ジョヴァンニは、女であれば誰でも口説き、そして捨て去ることを次々と繰り返していた。
その夜も従者のレポレッロに見張りをさせて、ドンナ・アンナの寝室に忍び込むが、失敗して騒がれる。そこへドンナ・アンナの父親の騎士長が駆けつけて争いとなるが、ドン・ジョヴァンニは騎士長を刺し殺し、レポレッロとともに逃げ去った。
それでも懲りないドン・ジョヴァンニは、別の貴婦人に声をかけたが、その婦人はかつて恋人だったドンナ・エルヴィーラだった。捨てられたことを怒る彼女を従者レポレッロに押しつけて、ドン・ジョヴァンニはその場を逃げ去る。
その次の標的は、村で農夫マゼットと結婚式を挙げていた娘ツェルリーナであった。ドン・ジョヴァンニは村人たちを自分の邸宅に招待して派手な宴会を催し、その間にツェルリーナをこっそり頂こうという企みを考えたのだった。あと一歩でツェルリーナをものにできるところだったが、そこに突然ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、ドンナ・エルヴーィラの3人が現れて、彼の悪行を暴露したので大混乱となる。しかしドン・ジョヴァンニとレポレッロは、その絶体絶命の窮地を何とか切り抜けると、またしても逃げ去った。
第2幕
ドン・ジョヴァンニは策略で、レポレッロと服を交換して、またしても女性を誘惑しに出かけてしまう。一方、ドン・ジョヴァンニになりすましたレポレッロは、エルヴィーラを館の外に連れ出すが、ドンナ・アンナ達に本人と勘違いされて取り囲まれてしまう。
やっとの思いで窮地を脱したレポレッロは、墓場でドン・ジョヴァンニと落ち合う。その墓場には殺した騎士長の墓が有り、石像が立っていた。ドン・ジョヴァンニが自分の女遊びのことをレポレッロに話していると、石像が口を開いて、彼に「悔い改めよ」と語りかけた。レポレッロは恐しさに震えるが、ドン・ジョヴァンニは全く動揺せず、大胆不敵にもその石像を晩餐に招待する。
その晩、ドン・ジョヴァンニが豪勢な晩餐をしていると、本当に騎士長の石像が歩いてやって来た。石像は「悔い改めよ」と繰り返すが、ドン・ジョヴァンニが「私は何も悪いことはしていない」と答えると、地獄への扉が開き石像は彼を地獄に引きずり込んだ。
一同は「これが悪人の成れの果て」と歌い、幕が閉じられる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という、一見したところ「勧善懲悪」の話なのですが、果たして法治国家の日本だったら彼の悪行が死刑に値するものかという疑問がわきます。
法律に詳しくはありませんが、罪状が「2000人以上の女性との淫行と一人の殺人」では、死刑にまではならないように思います。
恐らく女性の大半は、両者に合意が有ったと見なされるでしょうし、そもそも騎士長の殺人も先に剣を抜いたのは騎士長のほうですし、ドン・ジョヴァンニが「お前となど戦うつもりは無い!」と言っているのに、騎士長が向かって行ったのです。従って”正当防衛”だと解釈されるでしょう。この事件、もしも皆さんが陪審員だったらどう判断されるでしょう。
それにしても「ドン・ジョヴァンニ」の音楽は凄いです。
それまでのような一人の歌手が長く歌うアリアはほとんど無く、複雑に絡み合う重唱曲が大半を占めます。ブッファ的な愉しい曲や天国的に美しい曲を多く含みながらも、全体はデモーニッシュな雰囲気に満ちていて、不協和音による凄みの有る音を出してみたり、半音階を使って心の不安を表現したりと、音楽の懐の深さという点では、「フィガロ」や「魔笛」以上のように思います。音楽の持っている”毒”の含有量も半端では無いですし、もしかしたら、この作品こそが三大オペラの最高峰かもしれない、そんな気がしてくるほどです。
尚、このオペラはプラハで初演されましたが、ウイーンで再演されたときにはモーツァルトが改編を行ったので二つの版が存在します。改編はウイーンの聴衆の好みに合わせて行われたようですが、出演歌手に力量のバラつきが有った為でもあるようです。ですので、現在は大抵の場合、両版の折衷の形で演奏されています。
それでは愛聴盤のご紹介です。
ブルーノ・ワルター指揮メトロポリタン歌劇場
エツィオ・ピンツァ(Br)、アレキサンダー・キプニス(Bs)、ローズ・バンプトン(S)、ヤルミナ・ノヴォトナー(S)他(1942年録音/NAXOS盤)
ワルターは1937年にザルツブルクで演奏したウイーン・フィルとの素晴らしい「ドン・ジョヴァンニ」を聴くことも出来ますが、音質の貧しさはどうしようもありません。その点、こちらのメトのライブは古いながらも比較的音がしっかりしています。とにかく猛烈なテンポによる凄まじい演奏で、ドラマティックな点では比類有りません。部分的には歌手が歌い切れないほどの速さで、極端過ぎに感じられるほどです。ただ、フルトヴェングラーのように濃密に粘るわけではありません。タイトルロールのピンツァは男臭さが強烈です。レチタティーヴォでチェンバロでは無くピアノが使われている点が古めかしくマイナスに感じられます。誰にでもお勧め出来る演奏ではありませんが、強烈な歴史的録音として一聴の価値が有ります。
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウイーン・フィル
チェーザレ・シェピ(Br)、オットー・エーデルマン(Bs)、エリザベート・グリュンマー(S)、エリザベート・シュワルツコップ(S)、アントン・デルモータ(T)他(1954年録音/EMI盤)
これはザルツブルク音楽祭のライブです。フルトヴェングラーの亡くなる年の演奏ですが、気力が充実していて弛緩することは皆無です。序曲から物々しいテンポと濃密な表情に圧倒されますが、逆に”しつこい”と感じる人も居ると思います。歌手陣はさすがに豪華で、EMIリリースなのでシュワルツコップのドンナ・エルヴィーラが聴けます。さすがに表現力が圧巻で、シェピとエーデルマンの最強コンビの向こうを張って素晴らしいです。フルトヴェングラーのテンポはここでも緩急の変化が大きく、曲によっては驚くほど遅く歌わせます。つまり、完全にロマン派寄りの演奏なのですが、作品そのものにロマン派的な要素が多いので、聴き慣れると余り違和感は感じません。これが他の作品であれば、このようには行かないと思います。”古典派”の枠からはみ出した作品と指揮が幸福な出会いをした名演だと思います。オーストリア放送協会による録音はもちろんモノラルですが当時のライブとしてはバランスが良く、かなり聴き易いです。
ヨーゼフ・クリップス指揮ウイーン・フィル
チェーザレ・シェピ(Br)、フェルナンド・コレナ(Bs)、シュザンヌ・ダンコ(S)、リーザ・デラ・カーザ(S)、ヒルデ・ギューデン(S)他(1955年録音/DECCA盤)
これもまた1955年録音のデッカによるモーツァルト・オペラの白眉の一つです。クリップスはウイーン・フィルと当時ウイーンで活躍した歌手たちを揃えて古き良きウイーンの味わいを引き出しています。その甘く柔らかいサウンドは、このオペラの持つ重さに一見似合わないと感じられるかもしれませんが、本来オペラブッファであることから考えれば、この洒落た軽みこそがむしろ相応しい気がします。シェピのタイトルロールはキャラクターイメージにピッタリのハマり役で、これ以上の歌手は二度と出ないと思いますし、コレナのレポレッロも素晴らしく、このコンビだけでも満足し切れます。もちろん他の歌手達も非常に充実していて心から楽しめます。音質もさすがにデッカで、レンジの狭さは感じますが、正規のステレオ録音で鑑賞に支障は有りません。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィル
ニコライ・ギャウロフ(Br)、ジェレイント・エヴァンス(Bs)、グンドゥラ・ヤノヴィッツ(S)、テレサ・ツィリス=ガラ(S)、オリヴェラ・ミリヤコヴィッチ(S)他(1970年録音/オルフェオ盤)
カラヤン全盛期のザルツブルク音楽祭ライブです。気になる音質はバランスの良いもので満足できます。過去の大巨匠達の演奏と比べると、ずっとスタイリッシュですが、極端にロマンティックに成り過ぎないのでモーツァルトの音楽そのままを鑑賞出来ます。先人たちの個性が余りに強烈であった為に続けて聴くと物足りなさを感じますが、決してそんなことは有りません。この曲のウイーン・フィルの演奏はさすがに素晴らしいです。ただ、地獄落ちの場面の恐ろしさはいま一つかもしれません。歌手ではギャウロウのタイトルロールは声は立派ですが、セクシーさはまずますというところ。それよりもヤノヴィッツのドンナ・アンナが声が美しく表現も深く非常に魅力を感じます。ミリヤコヴィッチのツェルリーナの声もとてもチャーミングで良いです。
カール・ベーム指揮ウイーン・フィル
シェリル・ミリンズ(Br)、ワルター・ベリー(Bs)、アンナ・トモワ=シントウ(S)、テレサ・ツィリス=ガラ(S)、エディット・マティス(S)、ペーター・シュライヤー(T)、他(1977年録音/グラモフォン盤)
ザルツブルク音楽祭ライブですが、この演奏はベームにしては余り話題に上がることが有りません。確かにこのオペラの持つ濃厚なロマンティシズムには不足している気がします。けれども極端で無く安定したテンポを取って古典的な造形性と格調の高さを示すのは流石にベームのモーツァルト・オペラです。歌手ではミリンズのタイトルロールはカラヤン盤のレイミーよりも好きですし、ワルター・ベリーのレポレットも良いと思います。トモワ=シントウのドンナ・アンナは気が強そうで役柄的に相応しいです。エディット・マティスも綺麗な声を生かしてツェルリーナにピッタリです。 シュライヤーのドン・オッターヴィオも期待通りで素晴らしいです。但しジョン・マカーディの騎士長は凄みに欠けています。その為に”地獄落ち”の迫力はいま一つのように感じます。録音はウイーン・フィルの音の美しさを十全に捉えた優秀なものです。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
サミュエル・レイミー(Br)、フェルッチョ・フルラネット(Bs)、アンナ・トモワ=シントウ(S)、アグネス・バルツァ(Ms)、キャスリーン・バトル(S)他(1985年録音/グラモフォン盤)
カラヤンはオペラの録音にベルリン・フィルを頻繁に使いましたが、総じて好みません。上手いことは上手いのですが、響きがシンフォニックに過ぎます。それに加えて必ずしも歌伴奏のセンスが充分ではありません。もっともそれはウイーン・フィルと比較した場合の話ではあるのですが。比較的世評の高い歌手陣ですが、1970年のザルツブルク音楽祭の方が好みに合います。特にレイミーのタイトルロールが声も演技も小物なのが大きな不満です。逆にバトルのツェルリーナは可憐な美声が最高に魅力的で素晴らしいです。スタジオ録音ですので細部の完成度は高いですが、音楽の流れの勢いには不足しているように感じられてしまいます。”地獄落ち”も凄まじい音響の割にはドラマが余り感じられません。総合的にはカラヤンは1970年盤を好みます。
リッカルド・ムーティ指揮ウイーン・フィル
ウィリアム・シメル(Br)、サミュエル・レイミー(Bs)、キャロル・ヴァネス(S)、シェリル・ステューダー(S)、スザンヌ・メンツァー(S)他(1990年録音/EMI盤)
ムーティは「ドン・ジョヴァンニ」を相当に愛していると思います。でなければ、とても出来そうに無い名演です。このオペラを知り尽くしているウイーン・フィルに更に細かく表情づけを行なわせて、あらゆる部分で新しい発見をさせられます。それも音楽の奔流を損なうこと無く、細部の彫琢の限りを尽くすという、少々大袈裟に言えば「神業」です。ダイナミクスとデリカシーの両立が見事に成し遂げられています。歌手では、ヴァネスのドンナ・アンナがややヒステリックですが、役柄上の性格ですし不自然ではありません。メンツァーのツェルリーナも新婦としては幾らか歳かさを感じられなくも無いですが悪くは有りません。その他のキャストは総じて優秀です。一幕の騎士長とドン・ジョヴァンニの争いの場面で、剣の効果音や騎士長の叫び声が無いのが物足りませんが、全体から見れば些細な事です。その分”地獄落ち”では壮絶な音の迫力がドラマを充分に表していて満足させてくれます。
ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ
アンドレアス・シュミット(Br)、グレゴリー・ユーリッチ(Bs)、アマンダ・ハルグリムソン(S)、リン・ドーソン(S)他(1992年録音/Virgin Classics盤)
所有している唯一の古楽器系の演奏です。これはプラハ版で演奏していますが、ウイーン版による部分が別の1枚のCDに収録されているので比較するのには便利です。古楽器派のノリントンならではのアイディアですね。演奏は曲にも寄りますが、総じてかなり速いテンポで駆け抜けます。古楽器派とあれば仕方がありませんが、ロマン派的な要素の強いこのオペラにはもう少し濃密な表現を求めたくは成ります。オーケストラは非常に歯切れが良く、音が軽くあっさりとしているので物足りなさを感じますが、時にバロック的に書かれている部分が真正バロック音楽に聞えるのは新鮮です。ベルリン・フィルのようなシンフォニックな音は好みませんが、もう少し浪漫の色彩が欲しいような気はします。但し”地獄落ち”の場面は現代楽器派以上に迫力が有り緊迫感を感じます。歌手陣については、美声が揃っていて表情がとても豊かなので満足させられます。
最後にDVDもご紹介します。
リッカルド・ムーティ指揮ウイーン国立歌劇場管弦楽団/合唱団
ドン・ジョヴァンニ:カルロス・アルバレス
レポレッロ:イルデブランド・ダルカンジェロ
ドンナ・アンナ: アドリアンヌ・ピエチョンカ
ドン・オッターヴィオ:ミヒャエル・シャーデ
ドンナ・エルヴィーラ:アンナ・カテリーナ・アントナッチ
ツェルリーナ:アンゲリカ・キルヒシュラーガー
騎士長:フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ
演出:ロベルト・デ・シモーネ
会場:アン・デア・ウィーン劇場
(1996年収録/DENON盤)
フルトヴェングラーとカラヤンの映像ものは非常にポピュラーで、かつてはこの二つで「ドン・ジョヴァンニ」の舞台を楽しみました。特に前者は、稀代のドン・ジョヴァンニ役のシェピの舞台が見られるのが貴重です。けれども最近はムーティがアン・デア・ウィーン劇場で行ったライブ映像盤で楽しんでいます。
ロベルト・デ・シモーネの演出舞台は一貫して照明が暗く、夜の場面だけで無く、晩餐会の場でも同じように暗いです。この作品の「闇」の面を特に重視しているからでしょう。衣装もユニークです。幕開けは17世紀の服装、次には18世紀風、最後は19世紀風と、劇の進行につれて服装が時代を変えてゆくのです。それが全く違和感を感じさせず、自然に感じられるのが凄いです。元々この作品には時代設定がされていないので、このような演出を取ったのでしょう。
ムーティとウイーン・フィルの演奏は90年のCD録音が最高でしたが、ここでも同様の素晴らしさです。セッション録音と変わらない精緻さで気迫のこもった演奏を繰り広げています。歌手陣は全て容姿も歌も申し分なく、演技も非常に満足できます。特筆すべきはタイトルロールのカルロス・アルバレスで、悪そうで、セクシーで、どこか憎めない役柄をものの見事に演じています。
これだけ映像と演奏が充実している舞台は珍しいと思います。
以上ですが、マイ・フェイヴァリットを特に上げれば、CDではヨーゼフ・クリップス/ウイーン・フィル盤とリッカルド・ムーティ/ウイーン・フィル盤です。それに番外としてワルターとフルトヴェングラーを上げます。
DVDではもちろんリッカルド・ムーティ/ウイーン国立歌劇場盤です。
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2014年10月 9日 (木)
モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K492 名盤
モーツァルトの三大オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」は、そのどれもが余りに素晴らしいので、これに順序を付けるのはおよそ至難の業です。聴き手の好みに委ねる他に手は無いでしょう。それとて熱列なモーツァルティアンであればあるほど、悩み迷うのは明らかです。「それでお前はどうなのか?」と尋ねられても、うーん、やはり困った・・・。最初に好きになったのは「魔笛」ですが、次に熱中したのは「フィガロ」です。今では「ドン・ジョヴァンニ」の魅力にも抗し難いですし、やはり結論が出せません。
まぁ、それはさておき、「フィガロの結婚」はチャーミングで心が躍るようなアリア、旋律がよくもまあ次から次へと登場してくる、まるで「七色虹変化」とでも呼びたくなるようなオペラです。その点では古今のオペラの中でも随一ではないでしょうか。
ダ・ポンテによるイタリア語の台本は、ドタバタ喜劇の極みです。領主の使用人である婚約者の二人が領主夫人と協力して、「初夜権」(使用人同士が結婚をする場合には、領主が新郎よりも先に花嫁と初夜を過ごせるという、とんでもない中世の封建的特権制度)を復活させようと企む領主を懲らしめるという、なんともふざけた内容で、モーツァルトの美しく愉しい音楽とのギャップが信じられません。
ともかく、ストーリーのおさらいをしてみましょう。
―あらすじ―
時代:18世紀中ごろ
場所:スペインのセヴィリア
登場人物
アルマヴィーヴァ伯爵(Br):領主
伯爵夫人(S)
スザンナ(S):伯爵の女中
フィガロ(Br):伯爵の従者
ケルビーノ(Ms):伯爵邸に住む少年
バルトロ(Bs):医者
マルチェリーナ(Ms):女中頭
バジーリオ(T):音楽教師
第1幕
伯爵邸。フィガロは、今日結婚をするスザンナから驚きの話を聞く。それは、スザンナに下心を持つ伯爵が、かつての領主の特権であった初夜権の復活をたくらんでいるという事実であった。
一方、女中頭のマルチェリーナはフィガロに貸した借金の証文をたてに、バルトロとともにフィガロの結婚の妨害を企てる。
スザンヌの部屋にケルビーノ、伯爵、バジーリオが集まって大混乱となり、怒った伯爵はケルビーノに軍隊入りを命じる。
第2幕
伯爵夫人の居間。夫人は伯爵の愛が冷めてしまったことを悲しんでいる。
そこでフィガロとスザンナは伯爵をこらしめる作戦を考えて、伯爵夫人も協力をする。
その作戦とは、伯爵に仕える少年ケルビーノにスザンナの服を着せて、伯爵がスザンナと夜こっそり会おうとしたときに、驚かせようというものであった。ところが、スザンナがケルビーノに女装をさせている最中に伯爵が現れてしまい大混乱となる。結局、フィガロの作戦は失敗に終わる。
その上、マルチェリーナが借金の証文を持ってやって来て、「契約通り、フィガロは私と結婚をしなさい!」と迫るので、伯爵は大喜び。
第3幕
城内の大広間。裁判の結果、フィガロはマルチェリーナと結婚するように申し渡される。
ところが驚きの事実が発覚する。捨て子であったフィガロは、実はマルチェリーナとバルトロの二人が若い頃に遊びをして出来てしまった子供だということである。つまり、3人は父母、息子の関係であった。
スザンナを加えた4人は喜び合い、フィガロとスザンナは無事に結婚式を挙げることが出来た。
一方、伯爵は相変わらずスザンナを誘惑しようとしている。そこで伯爵夫人が、今度は自分がスザンナと服を交換して、密会の現場に行く作戦を思いつく。
第4幕
夜の城内の裏庭。伯爵はスザンナと秘かに会えるのを楽しみにやって来る。そして、スザンナの服を着た伯爵夫人をスザンナと勘違いして、甘い言葉で誘惑する。
一方、フィガロは伯爵夫人の服を着たスザンナを大袈裟に誘惑する芝居をする。それを聞いた伯爵は妻の浮気を見つけたものと勘違いをして大声で一同を集める。ところが、実は自分が誘惑をした相手が妻だったことを知って驚愕する。
伯爵夫人はすっかり反省した伯爵を許し、一同喜び幕を閉じる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
というように、かなり入り組んだドタバタ劇なので最初は理解がし難いですが、話を理解してしまうと実に計算され尽くした傑作喜劇であることが分かります。一方、これは単なる喜劇では無く、封建制度を風刺、批判する”毒”を含む内容とも受け止められます。それにしては、ヨーゼフ2世が宮廷歌劇場での公演をよく許可したものですね。
それでは僕の愛聴盤のご紹介です。
モーツァルトの三大オペラは登場人物が多く、誰もみな強い個性を持つので、歌手の配役が大変です。全てが満足できる配役は中々無いので、どこかで妥協をしながら全体が満足できる演奏を選ぶしか無いと思います。
エーリッヒ・クライバー指揮ウイーン・フィル
チェザーレ・シェピ(B)、ヒルデ・ギューデン(S)、アルフレート・ぺル(Br)、リーザ・デラ・カーザ(S)、スザンヌ・ダンコ(S)他(1955年録音/DECCA盤)
1955年に録音されたデッカのモーツァルト・オペラの白眉の一つです。何といっても戦前のウイーン・フィルから続いている甘く柔らかい音を生かして、かつ全体をキリリとしたテンポで引き締めている父クライバーの指揮が最高です。序曲に続くフィガロとスザンナの二重唱の伴奏を聴いただけでもう魅了されてしまいます。艶と色気のあるシェピの声は助平な伯爵の方に似合いそうですが、フィガロ役でも芝居っ気たっぷりの上手い歌に惹きつけられます。一方ギューデンのスザンナにはやや気品が足りない気がします。ぺルの伯爵とデラ・カーザの伯爵夫人は水準レベルです。むしろダンコのケルビーノが可愛らしい声でいてボーイッシュな雰囲気が有り素晴らしいです。主要な歌手が必ずしも万全では無いのですが、とにかくオーケストラの音色と全体の雰囲気がいかにもウイーンであり、何物にも代え難い絶大な魅力を感じます。終幕のフィナーレも実にあっさりとしていますが、これこそがウイーン風なのでしょう。古いステレオ録音ですが、当時のデッカの音造りは優秀なので不満無く素晴らしい演奏を楽しめます。
カール・ベーム指揮ウイーン・フィル
エーリッヒ・クンツ(Br)、イルムガルト・ゼーフリート(S)、D・Fディースカウ(Br)、エリザベート・シュヴァルツコップ(S)、クリスタ・ルードヴィヒ(Ms)他(1957年録音/ORFEO盤)
1957年ザルツブルグ音楽祭でのライブ収録です。モノラルですが録音は明瞭で歌手の声も良く録れています。ウイーン・フィルとの演奏の為か、6年後のベルリン・ドイツオペラと比較すると、ベームの手綱の引き締め方に余裕が感じられます。これはウイーンとベルリンの性格の違いだと思います。リズムの刻み方もベームにしては甘さを感じますが、これはオペラ・ブッファですし、ベルリン・ドイツ盤に堅苦しさを感じる場合には、こちらのウイーンの柔らかい雰囲気は魅力的に感じられるでしょう。歌手ではクンツのフィガロとゼーフリートのスザンナの掛け合いが楽しいです。シュヴァルツコップの伯爵夫人には期待したいところですが、調子が万全でなかったのか第2幕のカヴァティーナなど感銘はいま一つです。他の歌手陣は実力者揃いで充実しています。
カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管
ワルター・ベリー(Br)、エリカ・ケート(S)、D・Fディースカウ(Br)、エリザベート・グリュンマー(S)、エディット・マティス(S)他(1963年録音/ポニーキャニオン盤)
記念すべきベーム初来日となったベルリン・ドイツ・オペラの東京、日生劇場でのライブ収録です。ステレオ録音ですし、当時の生録としてはかなり明瞭な音質です。残響が少ないのは会場の実際の音響を忠実に捉えたものでむしろ好ましいです。とにかくベームの指揮が素晴らしく、引き締まった全体のアンサンブルとドラマの造り上げ方が絶妙です。更に実演ですので精気に溢れています。但し、歌手に凸凹が有るのが気になります。特にケートのスザンナが声質が子供っぽく気品が全く感じられないので残念です。ベリーのフィガロはまずまずです。素晴らしいのは情感籠るグリュンマーの伯爵夫人と可憐なマティスのケルビーノでとても印象的です。ステージ上の音や聴衆の拍手、笑い声が盛大に聞こえますが、これは生の舞台を彷彿させていて個人的には気になりません。長らく入手困難でしたが、近年再リリースされましたので入手もし易くなりました。
カール・ベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管
ヘルマン・プライ(Br)、エディット・マティス(S)、D.F=ディースカウ(Br)、グンドゥラ・ヤノヴィッツ(S)、タティアーナ・トロヤノス(S)他(1968年録音/グラモフォン盤)
これは「フィガロ」の歴史上に残る録音です。日本でのライブのような勢いは無いものの、スタジオ録音による緻密さと歌手陣の優れていることが繰り返しの鑑賞に適しています。プライのフィガロ、マティスのスザンナには文句なし。F=ディースカウの伯爵、ヤノヴィッツの伯爵夫人も万全です。あえて欠点を上げればトロヤノスのケルビーノで、これは残念。ベルリン・ドイツ・オペラ管はベームの指揮に忠実に緻密な演奏をしていますが、元々特に上手い楽団では無いですし、ウイーン風の柔らかな音や華麗さを求めるのは無理な話です。ウイーン・フィル、あるいはドレスデン歌劇場管の演奏の音と比べてハンディにならないかと聞かれれば到底否定できるはずは有りません。にもかかわらず、ベームが造り出す音のドラマには効し難い魅力を感じます。これがウイーン・フィルであったらとは思いますが、そこはひとまず忘れましょう。
オトマール・スウィトナー指揮ドレスデン国立歌劇場管
ワルター・ベリー(Br)、アンネリーゼ・ローテンベルガー(S)、ヘルマン・プライ(Br)、ヒルデ・ギューデン(S)、エディット・マティス(S)他(1964年録音/Berlin Classics盤)
スウィトナーのモーツァルトのオペラ録音では「魔笛」と並ぶ名演だと思います。しかも歌手がすこぶる充実していることでは「魔笛」以上です。ベリーのフィガロとプライの伯爵は正に適役。ローテンベルガーのスザンナは凛々しく、マティスのケルビーノも可憐です。出番が少ないながらバジーリオを歌うシュライヤーも光っています。全体は例によってスウィトナーらしい快速テンポで躍動感に溢れていますが、音符を完璧に弾き切るドレスデンのオケの実力には凄みすら感じます。もちろん緩徐部分ではじっくりと落ち着きをみせて、ソロ奏者の妙技がじっくり味わえます。全体のスタイルは毅然としたドイツ風でウイーン風の甘さこそ有りませんが、この歌劇場の持つ古雅な響きによる味わいはそれを補って余りあります。これはドイツ語による演奏ですが、違和感はほとんど感じません。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィル
ホセ・ファン・ダム(Br)、イレーナ・コトルバス(S)、トム・クラウセ(Br)、アンナ・トモワ・シントウ(S)、フレデリカ・フォン・シュターデ(S)他(1978年録音/DECCA盤)
「フィガロ」を演奏してウイーン・フィルほど魅力的な団体は無いと思います。1950年代までのあの陶酔的な音はこの頃既に失われていますが、それでも他の団体と比べれば質が全く異なります。この録音はカラヤンの意図が徹底的に反映されている印象を受けます。序曲は速いテンポでダイナミクス巾の大きい演奏でカラヤンらしく常套的です。全体的には歌手にレガートを強調させて歌わせているのが少々不自然さを感じさせます。これはカラヤンのシンフォニー演奏とも共通しています。その歌手ではホセ・ファン・ダムのフィガロが声質が重すぎて(偉そうに聞こえて)唯一のハズレですが、コトルバスのスザンナ、トモワ・シントウの伯爵夫人、シュターデのケルビーノと実力派が揃っていて各自の声質も含めて満足できます。他の歌手も非常に粒が揃っています。デッカの録音も良く、非常に長所も多いので、カラヤンの欠点とダムのフィガロに目をつぶれば中々に楽しめる全曲盤だと思います。
リッカルド・ムーティ指揮ウイーン・フィル
トーマス・アレン(Br)、キャスリーン・バトル(S)、ヨルマ・ヒュニネン(Br)、マーガレット・プライス(S)、アン・マレイ(Ms)他(1986年録音/EMI盤)
これもウイーン・フィルの演奏で、速いテンポでダイナミクスの大きい点はカラヤンと共通していますが、異なるのはムーティにはカラヤンのような演出臭さは余り感じられないことです。演奏に勢いを感じる反面、ウイーン・フィルにしては僅かに粗さを感じられなくも有りません。歌手ではバトルのスザンナが声質からしてチャーミングで魅了されます。アレンのフィガロは主役としては幾らか物足りませんが、大きな不満は有りません。プライスの伯爵夫人も夫から相手にされない妻の役にぴったりの声質で良いです。マレイのケルビーノもまずまずです。歌手全体にはハズレが無い代わりにやや小粒でまとまった感は有ります。EMIの録音はカラヤンのデッカ盤よりも新しいわりに僅かに混濁感が有るのが残念です。
最後に映像を収録したDVDもご紹介しておきます。
カール・ベーム指揮ウイーン国立歌劇場
ヘルマン・プライ(Br)、ルチア・ポップ(S)、ベルント・ワイクル(Br)、グンドゥラ・ヤノヴィッツ(S)、アグネス・バルツァ(S)他(1980年収録/NHK盤)
ベームの最後の来日となったウイーン国立歌劇場の引っ越し公演のライブで、会場は東京文化会館です。奇しくも初来日のときに披露した「フィガロ」を最後の来日でも演奏したのでした。最晩年のベームですので指揮の動きは非常に少なくテンポもゆったりとしているのですが、それにもかかわらず音楽の生き生きとしていることには驚かされます。歌手ではルチア・ポップのスザンナが声も顔もチャーミングの極みで最高です。プライのフィガロももちろんハマり役ですが、特筆すべきはヤノヴィッツ円熟の伯爵夫人で、第2幕のカヴァティーナではウイーン・フィルの伴奏と共に余りに感動的なのでとても言葉にはなりません。他の歌手陣も特に欠点は見当たらず満足ができます。画面は4:3ですし、画質も明瞭とは言えません。けれども音は放送用の録音を映像に重ねているので悪くありません。これは出来れば音だけでCD化して欲しいと思います。
尚、ベームにはジャン・ピエール・ポネル演出の有名な映像作品も有りますが、テレビ映画仕立てであることと、スザンナを映像で観る場合にはフレーニよりもやはりポップの方に魅了されます。
というわけで、CDでは何と言ってもエーリッヒ・クライバー/ウイーン・フィル盤を迷わずに選びます。もう一つ選ぶとすればオーケストラの魅力の全く異なるスウィトナー/ドレスデン国立歌劇場盤でしょうか。何種類か有るベーム盤はどれもが格調の高さに惹かれますが、むしろベームはDVDの日本公演盤で楽しみたいです。
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2014年9月21日 (日)
モーツァルト 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K588 名盤
モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K.588の正式なタイトルは「Così fan tutte, ossia La scuola degli amanti」で、訳すと”女はみなこうしたもの、または恋人たちの学校”となります。台本は「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」と同じダ・ポンテの手によります。
ストーリーは、二人の姉妹のそれぞれの彼氏が、彼女らの貞節を試すために互いの相手を口説いてみたところ、二人とも心変わりをしてしまう。けれども、どちら側にも言い分が有るので、そのままお互いに認め合うしかないものだという内容です。
そんな内容から、長い間この作品は不道徳であるとして低く評価されて来ましたが、20世紀になると再評価されて、現在では「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」の三大オペラに加えて”四大オペラ”と称されるようになりました。
―あらすじ―
時代:18世紀末
場所:イタリアのナポリ
第1幕
青年士官のフェルランドとグリエルモは、老哲学者ドン・アルフォンソの「女は必ず心変わりするものだ」という主張に対して、「自分たちの恋人に限ってそんなことはない」と反論する。そこでドン・アルフォンソは、自分の主張を証明するために二人と賭けを行なうことを提案する。フェルランドとグリエルモはドン・アルフォンソの提案に同意する。
彼らの恋人のフィオルディリージとドラベッラの姉妹が登場して、愛を讃える歌を歌うと、そこへドン・アルフォンソが現れて、フェルランドとグリエルモが国王の命令で戦場に向かうことになったと伝える。
フェルランドとグリエルモが現れて、彼女たちとの別れを悲しむ芝居をする。四人の恋人たちが愛を誓い合い、やがて兵士たちが出発する。
舞台はフィオルディリージとドラベッラの家に変り、女中のデスピーナが愚痴をこぼしながら働いていると、姉妹が悲しみに打ちひしがれて帰ってくる。デスピーナは、「男は他にも居るでしょう」と姉妹に浮気を勧め、「男や兵士の貞節なんて」と歌う。
ドン・アルフォンソはデスピーナを芝居に巻き込み、フェルランドとグリエルモをアルバニア人に変装させて家に連れて来て、フィオルディリージとドラベッラに「彼らは自分の古い友人たちだ」と偽り紹介をする。変装した二人は姉妹に求愛をして愛の歌を歌うが、姉妹は求愛を受け入れずに立ち去る。
フェルランドとグリエルモは「賭けに勝った」と笑うが、ドン・アルフォンソは芝居を続け、デスピーナと共に姉妹を陥落させる計画を進める。
姉妹は庭で恋人を想う二重唱を歌うが、そこへ変装したフェルランドとグリエルモが現れて、絶望の余り毒を飲んだふりをする。すると姉妹は驚いて、変装をした二人に同情をし始める。
そこへ医者に変装したデスピーナが現れて、苦しみもだえる二人を支えるように姉妹に指示する。意識を取り戻したふりをして二人は姉妹にキスを迫り、混乱のうちに幕を閉じる。
第2幕
デスピーナは姉妹に気晴らしをすることを勧め、「女の子は恋の手管を覚えなければなりません」と歌う。
そこで姉妹は互いに「二人のどちらを選ぶ?」と尋ね、ドラベッラは「ブルネット」(グリエルモ)の方、フィオルディリージは「ブロンド(フェルランド)の方」と実際の恋人とは逆の相手を選んでしまう。
ドン・アルフォンソは姉妹を庭へ誘い、そこへ変装したフェルランドとグリエルモが現れる。ドン・アルフォンソとデスピーナは四人をくっつけようとする。
フェルランドとフィオルディリージが庭に散歩に出かけると、残されたグリエルモがドラベッラを口説くと、ドラベッラは陥落してしまう。一方、フィオルディリージはフェルランドの求愛を拒絶する。
フェルランドとグリエルモは互いの結果を報告する。グリエルモはフィオルディリージの貞節を喜ぶが、フェルランドはドラベッラの心変わりにショックを受ける。グリエルモはフェルランドを慰めて「女はたくさんの男と付き合うものだ」と歌うが、フェルランドは「裏切られた」と悲しむ。
ドン・アルフォンソは更に芝居を続けることにする。
悩むフィオルディリージに対して、ドラベッラは恋の楽しさを陽気に歌う。フィオルディリージは貞節を守るために恋人のいる戦場へ行こうと決意して軍服を着るが、そこに現れたフェルランドに激しく求愛をされてついに陥落してしまう。
賭けに勝ったドン・アルフォンソは、互いに認め合いそれぞれの恋人と結婚すれば良いと提案し、「女はみなこうしたもの」と歌う。
結婚式の祝宴の準備が進められ、フィオルディリージと変奏したフェルランド、ドラベッラと変奏したグリエルモの二組のカップルが登場する。公証人に扮したデスピーナが現れ、4人はそれぞれの結婚の証書にサインをする。
そこへ突然、兵士たちの歌声で「婚約者たちが戻ってきた!」と知らされたので姉妹は呆然とする。変装を止めたフェルランドとグリエルモが現れて結婚証書を見つけ激怒するふりをする。姉妹は平謝りするが、そこですべてが種明かしをされて、一同が和解して幕となる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
というわけで、非常にナンセンスなドタバタコメディなのですが、モーツァルトの音楽は例によって極めて美しい旋律に溢れています。この作品は登場人物が6人に限られていて、歌も独唱よりも重唱が非常に多いのが特徴です。管弦楽も派手さが無く、すこぶる緻密な書き方なので、まるで室内楽のようです。4大オペラの中では特に室内楽的な作品だと言えます。作品番号から判るように、この作品はモーツァルトの最後のオペラ・ブッファであり、円熟の業を如何なく発揮した素晴らしい作品です。
それでは愛聴盤のご紹介ですが、ディスクはごく少数に限られます。
カール・ベーム指揮ウイーン・フィル
エーリッヒ・クンツ(Tr)、アントン・デルモータ(Br)、リーザ・デラ・カーザ(Sp)、クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)(1955年録音/DECCA盤)
1955年には翌年のモーツァルトの生誕200年記念の為のレコーディングが多く行われましたが、デッカがウイーン・フィルを使って録音したエーリッヒ・クライバーの「フィガロ」、ヨーゼフ・クリップスの「ドン・ジョヴァンニ」、そしてこのベームの「コジ」という一連のオペラ全曲盤では、現在では失われてしまった古き良きウイーン・フィルの甘く柔らかい音と、その管弦楽の響きにまろやかに溶け合う当時のウイーンで活躍した名歌手たちの饗宴が最高の味わいを与えてくれます。ベームは「コジ」には相当な思い入れを持っていたようで、スタジオ録音ではこのデッカ盤から7年後の1962年にEMIに再録音をしています。大物歌手を揃えたEMI盤も確かに歌唱の魅力は素晴らしいのですが、オーケストラがフィルハーモニア管というのが惜しいです。ベームの引き締まった音造りがストレートに出過ぎていて、このオペラの愉悦感が少なくとも管弦楽からは聞こえて来ません。その点、このデッカ盤の夢見るような美しさに一度魅入られてしまったら絶対に離れられません。録音年代から低域の音像がかなり甘いですが、全体的には明瞭な録音で聴き辛さは感じません。
カール・ベーム指揮ウイーン・フィル
ペーター・シュライヤー(Tr)、ヘルマン・プライ(Br)、グンドゥラ・ヤノヴィッツ(Sp)、ブリギッテ・ファスベンダー(Ms)(1974年録音/グラモフォン盤)
カール・ベームが80歳の誕生日にザルツブルクで行った公演の収録です。全体にゆったりとしたテンポですが、それでいてライブならではの高揚感をしっかりと持ちます。オーケストラは厳しく統率されていて一点一画も揺るがせませんが、ウイーン・フィルの持つ柔らかい響きが演奏を硬直させることも無く素晴らしいバランスをもたらしています。オペラ・ブッファにもかかわらず格調の高さにおいて比類が無く、これぞ晩年のベームの至芸です。歌手陣は実力者揃いですのでライブにもかかわらずキズも少なく、スタジオ録音では得られない生き生きとした見事な歌のアンサンブルを繰り広げます。録音も優れていて、実際の舞台を目にするような臨場感が感じられます。同じザルツブルグ収録でも、放送用に録音されたものとはレベルが異なります。ベームの記念すべき公演にかける出演者やスタッフ全員の意気込みが伝わる素晴らしい名盤だと言えます。
オトマール・スウィトナー指揮ベルリン国立歌劇場
ペーター・シュライヤー(Tr)、ギュンター・ライブ(Br)、チェレスティーナ・カーサピエトラ(Sp)、アンネリース・ブルマイスター(A)(1969年録音/エテルナ原盤:DENON盤)
スウィトナーはやはりモーツァルトの演奏に一番魅力を感じます。シンフォニーでもオペラでもその演奏スタイルは全く変わらず、速めのテンポによる弾むようなリズムが心地良いです。管楽器が16分音符で幾らか転んでいるのが気にはなりますが、オーケストラ全体の統率としては素晴らしいです。とにかく大きく歌い崩さないにもかかわらず微細なニュアンスの変化に富んでいるのがスウィトナーの最大の美徳です。典型的なドイツスタイルの演奏ですので、ウイーン風の甘さや、イタリア風の明るさを聴きたい場合には必ずしも向いてはいませんが、かっちりとした室内楽的な演奏としてお勧め出来そうです。聴いていてどことなく当時のコンサートマスターのズスケが主催するベルリン弦楽四重奏団の演奏を連想してしまうのは自分だけでしょうか。歌手陣は水準以上を保っていますが、フィオルディリージを歌うカーサピエトラが他盤に比べ少々聴き劣りするのが残念です。フェルランドを歌うシュライヤーもベーム盤と比べるとまだ未成熟な印象を受けます。
もちろん上記の3種とも愛聴していますが、やはりベームの2種には効し難い魅力を感じます。これをどちらか一つに絞るのは難しいですが、個人的にはDECCA盤を上げます。ただ、他人に奨めるならグラモフォン盤を上げるかもしれませんし、オーケストラの音色や味わいに特にこだわらなければEMI盤も選択肢に上げられるでしょう。
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2014年9月 4日 (木)
モーツァルト 歌劇「後宮からの誘拐(逃走)」K384 名盤
歌劇「後宮からの誘拐」(日本では「後宮からの逃走」とも)は、モーツァルトの5大オペラの一つとして数えられる人気の高い作品です。
この作品は、オーストリア皇帝ヨーゼフ二世の勅命により作曲されました。その背景には、前政権時に建てられたウイーンの宮廷劇場をヨーゼフ二世が自分の管理下に移して、ドイツ文化の啓蒙を目的とした演劇を行う国民劇場(ブルク劇場)と改めたものの、当時のオペラはイタリア語が主流であったという状況があります。ですので、この劇場で本格的なドイツ語オペラを成功させるというのが、皇帝の望みだったのです。
当時モーツァルトは故郷のザルツブルクからウィーンに移住したばかりでしたが、「後宮からの誘拐」の作曲に必死で取り組み、翌々年に完成させます。ブルク劇場での初演は大成功し、モーツァルトはウィーンでの名声を確立しました。
このあたりのいきさつは、ミロス・フォアマン監督のアカデミー賞受賞映画「アマデウス」でも大変面白く描かれていました。
「後宮からの誘拐」のストーリーは、主人公ベルモンテが召使ペドリッロと共に、トルコの太守(たいしゅ=地方行政長官の意)セリムの後宮に囚われている婚約者のコンスタンツェ、それにペドリッロの恋人のブロンデを救い出すという内容です。
この作品にはレチタティーヴォは無く、代わりにセリフによって劇を進行するジングシュピール(歌芝居)です。
―あらすじ―
場所:トルコの地中海沿岸にある太守の後宮
時代:18世紀
第1幕
ベルモンテは婚約者コンスタンツェを探して旅をしてきた。コンスタンツェはイギリス人の女中ブロンデとともに海賊に連れ去られ、太守セリムに売られたのだった。
セリムの家来オスミンが庭にやって来たので、ベルモンテが別行動を取ってきた召使ペドリッロの情報を聞き出そうとするが、オスミンは怒り出してしまう。
それでもベルモンテはペドリッロと何とか再会が出来て、二人でコンスタンツェを後宮から誘拐することを決意する。
セリムがコンスタンツェを連れて登場する。コンスタンツェはセリムからの執拗な求愛を拒み続けている。
ペドリッロの機転によって騙されたセリムはベルモンテをイタリアの建築家として雇うことにする。だが、オスミンはそれを不審に思っている。
第2幕
ブロンデもまたオスミンから粗野な求愛をされるがそれを拒絶する。コンスタンツェは悲しみに暮れながらブロンデを迎え入れる。
セリムは「自分に服従しないならば拷問にかける。」とコンスタンツェを脅迫するが、彼女は「どんな拷問が待っていようと苦痛も死も恐れません。恐れるのは貞操を失うことです。」と答える。
ペドリッロは恋人のブロンデに会うことが出来て、ベルモンテと二人で逃走の準備をしていることを教える。
ペドリッロはオスミンに酒を飲ませて眠らせ、ベルモンテはコンスタンツェと再会を果たせた。このときベルモンテとペドリッロは、一度はコンスタンツェとブロンデの貞節を疑うが、その疑いも晴れて喜び合う。
第3幕
ベルモンテとペドリッロがはしごを持って庭に忍び込んでくる。
ベルモンテはコンスタンツェを連れ出すことに成功するが、ペドリッロとブロンデがオスミンに見つかってしまう。結局、4人とも衛兵に捕えられて連行される。
セリムはベルモンテが仇敵の息子であることを知って死刑を命令しようとする。ところが、二人の悲嘆ぶりを聞いたセリムは心が変わってしまい、全員を釈放する。残忍な処刑を楽しみにしていたオスミンががっかりして幕を閉じる。
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このようにモーツァルトのオペラとしては、ストーリー展開や心理描写が非常に単純で理解しやすい作品です。ただ、原題の「後宮からの誘拐」ですと、恋人を取り戻す二人の方が何だか悪者のようなので、個人的には「逃走」のほうがむしろ好ましいという気がします。
『たとえ拷問を受けて命を落としてでも貞操を守る』というコンスタンツェの一途な愛には頭が下がります。なんと素晴らしい女性でしょうか。それに比べると、彼女の貞節に一度でも疑いを持ったベルモンテは少々情けないですね。まぁ、そうしないと話が面白くならないからかもしれません。”嫉妬”と”疑惑”はいつの世でもドラマ展開の基本ですからね。
それにしてもこのオペラの音楽はモーツァルトの若い時期の作品のため、緊張感に満ちていて、弾むような生命力と親しみ易く美しい旋律に溢れた傑作です。初演のあとにヨーゼフ二世が「素晴らしいが、少し音符が多過ぎるのではないか。」と感想を述べたのに対して、モーツァルトは「いえ、陛下、音符の数は適量でございます。」と答えたという有名なエピソードが有りますが、最近の研究によれば、どうもこのエピソードの信憑性は疑わしいとされるようです。
第一幕の「太守の親衛隊の合唱」は短い曲ですが、大きな聴きどころであり、その迫力には圧倒されます。全体には幾つもの優れたアリアが散りばめられていますが、最も印象的なのは、協奏交響曲のような魅惑に溢れた独奏器楽伴奏を持つコンスタンテの「どんな拷問が待っていようと」でしょうが、第1幕冒頭のオスミンの連続した二つのアリアも印象的です。もちろんベルモンテが歌う幾つもの愛の歌はどれもが魅力的です。
このオペラはストーリーも音楽も非常に解り易く親しみ易い傑作です。深みという点では、三(四)大オペラとの差は有るかもしれませんが、それを補って余りある若々しい魅力に溢れていると思います。
それでは愛聴盤のご紹介です。
ヨーゼフ・クリップス指揮ウイーン・フィル
アンネリーゼ・ローテンベルガー(S)、ルチア・ポップ(S)、ニコライ・ゲッダ(T)、ゴットロープ・フリック(B)(1966年録音/EMI盤)
ウイーンっ子の指揮者クリップスはモーツァルトを得意としました。それもウイーン・フィルと組んだ時にこそ、その魅力が最大限に生かされます。この演奏は「後宮」にしては随分とおだやかで、一聴したところ緊張感に不足するように感じられるかもしれません。しかし、これほど”ロココ的”とも呼べるような魅惑に満ち溢れた演奏はそうそう有るものではありません。身も心もとろけさせるような陶酔感では随一だと思います。歌手陣もとてもゆったりと情緒深く歌っていて、この歌唱に慣れてしまうと、他の演奏の歌手が何だか味気なく感じてしまうほどです。EMIの録音はやや古さが感じられ、ウイーン・フィルの持つ音の色合いや艶が鈍く感じられるのは残念ですが、演奏の魅力の前には気にならないレベルです。クリップスのモーツァルトのオペラではデッカへの「ドン・ジョヴァンニ」と並ぶ名演奏だと思います。なお、クリップスは1950年にも同オペラの録音を残していますが、そちらは未聴です。
カール・ベーム指揮ドレスデン国立管弦楽団
アーリーン・オジェー(S)、レリ・グリスト(S)、ペーター・シュライアー(T)、クルト・モル(B)(1973年録音/グラモフォン盤)
ベームの振るドイツオペラは何故これほどまでに素晴らしいのかと毎回感涙させられますが、この演奏も例外ではありません。オーケストラがドレスデン管ということもあり、ベームの手足となって統率のとれた演奏を繰り広げていますが、音の表情はニュアンスに溢れていて流石です。トルコ風の打楽器も力強くとても効果的に使わていますし、「太守の親衛隊の合唱」での迫力も随一です。全体的に極めてドイツ的な演奏で、ウイーンの甘さは有りませんし、人によっては堅苦しく感じるかもしれませんが、それが逆にドラマの真実味が向上したかのような迫真性を感じさせます。「イタリアオペラの品の無い饒舌な歌は”愛”などではない!」とモーツァルトが本当に語ったかどうかは分かりませんが、こういう演奏こそがヨーゼフ二世が求めていた真にドイツ的で理想のオペラなのかもしれません。歌手陣には優れたメンバーが揃っていますが、台詞は俳優が行っています。声質の違いが気にはなりますが、このオペラの膨大なセリフを”立て板に水”のごとくこなしています。
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮ウイーン・フィル
エディタ・グルベローヴァ(S)、キャスリーン・バトル(S)、エスタ・ウィンベルイ(T)、マルッティ・タルヴェラ(B)(1984-85年録音/DECCA盤)
ショルティはモーツァルトのオペラとは相性が悪くないようで、「魔笛」に名盤が有りますが、「後宮」もまた素晴らしい演奏ぶりです。緩徐曲でのゆとりある味わいと、速い曲での切れのあるリズムによる躍動感とが絶妙なバランスを保っています。オペラ指揮の上手さや貫禄こそさすがにベームには及びませんが、それを補って余りあるのがウイーン・フィルの美しい演奏をデッカの優秀録音で聴けるという点です。歌手は女性陣が優れていて、グルベローヴァが勇気ある貞淑な女性のコンスタンツェを見事に歌い切っています。特に「どんな拷問が待っていようと」は器楽ソロ伴奏の素晴らしさも含めて最高です。バトルが清らかな声で歌うブロンデも非常に魅力的です。それに比べると男性歌唱陣は幾らか小粒な感はぬぐえませんが、いずれも水準以上の歌唱には違いありません。総合的な魅力において、やはり外すことのできない演奏です。
ズービン・メータ指揮ウイーン・フィル
アンネリーゼ・ローテンベルガー(S)、レリ・グリスト(S)、フリッツ・ヴンダーリヒ(T)、フェルナンド・コレナ(B)(1965年録音/オルフェオ盤)
これはライブ録音です。20代で華々しいデビューをしたメータですが、29歳にしてオペラの分野でも大成功を収めました。その記念碑的な公演の一つがこのザルツブルグでの「後宮」です。演奏には若きメータの良さが120%出ていて、生き生きとしたリズムによる躍動感に満ちています。そしてそれはモーツァルトがこのオペラに注ぎこんだ音楽の魅力ともピタリ一致しています。特に第一幕や終幕でのたたみ掛けるような最後の追い込みには興奮させられます。また、このオペラは元々異国趣味を持つので、その点でも東洋人のメータとは相性の良い作品です。歌手陣には優れたメンバーが揃っていますが、特にヴンダーリヒのベルモンテが聴けるのが目玉です。ヴンダーリヒには同じ年のヨッフム指揮バイエルン歌劇場とのスタジオ録音盤も有りますが、ライブでの歌唱の感興の高さが圧倒的です。録音はモノラルで管弦楽の細部に聴き取り難さは有りますが、歌は明瞭ですし鑑賞するのに不都合はほとんど感じません。
ということで、手持ちの4つの演奏はどれもが魅力に溢れていて、これを絞りこむことは難しいですが、個人的にはウイーン・フィルの音に後ろ髪を引かれながらも、あえてカール・ベーム盤を選びます。
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2014年8月19日 (火)
モーツァルト 歌劇「イドメネオ」K.366 名盤
3月にスタートしたモーツァルト特集ですが、気が付けばもう半年になっていました。そこでそろそろ最後はオペラで締めくくろうかと思います。
同じウイーン古典派の大音楽家でもハイドン、ベートーヴェンは交響曲と弦楽四重奏曲、それにピアノ・ソナタが作品の中核でしたが、モーツァルトはそれとは異なり協奏曲とオペラが最も重要だと思います。
モーツァルトのオペラといえば「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」が俗に”三大オペラ”と称されますが、これに「コジ・ファン・トゥッテ」を加えて”四大オペラ”と呼ばれることも有ります。ここまではやはり堅いところです。
それ以外のオペラ作品で自分が好むのは、まず歌劇「イドメネオ」K366です。これは、モーツァルトが24歳のときにジャンバッティスタ・ヴァレスコの台本をもとに書いたクレタ島を舞台にしたオペラ・セリアですが、正式なタイトルは「クレタの王イドメネオ、またはイリアとイダマンテ」という長いものです。
ザルツブルク時代最後のオペラ「イドメネオ」は、モーツァルトのオペラとしては特別に高い位置づけではありませんが、この作品は18世紀初めから興隆してきたオペラ・セリアが最後の輝きを放った傑作としての価値は非常に高いと思います。もちろんモーツァルトの良さは、オペラ・ブッファのようなコメディやジングシュピールのような歌芝居のほうが、彼の生来の天真爛漫さを自由に生かせるとは思います。けれども、ギリシア神話やローマ時代の実話から題材が使われるオペラ・セリア(正歌劇=真面目なオペラ)においても、堂々とした直球勝負が可能なのです。
「イドメネオ」の音楽は台本の内容に寄り添う形で、すこぶる劇的ですが、同時に高貴さや美しさも湛えています。このオペラはミュンヘンの宮廷から依頼されて書かれたものですが、リハーサルを見学したテオドール選帝侯も作品をすっかり気に入り、会う人ごとにモーツァルトの音楽の素晴らしさを説いて回ったそうです。もっとも、第3幕の台本が長過ぎることをモーツァルトは不満に思っていたので、何度も台本の改定を要求したり、自分でも幾つかのアリアをカットしています。ですのでこの作品にはミュンヘンでの初演時や、ウイーンでの再演時に幾つかの版が生まれています。大きな違いの一つにイダマンテ役のパートがあります。初演稿ではカストラート(男性ソプラノ)により歌われましたが、現在ではメゾ・ソプラノが歌います。一方ウイーン稿ではテノールが歌います。イダマンテは怪物を退治するような英雄なのですから、やはり男らしいテノールが歌う方が自然に感じられます。
「イドメネオ」のあらすじ
第一幕
ギリシア連合国であるクレタの王イドメネオは、トロイとの長い戦いに勝利して、艦隊を率いて帰路につく。国元には幼い時に残してきた王子イダマンテが居る。一方、クレタで捕虜となっているトロイの王女イリアは、密かにイダマンテに恋をしている。
艦隊が帰路の途中、嵐で難破したため、イドメネオは海神に「もしも無事に帰還することが出来たら、陸で最初に出会う人間を生贄に捧げる」という約束をする。おかげで艦隊は難破を免れて無事に戻ることが出来た。
ところが陸に上がって、イドメネオが最初に出会ったのは顔を憶えていないイダマンテであった。会話をするうちに、お互いに親子であることが分かる。イドメネオは慌ててイダマンテを突き放して立ち去るが、訳を知らないイダマンテはそれを思い悩んでしまう。
第二幕
困ったイドメネオは腹心と相談して、イダマンテを直ぐに他の国に避難させようとする。イダマンテが港から船に乗ろうとすると、急に嵐になり、海から怪物が姿を現す。海神がイドメネオの約束違反に怒り狂っているためである。
第三幕
イダマンテは、死を覚悟で怪物と戦うことを決心する。彼を愛するイリアは「死なないで」とその想いをイダマンテに告げる。
一方イドメネオは神官に促されて、仕方なくイダマンテを生贄に捧げることに同意をする。
海神の祭壇に向かって生贄を捧げる準備をしていると、イダマンテが怪物と戦って倒したという知らせが入ってくる。だが、生贄を変えることは出来ない。
覚悟を決めたイダマンテが生贄になるために祭壇にやって来ると、イドメネオは刀を持って息子の首をはねようとする。そこへイリアが飛び出してきて、刀の下に身を投げ出して、イダマンテの身代わりになろうとする。
すると突然、地面が揺れて海神の像から声が聞こてくる。「イリアの崇高な愛に免じてイダマンテを赦す。イドメネオは退位して王位をイダマンテに譲れ。」
そうして人々は喜び合う。
それでは愛聴盤のご紹介です。
カール・ベーム指揮ドレスデン国立管弦楽団/ライプツィヒ放送合唱団
ヴィエスワフ・オフマン(T)
ペーター・シュライヤー(T)
エディット・マティス(S)
ユリア・ヴァラディ(S)他
録音場所:ドレスデン、ルカ教会
(1977年録音/グラモフォン盤)
モーツァルトのオペラを万遍なくこなすという点でカール・ベームの右に出る指揮者は居なかったと思います。カラヤンは?ムーティは?もちろん挙げるファンは居るでしょうが、ベームの指揮の立派さや品格の高さはちょっと真似が出来ません。ベームのイメージからすればオペラ・セリアが最も適していそうですが、実際にはオペラ・ブッファやジングシュピールも実に素晴らしいのです。
この録音はドレスデンのルカ教会でセッション録音されたものですが、ドレスデン国立管の古雅な音色と立派さは正にオペラ・セリアにピッタリです。歌手陣も非常に優れていて誰一人として疵が感じられず、ベームの指揮の元で理想的な歌唱を次々と聴かせてくれます。イダマンテをテノールで、それもシュライヤーが歌うのも嬉しいです。
元々、録音の数が少ないオペラですので現在所有しているのはベーム/ドレスデン国立管盤のみですが、他に機会あれば聴いてみたいと思っているのは、名匠ハンス・シュミット=イッセルシュテットが同じドレスデン国立管と録音した演奏と、ジョン・プリッチャード/ウイーン・フィル盤あたりでしょうか。
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2008年9月23日 (火)
プラハ室内歌劇場 2008日本公演 モーツァルト「魔笛」
日曜日に上野文化会館までプラハ室内歌劇場の来日公演を観に行きました。演目はモーツァルトの歌劇「魔笛」です。「魔笛」の実演を観に行くのはたぶん二十年以上ぶりです。昔は家でレコードを(CDでは無く)良く聴きましたし、ビデオ(DVDでは無く)でも良く観て楽しみました。最近は滅多に聴くことが無くなりましたが、生の公演に接するのはやはりとても楽しみでした。
指揮はマルティン・マージク。チェコ出身のまだ若い世代の指揮者ですが、歌劇場を主体に活躍しているようです。日本にも過去来日したことが有るようですが自分は知りませんでした。舞台演出はマルティン・オタヴァで、やはりチェコの演出家です。バイロイトでも演出を手掛けた(但しモーツァルト)経歴が有るそうですががやはり知りませんでした。
さて、いよいよあの胸躍る序曲が始まりました。古楽器使用のオケでは無いのですが、ビブラートを極力抑えた所謂「古楽器的な弾き方」です。その意味ではこの室内オケは中々に良いです。ただ最初のうちは音がまだまとまりに欠けていました。
舞台に次々に出てくる歌い手はチェコ出身の歌手がほとんどでしたが、これはまずまずでした。演出が奇をてらったものでないので自然に楽しめるところが嬉しいです。僕は最近はやりの前衛的な演出はどうも苦手だからです。夜の女王は第一幕の最高音がかすれたりはしましたが、全般的にまあまあというところ。他の歌手もまあまあ楽しめはしました。
ところが、休憩をはさんで第二幕に入ってからは、にわかにオケの音が美しく溶け合うようになり、歌手の出来も随分と良くなったので、すっかり舞台に惹きこまれました。歌手の誰かが突出して優れていることも無い代わりにデコボコが無く、自分としてはみな合格点と言って良いです。最後はすっかり「魔笛」を楽しめました。やっぱり「魔笛」は良いなぁ~!
そして一日置いて家で「魔笛」のCDを久々に聴いてみたくなり、取り出したのは一番好きなスイトナー/ドレスデン歌劇場盤(オイロディスク/DENNON)です。最近主流の早いテンポの演奏を聴いた後だと意外にゆっくりに感じます。昔はこれでも随分早く感じたものなのですが。しかしこの演奏は好きです。きりりとしているのに楽器が溶け合って音が実に柔らかいのです。さすがはドレスデン。特にヨハネス・ワルターの吹くフルートは絶品です。このオペラではフルートは非常に重要な役割ですが、ワルターのフルートときたらまさに魔法の笛です。この人はいつも驚くほど大きくビブラートを効かせますが、音が実に柔らかく、まるでフラウトトラヴェルソみたいです。当時のドレスデンのトップ奏者の音の魅力はウイーンフィル以上だったと思いますが、中でもワルターは本当にほれぼれするほど上手です。この録音は歌手陣が決してベストとは言えないですし、皆歌い方が真面目すぎるとも感じます。けれどもオケも歌手も合唱も皆ひとつに溶け合って、実に伝統的で魅力的な演奏を聞かせてくれます。ですのでやっぱり一番好きな演奏です。
でも他にも好きな演奏はいくつか有りますので揚げておきます。
・ベーム/ベルリンフィル盤(DG)。ドイツオペラを得意とするベームの指揮は造形が立派で素晴らしいのですが、なんと言ってもドイツの名テナー、フリッツ・ブンダーリッヒの歌うタミーノが聞けるだけでかけがえが無い演奏です。ブンダーリッヒの歌はドラマティックで凛々しくて、本当にほれぼれします。
・サヴァリッシュ/バイエルン歌劇場盤(EMI)。オケの音がかっちりし過ぎて時々無機的に聞えるときもありますが、歌手全体はこれが一番好きです。パパゲーノのワルター・ベリーが最高だと思います。シュライヤーもタミーノを何度も歌っていますが、この頃が一番だと思います。夜の女王のエッダ・モーザーも抜群に良いです。
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