ブラームス 「4つの厳粛な歌」op.121 ~ああ、死よ~
ブラームスは63歳の誕生日に、歌曲集「4つの厳粛な歌」作品121を完成させました。この作品は「ドイツ・レクイエム」と同じように、ブラームスが自分で聖書から詩句を選び出したものです。その内容は、人間の「死」というものを強く意識したものでしたが、それというのも、数年の間にブラームスは何人もの親しかった人たちの死に直面してきたからです。
作品は4曲の歌で構成されていますが、そのタイトルと主たる内容を記しておきます。
「4つの厳粛な歌」op.121
第1曲「人の子らに臨むところは獣にも臨むからである」
人も獣もみな、同様の息を持っていて、同じように死ぬ。みな、塵から出て塵に帰るのである。
第2曲「私はまた、陽の下に行なわれる、すべての虐げを見た」
虐げられる者の涙を慰める者は居ない。虐げる者を慰める者も居ない。よって、生きている者よりも、既に死んだ者を幸いな者だと思う。
第3曲「ああ死よ、お前を思いだすのは何とつらいことか」
財を持ち、安穏に暮らして者にとって、「死」を思いだすのは何と辛いことか。力が衰えて、困窮している者にとって、「死」を思いだすのは、なんと喜ばしいことか。
第4曲「たとえ私が、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても」
御使いたちの言葉や、あらゆる知識、深い信仰心が有ったとしても、もしも「愛」が無ければ、それは無に等しい。最も大いなるものは「愛」である。
この作品は、亡くなっていった友人たちへの鎮魂歌だったのでしょう。そして更に、自らのそれをも意識していたのかもしれません。いや、間違いないでしょう。
曲を書き上げたブラームスの元へ、病床にあるクララから一通の手紙が届きました。それには「心から愛するあなたのクララ・シューマンより、心からお喜びを」と、ブラームスの誕生日を祝福する言葉が記されていました。ブラームスはどんなに喜んだことでしょう。
ところがクララは、その2週間後にこの世を去ってしまいます。その知らせが遅れたうえに、動転したブラームスはシューマン宅へ向う列車の乗継を間違えてしまい、葬儀には間に合いませんでした。墓地への埋葬の立ち会いで、既に閉じられてしまった棺を見ることができただけでした。
ブラームスは、そのとき友人に、「ああ、なんということだ。この世では全てが虚しい。私が本当に愛した、ただひとりの人間。それを今日、私は墓に葬ってしまったのだ・・・・」と語りました。
「4つの厳粛な歌」を書いた時に、果たしてクララの死を予感していたのかどうかは分りません。けれども、もしかしたら予感をしていたのかもしれませんね。
この歌曲は、聴くと心が痛むので、余りCDの聴き比べということはしてはいません。ですので所有しているCDは、フィッシャー=ディースカウが若い頃に録音したものだけです。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、イェルク・デムス(Pf)(1958年録音/グラモフォン盤)
これは、フィッシャー=ディースカウの生誕75歳記念に再発売されたCDです。「4つの厳粛な歌」の他にも、ブラームスの歌が20曲以上収められていますが、どれもフィッシャー=ディースカウが、まだ30代であった1957年と58年の録音です。実は、この人は手放しで好きというわけでは無く、全盛期の余りに上手い歌いっぷりには、時に演出臭さを感じてしまう場合が有ります。その点、若い時代の歌はストレートな歌いぶりによる真摯さを感じるので好きです。もちろん歌唱の上手さは当時から群を抜いています。それでも、この録音で、ブラームス晩年の「死」を意識した胸の内が全て表現出来ているかというと、よく分りません。それでも、第3曲で何度も繰り返される「Oh、Tod(ああ、死よ)・・・・」という部分では、歌声が心に痛切に響きます。これは、やはり優れた名唱です。できれば、この人の後年の歌唱でも聴いてみたいとは思っていますが。
「4つの厳粛な歌」以外の曲での歌唱も、もちろん素晴らしいです。
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