ブラームス(声楽曲)

2022年12月27日 (火)

ブラームス 「ドイツ・レクイエム」Op.45 名盤 ~人は皆 草のごとく、草は枯れ、花は散る~

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今年もいよいよ終わりに近づきました。もう三年目となる新型コロナ禍は未だに終息には至っていませんし、プーチン/ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元総理銃撃事件など衝撃的な事件が起きて、本当に不穏な一年でした。ですので、第九で幕を閉じるのも良いのですが、むしろ「慰めの音楽」であるブラームスの「ドイツ・レクイエム」で一年を締めくくりたい気持ちになりました。

この曲は、過去に二度記事にしたことが有りますが、その後に聴いた演奏も多数あるので、それらをまとめてリメイク版として書き直してみました。

ブラームスの「ドイツ・レクイエム」は宗教合唱曲の大傑作であり、人によってはシンフォニー以上に高く評価します。確かにこの曲は、あの第4交響曲をも凌駕するかもしれません。それだけ素晴らしい作品です。演奏によっては70分を越える大作ですので、最初は馴染むのに時間がかかりますが、繰り返して聴いているうちに、その奥深い魅力に誰しもが惹き込まれずにはいられないでしょう。

ブラームスが「レクイエム」を書こうと思ったのは、恩師ロベルト・シューマンの死去で、葬送カンタータの作曲を思い立ったことからです。けれども曲の一部を書いたところで創作は止まってしまいます。それを数年後にようやく完成させるきっかけとなったのは、今度は自分の母親クリスティアーネの死だったのです。

通常「レクイエム」というと、カトリック協会のミサの典礼文になるので、言葉はラテン語です。ところがこの作品はプロテスタントの信者であったブラームスがマルチン・ルター訳のドイツ語の聖書から選び出して曲にしました。ですのでこれはミサ用では無く、コンサート用の作品なのです。大バッハの影響を受けている部分が少なからず有りますが、声楽曲として素晴らしく充実しています。作品番号からも分かるように、この作品は交響曲第1番よりも以前の作品ですが、オーケストラと合唱の重厚な響きは紛れもないブラームスの作品です。

全体は7曲構成ですが、各曲の概要は次の通りです。

第1曲 悲しんでいる人たちは幸いである。彼らは慰められるであろう。 非常に美しく厳粛な曲です。この曲ではヴァイオリンが演奏をしませんので、音色がとてもくすんでいます。

第2曲 人は皆 草のごとく、その栄華は草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。 葬送行進曲ですが、悲しみだけではなく威厳も美しさも有ります。とても聴き易く魅力的ですので、全体に中々馴染めない方は、この曲だけを取り出して聴くのも一つの方法だと思います。

第3曲 主よ、私の一生があとどれぐらいあるかを私に知らせ、命のはかなさを教えてください。 独唱バリトンも合唱も素晴らしいですが、最後のフーガは堂々としていて大バッハを思わせます。

第4曲 雲の中で天使が歌う 比較的短めの曲で、7曲のちょうど真ん中に間奏曲のように置かれています。清らかな合唱が非常に美しく、正に天国的です。

第5曲 あなたがたも今は憂いあり 独唱ソプラノが静かに歌うこの曲も短めですが、やはり味わい深いです。

第6曲 この地上には永遠の土地は無い カトリックの典礼文で言えば「怒りの日」に相当しますが、ブラームスは歌詞から「最後の審判」を外しています。現世で死せるものは最後のラッパにより、誰もが天国に迎えられる、と解釈できそうです。曲の後半の壮絶な盛り上がりは圧巻で、ヴェルディのそれをも思い出しそうです。壮大に続くフーガは正にこの曲の最高の聴きどころです。

第7曲 今からのち、主にありて死ぬ人は幸せである。 終曲は優しく慰めに満ちています。死により天上で永遠の命を与えられる、と美しく歌われます。

以上ですが、この曲の歌詞中には“Herr”(主よ)という言葉が何度となく出て来ますが、“Jesus”(イエス)や“Christe”(キリスト)という言葉は一度も出て決ません。つまり、この曲のテーマは”イエスの死・犠牲による救済”では無くて、もっと人間的な「慰め」であることが読み取れます。

この曲は歌詞がドイツ語ですので、合唱はドイツ語を母国語とする団体が理想的です。というのも、そうでない国の合唱団だと大抵は子音の発音が曖昧になってしまっていて違和感を感じます。ただしハーモニーとしての美しさに関してはどこの国でなければということは有りません。
これだけの名曲なので余り話題にならないディスクにも素晴らしいものは多く存在しますが、何はともあれ現在の愛聴盤をご紹介します。書き直しに辺り、以前の記事での感想と多少変わったものも有ります。

Bra81gfqqlsnzl_ac_sl1300_ ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル/楽友協会合唱団(1947年録音/EMI盤) カラヤンは第二次大戦後に連合軍当局によりドイツ・オーストリアでの活動を禁止されましたが、活動解禁後の初コンサートがこの曲だったそうです。但し、これはEMIのウォルター・レッグのプロデュースによるセッション録音です。まだ若きカラヤンの端正でストレートな表現が印象的で、後年の演奏に見られる表面的に磨き上げるカラヤンらしさが無いのが好ましいです。良く言われるように基本的にアマチュアの楽友協会合唱団の質は必ずしも最上では有りませんが、柔らかみのあるコーラスには”慰め”を感じさせます。またソリストのシュヴァルツコップとホッターの名唱は全体の印象を大きく高めています。録音はモノラルですが、年代を考えると明瞭で鑑賞には充分耐えます。

Brah-71m56wpho1l_ac_sl1425_ ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ストックホルム・フィル/合唱団(1948年録音/EMI盤)LP盤時代から、録音の悪さで知られるストックホルムにおけるライブで、第1曲冒頭から情けない音に閉口しますが、徐々に慣れることで聴き易くは成ります。迫真の合唱も胸にずしりと響きます。第2曲以降は、更にフルトヴェングラーの魔力にかかった腹の底まで響き渡る壮絶な演奏に圧倒されます。音楽の深淵に潜り込むような徹底した表現ぶりで、こうなると解釈がどうの、演奏スタイルがどうのと言う気にも成れません。この大河のような奔流に、ただただ身を任せることしか出来ません。写真のブラームスBOXで所有しますが、このマスタリングは案外良好だと思います。

Brah0109511_7362539 ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィル/ウェストミンスター合唱団 (1954年録音/SONY盤) ワルターもこの曲は頻繁に演奏していたようですが、残念ながらステレオ録音が有りません。比較的録音が良いものとしてはこのCBSのセッション録音が有ります。フルトヴェングラーのライブのような物々しさは当然有りませんが、ソリストにイルムガルト・ゼーフリートとジョージ・ロンドンを得て、恰幅の良い堂々たる演奏を繰り広げています。合唱はおおらかで元気が良い分、繊細さはやや薄い印象です。ワルター自身、そのようなことをどこかで漏らしたという話も有りますが、この録音では正当な評価は難しい気がします。とはいえ、この生命力と慰めの両方に溢れる演奏は、やはりワルターならではと言えそうです。

Brah-71gudma610l_ac_sl1200_ ルドルフ・ケンペ指揮ベルリン・フィル/聖ヘドヴィヒ大聖堂聖歌隊(1955年録音/EMI盤) ベルリンのイエス・キリスト教会でのセッション録音です。第1曲から聖ヘドヴィヒ聖歌隊は厳かな歌声で、本物のミサを聴く気分です。第2曲でも厳かさをそのままに保ちます。進む足取りも緩やかで、ことさら劇的に盛り上げようとしないのが逆に神々しさを感じさせます。エリザベス・グリュンマーの美しい声と感情表現は流石ですが、DF=ディースカウが後年の狡猾ささえ感じられる過度な表現が見られないどころか、真実味の有る真摯な歌唱なのが胸に迫ります。ベルリン・フィルもまだドイツ的な暗い音色を残している時代なので、同質性を持つ合唱と渾然一体となり非常に素晴らしいです。これはケンペの特筆すべき遺産の一つだと思います。モノラル録音なのが残念ですが、写真のオランダ盤のリマスターは良好です。 

Brah-uccg90354_dyr_extralarge フリッツ・レーマン(指揮) ベルリン・フィル/聖ヘトヴィヒ大聖堂聖歌隊、ベルリン・モテット合唱団(1955年録音/グラモフォン盤) ロッテ・レーマンの弟であるフリッツ・レーマンは、宗教合唱曲の演奏に定評があり、グラモフォンがアルヒーフ・レーベルの中心指揮者として計画をしましたが、僅か51才で「マタイ受難曲」の演奏中に急逝してしまいます。その後継となったのがカール・リヒターであるのは言うまでも有りません。この「ドイツ・レクイエム」はその亡くなる前年にベルリンのイエス・キリスト教会で行われたセッション録音です。第1曲から非常にゆっくりとして厳かな雰囲気に満ちていて、どこかクナッパーツブッシュの「パルジファル」を連想します。奇しくもEMIの同年録音のケンペ盤と同じオーケストラと合唱団ですが、合唱の美しさと完成度、それによる感銘度合いはケンペ盤を上回ります。ベルリン・フィルの音にも何と心が籠っていることでしょう。ソリストのマリア・シュターダー、オットー・ヴィーナーも素晴らしいです。モノラル録音ですが、ケンペ盤以上に優秀な音質です。

Klempe77d オットー・クレンペラー指揮ウィーン・フィル/ウィーン楽友協会合唱団(1958年録音/テスタメント盤) クレンペラーには後述のフィルハーモニア管とのEMI録音も有りますが、これはその3年前のウィーンでのライブ録音です。但し、これはボックスセットの中の付録盤です。ソリストはウィルマ・リップとエーべルハルト・ヴェヒター。コーラスはウィーン楽友協会合唱団です。1950年代の演奏ですので、合唱団もオーケストラも精密さにおいては緩さが有りますが、その甘く柔らかい音が肌のぬくもりを感じさせ、優しい表情が胸に染み入ります。クレンペラーの指揮は普通の速さのインテンポで、ディナーミクの変化が大きく、時には大胆なほどですが、それが少しもわざとらしくなく好感が持てます。モノラル録音ですが、音は良好で細部も明瞭に聴き取れます。

Schuli50032_0 カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送響/合唱団(1959年録音/Tresor盤) これはシュトゥットガルトでのライブ録音です。フランクフルト放送からの応援を得た合唱団がとても力強く魅力的です。シューリヒトのテンポは沈滞することなく速めですが、流石はシューリヒトで情感溢れる味わいに富んでいます。ソリストのマリア・シュターダー、ヘルマン・プライも素晴らしいです。明瞭なモノラル録音ですが、フォルテで高音が歪むのが残念です。この演奏は、以前archiphonから出ていましたが、現在所有しているTresor盤の音質は全く同じです。

Brah51vyhzqgmol_ac_ オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管/合唱団(1961年録音/EMI盤) クレンペラーはひたすらインテンポを守り牛車のごとき指揮ぶりです。そのテコでも動かない堅牢さがドイツ的だと言えないことも無いのですが、オーケストラの響きと合唱団の発声がやはりイギリスの団体だと感じさせてしまいます。ただ合唱は美しいので、ここは好みの問題と成ります。管弦楽に関しては金管を要所で目立たせるのが面白いです。ソリストでは、この時のFディースカウには上手さが時々鼻に付くように感じられますが、シュワルツコップが素晴らしいです。録音は当時のEMIの水準レベルなものの、コーラスの強音で幾らか歪むように感じます。それでもクレンペラーの演奏としてはこちらがスタンダードとなるでしょう。

Brah51wh2nul9xl_ac_ ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル/ウィーン楽友協会合唱団(1964年録音/グラモフォン盤) 上述したウィーン・フィルとの1947年盤に続く2度目の録音になりますが、カラヤンはこの後も1976年にベルリン・フィルと、1983年にウィーン・フィルと再録音を行い、更には古いライブ盤や映像ものも有ります。複数録音の多いカラヤンのレパートリーの中でも特に多い作品です。ベルリン・フィルが暗くドイツ的な響きを失う前の‘60年代の録音なのですが、カラヤン特有の磨き抜かれた音と表情付けが、確かに「美しい」と言えば美しいのですが、このような曲の場合には、それが虚飾に彩られた感無きにしも非ずです。その点、1947年盤ではストレートに演奏に感動出来ました。もちろんそれも聴き手の好みの問題ですから、実際に聴き比べられることをお勧めします。ソリストのグンドゥラ・ヤノヴィッツは美しいですが温かみに欠けます。エーベルハルト・ヴェヒターは悪くはありません。合唱はこの団体のおおらかさが“慰め“を感じさせて魅力的です。ベルリン・フィルを起用しましたが、録音はウィーンのムジークフェラインで行われましたが、この年代としては優れています。

Brahms_koch_deutschesa_requiem ヘルムート・コッホ指揮ベルリン放送響/合唱団(1973年録音/Berlin Classics盤) コッホはドイツの合唱指揮者ですが、そのコッホがドイツのオーケストラと合唱団を指揮した演奏で、第1曲から合唱の美しさに感心します。第2曲あたりは力強さよりも声の美しさが目立つので幾らか物足りなさを感じます。それでも中間部の合唱はやはり美しいです。コーラスパートの対旋律もとてもよく聞き取れます。ソリストに関してはアンナ・トモワ=シントウは美しいですが、ギュンター・ライブは線が細い印象です。オーケストラはあくまで合唱の脇役であり、完全に主役は合唱です。全体的に劇的な表現は行わないので地味ですが、この曲を宗教合唱曲的に聴かれたい方には良い演奏だと思います。但し録音のせいか、合唱の強音がザラつき気味なのはやや気に成ります。

Brahams_re_607 ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響/合唱団(1978年録音/audite盤) これはミュンヘンでのライブ録音です。テンポは比較的速めで颯爽と進み行きますが、リズムが厳格なのでドイツ的ながっちりとした手応えも感じさせます。第6曲は凄まじく白熱化して聴き応えが有ります。合唱はとても明瞭で美しく、またドイツ語の発音も明確に聞きとれます。ソリストはエディット・マティスがやはり流石の美しさですし、ウォルフガング・ブレンデルもまずは手堅いところで悪くありません。録音はとても優れていて、響きが自然で柔らかいのにもかかわらず分離に優れます。低域には量感が有り、低弦群やティンパニに重量感を感じられて良いです。

Bra792644l6pgqj1073901 ベルナルト・ハイティンク指揮ウィーン・フィル/国立歌劇場合唱団(1980年録音/フィリップス盤) ハイティンクは長く率いたコンセルトヘボウとはオケの響きの良さから良いと思うものも多いのですが、それ以外はそれほど好んでいません。この演奏は遅めのテンポで静かに始まり、徐々にスケール壮大になってゆくパースペクティブの良さは見事です。名合唱指揮者バラッチュがまとめ上げた合唱は素晴らしいですが、ソリストのヤノヴィッツは既にピークは過ぎた印象なのと、クラウゼは幾らか外面的に聞こえるというマイナスが有ります。全体的に彫が深く美しさが有るのですが、深いところでの祈りに欠ける印象で感動に直接結びつきません。録音も優秀ですし音そのものにはかなりの圧力が有るのにもどかしいです。

Brah71ds2mhnmal_ac_sl1200_ ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン放送響/合唱団、ミュンヘン音楽大室内合唱団(1983年録音/オルフェオ盤) ミュンヘンのヘラクレスザールでのライブ録音です。サヴァリッシュがミュンヘンで活躍した時代の演奏には名盤が多いですが、この「ドイツ・レクイエム」も例外ではありません。若い頃の熱く速い演奏スタイルと比べると、落ち着いた円熟ぶりを感じさせますが、さりとて重過ぎるような演奏ではありません。ドイツ的でオーソドックスな演奏です。オーケストラも合唱も優秀で、さらにソリストのマーガレット・プライスは非常に美しく、トーマス・アレンも太めの声質のバリトンで好ましいです。同じオーケストラ、同じバイエルン放送録音のクーベリック盤と幾らか重なる印象を受けますが、全体の完成度では上回り、感銘度合いにおいてもかなり迫ると言えるのではないでしょうか。余り話題には上がらない盤なのは残念です。なお、サヴァリッシュには若い頃のウィーン響とのセッション録音も有りますが未聴です。

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クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル/合唱団、BBCシンフォニー・コーラス(1984年録音/EMI盤) EMIのセッション録音ですが、テンシュテットにはこの他にBBCレーベルのライブ盤も有ります。そちらは未聴ですが、このEMI盤は中々に聴き応えが有ります。ゆったりとした構えのスケールの大きい演奏で壮大さも有りますが、セッションのせいか熱く成り過ぎることがありません。それでも時にこの人らしいドラマティックな顔を見せたり、弦楽に濃い表情付けが有ったりもします。合唱は透明感が有り美しいですが、英国のコーラスなので発音も含めてドイツ的な重さに欠け、何となく英国音楽のようにも聞こえます。ソリストのジェシー・ノーマンはさすがの美声ですがドスが効き過ぎているのが難点で、ヨルマ・ヒュニネンは歌い方がオペラっぽいのがいま一つです。録音はEMIらしいホールトーン的なもので、曲には合っています。

Bra877 ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプチヒ放送響/合唱団(1985年録音/カプリッチオ盤) ケーゲルもまたドイツ人で初めは合唱指揮者でした。良い意味で神経質なほどに繊細な印象です。合唱の弱音が非常に美しく、厳かに静寂を保っている部分はさしずめ天国からの調べのようです。神々しささえ感じてしまいます。オーケストラも合唱と溶け合ったハーモニーが美しさの限りです。ケーゲルらしい非常に深みのある素晴らしい演奏だと思います。それでいて第2曲や第6曲などは非常に壮麗に盛り上がります。ソリストではソプラノのマリアンネ・ヘガンデルは平均的ですが、バリトンのジークフリート・ローレンツの真摯な歌唱が秀逸です。 ライプチヒの教会で行われた柔らかで広がりの有る録音も優秀です。それにしても、この録音から5年後にピストル自殺をしてしまうケーゲルはこの曲をどのような心境で指揮していたのでしょうか。

Brahmsa_req カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン・フィル/ウィーン楽友協会合唱団(1987年録音/グラモフォン盤) 遅めのテンポで悠然とした構えですが、非常に流麗で耽美的なまでの美しさが特徴的です。合唱とオーケストラのハーモニーの美しさは特筆に値します。但し、音がレガートに過ぎますので、ブラームスの音楽の持つドイツ的な圭角が失われてはいます。ソリストのバーバラ・ボニーはとても美しいですが、アンドレアス・シュミットは幾らか深みに欠けるようにも思います。曲の演奏全体としては、こと深刻さは余り感じませんが、壮麗で美しさと幸福感に満たされた良い演奏だと思います。

Bra78 ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ響/合唱団(1990年録音/ERATO盤) バレンボイムの二度目の録音ですが、故宇野功芳先生が推薦していたのを記憶しています。確かにそれだけの演奏で、管弦楽も合唱も明瞭で澄み切ったハーモニーが美しいです。テンポもゆったりとして風格が有り、第2曲、第6曲などはスケール壮大で聴き応えがあります。シカゴ響の重量感も特筆されます。但しソリストに関してはバリトンのトーマス・ハンプソン、ソプラノのジャネット・ウイリアムス、どちらも余り良いとは思えません。当然のことながら全体はドイツ・オーストリア的とはちょっと違う響きの演奏ですが、逆に暗い響きが嫌いな人には良いのではと思います。

なにしろ名盤が多くて、どの演奏にも良さを感じますが、それでも自分が特別な愛着を感じるものとしては、フリッツ・レーマン盤とヘルベルト・ケーゲル盤の二つとなります。それとカラヤンの1947年盤とフルトヴェングラーの1948年盤は番外として上げたいです。

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2012年12月18日 (火)

ブラームス 「4つの厳粛な歌」op.121 ~ああ、死よ~

ブラームスは63歳の誕生日に、歌曲集「4つの厳粛な歌」作品121を完成させました。この作品は「ドイツ・レクイエム」と同じように、ブラームスが自分で聖書から詩句を選び出したものです。その内容は、人間の「死」というものを強く意識したものでしたが、それというのも、数年の間にブラームスは何人もの親しかった人たちの死に直面してきたからです。

作品は4曲の歌で構成されていますが、そのタイトルと主たる内容を記しておきます。 

「4つの厳粛な歌」op.121

第1曲「人の子らに臨むところは獣にも臨むからである」
 人も獣もみな、同様の息を持っていて、同じように死ぬ。みな、塵から出て塵に帰るのである。

第2曲「私はまた、陽の下に行なわれる、すべての虐げを見た」
 虐げられる者の涙を慰める者は居ない。虐げる者を慰める者も居ない。よって、生きている者よりも、既に死んだ者を幸いな者だと思う。

第3曲「ああ死よ、お前を思いだすのは何とつらいことか」
 財を持ち、安穏に暮らして者にとって、「死」を思いだすのは何と辛いことか。力が衰えて、困窮している者にとって、「死」を思いだすのは、なんと喜ばしいことか。

第4曲「たとえ私が、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても」
 御使いたちの言葉や、あらゆる知識、深い信仰心が有ったとしても、もしも「愛」が無ければ、それは無に等しい。最も大いなるものは「愛」である。

この作品は、亡くなっていった友人たちへの鎮魂歌だったのでしょう。そして更に、自らのそれをも意識していたのかもしれません。いや、間違いないでしょう。

曲を書き上げたブラームスの元へ、病床にあるクララから一通の手紙が届きました。それには「心から愛するあなたのクララ・シューマンより、心からお喜びを」と、ブラームスの誕生日を祝福する言葉が記されていました。ブラームスはどんなに喜んだことでしょう。

ところがクララは、その2週間後にこの世を去ってしまいます。その知らせが遅れたうえに、動転したブラームスはシューマン宅へ向う列車の乗継を間違えてしまい、葬儀には間に合いませんでした。墓地への埋葬の立ち会いで、既に閉じられてしまった棺を見ることができただけでした。

ブラームスは、そのとき友人に、「ああ、なんということだ。この世では全てが虚しい。私が本当に愛した、ただひとりの人間。それを今日、私は墓に葬ってしまったのだ・・・・」と語りました。

「4つの厳粛な歌」を書いた時に、果たしてクララの死を予感していたのかどうかは分りません。けれども、もしかしたら予感をしていたのかもしれませんね。

この歌曲は、聴くと心が痛むので、余りCDの聴き比べということはしてはいません。ですので所有しているCDも限られています。

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キャスリーン・フェリアー(A)、ジョン・ニューマーク(Pf)(1952年録音/DECCA盤) 
フェリアーというとワルター/ウイーン・フィルとのマーラー「大地の歌」「亡き子をしのぶ歌」あるいは「リュッケルトによる5つの詩から」の歌唱が余りにも有名ですが、ブラームスの「アルト・ラプソディ」や、この「4つの厳粛な歌」もまた素晴らしい歌唱です。歌唱に幾らか古めかしさは感じますが、およそ情感の深さに於いてはこの人以上の女流歌手は思いつきません。”厳粛な”というよりも”慈愛”に満ち溢れた印象を強く受けます。第3曲の「ああ、死よ」での、心の奥底に訴えかけるような歌唱は比類が有りません。モノラル録音ですが音は明瞭ですので何の支障も有りません。

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ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、イェルク・デムス(Pf)(1958年録音/グラモフォン盤)
これは、Fディースカウの生誕75歳記念に再発売されたCDで、「4つの厳粛な歌」の他にも、ブラームスの歌が20曲以上収められていますが、どれもFディースカウが、まだ30代であった1957年と58年の録音です。この人は手放しで好きというわけでは無く、全盛期の余りに上手い歌いっぷりには、演出臭さを感じてしまう場合が有ります。その点、若い時代の歌はストレートな歌いぶりによる真摯さを感じます。もちろん歌唱の上手さは当時から群を抜いています。この録音で、ブラームス晩年の「死」を意識した胸の内が完全に表現出来ているかというと、よく分りませんが、「ああ、死よ」では「Oh、Tod(ああ、死よ)・・」と、歌が痛切に響きます。やはり優れた名唱です。

この両盤はどちらも素晴らしいのですが、好みで言えば、やはり深い慈愛を感じるフェリアーに強く惹かれます。

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2012年4月29日 (日)

ブラームス「ドイツ・レクイエム」 堀 俊輔/合唱団アニモKAWASAKI 演奏会

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ゴールデンウイークの初日、関東は初夏のような気候でした。そんな昨日、神奈川県の川崎にブラームスの「ドイツ・レクイエム」を聴きに行きました。主催は川崎市で活動するアマチュア合唱団、アニモKAWASAKIで、共催が東京交響楽団です。ご存じの通り、東京交響楽団は川崎のミューザ川崎でも定期的にコンサートを開いていますが、昨年3月の東日本大震災でホールが被災したために、その活動を一時的に横浜と、同じ川崎の教育文化会館に移しています。今日のコンサートも、その教育文化会館で開かれました。

合唱団アニモKAWASAKIを聴くのは今回が初めてでしたが、定期演奏会が今回で13回目。これまで、第九、荘厳ミサ曲、ヴェルディ「レクイエム」、マタイ受難曲、ロ短調ミサ、などの大曲を演奏してきているそうです。定常的にミューザ川崎で東京交響楽団と共演している、非常に恵まれた環境の合唱団なのですね。このような団体を地元に持っている川崎市の音楽ファンはとても幸せだと思います。

この合唱団の音楽監督は、堀 俊輔さん。「ヘルベルト・フォン・ホリヤン」の仮名?でも知られるプロ指揮者です。

今日のプログラムは、「悲劇的序曲」に続いて「ドイツ・レクイエム」という、ブラームス・ファンが大喜びしそうな曲目です。開演前には、ほとんど客席が埋まっていて、とても地域に密着しているのだなぁという印象です。

ステージ上にメンバーが上がって、見るとコンマス席には東響のソロ・コンサートマスターの大谷康子さんの姿が。相変わらず素敵です♡

さて、ホリヤンの棒の一振りで開始された「悲劇的序曲」ですが、僕はこの曲が大好きなのですねー。ブラームスらしい心の内面から揺さぶられるような劇的さと、中間部のロマン的で大きく歌われる愛の歌。10分ほどの曲で、これほど内容が充実している曲も珍しいように思います。演奏も、曲の良さを中々に引き出していて楽しめました。

メインの「ドイツ・レクイエム」ですが、この曲については拙ブログで、昨年の東日本大震災の直後に、~亡くなられた被災者の方へ~ という記事を書いたのですが、今日の会場には、その被災地から避難されて来られた方もいらっしゃったそうです。

この曲は、本当に素晴らしい曲です。通常レクイエムというと、カトリックの葬儀の典礼用の音楽ですが、この曲はブラームスが聖書から自分で選んだ言葉を音楽にしていて、死者の安息のためだけにではなく、この世に生き続ける者へ優しく慰める音楽になっています。

今日の演奏は、合唱団、オーケストラの皆さんの心がそのまま曲に乗り移ったような、美しくも慰めと生きる勇気を与えられるような感動的な演奏でした。僕は元々、どちらかいうとプロの洗練されて上手いコーラスよりも、アマチュアの真摯な歌声に惹かれる人間ですが、今日の歌声は正にそのような、心に響いてくる演奏でした。これは、普段、家で聴いているドイツの著名演奏家のCDで味わう演奏とはまた異なる、音楽の喜びを与えてくれます。独唱はもちろんプロである澤畑恵美さん(ソプラノ)と、青山貴さん(バリトン)でしたが、コーラスの感動を更に高めるような素晴らしい歌唱でした。そして、これら全体を統率した堀さんは、さすがに合唱曲を得意にしているだけあって見事でした。

来年の定期演奏会には、修復の終わるミューザ川崎でバッハの「ヨハネ受難曲」が予定されているようですので、是非また聴きに行きたいと思います。

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2011年12月 1日 (木)

ブラームス 「ドイツ・レクイエム」  旧東独勢による名盤

ブラームスの声楽曲の大作「ドイツ・レクイエム」は、今年3月の東日本大震災の時に「亡くなられた被災者の方へ」で、追悼の為に取り上げました。その中でご紹介した、ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響のライブ録音(audite盤)こそは、いまだにお気に入りの愛聴盤なのですが、新たに2種のディスクを購入しました。一枚はヘルムート・コッホ盤、もう一枚はヘルベルト・ケーゲル盤です。どちらもドイツ人指揮者がドイツのオーケストラと合唱団を指揮した演奏ということで、自分の嗜好にはピタリと合っています。しかもオール旧東ドイツ勢による演奏です。それと、コッホはもちろん合唱指揮者ですが、ケーゲルも初めは合唱指揮者でした。従って、当然のことながら合唱曲には優れているのではないかと思えたのです。

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ヘルムート・コッホ指揮ベルリン放送響/合唱団(1973年録音/Berlin Classics盤) 

第1曲から合唱の美しさに感心します。力強さよりも声の美しさが目立つので、第2曲あたりは幾らか物足りなさを感じます。それでも中間部の合唱はやはり美しいです。オーケストラはあくまで合唱の脇役であり、主役は徹底的に合唱です。コーラスパートの対旋律がとてもよく聞き取れます。独唱歌手も声は美しいのですが、幾らか線が細い印象です。とても地味ですが、妙に神経質にならない大らかさを感じる良い演奏だと思います。

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ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプチヒ放送響/合唱団(1985年録音/カプリッチオ盤) 

コッホ盤とは逆に、良い意味で神経質なほどに繊細な印象です。合唱の弱音がとても美しく、静寂を保っている部分はさしずめ天国からの調べのようです。何か凄く厳かな響きに感じてしまいます。オーケストラは管楽器が時々目立ち気味ですが、とても雄弁です。ケーゲルらしい非常に素晴らしい演奏だと思います。それにしても、この録音から5年後にピストル自殺をしてしまうケーゲルはこの曲をどのような心境で演奏していたのでしょうか。

ということで、両盤ともクーベリック盤とはまた違った素晴らしさが有ります。名曲を色々な名演奏で味わえるのは音楽鑑賞の大きな喜びですね。

晩秋のブラームス特集ですが、次回からは室内楽を聴いてゆきます。

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2011年3月14日 (月)

ブラームス 「ドイツ・レクイエム」op.45 ~亡くなられた被災者の方へ~

東北および関東地方で発生した大地震と津波による被害の余りの大きさと悲惨さを連日のニュース報道で知るにつけ、自然の脅威の前での人間の無力感を改めて思い知らさせてしまいます。どんなに科学が発達して、宇宙に行くことが出来たり、かつての不治の病を克服することは出来ても、大自然をコントロールすることだけは永遠に不可能でしょう。

けれども我々は自らの無力を認識したうえで、少しでも悲惨な状態から脱却するために皆で知恵を使い合い、協力し合わなければなりません。その為にも現在の日本国全体の危機を乗り越えるためにも、政府の強力なリーダーシップが必要です。今こそ政治主導であらゆる緊急対応策をとって貰いたいです。民主党は駄目だと言ってる場合ではありません。駄目では困るのです。与党も野党も無い、今こそは一致団結して貰いたい。そして今はとにかく生存者の救命と被災者への支援を最優先として全力を尽くして欲しいです。

さて、前々回からブラームスの交響曲の特集をしていましたが、今はとてもシンフォニーという気分ではありません。ですので、不幸にも亡くなられてしまった大勢の方々のご冥福をお祈りするのと、被害に合われた方々の一刻も早い救出、被災地域の一日も早い復旧を祈る意味で、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」の記事にします。

ブラームスがこの作品を書こうと思ったきっかけとなったのは、恩師シューマンの死去です。けれども曲の一部を書いたところで筆が進まなくなります。それを数年後に完成させるきっかけとなったのは今度は自分の母の死でした。

通常「レクイエム」というと、カトリック協会のミサの典礼文になるので、言葉はラテン語です。ところがこの作品はプロテスタントの信者であったブラームスがマルチン・ルター訳のドイツ語の聖書から、選び出して曲にしました。ですのでこれは全くのコンサート用の作品なのです。バッハの影響を受けている部分が少なからず有りますが、声楽曲として素晴らしく充実しています。作品番号からも分かるように、この作品は交響曲第1番よりも以前の作品です。けれどもオーケストラと合唱の重厚な響きは紛れもないブラームス作品ですので、楽壇ではその実力を大いに認められたそうです。全体は7曲からなる構成ですが、各曲の内容は次の通りです。

第1曲 悲しんでいる人たちは幸いである。彼らは慰められるであろう。 非常に美しく厳粛な曲です。この曲ではヴァイオリンが弾きませんので音色がとてもくすんでいます。

第2曲 人は皆草のごとく、その栄華は草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。 葬送行進曲ですが、悲しみだけではなく威厳が有ります。聴き易いので昔からとても好んでいます。

第3曲 主よ、私の一生があとどれぐらいあるかを私に知らせ、命のはかなさを教えてください。 バリトンも合唱も素晴らしいですが、最後のフーガは堂々としていて大バッハを思わせます。

第4曲 雲の中で天使が歌う 短い曲で、7曲の真ん中に間奏曲のように置かれていますが、非常に美しく、この曲も個人的には大好きです。

第5曲 あなたがたも今は憂いあり ソプラノが静かに歌うこの曲も短めです。

第6曲 この地上には永遠の土地は無い カトリックの典礼文で言えば「怒りの日」に相当しますが、ブラームスは歌詞から「最後の審判」を外しています。現世で死せるものは最後のラッパにより、なに人も天国に迎えられると解釈できそうです。曲の後半の壮絶な盛り上がりには言葉を失います。壮大に続くフーガは正にこの曲の聴きどころです。

第7曲 今からのち、主にありて死ぬ人は幸せである。 優しく慰めに満ちた終曲です。死により天上で永遠の命を与えられる、と美しく歌われます。

この曲は歌詞がドイツ語ですので、コーラスはドイツの合唱団が理想です。というよりも、そうでないと子音の発音がどうしても曖昧になってしまって違和感を感じます。この曲はそれほど幾つものCDを持っているわけではありませんが、気に入っているものをご紹介します。

Klempe77d オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル/ウイーン楽友協会合唱団(1958年録音/テスタメント盤) クレンペラーはEMIへのスタジオ録音も有りましたが、僕が聴いているのはウイーンでのライブ録音です。但し、これはボックスセットの中の付録盤です。コーラスは当然、ウイーン楽友協会合唱団です。50年代の演奏ですので、合唱団もオーケストラも柔らかい音が肌のぬくもりを感じさせて、優しい表情が胸に染み入ります。クレンペラーの指揮は普通の速さのインテンポですが、音量の変化が大きく、少しもわざとらしくなくて非常に効果的です。モノラル録音ですが、音質は優秀です。

Schuli50032_0 カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送響/合唱団(1959年録音/Tresor盤) シュトゥットガルトでのライブ録音です。フランクフルト放送からの応援を得た合唱団がとても力強く魅力的です。シューリヒトのテンポは沈滞することなく速めですが、流石はこの人で非常に味わいに富んでいます。マリア・シュターダー、ヘルマン・プライの独唱も素晴らしいです。明瞭なモノラル録音ですが、フォルテで高音が歪むのが残念です。この演奏は、以前archiphonから出ていましたが、Tresor盤の音質は全く同じです。

Brahams_re_607 ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響/合唱団(1978年録音/audite盤) ミュンヘンでのライブ録音です。最新盤では無いですが、非常に優秀な録音です。音が自然で柔らかいのにもかかわらず分離に優れます。低域には量感が有り、低弦群やティンパニに重量感を感じます。合唱はとても明瞭で、ドイツ語の子音の発音がとても良く聞きとれるのに満足です。エディット・マティス、ウォルフガング・ブレンデルの独唱とともに、真実味の有る深い祈りを感じさせる声楽陣の素晴らしさは、少なくとも僕がこれまでに聴いたものの中では最高です。

Brahmsa_req カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウイーン・フィル/ウイーン楽友協会合唱団(1987年録音/グラモフォン盤) 遅めのテンポでゆったりとした構えですが、流麗で耽美的な美しさはクーベリックを凌ぎます。但し、レガートに過ぎますので、ブラームスの音楽の持つドイツ的な圭角が失われています。クーベリックの真剣勝負の真実味と比べると、どうも表面的な印象は拭えません。けれども良い演奏であることに間違いはなく、自分としてもその時の気分で聴き分けたいと思っています。

ということで、肌のぬくもりを感じさせるクレンペラー/ウイーン・フィル、耽美的ともいえるジュリーニ/ウイーン・フィルも魅力的ですが、やはり真実味と限りなく深い祈りを感じるクーベリック/バイエルン放送響盤に最も感動させられます。

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