平成から令和に変り空前の10連休ですが、この機会にメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴きまくりました。何故かこの曲は今まで記事にしたことが無かったのです。CDの数が多すぎるせいかもしれません。
メンデルゾーンの大傑作と言うだけでなく、古今のクラシック名曲の中の大輪の花、ヴァイオリン協奏曲ホ短調は、略して「メンコン」と呼ばれて世に広く親しまれています。ヴァイオ リン協奏曲のジャンルでは、個人的にはブラームス、ベートーヴェン、シベリウスなどを特に好みますが、この曲の持つロマンティシズムの極みの味わいは他には決して代えられないものです。第一楽章冒頭にいきなり登場するあの有名な主旋律や第二楽章の耽美的なまでの美しさは正に天才の業です。
ところが演奏においては、このような王道の曲は逆に難しくなります。楽譜を単に形にするだけならこの曲以上の難曲は幾らでもあります。しかしこれほど知られている名曲というのは、これまで大家の手によりさんざん演奏されていますので、音色の綺麗さや音程の正確さ、歌いまわしの流麗さなどの差が直ぐに分かってしまうからです。ベートーヴェンのそれとは幾らか要素が異なりますが、本当の難しさにおいて双璧だと思います。
ともあれこの曲はメンデルスゾーンの恵まれた人生そのもののように苦悩や暗さを感じさせない、甘いロマンティシズムと幸福感に満ち溢れた作品ですし、新しい令和の時代にこのような音楽を聴いて幸せな気分に浸るのも悪くありません。
それでは、改めて聴き直したCDを順にご紹介してみたいと思います。
フリッツ・クライスラー独奏、レオ・ブレッヒ指揮ベルリン国立歌劇場管(1926年録音/EMI原盤、ナクソス盤) もう1世紀近く前の古い古い録音ですが、当時のSP盤からの復刻はことのほか音が明瞭で鑑賞に支障ありません。但し管弦楽の音はかなり薄いです。とにかくクライスラー本人のヴァイオリンでメンコンが聴けるのですから、歴史的な価値は大きいです。演奏は現代の若手のほうがよほど正確に弾けるのは確かですが、しかしこの柔らかな味わいは中々聴けるものではありません。第二楽章の甘く柔らかなボルタメントはどうでしょう!
ヤッシャ・ハイフェッツ独奏、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC響(1944年録音/RCA原盤、ナクソス盤) ハイフェッツ全盛期の魔人のようなヴァイオリンと鬼神トスカニーニががっぷり四つに組んだ唖然とする凄演です。第一楽章は快速テンポで飛ばしますが迫力が尋常でありません。第二楽章も随分速いのですが、その中で大きく歌い上げていて流石です。終楽章の速さについては驚異的です。こんな速さで弾いた人は後にも先にも有りません。フィナーレに向かっての怒涛のたたみ掛けには言葉が出ません。ライブなので聴衆の盛大な拍手も楽しめます。
ユーディ・メニューイン独奏、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1952年録音/EMI盤) だいぶ時代が新しくなりましたが、それでも70年近く前のモノラル録音です。メニューインの技巧が衰える前の録音ですので、安定した音で弾いています。ボルタメントが適度でツボにはまり、甘さも過剰に成りませんし、2楽章では感傷的な雰囲気がにじみ出ています。管弦楽はフルトヴェングラーの本領発揮出来る曲ではありませんが重厚で立派です。
ジョコンダ・デ・ヴィート独奏、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮トリノRAI響(1952年録音/IDI盤) トリノでのライブの放送録音で音質がかなり貧弱です。演奏はデ・ヴィートらしい一音一音やフレージングを大切に扱った好感の持てるものです。終楽章は一転して突き進み、気迫に満ちています。これでもう少し録音が良ければとつくづく思います。もしもフルトヴェングラーの指揮を聴きたい場合にはメニューイン盤で聴くに限ります。
イダ・ヘンデル独奏、ハンス・ミュラー=クレイ指揮シュトゥットガルト放送響(1953年録音/ヘンスラー盤) ヘンデルがまだ20代でのライブ録音です。モノラル録音で音質は古めかしいですが、デ・ヴィート盤よりはずっとマシです。ヘンデルは技巧的には現代の基準ではアマい部分も散見されますが、歌心の有るフレージングはこの曲には魅力的です。クレイ指揮の管弦楽は幾らか落ち着かない箇所は有りますがまずまずです。
ヨハンナ・マルツィ独奏、パウル・クレツキ指揮フルハーモニア管(1955年録音/EMI盤) 古いファンには根強い人気のマルツィですが、彼女ならではの甘さを排除したメンコンです。背筋をピンと伸ばしたような気高い精神を感じます。この曲の演奏としては聴き手の好みが分かれるかもしれません。技術的には高いレベルに有ります。クレツキ指揮の管弦楽も安定しています。モノラルですが音質は良好です。但し個人的には後述する’59年ライブ盤を好みます。
渡辺茂夫独奏、上田仁指揮東京交響楽団(1955年録音/東芝EMI盤) 渡辺君は7歳でパガニーニを弾きこなし、神童と呼ばれて多くのプロオケと共演しました。ハイフェッツの推薦でジュリアード音楽院に入学して米国でも演奏が評判になりましたが、2年後に精神不安定から服毒自殺を図ってしまいました。命は取り留めたものの障害が残り、二度と演奏することは有りませんでした。これは留学する前にTBSが録音した記録です。この見事な演奏を聴くと、14歳でこれほどの演奏を聴かせる子供が現代でも果たしているかどうか。もしも事故無く成長していたらどうなっていたかと思わずにはいられません。正に悲劇です。
ダヴィド・オイストラフ独奏、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管(1955年録音/CBS盤) オイストラフはこの曲をステレオ録音で残さなかったのでモノラルです。1,2楽章を遅めのテンポで大きくたっぷりと歌い上げていて、さながら王者の貫禄です。しかしどうも分厚いステーキのような味わいで曲のイメージからはみ出します。メンデルスゾーンには幾らかでも爽やかさを残してほしいです。終楽章は速く気迫が溢れますが、オケの音が引っ込んだ録音バランスなのがマイナスです。
クリスティアン・フェラス独奏、コンスタンティン・シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管(1957年録音/EMI盤) ここからはステレオ録音になります。二十歳過ぎから天才として活躍したフェラスが24歳の時の録音ですが、爽やかな美音と高い技巧に感嘆します。テンポは比較的速めで淡々としていて、フレージングもおおむねサラリとしたものなので強い個性や濃厚なロマンティシズムの表出は有りませんが、品の良い音楽の香りが至る所から漂い来るようです。
ユーディ・メニューイン独奏、エフレム・クルツ指揮フィルハーモニア管(1958年録音/EMI盤) 6年前のフルトヴェングラー盤と比べると若干技巧の衰えを感じます。天才少年として余りに早く舞台に数多く上がり過ぎた代償だと言われます。音質はもちろんこちらが良好ですが、音楽そのものは6年前の演奏が優れます。指揮者の力量の違いも大きいでしょう。こちらも悪い演奏では無いですが、どちらかを選べと言われれば迷うことなくフルトヴェングラー盤を取ります。
アイザック・スターン独奏、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管(1958年録音/CBS盤) スターン全盛期のこの演奏は素晴らしいです。音楽のゆとりと感興の高さとが奇跡的なレベルで両立しています。スターンのハイポジションの美しさ、G線の音を割る迫力に魅了されます。管弦楽の立派さ、充実感も特筆されますので、この曲を何の過不足もなく味わい尽くせます。技術的にも音楽的にもこれほど完成度の高い演奏には中々お目にかかれないと思います。
ヤッシャ・ハイフェッツ独奏、シャルル・ミュンシュ指揮ボストン響(1959年録音/RCA盤) ハイフェッツが58歳での録音ですが、この録音の半年後に事故で腰を痛めて演奏が激減しますので最後の輝きです。44年録音よりは遅くなりましたが、それでも一般の演奏よりは相当速いです。セッション録音のせいも有るのか、音の切れ味や凄みが和らいではいますがまだまだ魔人健在です。但しこの人の真の凄さを聴きたければ44年盤を勧めます。
ヨハンナ・マルツィ独奏、ハンス・ミュラー=クレイ指揮シュトゥットガルト放送響(1959年録音/ヘンスラー盤) マルツィにはライブ録音盤も有りますが、放送局のテープ音源なので同じモノラルながら音質はEMI盤を凌ぎます。演奏もライブでの傷は微細ですし、ソロもオーケストラも非常に安定しています。音楽の勢いや表現の豊かさ、感興の高さにおいてもこちらが上ですので、マルツィのメンコンとしてはこちらをお勧めしたいと思います。
ジノ・フランチェスカッティ独奏、ジョージ・セル指揮コロムビア響(1962年録音/CBS盤) ヴァイオリンの音色の美しさでは当代随一だったこの人のステレオ録音が残されたのは嬉しいです。速いテンポで流れるように進みますが、美音と洒落たニュアンスが一杯で惚れ惚れします。充分上手いですが精密さよりは味わいを重視するのも好ましいです。セル指揮の管弦楽もしっかりとした造形感を持ちピタリと合わせています。
ミシェル・オークレール独奏、ロベルト・ワーグナー指揮インスブルック響(1963年録音/フィリップス盤)ティボーの弟子のオークレールはテクニック的には特に見るべきものは無いですが、いかにもパリジェンヌという小粋な歌い方や節回しが確かに魅力的です。日本の若手には是非こういうところを学んで欲しいと思います。ただこの演奏では指揮者の力量はともかくも、オーケストラがアマオケみたいと言っては言い過ぎですが、音の薄さがどうしても気に成ります。
アルテュール・グリュミオー独奏、カール・シューリヒト指揮フランス国立放送管(1963年録音/Altus盤) 珍しい組み合わせの共演のライブですが、嬉しいことに良好なステレオ録音です。グリュミオーの美音が感じられます。けれども技術的に傷とも言えない些細な傷が案外所々に存在します。オケとのズレも何か所か有りますし、終楽章冒頭ではリズムが合っていません。グリュミオーの実演はいつもこんな感じだったのでしょうか。もう少し聴いて確かめてみたいです。
ヘンリク・シェリング独奏、アンタル・ドラティ指揮ロンドン響(1964年録音/マーキュリー盤) シェリングの三大B以外の録音はそれほど多くは無いと思いますが、「メンコン」も珍しい印象です。端正な美音が印象的ですが、どこをとってもハッタリの無い演奏なのでこの曲にしてはやや面白みに不足する感が無きにしも非ずです。もう少しロマンティシズムを醸し出してくれた方が良いように思います。ドラティの指揮にも同じことが言えます。
アイザック・スターン独奏、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(1967年録音/SONY盤)。これは東西分断以後、初めて再統一されたエルサレムで再出発したイスラエル・フィルの歴史的なコンサートの記録です。スターンは実演にもかかわらず完璧な演奏で、更に歌いまわしの情感の深さが1958年盤を上回ります。バーンスタインの指揮も非常にドラマティックさが有ります。ですので1958年盤とどちらか片方のみを選択するのは困難です。それでも心情的には感動の深さでこちらの記念碑的ライブを取りたいところです。
ナタン・ミルシテイン独奏、クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル(1972年録音/グラモフォン) ミルシテイン晩年の録音ですが、技巧は安定しており、比較的速めで子気味良く進む中で演奏の端々に気の利いた味わいやニュアンスを感じさせる辺りはやはり往年の大家の一人です。管弦楽がアバドとウイーン・フィルとあれば今更何をいわんやです。特に第二楽章ではソロとオケとが非常に美しく溶け合っています。
イツァ―ク・パールマン独奏、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン響(1972年録音/EMI盤) パールマンのまだ若い時代の録音ですが、美音と技巧が冴え渡ります。しかしこの演奏には聴き手を圧倒するような押しつけがましさは無く、第一楽章は遅いテンポで名旋律をたっぷり、ゆったり味合わせてくれますし、第二楽章では夢見るように優しく傍らに寄り添って来るようです。終楽章も煽り立てるのではなくリズミカルで自然な盛り上がりを聴かせます。プレヴィンの指揮と管弦楽も実に美しいです。
レオニード・コーガン独奏、ロリン・マゼール指揮ベルリン放送響(1974年録音/DENON盤) いかにもコーガンらしい、情緒に溺れずに、きりりと背筋を正すような立派な演奏です。曲の性格からも50年代の頃のあの快刀乱麻のごとき緊張感は見せませんが、音の切れ味と上手さは健在です。マゼールもオケをヴァイオリンにピタリと合わせて素晴らしいハーモニーを醸し出しています。決して無味乾燥な演奏ではありませんが、この曲に”甘さ”を求める人は向かないかもしれません。
アイザック・スターン独奏、小澤征爾指揮ボストン響(1980年録音/SONY盤) スターンの二度目のセッション録音に成ります。ライブも含めた過去二種の演奏と比べると技術的に少々衰えを見せています。もっとも他の奏者と比べればよほど上手いのですが、それまでが余りに完璧過ぎました。表現的にも取り立てて深みを増しているわけでは無いですし、小澤の指揮もアンサンブルは上手く合わせているのですが、余りにまとめ過ぎている為にとても美しいものの少々インパクトに欠けます。
アンネ=ゾフィー・ムター独奏、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1980年録音/グラモフォン盤) ムターが17歳の時の録音です。彼女はカラヤンに気に入られて若くして数多くの録音を残しましたが、どれも完成された技術と音の美しさに驚かされました。このメンコンも同様です。しかし反面、音楽の奥深さやロマンティシズムを十全に出せているとは言い難く、全般的にやや一本調子の感が無くもありません。こと音楽の表現に関しては当時はまだ発展途上だったと思います。
チョン・キョンファ独奏、シャルル・デュトワ指揮モントリオール響(1981年録音/DECCA盤) キョンファが70年代初めに録音したシベリウスやブルッフの演奏にはその素晴らしさに衝撃を受けました。それに比べるとこのメンデルスゾーンはそれほどのインパクトは有りません。彼女特有の鋭い切れ味を出すわけでも無く、この曲のロマンティシズムを押し出すわけでも無く、どことなく中途半端に聞こえます。それは恐らく曲との相性の問題ではないでしょうか。水準以上の良い演奏ではありますがメンコンの特別な名演には感じません。
ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ独奏、ジェラード・シュウォーツ指揮ニューヨーク室内響(1987年録音/EMI盤) ナージャがまだ二十代後半での録音です。ゆったりとしたテンポで大胆に歌い上げようとする意欲に好感が持てます。少なくとも前述のムターの演奏よりもずっと面白く聴けます。しかし表現意欲が徐々にしつこく感じられるのも事実です。二楽章も思い入れがたっぷりの割には胸に響きません。全般的にヴァイオリンの音も僅かですが粗く感じられます。
マキシム・ヴェンゲーロフ独奏、クルト・マズア指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1993年録音/テルデック盤) ヴェンゲーロフの若い時代の録音ですが、決して歌い崩すことなく節度を保ってカッチリとした造形性を感じさせます。その点ではスターンの1958年盤に似ています。それでいて情緒的にも不足することが無いところも似ています。テクニック的にも最高レベルに位置しますし、マズアとゲヴァントハウスの響きも立派この上なく、最上のオーケストラサポートです。あえて難を言えば、ライブ的な高揚感には幾らか不足しているかもしれません。
諏訪内晶子独奏、ウラディーミル・アシュケナージ指揮チェコ・フィル(2000年録音/フィリップス盤) 諏訪内さんも貫禄の演奏を聴かせています。中庸の速さですが、高度な技巧で弾き切り、過度にロマンティックにならない節度ある歌い方が好ましいです。いかにも現代的な名演なのですが、このような演奏スタイルでは曲想的にシベリウスの方が向いているとは思います。アシュケナージ指揮チェコ・フィルは立派な響きで好サポートをしています。
五嶋みどり独奏、マリス・ヤンソンス指揮ベルリン・フィル(2003年録音/SONY盤) ベルリンでのライブ収録ですが、演奏の完成度はセッション録音に引けを取らないのは流石です。ヴァイオリンの音量も意図的にバランスを大きくされていないので生演奏の臨場感が心地よく感じられます。円熟した五嶋みどりが美しい音で入魂の演奏をしているのが良く感じられて感銘を受けます。しかし彼女は表情オーバーに弾くわけではなくあくまでも内面的な没入感を感じさせるという風でしょうか。
以上、名演奏は数多く有りますが、マイ・フェヴァリットをあえて選べば、本命は王道の極みのスターンのオーマンディ盤とバーンスタイン盤の両盤です。対抗としてはフランチェスカッティ/セル盤とパールマン/プレヴィン盤を上げます。大穴は壮絶なハイフェッツ/トスカニーニ盤で決まりで、これはむしろ大本命にしたいぐらいです。あとはメニューイン/フルトヴェングラーが捨て難いところです。もしも録音の音質優先で選びたいという方には諏訪内晶子盤と五嶋みどり盤がお薦めです。
<補足>スターンが余りに素晴らしいので、バーンスタインとのライブ盤と小澤征爾との再録音盤も聴きました。またグリュミオー/シューリヒト盤を書き漏らしていたのでそれぞれ記事中に加筆しました。更にはオークレール盤とヴェンゲーロフ盤を加筆しました。
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