私も訪れたことの有るケルンの大聖堂
交響曲第5番はブルックナー中期の傑作です。後期の作品に匹敵するか、あるいはそれ以上のスケールの大きさを持つ、正に聳え立つ巨峰です。ブルックナー自身はこの曲を「対位法的」と呼びましたが、最も典型的なのは巨大なコラールが対位法と一体になった終楽章です。もちろん、他の楽章も構築性において一段と際立つ作品です。がっちりとした構築性と堅牢な管弦楽の響きは、あたかもドイツのゴシック様式の巨大な大聖堂を仰ぎ見るような印象を受けます。
この曲は初演の際には、指揮者のフランク・シャルクが聴衆に受け入れ易くする為に楽譜に大幅なカットと、金管、打楽器を追加するという改定(改悪?)を行いました。もちろん現在では通常、原典版で演奏されていますが、改定版はクナッパーツブッシュの録音で聴くことが出来ます。
第1楽章”アダージョ~アレグロ” 荘重な導入部に続く主部は、スピード感有る印象的な主題が何度も転調しながら繰り返されます。これには心が躍るような感動を覚えさせられます。正にブルックナーの音楽の醍醐味を味わえます。
第2楽章”アダージョ、非常にゆっくりと” 冒頭、弦のピチカートによる三連音の上に、オーボエが二連音で哀しげな旋律を奏でて非常に印象的に始まります。その後、弦楽が大河の流れのような広がりを持つ旋律を歌い、とても荘厳な雰囲気を感じさせます。本当に感動的な楽章です。
第3楽章”スケルツオ‐モルト・ヴィヴァーチェ” 2楽章の三連音がそのまま急速な伴奏形となり、トウッティで激しく奏されます。野趣に溢れた豪快な迫力が魅力的です。
第4楽章”フィナーレ、アダージョ~アレグロ・モデラート” 最終楽章は対位法を駆使して作曲された正に音の大伽藍です。その巨大なフーガとコラールは圧倒的なスケールで心の底から感動させられます。
この曲も素晴らしい演奏が多く有りますので、順にご紹介します。
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウイーン・フィル(1956年録音/DECCA盤) 大学生になった頃に初めてこの曲を聴いた演奏(もちろんアナログLPで)でした。曲の良さが直ぐに理解出来たのは演奏が良かったからでしょう。珍しいシャルク改訂版による演奏なのですが、指揮の意味深さによる演奏の魅力が音楽を充分にカバーしています。テンポは全体に早めなのにもかかわらず、せかせかしたところが全く無く、クナの呼吸の深さをつくづく感じます。当時のウイーン・フィルの柔らかい音は一聴すると音に迫力が無い様に感じるかもしれませんが、音楽そのものの聴き応えは充分です。特に第2楽章の弦楽の美しさは例えようも有りません。
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル(1959年録音/DREAMLIFE盤) DECCA盤と同じ改定版によるミュンヘンでのライブ演奏です。以前から何種類かの海賊盤が出回っていて、中でもGreenHILL盤はかなり良い音質でしたが、ようやく正規音源盤が出て、この演奏の凄さを存分に味わう事が出来るようになりました。ブルックナーをモノラル録音で鑑賞するのは適さないのですが、クナ位凄い演奏になると鑑賞に耐えます。ウイーン・フィルの美音には劣るものの、野趣に溢れたミュンヘン・フィルの音はこの曲には相応しいです。基本テンポはやはり早めですが、ここぞという所でクナは(足で床をドンと鳴らして)オケに気合を入れますので、のけ反るような迫力が生れます。若輩指揮者には真似のできない至芸です。
フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1961年録音/BERLIN Classics盤) 名指揮者コンヴィチュニーもブルックナーをよく振りました。極めて男性的で豪快な演奏です。金管を強奏するので直接的な迫力が有ります。しかしトランペットがいささか強過ぎるので全体のバランスを欠き、響きに「法悦」を感じる事が出来ません。音が汚いというわけでは有りませんが少々やかましく聞こえます。その点がクナの響きとは大分異なります。けれども第2楽章アダージョはたっぷりと深みを感じて中々に魅力的です。
カール・シューリヒト指揮ウイーン・フィル(1963年録音/グラモフォン盤) これはウイーンでのライブ録音です。この人とウイーン・フィルとのブルックナーの正規録音が3、8、9番しか無いのは残念ですが、モノラル録音ながらも状態の良い5番が残されたのは喜びです。シューリヒトは普段は早めのテンポで淡々と音楽を進めますが、この演奏はテンポがたびたび変化しますし、表現も非常に濃厚で劇的です。けれどもそれが決して外面的に陥ることが無く、どこまでも音楽の内面的な感動に結びつくのは流石にシューリヒトです。フィナーレもクナに負けないほどの迫力です。
オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/Testament盤) クレンペラーがウイーン・フィルに1968年に客演した際の録音がテスタメントからBOXで出たのはとても嬉しい出来事でした。この曲はかつてセブンシーズからも出ていましたが、リマスタリングで音質が格段に向上しています。いかにもクレンペラーらしいインテンポのがっちりした指揮ぶりですが、ウイーン・フィルの音が演奏に瑞々しさを与えてくれています。一本調子の所が面白みが無いと言ってしまえばそれまでですが、こういう真面目な曲を真面目な演奏で聴くのも悪くはないでしょう。
ロブロ・フォン・マタチッチ指揮チェコ・フィル(1970年録音/スプラフォン盤) 年配ファンには懐かしいマタチッチですけれども、最近はやや忘れ去られているようです。録音が少ないので仕方が有りませんが、かつてN響の定期で聴いたワグナーの管弦楽の美しくも豪放な響きは今でも耳の底に焼きついています。ブルックナーの正規録音は5、7、9番しか残っていませんが、どれもが貴重な財産です。この5番はテンポは全体に早めで極めて豪快なのですが、それがブルックナーの持つ野趣の面を強く感じさせてくれて納得します。機械的に上手く空虚な音の演奏とは正に対極に位置します。1楽章の主部などは相当に快速ですが、その一方で2楽章の弦楽はゆったりと味わい深く非常に感動的です。
ルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィル(1975年録音/BASF盤) ケンペはクナの指揮でブルックナーが体に染み付いているミュンヘン・フィルと素晴らしい録音を残しました。これはケンペの最大の遺産の一つと言えるでしょう。ゆったりした部分はより遅く、速い部分はスピード感を持って、非常にメリハリが利いています。スケールは大きいのですが、もたついた感じが無いのは流石です。堅牢なオケの響きが、正に石造りの大聖堂を仰ぎ見るようです。響きはやや固めですが金管のバランスが良いので決してうるさくなりません。ケンペとミュンヘンフィルの正規録音が他には4番しかないのが本当に残念です。なお、この演奏は海外のPILZから廉価盤で出ていますが、音が薄いので避けるべきです。国内テイチク旧盤のほうが遙かに優れていますので、最近出たXrcd盤かどちらかを選ぶべきです。
オイゲン・ヨッフム指揮ドレスデン国立歌劇場管(1980年録音/EMI盤) EMIへの全集盤に含まれる演奏です。最円熟期を迎えたヨッフムが全集録音を残すには一番良い時期に完成させてくれたと思います。5番ではマタチッチほどでは無いですが、テンポにかなり緩急をつけています。オケを豪快に鳴らしていますが、ドレスデン管弦楽団のまろやかに溶け合う音が騒々しさを感じさせません。いつもながらこのオケの自然で素朴な音色が魅力的です。音だけで大自然の広がりを感じさせます。マイナスは1楽章の終結部でたたみ込むようにアッチェレランドしてスケールが小さくなったことです。
ハインツ・レーグナー指揮ベルリン放送響(1983-84年録音/シャルプラッテン盤) レーグナーは4番以降を全て録音して、どれもハイレベルの演奏だと思います。この5番はケンペにやや似ていて、曲の緩急の部分でのテンポのメリハリが大きいです。盛り上がる部分などでは荒々しいぐらいに追い込みます。それでいて人間臭くならないのは素晴らしいです。もっともその為に全体のスケール感はやや損なわれていますが、決して腰が軽い訳ではありません。オーケストラも中々に上手く、録音も優れています。全集が完成されなかったのは残念です。
オイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1986年録音/TAHRA盤) ヨッフムが最晩年にコンセルトへボウと演奏したライブ録音を仏ターラが幾つもCD化してくれたことはブルックナー・ファンにとって感涙の喜びでした。特にこの5番は白眉の演奏で、名演中の名演です。録音が良いのも嬉しいです。柔らかくふくよかにブレンドされた名門コンセルトへボウの音が実に美しく捉えられていて正に「法悦」を感じます。6年前のEMI盤よりもスケールが大きく、1楽章終結部も自然です。2楽章のたっぷりとした深さも素晴らしく、これほどまでに崇高で感動的な演奏も稀です。後半の3、4楽章ももちろん素晴らしいですが、特に終結部の巨大なスケールは圧倒的です。
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(1986年録音/Altus盤) 第5番ともなればチェリビダッケを無視する訳には行かないでしょう。但しチェリ・ファンでは無い僕は幾つもCDを持っていません。晩年のミュンヘン・ライブと、このサントリーホールでのライブ盤のみです。相変わらず極度に遅いテンポで、音楽の自然な流れを感じられないために、聴いていて息が詰まります。オーケストラの状態も必ずしもベストでは無かったように感じます。録音も1993年盤の方が良いと思うので、よほどのチェリ・ファンでなければこのディスクは必要無いのではないでしょうか。
ベルナルト・ハイティンク指揮ウイーン・フィル(1988年録音/フィリップス盤) 良い演奏が無いわけでは無いハイティンクなのですが、自分とはどうも相性が合いません。普通の意味では「良い」演奏かもしれませんが、自分にはいま一つです。まずウイーン・フィルに演奏させて、この響きは無いだろうと思います。ブルックナーの敬虔な響きが聞こえて来ないからです。フレージングの呼吸の浅さも気に成ります。第3楽章までは、ほとんど聴きどころがないと言って良いぐらい。強いて言うと終楽章ではコラールがスケール大きく鳴り響き、ようやく充実感が得られました。全体的には愛聴盤からは遠い存在です。
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(1993年録音/EMI盤) 熱心なチェリ・ファンでは無い自分は、この人の演奏を聴いているとどうも極度に遅いテンポに付いて行けずに呼吸困難に陥ってしまいます。ファンはそこが凄いと言うのでしょうけれども。けれども、この演奏は元々巨大な造形美を誇る曲ですので、チェリの良さが発揮されていると思います。テンポの遅さは感じても1986年のサントリー・ライブよりも音楽の流れが感じられますし、響きの美しさや神秘感もこのミュンヘン録音の方がよく感じられます。従ってチェリの第5であれば、この演奏を選びます。
ギュンター・ヴァント指揮ミュンヘン・フィル(1995年録音/Profil盤) ヴァントのブルックナーには北ドイツ放送やベルリンフィルとの録音が多く存在しますが、個人的に最も好むのは晩年のミュンヘン・フィルとの演奏です。それは、このオケの元々南ドイツ的な素朴で明るめの音がクナ、ケンペ、チェリビダッケという歴代のブルックナー指揮者によってしっかりと受け継がれてきたからです。現代的で都会的なベルリンフィルの音との違いは明らかです。木管のセンスなんかも随分隔たりが有ると感じます。真面目な職人ヴァントは大見得を切ったりはしないので時に面白みの無さを感じたりもしますが、極めてオーソドックスな演奏で曲そのものを味わうにはとても良いと思います。
これらの中で個人的にベスト3を選ぶとすれば、ヨッフム/コンセルトへボウの1986年盤がダントツのナンバー(オンリー)ワンです。そしてケンペ/ミュンヘン・フィル盤がナンバー2。残り一つはマタチッチ/チェコ・フィル、ヨッフム/ドレスデン国立管、ヴァント/ミュンヘン・フィル等と乱立状態ですが、むしろ改訂版のハンディを乗り越えてクナッパーツブッシュのミュンヘン、ウイーン両盤といきたい所です。余り好まないチェリビダッケも1993年盤だけは残しておきたいです。
未聴のCDの中では、もうじきミュンヘン・フィルと来日して第8を演奏するティーレマン盤を聴いてみたいと思っていますが、その感想はその時にまた。
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