
マーラーはアメリカからヨーロッパに戻っていた1909年の夏に交響曲第9番を完成させました。そして再びニューヨークへ行った1910年の冬に、この曲の修正にかかりきりになりました。それでもクリスマスには、妻アルマと娘と、家族だけで水入らずの楽しい時間を過ごしたそうです。それはマーラーがこの世を去ることになる僅か5ヶ月前のことでした。
『第9交響曲』の迷信におびえて、9番目の交響曲に「大地の歌」と名づけたマーラーにとって、この曲は本当は10番目の交響曲です。そして、後期ロマン派の巨人が完成させた最後の交響曲となったのです。果たして、この作品は生涯の大傑作となりました。曲の構造は第6番以来のシンプルな4楽章構成です。けれども内容は長い曲の中にぎっしりと詰め込まれています。
第1楽章 アンダンテ・コモード
第2楽章 ゆるやかなレントラー風のテンポで(歩くようにそして極めて粗野に)
第3楽章 ロンドーブルレスケ、アレグロ・アッサイ(極めて反抗的に)
第4楽章 アダージョ
なんといっても驚くべきは、この曲は長大であるにもかかわらず、どこをとってもおよそ無駄が無いことです。楽想は相変わらず、静けさ、激しさ、怖さ、優しさなどが、次々と表情を変えて繰り返されるマーラー調なのですが、音楽が結晶化されているために少しも停滞する事がありません。長い第1楽章から音楽の深さははかりしれず、生と死の狭間で激情的に揺れ動くマーラーの精神そのものです。第2楽章の素朴な雰囲気と中間部の高揚は心をとらえて止みません。第3楽章の激しさにも大いに惹かれます。この皮肉的な楽しさは、マーラーの現世との最後の戦いだったのでしょう。そして終楽章アダージョでは、とうとう黄泉の国に分け入ってゆくような神秘感を一杯に漂わせています。マーラーは自身の死を既にはっきりと予感していたのでしょう。僕はマーラーの全交響曲の中で、やはりこの曲が最も好きですが、古今の交響曲の中でも、肩を並べられるのはブルックナーの9番しか有りません。
僕はこの曲を一度演奏したことが有ります。もう三十年も前のことですが、大学を卒業した年に、当時交流のあった都内の大学数校のオーケストラによる合同コンサートが開かれたのです。指揮をしたのは久志本 涼さんでした。楽器を始めた時にはまさかマーラーの9番を演奏できるなどとは思ってもいませんでした。しかもずっと後になって知ったたことですが、その演奏会はアマチュアオーケストラによるこの曲の日本初演だったそうです。その2年前には「復活」を演奏することも出来ましたし、つくづく幸せな学生時代だったと思います。
聴き手として接した比較的最近の演奏では、2008年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送響の来日公演があります。決してドロドロと情念の濃い表現では有りませんが、音楽への共感を深く感じられてとても良い演奏でした。彼のマーラーは是非また聴きたいと思っています。
この曲の愛聴盤はもちろん少なくは無いので全て聴き直すのが中々大変でしたが、順番にご紹介していきたいと思います。
ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1938年録音/EMI盤) ユダヤ系であったワルターは戦前からナチスによって様々な妨害を受けていましたが、これはオーストリアがドイツに占領される僅か2ヶ月前のウイーンでの歴史的演奏会です。これが単なる「記録」に留まらないのは、録音が非常に明快な為に、演奏を充分に鑑賞することが出来るからです。ここにはマーラーからその才能を高く評価されたワルターが、同じユダヤ系の師の音楽を命がけで守ろうという強靱な意思の力を感じます。現代の指揮者にこのような精神状態になれというのは無理な話です。真に「鬼気迫る演奏」というのはこのような演奏のことでしょう。
ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1961年録音/CBS盤) あの壮絶な1938年盤と比べると、随分ゆったりと落ち着いた演奏です。「ゆったり」とは言っても緊張感に欠けるわけでは有りませんが、どうしても38年盤の印象が強すぎるのです。時にはかつてのような激しさを垣間見せたりもしますし、細部の表情づけも入念で、やはりワルターだけのことはあります。それをステレオ録音で聴けることは有り難いとは思います。でも、やっぱりどこかで「生ぬるさ」を感じてしまうのですね。
サー・ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィル(1964年録音/EMI盤) 定期演奏会の余りの素晴らしさに楽団員たちが感激して、急遽録音を行うことになったという有名な演奏です。バルビローリのマーラーとしても5番、6番ではニューフィルハーモニアというオケの弱さがありましたが、ベルリン・フィルは最高です。阿修羅のようなバーンスタインが「現世での戦い」ならば、こちらはいわば「過ぎ去った戦いの追想」です。遠い昔を懐かしんでいるかのような風情がたまりません。特に弦楽の扱いの素晴らしさが、そういう雰囲気をかもし出すのだと思います。けれども熱さが無いわけではなく、静けさと熱さが同居する稀有な名演だと思います。
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1965年録音/CBS盤) バーンスタインが最初にセッション録音したもので、昔はLP盤で愛聴しました。もちろんこの人のマーラーが悪い訳は有りませんが、後年の幾つものライブ録音と比べてしまうと、あの世紀末のような壮絶さや凄みは有りません。もっとずっと現世的な印象です。その為に余り深刻に成らずにこの名曲を聴くことが出来ます。そういう意味では2楽章、3楽章が案外楽しめます。一方で終楽章ともなると聴いていてどうしても物足りなさを感じてしまいます。
カレル・アンチェル指揮チェコ・フィル(1966年録音/スプラフォン盤) アンチェルが「プラハの春」事件で亡命する2年前の録音です。この人のお国もののドヴォルザークやスメタナは最高に好きですが、それ以外ではこれまで心底気に入った演奏はありません。この演奏も中々に立派な演奏ではあるのですが、バルビローリの後に聴くと、弱音部分でのニュアンスや共感度合いでどうしても聴き劣りしてしまいます。弦楽にも硬さを感じます。第3楽章ロンドーブルレスケは切れの良さで楽しめますが、少々健康的過ぎるのが気になります。ということで、アンチェルのファン以外には余りお勧めはできません。
ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮ロンドン響(1966年録音/BBCレジェンド盤) 知る人ぞ知るマーラー指揮者ホーレンシュタインの演奏は昔LPで聴いた6番が無骨ながらも非常に惹きつけられる演奏でした。この9番では第1楽章冒頭の弦は意外にあっさりと開始しますが、徐々に情念と熱気の高まりを増してきます。やはりユダヤの血を感じます。2楽章は遅く穏やかで、これこそレントラー風です。但し中間部はスケール大きく聞かせます。第3楽章ロンドーブルレスケは無骨の極みで巨大な演奏に惹きつけられます。後半では鳥肌が立つほどです。アダージョも美しく深い演奏です。これはクナッパーツブッシュがマーラーを指揮したらかくやと思わせるような?演奏かもしれません。但しオケにミス、傷はだいぶ目立ちます。
オット―・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア(1967年録音/EMI盤) いかにもクレンペラーらしい遅く微動だにしないイン・テンポで悠々と進む演奏です。1、4楽章は曲想から良いとしても2、3楽章は初めて聴くとその遅さにじれったくなりますが、聴いているうちにいつの間にかクセになるから不思議です。管弦楽の立体的な音響は見事ですが、オケそのものの音色は翌年のウイーン・フィルには敵いません。とはいえ晩年の”クレンペラーらしさ”ではこちらですので出来れば両方を聴かれて欲しいです。
オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/TESTAMENT盤) これはウイーンでのライブ録音です。なんといっても1950年代のワルターとウイーン・フィルで聴けた古き良きウイーンの音が優れたステレオ録音で聴けるのが魅力です。柔らかい音色や人間味溢れる味わいは何物にも代えがたいです。冒頭のホルンや管楽器のソロには時に不安定な個所も見受けられますが、前述の魅力の前にはさほど気になりません。クレンペラーにしては全体的にテンポが特別に遅いわけでも無く、演奏の高揚感が徐々に高まるのは聞きものです。前年のニュー・フィルハーモニアとのスタジオ録音(EMI盤)も有りますが、オーケストラの魅力においてはウイーン・フィルが遥に上です。
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1969年録音/フィリップス盤) この録音当時のハイティンクは良くも悪くも表現力に乏しいですが、なにしろオーケストラが抜群に上手く、それも機械的な意味では無く音楽的な意味で、どの楽器をとってもその表現力には惚れ惚れします。従ってハイティンクの無個性を補って余り有ります。テンポは比較的淡々と進み、マーラーの劇的さや怖さは無いのですが、聴きごたえ不足は感じません。弦楽器をベースにした伝統的な燻し銀の音色を十全に捉えたフィリップスの優れた録音も魅力的です。
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1975年録音/audite盤) これは東京のNHKホールでのライブ録音です。クーベリックのマーラーは大抵が速めのテンポで熱く、ユダヤ調のしつこさは無いのに感情に強く訴えかける、という具合ですが、この演奏もやはり同様です。但し、1、2楽章ではまだ少々燃焼不足を感じさせます。3楽章でエンジン全開となって、続くフィナーレではこの世の惜別の歌を感情一杯に聞かせてくれます。
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ響(1977年録音/グラモフォン盤) この演奏は昔、LP盤で愛聴しました。遅いテンポでスケールの大きな、いかにもジュリーニの演奏です。けれども、感情の嵐が吹き荒れるような部分でもイン・テンポを保つために、幾らか一本調子な感もあります。2楽章の中間部や3楽章などは、そのイン・テンポが確かに巨大な迫力を生んで素晴らしいのですけれど、ここまで感情の揺れが無いマーラーってのもどうかなぁ、と思わないでもありません。しかし、そこがジュリーニの魅力なのですね。分厚い音の合奏も、さすがにシカゴ響で聴き応えが有ります。
レナード・バーンスタイン指揮ベルリン・フィル(1979年録音/グラモフォン盤) バーンスタインがベルリン・フィルを振った余りにも有名な演奏です。当時FM放送からテープへ録音して何度も聴きました。この人のマーラーは必ずしも全てが最高だという訳ではないですが、9番だけは比較を絶する凄さです。壮絶さという点で並び得るのが戦前のワルターのみでしょう。全ての音が意味深く共感に溢れ、生と死の狭間で揺れるマーラーの精神がこれほどまでに音楽になり切っている例は他に決して無いと思います。あとは後年のコンセルトへボウ盤との比較のみです。
クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1979-80年録音/EMI盤) 晩年に入る前のスタジオ録音です。テンシュテットのライブ演奏の凄さを知る者にとっては、もの足りなさが残ると思います。これも普通に素晴らしい演奏なのは確かなのですが、どうしても期待が過大になってしまうからです。それでも部分的には彼らしい表現力に耳を奪われる瞬間は多く有ります。圧倒的な感動までに至らないのが残念です。ロンドン・フィルの力量は例によって、いまひとつというところです。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1982年録音/グラモフォン盤) カラヤンが手兵ベルリン・フィルとバーンスタインの演奏の評判の高さに対抗心を燃やしたとしか思えません。同じライブ盤を3年後に残したのですから。この演奏は美しく、アンサンブルも最高なのですが、およそ「死の翳り」というものは感じられません。余りに健康的だとも言えます。元々俗人のリヒャルト・シュトラウスを得意とするカラヤンとマーラーの生まれ変わりのようなバーンスタインとでは根本的に資質が異なります。マーラーを振って勝負になるはずが有りません。カラヤンがベルリン・フィルを二度とバーンスタインに振らせなかったのも何となくうなずけます。
ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS SONY盤) マーラーと縁の深いウイーン・フィルの演奏だというだけで惹かれてしまいます。戦前ほどの濃密さは無いですが、それでもこの柔らかい音は他のオケとは違います。それでいて現代的なアンサンブルも持ち合わせているので魅力的です。バーンスタインほどテンポに緩急はつけず、ジュリーニほどインテンポではないですが、バランスの良さを感じます。終楽章のみ少々速く感じますが、非常に美しいです。この演奏はウイーン・フィルのマーラーを良い録音で聴きたい方にはお勧めです。
レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1985年録音/グラモフォン盤) バーンスタインはカラヤンの邪魔立てを知ってか、それならと「へーん、ベルリン・フィルを振らなくったっていい演奏は出来るやーい」と、今度はコンセルトへボウと録音を行いました。こうなればマーラー演奏に伝統の有るコンセルトへボウは負けるわけには行きません。かくて両者の意地がベルリン・フィル以上の演奏が実現しました。スケールの巨大さ、アンサンブルの完成度の高さではこちらが遥に上です。それでいて3楽章のたたみかける迫力もベルリン・フィル以上。終楽章の神秘性、寂寥感も最高です。録音も優秀です。従って、どちらか一つを選ぶなら僕は迷わずにコンセルトへボウ盤を取ります。
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1987年録音/フィリップス盤) ハイティンクは1977年からほぼ毎年クリスマスのマチネにマーラーのシンフォニーを演奏しましたが、その録音はオランダ国内でBOX販売されただけでした。それを後にタワーレコードが日本でライセンス販売してくれたのは有難いです。9番はその最後となり素晴らしい演奏となっています。ライブ収録なので、1969年の旧盤と比べると個々の楽器が浮き彫りになるというよりも全体の響きを美しく捉えています。ハイティンクの指揮はその間に格段に深化を遂げていて、じっくりとした構えで旧盤を遥に上回る音楽の感動を与えてくれます。
ガリー・ベルティーニ指揮ウイーン響(1985年録音/WEITBLICK盤) これはEMIへの録音盤ではなく、ウイーンでのライブ演奏です。ベルティーニはケルン放送を振るときよりもずっとオケの自発性に任せている印象で、おおらかさを感じます。最初はかなり手探り状態で危なっかしいのですが、少しづつ調子が上がって行くのがいかにもライブです。2、3楽章もオーケストラにミスも多く、荒い感じがしますが、終楽章では神秘的な雰囲気を漂わせていて感動的です。やはり良い演奏だと思います。ムジークフェラインの響きを美しく捉えた録音も良いです。
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送響(1986年録音/DENON盤) インバルが50歳の時の録音で、このコンビによる全集の1枚です。いかにもドイツのオケらしいしっとりとした音色と堅牢感とインバルの控え目なユダヤ的情緒性とバランス良く混じり合っています。劇的な面をことさらに強調するわけでは無いですが自然に惹きつけられます。このオケは機能的にも優れていますし大変満足出来ます。DENONが協力した録音も優秀です。
クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル(1987年録音/グラモフォン盤) ウイーンでのライブ録音です。弦も管も非常に響きの美しさを感じます。しかもライブとは思えないほどにアンサンブルが優秀で、安心して聴いていられます。3楽章のドライブ感も実に見事です。ただし問題は、この曲の「怖さ」が余り感じられないことです。悲劇性、汚さから離れて、ひたすら美しさに徹した演奏には幾らか疑問を感じます。アバド/ウイーンPOの3番、4番は文句無しの名演奏ですが、この曲の場合は、そこまでの感銘は受けません。ただ、聴き疲れしませんし、何度でも繰り返して聴ける名盤だと思います。深刻なマーラーは苦手だと言われる方には是非のお薦めです。
ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1991年録音/EMI盤) EMIへの全集録音ですが、「大地の歌」と同様に日本でのライブ収録です。さすがに手兵のケルン放送だけあって、スタジオ録音と間違えるほどに完成度が高いです。録音も広がりが有り優れています。ユダヤ的な粘着性は余り感じさせない耽美的な演奏ですが、この人の職人的な面が最上に発揮されています。但し、マーラーの死への恐れの心情表現は必ずしも充分に感じられず、終楽章も余り心に深く響きません。むしろ完成度は低くとも終楽章はウイーン響盤の方が感動的でした。
ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1995年録音/CANYON盤) この演奏には激しさはおよそ感じませんし、全体のテンポも極めて中庸です。けれども、全ての音符に意味深さが込められているので、聴いているとマーラーの音楽が自然にどんどん心の奥底まで染み入って来ます。これは凄いことです。ノイマン晩年のマーラー再録音はどれもが素晴らしいのですが、この9番は、3番、6番と並んで特に優れた演奏だと思います。チェコ・フィルの音は非常に美しいですし、CANYONの録音はもちろん優秀です。
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル(1999年録音/グラモフォン盤) アバドの再録音ですが、ライブで燃えるアバドが本領を発揮してヴィルトゥオーゾ・オケを自由自在にドライブした秀演です。3楽章のたたみ込むような迫力には驚きます。但しアバドはここでもやはり余り深刻に成るわけでは無いので、マーラーの厭世観はさほど感じられません。しかし録音の優秀さも相俟って、普段聴き取り難い音が良く聞こえてきますし、音色の美しさも特筆されます。
小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ(2001年録音/SONY盤) 自分は同じ日本人として小澤さんを尊敬しているのですが、サイトウ・キネン・オケについては少々懐疑的なのです。スーパー臨時編成オケで、松本フェスティヴァルでの中心的役割を果たすのは良いとしても、次々と発売されたライブCDにはどうも商業主義を感じずにはいられませんでした。この演奏は東京文化会館でのライブ録音で、もちろん水準を越える出来栄えですが、常設オケのような熟成された音が感じられません。この直後にボストン響を指揮したフェアウェル・コンサートと比べると大きな差が有るように感じます。出来ればボストン・ライブをCDリリースして欲しいところです。
リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管(2004年録音/DECCA盤) コンセルトヘボウは相変わらず抜群に上手いけれど、ハイティンク時代のいぶし銀の音色からはだいぶ変化しました。シャイーの下で音に地中海的な色彩の鮮やかさを感じさせます。テンポそのものは結構じっくりと構えていますが生命力を失いませんし、あらゆる部分で豊かな表現力を感じさせて退屈させません。ここではマーラー特有の深刻さや焦燥感は余り感じませんが、こういう演奏も有りかなと新鮮に思えます。
サイモン・ラトル指揮べルリン・フィル(2007年録音/EMI盤) ラトルにとってウィーン・フィルとのライブ盤以来の再録音ですが、ラトルの音楽としての完成度が飛躍的に高まりました。譜読みが徹底していて楽器のバランス、テンポ、ディナーミクなどに個性的解釈が細部にまでわたりますが、この演奏を聴いて面白いと感じるかどうかは聴き手次第です。私にはやや姑息に感じられます。第5番あたりならこのスタイルでも受け入れられるでしょうが9番では難しいです。ラトルの「マーラーへの共感」よりも「楽曲分析」の印象が勝るからです。しかし面白いことは間違いなく、是非ご自分で確かめられてください。
ベルナルト・ハイティンク指揮バイエルン放送響(2011年録音/BR KLASSIK盤) ハイティンク最後の9番の録音はミュンヘンのガスタイクホールでのライブ収録です。クリスマスマチネから20年以上も経ての演奏ですが、基本解釈はほとんど変わりません。バイエルン放送響はもちろん優秀なオケですが、全盛期のコンセルトヘボウと比べると各楽器の音のコクには差を感じます。ですので1楽章の途中まではクリスマスマチネには敵わないと感じます。ところが途中から演奏に徐々に興が乗ってきて、思わず惹きつけられて行きます。ライブの面白いところです。2、3楽章もその勢いで高揚感が有ります。終楽章も美しく録音も優秀なのですが、トータルではやはりクリスマスマチネの方を好みます。
実は、この曲は普通に演奏してくれれば、どの演奏も感動的です。それほど音楽が素晴らしいからです。この曲を演奏して、もしも人を感動させられなければ、その演奏家はマーラーを演奏しないほうが良いのかもしれません。僕の好みでベスト盤を上げてみますと、迷うことなくバーンスタイン/コンセルトへボウ盤です。それに続いてはバーンスタイン/ベルリン・フィル盤です。この2つはたとえどちらか片方のみだけでも充分過ぎるほど満足できますが、やはり両方としたいです。バーンスタインが余りに素晴らしいので、その他は随分引き離されますが、バルビローリ/ベルリン・フィル盤、クレンペラー/ウイーン・フィル盤、アバド/ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの二種類、ノイマン/チェコ・フィル盤、そしてハイティンクによる三種類は個人的に大好きです。あと、番外として外せないのは歴史的演奏のワルター/ウイーン・フィル盤ですね。
<追記>バーンスタイン/ニューヨーク・フィル盤、ハイティンク/コンセルト・へボウ管の2種類およびバイエルン放送響盤、インバル/フランクフルト放送響盤、アバド/ウイーン・フィルおよびベルリン・フィルの両盤、小澤/サイトウ・キネン盤、シャイー/コンセルトヘボウ管盤、ラトル/ベルリン・フィル盤を後から加筆しました。
<後日記事>
マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン/イスラエル・フィル盤
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