マーラー(交響曲第8番~10番、大地の歌)

2017年6月25日 (日)

山田和樹指揮日本フィル演奏会 マーラー交響曲第9番

18425073_1779076442382926_141279032

18485803_1779076465716257_739275905

山田和樹と日本フィルによるマーラーのシンフォニー・ツィクルスもいよいよ最終回となりました。いつものオーチャードホールへ聴きに行きました。

ツィクルス全曲は聴くことが出来ませんでしたが、第6番以降の4曲を聴けたのは良かったです。出来ればあと2番「復活」、5番が聴けていればベストでした。

もっとも「大地の歌」が今回のツィクルスには含まれませんでした。『全曲』と銘打つのに含まれないのは不思議なところですが、一般の”交響曲全集”には「大地の歌」が含まれないほうが多いので仕方ないところです。

マーラーの第9番は恐らく自分が最も好きなシンフォニー。以前はブルックナーの第9番だったのですが、最近はむしろマーラーに惹かれます。

ただ、これまでマーラーの9番を実演で聴いたのは小林研一郎/日フィルとパーヴォ・ヤルヴィ/フランクフルト放送響ぐらいです。

あとは自分が大学を卒業した直後に複数の大学オケによるジョイントコンサートへヴィオラで参加したこともありました。

さて、例によって武満作品が前プロに置かれましたが、曲は「弦楽のためのレクイエム」でした。前プロには正にピッタリです。

マーラーの第9番には作曲者自身のそれほど遠くないうちに訪れるであろう”死の予感”が間違いなく反映されています。第1楽章が”死への恐れ”ならば、第2楽章、第3楽章は”生との格闘”、そしてついに第4楽章では”永遠の世界への旅立ち”というように聞き取れます。

最後に”人間の生”全てが浄化されて終わるようなこの曲には、ちょっと他に類例が無いような強烈な魅力を感じます。

今日の演奏もとても良い演奏でした。山田和樹の指揮は幾らか速めのテンポで推進力があり、弦楽器を目いっぱい弾かせてその上に管楽器と打楽器をバシッっと乗せます。そのバランス造りは終始徹底していました。ですので全体がとても引き締まっていて迫力に不足しません。音楽が実に分かりやすいです。

ただ、それが余りにスッキリと見通しが良いので、マーラー特有のネチネチ、ドロドロとした雰囲気が少なく感じられるのは仕方ありません。そういうところは先輩のコバケンのほうが得意とするところです。

そういった個人の好みは有るにせよ、オーケストラにとってマーラーのツィクルスほど面白いものは無いので、いずれまた何年か先に山田さんの指揮がどのように進化しているのか聴きいてみたいものだと思います。

<関連記事>マーラー 交響曲第9番 名盤

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年6月16日 (金)

マーラー 交響曲「大地の歌」 続・名盤

若いころからマーラーの交響曲は大好きで、どの曲も愛してやまない作品ばかりですが、最近は「大地の歌」を良く聴いています。
所有のCDは「大地の歌 名盤」でご紹介していましたが、最近気に入ったものが加わりましたので、久々に続編として書いてみたいと思います。

Img_0
ヨーゼフ・クリップス指揮ウイーン交響楽団(1972年録音/オルフェオ盤)

クリップスはウイーン出身ですが、第二次大戦でナチスに協力をしなかったことから祖国を追われて戦争終結までは相当の苦難が有ったそうです。しかし逆に戦後は楽壇に直ぐ復帰が認められて活躍しました。
クリップスはハイドンやモーツァルト、べートーヴェンという印象が強く、マーラーは珍しい印象を与えます。このCDはウイーンでのライブ録音ですが、クリップスは「大地の歌」を好むようで、1964年ウイーン芸術週間における同じウイーン交響楽団とのライブ録音も有ります(グラモフォン盤)。

さてこのオルフェオ盤を聴いてみて一遍で魅力に憑りつかれました。一言で『人間味に溢れるマーラー』です。第1曲冒頭のホルンは決して音が厚いわけでは無いのですが、何か人間的な声の叫びを聞くかのようです。特筆すべきは弦も管もその歌い回しが正に独特のウイーン節で、その上手さと魅力はウイーン・フィルと間違えるほどです。情緒的な味わいはむしろウイーン・フィル以上と言っても過言ではありません。これはやはりクリップスの手腕によるところが大きそうです。

歌についてもテナーのジェス・トーマスが実に素晴らしいです。ワーグナー歌手として歌の迫力は随一ですが、情緒的な歌い上げ方にも大いに魅了されます。アルトのアンナ・レイノルズもフェリアーほどではなくても非常に情感の籠った深い歌を聞かせています。

これはオーストリア放送協会によるステレオ録音ですが、各楽器が明瞭で分離が良く、微細のニュアンスまで良く聞き取れます。室内楽的な透明感が有りますが、音が薄く感じられるどころか逆に生々しい迫力を感じます。

824
ゲオルグ・ショルティ指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1992年録音/DECCA盤) 

ショルティのマーラーは以前は余り食指が動かずにいましたが、最近はそうでも無くなり少しづつ聴いています。
この演奏はショルティの「大地の歌」の二度目の録音ですが、手兵のシカゴ響ではなくコンセルトへボウ管と共演した際のライブです。

なんと言っても音色の魅力でウイーン・フィルと魅力を二分する名門ですので、そのしっとりと落ち着いた音にショルティのリズム感と力強さが加わって素晴らしい演奏となっています。前述のクリップス/ウイーン響ほどの情緒表現の豊かさは望めないにしても、その他の演奏と比べてみても充分に味わい深さを持ちます。

それにしてもコンセルトへボウ管の魅力は抜群です。「青春について」から「美について」「春に酔える者」かけてはショルティの長所が出ています。「美については」快速テンポがミュージカルのようですが興奮させられます。
意外にも「告別」がゆったりと深々としていてとても味わいを感じます。ことさら暗く沈滞しているわけでは無いのですが、中間部の音の厚みは聴きごたえが有ります。

ライブ録音にしては完成度の高さに驚きます。しいて言えばアルトのリポヴシェクに僅かに不安定さを感じないでもありませんがこれは些細なレベルで問題になりません。テノールのトーマス・モーザーは声が若々しく良いのですが特別に抜きんでた存在ではありません。このCDの魅力は歌手では無く、オーケストラ演奏に有ります。

というように2枚ともマイ・フェイヴァリット盤の仲間入りを果たしましたが、特にクリップス盤は一気にワルター/ウイーン・フィル盤に続く高位置を占めました。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年6月 5日 (月)

山田和樹指揮日本フィル演奏会 マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」

Dsc_0187

今日は山田和樹/日本フィルのマーラー・ツィクルスの交響曲第8番「千人の交響曲」を聴きにオーチャードホールへ行きました。
同じ声楽入りの曲とは言っても昨日のモンテヴェルディとは趣がだいぶ異なります。
マーラー曰く「これまで自分の書いてきた交響曲第7番まではこの作品に比べれば序章に過ぎない」。
確かに音楽史上最大のスケールの作品だと言えます。
 
この曲を実演で聴くのは2度目で、前回は小林研一郎の指揮で同じ日本フィルでした。その時も凄いと思いましたが、今回のステージでは合唱がざっくり500人近く、それに100人を超えるオーケストラですから合わせて600人近くの人数です。前回聞いた時よりも明らかにスケールで上回ります。
 合唱が力強く歌うとオケが聞こえなくなるぐらいの迫力で背筋がゾクゾクしました。
とてつもない音楽でありとてつもない演奏。これほどに”音楽による宇宙の鳴動”とか、そんな言葉が頭をよぎる経験は初めてかもしれません。
 
次回はツィクルスの最終回、交響曲第9番です。おそらく自分が最も好きなシンフォニー。楽しみは続きます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年3月 3日 (日)

マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン/イスラエル・フィルのライブ盤

Israel_9レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(1985年録音/Helicon Classics盤)

僕は、自称ブラームジアーナーとして、ブラームスの音楽を心の底から愛していますが、同じように溺愛しているのがマーラーです。そのマーラーの曲で、どれか一つだけ選べと言われれば、ためらわずに選ぶのが交響曲第9番です。もちろん、アマチュアオケ団員時代に、この曲を演奏したことも影響しているかもしれません。でもそれを抜きにしても、やはり他のどの曲でも無く第9なのです。

その第9交響曲の演奏のなかで一番気に入っているのが、「劇場型」(「激情型」とも)マーラー演奏家として最高のレナード・バーンスタインです。もちろん人によっては、ワルターだ、ジュリーニだ、バルビローリだ、と色々と言われるでしょう。けれどもバーンスタインの洗礼を受けたファンにとっては、とてもとても比べものにならないほどの唯一無二の存在がバーンスタインの演奏です。

そのバーンスタインによるマーラーの第9交響曲については、正規録音として以下の4つの演奏がCD化されています。

1965年12月  ニューヨーク・フィル(スタジオ)
1979年10月  ベルリン・フィル(ライブ)
1985年5、6月 ロイヤル・コンセルトへボウ(ライブ)
1985年8月   イスラエル・フィル(ライブ)

(この他に、1971年3月のウイーン・フィルとのライブも存在しますが、ビデオ収録のみです)

このうち、バーンスタインのマラ9のベスト演奏はどれかと言えば、自分としてはコンセルトへボウ盤(グラモフォン)を上げますが、ベルリン・フィル盤(グラモフォン)を上げる方も居ます。ただ、最初のニューヨーク・フィル盤(CBS)を上げる人は少なそうです。

そんなバーンスタインのマラ9で最近リリースされたのが、最後のイスラエル・フィル盤で、本拠地のテルアビブでのライブ録音です。何となくグラモフォンのジャケット・デザインを彷彿させますが、実際にはイスラエル・フィルの自主レーベル「Helicon Classics」が制作したものです。録音スタッフも全てイスラエル人のようです。

実はこのコンサートの翌月に、彼らは日本でコンサート・ツアーを行なって、マラ9を4度演奏しました。古いマーラーファンには伝説となっているコンサートです。残念ながら僕はそれを聴いていませんが、当時それを聴いた人の話では、空前絶後の凄演だったそうです。その日本のコンサートを想像できるCDとしてはとても貴重だと思います。

さて、肝心の演奏内容ですが、多くのCDレヴューを読むと賛否両論で興味深いです。ある人は「過去の全ての演奏を凌ぐ」と書いていますし、「大したことない」と書いている人も居ます。僕には、そのどれもが本当だろうと思います。少なくとも、書き手にとっては、その人の書いた通りなのです。ですので、これから書く感想も、あくまで僕一人の感想でしかありません。

これまでの演奏と比べて、最もユダヤ的な演奏に感じます。第二次大戦前のウイーン・フィルが、どうしてあれほど甘く柔らかい音を出せていたかと言えば、ユダヤ人が多く在籍していたからだそうです。長い指を持つユダヤ人が弾くヴァイオリンの音の特徴なのですって。イスラエル・フィルにはそれと共通した魅力を感じます。とにかく甘く柔らかく、そして粘ります。それがマーラーの音楽との同質性を感じさせます。それは、ユダヤ系の指揮者と、それ以外の民族の指揮者が演奏するマーラーの確かな違いとも言えます。従って、バーンスタインの指揮したマラ9は全てが魅力に溢れてて感動的です。もちろん、この演奏も同じです。最も顕著なのが第4楽章で、弦楽の息の長い旋律を、粘りに粘って弾いています。こういうのが苦手の人には抵抗が有るでしょうね。でも僕は大好きなのです。魂の没入度では一番かもしれません。バーンスタインの足音がひときわ大きく聞こえますし(笑)。この楽章を聴くだけでも価値が有ると思います。但し、それまでの楽章について言えば、特に管楽器全体の質とミスがかなり多いのがマイナスです。実演で聴けば気にならないようなことでも、CDで聴く場合は気にならないと言えば嘘になります。ですので、ディスクとして聴く限りは、やはりコンセルトへボウ盤がベストです。恐らく、このCDを聴かなくても困らなかったとは思いますが、聴いたことを後悔はしていません。聴いて良かったと思っています。
もっとも、他の人に「このCDを聴くべきか、聴くべきでないか?」と尋ねられても答えられません。その答えは「その人が聴きたいと思えば聴くべき」でしかないからです。

<過去記事> マーラー 交響曲第9番 名盤

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2013年1月 4日 (金)

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 テンシュテットのロンドン・ライブ

Mahler_8_tensuクラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィルハーモニー(1991年録音/BBC盤)

昨年の仕事始めは4日だったのですが、今年は嬉しいことに7日からです。正月三が日にすっかりダラけた自分にとっては、非常に有りがたいことです。そこで聴き初めにブラームスの1番をテンシュテットで聴いたので、もう1曲、テンシュテットを聴くことにしました。

新年早々から、暗く厭世観の強いマーラーの曲を余り聴きたいとは思いませんが、第8交響曲は別です。マーラー自身が、「これまでの作品には、いずれも主観的な悲劇を扱ってきたが、この交響曲は偉大な歓喜と栄光を讃えているものです。」と語ったように、躁鬱的、精神分裂的なマーラーの書いた、最も輝かしく光を放つ壮麗巨大なカンタータかオラトリオのような作品です。第6、第9、「大地の歌」がマーラーそのものなら、この第8もやはりマーラーなのです。

といっても普段は滅多に聴くことが有りません。思い立った時だけです。ですので所有ディスクも、他のマーラー作品と比べると、ずっと少なくなります。それらは以前の記事の「千人の交響曲 名盤」でご紹介しました。

その中にはクラウス・テンシュテットのスタジオ盤(EMI)が含まれていますが、その後にリリースされたのがロンドンのフェスティヴァル・ホールでのライブ盤です。EMI盤は1986年の録音でしたが、このライブ盤は、ちょうど5年後の1991年の演奏です。EMI盤はこの壮大な曲を高揚感と格調の高さを持った素晴らしい演奏でしたが、やはりテンシュテットがステージに立つと演奏の気迫が違います。オーケストラは雄弁極まりなく、独唱、コーラス陣の真摯な歌声にも胸を打たれます。イギリスの合唱はやはり素晴らしいです。

ライブ収録にもかかわらず、録音の質が優れているのも嬉しいです。生の演奏会場に居るような臨場感が有りますし、オケも合唱も生々しい音で聞けます。各パートのバランスや距離感も抜群です。特に素晴らしいのは第2部で、中間部アダージッシモの神秘感やロマン性に魅了されますが、圧巻は終結部です。徐々に高まってゆき、ビッグバンのような爆発を見せる合唱とオーケストラには言葉を失います。このフィナーレの絶頂は、もしやバーンスタイン以上の史上最高ではないでしょうか。もちろんライブゆえの些細な傷が無いわけでは有りませんが、全体の感銘の前には全く問題になりません。

録音で聴いてもこれほどの感動を受けるこの演奏を、もしも実際の会場で聞いたらと思うと想像もできません。

この演奏は、テンシュテットのマーラーの中でも、北ドイツ放送響との伝説的な「復活」ライブ、1990年代のEMI録音のロンドンフィルとのライブの6番、7番、それにコンセルトへボウ管とのライブの5番に並ぶ特別な名演奏であるのは間違いありません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年6月 8日 (火)

マーラー 交響曲第10番から「アダージョ」 名盤

ブルックナーとマーラーの交響曲を順番に記事にしてきましたが、ようやく最後の曲にたどりつきました。昨年の11月にスタートしてから半年以上もかかってしまいました。こんなにまとめて二人の曲を聴き続けたのは初めてです。というわけで、最後はマーラーの「未完成」交響曲第10番です。

Mahler マーラーは交響曲第9番完成後の1910年の夏に、続く第10番に着手しました。再び創作に意欲を燃やしたのです。けれども彼は翌年の2月に病に倒れてしまい、5月にはこの世に別れを告げました。ですので第10番は僅かに第1楽章のアダージョがほぼ完成していたほかは、断片的なスケッチにとどまります。この曲は後年、音楽学者によって復元が行われていますが、マーラー自身はこの曲は公表をしないように言い残しています。ですので、個人的にはマーラー以外の手による復元曲を聴こうという気にはなれないのです。鑑賞するとすればアダージョのみです。

この曲は、調性がかなり失われていますし、響き自体も現代曲に近づいています。ですので、よく「シェーンベルクたちの先駆けとなった」という解説を目にしますが、僕はむしろ逆のように思っています。マーラーはウイーンに居た時に、シェーンベルクやツェムリンスキーをよく自宅に呼んでは好物の黒ビールを飲みながら、音楽について激論を交わしたそうです。時には大喧嘩にもなったそうです。けれども、マーラーはアルマに「私には彼の音楽はわからない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのかもしれん。私は老いぼれで、彼の音楽にはついてゆけないのだろう。」と語ったそうです。この言葉から、決してマーラーが先駆けていたのではなくて、むしろ彼は新しい音楽に置いて行かれないように必死だったのだと思います。同業のブラームス爺が、新しい音楽家のことを「まったく最近の連中はなってない!」と、さんざんこきおろしていたのとは大きな違いです。

このアダージョも「生への別れ、死への旅立ち」という雰囲気が一杯ですので、「大地の歌」の終楽章や第9番の両端楽章とその点で共通しています。しかし無調による冷たい響きと不協和音で表現されるマーラーの痛切な心の叫びは、それまでの曲以上と言えます。この曲は美しいとは思いますが、ここまで悲痛な音楽は普段はそうそう聴けるものではありません。同じ「未完成交響曲」といってもブルックナーの9番とはだいぶ異なります。でも、でも、やはりこの曲は限りなく美しく、悲しく、素晴らしい!

Mahler_g この曲の初演は、マーラーの死から14年後にウイーン・フィルにより行われました。その指揮をしたのはマーラーから「才能が無い」と言われていたフランツ・シャルクです。この曲を公表するなと言い残したマーラーは墓の中でどう思ったことでしょう。ちなみに、マーラーは生前自分の墓について、「飾りのない墓石を置いて、ただ“マーラー”とだけ書いてくれ。僕の墓を訪ねてくれるほどの人なら僕が何者かはわかっているだろう。そのほかの人には用はない。」と言ったそうです。実際にウイーンの郊外に建てられた墓はその通りになっています。

それでは僕の愛聴するCDをご紹介します。

4988005221254 レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1974年録音/グラモフォン盤) これはウイーンでのライブ演奏です。バーンスタインがこういう曲をウイーン・フィルと演奏すれば最高なのはわかりきっています。ひとつひとつの音符に深い意味が込められていて真に感動的です。録音のせいか金管が弦楽と溶け合わずに分離したようにも感じますが、反面音の動きは聞き取りやすいです。それにしても何という悲しみに満ちた音なのでしょうか。死を覚悟した(し切れない?)マーラーの悲痛な心の叫びが痛々しく思えてなりません。

Mahler1bernstein レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1975年録音/CBS SONY盤) 僕が昔LP盤で聴いていたのはこの演奏です。ウイーンライブの翌年のスタジオ録音です。二つの演奏にテンポ、表現の差はほとんど有りません。なので、このニューヨーク盤も素晴らしいのですが、やはりウイーンフィルの管や弦の持つ独特の柔らかさを望むことはできません。どちらもマーラーゆかりの楽団とはいえ、長年の間その土地の風土文化に育まれてきた音は異なります。

41tptjxqeyl_2 クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1978年録音/EMI盤) 手兵のロンドン・フィルは大抵の場合でオケの力不足を感じてしまいます。けれどもこの曲では余り不満を感じさせません。弦楽中心の単一楽章だからでしょうか。全体にゆったりとしていて、バーンスタインほどの痛切さは感じさせません。どちらかいうと9番の終楽章に近い雰囲気に聞こえます。この演奏だけ聴いていれば素晴らしいと思いますが、実は後述のウイーン・フィルのライブがある為に、自分にとってはどうしても影が薄くなります。

Mahler10_eroica クラウス・テンシュテット指揮ウイーン・フィル(1982年録音/TIENTO盤) これはザルツブルク音楽祭のライブ録音ですが、USAの海賊CD-R盤です。音が良いのでマスターテープ使用だと思います。演奏はバーンスタイン以上に広がりがありスケールが大きく、まるで大波にのみ込まれるようです。全ての音符が繊細に扱われて深い意味が込められているので、最初から最後まで心底惹きつけられます。弦と管が柔らかく溶け合った録音も素晴らしいです。これを聴いていると、ウイーン・フィルでテンシュテットの9番を聴きたかったとつくづく思ってしまいます。この海賊盤には「エロイカ」も収録されていますが、これもまた非常な名演です。今年の8月にはAltusがこのコンサートの正規盤をリリースするらしいので、全ての音楽ファンは必聴です。

<追記> Altusから発売された正規盤はTIENTO盤よりも更に音が良いので、初めて聴かれる方はAltus盤を購入すべきです。TIENTO盤と同じように「エロイカ」の演奏も収録されていますが、こちらも一段と素晴らしく聴くことができます。

081 ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS SONY盤) この曲の演奏に関してはウイーン・フィルの魅力は絶大です。やはりマーラー自身が作った響きの歴史を継いでいるわけですから、このオケでなければ出せない音が有ります。悲痛さではバーンスタイン、広がりではテンシュテットですが、美しさでは遜色ありませんし、むしろ良い意味で平常心に近いまま音楽を鑑賞したいと思う時には最適かもしれません。

以上から、僕の好きな順番を上げますと、1位はテンシュテット/ウイーン・フィル、2位はバーンスタイン/ウイーン・フィル、ここまではダントツです。そして3位にはマゼール/ウイーン・フィルとなります。結局全部ウイーン・フィルですが、これはまあ仕方がありませんね。

| | コメント (20) | トラックバック (0)

2010年6月 1日 (火)

マーラー 交響曲第9番二長調 名盤 

O0298044810347645785

マーラーはアメリカからヨーロッパに戻っていた1909年の夏に交響曲第9番を完成させました。そして再びニューヨークへ行った1910年の冬に、この曲の修正にかかりきりになりました。それでもクリスマスには、妻アルマと娘と、家族だけで水入らずの楽しい時間を過ごしたそうです。それはマーラーがこの世を去ることになる僅か5ヶ月前のことでした。

『第9交響曲』の迷信におびえて、9番目の交響曲に「大地の歌」と名づけたマーラーにとって、この曲は本当は10番目の交響曲です。そして、後期ロマン派の巨人が完成させた最後の交響曲となったのです。果たして、この作品は生涯の大傑作となりました。曲の構造は第6番以来のシンプルな4楽章構成です。けれども内容は長い曲の中にぎっしりと詰め込まれています。

第1楽章 アンダンテ・コモード

第2楽章 ゆるやかなレントラー風のテンポで(歩くようにそして極めて粗野に)

第3楽章 ロンドーブルレスケ、アレグロ・アッサイ(極めて反抗的に)

第4楽章 アダージョ 

なんといっても驚くべきは、この曲は長大であるにもかかわらず、どこをとってもおよそ無駄が無いことです。楽想は相変わらず、静けさ、激しさ、怖さ、優しさなどが、次々と表情を変えて繰り返されるマーラー調なのですが、音楽が結晶化されているために少しも停滞する事がありません。長い第1楽章から音楽の深さははかりしれず、生と死の狭間で激情的に揺れ動くマーラーの精神そのものです。第2楽章の素朴な雰囲気と中間部の高揚は心をとらえて止みません。第3楽章の激しさにも大いに惹かれます。この皮肉的な楽しさは、マーラーの現世との最後の戦いだったのでしょう。そして終楽章アダージョでは、とうとう黄泉の国に分け入ってゆくような神秘感を一杯に漂わせています。マーラーは自身の死を既にはっきりと予感していたのでしょう。僕はマーラーの全交響曲の中で、やはりこの曲が最も好きですが、古今の交響曲の中でも、肩を並べられるのはブルックナーの9番しか有りません。

僕はこの曲を一度演奏したことが有ります。もう三十年も前のことですが、大学を卒業した年に、当時交流のあった都内の大学数校のオーケストラによる合同コンサートが開かれたのです。指揮をしたのは久志本 涼さんでした。楽器を始めた時にはまさかマーラーの9番を演奏できるなどとは思ってもいませんでした。この2年前には「復活」を演奏することも出来ましたし、つくづく幸せな学生時代だったと思います。

聴き手として接した比較的最近の演奏では、2008年のパーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送響の来日公演があります。決してドロドロと情念の濃い表現では有りませんが、音楽への共感を深く感じられてとても良い演奏でした。彼のマーラーは是非また聴きたいと思っています。

この曲の愛聴盤はもちろん少なくは無いので全て聴き直すのが中々大変でしたが、順番にご紹介していきたいと思います。

Walter_mahler_9 ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1938年録音/EMI盤) ユダヤ系であったワルターは戦前からナチスによって様々な妨害を受けていましたが、これはオーストリアがドイツに占領される僅か2ヶ月前のウイーンでの歴史的演奏会です。これが単なる「記録」に留まらないのは、録音が非常に明快な為に、演奏を充分に鑑賞することが出来るからです。ここにはマーラーからその才能を高く評価されたワルターが、同じユダヤ系の師の音楽を命がけで守ろうという強靱な意思の力を感じます。現代の指揮者にこのような精神状態になれというのは無理な話です。真に「鬼気迫る演奏」というのはこのような演奏のことでしょう。

3199040660 ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1961年録音/CBS盤) あの壮絶な1938年盤と比べると、随分ゆったりと落ち着いた演奏です。「ゆったり」とは言っても緊張感に欠けるわけでは有りませんが、どうしても38年盤の印象が強すぎるのです。時にはかつてのような激しさを垣間見せたりもしますし、細部の表情づけも入念で、やはりワルターだけのことはあります。それをステレオ録音で聴けることは有り難いとは思います。でも、やっぱりどこかで「生ぬるさ」を感じてしまうのですね。 

Bar9 サー・ジョン・バルビローリ指揮ベルリン・フィル(1964年録音/EMI盤) 定期演奏会の余りの素晴らしさに楽団員たちが感激して、急遽録音を行うことになったという有名な演奏です。バルビローリのマーラーとしても5番、6番ではニューフィルハーモニアというオケの弱さがありましたが、ベルリン・フィルは最高です。阿修羅のようなバーンスタインが「現世での戦い」ならば、こちらはいわば「過ぎ去った戦いの追想」です。遠い昔を懐かしんでいるかのような風情がたまりません。特に弦楽の扱いの素晴らしさが、そういう雰囲気をかもし出すのだと思います。けれども熱さが無いわけではなく、静けさと熱さが同居する稀有な名演だと思います。

Mah9_anche カレル・アンチェル指揮チェコ・フィル(1966年録音/スプラフォン盤) アンチェルが「プラハの春」事件で亡命する2年前の録音です。この人のお国もののドヴォルザークやスメタナは最高に好きですが、それ以外ではこれまで心底気に入った演奏はありません。この演奏も中々に立派な演奏ではあるのですが、バルビローリの後に聴くと、弱音部分でのニュアンスや共感度合いでどうしても聴き劣りしてしまいます。弦楽にも硬さを感じます。第3楽章ロンドーブルレスケは切れの良さで楽しめますが、少々健康的過ぎるのが気になります。ということで、アンチェルのファン以外には余りお勧めはできません。

Mah9_horen ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮ロンドン響(1966年録音/BBCレジェンド盤) 知る人ぞ知るマーラー指揮者ホーレンシュタインの演奏は昔LPで聴いた6番が無骨ながらも非常に惹きつけられる演奏でした。この9番では第1楽章冒頭の弦は意外にあっさりと開始しますが、徐々に情念と熱気の高まりを増してきます。やはりユダヤの血を感じます。2楽章は遅く穏やかで、これこそレントラー風です。但し中間部はスケール大きく聞かせます。第3楽章ロンドーブルレスケは無骨の極みで巨大な演奏に惹きつけられます。後半では鳥肌が立つほどです。アダージョも美しく深い演奏です。これはクナッパーツブッシュがマーラーを指揮したらかくやと思わせるような?演奏かもしれません。但しオケにミス、傷はだいぶ目立ちます。

B000csuwrg_09_lzzzzzzz オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/TESTAMENT盤) これはウイーンでのライブ録音です。柔らかい音色や人間味の溢れる味わいは確かに魅力的なのですが、この曲に要求される凝縮力や緊張感に欠ける気がします。録音のマイク・セッティングのせいで、オケが小編成に聞こえるのも気になります。この人の7番のような巨大な超名演と比べると満足し切れないというのが、正直な感想です。クレンペラーには1967年のニュー・フィルハーモニアとのスタジオ録音(EMI盤)も有り、3楽章での遅いテンポによる巨大な表現や終楽章後半は素晴らしいですが、全体としてはウイーンPOの魅力を聴ける、こちらの演奏のほうが良いとは思います。

Kubelikmahler9 ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1975年録音/audite盤) これは東京のNHKホールでのライブ録音です。クーベリックのマーラーは大抵が速めのテンポで熱く、ユダヤ調のしつこさは無いのに感情に強く訴えかける、という具合ですが、この演奏もやはり同様です。但し、1、2楽章ではまだ少々燃焼不足を感じさせます。3楽章でエンジン全開となって、続くフィナーレではこの世の惜別の歌を感情一杯に聞かせてくれます。

41ssfkrzcpl カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ響(1977年録音/グラモフォン盤) この演奏は昔、LP盤で愛聴しました。遅いテンポでスケールの大きな、いかにもジュリーニの演奏です。けれども、感情の嵐が吹き荒れるような部分でもイン・テンポを保つために、幾らか一本調子な感もあります。2楽章の中間部や3楽章などは、そのイン・テンポが確かに巨大な迫力を生んで素晴らしいのですけれど、ここまで感情の揺れが無いマーラーってのもどうかなぁ、と思わないでもありません。しかし、そこがジュリーニの魅力なのですね。分厚い音の合奏も、さすがにシカゴ響で聴き応えが有ります。

Img_739346_23409081_0 レナード・バーンスタイン指揮ベルリン・フィル(1979年録音/グラモフォン盤) バーンスタインがベルリン・フィルを振った余りにも有名な演奏です。当時FM放送からテープへ録音して何度も聴きました。この人のマーラーは必ずしも全てが最高だという訳ではないですが、9番だけは比較を絶する凄さです。壮絶さという点で並び得るのが戦前のワルターのみでしょう。全ての音が意味深く共感に溢れ、生と死の狭間で揺れるマーラーの精神がこれほどまでに音楽になり切っている例は他に決して無いと思います。あとは後年のコンセルトへボウ盤との比較のみです。 

41tptjxqeyl クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1979-80年録音/EMI盤) 晩年に入る前のスタジオ録音です。テンシュテットのライブ演奏の凄さを知る者にとっては、もの足りなさが残ると思います。これも普通に素晴らしい演奏なのは確かなのですが、どうしても期待が過大になってしまうからです。それでも部分的には彼らしい表現力に耳を奪われる瞬間は多く有ります。圧倒的な感動までに至らないのが残念です。ロンドン・フィルの力量は例によって、いまひとつというところです。

00000153839 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1982年録音/グラモフォン盤) カラヤンが手兵ベルリン・フィルとバーンスタインの演奏の評判の高さに対抗心を燃やしたとしか思えません。同じライブ盤を3年後に残したのですから。この演奏は美しく、アンサンブルも最高なのですが、およそ「死の翳り」というものは感じられません。余りに健康的だとも言えます。元々俗人のリヒャルト・シュトラウスを得意とするカラヤンとマーラーの生まれ変わりのようなバーンスタインとでは根本的に資質が異なります。マーラーを振って勝負になるはずが有りません。カラヤンがベルリン・フィルを二度とバーンスタインに振らせなかったのも何となくうなずけます。

081 ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS SONY盤) マーラーと縁の深いウイーン・フィルの演奏だというだけで惹かれてしまいます。戦前ほどの濃密さは無いですが、それでもこの柔らかい音は他のオケとは違います。それでいて現代的なアンサンブルも持ち合わせているので魅力的です。バーンスタインほどテンポに緩急はつけず、ジュリーニほどインテンポではないですが、バランスの良さを感じます。終楽章のみ少々速く感じますが、非常に美しいです。この演奏はウイーン・フィルのマーラーを良い録音で聴きたい方にはお勧めです。

1852957571 レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1985年録音/グラモフォン盤) バーンスタインはカラヤンの邪魔立てを知ってか、それならと「へーん、ベルリンPOを振らなくったっていい演奏は出来るやーい」と、今度はコンセルトへボウと録音を行いました。こうなればマーラー演奏に伝統の有るコンセルトへボウは負けるわけには行きません。かくて両者の意地がベルリンPO以上の演奏が実現しました。スケールの大きさ、完成度ではこちらがずっと上です。3楽章のたたみかける迫力もベルリンPO以上。終楽章の神秘性、寂寥感も最高です。どちらか一つを選ぶなら僕は迷わずにコンセルトへボウ盤を取ります。

Tm_mahler9_bertini ガリー・ベルティーニ指揮ウイーン響(1985年録音/WEITBLICK盤) これはEMIへの録音盤ではなく、ウイーンでのライブ演奏です。ベルティーニはケルン放送を振るときよりもずっとオケの自発性に任せている印象で、おおらかさを感じます。最初はかなり手探り状態で危なっかしいのですが、少しづつ調子が上がって行くのがいかにもライブです。2、3楽章もオーケストラにミスも多く、荒い感じがしますが、終楽章では神秘的な雰囲気を漂わせていて感動的です。やはり良い演奏だと思います。ムジークフェラインの響きを美しく捉えた録音も良いです。

Vcm_s_kf_repr_354x359クラウディオ・アバド指揮ウイーン・フィル(1987年録音/グラモフォン盤) ウイーンでのライブ録音です。弦も管も非常に響きの美しさを感じます。しかもライブとは思えないほどにアンサンブルが優秀で、安心して聴いていられます。3楽章のドライブ感も実に見事です。ただし問題は、この曲の「怖さ」が余り感じられないことです。悲劇性、汚さから離れて、ひたすら美しさに徹した演奏には幾らか疑問を感じます。アバド/ウイーンPOの3番、4番は文句無しの名演奏ですが、この曲の場合は、そこまでの感銘は受けません。ただ、聴き疲れしませんし、何度でも繰り返して聴ける名盤だと思います。深刻なマーラーは苦手だと言われる方には是非のお薦めです。

Bertini_mahler9ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1991年録音/EMI盤) EMIへの全集録音ですが、「大地の歌」と同様に日本でのライブ収録です。さすがに手兵のケルン放送だけあって、スタジオ録音と間違えるほどに完成度が高いです。録音も広がりが有り優れています。ユダヤ的な粘着性は余り感じさせない耽美的な演奏ですが、この人の職人的な面が最上に発揮されています。但し、マーラーの死への恐れの心情表現は必ずしも充分に感じられず、終楽章も余り心に深く響きません。むしろ完成度は低くとも終楽章はウイーン響盤の方が感動的でした。

Cc2f2 ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1995年録音/CANYON盤) この演奏には激しさはおよそ感じませんし、全体のテンポも極めて中庸です。けれども、全ての音符に意味深さが込められているので、聴いているとマーラーの音楽が自然にどんどん心の奥底まで染み入って来ます。これは凄いことです。ノイマン晩年のマーラー再録音はどれもが素晴らしいのですが、この9番は、3番、6番と並んで特に優れた演奏だと思います。チェコ・フィルの音は非常に美しいですし、CANYONの録音はもちろん優秀です。

Ozawa_mahler9小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラ(2001年録音/SONY盤) 自分は同じ日本人として小澤さんを尊敬しているのですが、サイトウ・キネン・オケについては少々懐疑的なのです。スーパー臨時編成オケで、松本フェスティヴァルでの中心的役割を果たすのは良いとしても、次々と発売されたライブCDにはどうも商業主義を感じずにはいられませんでした。この演奏は東京文化会館でのライブ録音で、もちろん水準を越える出来栄えですが、常設オケのような熟成された音が感じられません。この直後にボストン響を指揮したフェアウェル・コンサートと比べると大きな差が有るように感じます。出来ればボストン・ライブをCDリリースして欲しいところです。

実は、この曲は普通に演奏してくれれば、どの演奏も感動的です。それほど音楽が素晴らしいからです。この曲を演奏して、もしも人を感動させられなければ、その演奏家はマーラーを演奏しないほうが良いのかもしれません。僕の好みでベスト盤を上げてみますと、迷うことなくバーンスタイン/コンセルトへボウ盤です。それに続いてバーンスタイン/ベルリン・フィル盤です。この2つはたとえどちらか片方のみだけでも充分過ぎるほど満足できますが、やはり両方としたいです。バーンスタインが余りに素晴らしいので、その他は随分引き離されますが、バルビローリ/ベルリン・フィル盤は個人的に大好きです。それ以外はかなり団子状態ですが、マゼール/ウイーン・フィル盤、ベルティーニ/ウイーン響盤、ノイマン/チェコ・フィル盤には捨て難い良さが有ります。そして番外として外せないのは歴史的演奏のワルター/ウイーン・フィル盤です。

<追記>アバド/ウイーン・フィル盤、小澤/サイトウ・キネン盤を後から加筆しました。アバド盤はとても気に入っています。

<後日記事> 
マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン/イスラエル・フィル盤

| | コメント (57) | トラックバック (0)

2010年5月 5日 (水)

マーラー 交響曲「大地の歌」 名盤

Vienna_2
マーラーはアルマと結婚したのちの5年間に、「5番」「6番」「7番」「8番」の交響曲、幾つかの歌曲、そしてこの「大地の歌」のスケッチと、作曲活動に驚くべき成果をあげていました。
けれどもマーラーは、この「大地の歌」に交響曲としての番号をつけることを避けました。というのも過去のベートーヴェンもブルックナーも10番目の交響曲にたどりつけなかったことから、第9交響曲という観念にひどくおびえていたからです。マーラーは「大地の歌」を最初は本来の第9番のつもりで書き始めましたが、あとからこの番号を消してしまいました。
その後、現在の第9交響曲にとりかかっていたときに、アルマに「これは本当は10番なんだ。『大地の歌』が本当の9番だからね。これで危険は去ったというわけだ!」と言いました。
偉大な交響曲作曲家は9番以上は書けないという迷信におびえて、この作品を交響曲と呼ぶ勇気がなかったのです。そう呼ばずにおくことで、彼は運命の神様を出し抜いたつもりでいたのです。でも結局、彼は9番の初演には生きて立ち会うことができず、10番はついに完成にも至りませんでした。やはり迷信の通りになってしまったという、いかにもマーラーらしい逸話ではありませんか。

マーラーは1908年の夏に、熱に浮かされたように中国の詩集をテキストにしたこの作品の創作に没頭しました。自分の苦悩と不安の全てをこの作品の中に注ぎこみました。
それが「大地の歌」なのです。当初の表題は「大地の嘆きの歌」でした。第一楽章に引用された李太白の詩の中の「天は永遠に青みわたり、大地はゆるぎなく立って、春来れば花咲く。けれど人間はどれだけ生きられるというのだ。」という節から来ています。
曲は全部で6楽章で構成されていますが、最後の「告別」が全体の半分近くを占める最重要な楽章です。

第1楽章「大地(現世)の悲しみを歌う酒の歌」

第2楽章「秋の日に独りありて」

第3楽章「青春について歌う」

第4楽章「美について歌う」

第5楽章「春の日に酔える者」

第6楽章「告別」

この曲ではテノールとアルト(またはバリトン)の独唱が重要な役割を占めています。奇数楽章をテノールが、偶数楽章をアルトが交互に歌います。いかにもマーラー的な交響曲である一方で、完璧な声楽曲でもあるわけです。

この曲をマーラーの交響曲の中で一番好きだという友人も居ます。ですが僕としては6番、9番、あるいは2番、5番の方が好みかもしれません。もちろん全部大好きなのですけれど。

それでは僕の愛聴CDを順にご紹介していきます。この曲の演奏はオーケストラ、歌唱の出来栄えはもちろん重要ですが、聴き手にとっては歌手の声そのものが好みであるかどうかがとても大切だと思います。

415bvxhj78l ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1952年録音/DECCA盤) マーラーから高く評価されていたワルターは、マーラーの死の半年後にこの曲を初演しました。この録音はモノラルですが、優秀なDECCA録音で驚くほどに色彩的、立体的に鑑賞することができます。演奏もマーラーが監督を務めていたウイーン・フィルという最高の組み合わせです。これは単に歴史的な演奏というだけでなく、楽譜の隅々まで本当に血の通った素晴らしい演奏です。テノールのパツァーク、アルトのフェリアーも声の質、歌唱共に曲にぴったりと適していて最高です。なお、最新の24bitリマスタリングは音がやや薄く感じられるので、むしろ旧盤の栄光のロンドンサウンドシリーズもしくは西ドイツ製の旧盤を選ぶ方が良いと思います。

728 ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1952年録音/TAHRA盤) これはDECCA盤の録音が終わった翌日に開かれた実際のコンサートの記録です。歌手も同じパツァークとフェリアーです。当時のライブ録音としては比較的良い音で残されているので、ワルターのファンは一度は聴かれるべきです。実演なので演奏に時々はキズがありますが、反面、彫りがより深い部分も有ります。終曲の「告別」では、さすがに、どんどんと音楽が深まってゆき、感動の大きさでDECCA盤を上回ります。ただ、DECCA盤は演奏も録音も素晴らしいので、日常的にはDECCA盤を聴きたいと思います。どちらか一つならやはりDECCA盤です。

F4bd84da オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア(1966年録音/EMI盤) やはりマーラーの弟子の一人であったクレンペラーは2、4、9番と大地の歌を頻繁に演奏していたようです。録音に残された中では7番が最高だと思いますが、この大地の歌も非常に素晴らしい演奏です。ゆったりと立派なのですが、脂ぎらない達観した表情が、逆に虚無感を感じさせて心に染み入ります。オケの響きが色彩鮮やかでなく淡色的なのも曲に向いています。テノールのヴンダーリッヒ、アルトのルートヴィッヒもともに素晴らしい歌唱です。

Das_lied_von_der_erde レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1966年録音/DECCA盤) バーンスタインが60年代にウイーンに登場した頃の録音なので、とても若々しい演奏です。さすがにウイーン・フィルは音色と味わいが素晴らしいのですが、問題はアルトパートをバリトンのフィッシャー=ディースカウが歌っていることです。元々僕はこの人の演技臭さが余り好きでは無いのですが、まるでオペラの演技みたいです。テノールのジェイムス・キングは問題ありません。楽章では「青春について」はとても心楽しいのですが、「美について歌う」の中間部では元気が有り過ぎて、なんだかハリウッドのミュージカルのように聞こえます。

330 ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1970年録音/audite盤) クーベリックのグラモフォンの交響曲全集には「大地の歌」は含まれませんので、このライブ録音は貴重です。明快ですが明る過ぎずに厚い響きの優れた録音が曲に適しています。テノールはヴァルデマール・クメント、アルトはジャネット・ベイカーです。ワルター、バーンスタインの粘っこい演奏に比べると、しつこさが無いので人によっては、むしろ好まれるかもしれません。ユダヤ風のように粘らない「ドイツ的」な演奏は意外と少ないので、お薦めできます。「美について歌う」の中間部ではハリウッドではなく戦前のベルリンのキャバレーみたいかな。

465 ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1971年録音/Radio Servis盤) ノイマンのスプラフォンの交響曲全集にも「大地の歌」が含まれませんでしたので、貴重な録音です。テノールはヴィレム・ブジビル、アルトはヴィエラ・ソウクポヴァーという自国の歌手です。ノイマンは晩年になっても、独特のあっさりとした(けれども味わいのある)マーラーを演奏していましたが、この録音はそれ以上に速めで、少々あっさりし過ぎています。別の1983年の録音も有りますが残念ながら廃盤です。恐らくは、年代的にそちらのほうが好みだと思います。また、ウイーン・フィルでもこの曲を振ったことが有るので、いつかその正規録音盤が出るのを願っています。

993 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1973年録音/グラモフォン盤) 非常に立派な演奏です。しかもテノールはルネ・コロ、アルトはルートヴィッヒです。コロの声は力強く、まるでジークフリートみたいです。ですので1楽章に『現世を悲しんでいる』雰囲気はありません。カラヤン自身もそんなタイプの人間では無いですし。ですがこの演奏は、2楽章以降が耽美的に美しいのです。オリエンタルな雰囲気もよく出ています。これはマーラーが意図した一面を極限まで音にしているのではないでしょうか。余りに美しすぎるものは儚く哀しい。そんな気にさえなってきます。「告別」でも決して慟哭するのではなく、静けさに包まれていますが、それがまた哀しいのです。

11330717 レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(1974年録音/SONY盤) カラヤン盤の翌年に、同じコロとルートヴィッヒをソリストに迎えての演奏です。オケの音はウイーン・フィルやベルリン・フィルと比べると荒削りに感じますが、むしろ色彩的で無く洗練されていないところが魅力です。「美について歌う」はウイーン・フィル盤以上に元気が良いですし、アルトが歌うので「マイフェアレディ」という感じです。それはよいとしても、僕はやはりアルト・パートはそのまま女性が歌ったほうが好きです。「告別」の後半にはオケがドスの効いた迫力で迫り来ます。録音についてはそれほど良くないように感じます。

687 ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプチヒ放送響(1977年録音/WEITBLICK盤) ケーゲルは70歳の時にピストル自殺しました。その原因については諸説有りますが、とにかく普通に人生を終わらせた人ではありません。そのことを、ことさらにこの演奏に結び付けたくもないのですが、どこか『死にゆく者の虚しさ』を感じさせるような暗さを持ちます。オケの表情はおよそ明るさを感じませんし、テノールのライナー・ゴールドベルクとヴィエラ・ソウクポヴァーのどちらの歌声も、ひどく暗さを感じます。聴いていて段々と気が滅入ってくるというのは、この曲の場合、もしかしたら凄い名演なのでしょうか・・・・。

51yfg55b6jl__sl500_aa300_ クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1982年録音/EMI盤) テンシュテットが喉頭癌を発病したのは85年なので、できればこの曲はそれ以降の演奏で聴きたかったと思います。何故なら、それらの演奏の迫真性が大きく増しているからです。この演奏も、全体的にゆったりとした印象で悪くは有りませんが、テンシュテットにしては少々食い足りない印象が残ります。それはそのままロンドン・フィルの印象でもあります。テノールはクラウス・ケーニッヒ、アルトはアグネス・バルツァですが、特にバルツァの良さが光ります。録音は並みという程度です。 

913 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウイーン・フィル(1987年録音/オルフェオ盤) ジュリーニにはベルリン・フィルと1984年にセッション録音を行っていますが、これはザルツブルク音楽祭でのライブです。大きく異なるのはやはりオケの音色です。明るく明快なベルリン・フィルに対して、ウイーン・フィルはほの暗くしっとりしています。録音も生の会場を思わせるもので好ましいものです。演奏は第1楽章からスケールが大きくかなり壮絶ですが、2楽章以降もウイーン・フィルの魅力全開で聴き応えが充分にあります。歌手はテノールのアライサ、アルトのファスベンダーとも非常に素晴らしく文句無しです。

Mahler_ber ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1991年録音/EMI盤) これはEMIの全集盤の演奏ですが、東京でのライブ収録です。この演奏の完成度は実に素晴らしいです。録音が生々しいのも良いですが、とにかく響きが美しいですし、オケの音に力を感じます。時に表面的な美しさに終わる演奏が無いわけでもないベルティーニが、マーラーの死に向う心境の音楽を余すところなく表現していると思います。どの曲の演奏も良いですが、「告別」では静けさの中から「死への恐れ」がじわじわと立ち込めてくるようです。歌手はテノールのベン・へフナー、メゾソプラノのリポヴシェクのどちらも素晴らしいです。

Mara9_bulez ピエール・ブーレーズ指揮ウイーン・フィル(1999年録音/グラモフォン盤) ウイーン・フィルもベームが居なくなった頃から音が段々と近代的に変わってきた気がします。機能的に優れることと引き替えに、あのしっとりとした情緒がかなり失われてしまいました。この演奏はブーレーズということもあり、美しいことには違い有りませんが、随分明るく軽やかな印象です。人生の苦悩や不安を余り感じさせません。テノールのミヒャエル・シャーデもメゾ・ソプラノのヴィオレッタ・ウルマーナもやはり軽い歌声です。気楽に聴くには良いですが、そもそもこの曲をそんな風に聴けるものでしょうか。

というわけで僕のベスト3をあげるとすれば、ワルター/ウイーン・フィル(DECCA)、ジュリーニ/ウイーン・フィル(オルフェオ)、ベルティーニ/ケルン放送響(EMI)です。続いては、クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア(EMI)とカラヤン/ベルリン・フィル(グラモフォン)が気に入っています。さてみなさんのお好きな演奏は誰でしょうか。

ああ、マーラーもブルックナーも次回はとうとう9番となってしまいました・・・。

<関連記事>
マーラー 交響曲「大地の歌」 続・名盤

| | コメント (32) | トラックバック (0)

2010年4月11日 (日)

マーラー 交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」 名盤

Mahler_41 マーラーが「交響曲」というカテゴリーの音楽形式を、果たして発展させたのか、あるいは破壊したのかは良く判りません。けれども、多くの先人達の誰とも異なる新しい発想と手法で、極めて革新的な作品を世に生み出したことだけは確かです。第1交響曲から第7交響曲までの、どの作品をとっても大変に個性的でしたし、巨大なスケールを持った曲が何曲も有りました。しかし、この第8交響曲に至っては、およそ過去の常識を超えた巨大な作品を創造したのです。スケールにおいて、正に「交響曲の横綱」です。マーラーはこの曲を、最初は4楽章構成で書いていましたが、そのうちに第1楽章を前半とし、第2~4楽章をまとめて後半とする、2部構成に書き直しました。声楽の比重が高いので、交響曲というよりも、むしろ壮大なオラトリオのような印象です。マーラーはこの曲のスケッチを書き上げた直後に、指揮者のメンゲルベルクに次のような手紙を送っています。

『私は、ちょうど今、第8交響曲を書き上げたところです。これは、今までの私の最大の作品であるだけでなく、内容においても形式においても類のないもので、言葉ではとても表現することができません。宇宙がふるえ、鳴り響くさまを想像してください。それは、もはや人間の声ではなく、運行する惑星や太陽のそれなのです。』

この手紙からも、この曲がマーラーの大変な自信作であったことが良く判ります。また次のように語ったこともあります。

『これまでの私の交響曲は、すべて主観的な悲劇を扱っていたが、この交響曲は、偉大な歓喜と栄光をたたえるものである。』

マーラーの生涯は常に厭世的な死の恐怖にさらされていたと思われますが、だからこそ、神の国へ入る永遠なる喜びを求めて、このように作品を書き上げたのでしょう。

そして1910年9月12日、今から丁度100年前のミュンヘンにおいて第8交響曲の初演が行われました。指揮台に立つのはマーラー自身です。何しろこの曲は大オーケストラと大合唱、少年合唱、8人のソリスト、総勢800人を必要とします。初演の際にはスタッフを含めて総勢1030人で公演が行われたそうです。この時の聴衆は3000人だったそうです。その様子を愛聴アルマが「回想と手紙」の中で書き記しています。

『ミュンヘンに住むすべての人々、それにこの演奏会を聴きに各地から集まってきたすべての人々の息づまるような緊張は、そら恐ろしいばかりだった。最後の総練習からして、早くも居合わせたすべての人々を熱狂的な興奮にたたきこんだ。だが本番の時の狂乱はもはやとどまるところを知らない有様だった。マーラーが指揮台に現われると、満場の聴衆は一斉に起立し、あとは水を打ったように静まりかえった。桟敷に座っていた私は興奮のあまり気を失いそうだった。』

開演前から凄まじい様子だったようですが、演奏会は圧倒的な大成功を収めました。マーラーはこのとき、聴衆にとって「神様」そのものとなったことでしょう。

僕はこの曲を生演奏では、10年ほど前の小林研一郎指揮の日本フィル定期でしか聴いたことしかありません。日本フィルは、普段はオケの力不足を感じることが多いのですが、このときばかりはオーケストラと合唱団が渾然一体となった熱演に大変感動させられました。この曲はCDでも、普段は滅多に聴きません。このような破格の曲は破格の演奏で、時々に聴けば良いと思えるからです。ですので所有するCDの数も限られています。

4988005221254 レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1975年録音/グラモフォン盤) マーラーの生まれ変わりのような指揮者バーンスタインがザルツブルク音楽祭で演奏したライブ録音です。これは初演のときの熱狂ぶりを思わせるような大変な熱演です。ウイーン・フィルがまるでうなるように白熱の演奏をしていますが、合唱団もまた天にも届けとばかりに熱く熱く歌い上げています。やはりこの曲は、このように破格の感動を得られる演奏で聴きたいと思います。録音は最新ではありませんが、この曲を家でCD鑑賞するのには充分なレベルにあります。

F4ad7f18l クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1986年録音/EMI盤) EMIに交響曲全集の録音を進めていたテンシュテットが癌を発病した後の録音です。いかにもテンシュテットらしい壮大なスケールの演奏です。録音のせいで合唱の位置がやや遠くに聞こえるのが最初のうち気になりますが、慣れてしまうと気にならなくなり、やがて気迫に圧倒されるようになります。オケの力強い音と表現力もロンドン・フィルとは思えません。そのうえ演奏には、なんとなく「オラトリオ」を聴いているような、不思議な格調の高さが有ります。これは、もしかしたら合唱団がイギリスの団体なので、ドイツ語の硬いアクセントが無いからなのかもしれません。

519vhdryhalガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1991年録音/EMI盤) 東京での歴史的全曲チクルスでのライブ録音です。この大規模な作品を、再度セッション録音するのも大変なことでしょうが、その必要が全く無いぐらいに完成度の高い演奏です。第9番といい「大地の歌」といい、ライブでこのような演奏が可能であるとは、当時のケルン放送響がベルティーニの手でどれほど厳しく鍛えられていたか良く分ります。バーンスタインやテンシュテットのように宇宙的なまでではありませんが、充分にスケールの大きさが有りますし、合唱も非常に優れています。

519 ディミトリー・ミトロプーロス指揮ウイーン・フィル(1960年録音/オルフェオ盤) マーラー生誕100年の年のザルツブルク音楽祭ライブです。ミトロプーロスはニューヨークフィルとケルン放送でマーラーを多く演奏しましたが、さすがにウイーン・フィルとの記念演奏会とあってはまた別格の演奏です。演奏内容だけをとれば15年後の同じザルツブルクでのバーンスタイン以上の凄さだからです。但し、録音がいくら良質なモノラルとはいっても、金管の強奏では音が割れますし、この壮大な曲と演奏を再生するのには、やはり無理が有ります。あくまでも記録としての価値にとどまるでしょう。でも本当に凄い演奏です。

これ以外では、クーベリック/バイエルン放送響(グラモフォン盤)はLP時代によく聴きました。非常に整った演奏でしたが、むしろ未聴であるライブ録音のほうに期待しています。

<関連記事>
マーラー 交響曲第8番 クラウス・テンシュテットのロンドン・ライブ

| | コメント (19) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

J.S.バッハ(カンタータ、オラトリオ他) J.S.バッハ(ミサ曲、受難曲) J.S.バッハ(協奏曲) J.S.バッハ(器楽曲:弦楽器) J.S.バッハ(器楽曲:鍵盤楽器) J.S.バッハ(管弦楽曲) J.S.バッハ(諸々その他) アントニオ・ヴィヴァルディ イタリアのバロック音楽(モンテヴェルディ、ペルゴレージ、コレッリ他) エルガー、ホルスト、ヴォーン・ウイリアムズ、他イギリス音楽 グラズノフ グリーグ シベリウス シベリウス(交響曲全集) シベリウス(交響曲) シベリウス(協奏曲) シベリウス(室内楽) シベリウス(管弦楽曲) シューベルト(交響曲) シューベルト(声楽曲) シューベルト(室内楽) シューマン(交響曲) シューマン(協奏曲) シューマン(器楽曲) シューマン(声楽曲) シューマン(室内楽) ショスタコーヴィチ ショパン(協奏曲) ショパン(器楽曲) ストラヴィンスキー スメタナ チャイコフスキー(交響曲) チャイコフスキー(協奏曲) チャイコフスキー(室内楽) チャイコフスキー(管弦楽曲) ドイツ、オーストリアのバロック音楽(パッヘルベル、ビーバー、シュッツ他) ドイツ・オーストリア音楽 ドビュッシー ドヴォルザーク(交響曲全集) ドヴォルザーク(交響曲) ドヴォルザーク(協奏曲) ドヴォルザーク(室内楽) ドヴォルザーク(管弦楽曲) ハンガリー音楽 ビゼー ファリャ、ロドリーゴ、他スペイン音楽 フォーレ(声楽曲) フォーレ(室内楽) フランク フランス音楽(サン=サーンス、ドリーヴ、プーランクなど) ブラームス(交響曲全集) ブラームス(交響曲第1番~4番) ブラームス(協奏曲:ピアノ) ブラームス(協奏曲:ヴァイオリン他) ブラームス(器楽曲) ブラームス(声楽曲) ブラームス(室内楽) ブラームス(管弦楽曲) ブルックナー(交響曲第0番~3番) ブルックナー(交響曲第4番~6番) ブルックナー(交響曲第7番~9番) ブルッフ プッチーニ プロコフィエフ ベルリオーズ ベートーヴェン ベートーヴェン(交響曲全集) ベートーヴェン(交響曲第1番~3番) ベートーヴェン(交響曲第4番~6番) ベートーヴェン(交響曲第7番~9番) ベートーヴェン(協奏曲) ベートーヴェン(器楽曲) ベートーヴェン(室内楽) ベートーヴェン(弦楽四重奏曲全集) ベートーヴェン(弦楽四重奏曲:初期~中期) ベートーヴェン(弦楽四重奏曲:後期) マーラー(交響曲第1番~4番) マーラー(交響曲第5番~7番) マーラー(交響曲第8番~10番、大地の歌) マーラー(歌曲) メンデルスゾーン モーツァルト(交響曲) モーツァルト(協奏曲: ピアノ 第01~9番) モーツァルト(協奏曲: ピアノ 第10~19番) モーツァルト(協奏曲: ピアノ 第20~27番) モーツァルト(協奏曲:ヴァイオリン) モーツァルト(協奏曲:管楽器) モーツァルト(器楽曲) モーツァルト(声楽曲) モーツァルト(室内楽) モーツァルト(歌劇) モーツァルト(諸々その他) ヤナーチェク ラフマニノフ ラヴェル リヒャルト・シュトラウス リムスキー=コルサコフ ロシア音楽(ムソルグスキー、ボロディン、カリンニコフなど) ワーグナー ヴェルディ(声楽曲) ヴェルディ(歌劇) 名チェリスト 名ピアニスト 名ヴァイオリニスト 名指揮者 政治・経済問題 文化・芸術 旅行・地域 日本人作品 映画 映画(音楽映画) 歌舞伎 演奏会(オムニバス) 舞踏&バレエ 芸能・スポーツ 読書 趣味 音楽やその他諸事 音楽(やぎりん関連) 音楽(アニメ主題歌) 音楽(シャンソン・タンゴ・ボサノヴァ) 音楽(ジャズ) 音楽(ポップス) 音楽(ロック) 音楽(和楽)