随分と秋めいて来ましたね。夏の暑い間はクラシックを余り聴きませんでしたが、芸術の秋ともなると無性に聴きたくなります。それも特にドイツ・ロマン派の音楽にどっぷりと浸りたいところです。なんとなく寂しく思えて人が恋しくなる今頃の季節には、何といってもロマンティックで心の奥底に優しく染み入って来るようなロベルト・シューマンの音楽が最高です。実は自分はブログ友達のはるりんさんが主催する「シューオタ同盟」の一員なのですが、その割りにこれまでシューマンの記事をほとんど書いていませんでした。そこで好きな曲を中心に記事にして行きたいと思います。
シューマンは、もちろん様々な編成の曲を書いてはいますが、シューマンの最もシューマンらしい音楽と言えばやはりピアノ曲だと思います。そして個人的にはピアノ曲に限ってはベートーヴェンよりもショパンよりもシューマンが好きなのです。感覚的に一番しっくり来ますし、最も僕の心を打つのです。その中でも特に好きな曲といえば、何を置いても「幻想曲」ハ長調です。僕はこの曲と心中しても構わないほどです(古い表現だなぁ)。たとえベートーヴェンのどんなピアノ・ソナタを持ってきてもこの曲のほうが好きなのです。
この曲は元々は1836年ボンでベートーヴェンの没後10年の記念碑を建てる計画が持ち上がった時にシューマンが募金集めの為に書いたソナタでした。ですが出版の時に「幻想曲」とされたのです。この頃、シューマンは後に夫人となるクララ・ヴィークと恋人関係でしたが、クララの父親に結婚を反対されて「別れなければシューマンを殺す」とまで言われたそうです。そんな不安定な心とクララへの愛と情熱とが入り混じってこの作品は書かれたのでしょう。第1楽章には「非常に幻想的、情熱的に」と記されています。シューマン自身もこの楽章を「クララを失ったといううめきに突き動かされて書いた」と述べています。音楽的にも劇的に変化に富んだ実に素晴らしい楽章です。第2楽章は一転して輝かしい音楽になりますが、どことなく屈折した翳りを感じます。第3楽章はひたすら静かに続くモノローグですが時に胸の高鳴りが押さえ切れなくなります。
それでは僕の愛聴盤です。さすがにこの曲には良い演奏が目白押しです。
スヴャトスラフ・リヒテル(1961年録音/EMI盤) シューマンはリヒテルの最も得意とするレパートリーの一つです。この人はモーツァルトやベートーヴェン、ブラームスの場合にはしばしばガサツな演奏をしますが、シューマンでは繊細で心のこもり切ったピアノを聞かせます。非常にスケールが大きく、この曲の枠を少々はみ出すほどですが、立派さという点では比類が有りません。第1楽章ではシューマンの心のうめきを他の誰よりも激しく感じさせます。第2楽章もスケールの大きさと高揚感とが共存して素晴らしいですし、第3楽章の深い祈りも最高です。録音は少し古めかしさを感じますが、演奏の素晴らしさではいまだに群を抜いていると思います。
スヴャトスラフ・リヒテル(1980年録音/カナダDOREMI盤) 輸入マイナーレーベル盤です。EMI盤も素晴らしいのですが、それを更に上回る演奏です。ブダペストでのライブですが音質には充分満足できますし、ピアノの音はEMI盤よりもよほど好きです。EMI盤の音楽の深さとスケールの大きさをそのままに、実演の高揚感を更に増した稀有な名演奏だと思います。よほど絶好調だったようで、完成度が高く目立つミスもほとんど有りません。リヒテルには1969年のライブ録音も有りますが、出来栄えはこちらのほうがずっと優れていると思います。
ウラジーミル・ホロヴィッツ(1965年録音/CBS SONY盤) ホロヴィッツが12年という長いブランクから復帰したカーネギーホールでのライブ録音です。この人もシューマンを非常に得意にしていて、美しいピアノタッチと千変万化の表現力には圧倒されます。ピアニスティックな面白さではリヒテル以上です。それでいてシューマンのある種不健康なロマンの香りも漂わせているために、聴いていて音楽にどっぷりと浸ることができます。さすがは20世紀を代表する大ピアニストです。ミスタッチは非常に多いのですが、この素晴らしい表現の前では気にもなりません。録音はとても良く録れています。
ウィルヘルム・ケンプ(1971年録音/グラモフォン盤) この人のピアノの音はとても好きです。最近のピアノの音はみな大ホールに響き渡るような輝かしい音色になりましたが、僕は小さめのホールで柔らかく綺麗に響くような音の方が好きです。たとえばバックハウス。あの人やケンプの音にはとても安らぎが有ります。かと言ってケンプの演奏が聴き応えの無いなよなよした演奏ということでは決して有りません。無駄な力みが無いので自然に音楽に入っていけるということです。これは堅実なドイツピアノの良さが満喫できる名演奏だと思います。勝手な想像ですがシューマン本人のピアノはこんな感じだったのではないでしょうか。
マウリツィオ・ポリーニ(1973年録音/グラモフォン盤) 若い頃の演奏ですが、この人としては標準レベル以下のような気がします。特に第1楽章に感心しません。タッチが固くて伸びやかさの無い、なにか非常に力みを感じるピアノの音なのです。元々そういう傾向が無いわけでは無いですが、ショパンなんかでは気にならないこの人の特質がシューマンでは気になるということでしょうか。当然ピアニスティックなタイプの演奏ですが、それがどうも音楽に奉仕していない気がします。ケンプの演奏とは対照的です。
マルタ・アルゲリッチ(1976年録音/RCA盤) この人の若い頃の演奏は、感性と直感に任せた非常に素晴らしいものが有ったり、逆に気の乗り切らないものが有ったりと、波が非常に大きかったと思います。この演奏は例によって気の赴くままに自由自在に泳ぎ回っていますが、時に矮小さを感じさせてしまうのです。感じている以上に指が小細工をしているとでもいうのでしょうか。不安定な気分はシューマン的と言えない事もないのですが、どうも音楽に前面奉仕していない気がしてなりません。第2楽章も案外平凡で高揚感に欠けます。ただしリヒテルではスケールが大きすぎてどうもという方には逆に向いているのかもしれません。
レイフ・オヴェ・アンスネス(1995年録音/EMI盤) 現在の若手ピアニストの中でとても好きな人です。この演奏も正攻法でとても優れています。しかも既にどこか熟した演奏家の雰囲気を持ち、若手によく感じられる拙稚さが感じられません。テクニックも非常に素晴らしいです。ただ少しだけもの足りなく感じるのは音楽の「うめき」でしょうか。その点だけが残念です。もしかして彼は恋をして、もだえ苦しんだ経験がまだ無いのかもしれませんね。
ジュリアス・カッチェン(1957年?録音/DECCA盤) 肺がんで42歳という若さで世を去った天才ピアニストです。特にブラームスの演奏に定評の有った人ですが、シューマンのこの曲も録音を残しました。この人は当時よくも悪くも「衝動にかられて情熱的に演奏する」と評されたそうです。そんな危なっかしさがシューマンの音楽に適しています。随分と即興的な弾き方ですが、それがアルゲリッチに見られるような矮小さは感じさせません。これは自然に彼の心から出た表現だからだと思います。
以上、つれづれなるままに色々と書きましたが、「幻想曲」の演奏でたったひとつ選ぶとすれば迷うことなくリヒテルの1980年のライブ盤です。もちろんEMI盤も素晴らしいですし、更に挙げるとすればホロヴィッツです。それにケンプも好きですし、結局この曲はどの演奏を聴いてもやっぱり魅了されてしまうのです。
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