モーツァルト 弦楽四重奏曲集「ハイドン・セット」 名盤 ~ハイドンに捧げた渾身の力作~
Amazonでハイドンの弦楽四重奏曲のCDを検索すると、必ず出てくるのが、この「ハイドン・セット」です。ところが、これはハイドンの作品では無くて、モーツァルトの作品なのですね。
というのも、ハイドンの弦楽四重奏曲集「ロシア・セット」に感銘を受けたモーツァルトが、それに負けないような弦楽四重奏曲集を作曲することを決意して書き上げたのがこの「ハイドン・セット」です。普段は超人的な作曲の速さのモーツァルトですが、この6曲の連作を完成するのには3年余りの歳月を必要としました。極めて異例のことです。きっと『充実した作品を書きたい』という思い入れが特別に強かったからでしょう。正にモーツァルトの渾身の力作です。
連作の最後の作品「不協和音」を完成させたモーツァルトは、その直ぐ翌日にハイドンを自宅に招いて曲を試演披露しています。演奏にはモーツァルト自身もヴィオラで加わっていました。こうして全6曲を二日に分けてハイドンに聴かせ、のちに作品をハイドンに献呈したことが「ハイドン・セット」の名前の由来です。
ハイドンは作品を絶賛し、また大いに刺激を受けて晩年に向けて弦楽四重奏曲の傑作群を次々と書いてゆきます。一方モーツァルトも、その後更に「ホフマイスター」や「プロシア王・セット」という作品を書き上げます。正にウイーン古典派の二人の巨人が互いに刺激し合い進撃するさまは壮観ですね。
「ハイドン・セット」曲目
弦楽四重奏曲第14番ト長調K387
弦楽四重奏曲第15番ニ短調K421
弦楽四重奏曲第16番ホ長調K428
弦楽四重奏曲第17番変ロ長調K458「狩り」
弦楽四重奏曲第18番イ長調K464
弦楽四重奏曲第19番ハ長調K465「不協和音」
モーツァルトの力作、労作だけあってどれも優れた名曲ばかりです。但しそれが逆に彼の音楽が本来持つ『天衣無縫さ』を失っている感が無きにしも非ずです。例えばブラームスが長い年月をかけて完成させた交響曲第1番には、どうしても苦労の跡が伺えてしまい、傑作であるものの、或る種の息苦しさを感じるのと同じかもしれません。一気呵成に仕上げた作品のような”噴出すような勢い”が余り感じられません。けれどもそれが作品の価値を下げるということは無く、あくまでも作品から受ける印象です。
個人的には、第14、第15、第17番の3曲を特に好んではいます。
それでは僕の愛聴盤です。
ズスケ弦楽四重奏団(1971-72年録音/Berlin Classics盤)
このカルテットを生で聴いたのは今から30年以上も昔のことですが(当時はベルリン弦楽四重奏団の名称)、彼らがベルリン国立歌劇場のメンバーであり、専門の四重奏団で無いのが信じられないほどに熟し切ったアンサンブルと音楽を聴かせていました。当時そのような団体はゲヴァントハウス四重奏団とウルブリヒ四重奏団ぐらいだったように記憶します(どれも旧東独勢ですね)。カール・ズスケ以下のメンバーの音はいずれも端正で、透明感のある美音でした。その分、音量は小さかった印象です。この録音でも音のイメージは生の美しい音そのままです。また、音楽を少しの誇張も無く、楽譜に忠実に演奏している点では最右翼に置かれると思います。ウイーンの団体の持つ小粋さや甘さこそ有りませんが、その代わりにほとばしる瑞々しさが得も言われぬ魅力です。このCDセットには「ホフマイスター」「プロシア・セット」も含まれています。録音の質もとても良く、音楽を心ゆくまで堪能できます。
ジュリアード弦楽四重奏団(1977年録音/ソニー盤)
ジュリアードSQ二度目の「ハイドン・セット」です。初回の録音では完璧なアンサンブルが少々研ぎ澄まされ過ぎの印象で、ちょっと息苦しさを感じました。その点、二度目の録音では、音楽の感興の起伏が自然に感じられます。モーツァルト演奏としては過激とも思えるほどに表現力が豊かであり、各パートの雄弁さも相変わらずですが、全盛期の非情なまでのメカニカルさは感じられず、むしろゆとりとおおらかさが感じられるほどです。それは第1ヴァイオリンでリーダーのロバート・マンの音楽の変化であるのは間違いありません。個人的には総じて晩年のマンのロマンティシズムを加えて円熟した演奏の方を好んでいます。もちろんここにはウイーン的な甘さは微塵も有りませんが、純音楽的な演奏の魅力と面白さに満ち溢れています。それはモーツァルトがこのセットで目指したものと案外一致しているのかもしれません。
アルバン・ベルク弦楽四重奏団(1977-78年録音/TELDEC盤)
ウイーン・フィルを母体とするカルテットの演奏は他にも有りますが、僕が気に入っているのはアルバン・ベルクSQです。何といっても元ウイーン・フィルのコンサートマスターであるギュンター・ピヒラーの音楽性が素晴らしいことと他のメンバーも非常に優秀なことからです。彼らには新旧二種類の録音が有りますが、これは最初の録音です。アンサンブルは極上でもメカニカルさは感じられません。ピヒラーの歌い回しはウイーンの魅力に溢れ、柔らかくしなやかな音には適度の甘さも含まれていて、やはりウイーンの団体は良いなと改めて実感させられます。旧盤は表現が極めてオーソドックスで、安心してモーツァルトの音楽にじっくり浸ることが出来るのが特徴です。デッカ系のテルデック社の音質が非常に優秀な点もメリットです。明瞭さや残響のバランスなどは室内楽録音の見本と言って良いほどです。このCDセットには「ホフマイスター」「プロシア・セット」も含まれています。
アルバン・ベルク弦楽四重奏団(1987-90年録音/EMI盤)
アルバン・ベルクSQの二度目の録音です。この演奏は賛否両論ある様で、絶賛されているかと思えば、不思議と辛口の評価も見られます。個人的には良い演奏だと思っています。極めてウイーン的でオーソドックスだった旧盤と比べると、ウイーン的な情緒はそのままですが、ダイナミクスの巾が広がっていることと、表現の豊かさが各段に増しています。その結果としてロマンティシズムがかなり感じられます。彼らがEMIに録音したベートーヴェンでは表現意欲が過剰に思える場面が多くて必ずしも好みませんでしたが、モーツァルトではその欠点は感じられません。演奏の魅力から言えば、むしろ新盤を取りたいところなのですが、録音にエコーがかかり過ぎているのはEMIのいつもの悪い癖で、各パートの分離が明瞭で無いという問題があります。このCDセットにも「ホフマイスター」「プロシア・セット」が含まれています。
ということから、どのセットにも魅力が感じられるので絞り込みは難しいのですが、たった一つしか手元に置くことが出来ないとしたら、アルバン・ベルクSQのTELDEC盤を残すのではないでしょうか。
尚、補足として「狩り」の単独盤を一つだけ上げておきます。
ウイーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団(1962年録音/DENON盤)
現在でもウエストミンスターの古いモノラル録音がとても人気の有るウイーン・コンツェルトハウスSQですが、1962年に上野の東京文化会館で日本コロムビアがステレオ録音した貴重な遺産の中の一つです。自分は現在でもアナログ盤で愛聴していますが、CDでも出ています。当然ながら演奏には古き良き時代ののんびりとしたウイーンを感じさせますが、第1楽章の中間部で、思い切りテンポを落としてロマンティックに歌わせるところなどは、余りの陶酔感に心を奪われてしまい言葉にすることも出来ないほどです。
残念ながら既に廃盤で中古でも高値を呼ぶようですが、廉価で見つけられた時は絶対のお勧めです。
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