今年も残りひと月余りとなりました。コロナ禍で明け暮れた大変な年となってしまった為に、ベートーヴェンの生誕250周年どころではなくなりました。しかし、それではいけないと思い、これまで楽聖の曲を特集して来ました。
ベートーヴェンが大変なピアニストであったことは良く知られています。故郷のボンから音楽の都ウィーンに移り住んで間もない若きベートーヴェンは、まずピアニストとしてその演奏でウィーンの聴衆を驚かせました。まだ22歳の時です。既に“学生”ではなく“楽聖”?
そのベートーヴェンが生涯を通して作曲を続けた32曲のピアノ・ソナタは“旧約聖書”と称されるバッハの『平均律クラヴィーア曲集』に対して“新約聖書”と呼ばれます。若くして手がけた習作ソナタから、最後の第32番まで作曲は約40年にも渡ります。そんなジャンルはピアノ・ソナタのみです。
もちろんベートーヴェンの作品群において交響曲も弦楽四重奏曲も不滅の領域ですが、こと楽器との結び付きの深さの点ではやはりピアノを置いて他には有りません。そのピアノ・ソナタをこともあろうにこれまで1曲も記事にしたことが有りませんでした!
32曲のピアノ・ソナタを作曲の順に追ってみると、ベートーヴェンが次々と新しい世界を切り開いてゆく様や作曲の進化ぶりが解かります。
その中で俗に「3大ソナタ」と呼ばれる「悲愴」「月光」「熱情」が有り、続いて「テンペスト」「ワルトシュタイン」「告別」を加えて「6大ソナタ」とも呼ばれます。「3大」は、その名の通りの傑作揃いで文句は有りません。自分の好みで言うと「ワルトシュタイン」を加えて「4大」としたいところですが、キリが悪くなるのでやむなしです。
一方、最後の第30番、31番、32番は「後期3大ソナタ」と呼ばれますが、これはピアノ・ソナタの孤高の領域に到達しています。ただただ畏敬の念を持つばかりです。
これらを今年中に記事にするには、もう時間が足りませんが、ともかく初期のピアノ・ソナタの頂点である「悲愴」を取り上げます。ベートーヴェン自身がその標題を付けたかどうかは不明ですが、初版譜に標題が付けられていたことから、本人が認めていたことは確かです。
古典的な形式をしっかりと保ち、劇的であり且つ気品を失わない楽想が本当に魅力的です。その名の通り悲愴感を一杯に湛えて疾走する第1楽章、稀代の美しい主旋律を持つ第2楽章、そして走りゆく哀しみを湛えた第3楽章と、聴きどころが満載で聴き手を一瞬たりとも飽きさせません。
後年の深遠さとは異なる若きベートーヴェンの魅力に満ちていて、初期ピアノ・ソナタの頂点と言わしめます。
楽曲構成
第1楽章 グラーヴェ ― アレグロ・モルト・コンブリオ ハ短調 ソナタ形式
第2楽章 アダージオ・カンタービレ 変イ長調 ロンド形式
第3楽章 ロンド・アレグロ ハ短調
さて所有CDのご紹介ですが、まとめて聴くことが無い為に、CD棚から集めるのに苦労しました。
ヴィルヘルム・バックハウス(1954年録音/DECCA盤) 後年のステレオ録音が定番として知られますが、その6年前のモノラル録音の旧盤です。テクニックで唸らせようとする煩悩や飾り気を全く感じさせない男性的で朴訥としたスタイルがベートーヴェン自身のピアノのイメージと重なり合います。良く聴くと決してインテンポでは無く微妙なテンポの浮遊性を持ちます。切れの良さで旧盤を好む声も有りますが、自分は録音も加味して新盤を好みます。
ハンス・リヒター=ハーザー(1955年録音/DECCA:フィリップス原盤) バックハウス以上にドイツ的で1980年辺りまで現役で活躍したにもかかわらず商業的な理由で知名度が低いのは残念ですが、ベートーヴェンのソナタをモノラル期からステレオ期にかけて結構な曲の録音を残しているのは嬉しいです。この曲も骨太の音で、ゆったりとスケールの大きい演奏が素晴らしく、同時期のバックハウスと充分に渡り合います。
イヴ・ナット(1955年録音/EMI盤) ベートーヴェンのソナタの全曲録音も行っていて今だに根強い人気の有るナットはフランス人ながらドイツ的な構築性のあるピアノを弾きますが、それでも同時期のドイツ系のピアニストよりは演奏にしなやかさや自由な閃きが有る印象を受けます。音のタッチは明確でベートーヴェンの音楽の威厳というものをしっかりと感じさせます。モノラル録音ですが音質は良好で同時期のDECCAと遜色は有りません。
アニー・フィッシャー(1958年録音/EMI盤) 導入部のグラーヴェが正にその通り“重々しく、荘重に“弾かれます。主部もがっちりと男性的な演奏であり、打鍵も重いので非常に聴き応えが有ります。第2楽章も遅いテンポで荘重さを保ちますので段々と胃にもたれて来ます。更にそれが第3楽章にも続くので気分まで重くなります。え、”悲愴”だから良い?いや、もう少しすっきりした古典的な軽みが有っても良さそうです。所有はBOXセットです。
スヴャトスラフ・リヒテル(1959年録音/ビクター盤:メロディア音源) 古いモスクワ録音でマスターテープに僅かに劣化した部分も散見されます。しかしステレオ録音で気にはなりません。それよりも壮年期のリヒテルの音楽への没入度の凄まじさに圧倒されます。ある意味でフルトヴェングラーのライブ的です。第1楽章主部はかなり速いですが、グールドは速く弾くこと自体が目的ですが、リヒテルは音楽に没入して速く弾かずにいられないという大きな差が有ります。ですので、第2楽章は速めに流れますが、情感がひしひしと感じられて惹きつけられます。そして第3楽章も気迫に溢れ切っています。
ヴィルヘルム・バックハウス(1960年録音/DECCA盤) もちろん昔から定番中の定番として知られる演奏で、男性的で朴訥としたスタイルがベートーヴェン自身のピアノを感じさせるのは旧盤と同じですが、よりスケール感を感じます。テンポの浮遊性もいよいよ神業の域に入り、どこまでも自然に感じさせます。DECCAの優れたステレオ録音で、バックハウス愛用のベーゼンドルファーがこれほど美しく聞こえるのにも感嘆するばかりです。所有するのは全集ですが、三大ソナタ単独でも出ています。
ルドルフ・ゼルキン(1962年録音/CBS盤) これはあくまでも自分の感覚なのですが、この当時のゼルキンには最も古典的な造形感を感じます。それでいて、いかにもベートーヴェンらしいパッションの迸りを感じられるという稀有な演奏です。颯爽としたテンポで駆け抜けますが決して軽くなり過ぎずに、しっかりとした音楽の手応えが有ります。
アルトゥール・ルービンシュタイン(1962年録音/RCA盤) 比較的ゆったり気味のグラーヴェから主部に入りますが、疾走感は無く、おっとり刀で旋律線を強く意識しているように感じられます。第2楽章では逆に朗々と歌い上げるというよりも静寂感に包まれています。第3楽章にしても常にゆとりが有り、“ドラマティックな”演奏とは対極に位置する印象です。
ウラディーミル・ホロヴィッツ(1963年録音/CBS盤) スタジオ録音ですが、ベートーヴェンの音楽への敬意からか、とてもオーソドックスな演奏です。もちろんドイツ的な朴訥としたスタイルでは無く、この人らしいインパクトのある音とデリカシーの有る音とで紡ぎ出されるスマートな演奏ですが、聴いていて自然に引き込まれます。
クラディオ・アラウ(1963年録音/フィリップス盤) アラウの壮年期の録音ですが、既に普通の奏者の最晩年の趣です。テンポは遅めで間をたっぷりと取り、一音一音に念を押すような重量感が有ります。両端楽章などは聴き応え充分です。但し第2楽章の遅過ぎるテンポは少々胃にもたれます。これは指揮者で言えばさしずめクレンペラーの演奏で、好きな人には応えられないかもしれません。
ヴィルヘルム・ケンプ(1965年録音/グラモフォン盤) 昔の定番ということではバックハウスと双璧でした。両者に共通して感じるのは、極めて自然に音楽の素晴らしさに引き込まれることです。技術偏重でもなく、威圧的でもなく、神経質でもなく、しかし威厳も味わいも失わずにただただ聴き惚れてしまいます。これがドイツの伝統というものでしょうか。しかし、その中でも抜きん出た一握りの巨匠による演奏。そんな気がします。所有するのは全集ですが、もちろん三大ソナタ単独で出ています。
グレン・グールド(1966年録音/CBS盤) やってくれるね、グールド!という感じの強烈な演奏です。第1楽章のアレグロは疾走感どころでは無く、猛スピードであれよあれよと駆け抜けます。第2楽章もすっきり速めですが、第3楽章がまたしても超スピードでかっ飛ばします。現代に流行りの快速ベートーヴェン演奏の先駆けだったのかもしれません。また、ある意味ロマンティシズムを排除したバロック的だとも言えるのかも。
フリードリヒ・グルダ(1967年録音/アマデオ盤) グルダは若い頃にアマデオに全曲録音を行い、DECCAの協奏曲全集と共に新時代のベートーヴェン像を打ち立てました。それ以前のドイツ系巨匠ピアニストの重厚さとは異なる、ほとばしる生命力と若い躍動感を強く感じさせるものです。この曲でも同様なのですが、それでいてウィーンの伝統の上に立った一種の安心感も与えるところが大きな魅力です。
エリック・ハイドシェック(1967年録音/EMI盤) ハイドシェックが若い頃に録音した全集盤からです。この人は後年にわが国でちょっとしたブームを巻き起こしましたが、個性が強過ぎて好みからは逸れています。しかし若い頃の自由奔放なモーツァルトなどは大好きです。このベートーヴェンも個性は強く、古典的にきっちりした演奏では有りません。けれどもそれがこの人のインスピレーションから出ているからか、それほどの抵抗は感じません。むしろ洒脱なフランス人の弾くベートーヴェンを楽しむならお勧めかもしれません。
エミール・ギレリス(1973年録音/グラモフォン盤) 感情が激流のごとく迸るリヒテルの演奏に比べるとずっと客観的ですが、それでもこの演奏は中々に情念の高まりを感じます。それでいて造形性をしっかりと保っているのが、この初期の曲ではプラスしています。ただ、第2楽章がやや平板に感じられるのは残念です。
クリストフ・エッシェンバッハ(1975年録音/グラモフォン盤) 今では指揮がメインのマエストロですが、録音当時は若手ピアニストとして注目を浴びていました。冒頭グラーヴェの遅さはトップクラスですが、アレグロに入ると標準的な速さと成ります。しかしテンポの速さとは別に音そのものに重量感が有るのが印象的です。第2楽章もかなり遅いテンポで身体と感情を引き摺るようであり、哀しみと諦めに包まれているのがかなりユニークです。第3楽章は重量感は有るものの標準的な速さです。小股の切れ上がったスマートさとは無縁の重い聴き応えのある演奏です。
ラザール・ベルマン(1979年録音/SONY盤) 当時のソヴィエト出身で西側の国際コンクールで優勝して一躍センセーションを巻き起こし、カーネギーホールで行ったリサイタルのライブ録音です。“森の熊さん“然とした顔つきですが、演奏は質実剛健そのものでした。この曲の演奏も、打鍵にも演奏にも重量感が有りますが、気をてらわない極めてオーソドックスなものです。師でもあるリヒテルの若い頃とはタイプがだいぶ異なり、むしろギレリスに似たタイプだと言えます。
ダニエル・バレンボイム(1983年録音/グラモフォン盤) バレンボイム二度目の全曲録音からです。この人の中核レパートリーはベートーヴェンとモーツァルトですが、より才能が輝いているのは後者の方だと思っています。この「悲愴」の演奏はとても美しく、オーソドックスで安心して聴いていられますが、反面、情念の高まりに不足するように感じられます。少なくとも自分にはです。
クラディオ・アラウ(1986年録音/フィリップス盤) アラウは23年前の旧録音でも晩年の趣を持ちましたが、こちらは正真正銘の晩年録音であり、テンポは更に遅くなり、巨大なスケール感と聴き応えを感じさせます。楽聖の若き青春の日の音楽が、まるで後期の音楽のごとく聞こえてきます。第2楽章のテンポについては旧録音と余り変わらないにもかかわらず、感覚上はむしろもたれません。これはアラウの芸格がついに神域に入ったということだと思います。
ブルーノ=レオナルド・ゲルバー(1987年録音/DENON盤) アルゼンチン生まれながらドイツ物を中心とした王道レパートリーを得意としたゲルバーは40代後半の円熟期に全曲録音を行いました。インテンポで堅牢な造形を保つわけではなく、あちらこちらで微妙なルバート、間、アッチェランドを駆使しています。けれどもそれらが決して煩わしさを感じさせないのは自然に湧き起こるインスピレーションに従っているからかもしれません。
スタニスラフ・ブーニン(1993-4年録音/EMI盤) ブーニンがまだ20代のときに日本で録音した演奏です。後の2007年に再録音を行いますが、そちらは未聴です。第1楽章は速めのテンポで焦燥感が出ていて良いと思います。第2楽章はやや詰めが甘く含蓄やロマンティシズムが不足しているのが残念です。第3楽章も淡々とし過ぎで気迫不足に感じられますがとても綺麗です。
アルフレッド・ブレンデル(1994年録音/フィリップス盤) ブレンデル全盛期の演奏は非常に細かくディナーミクの変化やアゴーギグを行っていて一見気づき難いのですが、そのコントロールが自然にというよりも理知的に頭で考えているように感じてしまいます。
その為に、音楽に中々没入して行きません。とりたてて欠点ということでも無いのですが、ベートーヴェンの魅力を余り感じ取ることが出来ません。
マウリツィオ・ポリーニ(2002年録音/グラモフォン盤) いかにもポリーニらしく、テンポもディナーミクも完ぺきに統率が取れていて、そこには情に流されるようなことは寸分も有りません。聴いていて頑丈な高層ビルディングを仰ぎ見るような印象を受けます。
さて、それでベートーヴェンの音楽に感動できるかと言えば首をかしげます。むしろ座り慣れない高級ソファに座らせられたような窮屈さを感じてしまいます。これは2枚組CDのお得盤です。
ということで、世に知られたピアニストが弾けば、聴いていられない演奏などは有りませんが、個人的に楽しんで聴ける演奏と言えば、リヒテル、バックハウスの新盤、ゼルキン、ケンプ、ラザール・ベルマン、そしてアラウの新盤。というところです。
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