
一度聴いたら忘れられない名旋律の第1楽章ですが、僕が初めて聴いたのはたぶん中学生の時、イージーリスニングのレイモンド・ルフェーヴル楽団の曲として耳にしました。当時はハード・ロック小僧だった自分が、「ずいぶん良い曲だなぁ」と感激したのを覚えています。
とにかく、イージーリスニングになってしまうほどの名曲であり、クラシック・マニアをも呻らせるのが交響曲第40番ト短調K550です。「ト短調交響曲」として余りにも有名ですが、この曲はモーツァルトが1788年の夏の僅か2か月の間に作曲した三大交響曲の真ん中に位置する、正に「永遠の名曲」の名に恥じない大傑作です。
この曲は基調のト短調の性格通り、哀しく、悲劇的でありながらもロマンティックな甘さを持ち合わせています。1楽章モルト・アレグロは今更言うまでもない名曲中の名曲ですが、僕が強く惹かれるのは、第3楽章メヌエットです。ここには軽妙な舞踏曲のイメージは全く無く、主部は嵐のように吹き荒れます。それがトリオでは一転して、つかの間の安らぎを得たような懐かしい歌が奏せられます。何という美しさでしょうか。終楽章アレグロ・アッサイは、まるで何者かに追いつめられてゆくような緊迫感が有ります。
この曲には最初はクラリネットは使われていませんでしたが、モーツァルト自身が書き直した第2版には追加されています。古典的な響きの第1版、ロマン的な色彩を加えた第2版と、どちらも良いのですが、通常は書き直しを行わないモーツァルトがそれを行なったということは、やはり第2版が理想の姿だったと考えられなくもありません。
この曲はウイーンで初演されたと推測されていますが、その演奏会で指揮をしたのは、どうやらあのアントニオ・サリエリだったそうです。モーツァルトの天才に呆れて一体どんな顔をして演奏したのでしょうね。
それでは、僕の愛聴盤のご紹介に移ります。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウイーン・フィル(1949年録音/EMI盤) 第1楽章に指定された”モルト・アレグロ”を忠実に守って快速で駆け抜ける演奏です。それについては賛否両論あるところですが、やはり説得力のある解釈だと思います。あの美しい旋律をもっと歌わせてほしいと思う反面、音楽の切迫感が充分に感じられるからです。2、3楽章は比較的オーソドックスですが、終楽章では再び緊迫感を醸し出します。ウイーン・フィルの音と演奏はやはり素晴らしいです。録音は年代的に水準程度というところです。
ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1952年?録音/SONY盤) 余りにも有名な、ウイーンでのライブ録音です。この演奏の呪縛にかかった人にとって、そこから離れるのは容易ではないと思います。事実、僕もいまだに離れられません。1楽章の上昇音型でのポルタメントは強烈な印象ですが、演奏全体の評価を左右する要素としては小さいです。当時のウイーン・フィルが、まるで生きもののように自由自在にうねり、嵐のように激しく慟哭する凄みこそが、この演奏の比類無さです。古典的造形はどうでも良いのです。録音は悪いですが、その凄さは充分に聴きとれます。
ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1956年録音/Altus盤) この演奏は実は前述のSONY盤と同じです。どちらも音源はオーストリア放送協会から提供されたテープですが、録音時期が1956年6月24日と明確に記載されてあったそうです。ということはSONY盤の1952年という記載が誤りだったことになります。ピッチについてもSONY盤では若干高めだったのが修正されています。そのせいか音質は高音成分が減って、だいぶ落ち着いた印象に変わっています。音圧はAltusのほうがボリューム3段階ほど低いですが、問題が有るレベルではありません。どちらかを選べと言われれば、現在ではAltus盤を取りますが、SONY盤を既に持っている人に何が何でも買い替えろと言う気はありません。特別に興味の有る人だけで良いと思います。但し、こちらではカップリングが第25番ではなく、グラモフォンから出た1955年の「プラハ」ですので、お持ちでない方には大いに価値が有ると思います。
ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1959年録音/CBS盤) ライブ盤と比べると、まるで別人のように落ち着いた演奏です。それでもゆったりとしたテンポで大きな歌を聴かせてくれるあたりは、やはりワルターです。表情は豊かですが、少しも脂ぎらずに、過ぎ去った過去を振り返るかのような枯淡の雰囲気を感じます。ワルターにはニューヨーク・フィルとのモノラル録音も有りますが、僕が好きなのは、前述のウイーンPOライブとこのステレオ盤です。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル(1959年録音/キングInternational盤) カラヤンとベルリン・フィルは何度も来日してライブ盤も多く出ていますが、ウィーン・フィルとの来日は’59年のただ一度です。その際にNHKによりステレオ録音が残されていました。それがこの演奏と併録のブラームス第1番です。やや速めの良いテンポでスタイリッシュですが、ライブならではの高揚感が有り、特に終楽章の緊迫感は印象的です。録音も年代を考えると優れていますし、記録として貴重なだけでなく充分に楽しめます。
カール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1961年録音/グラモフォン盤) ベームらしい立派で格調の高さを感じる演奏です。じっくりとした厳格なリズムに乗った演奏は、一見武骨で冷たく感じられそうですが、情緒に流されない強さを持っています。まだカラヤン色に染まる以前のベルリン・フィルの音もほの暗く、この曲に向いています。時が流れても少しも古臭さを感じない名演奏ではないでしょうか。
カール・シューリヒト指揮スイス・イタリア放送響(1961年録音/ERMITAGE盤) スイスのルガノでのライブ録音です。シューリヒトの40番は「リンツ」、「プラハ」のような強烈な個性は有りません。けれども、この演奏の気迫は相当なものです。またしても二流のオケが、驚くほど厳しい音を出しています。シューリヒトが客演で行なう演奏では、よほど厳しい練習を要求したに違いありません。この曲には別の録音が幾つか有りますが、ベストは断然この演奏で、雲泥の差があります。モノラル録音で残響も少ないですが、音質はこれが一番明瞭です。
カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送響(1961年録音/archiphon盤) これもライブ録音です。スイス・イタリア放送盤と同じ年の演奏ですが、あれほどの厳しさは有りません。終楽章の展開部で、だんだんに遅くなり沈み込んでゆくのはユニークですが、それ以外はこの人にしてはいたって普通の演奏です。決して悪い演奏では無いですが、シューリヒトの凄さを知る人は過剰な期待をしてはいけません。モノラル録音ですが音質は明瞭なほうです。
カール・シューリヒト指揮パリ・オペラ座管(1964年録音/DENON盤) コンサートホール・レーベル録音です。ここにも、同じレーベルの「リンツ」、「プラハ」のような強烈な個性は有りません。2年前のシュトゥットガルト放送響盤と、ほとんど違いは無いと言えます。これも悪い演奏ではありませんが、余り期待をして聴くと裏切られた気分になります。ステレオ録音ですが、残念なことに音質は余り冴えません。
ヨゼフ・カイルベルト指揮バイエルン放送響(1966年録音/オルフェオ盤) これはミュンヘンでのライブ録音です。ドイツのカぺル・マイスターらしいオーソドックスな演奏で、特に情緒的に訴えるわけではなく、音楽をそのまま聴き手に差し出す印象です。その分、メヌエットあたりは古典的な演奏に終始してしまい、幾らかの物足りなさを感じます。この年代のライブ録音にしては音質は優れています。
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管(1967年録音/CBS盤) 一聴したところ冷静で情緒に欠けた印象が有りましたが、よくよく聴くと余分な成分を極限まで削ぎ落とした、非常に透徹した演奏であることがわかります。純度の高さで言えば、これ以上のものは知りません。ただし決して無味乾燥ということではなく、モーツァルトの心の奥底の哀しみがじわりと伝わってきます。オーケストラの上手さは言うまでもなく、終楽章の十六分音符も低弦まで完璧に揃っています。
パブロ・カザルス指揮マールボロ音楽祭管(1968年録音/SONY盤) ロココ趣味の華麗なモーツァルトからは最も遠くにある演奏です。テンポは速めですが、アタックは強く、思い切り歌い、モーツァルトの内面をえぐり出すようです。老カザルスが何故こんなにも激しい演奏が出来るのか、つくづく驚くばかりです。残響の無い録音が、ややもするとオーケストラを下手に感じさせるかもしれませんが、そうではなくて彼らは表面的に上手く弾くことなどには少しも執着していないだけなのです。
ヨーゼフ・クリップス指揮コンセルトへボウ管(1972年録音/DECCA盤) カザルスの後に聴くと、何とも品の良い演奏に聞こえます。けれども、コンセルトへボウの柔らかく溶け合う響きを生かした美しい演奏には、いつの間にか自然に聴き入ってしまいます。ワルターやカザルスのように激しい表現とは異なる、このヨーロッパ伝統の音を心落ち着けて味わう余裕は持っていたいと思います。
カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1976年録音/グラモフォン盤) ベルリン・フィル盤と比べると、ずっと遅いテンポでじっくりと歌います。昔はこの演奏をもたれて感じましたが、今日こうして順に聴いてくると、このテンポの素晴らしさが理解できます。但し、唯一メヌエットだけは遅く感じます。ウイーン・フィルの美しい音と表情は、やはり魅力的です。ベルリン・フィル盤も良いですが、やはりこちらの方が好きです。晩年にウイーン・フィルと主要曲を再録音してくれたのは幸運なことでした。「これが全集だったら」とは言いません。
オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1976年録音/Berlin Classics盤) SKドレスデンのマルカートで楷書的な音の出し方は、39番のようなシンフォニックな曲には最高ですし、この曲でも3、4楽章は良いのですが、1楽章では必ずしもベストだとは思いません。やはりウイーン・フィルのしなやかで艶のある音の方がこの楽章には適していると思います。スウィトナーのテンポは意外に速くありません。じっくりと腰を落ち着けています。
オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン(1978年録音/TDK盤) これは実際に自分が生で聴いた演奏で、会場の厚生年金会館は残響の少ないホールでしたが、そんなことを物ともせずに美しい演奏を聴かせてくれました。それはひとまず置いてCDで聴き比べると、この曲に関しては音のしなやかさで優るSKベルリン盤をSKドレスデン盤よりも好んでいます。ライブならではの危なっかしい部分が全く無いわけではありませんが、逆にスリリングな緊張感がこの曲に向いています。
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1980年録音/SONY盤) ゆったり気味のテンポで落ち着いた、とても美しい演奏です。細部のニュアンスも豊かで、何気ない部分にも神経が通っています。但し、全体としてはどうも音楽が客観的に過ぎるように感じます。オーソドックスな演奏として完成度が高いのですが、聴いていてぐいぐいと引き込まれるということが有りません。唯一、3楽章はレガートで女性的なのがユニークで面白いです。
レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1984年録音/グラモフォン盤) この曲ばかりは、やはりウイーン・フィルが最高です。名旋律を情緒たっぷりに、しなやかに歌う芸当はちょっと他のオケでは真似が出来ません。バーンスタインの指揮も躍動感が有りますし、オケの美しい音を十二分に生かしています。終楽章で突然ギア・アップするのはありきたりの演出ですが、激しく切迫感が増しているので良しとします。選集の中では特に優れた出来栄えだと思います。
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1985年録音/オルフェオ盤) SONY盤から5年後のミュンヘンライブです。表現は基本的に変わりませんが、やはり実演ならではの緊張感と高揚感が加わっていて、聴いていて音楽の訴えかける力はこちらの方がかなり上回ります。1楽章の主題の弦の歌い方もずっと彫が深くドラマティックですし、弦の刻みにも気迫が籠っています。そうした細部を十全に捕らえた録音の良さも大いに貢献しています。4楽章はテンポもぐっと上がり切迫感が増していて素晴らしいです。くべりっくの40番なら迷うことなくこちらを取りますし、ベスト演奏の有力な候補の一つです。
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウイーン・フィル(1987年録音/オルフェオ盤) これはザルツブルク音楽祭でのライブです。さすがにウイーン・フィルはここでも実に美しいです。ジュリーニの指揮は遅めのテンポで落ち着いてスケールが大きいので、晩年のベームと良く似ています。しかしそうなると、スタジオ録音のベーム盤の方がウイーン・フィルの音の美しさが際立つのでジュリーニは不利です。2楽章も耽美的で幾らか寂寥感に不足する感が有ります。併録の「大地の歌」のほうが更に素晴らしい演奏だと思います。
シャーンドル・ヴェーグ指揮ウイーン・フィル(1992年録音/belvdere盤) ヴェーグは指揮者としてモーツァルトのセレナードやピアノ協奏曲を数多く録音しています。しかしウイーンPOとの録音は少ないので、ザルツブルク祝祭大劇場でのライブ録音で第40番のシンフォニーを残してくれたのは嬉しいです。演奏は遅いテンポでほの暗い情感に溢れますが、偉大なヴァイオリニストらしく弦楽の表情豊かな歌わせ方が出色です。第3楽章、第4楽章では音楽の造形を崩すことなく徐々に高揚してゆくのが聴きものです。録音は放送局らしい自然な音で、余計な編集がされていないのは歓迎です。
以上の中で、マイ・フェイヴァリットを上げれば、何を置いてもワルター/ウイーン・フィルです。次点としては、シューリヒト/スイス・イタリア放送、カザルス、それにベーム/ウイーン・フィル、クーベリックの85年ライブ、ヴェーグ/ウイーン・フィルを挙げます。更に捨てがたいのが、フルトヴェングラー、ワルター/コロムビアSO、セル、スウィトナー/SKベルリン、バーンスタイン、ジュリーニ、というとやっぱりほとんどですね。まぁ永遠の名曲ということでお許しを。
<補足>
フルトヴェングラー盤、カラヤン/ウィーンPOの来日ライブ盤、クーベリック85年ライブ盤を後から追記しました。
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