モーツァルト(声楽曲)

2014年4月11日 (金)

モーツァルト 「レクイエム」 続々・名盤 ~個性的な演奏にゾクゾク~

モーツァルトの絶筆にして、彼の宗教音楽の最高峰「レクイエム」K626。たとえ未完成作品であろうが、ジュースマイヤーの補筆に不満を感じる人が居ようが居まいが、やはり素晴らしいものは素晴らしいです。

前回「レクイエム 続・名盤」を記事にしてから、まだ幾らも経っていないのですが、その後にも特記したいディスクに幾つか出会いましたので「続々・名盤」としてご紹介することにします。

1444765 フェルディナント・グロスマン指揮ウイーン・コンツェルトハウス管、ウイーン少年合唱団(1960年録音/PILZ盤) ウイーンの合唱指揮者グロスマンは「戴冠ミサ」の名盤で有名ですが、他にも「大ミサ曲ハ短調」の録音が有りました。そして「レクイエム」の録音も残していたことを最近知りました。一口で言って「大らか」な演奏です。「戴冠ミサ」「大ミサ」も、やはり大らかな演奏が魅力でしたが、それがグロスマンの良さです。ウイーン少年合唱団もギレスベルガー盤ではかなり精密なコーラスを聴かせてくれましたが、このグロスマン盤は、声楽の専門家にかかれば「稚拙」の烙印を押されるのは明らかです。ボーイ・ソプラノによる独唱も大人の歌手に比べればつたなさの極みです。ですが、近年の刺激的な古楽器派の演奏を多く聴いていると、この大らかさにはとても安らぎを感じます。地獄の淵をのぞき込むような深刻さとは無縁で、ごく親しい人の死に向き合うような慈愛の雰囲気に満ち溢れています。それはまた、1950年代の大指揮者達のロマンティックな前時代的な演奏とも異なります。いかにもオーストリアの本当の教会的な演奏だということで独特の個性を感じます。

Op30307 クリストファー・シュペリング指揮ノイエ・オーケストラ(2001年録音/仏OPUS盤) この演奏は恥ずかしながら、ブログお友達のヨシツグカさんに教えて貰うまで知りませんでした。このCDのユニークな点は、ジュスマイヤー版による演奏とは別に、モーツァルトが実際に書き残した草稿をそのままに演奏して録音していることです。それを耳にしてみると、書き残された部分がどれほど多かったことか愕然としてしまいます。ジュスマイヤーの補筆作業の偉業には改めて感心するばかりです。しかし、シュペリングのジュスマイヤー版の演奏にも驚かされます。まるで現代の古楽器派の演奏に対するアンチテーゼといった雰囲気です。緩急の巾が大きく、遅い部分は極めて遅く物々しいといったらありません。「イントロイトス」「キリエ」のレガートで遅く粘る演奏は、まるでイエスが十字架を背負って引き擦っているかのようです。それが「怒りの日」では超快速で駆け抜けます。「みいつの大王」も飛び跳ねるようです。最初は正直「なんだこれは」と唖然としました。ただ、シュペリングの演奏には嘘くささが無く、大真面目に表現しているように感じられるのが凄いです。とても単なる”古楽器派”のひとくくりには出来ない個性を感じます。

31m57g1m59l ヨス・ファン・フェルトホーフェン指揮オランダ・バッハ協会管弦楽団&合唱団(2001年録音/Channnel Classics盤)

ここで演奏されているのは、ジュースマイヤー版をオランダの学者フロトゥイスが改定を行った版に寄ります。それというのも1941年にエドゥアルト・ヴァン・ベイヌムがこの曲を演奏する際にフロトゥイスに助言を求めた為に、よりモーツァルトらしいものにするという考えで改訂作業を行ったそうです。従って、今後もこの版で演奏するのはオランダの演奏家のみではないでしょうか。”バロック的”とでも言えるような、比較的少人数による純度の高い演奏ですが、各声部が非常に明確に歌い(弾き)分けられていて感心します。全体にテンポは速めですが極端ではありません。贅肉の無い引締まった良いテンポです。最近の古楽器派のように、ことさら刺激的に聴かせようと意図しているわけでは無さそうなので、抵抗感は感じません。最も、少々端正な方向に傾き過ぎて劇的効果が少ないのが、好みの分かれ目だという気がします。自分としては、とても好意的に感じられます。少しも奇をてらったところの無い、これもまた個性的な美演だと思います。

ここでもう一度まとめてみますと、「モツレク」の現時点でのフェイヴァリット盤は、まず少年合唱の感動的なハンス・ギレスベルガー盤、現代楽器オーケストラ演奏からカール・ベーム/ウイーン・フィル盤、古楽器オーケストラ演奏は激戦で、ペーター・ノイマン盤、フランス・ブリュッヘン盤、ヨス・ファン・フェルトホーフェン盤の3つですが、別枠としてモーツァルトの自筆草稿によるクリストファー・シュペリング盤を加えたいと思います。

ここまで多種多用ですと、まるで異種格闘技状態ですが、それだけこの曲が一定の演奏スタイルの枠に捉われない懐の広さを持っているからでしょう。どれも個性的な演奏ですので、聴いていて本当にゾクゾクして来ます。

ということで、しばらくモーツァルトの宗教音楽を記事にしてきました。まだまだ素晴らしい曲が沢山有るので後ろ髪を引かれる思いですが、ここで一旦お休みをして、次回からは「モーツァルトの名曲三昧シリーズ」をスタートします。宗教音楽の続きは近いうちにまた。

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2014年4月 8日 (火)

モーツァルト モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」 K.618 名盤

Sky

『音楽は、より単純素朴で、かつ純粋な美しさを持っているものが、最終的には人を最も深く感動させるのではないか。音楽を聴く時、いつもそんなふうに思っている。』 渡邊學而氏が本の中でこのようにお書きになっていました。

自分が宗教音楽を聴くときに、往々にして技術的に優れた大人の合唱団よりも清純な歌声の少年合唱団を好むのも正に同じ理由からです。

もちろん曲についても全く同じことで、モーツァルトのモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K618などは、それがそのまま当てはまる典型ではないかと思います。

モーツァルトがウイーンに移った後に書いた宗教音楽は僅かに3曲ですが(もう1曲有るという説も有ります)、未完成に終わった大作「大ミサ曲」「レクイエム」がそのうちの2曲で、残る1曲が僅か46小節のモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K618です。これは、モーツァルトが亡くなる半年前にコンスタンツェの静養先であるバーデンを訪れたときに、当地の合唱指揮者アントン・シュトルに贈った曲です。

「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

めでたし、処女マリアより生まれ
人々のために十字架にかかりて犠牲となり給えし御身よ
御わき腹は刺し貫かれ血と水を流し給えり
願わくば死の審判の時にあたり我らに御身を受けしめ給え

この曲はモーツァルト最晩年の死を前にした「彼岸の境地」を示しています。静寂に包まれた深い祈りが感動的です。それは澄み渡った青空を見上げたときに感じるあの気持ちと良く似ています。モーツァルトのファンであれば誰しもが、この曲にクラリネット協奏曲K622の第2楽章を想い重ねることだろうと思います。

それでは愛聴盤のご紹介です。

01333 ゲルハルト・シュミット=ガーデン指揮ヨーロッパ・バロック・ソロイスツ、テルツ少年合唱団(1990年録音/SONY盤) もちろん少年合唱は大好きですし、モーツァルトはウイーン風の柔らかい歌が合っていると思います。ただ、この彼岸の曲の場合には、ウイーン少年合唱団だと、ちょっと「声で歌われている」印象を受けてしまいます。その点で、テルツ少年合唱団の方が、この曲の雰囲気には適しているように思います。何とも美しい讃美歌です。

Cci00036 ペーター・ノイマン指揮コレギウム・カルトゥジアヌム、ケルン室内合唱団(1990年/ヴァージン盤) ペーター・ノイマンのモーツァルト宗教曲選集に収録されています。この曲の場合には、必ずしも少年合唱が向いているという気はしません。むしろ「人の歌声」から離れた、天に漂う澄んだ空気のような雰囲気こそがこの曲の核心では無いでしょうか。どこまでも静寂に包まれていて、演奏効果をこれっぽっちも感じさせないノイマンの素晴らしい演奏には称賛の言葉さえも白々しくなりそうで躊躇われるほどです。

51rfit8heml シギスヴァルト・クイケン/ラ・プティット・バンド、オランダ室内合唱団(1985年録音/ドイツ・ハルモニア・ムンディ盤) バッハの演奏のイメージの強いクイケンも素晴らしいモーツァルトを聴かせてくれます。美しいコーラスはノイマン/ケルン室内合唱団と優劣を付けるのが難しいほどです。個人的には抑揚の少ないノイマン盤を好んでいますが、クイケン/オランダ室内合唱団の歌を好む方も多いかもしれません。

Mozart_sacredmusicニクラス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス、アーノルド・シェーンベルク合唱団(1986年録音/テルデック盤) アーノンクールのモーツァルト宗教曲全集に収録されています。優秀なアーノルド・シェーンベルク合唱団も素晴らしいと思います。ですが、ノイマンのケルン室内合唱団に比べると、やはり人間の声で歌われている印象を受けてしまいます。単純素朴な演奏で人を感動させることの難しさをつくづく感じます。

ということで、マイ・フェイヴァリットはペーター・ノイマン盤ですが、少年合唱で聴きたい場合にはシュミット=ガーデン盤です。

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2014年4月 4日 (金)

モーツァルト ヴェスペレ(荘厳晩課)ハ長調 K.339 名盤

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          ザルツブルク大聖堂

この曲こそがモーツァルトのザルツブルク時代の最後を飾る作品です。ということは有る意味モーツァルトの教会音楽の一つの集大成とも言えるかもしれません(ウイーンで宗教曲の大作は完成させていませんので)。ところが、この曲はお世辞にも人気作とは言えず、日常的に愛聴しているのは、まずモーツァルト愛好家だけでしょう。

そもそも「ミサ曲」ならいざしらず、「ヴェスペレ」って一体何だ?ということから始まりそうです。

ヴェスペレは「晩課」と訳されますが、 カトリックの8つ有る聖務日課の中で日没時に行われる7番目の祈りのことだそうです。 うっかりすると「晩歌」と間違えそうですが「晩課」です。

ヴェスペレは宗教音楽の上ではミサ曲に次ぐ重要なジャンルで、歌詞は聖書の中の”詩篇”からの5章と、ルカ伝の中の「我が魂は主を崇める」(マニフィカト)の合計6曲から成ります。と聞いてもカトリック教徒でも無ければ、ちんぷんかんぷんですよね。もしも自分がカトリック教徒でしたら、歌詞に大いに意味が感じられると思いますが、そうではないので、美しい音楽にひたすら耳を傾けるだけです。何しろ作曲をしたモーツァルトは、まるでオペラのような美しく華麗な音楽を書いていることですし。
それぐらい素晴らしい曲なので、ヨーロッパではとても人気が有るそうですが、日本で演奏されることは滅多に無さそうです。

曲の構成は下記の通りです。
 1.ディキシト・ドミヌス(主は言われる)
 2.コンフィテボール(心をつくして主に感謝する)
 3.ベアートゥス・ヴィール(喜ぶ人は幸いなるかな)
 4.ラウダーナ・プエリ(主のみ名を誉め讃えよ)
 5.ラウダーナ・ドミヌム(主を誉め讃えよ)
 6.マニフィカト(我が魂は主を崇める)

壮麗で美しい合唱曲が並びますが、ソプラノによる独唱が入る第5曲「ラウダーナ・ドミヌム」の静寂に覆われた敬虔な美しさは格別で、この一曲を聴くだけでもK339を聴く価値が有ると言えるのではないでしょうか。

CDの所有盤ですが、この曲は残念ながら一つしか有りません。

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ニクラス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス、アーノルド・シェーンベルク合唱団(1986年録音/テルデック盤) 

アーノンクールのモーツァルト宗教曲全集に収録されています。ウイーン的な柔らかい演奏の好きな自分には、アーノンクールのかっちりとした演奏は必ずしも好きなタイプではありませんし、アーノルド・シェーンベルク合唱団も非常に優秀なのですが、何となく《プロっぽさ》が鼻について感じられことがあります。
けれども、この全集盤は一人の指揮者がモーツァルトの全ての宗教曲を演奏している点で非常にかけがえの無いものです。

幸い、この「ヴェスペレ」K339でのアーノンクールの演奏は、ほとんど刺激的な表現の無い常識的なもので、コーラスの上手さが鼻につくことも有りません。その分、もっと過激な演奏を好む方もおられそうです。確かに天にも上るような高揚感はここには無いかもしれません。でもまぁ、これはサンセットの祈りですし、これぐらいの落ち着き具合で丁度良いのではないでしょうか。あんまりライジング・サンのような元気さでは、夜に眠れなくなってしまいますものね。

聴きものの「ラウダーナ・ドミヌム」のソプラノ・ソロを唱っているのはイギリスのジョアン・ロジャースですが、とても美しく、敬虔さが感じられる歌唱で素晴らしいです。

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ジョアンのちょっと可愛いらしいオバちゃん顔にも惹かれますよねぇ。いやー、本当に美しい曲、美しい声、美しい・・・

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2014年3月30日 (日)

モーツァルト ミサ曲ハ長調「ミサ・ソレムニス」 K.337 名盤

Corolledo_2              コロレード大司教

ミサ曲ハ長調「ミサ・ソレムニス」 K337は、モーツァルトがザルツブルク時代に書いた最後のミサ曲です。ウイーンに移ってからはミサ曲を未完成に終わった「大ミサ曲」と「レクイエム」しか書いていませんので、この曲が、そのままモーツァルトが完成させた最後のミサ曲だということになります。

「ミサ・ソレニムス」(荘厳ミサ曲)の名の割には、演奏に30分もかからない短い曲である理由は、例のコロレード大司教の長時間のミサ嫌いにあります。コロレードは齢をとるにつれて増々長いミサが嫌いに成って行ったので、それ以前に書かれた「ミサ・プレヴィス」(小ミサ曲)と「ミサ・ソレニムス」の長さが変わらないという珍現象が起こってしまいました。これでは、モーツァルトがコロレード大司教の元から逃げ出したくなるのももっともですね。

それでもこのK337の編成は大きく、4声部の独唱と合唱、それに2部のヴァイオリン、トランペットを含む2管編成、ティンパニ、オルガンという構成です。
曲想も、さすがに「荘厳ミサ曲」の名に恥じない立派さが有り、音楽評論家でモーツァルト研究家の井上太郎氏のように「戴冠ミサ」よりも高く評価すると言う人も居るぐらいです。初めて聴いた時のインパクトは「戴冠ミサ」のほうが上でしょうが、K337には繰り返して聴くたびに愛着が増してくるような、そんな良さが有ります。

曲の構成は以下の通りです。
 1.キリエ 
 2.グローリア
 3.クレド
 4.サンクトゥス
 5.ベネディクトゥス
 6.アニュス・デイ

愛聴盤については、単独盤は所有していないので、どちらもセットものです。

Mozart_sacredmusicニクラス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス、アーノルド・シェーンベルク合唱団(1986年録音/テルデック盤) アーノンクールのモーツァルト宗教曲全集に収録されています。ソプラノをバーバラ・ボニーが歌っていますし、他の独唱陣も合唱も非常に優秀です。ただ、当たり前のことですが、いかにも「プロ」が歌っているような印象を受けるのが個人的には余り好みません。これは完全に好みの問題で、歌に何を求めるかによって評価が全く異なると思います。ここでもアーノンクールの強調されたスタッカートやダイナミクスの変化が見られますが、最近の古楽器派の超刺激的な演奏と比べれば、驚く様なものではありません。時の経過と共にいつの間にかアーノンクールも普通の演奏家に聞こえるようになったということでしょうね。

Cci00036 ペーター・ノイマン指揮コレギウム・カルトゥジアヌム、ケルン室内合唱団(1990年/ヴァージン盤) ペーター・ノイマンのモーツァルト宗教曲選集に収録されています。演奏はひとくちに言ってオーソドックスです。古楽器派でありながら、良く聴かれる刺激的なスタイルには程遠く、現代楽器派を聴いているような安心感が得られます。古楽器派には抵抗を感じるが、さりとて現代楽器の演奏には古さが感じられるという人にとって最適だと思います。ドイツ風のしっかりとした演奏ですので、ウイーン風の柔らかさを求める人には僅かな不満が感じられるかもしれませんが、と言ってこれに替わるようなウイーン風の演奏も少なくとも自分は知りません。独唱は全て大人ですが、ソプラノが少年と間違えるような清純さが有って素晴らしいです。

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2014年3月26日 (水)

モーツァルト ミサ曲ハ長調「戴冠式ミサ」 K.317 名盤

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     レオポルド2世(左)とヨーゼフ2世(右)

モーツァルトの宗教曲は、さすがにバッハほど多くないとは言え、かなりの曲数が書かれています。特にザルツブルク時代には、「教会音楽家」が仕事でしたので、好むと好まざるとにかかわらず、儀式のために曲を書かなければならなかったわけです。但し、コロレード大司教が長時間のミサを嫌ったために、時間制限から、ほぼ例外無く音楽部分を30分程度に収めなければなりませんでした。モーツァルトはそれをかなり欲求不満に感じていたようですが、書かれた曲はどれも皆、素晴らしい作品でした。

それらザルツブルク時代の宗教曲の傑作中の傑作が、ミサ曲ハ長調「戴冠式ミサ」K317です。非常に人気が高いのは、華やかな名称が付いているせいもあるでしょうが、タイトルに負けない素晴らしい内容の曲です。
この曲は、元々は復活祭のために作曲されたもので、ザルツブルク大聖堂で初演されました。のちにヨーゼフ2世(音楽の擁護者としても有名。映画「アマデウス」には絵の顔とそっくりな俳優さんが出ていましたね。)の後を継いだ弟のレオポルド2世の戴冠式の祝賀ミサに各地で演奏されたために、この名称が付いたと言われています。

モーツァルトの宗教曲の最高峰は「レクイエム」K626であり、それに次ぐのは「ミサ曲ハ短調」K427ですが、どちらもウイーン時代の未完成作品でした。完成作品としての最高峰は、この「戴冠式ミサ」K317だと言えるでしょう。

曲の構成は以下の通りです。
 1.キリエ 
 2.グローリア
 3.クレド
 4.サンクトゥス
 5.ベネディクトゥス
 6.アニュス・デイ

この曲は人気曲ですのでCDも多く出ていますが、好みの演奏としては、まず合唱に少年合唱団が使われていることです。さらにはソプラノとアルトの独唱も大人の女性歌手ではなく少年が理想的です。特に、「キリエ」のソプラノ独唱と、「アニュス・デイ」のアルト独唱はどうしてもボーイ・ソプラノで聴きたいと思います。歌唱が上手いか下手かと専門的に比較する以前に、この曲においては若々しく清純な雰囲気が感じられるのが何物にも代えがたいからです。そのことは宇野功芳先生も、昔から書かれていますが、全くもって同感です。どんなに美しい女性歌手(声がですョ)が歌ったところで、三十路を過ぎればやはりオバさまの声になります。少年の声の清純さにはどうしたって敵いません。

という点が自分の評価に大きく影響するのをお知り頂いたところで、愛聴盤をご紹介します。

Mozart40894 フェルディナント・グロスマン/ウイーン寺院管、ウイーン少年合唱団(1963年録音/フィリップス盤) 昔、宇野先生の推薦でLP盤を買ってさんざん愛聴しましたが、現在はCDで聴いています。この演奏は本当に輝かしい生命力と躍動感に溢れています。オケやコーラスに幾らか雑なところも有りますが、大らかさの感じられるウイーン少年合唱団の伸びやかな歌声は、この曲に於いてはドイツの厳格なそれよりも魅力的に感じられます。もちろん独唱も大人の女性歌手では無くボーイ・ソプラノが歌っていますが、歌唱は(少年としては)とても上手く魅力的です。「ベネディクトゥス」や「アニュス・デイ」での素朴な美しさは格別です。フィリップスによる録音も優秀で、響きがとても厚く柔らかく感じられて心地良いです。

Mozarti00023 ハンス・ギレスベルガー/ウイーン宮廷音楽教会管、ウイーン少年合唱団(1978年録音/SEON原盤、タワーレコード盤) この翌年の録音の「レクイエム」はウイーンの教会音楽の底力を見せつけた最高の演奏でしたが、それに比べると出来栄えは幾らか劣るように思います。それでも前述のグロスマン盤に肩を並べる名演です。オケ、コーラスの完成度はグロスマンを凌ぎますし、ボーイ・ソプラノによる独唱はほぼ互角です。歓喜の高揚感ではグロスマンに分が有りますが、ギレスベルガーには強い統率力によるまとまりの良さが有ります。全体的な魅力の点で、グロスマン盤と五分と五分というところです。SEONによる録音も非常に優れています。

Mozart61y7 ウーヴェ・クリスティアン・ハラー/ウイーン響、ウイーン少年合唱団(1983年録音/フィリプス盤) これもウイーン少年合唱団による演奏ですが、合唱が後ろに引っ込み過ぎた録音であるのがマイナスです。残響が多く柔らかい録音は教会的だと言えばそうなのですが、グロスマン盤やギレスベルガー盤に比べて録音バランスに悪さを感じます。演奏全体としては中々に素晴らしいと思いますが、問題はアルト・パートのボーイ・ソプラノ独唱が劣ることです。そのために、あの絶美の「アニュス・デイ」の魅力がいま一つ感じられないのが残念です。

Mozartkronungsmessedgcduccg4503 ヘルベルト・フォン・カラヤン/ウイーン・フィル、ウイーン楽友協会合唱団(1985年録音/グラモフォン盤) 実際にヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂で教皇ヨハネ・パウル二世により挙行された荘厳ミサ典礼の音楽として演奏された歴史的な録音です。カラヤンがウイーン・フイルを指揮して独唱にバトルやフルラネットの大オペラ歌手を使うといういかにもカラヤン好みの豪華な配役ですが、この演奏は余り好みません。「キリエ」などは非常に遅いテンポで引きずるようですし、全体的に重過ぎます。”壮麗で良い”という評価も見受けられますが、モーツァルトの演奏としては不似合いです。ですので、これは荘厳な大聖堂のミサの様子が見られるDVD版のほうを鑑賞しています。

Mozart_sacredmusicニクラス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス、アーノルド・シェーンベルク合唱団(1986年録音/テルデック盤) アーノンクールのモーツァルト宗教曲全集に収録されています。いつものアーノンクールの強調されたスタッカートやダイナミクスの変化が見られますが極端では無く、ほとんど抵抗感は有りません。管弦楽のアンサンブルは精緻で合唱も優秀ですが、良い意味での緩さというか柔らかさがもう少し欲しい気もします。女性歌手による独唱は端正で禁欲的な美しさが感じられて大人の歌唱としてはとても良いと思います。

Cci00036 ペーター・ノイマン指揮コレギウム・カルトゥジアヌム、ケルン室内合唱団(1990年/ヴァージン盤) ペーター・ノイマンのモーツァルト宗教曲選集に収録されています。ノイマンの演奏を好むのは、ことさら古楽器を意識して刺激的なスタイルにしようとしないことです。テンポにはゆとりが有りますし、打楽器に過剰なアクセントを付けるようなこともありません。それでいてモーツァルトの音楽の魅力を充分に味合わせてくれます。強いて言えば純ドイツ風なので、ウイーン風の柔らかさは有りませんが、これはスタイルの問題です。これも女性歌手による独唱ですが、端正で純粋な美しさが有って抵抗を感じません。独唱陣、合唱ともとても優れています。

ということで、自分のベストはグロスマン盤、そして次点がギレスベルガー盤になりますが、どちらも廃盤というのはまったくもって信じられません。

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2014年3月16日 (日)

モーツァルト ミサ曲ハ短調 K.427 名盤 ~大ミサ曲~

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モーツァルトはザルツブルク時代には宗教音楽を数多く手がけましたが、ウイーンへ移ってからはそれが極端に少なくなります。ザルツブルク時代には教会音楽作曲家としての立場からそのための音楽を多く書かなければなりませんでしたが、ウイーンではフリー音楽家に転身したので、特に依頼が無ければ書く必要が無かったからです。他人からの依頼による作品の代表作は有名な「レクイエム」ですが、反対に誰からの依頼も無いのに書こうとしたのが「ミサ曲ハ短調」です。この作品はモーツァルトの宗教曲の中で最も規模の大きな作品であるために、「大ミサ曲(Grosse Messe)」とも呼ばれます。

モーツァルトがこの曲を書き始めた動機としては、当時の父親との関係に有るというのが通説です。

モーツァルトは父レオポルドの猛反対を押し切ってコンスタンツェと結婚をしたので、それ以来二人の関係は最悪のものとなっていました。
そんな折、「後宮からの誘拐」がウィーンで大成功して、ザルツブルクでも上演されることになったため、モーツァルトはコンスタンツェを伴ってザルツブルクへ行くことになります。そこでモーツァルトは一計を企てました。大きなミサ曲を作って、そのソプラノ独唱をコンスタンツェに歌わせようとしたのです。そうすれば新妻が父親から見直されて、二人の関係が修復されると期待したのです。

ところが作曲時間が余り無いのに曲の規模をやたらとに大きくしてしまったために、モーツァルトは演奏会までに曲を完成出来ませんでした。やむなく演奏会では従来のミサ曲からの一部が使用されたそうです。

演奏の出来映え、特にコンスタンツェが果たしてこの難しい独唱をどれだけ歌えたのかは分かりませんが、父親との和解には何ら効果が見られず、完全にモーツァルトのもくろみは外れてしまいました。

その後、モーツァルトはこの曲を完成させようとはしませんでした。ウイーンではフリー音楽家でしたので、収入になる曲を優先させているうちに後回しになったのかもしれません。あるいは父親との和解が失敗に終わったので意欲を失ったのかもしれません。

曲の構成は下記の通りです。

第1曲「キリエ」
第2曲「グローリア」
第3曲「クレド」(未完成。一部補筆)
第4曲「サンクトゥス」
第5曲「ベネディクトゥス」
    「アニュス・デイ」(未着手)

第1曲「キリエ」での哀しみを湛えた厳かな表情は胸に迫りますし、8部から成る長大な第2曲「グローリア」は非常に聴き応えが有ります。そして未完成とは言え、第3曲「クレド」の第2部(「エト・インカルナトゥス・エスト」)での、コロラトゥーラによる華やかなソプラノ・パートはモーツァルトらしい霊感に溢れた素晴らしさです。本当にコンスタンツェが歌えたのでしょうか。
ただ、この力作も「アニュス・デイ」が未着手に終わったことから、第5曲「ベネディクトゥス」で終わるために、どうしても尻切れトンボの印象を残すのは止むを得ません。

このように、このミサ曲は未完成に終わりましたが、それでも演奏に50分程度はかかる長い作品ですし、もしも完成していれば1時間を優に超える大作になったのは間違いありません。それが果たしてバッハの「ロ短調ミサ曲」に匹敵したかどうかは分かりませんが、とにかく非常に惜しまれます。
とは言え、ウイーン時代の円熟した技法で書かれたこのミサ曲は、「レクイエム」に次ぐモーツァルトの宗教音楽の傑作でしょう。

ところで、モーツァルトはのちにこのミサ曲ハ短調を転用してカンタータ「悔悟(かいご)するダヴィデ」K.469という曲を書いています。これはウイーンでの慈善演奏会の為に新しく曲を作る時間が無かった為に、ミサ曲の「キリエ」と「グローリア」にイタリア語による歌詞を付けて、2曲のアリアを新たに加えるというバッハ得意の”転用術”を用いたのです。
アインシュタインなどは、この曲を「はなだしく分裂した作品だ」と酷評していますが、それは少々言い過ぎだと思います。ミサ曲ハ短調を愛する人は一度聴かれても損は無いと思います。

それでは僕の愛聴盤のご紹介です。

ミサ曲ハ短調 K.427

51mxz5danbl__sl500_aa300_ フェレンツ・フリッチャイ/ベルリン放送響(1959年録音/グラモフォン盤) 昔からこの曲の定番とされた演奏ですが、大編成による旧時代的でロマンティックな演奏です。当時最高のメンバーを揃えた歌手陣や優れた合唱の素晴らしさは圧巻ですらありますが、ソプラノの歌唱などはいささかドラマティックに過ぎるように感じられます。ただ、元からオペラのような華やかさも持ち合わせた「大ミサ曲」ですので、それほどの抵抗は感じません。録音には幾らか古めかしさを感じますが、鑑賞に問題が有るほどではありません、現在でもこの曲の代表的演奏としての価値は失われていないと思います。

519ew7qxmal ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1986年録音/カプリッチオ盤) 同じケルンライブ・シリーズの「レクイエム」の5年前の録音です。大編成ながらも過剰なロマンティックさを排除して端正さが感じられるのは良いです。ただ、オケも合唱も「レクイエム」の素晴らしさに比べると少々劣るように思います。もしかすると録音の明瞭さの不足が影響しているのかもしれません。ソプラノの歌唱は幾らかオペラティックに聞こえていて、出来栄えも今一つのように感じます。

Mozart_sacredmusicニクラス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス(1984年録音/テルデック盤) アーノンクールのモーツァルト宗教曲全集に収録されています。オケが古楽器の割にはウイーン国立歌劇場による合唱の編成は大きめに感じられます。もちろん全体的にアーノンクール調の鋭いスタッカートやダイナミクスの変化が見られますが、この曲では余り抵抗を受けません。むしろ、この大曲の肥大化を防いで、全体が引き締まった印象を受けます。ソプラノの歌唱は優秀で、決してオペラティックにならない凛とした美しさが感じられて素晴らしいです。

Cci00036 ペーター・ノイマン指揮コレギウム・カルトゥジアヌム、ケルン室内合唱団(1990年/ヴァージン盤) ペーター・ノイマンのモーツァルト宗教曲選集に収録されています。古楽器による演奏ですが、ノイマンは古楽の無味乾燥さとは無縁で、端正な音の中にロマン的な深い味わいを内包しているように感じます。テンポをむやみに速めることもなく、落ち着きを持っているのが良いです。独唱陣も合唱も非常に優秀なので、安心して音楽に身を委ねられます。古臭くも無く先鋭的でも無い、正にリファレンスにしたいような素晴らしい演奏です。

この中で一つを取るとすれば、ペーター・ノイマン盤です。もう一つとなれば、フェレンツ・フリッチャイ盤です。

これ以外では、昔懐かしいウイーンの合唱指揮者フェルディナント・グロスマンが録音したCDを持っていましたが、その頃は気に入らずに手放してしまいました。改めて聴き直してみたいのですが、レアなCDなのでもう手には入らなそうです。アレ~(涙)

カンタータ「悔悟(かいご)するダヴィデ」K.469

51rfit8heml シギスヴァルト・クイケン/ラ・プティット・バンド、オランダ室内合唱団(1985年録音/ドイツ・ハルモニア・ムンディ盤) バロック音楽の古楽器演奏で名を成したクイケンが、古典派作品の演奏にも取り組み始めたころの録音です。この曲はそもそも録音の数が少ないので、ほとんど比較のしようも無いのですが、「ミサ曲ハ短調」の幾つかの演奏と比べても非常に素晴らしい演奏です。深々とした敬虔な雰囲気がたまりません。ラ・プティット・バンドの演奏も流石に優秀です。これほどの出来栄えとなると、ミサ曲のほうの演奏が是非とも聴いてみたくなります。そのうちに録音をしてくれないものでしょうか。

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2014年3月 6日 (木)

モーツァルト 「レクイエム」 続・名盤 ~ゴースト・ライターの傑作~

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モーツァルトが死の直前まで作曲に取り組んでいて未完成に終わった「レクイエム」は、モーツァルトの家を訪れた謎の使者から匿名の依頼主のために作曲を依頼されたことは皆さんも良くご存じだと思います。

長い間、この依頼主がいったい誰なのかが謎とされていましたが、1964年になってようやく依頼主がフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という人物で、使者は恐らく伯爵の知人であるフランツ・アントン・ライトケープであったことが明らかになりました。ヴァルゼック伯爵は音楽愛好家で、当時の作曲家に匿名で曲を作らせては、それを自らの手で写譜を行って愛好家仲間たちに演奏をさせていたのだそうです。なんだか佐村河内守氏のような人ですね。佐村河内氏も”現代のベートーヴェン”などと言わずに、”現代のヴァルゼック伯爵”と称すれば良かったのです。もっとも、名声の獲得と金儲けの為に作曲偽装と障害者詐欺を働いた佐村河内氏の悪事の大きさは、単なる貴族の道楽として楽しんでいた伯爵のそれを遥かに上回っているのは言うまでも有りません。

そのヴァルゼック伯爵が、亡くなった妻の追悼のための「レクイエム」をモーツァルトに作曲させようとしたのが真相だったのです。
ですので、モーツァルトは伯爵の”ゴースト・ライター”になる契約を結んだことになります。

モーツァルトは前金として作曲料の半分を受け取っていましたが、曲が完成する前に死んでしまったので、妻のコンスタンツェは残りの半分を受け取るためにモーツァルトの弟子のジュースマイヤーに作品の完成を頼みました。自分の死期を悟っていたモーツァルトは生前、ジュースマイヤーに「レクイエム」の残りの部分の作曲のアドヴァイスを行なっていましたので曲は無事に完成されて、コンスタンツェは残金を受け取ることが出来ました。かくしてジュースマイヤーはモーツァルトの”ゴーストライター”となったのです。

そうとは知らない伯爵は、ゴースト・ライター(モーツァルト)のゴースト・ライター(ジュースマイヤー)による作品を受け取るという、ややこしい話の展開になります。もちろんこの詐欺の主犯はコンスタンツェですね。

伯爵は、この曲を自分の作品として、妻の追悼式とそれとはまた別の演奏会でも演奏をしました。ところが、コンスタンツェは楽譜の写しを持っていて、それを出版社に売り渡し、その楽譜が出版されものですから、さあ驚いて怒ったのは伯爵です。相当にもめたようですが、現代であれば中々に難しい裁判になったことでしょう。

もっともコンスタンツェが楽譜の写しを持っていなければ、この曲が無名の作者の作品として、この世から消え去る結果になっていた可能性もあります。悪妻(?)コンスタンツェの欲が我々にとって大変有り難い結果を生んだということでしょう。

それはさておき、この曲がいわくつきの未完成品であろうとも、モーツァルトが命を削って取り組んだ、自分自身の為のレクイエムの大傑作であることに違いはありません。弟子のジュースマイヤーは他にこれといった作品が残されていないことから、特に才能を持った人物ではなかったようですし、補作の部分を「霊感に乏しい」と批判されることも多いですが、彼としては一世一代の歴史に残る作業を完遂したと評価してあげて良いと思います。

この曲は「モーツァルト レクイエム 名盤」で一度記事にしていますので、今回はその続編になります。

Mozart21b5e フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ(1998年録音/GLOSSA盤) 東京芸術劇場で行われたライブ録音です。曲の間にグレゴリア聖歌が挿入されているのが特徴です。過去のヨッフム盤やラインスドルフ盤は、実際のミサでの演奏なので挿入に違和感は感じませんが、通常の演奏会では極めて珍しいです。それ自体の評価は別にしても、残響が非常に深く録音されているので、まるで教会で演奏されているように聞こえます。古楽器の端正な音と合唱が柔らかく溶け合っています。肝心の演奏も敬虔な雰囲気と充分な緊迫感が有って素晴らしいと思います。古楽器派の演奏としては、ペーター・ノイマン盤に並ぶ愛聴盤の位置を占めるようになりました。

Mozart5504 ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1991年録音/カプリッチオ盤) 楽屋裏で握手をしたときの笑顔が忘れられないベルティーニですが、この人は本当に音楽の職人だったと思います。これはケルンでのライブ録音です。大編成による演奏ですが、オーケストラも合唱も音が引き締まっていて”たるみ”を全く感じさせません。集中し切った緊迫感が凄いです。フーガの立体感なども実に見事なものです。弦楽器と管楽器の音の重なり合いも本当に美しいです。これだけセッション録音とライブ録音の出来栄えに差が無いのは凄いことだと思います。独唱陣も歌い崩しをしないので古めかしさを感じさせません。ケルン放送による録音も優秀ですし、これを大編成演奏のリファレンスとしたいぐらいです。

Mozart01dl クリスティアン・ティーレマン指揮バイエルン放送響(2006年録音/グラモフォン盤) ガスタイクのフィルハーモニーホールでのライブ録音です。大編成による演奏ですが、比較的速めのテンポで造形がきりりと引き締まっていて古典的に聞こえます。ベートーヴェンのシンフォニーでは重厚長大な演奏をするティーレマンですが、モーツァルトの宗教曲ともなると、だいぶ趣が異なります。このあたりは一世代前の指揮者との違いを感じます。合唱指揮はペーター・ダイクストラですので流石に優秀です。独唱陣も悪くありません。録音は合唱とオケが幾らか遠目に聞こえます。全体に現代楽器の演奏としては新鮮味を感じますが、死というものを目の前にするような厳粛な雰囲気はいま一つ足りないような気がします。

ということで、どれも魅力的な演奏だと思います。特にブリュッヘン盤とベルティーニ盤はこれから時々取り出しそうな気がします。但し、この曲をコンサート・ピースでは無く、あくまでも宗教曲として聴きたい場合には(というのも当たり前の話ですが)、自分にとってハンス・ギレスベルガー盤を越える演奏には中々出会えません。

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2013年11月22日 (金)

モーツァルト 「レクイエム」 ~50年前のケネディ大統領追悼ミサ~

1963年11月22日。今からちょうど50年前の今日、第35代アメリカの大統領であったジョン・F・ケネディはテキサス州ダラスのパレード中に狙撃されて亡くなりました。その時に自分は8歳でしたが、テレビから流れるニュース放送に「大変なことが起きたのだ」と思ったのを、はっきりと憶えています。

それから42年後の2005年に仕事の為にテキサス州のダラスを訪れる機会が有ったので、狙撃された現場を見に行きました。すると、昔テレビで見た通りの雰囲気のように感じました。ケネディが狙撃された地点から、犯人が狙撃を行なったビル(下の写真)を見上げることが出来ます。ビルはそのままになっていて、犯行現場の部屋(最上階の確か写真右から2番目か3番目)はその後、使用されずに当時のまま保存されているそうです。訪れたのが夜間であったので、何かとても不気味な印象を受けました。

Dallas
犯人がケネディ大統領を狙撃したビル(2005年撮影)

そして、その事件の2か月後にボストンの教会で追悼の為のミサが行われましたが、その時に演奏されたモーツァルトの「レクイエム」がCD化されています。

927エーリッヒ・ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団(1964年録音/SONY盤)

1964年1月19日に行なわれたミサの実況録音は、これまでにもレコード化されたことが有りましたが、今年の没後50年を記念してCDのリマスターが行なわれました。ボストンの聖十字架教会で行われた本当の追悼ミサであるために、開始の鐘の音や、オルガンの演奏、大司教の祈りの言葉などのカトリック典礼が、そのままに収録されています。

ミサの一環として演奏された「レクイエム」は、エーリッヒ・ラインスドルフが手兵のボストン響と合唱団を指揮して演奏しています。この時代ですので、当然ながら大編成の劇的な演奏スタイルではありますが、本当のミサ、それも国民に心から愛された大統領の為のものでしたので、演奏者やそれを包む聴衆の哀しみの雰囲気そのものがひしひしと感じられてなりません。現代は古楽器スタイルの演奏が主流になりつつある時代ですが、そのような議論の差し挟まれる余地の全く無い、一つの時代の記録です。

制約のある録音条件から、音質の状態は決して万全という訳ではありませんし、オリジナルのアナログ・テープの劣化による音揺れも何か所かに存在します。けれども、この特別な儀式の中での演奏の雰囲気を味わうには充分な音質であり、このような記録を鑑賞できる価値にはとても変えられません。

色々な意味も含めたうえで、最も胸を打つモーツァルトの「レクイエム」の演奏であることは確かです。

<追記>
下記の文章は、ブログお友達のまつやすさんから頂いたコメントです。大変貴重な内容ですので、あえて本文にも掲載をさせて頂くことにしました。

―まつやすさんからのコメント―

11月22日はケネディ大統領の命日でした。50年前私は9才、こども心にアメリカの大統領が暗殺されたニュースは私をテレビから釘付けにしてしまい、あのときのショックというか大事件は私の記憶に鮮明に残ってしまいました。なにしろ脳ミソが飛び散りそれを婦人が拾っていたあの光景、わすれることが出来ません。何度も何度もあのシーンを見て映画JFKも何度となく見て、それでもまだ足りずに本までいくつか読んでいた記憶があります。それほどこの奇怪な事件は私の心を揺さぶったことだったのです。そしてその2か月後にボストンで追悼ミサが行われたというニュースは記憶が定かではありません。しかし数年後にこの映像を見るチャンスが訪れました。先程YouTubeで探そうと試みましたがニュース映像はあったものの演奏の映像はみつかりませんでした。でも必ずあるはずです。そしてこのCD世界初発売は確か2006年日本で発売されています。アメリカにもうかれこれ30年すんでいる妹が私が日本で手にいれた後に日本版を買って持ち帰ったという経緯がありました。私はかれこれ20年以上も前に日本ではCDになっていないのでアメリカで探すように妹に頼んだところアメリカでも発売当時のレコードしかなく手に入らないということでした。今は、リマスター盤がタワーでもHMVでも買えるようです。演奏の方はそれはもう大変な名演奏でして、大統領に追悼ミサということを考えなくても素晴らしいものです。魂の演奏だからですが、この演奏終了後にカッシング枢機卿の説教があって、その内容が日本文でブックレットに掲載されています。ミサの意義、特にケネディとモーツァルト関係を述べていると書いてあります。また、ジャクリーンがラインスドルフ率いるボストン響と合唱団に素晴らしい演奏にたいしてお礼を述べて、そのため会場はなかなかひかなかったこと、そしてカッシング枢機卿がこんなにすごい人々と一緒に歌う勇気なんか僕にはないと言ったことに対し、大切なのはこころであって声ではないのですと言ったラインスドルフ。(引用)日本版のブックレットは私の宝なのです(BVVC-38391-92)
今この演奏ではない、あえて記録を聞いています。是非とももしかしたらあるのかも知れませんが映像で全体をみたいものです。とてつもなく長くなりましたがこの辺にしておきます。

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2009年6月 4日 (木)

モーツァルト ミサ・プレヴィス集 ~ハルくんのザルツブルクへの旅~

さて、フーテンのハルくんのオーストリアの旅ですが、このままリンツでブルックナーを聴き続けようかどうしようか迷いましたが、結局は西への車窓の旅を選択しました。到着したのはザルツブルクです。実はハルくん、この街には3年前に一度訪れていますので、この記事は実話に基づきます。
(写真はクリックしてもらうと大きくなります)

P1000718_2 
モーツァルトの生れた街として有名なザルツブルクですが、夏に開催される音楽祭もまた余りに有名ですね。街中を挙げて、というよりは国を挙げて盛り上がりますので、それこそ世界中から大勢の音楽ファンが集まって来ます。ですがハルくんの訪れたのは晩秋でしたので、そんな盛り上がりは見られませんでした。ザルツブルク駅から地図を見ながら歩いて30分ぐらいでしょうか、街の真ん中を流れるザルツァッハ川の向こう側に旧市街が見えてきます。モーツァルトが生れたのはこの旧市街です。そしてこの旧市街は街ごとユネスコの世界遺産に登録されています。

P1000689

街の中に入ってみるとあらゆる建物が昔の姿のまま保存されているのですが、まあ何というかまるで「おとぎの国」なのです。有名な観光地だけあって、この時は音楽祭でもクリスマス市でも無いのに通りは相当な数の観光客が歩いていました。市場には多くの屋台が並んでいましたので、ハルくんは地元の食べ物とビールをたらふく味わってすっかりご機嫌となりました。

P1000692

街のほぼ中心部にモーツァルトの生家が有ります。黄色の建物で壁に「Mozarts Geburtshaus」と書いて有りますが、もちろん住んでいたときには書かれてなかったのでしょうね。建物の中はそのまま博物館になっていて彼が使ったピアノや楽器、一家の家具なんかを見ることが出来ます。おまけにカフェまであるので、甘いものにも目が無いハルくんはここでザッハトルテとウインナカフェを頂きました。なかなか美味しかったです。

P1000684

それから訪れたのはザルツブルク大聖堂(Dom zu SALZBURG)です。ロココ調の美しい建物で、中に入りじっくりと周りの装飾を眺めていると時の経つのも忘れます。そして生れて間もないモーツァルトがここで洗礼を受けたのかと思うと正に感無量です。モーツァルト・ファンがこの街を訪れたらここだけは絶対に外せないですよ。

大聖堂の他には聖ペーター寺院もありますし、モーツァルトはこの街での少年時代に多くの宗教曲を書きました。それはバッハと同じように教会の式典やミサの為に書いたものです。決してコンサート用に書かれたものでは無いのですよ。この時代の作品でハルくんが特に好きなのは、全部で8曲のミサ・プレヴィスです。ミサ・プレヴィスというのは「小さなミサ曲」という意味で、教会の少年合唱団がごく小さな編成の伴奏で歌っていたのです。ですので、このような曲は純真素朴な少年合唱が歌わないと絶対に雰囲気が出ません。たとえばアーノンクールがモーツァルトの宗教曲全集でプロの合唱団を指揮して録音していますが、どんなに合唱が上手くても素朴さに欠けるので僕の好みとは幾らか異なります。

全8曲は作品順に以下の通りです。

ト長調K49
ニ短調K65
ヘ長調K192
ニ長調K194
ハ長調「雀のミサ」K220
ハ長調「シュパウル・ミサ」K258
ハ長調「オルガン・ソロのミサ」K259
変ロ長調K275

そして、愛聴盤のご紹介です。

Cci00041 ラインハルト・カムラー指揮アウグスブルク大聖堂少年合唱団聖歌隊(1990年録音/ハルモニアムンディ盤) モーツァルトの父、レオポルドの生れた街アウグスブルクはミュンヘンのすぐ隣りの町ですが、その少年合唱団が素晴らしい歌声を聞かせてくれます。本当に教会で聴いているような素朴な合唱に感動します。やっぱりこうでなくてはね。ミサ・プレヴィス集のCDは意外に少ないので、このような全8曲の素晴らしい録音が残されたことを心から歓びたいと思います。中ではK220の「雀のミサ」が良く知られていますが、自分はむしろ最後の変ロ長調K275を好んでいます。清らかなボーイ・ソプラノが何という素晴らしさなのでしょうか!

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2008年11月28日 (金)

モーツァルト 「レクイエム」ニ短調K.626 名盤 

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一週間後の12月5日はウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの命日です。それにしても、天才モーツァルトの残した多くの作品ほど世界中で演奏されている音楽は無いでしょうね。なんでも彼の作品に、もしも著作権が残っていたとしたら、それだけで小さな国がひとつ買えてしまうのだとか。小室哲哉氏が聞いたらなんと羨ましく思うことでしょうか。(^^)

僕はこれまでモーツァルトの命日に「レクイエム」をことさら厳かに聴いてきたというわけではありませんが、今後自分に残された人生で、彼の命日にこの曲を聴いてみるというのも悪くないかな、という気がしてきました。

僕のかつての職場の上役に、熱烈なモーツァルト・ファンが居ました。その人は病気の為に定年の前に亡くなってしまったのですが、生前に「自分の葬儀にはレクイエムを流して”モーツァルト葬”にしてほしい」と言っていたそうです。ですので、残された奥様は本人の希望の通りにしました。ご主人はきっと喜んだことでしょう。でも、僕の葬儀の時には何でも構わないので、生きているうちにせいぜいこの曲を聴いておきたいと思います。

モーツァルトの「レクイエム」には、現在では様々な版が存在しています。但し、僕は正直言って、版の違いには余りこだわりません。理由として、結局のところはどれをとってもモーツァルト本人の完成作品では無いからです。もちろん、ジュースマイア版にケチをつけるのは学者やファンの自由ですが、モーツァルトが死の床に在り、作品の完成を託した人物の偉業(とあえて言いたいです。彼が補作を諦めていたら、これほど演奏されるようにはなり得なかったからです。)は、到底無視できるはずはありません。ましてや、あの「ラクリモーサ(涙の日」を更に補作するなどというのは余計なことではないでしょうか。モーツァルト自身がジュースマイアに「この曲はこのまま手をつけなくて良い」と指示した可能性も充分考えられると思います。

演奏も最近では古楽器による演奏が増えましたが、現代楽器と古楽器には、それぞれの良さが有ると思いますし、余り決めつけをしたくはありません。

数多くあるこの曲のCDを、それほど沢山聴いたわけではありませんが、心に残る演奏は幾つも有りますし、最近でも非常に素晴らしいものを知りましたので、是非ここでご紹介させて頂きたいと思います。

Cci00035 オイゲン・ヨッフム指揮ウイーン交響楽団(1955年/グラモフォン盤) これは記念碑的な演奏です。生誕200年の年にモーツァルトゆかりのウイーン・ステファン大聖堂において彼の命日に行われたミサがそのまま収録されています。当然、会場の雰囲気には厳かでただならぬものが有りますし、演奏も非常に感動的です。ただ、ミサという割には独唱(特にソプラノのゼーフリート)がオペラティックな歌い方なのが気になります。我慢して聴いていれば徐々に気にはならなくなりますし、当時のスタイルとしては仕方が無いところでしょうか。録音も当時のライブとしては良好だと言えます。

953 ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1956年/オルフェオ盤) ワルターの「モツレク」には数種類の録音が有り、ニューヨーク・フィルとのCBS盤や、ウイーン・フィルとのものでは先にリリースされた同じ年の演奏がSONYから出ていますが、僕はこのオルフェオ盤を一番好んでいます。オケ、合唱、独唱ともに比較的欠点が少ないですし、演奏の感動が最も伝わってくるように思います。但し、やはりアルトがオペラティックな歌い方で少々古さを感じてしまいます。録音は並みというレベルです。

Cci00037 カール・シューリヒト指揮ウイーン・フィル(1962年/Tresor盤) これもステファン大聖堂で行われたライブです。ワルターが登場すればシューリヒトを出さない訳には行きません。モーツァルトの演奏にかけてはこの二人は特別な存在だからです。演奏スタイルはロマンティックですが、ヨッフムやワルターのように粘り気はありません。ずっと爽やかな印象です。この辺りはシューリヒトならではというところです。聴くたびに魅力が増してくる不思議な演奏だと言えます。独唱の歌い方が古めかしいのはこの時代では仕方ありません。

Cci00038 カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団(1961年/テルデック盤) リヒターは「マタイ受難曲」や「ロ短調ミサ」のように遅いテンポでのロマンティックな演奏も有りますし、逆にあの時代にしては早めのテンポできりりと引き締まった演奏も有りますが、これは後者のスタイルです。正に襟を正して聴きたくなるような厳かな演奏です。合唱の彫りの深さと仰ぎ見るような立体感は流石リヒターだと思います。現在でも余り古さを感じさせない名演奏だと僕は思っています。

713 カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1971年/グラモフォン盤) 僕が初めて買った「モツレク」のレコード(LP盤)でした。当時はもちろん最新盤でしたが、時の過ぎるのは早いもので、最近ではすっかり古楽演奏派に押されてしまい、「もはや古いスタイル」と言われています。ですが、古くて何がいけないのでしょう。これほど感動的な演奏を前にして、演奏スタイルがどうのこうのと言う方がおかしいと思います。確かにテンポは相当に遅いですが、その分スケールの大きい非常に立派な演奏であり、時代を超えた普遍性を感じます。決して古臭いとは思いません。ベームのこの余りに美しく悲しい「涙の日」を聴く時には、僕はとても平常心では居られなくなるのです。

Cci00023 ハンス・ギレスベルガー指揮ウイーン宮廷音楽教会管弦楽団&合唱団(1979年/タワーレコード盤) この指揮者の名前をご存知でしょうか?ウイーンの合唱界では有名な人です。一見聞いたことも無いような団体ですが、ウイーン・フィルの団員と国立歌劇場合唱団が特別参加しています。この演奏は、オーストリアの名門SEONレーベルがウイーンの音楽界の総力を挙げて録音に臨んだものなのです。最初の「キリエ」からして厳粛な雰囲気が違いますし、合唱には非常に厚みが有ります。どんどん立体的に重なり合ってくる様は正に圧巻です。そして何より素晴らしいのは、いかにも大聖堂で教会合唱団を聴いているような厳かで敬虔な響きであることです。ソプラノとアルトはウイーン少年合唱団。しかもソロパートまでを少年が歌っているのですが、これが信じられないほど上手いのです。この純粋無垢な歌声を聴いてしまったら、大人の歌手には”あざとさ”が感じられてしまい、とても聞けなくなるほどです。オーケストラの管楽パートも滅法上手いのですが、実はトップ奏者は皆ウイーン・フィルの団員なのです。これは当たり前ですね。この演奏がぬるま湯の教会的演奏などと思ったら大違いです。「怒りの日」などの切れ味と緊迫感は凄いです。この時代にこれほど正統的かつ新鮮な演奏をしていたギレスベルガーには本当に驚きます。この演奏はペンギン・ガイドでも推薦されていましたので、世界では高い評価を受けていた何よりの証明です。嬉しいことに、このCDには「戴冠式ミサ」も収められています。「レクイエム」の名演と比べると劣りますが、それでもフィリップスの同じウイーンのクリスチャン・ハラー盤よりも上だと思います。録音も優秀ですし、タワーレコードの廉価盤として出ているので太鼓判のお薦めです。

Mozart_sacredmusic ニクラス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス(1981年録音/テルデック盤) モーツァルトで古楽器演奏は取り立てて好きということはありません。但し、かつての巨匠指揮者達による演奏はロマンティックに過ぎて大時代的感じることも事実です。アーノンクールはこの曲をAシェーンベルク合唱団と再録音しましたが、僕が持っているのはテルデックに残した宗教曲全集への旧盤です。この曲での合唱はウイーン国立歌劇場です。演奏はかつてのアーノンクール調で、切り裂くようなスタッカートや極端なダイナミクスの変化が刺激的です。好きでは有りませんが、確かに新鮮です。

Cci00036 ペーター・ノイマン指揮ケルン室内合唱団(1990年/ヴァージン盤) これも古楽器による演奏です。ペーター・ノイマンは宗教合唱曲のスペシャリストであるだけにやはり素晴らしいです。前述のギレスベルガーやこのノイマンの演奏を聴いていると、所謂「巨匠指揮者」の演奏がどんなに感動的であっても、宗教曲の場合にはその専門家と合唱団が歌う方がやはり本物のように思えてきます。同じ古楽器派でもアーノンクールと比べると、ずっと表現が自然で抵抗感も無く、虚飾を排した端正で引き締まった演奏です。透明感のある合唱や独唱の美しさも印象的です。

というわけで、魅力ある演奏は幾つも有りますが、ハンス・ギレスベルガー盤こそは隠れたる超名演であり、現在の僕の一番の愛聴盤です。廃盤になってしまわないうちに是非お聴きになられてください。

<補足>ギレスベルガー盤は既に廃盤になりましたが、Amazonの日本、イギリス、アメリカで「Hans Gillesberger Requiem」で検索を掛けるとRCA盤が比較的安価で見つかると思います。ご参考までに。

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