
皆様、明けましておめでとうございます。1年が経つのは本当に早いものです。どんどん時間が過ぎてゆくのは逃げようの無いことですが、せめて日々流されることなく自分の出来ることを精一杯してゆきたいものだと思います。
堅い話はここまでにして、このブログで今年は何をしたいかなぁと考えてみました。昨年はブルックナーとマーラーの二本立て特集とベートーヴェンのシンフォニー特集をしました。そこで今年のこのブログの抱負です。
まずは今までほとんど触れていないモーツァルトの特集をしたいと思います。シンフォニーとピアノ協奏曲を。ベートーヴェンは弦楽四重奏をぜひやりたいです。それにブラームスのシンフォニーも。これは意外なことに今まで一曲毎にはちゃんとやっていませんでした。バッハの三大宗教曲もやりたいです。これらの合間に、名曲シリーズ、旬の季節シリーズ、ご当地シリーズなど、なんだか良く分かりませんがやってみたいです。そうそう、それにオールドロックシリーズもです。
というわけで新年の抱負を立てようと思っていたのですが、まるで収拾がつかなくなりました。でも目標としては大体そんな内容です。
でも新年はやはり相応しい曲でスタートしたいところです。一昨年はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でしたので、今年はピアノ協奏曲の「皇帝」にします。ヴァイオリン協奏曲もそうですが、ベートーヴェンはこういう雄渾な音楽を書かせたら正に最高ですね。立ちはだかる困難にも勇気を持って挑戦すれば必ず打ち勝てる!というような、強い意志の力を音楽に感じます。堂々とした威容は曲のタイトルそのものです。僕としてはピアノ協奏曲の「王様」と言えばブラームスの第2番を上げます。(さしづめ”王様の影武者”は第1番でしょうね) となると「女王」はチャイコフスキーだと思いますが、「皇帝」という名前はやはりこの曲にしか考えられません。第1楽章の雄渾さ、第2楽章の深い祈りの境地、第3楽章の生命力の爆発。本当に素晴らしい名曲ですね。
それでは僕の愛聴盤を順にご紹介してゆきます。
ウイルヘルム・バックハウス独奏、シュミット=イッセルシュテット指揮ウイーン・フィル(1959年録音/DECCA盤) 学生時代に全集をLP盤で買って何度も聴きかえした演奏です。とにかくバックハウスの弾くベーゼンドルファーの音は柔らかく美しいです。このウイーンの名器と50年代のウイーン・フィルの柔らかい音とが溶け合った響きはそれだけで最高です。バックハウスの堅実な演奏は人によっては物足りなく感じるかもしれませんが、一見地味なようでいて実はこの上なく意味深い演奏から味わうことのできる至福を是非とも感じ取って頂けたらと思います。Sイッセルシュテットもウイーン・フィルの美感を充分に生かした素晴らしい指揮ぶりです。
ウイルヘルム・バックハウス独奏、ショルティ指揮ケルン放送響(1956年録音/medici盤) バックハウスはモノラル期の、クレメンス・クラウス/ウイーン・フィルとのスタジオ録音も有りますが、これはケルンでのライブ録音です。若いショルティがエネルギッシュな伴奏を付けています。バックハウスもライブらしく熱い演奏ですが、完成度の高いステレオ盤を超える存在ではありません。ケルン放送の録音はモノラルで、年代を考えれば優秀ですが、ステレオ録音のような柔らかいベーゼンドルファーの響きを期待することはできません。
ウイルヘルム・バックハウス独奏、シューリヒト指揮スイス・イタリア放送響(1961年録音/ERMITAGE盤) スイスのルガノでのライブ録音です。この時バックハウスは既に77歳ですが絶好調で、流れる様に安定したタッチで気迫を持って弾き切っています。その点では’59年のDECCA盤以上です。モノラル録音でピアノの音質はショルティ盤とほぼ同じレベルですが、オケの音はむしろショルティ盤のほうが明晰です。けれども指揮の格はシューリヒトのほうが遥かに上ですし、ローカルオケを自在に操る手腕はさすがです。バックハウスの演奏を考えても、ニ種のライブではこちらの方を上にしたいです。
エドウィン・フィッシャー独奏、フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管(1951年録音/EMI盤) 古くから知られた演奏で、僕もLP時代から聴いています。フィッシャーはテクニック的には幾らか危ないところも有りますが、昔のピアニストらしい大らかな良さが有ります。フルトヴェングラーはシンフォニーで聴かせるほどの凄さは感じませんが、雄渾でスケール大きくソリストのフィッシャーをサポートします。決して独りよがりには成りません。オケに関しては当然ながらウイーン・フィルだったらもう少し味が増したことでしょうが、現代のCGグラフィックスのような演奏と比べると、いかにも人間の手による筆書のような魅力を感じます。モノラル録音で音質は時代相応ですが聴き易いです。
ワルター・ギーゼキング独奏、カラヤン指揮フィルハーモニア管(1951年録音/EMI盤) 同じ年にEMIがドイツの巨匠の「皇帝」をそれぞれフルトヴェングラーとカラヤンと組ませて録音したのは面白いですが、こちらのギーゼキング盤は何となく忘れ去られていて、これはカラヤンのボックスセットに含まれています。両者の演奏に関してはテンポの変化やルバートをほとんど行わないギーゼキングとカラヤンのスタイルはマッチしています。フィッシャー盤と比べれば、ずっとモダンな演奏に感じます。ピアノの技巧もギーゼキングがやや上回ります。もちろんモノラル録音ですが、残念なことにデジタルリマスターが高音強調型で音のざらつきが気に成ります。明瞭さではフィッシャー盤と五十歩、百歩というところですが、ピアノの音像が幾らか引っ込んでいるのはマイナスです。
ウラディミール・ホロヴィッツ独奏、ライナー指揮RCAビクター響(1952年録音/RCA盤) ホロヴィッツ唯一の「皇帝」がセッション録音で残されています。奇をてらうことは全く無く、予想以上にオーソドックスなピアノを弾いています。しかしタッチの素晴らしさはやはりこの人で、一音一音に粒立ちの良さと輝きを感じます。堂々とした力強さも王者の貫禄です。ライナーもこのセッション楽団を完璧に統率して、キリリと引き締まった理想的な伴奏ぶりです。また1楽章、3楽章の充実とは別に、2楽章の美しさが印象深いです。音質はモノラルながらもフィッシャー盤と同等以上で中々に良好です。
ロベール・カサドシュ独奏、ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(1955年録音/SONY盤) 珍しい組み合わせの様ですが、ミトロプーロスはカサドシュがお気に入りの様で度々共演をしています。カサドシュはモーツァルト弾きのイメージが強いですが、実はベートーヴェンも得意としていました。これはニューヨーク・フィルの欧州ツアーの際にパリのシャンゼリゼ劇場で行ったコンサートのライブ録音です。1楽章の明晰なフレージングで推進力に溢れた明るく地中海的な演奏が印象的です。2楽章は崇高というよりも美感が強く感じられます。3楽章は意外に大きく広がりのある演奏です。モノラル録音でマスタリングがやや高域がきつく感じられますが全体は明瞭です。
ロベール・カサドシュ独奏、ミトロプーロス指揮ウイーン・フィル(1957年録音/audite盤) これはスイスのルツェルン音楽祭でのライブ録音です。CDの写真はハスキルですが、ソリストは正真正銘カサドシュです。2年前のパリのライブでは1楽章を一気呵成に邁進していたのに対して、こちらでは勇壮かつ自在性を感じます。これはオーケストラの違いが演奏に出たのでしょう。2楽章でも美感よりも崇高さを感じるという正反対の印象です。3楽章はほぼ同格の出来栄えと思います。録音はモノラルで、明晰なパリ・ライブにくらべると音が柔らかいのでオーケストラにはぴったりですが、ピアノの音は幾らかくすみがちに聞こえます。
ハンス・リヒター=ハーザー独奏、ケルテス指揮フィルハーモニア管(1960年録音/EMI盤) 真にドイツ的なピアニストとして知られたリヒター=ハーザーはベートーヴェンの協奏曲の録音を3番から5番までEMIに残しました。EMIが余り積極的にプロモートしていないのは残念ですが、こうしてソナタ集とのボックスがリリースされているのは幸いです。徴兵されて一度は錆びついたと自ら称したテクニックもここでは申し分ないほど輝いていますが、音楽の堂々と立派なことではバックハウス以上とさえ言えそうです。ケルテスの指揮もドイツスタイルを意識して厳格に拍を強調していて大変に見事です。これほどの名演が埋もれてしまっては惜しいですが、英TESTAMENTから4番/5番のリマスター盤が単独でも出ていますので是非お薦めです。
ヴィルヘルム・ケンプ独奏、ライトナー指揮ベルリン・フィル(1961年録音/グラモフォン盤) ドイツの巨匠の中では一番「優しさ」の印象を受けるケンプですが、この曲でも「豪快さ」とは無縁の演奏スタイルです。フォルテでも決して力こぶを入れたりはしませんが、では物足りないかと言えばそんなことは有りません。フレージングなどどこをとってもこの上なく音楽的で唸らされます。ともすると力づくの演奏になりがちなこの曲で自然体にしてこれだけ聴き応えを感じる演奏は稀です。ライトナーの指揮もベルリン・フィルから必要にして十分な厚く美しい響きを引き出していて素晴らしいです。両者の共演は何度聴いても飽きの来ない熟達の業に他なりません。録音も優れています。
ルドルフ・ゼルキン独奏、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1962年録音/SONY盤) ゼルキンは若くしてドイツの大ヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュのパートナー・ピアニストに抜擢されましたが、その実力はワルター/ニューヨーク・フィルと1941年に録音した「皇帝」を聴けばその実力の程が解ります。速いテンポでの躍動感が凄いのです。それから約20年後のバーンスタインとのこの録音も負けず劣らず生命力の迸る演奏ですが、それでいてドイツ的な堅牢さを持ち合わせる辺りは稀有の存在です。ピアノタッチも極めて男性的ですが決して雑にはならず、細部にニュアンスが通っているのが素晴らしいです。オケの音色は少々明る過ぎますし、バーンスタインはかなり前のめりにオケを煽っていますが、変に落ち着いた演奏よりはずっと良いと思います。
グレン・グールド独奏、ストコフスキー指揮アメリカ響(1966年録音/CBS盤) グールドがストコフスキーと共演するという興味深い録音ですが、期待に違わず楽しい演奏です。全体的にテンポは遅めですが、特別遅いというほどではありません。堂々たるオーケストラをバックにグールドは即興的な感覚を端々に見せながら個性豊かなピアノを聴かせます。そこには神経質に研ぎ澄まされたというより思い切りの良い大胆さを強く感じます。二楽章でのゆったりとした深い祈りも印象的です。オーケストラの音色はどうしても明るめでアメリカ的ですが、大きなマイナスには感じません。
ダニエル・バレンボイム独奏、クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管(1967年録音/EMI盤) デビュー間もない若きバレンボイムが老クレンペラーのバックで録音した全集からです。冒頭をバレンボイムは流麗に弾き切ります。ところがオーケストラの主題が始まると、クレンペラーの遅めのテンポが主導権を握り、バレンボイムは仕方なしにそれに合わせるという風情に変わります。曲が進むほどにクレンペラーはどっしりと音にタメを作り自分のペースに持ち込みます。こうなってはバレンボイムは為すすべが有りません。後半はさながら巨人の音楽です。第2楽章も遅めですが以外と深みに不足するような気がします。第3楽章もテンポは遅いですが、バレンボイムはツボを会得したのかクレンペラーと呼吸を合わせて堂々と弾いています。というユニークな演奏ですが面白さは格別です。EMIの録音はパッとしませんが、この演奏は一聴の価値が有ります。
エミール・ギレリス独奏、セル指揮クリーヴランド管(1968年録音/EMI盤) 現役当時は”鋼鉄の音”などと称されたギレリスでしたが、古典派を演奏すると案外端正な音を奏でます。この演奏もここぞという箇所では”鋼鉄”の片りんを見せますが、全体的にはベートーヴェンにふさわしい美しいピアノを聴かせてくれます。セルのカッチリとした造形との相性も良く、非常に美しく整った演奏です。第2楽章も弱音が夢のような美しさです。クリーヴランド管の響きはヨーロッパの団体のような柔らかさは有りませんが、肥大化し過ぎないあくまでも古典派の枠組に留まる音に好感が持てます。
フリードリッヒ・グルダ独奏、シュタイン指揮ウイーン・フィル(1970年録音/DECCA盤) バックハウスと比べると皇帝が20歳は若返ったような印象です。グルダのピアノは切れ良く軽快ですが、適度のタメも有り聴き応えがあります。ホルスト・シュタインの指揮にはドイツ的な堅牢さを感じますし、ウイーン・フィルもSイッセルシュテットの時のような柔らかさは有りませんが、録音の良さと相まって美しさと造形性のバランスが見事です。1楽章は勇壮さと切迫感が両立して素晴らしく、2楽章は美しく深みが有ります。3楽章でも躍動感と重みが両立しています。ピアノ、指揮、オケの音色、演奏の若々しさと立派さの全てが高次元でバランスのとれた素晴らしい演奏です。
ハンス・リヒター=ハーザー独奏、ケーゲル指揮ライプチヒ放送響(1971年録音/WEITBLICK盤) リヒター=ハーザーのベートーヴェンはどれもが純正ドイツ的と呼べるもので素晴らしいです。EMIの’60年録音も優れていますし、ザンデルリンクとの’80年のライブ録音は最高でした。しかしこのライプチヒでのライブもまた非常に優れていて存在価値が有ります。’80年の立派さや貫禄と比べると、もう少し自在さを感じます。ピアノのタッチの堅牢さと柔らかな音色には相変わらず惹きつけられます。ケーゲルと放送響の演奏にも不満は有りません。録音も優れていますし、何よりこの人の数少ないライブ録音ですので貴重です。
クリストフ・エッシェンバッハ独奏、小澤指揮ボストン響(1973年録音/グラモフォン盤) エッシェンバッハがピアニストとして脚光を浴びていた時代の録音で、小澤と共に30代の演奏です。速めのテンポの第1楽章では若々しさが魅力である反面、小澤の指揮が腰軽で勇壮感に欠けける印象です。第2楽章では一転して遅く深い抒情感を与えていますが、これはエッシェンバッハによるものと思います。終楽章では跳ねるようなリズムが躍動感を生み聴いていて心が躍ります。
アルトゥール・ルービンシュタイン独奏、バレンボイム指揮ロンドン・フィル(1976年録音/RCA盤) ルービンシュタインがなんと88歳の時の演奏です。ピアノのタッチが非常にしっかりしているのには驚かされます。テンポが極めて遅いので、雄大さを感じる反面、少々もたつきも感じます。バレンボイムも懸命に合わせてはいますが、遅いテンポにもたない部分も有ります。かつてバレンボイムはピアノを弾いてはクレンペラーの遅さに合わせざるを得ず、指揮をしてはルービンシュタインの遅さに合わせざるを得ずと、この曲に関しては気の毒な人でした。とはいえ、この風格に対抗できる演奏は中々無いんじゃないでしょうか。第3楽章の巨大さも凄いです。
マウリツィオ・ポリーニ独奏、ベーム指揮ウイーン・フィル(1976年録音/グラモフォン盤) ポリーニがまだ30代前半の演奏です。当時のベームと共演したときの映像を観ると、ポリーニはまるで飼い主の命令をきく忠犬のような顔つきをしていたのが忘れられません。それはともかく、このベームとウイーン・フィルの分厚く立派な響きは素晴らしいです。リズムを堂々と踏みしめながらも推進力を持って高揚感を感じさせるのは正に至芸です。その伴奏に支えられたポリーニのピアノも生真面目でやや堅苦しいものの立派です。この人がこれだけのベートーヴェンを弾くのはやはりベームの影響によるものだと思います。
ルドルフ・ゼルキン独奏、クーベリック指揮バイエルン放送響(1977年録音/オルフェオ盤) ゼルキン74歳の時のミュンヘンでのライブ演奏です。この人はドイツものの最高の演奏家の一人だと思いますし、ベートーヴェンのソナタの多くも僕はバックハウスの次に好きかもしれません。男性的なタッチもまだまだ健在です。1楽章からゼルキンもクーベリックもかなりの気合が入っているので、結構テンポは速めです。2楽章では厳しさの中に深い美しさをたたえています。3楽章は勢いとゆとりが共存する腹芸のような演奏です。即興的と言えないこともありません。録音も秀れています。
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ独奏、ジュリーニ指揮ウイーン響(1979年録音/グラモフォン盤) これはウイーンでのライヴ録音です。ミケランジェリのライヴ正規盤は珍しく貴重です。クリスタルガラスのように澄み切って美しい響きのピアノがオーケストラの柔らかい音に乗って、非常に気品のある美感を感じさせます。特に第2楽章の美しさたるや尋常ではありません。終楽章も迫力一辺倒ではなく、そこに何ともいえぬ気品を感じます。ドイツ系の奏者の、ともすると厳ついベートヴェン演奏とは相当に味わいの異なる演奏ですが、聴き応えは充分です。ジュリーニの指揮も美しく大変立派です。
ユーリ・エゴロフ独奏、サヴァリッシュ指揮フィルハーモニア管(1982年録音/EMI盤) ロシア生まれのエゴロフは余り広く知られてはいませんが、旧ソ連から西側に亡命して自らがゲイであることを告白し、若干33歳でエイズのために亡くなったピアニストです。コンクールでは何故か優勝出来ませんでしたが、ニューヨーク・デビューでセンセーショナルな成功を収め、その後に幾つか行われた録音の一つがこれです。正に真珠を転がすような繊細で美しい音に魅了されます。サヴァリッシュの伴奏で堂々と繰り広げる演奏は明らかに天才です。EMIの録音のせいかオーケストラの音色に色彩感が無いのが残念ですが、これは隠れた名盤の一つと呼べます。
ウラジーミル・アシュケナージ独奏、メータ指揮ウイーン・フィル(1983年録音/DECCA盤) 元祖”真珠を転がすような美音”のアシュケナージの再録音盤です。旧盤ではショルティの指揮が力まかせでマイナスでしたが、メータとの相性は良いです。堂々としたテンポ運びであり、ウイーン・フィルの美しく、かつ厚い音も非常に心地良いです。アシュケナージのピアノが良くも悪くもクセが余りに無さ過ぎるのが個人的にはやや物足りなさを感じますが、これだけピアノもオケも美しく立派な演奏は中々有りません。
クラウディオ・アラウ独奏、ディヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1984年録音/フィリップス盤) この演奏の最大の魅力はSKドレスデンの響きです。芯が有るのに柔らかく厚い音はなんとも魅力的です。アラウはこの時81歳なので、ピアノに切れの良さは望むべくも有りません。ひたすら誠実に弾くのみです。能役者の演技のように動きがゆっくりでメリハリが弱いので、1楽章や3楽章ではやや退屈に感じますが、2楽章の淡々とした歩みと味わいは素晴らしいです。
クリスティアン・ツィマーマン独奏、バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1989年録音/グラモフォン盤) ウイーンでのライヴ録音です。ライオンのようなアゴひげを生やしたツィマーマンはまさに「若き鍵盤の獅子王」です。伸びのある艶やかな美しい音で繊細さと力強さの両方を兼ね備えて非常に素晴らしいです。全く堅苦しくない新鮮な皇帝という印象です。バーンスタインの指揮は第1楽章の速い部分で幾らか前のめり気味で腰が据わらないのが気になります。けれども堂々とした部分では威厳が有りますし、3楽章も非常に立派です。
マウリツィオ・ポリーニ独奏、アバド/べリリン・フィル(1993年録音/グラモフォン盤) ポリーニのベームとの旧盤から17年ぶりの再録音盤はアバドとの全曲チクルスのライブ収録です。旧盤ではやや真面目過ぎる印象が有りましたが、こちらは実演ならではのライブ感が有ります。相変わらずのテクニックはもちろんですが、豪放なぐらい力強さが有り、最もポリーニ向きなベートーヴェンはやはり「皇帝」です。反面アバドの指揮はレガート強調気味なのが気になり、2楽章での敬虔さも今一つです。フォルテを轟かせるベルリン・フィルの音は確かに迫力は有りますが余り威厳を感じさせません。旧盤とどちらを選ぶかと聞かれれば、指揮者の格の違いで迷わずベームとの旧盤です。
アンドラ―シュ・シフ独奏、ハイティンク指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1996年録音/TELDEC盤) 元々端正な演奏スタイルのシフですが、ここでもロマン的に肥大化したベートーヴェン像を排しています。しかしこれが例えばフォルテピアノのような演奏かと言われれば決してそんなことはなく、シフが語るようにあくまでも明確にロマン派への道程にあるベートーヴェン演奏です。ハイティンクの指揮もSKドレスデンの古典的なリズム感と音色を生かしていてピアノと見事に調和させています。1楽章、3楽章は非常にキリリとして新鮮ですが、2楽章では遅めのテンポで深い祈りを聴かせます。これは初めて聴いたときの印象よりも、聴きかえす度に魅力が増してくるような優れた演奏だと思います。
アルフレッド・ブレンデル独奏、ラトル指揮ウイーン・フィル(1998年録音/フィリップス盤) ブレンデルの三度目の全集盤に収められていますが、1枚物でも出ています。ラトルとは意外な組み合わせですが、これが実に素晴らしい結果を生みました。ブレンデルの音は真珠のような光沢はありませんが充分に美しく、かつ神経質過ぎずに力強さも有るところがベートーベンに向いています。ラトルはウイーン・フィルに余り歌わせて弾かせず、古楽器演奏に通じるような端正な音色を出させています。それでいてホルンやティンパニには鋭く切れの有る音を要求しているのが新鮮で聴き応えが非常に有ります。これは新時代の名盤として真っ先に上げたいです。
それにしても、この名曲の演奏は正に百花繚乱です。ただ上記以外に色々と聴いてはみましたが、それほど強く心に残る演奏には出会えていません。残念なのはここにリヒテルの演奏が無いことです。とても曲に向いていると思うのですが録音は残されていません。
ということでマイ・フェイヴァリット盤ですが、正直どの演奏も魅力的です。それでもたった1枚選ぶとすれば、やはりバックハウス/S.イッセルシュテット盤です。ピアノとオーケストラの溶け合いが最高だからです。次いでは真にドイツ的なリヒター=ハーザー/ケルテス盤およびケーゲル盤を上げたいところですが、この人には更に上を行く’80年録音のザンデルリンクとのライブ盤(関連記事参照)が有りますので、ここはオーケストラ・パートが最高に素晴らしいポリーニ/べーム盤、それと新時代の名盤としてブレンデル/ラトル盤を上げたいと思います。
更に続けるとすれば、熟達の業のケンプ/ライトナー盤、実に楽しく何度聴いても飽きないグールド/ストコフスキー盤、あらゆる点でバランスの良いグルダ/シュタイン盤、新鮮なツィマーマン/バーンスタイン盤、ピアノの美しい魅力でミケランジェリ/ジュリーニ盤と、どれもに惹かれてしまいます。
さて皆さんの新春の聴き初めは何の曲でしたしょうか。本年もどうぞよろしくお願い致します。
<補足>
フィッシャー/フルトヴェングラー盤、ギーゼキング/カラヤン盤、ホロヴィッツ/ライナー盤、カサドシュ/ミトロプーロスの二種類、リヒター=ハーザーのケルテス盤とケーゲル盤、ケンプ/ライトナー盤、ゼルキン/バーンスタイン盤、グールド/ストコフスキー盤、バレンボイム/クレンペラー盤、ギレリス/セル盤、エッシェンバッハ/小澤盤、エゴロフ/サヴァリッシュ盤、アシュケナージ/メータ盤、ポリーニ/アバド盤、シフ/ハイティンク盤、ブレンデル/ラトル盤を後から追記しました。
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