ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2010 プレートルの「エロイカ」
今年もウィーン・フィルハーモニーが来日しました。世界のオーケストラの中で僕が特に好きな楽団といえば、なんといってもシュターツカペレ・ドレスデンと、このウィーン・フィルです。いぶし銀の響きのドレスデンは、例えてみればコシのある信州蕎麦。なめらかで艶やかな音のウィーン・フィルはのど越しの良い更科蕎麦というところです。どちらが美味しいかということではなく、味わいの違いだけなのです。ということで、僕はツアーの最終公演となる10日のサントリーホールへ行ってきました。
当初、この日に予定されていたプログラムはマーラーの第9交響曲でした。ウィーン・フィルとは所縁のマーラー、それも最高傑作の9番とあっては聴き逃すわけにはいきません。そう思ってチケットを購入し、心待ちにしていたのですが、指揮者のサロネンが来日不能になり、代役としてジョルジュ・プレートルが振ることになりました。それに合わせて、曲目もエロイカに変更されました。ウィーン・フィルのベートーヴェンは3年前にアーノンクールで7番を聴きましたし、自分としては是非ともマラ9を聴きたかったのです。同じ気持ちのファンは多かったのではないでしょうか。とは言え、ウィーン・フィルのエロイカが聴けるのですから悪いはずは有りません。
ジョルジュ・プレートルというと、最初に名前を知ったのは、マリア・カラスの歌う「カルメン」のレコードの指揮者としてでした。随分と昔の話です。それ以来、ほとんど注目をしない指揮者だったのですが、近年のニューイヤーコンサートへの登場で、その素晴らしい指揮ぶりに驚かされました。音楽家とはいっても、結局は芸人なので、長年一つの道を真っ直ぐ歩んでいれば、いつか芸の大きな花が咲くものなのですね。
そんなことを思いながら会場へ入ったところ、宇野功芳先生がソファに座られていました。以前にも面識が有ったので、お声をかけさせて頂きました。私「今日はプレートルですから期待できますね。」 先生「絶対に良いですよ。」 私「ほんとうに楽しみですね。」 こんな短いやりとりでしたが、先生も期待充分ということがわかりました。
さて予鈴が鳴って席に着き、団員がステージに上がるのを見守り、いよいよコンマスのキュッヘル登場です。チューニングが終わり、最後にプレートルが出てきました。前半はシューベルトの交響曲第2番です。序奏の1stヴァイオリンのスケールは幾らか不揃いでしたが、こういう始まりはウィーン・フィルでも難しいと見えます。曲が進みにつれて音が混じり合い、どんどんと響きが膨らんでいきます。こうなるとウィーン・フィルの独壇場です。この曲は普段聴くことは有りませんが、この楽団特有の柔らかく美しい音で聴くと、やっぱりシューベルトはウィーンの音楽家だなぁと思います。音楽とオケの音とに寸分の隙間も感じないからです。正に「同質性」を感じます。プレートルはこの曲ではほとんど手を加えずに、表現を楽団に任せてたようです。この曲ではそれはとても好ましい事だと思います。
休憩をはさんで、後半はいよいよ「エロイカ」です。冒頭の二つの和音は、とても速く切れの良い音でした。かつてのフルトヴェングラーのような重い音とは全く異なります。その後のテンポはかなり速めです。けれどもそれぞれの楽器が次ぎから次ぎへと、出たり引っ込んだりする掛け合いの見事さはため息が出るほどで、「ああ、ウィーンフィルだ!」と心の中で叫びました。それはフルトヴェングラー時代と(それ以前は知らないので)少しも変わることが有りません。プレートルのテンポは速いですが、速過ぎるとは感じさせません。テンポを落とすところは気付かせないぐらいに微妙に落として雰囲気を変えていますし、程よい緊張感が有って、音楽の流れの良さを感じさせます。
第2楽章も速めです。葬送を意識し過ぎて、音楽がもたれるようなことはありません。それに、ウイーン・フィルの弦の何と美しいことでしょう。そこに柔らかい音の管楽器が溶け合って、至福の美しさとでも言いたくなります。トゥッティでの強奏もわめきちらすことは無く、響きの美しさを感じます。
第3楽章は相当に急速テンポでした。老齢のプレートルがよくぞこれほど躍動感ある指揮をするものだと驚きました。そのテンポで余裕をもって弾き切って、少しもリズムがこけないオケの安定感もさすがです。トリオのホルンはウインナホルンの味わいが最高です。
第4楽章は冒頭のピチカートが軽やかに始まります。続く、弦の掛け合いの美しさはさすがです。この楽章も速いテンポで進み徐々に高揚してゆきますが、全曲を通して感じるのは、プレートルの音楽はドイツ的な重圧さとは異なる、フランス的な(と言って構わないでしょう)「軽み」です。ですが、そこは円熟の巨匠のこと、少しもせわしない雰囲気はありませんし、逆に色々な所でちょっとしたニュアンスの変化や遊び心を感じさせて、実に聴きごたえがあります。これこそが本当の「芸の術」なのでしょう。聴いていて本当に楽しくなります。
終了後の聴衆の拍手はもの凄かったです。演奏の素晴らしさもあるでしょうが、たぶん86歳の巨匠が日本に来るのはこれが最後かもしれないという皆の思いもあったと思います。プレートルもそれに本当に嬉しそうに応えていました。
アンコールはブラームスのハンガリア舞曲第1番でした。ヴァイオリンが、もうこれ以上たっぷりとは弾けないであろう限界まで大きく歌っていました。弦の音が本当に美しかったです。テンポの変化が凄く、ドラマティックな演奏ですが、最高のエンターテイメントです。2曲目は得意の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」ですが、普段の1.5倍の速さではないかと思わせるほどの急速テンポが素晴らしかったです。
盛大な拍手の中、ウィーン・フィルの団員も満足した様子でしたが、彼らが舞台袖に引き上げた後もプレートルは一人で何度も何度も舞台に戻って来ました。出来ることなら、神様が許してくれさえすれば、再びこの舞台で名演奏を聞かせてほしいものです。その時には絶対に聴きに行きたいと思います。当夜、聴くことができなかったマーラーの9番はまた聴ける機会がきっと有ることでしょう。曲目変更の不満も全く消え去って、満足感に浸りきった本当に素晴らしいコンサートでした。
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