さてブラームスの交響曲特集ですが、早くも最後の第4番になってしまいました。

交響曲第3番を完成させたブラームスは、その翌年には早くも第4番の1、2楽章を書き上げました。更に次の年には3、4楽章を書いて、この曲を完成させました。第1番の完成迄には、あれほど苦労したのが嘘のようです。しかも最後の交響曲だけあって、ブラームスの円熟の極みの作品となりました。
ロマン派全盛の時代にあっても、古典派形式を踏襲したブラームスは、新古典派などとも呼ばれましたが、この交響曲の終楽章では古典派どころか、バロック時代の変奏曲形式であるシャコンヌ(パッサカリアとも言います)を用いました。当時の楽壇の中には、「古臭くて陳腐だ」とけなす人も居たそうです。あのマーラーでさえこの作品を「からっぽな音の桟敷」と酷評したぐらいです。けれども、若きリヒャルト・シュトラウスは、父親への手紙の中で「間違いなく巨人のような作品です。とてつもない楽想、そして創造力。形式の扱いや長編としての構造は、まさに天才的です。」と書いています。リヒャルト・シュトラウスはかく語りきです。
この曲の凄さを理解したシュトラウスは、ブラームス自身の指揮で行なわれた初演の際のオーケストラでトライアングルを担当しました。あの3楽章で、チンチンチンとやったのですね。想像すると何だか愉快です。ともかく、この曲はブラームスのシンフォニーの最高傑作です。第1番は大変な力作ですし、第2番、第3番も名作なのですが、そのことだけは疑いの無い事実です。ブラームスはこの作品で正に「温故知新」を完遂させたのです。
第1楽章の冒頭は、いきなり第1主題がヴァイオリンのH(ハー)の音で開始されます。これは非常に演奏が難しいです。音の強さ、表情、テンポ、以後との関連づけと色々な要素が有り過ぎるからです。それにしてもこの楽章は、いかにもブラームスらしい哀愁と暗い情熱の高まりが一体化している傑作です。続く、第2楽章も寂寥感いっぱいでノスタルジックな深い深い浪漫がブラームジアーナーを泣かせます。第3楽章はスケルツォ楽章ですが、粗野で荒々しく、ラプソディックな性格は、ヴァイオリン協奏曲の終楽章あたりと似ています。そして、終楽章のシャコンヌです。これは200年も前の古い様式を使って、主題に続く30回もの変奏を、ありとあらゆる手練手管を駆使して書かれた変奏曲の一大傑作です。演奏の難しさは極まっていて、下手な指揮者の場合は気持ちが前面に出過ぎて、派手な響きで管楽器が咆哮する爆演に終わることが往々です。コンサートでは盛大な拍手を受けるでしょうが、大抵の場合には空虚さだけが残ります。
この曲は、僕が大学のオーケストラに入って初めて定期演奏会で弾いた思い出深い曲です。当然ながら、半年間来る日も来る日も必死でパート譜とスコアとにらめっこをしました。ですので、逆に曲の隅々が頭の中に残っています。そういう曲なので、演奏については他の曲以上にうるさくなるのかもしれません。
ともかくは愛聴盤のご紹介に移りましょう。
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1943年録音/ターラ盤) 戦時中のライブですが、僕はターラ盤のセットで聴いています。昔から「冒頭のHの音をあんな風に出せる指揮者は他には決していない」と言われてきました。確かに、まるで首のうなじにそっと触れられるようなゾクゾク感が有ります。うーん、なんてエッチなんでしょう!この演奏は完全に後期ロマン派的な演奏で、古典的造形性には著しく欠けています。テンポの急激な変化や加速、極端に大きなルバートが頻出します。本来は僕の好まないタイプの演奏なのですけれども、嫌でも引きずり込まれてしまいます。モノラル録音でざらつきが多いものの、この年代にしては明瞭です。
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1948年録音/audite盤) ベルリンのティタニア・パラストでのライブです。長い間EMIから発売されていましたが、昨年RIAS放送のオリジナルテープからCD化されて、各パートの音像がずっと明確になりました(といっても所詮は年代による限界が有ります)。演奏の基本スタイルは43年の演奏と同じですが、モノラルながらも録音の良さで、聴きごたえがずっと増しています。演奏そのものも、我を忘れるほどに興奮したオケの熱演度が更に凄いので、これこそは好き嫌いを超えた超演と呼べるのではないでしょうか。
ラファエル・クーベリック指揮ウィーン・フィル(1956年録音/DECCA盤) クーベリック40代初めの全集録音からです。相性の良いウィーン・フィルとの共演が嬉しいです。クーベリックの指揮は速いテンポで颯爽と進み、彫りが深く切れ味が有ります。それでいてそこはかとなく深い情緒が感じられます。そう書くとなんだかシューリヒトの様ですが、確かにこの演奏は似ていると思います。最初期のステレオ録音ですが、響きの薄さが余りマイナスに感じません。当時のウィーンPOの持つ柔らかく甘い音色が充分に味わえます。
ブルーノ・ワルター/コロムビア響(1959年録音/CBS SONY盤) オーケストラの音は薄っぺたく、迫力や重厚とさは無縁ですが、言い方を変えれば透明感の有る室内楽的な響きです。いかにもワルターらしい実に滋味に溢れた演奏ですが、とても美しくロマンティックに歌うので、聴いていると何かとても懐かしさを感じさせられます。ワルターのステレオ録音のブラームスでは第1番以上に素晴らしい出来栄えですので、この演奏は時々聴きたくなる時があります。
カール・シューリヒト指揮バイエルン放送響(1961年録音/Scribendum盤) 以前DENONからも出ていましたが、典型的なシューリヒト・スタイルの軽く颯爽と進む演奏で、およそブラームスの重厚な音は聞こえてきません。引き締まった造形性だけは見事ですが、ロマンティシズムが希薄です。某評論家がこの演奏を推薦していましたが、慌てて騙されてはいけません。シューリヒトのブラームスの名演奏は最晩年のシュトゥットガルト放送響との2番だけです。
カール・シューリヒト指揮ウイーン・フィル(1965年録音/Altus盤) ハルくんのウソつきと言うことなかれ。このウイーンでのライブは良い演奏です。バイエルン盤から僅か5年後ですが、テンポが著しく遅くなりました。それでいて演奏の緊張感は保たれています。ウイーン・フィルそのものの持つ音色も魅力的ですが、要所でロマンティックに歌わせるので味わい深さが有ります。造形性も損なっていません。モノラル録音でライブとして年代相応ですが、マスタリングが高音強調なのが頂けません。
ヨーゼフ・カイルベルト指揮シュトゥットガルト放送響(1962年録音/TAHRA盤) 伝統的なカぺルマイスター的な指揮者カイルベルトはブラームスの音楽に適します。どっしりしたテンポでことさら煽ることも無く実にオーソドックスかつ雄渾です。当時のシュトゥットガルト放送響は超一流では有りませんが、やはりドイツの団体としての味を持ちます。録音はモノラルで、幾らか不安定な箇所もありますが聴き易い音質です。ディスクには同日の演奏のバックハウスの「皇帝」が収められていて非常な名演です。

イシュトヴァン・ケルテス指揮ウイーン・フィル(1972年録音/DECCA盤) ケルテスの過剰な表現スタイルは往々にして好みでは有りませんが、この第1、2楽章には抵抗は余り感じられず、逆に青春の光と陰のような新鮮なブラームスを愉しめます。問題は第3、4楽章で、積極的でダイナミックな表現がブラームスのイメージから遠ざかります。もちろん聴き手の好み次第ですが、枯れたブラームスばかり聴いていないで、時にはこのような演奏を耳にするのも良いかもしれません。
クルト・ザンデルリンク指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1972年録音/DENON盤) SKドレスデンのことを「幾ら引っ張ろうとしても動かない牛車のようだ」と称したのは、指揮者フリッツ・ブッシュ(アドルフ・ブッシュの兄)でしたが、遅めで微動だにしないイン・テンポを守るザンデルリンクが振ると、その特徴が最高に生きてきます。良い例が終楽章のコーダの第273小節からで、念押しするリズムが巨大なスケール感を生み出します。厳格なマルカート奏法には凄みすら感じますし、柔らかく目のつんだ典雅で厚みのある響きには心底魅了されます。そして管楽器奏者たちの音楽的な上手さにも惚れ惚れします。ティンパニーのゾンダーマンの妙技も冴えわたっています。1970年代のこのオケは本当に凄かったです。
ハンス・シュミット-イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響(1973年録音/EMI盤) これも北ドイツ放送響(NDR)とのライブ録音の全集です。NDRの暗くくすんだ音色がこの曲に良く合います。どっしりと構えたテンポも、いかにもドイツ的です。この念押しする感覚が無いとブラームスには聞こえず、一体誰の音楽を聴いていたのか分らなくなります。その点、この演奏は安心して聴くことができます。ちょうどザンデルリンクのスケールを一回り小さくしたような印象です。その分、良い演奏なのですが損をしているように思います。
カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1975年録音/グラモフォン盤) ウイーン録音の全集盤です。ウイーン・フィルの透明感のある響きを立体的に生かしています。1楽章の前半は少々解説口調で音楽との隙間を感じますが、後半では一体になっています。2楽章は不健康さは感じませんが、ウイーンフィルが非常に流麗で美しいです。3楽章は立派ですが幾らか冷静過ぎる気はします。終楽章は巨大な建造物のようなスケール感があります。聴後の充実感は中々のものです。
サー・ジョン・バルビローリ指揮ウイーン・フィル(1967年録音/EMI盤) バルビローリの第4番の演奏を改めて聴いてみると、つくづく深い情感に覆われた演奏だと思います。この人のマーラー演奏のようにテンポは遅く、一歩一歩を踏みしめながら歩みますが、演奏スタイルと同期しているせいか不思議と不自然さやもたれる印象は受けません。ブラームスの古典的造形は希薄でも、内面のロマンティシズムのほとばしりによって、他には例が無いぐらい強い説得力を持ちます。恐らくこれはバルビローリにしか演奏が出来ない非常に個性的なブラームスです。
ルドルフ・ケンぺ指揮BBC響(1976年録音/BBC MUSIC盤) ケンぺはドイツの指揮者でも中量級のイメージですが、この晩年のライブは、英国の楽団を情感豊かに歌わせて心に訴えかけます。第1楽章では後半になるほど熱気と充実感が増しています。第2楽章は中庸で引き締まったテンポですが、旋律が歌い切れていて寂しい情感が心に染み入ります。第3楽章はいくらか遅めで爆演とはなりませんが、金管の音が明るめなのとトランぺットが目立つのは幾らか引っ掛かります。終楽章も好演です。英国のオケにこれだけのブラームスを演奏させるのは中々容易では無いと思います。
オイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1976年録音/ターラ盤) ヨッフムのライブ録音のボックス・セットです。ヨッフムは基本的に後期ロマン派のタイプですので、厳格なイン・テンポを刻むのでは無く、テンポに揺れを感じます。けれどもフルトヴェングラーのように極端ではありません。この演奏はテンポがさほど遅くもなく、リズムの念押しも無いので、全体的にスタイリッシュに感じられて幾らか物足りなさを感じます。
オイゲン・ヨッフム指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1979年録音/WEITBRICK盤) この演奏は3年前に一度記事にしました(こちら)。ヨッフムのロマン的な気質とSKドレスデンの堅牢な奏法とが高次元で一体化した素晴らしい演奏です。これを聴いてみるとザンデルリンクの名盤も、SKドレスデンの力に由る部分が相当多いことが分かります。76年のコンセルトへボウ盤と比べると、僅か3年の違いでずっとテンポが遅く重厚です。そこにロマンの味わいが加わるのですからたまりません。欠点はマスタリングで高域がやや硬いことだけです。

オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送響(1970年代録音/Green HILL盤) このライブ録音は海賊盤で正確な録音年が不明です。ただ基本テンポがSKドレスデン盤と似かよっているので70年代の終わり頃ではないかと思います。堅牢でプロシア的な響きを持つSKドレスデンに対して南ドイツ的に明るくしなやかな音色ですが、こちらも非常に魅力的です。またヨッフムのロマン的な資質がストレートに出ています。海賊盤ながらも音質は極上で、マスタリングの良さからSKドレスデン盤よりも良いと思います。
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1983年録音/オルフェオ盤) これもミュンヘン・ライブの全集盤です。ここまで4曲を聴いてきて共通して感じるのは、クーベリックのリズムに念押しが足りないことです。結果としてどの部分でも呼吸の浅さを感じてしまいます。ブラームスに重厚さを求めない聴き手には構わないことでしょうが、僕の場合は満足し切れなさが残ります。それでいて終楽章のコーダで突然テンポを落として念押しするのは唐突感が残ります。録音も優れていて一般的には悪い演奏では無いのですが。
クルト・ザンデルリンク指揮ミュンヘン・フィル(1984年録音/WEITBRICK盤) ミュンヘンのヘラクレスザールでのライブです。SKドレスデンの旧盤とベルリン響の新盤の間の時期になります。ですので基本テンポもちょうど中間で、SKD盤よりも遅く、ベルリン盤よりも早いです。興味深いのは、オケがかなりレガート気味に弾いているのと金管の明るい音色です。ある種、耽美的とも言える美しさを感じます。これはチェリビダッケの影響が大なのでしょうね。3楽章の荒々しくスカッとした演奏はザンデルリンクでは無い別人のようです。これはこれで楽しめます。
オトマール・スイトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン(1985年録音/シャルプラッテン盤) スイトナーの80年代のブラームス全集では3番と並ぶ名演だと思います。テンポは決して遅くは有りませんが、呼吸の深さが有るので腰が据わった印象です。全体に古典的な造形感を感じますが、それでいてロマン的な味わいが充分有ります。相変わらず弦と管が柔らかく溶け合った響きがとても美しいですし、強奏部分も管が少しもうるさくなりません。
クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン響(1990年録音/カプリッチオ盤) ベルリン響との新盤の中では最も好きな演奏です。1楽章では、もたれるほどに遅いテンポが沈滞したロマンを感じさせます。2楽章も深いロマンの海に沈み込むようです。3楽章はSKドレスデンの切れの良さには敵いません。終楽章は遅いテンポでスケールが大きいですが、33小節からの第4変奏でぐぐっと重さを増すところは非常に素晴らしいです。後半の高揚ぶりも見事ですが、コーダの凄さはやはり特筆ものです。
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウイーン・フィル(1989年録音/グラモフォン盤) ジュリーニは、この曲でも遅いテンポでイン・テンポを守り、ゆったりとスケールの大きさを感じます。少しも力みが無いのに、緊張感を失うことがありません。但し、3楽章は落ち着き過ぎで、ラプソディックな性格が薄いです。全体を通してカンタービレがよく効いていますが、ごく自然で美しいです。ウイーン・フィルの響きはSKドレスデンのいぶし銀の音とは異なりますが、流麗で非常に美しいです。これはジュリーニの全集の中のベストだと思います。
クルト・ザンデルリンク指揮スウェーデン放送響(1990年録音/WEITBLICK盤) ザンデルリンクは、このスウェーデン放送響盤も非常に素晴らしく、テンポは遅めですが、もたれる印象を受けません。特筆すべきは、旋律を大きく歌わせて感情を吐露していることです。その点では、これまでの客観的で大袈裟に感情移入しないスタイルとは異なります。晩年もザンデルリンクが枯れることなく、ロマンティックなハートを持ち続けたことの証です。スウェーデン放送響の音は、美しくブレンドされた厚みのある響きでブラームスを堪能させてくれます。録音の生々しさも理想的で、残響過多のベルリン響盤よりもずっと好みます。併録の「悲劇的序曲」は二度目の全集に含まれていないので貴重です。
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプチッヒ・ゲヴァントハウス管(1996年録音/DECCA盤) SKドレスデン、北ドイツ放送響と並ぶ”ブラームス・オーケストラ”であるゲヴァントハウス管を指揮した、いかにもブロムシュテットらしい誠実な演奏です。けれどもこの曲の魅力を充分に引き出しているかというと疑問です。古典的な造形性は素晴らしく保たれていますが、センチメンタリズムやロマンティシズムに不足します。表情があっさりし過ぎている部分が多いですし、気迫や重厚さも不足して感じられる箇所が見受けられます。管弦楽の響きが素晴らしいだけに残念です。何曲かのモテット、作品109「祭典と記念の格言」といった無伴奏合唱曲が併録されています。
クリストフ・エッシェンバッハ指揮シュレスヴィヒ・ホルシュタイン祝祭管弦楽団(2005年録音/独ヘンスラー盤) 以前の記事でも一度ご紹介した、クリストフ・エッシェンバッハが2005年にサントリーホールでシュレスヴィヒ・ホルシュタイン祝祭管弦楽団を率いて演奏したときのライブ録音です。まるでフルトヴェングラーのようにロマンティクで自在な表現でありながら、フルトヴェングラーが夢中に成り過ぎて失われてしまった造形性をしっかり保持するという、正に離れ業を成し遂げた演奏です。オーケストラも臨時編成でありながら、充分に上手いです。これほどのブラームスが日本で演奏されたのはほとんど奇跡です。録音も会場の臨場感が充分に感じられる優れたものです。
というわけで、マイ・フェイヴァリットを一つ選ぶとすれば、やはりこの曲でも不動のザンデルリンク/シュターツカペレ・ドレスデン盤です。
次点として、ザンデルリンク/スウェーデン放送盤、スイトナー/シュターツカペレ・ベルリン盤、ジュリーニ/ウィーンPO盤、エッシェンバッハの来日ライブ盤を上げたいです。
番外としてはフルトヴェングラー/ベルリン・フィルの壮絶な1948年盤、ユニークなクーベリック/ウイーンPO盤、それにワルター/コロムビア響盤を上げておきたいです。さて、皆さんの愛聴盤はどれでしょうか。
それにしても、こうして聴いていると、やっぱり4番はいいですね。う~ん、ブラームス!
<追記> クーベリック/ウィーンPO盤、カイルベルト/シュトゥットガルト放送響盤、ジュリーニ盤を後から加筆しました。
<後日記事>
ブラームス 交響曲第4番 エッシェンバッハの東京ライブ盤
今年聴いたブラームスの交響曲のCD
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