三連休に冬の旅をしました。♪ゆーきのふるまちを~ ゆーきのふるまちを~♪と歌いながら、神奈川から車を運転して旅して来たのは、NHK大河ドラマ「八重の桜」で話題の、会津若松です。実はドラマの始まる以前の一昨年12月にも訪れたことがあるのですが、なかなかに良い土地なのですっかり気に入ってしまい、一年ぶりにまたまた訪れることにしました。
但し第一日目は、会津若松から30キロほど南にある湯の上温泉(ゆのかみおんせん)に宿をとりました。何故かと言うと、この近くの大内宿(おおうちじょく)という村へ行ってみたかったからです。
大内宿(写真はどれもクリックで大きくなります)
昨年末にTVで放送されたのでご存じの方も多いと思いますが、古い宿場町をそのまま保存したような街並みなのです。訪れてみると確かに時代劇の股旅物そのもののような雰囲気で、いまにも木枯らし紋次郎(ご存知の方は自分と同世代?)が現れそうです。うーん素晴らしい。但し、ちょうど雪まつり開催時期だったからなのでしょうが、観光バスが大挙して旅行客がわんさか訪れていたので、静かな雰囲気からはほど遠かったのが心残りです。
大内宿
それでも高台から眺望した雪に埋もれた街並みは静かな宿場町の雰囲気そのものです。
夜、湯の上温泉で宿泊した宿は古い民宿ですが、囲炉裏端で食べる会津の田舎料理がとても素朴で良かったです。
さて二日目には会津若松に入りました。最初に訪れたのは会津武家屋敷です。これは会津藩家老の西郷頼母(さいごうたのも)の邸宅を復元したものですが、この重鎮は昨年末の12時間時代劇「白虎隊」や「八重の桜」に登場するのでお馴染みです。当時僅か33歳の若き奥方が、薩長軍に攻め込まれて辱めをうけるくらいならと、年もゆかない娘たちを次々に自らの手にかけ、最後は自害したという「自刃の間(じじんのま)」の前に立つと感慨無量でした。
鶴ヶ城
それから会津若松のシンボル鶴ヶ城に行きました。戊辰戦争では、薩長の新政府軍の大砲の猛攻撃にさらされてボロボロになった城内に、「八重の桜」の主人公である山本(新島)八重が男の服装をして立てこもっていました。砲術指南役の家に生まれた彼女は、女ながらに鉄砲の名手だったので、城に迫る薩長軍の兵隊を次々に撃ち倒したそうです。
現在の城はもちろん再興されたものですが、白塗りの壁のお城が雪に覆われて非常に美しかったです。さすがにお城には雪にもかかわらず、大勢の観光客が訪れていました。それにしてもボランティアで無料ガイドをしてくれた現役の消防士さん、話が面白くて親切で楽しかったなぁ。どうもありがとうございました!
御薬園
それから、宿に入る前にまだ時間が有るので、前回も訪れたお気に入りスポット「御薬園(おやくえん)」に行きました。元会津松平家の庭園です。こじんまりとした回遊式の非常に美しい山水庭園です。もっとも今は真ん中にある池が雪に埋もれていて、まるで雪野原でしたけれども。でも本当のお目当ては、庭内の端にある(写真の一番奥に見える)「重陽閣(ちょうようかく)」なのです。秩父宮妃ゆかりの和洋折衷の建物ですが、ここでは絨毯敷きの落ち着いた部屋で、ゆっくりと英国紅茶と洋菓子を頂きながら、静かな時の流れを味わうことが出来ます。そこそこ広い部屋なのに、前回も今回も客は自分と家内の二人だけでした。ここは素晴らしい穴場です。
さて二日目の宿は、市内にほど近い東山温泉にとりました。ここは戊申戦争で会津藩とともに薩長軍と戦った土方歳三が体に負った傷を癒したことでも知られています。宿泊したのは歴史ある旅館ですが、こじんまりとしていて落ち着いた佇まいが良かったです。ここでも、また囲炉裏端で会津料理を頂きました。
三日目は御存知、飯盛山を訪れました。白虎隊自刃の地として余りにも有名ですね。雪の階段を何段も上ると小高い丘の上に19人の隊士が自ら命を絶った場所と御墓が深い雪に覆われていました。彼らは16歳と17歳だったのですよ。当時の武士の精神というのは凄過ぎます。
そして最後に訪れるのは「會津藩校日新館(あいづはんこうにっしんかん)」ですが、その前にお昼にどうしても食べたかったのが、会津味噌を使った味噌ラーメン。東北で最も古いラーメン屋を継承していると称する「小豆屋(こまめや)」さんです。メニューは確かに味噌ラーメンがほとんどで、他に醤油ラーメンが僅かにあるだけ。地元風の客で賑わっていましたが、食べて「うーん、なるほど!」と呻らされるような美味しさでした。隣街の喜多方ラーメンは有名ですが、元々会津ラーメンと同じような歴史だそうですね。たまたま喜多方が有名になりましたが、会津ラーメンも実に旨い!旅の方におススメです。
會津藩校日新館
さて市内からやや離れた日新館は、元々は鶴ヶ城のすぐ近くに有りましたが、戊辰戦争で燃えてしまったために、後から場所を移して再現されたのが現在ある場所です。確かにやたら広い藩校ですので、こりゃ後から町の中にはとても建てられないなと納得。かつては会津藩士も白虎隊も小さいころからここで武道、学問を学んだのです。
会津藩の子供たちは6歳になると「什(じゅう)」という子供達の組織(遊びの仲間)に振り分けられて、「什の掟」を教えられたのだそうです。
「什の掟(じゅうのおきて)」
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
三、嘘を言うてはなりませぬ。
四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
五、弱いものをいじめてはなりませぬ。
六、戸外でものを食べてはなりませぬ。
七、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ。
ならぬことはならぬものです。
という誓いですね。最後の「ならぬことはならぬものです」とは、「してはいけないことは、してはいけないのです」という意味です。
こうして冬の会津の旅を終えて、神奈川に帰って参りました。次回には春の会津を訪れてみたいかな。
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