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2024年2月10日 (土)

小澤征爾さんを悼んで

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小澤征爾さんが2月6日にお亡くなりになりました。

どちらかと言えば重力級で劇的な演奏を好む自分としては、必ずしも好みの演奏スタイルでは有りませんでしたが、我が国の生んだ真に世界的な音楽家として誇りに思います。特にアメリカのボストン交響楽団の音楽監督を29年間務めたのは偉業です。監督就任後の1978年にボストン響と日本へ凱旋公演をしたときに、東京文化会館でベルリオーズの「幻想交響曲」を聴いた感動は忘れません。今でもあの時の音はこの耳に、その情景は脳裏にしっかりと焼き付いています。

小澤さんは23歳で一人でヨーロッパに渡って武者修行をしたことがその後の栄光の始まりとなるのでしょうが、その力が完全に途切れる最後の日まで持ち続けた情熱とエネルギーは音楽家を目指す若者だけでなく、すべての若者にとって通じることだと思います。

若き日の渡欧のエッセイは何度読んでも痛快です。随分と前に下記の記事で紹介をしています。

「ボクの音楽武者修行」小澤征爾

合掌

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コメント

2018年にモーツアルトの交響曲のレコード、CDについて一度投稿した者です。

小澤さんについての記事を読みましたので、
小澤さんの人となりを知る一つの良い機会だと思いますので書いてみます。

もう20年近く前のことだと思います。東京に用事があって家族で帝国ホテルに泊まり、朝早く地下鉄日比谷線に乗るために私だけ早めに日比谷駅に着き、切符を買って、改札口を通り、家族が来るのを待っていました。その時、帽子をかぶり、ネッカチーフを結んだ、コロコロを引いた浮浪者らしき人が、地下鉄構内を行き来し、「出口はどこですか」、と声をあげていました。多分駅員もこの人を駅構内で一夜を明かした浮浪者と思ったのでしょう、適当にあしらい、そっちのほーだよとか、返事をしていたように思います。しばらくしてグルグル回っていたこの人が私の方に近づいて来ました。よく見るとこの人は小澤さんに似ています。「ひょっとして小澤さんですか」と聞いたところ、「そうです。たった今、飛行機でウイーンから帰って来て、ここまで来たのですが、出口が解らなくて」ということでした。そうするうちに妻と娘が到着し、一緒に写真を一枚とってもいいですかと言ったところ「いいですよ」と快く応じていただけました。その写真いまでも大事に飾ってあります。残念ながら私が撮ったので私は映っていません。
いろいろ話をしたかったのですが、地下鉄を降りて小澤さんを見つけた女性のバイオリニスト数名が寄ってきて、あ、小澤さんだ、一緒に行きましょうと、引っ張られ小澤さんは彼女らに囲まれて行ってしまいました。
多分ウイーンで音楽監督をされていた時だと思われます。
ウイーンの演奏会で、日本人作曲家の夕べ、例えば、伊福部昭さんの作品の演奏会をされてはどうでしょうと伝えたかったのですが、話せなかったのが残念でした。

投稿: クラシックの1愛好家 | 2024年3月11日 (月) 11時07分

クラシックの1愛好家さま

小澤さんのエピソードを誠にありがとうございます。いかにも小澤さんの人柄が偲ばれるお話ですね。あの方はいわゆる上下関係といったものにこだわらなかったのでしょうね。
だから若い頃には国内のベテラン音楽家達と摩擦も起こしましたが、自らが非常に有名になっても少しも偉そうにしなかったのでは無いでしょうか。極めて欧米的な性格を持たれていたのだと思います。そしてそれは小澤さんの成功の理由の一つだった気がします。

投稿: ハルくん | 2024年3月13日 (水) 14時51分

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