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2020年3月

2020年3月 2日 (月)

マーラー 交響曲第10番 嬰ヘ短調 <クック補筆全曲版> ~新たなる時代への習作~

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マーラーはリヒャルト・ワーグナーのように交響曲という形式から離脱したわけではありませんが、その形式に留まりつつも内容を極限まで肥大化させ、ある意味では交響曲の形式を破壊してしまいました。しかしその創造性たるや驚くべきものがあり、第1番から第9番まで(「大地の歌」を含めて)の交響曲は全てが傑作の名に恥じません。

しかし最後の第10番は、作品が完成する前にマーラーが世を去ったために未完に終わりました。ほぼ書き上げられていた第1楽章アダージョのみが国際マーラー協会による「全集版」として収録・出版されています。

第10番のマーラーの未完の遺稿は5楽章構成から成っていて、第1楽章と終楽章が第9番と同様に緩徐楽章となっています。第2楽章と第4楽章にはスケルツォ的な音楽が置かれ、中間の第3楽章に「プルガトリオ(煉獄)」もしくは「インフェルノ(地獄)」と題される短い曲が置かれています。これらはあくまでデッサンですが、仮に完成していたとしても両端楽章の構成は変わりようが無いと思います。第1楽章はもちろん素晴らしいですが、第5楽章も聴きものです。たとえ良く言われるように補筆版のオーケストレーションの音が薄いとしてもです。

第10番は調性上では第9番以上に無調的な不協和音が多く用いられていて、シェーンベルクはこれを「和声の革新」と称賛しました。しかし、その割には初期の交響曲を想わせるモチーフが幾つも登場して来るのは面白いです。

マーラーの音楽は第8番と第9番とで頂点に達しましたが、第10番にはシェーンベルクなど新時代の音楽家の技法を必ずしも評価していなかった、あるいは「どのように評価してよいか分からなかった」マーラーの葛藤が感じられ、新しい音楽への迷いが感じられます。それまで彼は新時代の音楽の騎手、トップランナーとして走り続けてきましたが、いつの間にか自分が音楽の進化の足取りに後れを取っているのではないかと不安になり苦しんでいるような、そんな印象を受けてなりません。過去の曲のモチーフが登場するのも、前時代のロマン派音楽を引き摺っている自らへの自虐的な皮肉なのかもしれません。

この作品への創作上のブレーキは、そうした新時代の音楽へ思うように進んでゆけない自分へのいら立ちにも有ったのではないでしょうか。完成には程遠いままに終わってしまったこの作品に、あえて「新たなる時代への習作」と記したのはそういう理由からです。

ところで、この曲のスケッチに、妻アルマへ対する言葉が至るところに書き残されていることは有名です。
第3楽章には「死!変容!」、「憐れみ給え! おお神よ! なぜあなたは私を見捨てられたのですか?」、「御心が行われますように!」と書かれています。
第4楽章には「悪魔が私と踊る、狂気が私にとりつく、呪われたる者よ!私を滅ぼせ、生きていることを忘れさせてくれ! 生を終わらせてくれ、私が……」、「完全に布で覆われた太鼓、これが何を意味するか、知っているのは君だけだ! ああ! ああ! ああ! さようなら、私の竪琴! さようなら、さようなら、さようなら、ああ、ああ、ああ」と書かれています。
そして、曲の締めくくりとなる第5楽章のコーダの上には「君のために生き! 君のために死ぬ! アルムシ!」と書かれています。“アルムシ”とはアルマの愛称です。

作曲当時、アルマは湯治先で建築家グロピウスと出会って親密な関係となり、その為にマーラーとアルマの関係はぎくしゃくしたものとなります。これらの書き込みからは当時のマーラーの悲嘆の大きさが伺い知れ、このことが第10番の音楽に反映されているとよく言われます。もちろん精神的な痛手を受けていたことは明らかですが、この曲が未完に終わったことはあくまで音楽的な要因が大きいような気がします。
マーラーは、完成することのできなかった第10番のスコアを焼却するように、アルマに言い残したそうです。しかし、アルマは楽譜を破棄せずに保管していました。

従って、この曲がどこの誰だかわからない人間の手が入った楽譜で演奏されるマーラーの心情を考えると、補筆版を喜んで鑑賞する気にはなれません。自分が基本的に愛聴するのは第1楽章のみです。そもそもマーラー演奏のスペシャリストであるバーンスタインも、テンシュテットも、クーベリックも、ベルティーニも誰一人として補筆完成版を演奏しようとはしませんでした。

補筆版は何人かの音楽学者により編集が行われましたが、イギリスのデリック・クックによるものが最も評価されて多く演奏されています。
一応、所有する補筆版のCDをご紹介します。

414tt2rfqzl_ac_ サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル(1999年録音/EMI盤) 第9番までなら余り食指を動かされない?ラトルの盤を持っています。案の定、あの第1楽章は深刻さの無いままに、実にあっさりと流れます。ここには後期ロマン派の情念の人としてのマーラーは居ません。新時代の人としてのマーラーが居ます。それなら良い演奏ではないのか?とお叱りを受けそうですが、近年のベルリン・フィルの明るい音は自分の耳には何とも合わないのです。第2楽章以降も同様に、各楽器パートの明瞭で上手いことは確かですが、音楽からは明るい陽射しがまばゆいかのような印象を受けます。

41npxv64fml_ac_ ダニエル・ハーディング指揮ウィーン・フィル(2007年録音/グラモフォン盤) バーンスタインやテンシュテットがウィーン・フィルを指揮して残した第1楽章だけを比べると、ずっとスマートな演奏に感じますが、管弦楽の音色の美しさとそこに情感がそこはとなく漂うのは流石ウィーン・フィルです。それに近年のセッション録音だけあって録音は優秀で、極上のハーモニーが再現されます。第2楽章以降のアンサンブルも強固で文句は一切有りません。ワルツ的な部分の洒落た味わいもこのオケならではです。もしもクック補筆版を聴くとすればCDには余り選択肢が有りませんが、自分にはこれ1枚有れば充分です。

<関連記事>マーラー 交響曲第10番より「アダージョ」 名盤

 

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