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2019年4月

2019年4月20日 (土)

四野見和敏指揮ヴォーカル・コンソート東京 J.S.バッハ「ミサ曲ロ短調」演奏会

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昨日19日は渋谷の文化センター大和田さくらホールへ四野見和敏指揮ヴォーカル・コンソート東京の演奏会でJSバッハ「ミサ曲ロ短調」を聴きに行きました。我が県央音楽家協会にも参加して頂いている出演者からのお招きです。

ロ短調ミサを聴くのは久々でしたが、若手の実力声楽家メンバーで構成された合唱団のハーモニーは大変美しかったです。ソリストを務めるのも団員なのですが、どの人も実に素晴らしかったですね。

オーケストラはVCTバロック・オーケストラという古楽器団体ですが、コンミスやチェロトップはクイケンのラ・プティットバンドに所属していたそうですので団体の実力のほども説明不要です。 
この日はドレスデンパート譜を使ったそうで、恥ずかしながら細部の違いは分かりませんが、声楽とオーケストラの音色とハーモニーが大変しっとりと落ちついたそれに感じられました。

平成時代が幕を閉じようとする今、最高の音楽を美しい演奏で楽しめた至福の時を過ごしました。

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2019年4月12日 (金)

シューベルト 歌曲集「白鳥の歌」 名盤 ~いっそセレナーデ~

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シューベルトの三大歌曲集の一つ『白鳥の歌』(Schwanengesang)は、シューベルト本人が編集した『美しき水車小屋の娘』や『冬の旅』とは異なり、彼の死の翌年に出版社のハスリンガーによりまとめられた遺作作品集で、レルシュタープ、ハイネ、ザイドルの3人の詩人による14の歌曲からなります。

元々シューベルトは、レルシュタープとハイネによる歌曲集をそれぞれ出そうと考えていましたが、未完成に終わったために、やむなく彼の遺稿集としてザイドルの詩による歌曲「鳩の便り」が加えられ、『白鳥の歌』と表題が付けられて出版されました。当然、全体としてのストーリーやテーマは有りません。

ちなみに新シューベルト全集では『レルシュタープとハイネの詩による13の歌曲』と『鳩の使い』(ザイドル詞)とに分けられていて、この『白鳥の歌』という歌曲集は存在していません。

また、ベーレンライター版では同じレルシュタープの詩で歌曲集には含まれなかった「秋」を補遺として挙げています。

それはさておき「白鳥の歌」14曲の内訳はこのようになっています。

「ルートヴィヒ・レルシュタープの詩による7曲の歌曲」
レルシュタープは詩集を最初ベートーヴェンに送り、歌曲の作曲を依頼しましたが、ベートーヴェンの健康状態が芳しくなかったために実現せず、詩集はシューベルトのもとに渡りました。その辺りのいきさつは定かではありませんが、ともかく完成した7曲と未完成の1曲 が残されました。

「ハインリヒ・ハイネの詩による6曲の歌曲」
どれもハイネの『歌の本』の中の「帰郷」から選び出された詩による6曲の歌曲で、シューベルトは生前これを完成させて出版社に手紙も出していました。

ヨハン・ガブリエル・ザイドルの詩による『鳩の便り』
ザイドルはシューベルトの仲間の一人で、『さすらい人が月に寄せて』など幾つかの詩が使われはしましたが、余り多く取り上げられはしませんでした。それでもこの作品はシューベルトの絶筆となりました。

<曲目について>

レルシュタープの詩による歌曲

第1曲「愛の使い」
 旅する若者が、故郷の恋人を想う愛の歌。

第2曲「兵士の予感」
 戦場の兵士が、故郷の恋人を想う歌。

第3曲「春の憧れ」
 心を騒がす春への憧れを歌った歌。

第4曲「セレナーデ
 恋人への思いをマンドリンを模した伴奏で切々と歌う歌。

第5曲「住処」
 河、森、野こそが私の居場所である、というさすらい人の孤独な心情を歌う曲。

第6曲「遠国にて/はるかな土地で/遠い地にて」
 故郷も家族も捨てて世俗から逃れようとする男の歌。

第7曲「別れ」
 故郷に別れ新しい土地に赴く主人公を乗せた馬車の歌。

(※補足)レルシュタープの詩による歌曲の順序は原詩の通りに並んでいます。

ハイネの詩による歌曲

第8曲「アトラス」
 世界の苦悩を負ったアトラスが「驕れる心よ、おまえが限りなく幸福になるか、もしくは限りなく不幸になるかを望んだために、俺は今不幸なのだ」と悲劇的に歌う。

第9曲「君の肖像/彼女の肖像」
 失恋した男が恋人の肖像を見つめ過去を思い返すが、ふと現実に戻る様子が歌われる。

第10曲「漁師の娘」
 海辺で戯れる若い男女の歌。

第11曲「街」
 街の情景を表し、重苦しく孤独を歌う歌。

第12曲「海辺にて」
 抒情とレチタティーヴォが融合された歌。

第13曲「影法師(ドッペルゲンガー)」
 恋に破れた者が、自分の慟哭を映し出す影法師(ドッペルゲンガー)を、失恋した場所で見つける、という極度の緊張感を持つ劇的な歌。

ザイドルの詩による歌曲

第14曲「鳩の便り」
 レルシュタープとハイネによる曲たちと雰囲気が大きく異なるが、この軽妙な歌曲はどこかモーツァルトが死の前にあっても軽妙で楽しい曲を書いていたことを思い出させる。

愛聴盤CDについて

さて『白鳥の歌』という歌曲集の位置づけは色々と議論されるでしょうが、シューベルトがいよいよ死の淵に近づいてから書かれた作品ばかりですので、それぞれの曲の凄さで言えば、あの「冬の旅」をも凌駕していると思います。演奏者によっては時に「秋」を追加して歌うことが見受けられますが、その解釈の是非はともかくとして、やはり昔から慣れ親しんだ14曲の形で聴きたいとは思います。

しかし編集された経緯からも、この歌曲集を一人の歌い手が万全に歌い切るのは中々に困難です。抒情的な要素の強いレルシュタープ曲はテノールで聴くのを好みますし、「セレナーデ」などは特にそのように思います。ところがハイネの曲集では音楽が非常に重く深刻なので低声で聴きたいと思います。ただし声質や歌い方も有りますので、必ずしもどちらでなければということでもありません。ということで、いっそセレナーデ以外の曲はお気に入りの歌手で聴けば良いではないかという気すらしてきます。

とにかく愛聴盤を順にご紹介します。まずバリトンからです。

81d2gklfsal__sx569_ ハンス・ホッター(Br)、ジェラルド・ムーア(Pf)(1954年録音/EMI盤) モノラル録音ですが音質は良好で聴き易いです。本領を発揮しているのはやはりハイネ歌曲で、ことさら劇的に歌うわけでは無いのに、その深々とした声には思わず引き込まれます。何となく「指輪」のヴォータンを想わせるのも面白いです。レルシュタープ曲や「鳩の便り」などでも、淡々とした自然体の歌に独特の魅力を滲ませます。

41xsdgw7ckl ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、ジェラルド・ムーア(Pf)(1962年録音/EMI盤) 声に若々しさが有るのと後年の演出臭さが感じられないストレートな歌い方に好感が持てます。もちろん歌唱の上手さについては既に完璧ですし、人によってはこちらを好む方も多いのではないでしょうか。但しEMIの録音に鮮度が不足するのがかなりマイナスです。

51tinrajxl ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、ジェラルド・ムーア(Pf)(1972年録音/グラモフォン盤) 「冬の旅」と違い録音回数は限られますが、この人の全盛期の「白鳥の歌」の録音です。例によって表現の彫りの深さは尋常でありませんが、EMI盤と比べるともってまわった演出臭さが幾らか気になります。しかし声もピアノも録音が優れていますので、EMI盤に心惹かれるものの、やはりこちらを代表盤にするべきかと思います。

51onmmcopml ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、アルフレッド・ブレンデル(Pf)(1982年録音/フィリップス盤) グラモフォン盤から僅か10年後の録音ですが、声の輝きがが驚くほど失われています。それと同時にもってまわった歌い方が陰を潜めました。一般的には評価の低い録音のように思いますが、個人的には結構好んでいます。ブレンデルのピアノも大変美しく透徹感がとても感じられて惹きつけられます。

41etmcv2x3l クリスティアン・ゲルハーエル(Br)、ジェラルド・フーバー(Pf)(1999年録音/Arte Nova盤) ゲルハーエルは特に深い声を持つわけでも無く、精緻極まりない解釈を聴かせるわけでもありません。歌い方も中庸で強い個性を持ちませんが、非常に多くのものを要求されるこの歌曲集で、それらの要素を過不足なく手堅くこなしているように感じます。これはこれで中々に立派なことです。決して廉価盤などと侮れません。

81dn9alvoxl__ss500_ マティアス・ゲルネ(Br)、アルフレッド・ブレンデル(Pf)(2003年録音/DECCA盤) これもロンドンにある室内楽の殿堂ウィグモア・ホールでのライヴ録音です。ゲルネの声はとても深く、演出臭さの無い歌いっぷりが現代のハンス・ホッターという趣です。レルシュタープ曲で全体的に重苦しく成り過ぎに感じられますが、ハイネ曲に入ると感銘度合いは圧倒的となります。「ドッペルゲンガー」の凄いこと!ブレンデルのピアノもやはり素晴らしいです。なお、やはり晩年のレルシュタープ詩による「秋」が間に差し挟まれているのと、「鳩の便り」がアンコールとして歌われるのはライヴならではユニークです。

続いてはテノールです。

61aybneurdl エルンスト・ヘフリガー(T)、イェルク・エーヴァルト・デーラー(Hf)(1985年録音/クラーヴェス盤) ヘフリガーの美声が三大歌曲集で最も適するのは「水車小屋」で、続いては「冬の旅」「白鳥」という気がします。シューベルトが死の淵に立った怖さがこの「白鳥の歌」という作品ではやや物足りないように思えてしまいます。声そのものに凄みが足りないのが一番の理由なのでしょう。

51mcs1xtl ペーター・シュライヤー(T)、アンドラーシュ・シフ(Pf)(1989年録音/DECCA盤) 若い時のシュライヤーとはうって変わって、劇的で濃厚な表情付けの歌い方をしていますが、それがこの歌曲集にはピッタリで非常に深い感銘を受けます。「セレナード」など抒情的な曲での美しさは絶品ですが、反面「アトラス」や「ドッペルゲンガー」でのドスが効いた声が凄いです。シフのピアノの素晴らしさも特筆に値します。「秋」も挟み込まれ、「鳩の便り」以外にもザイドルの詩の曲が3曲も収められています。これは掛け値なしの名盤です。

51kwltmd0gl ペーター・シュライヤー(T)、アンドラーシュ・シフ(Pf)(1991年録音/ウィグモア・ホール盤) ロンドンにある室内楽の殿堂ウィグモア・ホールでのライヴ録音です。2年前のDECCA盤も大変に濃厚な歌いっぷりでしたが、それがライヴでは更に倍増されていて言葉にならないほどです。表現が余りに大げさだと抵抗を感じる方も居るかもしれませんが、これは絶対に聴いておくべき壮絶な演奏です。ただし「鳩の便り」が歌われていないので、残念ながら「白鳥の歌」のファーストチョイスには成り得ません。

51kubm7xell ヴェルナー・ギューラ(T)、クリストフ・ベルナー(Hf)(2006年録音/ハルモニアムンディ盤)  ギューラも美声ですが、声質が太くも細くもなく、知と情どちらにかに偏ることなく、演出臭さを感じることなく自然な歌い方が大好きです。「アトラス」や「ドッペルゲンガー」では骨太さに欠ける感が無きにしもあらずですが、抒情的な「セレナーデ」や「鳩の便り」の美しさは正に絶品です。特に後者では、もう直ぐこの世を去らなければならないシューベルトの心の寂しさが溢れ出てくるようでちょっと言葉にならないほどの感動です。

71jvwbzbfel__sx569_ イアン・ボストリッジ(T)、アントニオ・パッパーノ(Pf)(2008年録音/EMI盤) ボストリッジの声は非常に細身なので、この歌曲集を透明感のある美しさで弱音に重きを置いて歌い上げています。通常声の太さが要求される「アトラス」や「ドッペルゲンガー」でも同様です。ですので、まるで「水車小屋」を聴いているかのような錯覚を起こしそうです。大変ユニークですが、演出臭さの無い真摯さに好感が持てます。共演のパッパーノは指揮者ですが、ピアノもとても上手く、オーケストラのように豊かな響きでボストリッジの細身の歌唱を見事に支えていて素晴らしいです。

さて、この中でマイ・フェイヴァリットを上げるとすれば、断然シュライヤー/シフのDECCA盤です。次点としてはギューラ/ベルナー盤を上げたいと思います。番外として外すことが出来ないのはシュライヤーのウィグモア・ホールのライヴ盤です。

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2019年4月 1日 (月)

伊藤悠貴 チェロ・リサイタル ~オール・ラフマニノフ・リサイタル~

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先週3月29日(金)に、今や押しも押されぬ若手のトップチェリスト伊藤悠貴のリサイタルが紀尾井ホールで開催されました。

このコンサートは、昨年6月にロンドンに有る室内楽演奏の世界の殿堂ウィグモアホールで開かれたオール・ラフマニノフ・プログラムの日本での再現となったものです。日本ではやはり若手で大注目株のピアニスト藤田真央との共演となりました。

プログラム後半に演奏されたチェロ・ソナタのような元々チェロ用の曲はもちろんですが、前半もチェロ用の曲以外のピアノ独奏曲や歌曲を並べて、それらを全てチェロで演奏するという、ロンドンでも日本でも前代未聞のプログラムです。
「ラフマニノフの神髄は歌である」と主張する伊藤悠貴以外には考えつかないプログラム構成で、彼のテクニックは抜群ですが、あえてそれだけで勝負をせず、結果的に「器楽的なチェロ」というよりも「チェロという楽器そのものの深い音色と歌の魅力」を通常のプログラムよりも300%、いやそれ以上に私たちに届けてくれた演奏会となりました。

伊藤悠貴のデリカシーに溢れる美しいチェロの音と藤田真央の透き通るように美しく柔らかなピアノの音との混ざり具合は抜群のハーモニーを奏でていました。

アンコール最後の曲として演奏された「ヴォカリーズ」では消え入りそうで消え入らないピアニシモによる哀しみが心の奥底に何と痛切に浸み渡ったことでしょうか。

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