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2017年12月22日 (金)

ブラームス 交響曲全集 カラヤンとセルを聴く ~古い奴だとお思いでしょうが~

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すっかり冬になりましたが、季節を秋に遡ってみたいと思います。

毎年深まる秋を感じると無性にブラームスの音楽が聴きたくなりますが、そういう方は多いと思います。哀愁漂う美しい旋律が心の奥底まで染み入ってくるからですね。

ブラームスはロマン派音楽全盛の時代に古典的様式を用いて作曲をしたので、先進的な音楽家からは『古い奴だ』と思われていました。けれども様式は古典的でも、音楽の内側はロマンチシズムが一杯に溢れていて、それがブラームスファンの心をぎゅっと掴むのですね。

今年の秋は中々ゆっくりとブラームスの音楽を聴くことが出来ませんでしたが、晩秋も過ぎたころから二つの交響曲全集をよく聴きいていました。それも以前なら、あまり聴く気が起きなかったカラヤンとセルによる全集です。どうも齢を重ねて嗜好の幅が広がったように思います。それは指揮者に限らず、作曲家、カテゴリーなど何についても言えてはいます。

実は生まれて初めて購入したブラームスの交響曲全集はカラヤンのLP盤のセットでした。高校生の時です。初めは大いに気に入り何度も聴きました。が、しだいに当時傾倒していったフルトヴェングラーのセットが欲しくなり、それを持っていた友達と交換したのです。録音は悪いものの大満足でした。

ところが、ある日クルト・ザンデルリンク/シュターツカペレ・ドレスデンの全集を聴いたところ、何か感覚的にストーンと落ちて『これこそがブラームスだ!』と思えたのです。それから45年という月日が流れましたが、幾ら新しい演奏を耳にしても、それ以上に感じられる演奏は決して有りません。

それでもブラームジアーナーとして幅広く聴きたい気持ちは起きてきます。ということで今年の秋はカラヤンとセルでした。

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー(1977-78年録音/グラモフォン盤)
   
前述したとおり初めて購入した全集というのはカラヤンがベルリン・フィルと1960年代にグラモフォンに録音したものです。当時のアナログ(LP)盤で聴くと柔らかく目の詰まった響きがブラームスにふさわしく、とても良い音だと思っていました。ところがそれをCDで聴いたところ分離が悪く、薄っぺらい音にがっかりしました。恐らくはマスタリングの悪さでししょうが、これでは演奏以前の問題です。そこで次に購入したのが、この1970年代の全集盤です。こちらは中々に良い音に仕上がっています。

演奏はどの曲も速過ぎず遅過ぎず中庸のテンポで進みますが、ベルリン・フィルの音の厚みが演奏全体に重みと迫力を感じさせます。ただ、弦楽器などは余りに流麗に過ぎて聞こえますし、レガートを強く意識した演奏は耽美的と言えば聞こえはいいのですが、艶やかさが逆に厚化粧に感じられます。

多くの人が指摘するようにカラヤンの演奏に共通しているのは、外面的な美を追求するあまり、音楽の内面的な真実性が希薄になります。徹底的に磨き上げられた美音で演奏されるとベートーヴェンもチャイコフスキーも、このブラームスも何の曲を聴いても同じ印象を受けます。ベルリン・フィルは非常に上手いのですが、あの演奏から寂寥感や悲しみが感じられることはほとんど有りません。BGM的とも呼べるかもしれません。
更に気になるのがフォルテで管楽器を強奏させることで、明るい音で派手に鳴らすのが常套手段と化しています。第1番の終楽章、第2番の終楽章、4番の終楽章とことごとくこれみよがしな派手なフォルテシモが鳴り渡りますので、せっかくそれまでに厚い音で楽しませてくれていた心地良さもどこかに吹き飛んでしまいます。

音楽にブラームスを感じ取ることはありませんし、繰り返して聴くごとに段々と心は離れてしまい飽きが来やすくなる結果となりそうです。 

 

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ジョージ・セル指揮クリーブランド管(1964-67年録音/SONY盤) 

セル/クリーヴランドが全盛期の1960年代にCBSにより録音された全集です。セルのブラームスは基本のテンポを第1番から第4番までいずれもイン・テンポを保っていて、古典的な造形性をきっちりと守っているのが素晴らしいです。それでいて節目には”念押し”とまでは呼べなくとも、しっかりと重みを感じさせてくれ、いかにもブラームスらしいです。

テンポ設定も全般的に速過ぎることもなく、第4番あたりにはむしろゆったりとしてた情緒的な味わい深さが有ります。

音の切れの良さはいつもながらで、スパッとしたフレージングが日本刀か何かを思わせます。初めのうちはブラームスにしてはスッキリし過ぎているように感じられましたが、繰り返して聴くうちにそれが段々と快感を覚えるようになります。但しフレージングが余りに厳格なので、文字に例えれば”楷書体”あるいは”ワープロ文字”のように聞こえます。それはセルのCBS時代の大半のセッション録音に共通して言えることなのですが。

オブリガートが非常に明確で、スコアを見ながら勉強するには最適です。金管パートがそれぞれ非常に明確なのも特徴です。時にそれにわざとらしさを感じてしまうというのも正直なところです。

金管の響きはブラームスにしては明る過ぎます。他のアメリカの楽団のように、いかにもアメリカ的な底抜けの明るさでは無いですが、ドイツの楽団であれば全体のハーモニーから浮き上がらないような音型が浮き上がり過ぎてしまいます。むろんこれは好みの問題でしょうが、自分にはやはりドイツ流の全ての楽器が柔らかく溶け合った響きが好ましいです。

ということでこの秋は二つの全集を何度も聴きかえしましたが、決定的に異なる点は、繰り返して聴くたびに徐々に魅力が増してゆくセル盤と、それとは逆のカラヤン盤でした。あくまでも”私の場合は”ということですのでご了承願います。

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コメント

東京公演しかない年は東京まで「おっかけ」をした母親が
68歳で死んではや10年・・・
「魂が震えた‼」と言っていた母でしたが
どこまでが音楽に感動し、どこまでがカラヤンに性的な魅力を感じたかは最早墓の下・・・
全部カラヤンのCDから6曲選曲して「音楽葬」で送りました
(一曲目のブルックナー「第7」の第2楽章がヒトラー自殺時に放送されたのは内緒です)。

僕にはカラヤンはどんどん「過去の人」になって行きますね。
チェリビダッケやバーンスタインと違い、生で聴けなかった(高価で!)のは大きいですが。

僕にとってカラヤンの名盤は
①リヒテルたちとのベートーヴェンの三重奏曲
②ヤノヴィッツとのシュトラウスの「4つの最後の歌」です。

確かに遺された録音は膨大だけど、同じ曲の繰り返しが多過ぎる。
レパートリーは広いが、他の指揮者の演奏で十分な曲ばかり・・・
EMIの録音は年代問わず悪いし、DGのは「のっぺり」とした音響が聴く気を殺ぐ。

以上、{僕の場合}なので、ご了承願います。

投稿: 影の王子 | 2017年12月24日 (日) 00時01分

コピーです
では、クーベリックの演奏はどうであろうか? ここからは、ウィーンの情緒は微塵も感じ取れないし、ウィーン・フィルの演奏であることも、知らないで聴くと気付かない。しかし、ブラームスの本質たるかっちりとした造型のなかで、起伏を大きく雄大に取って、しかも流麗に流れ(流れないブラームスの演奏を聴かされると辛いものがあります)、休止符をほんの少し長めに『間』を持たせて取ることを完璧にやり遂げている所こそが、クーベリックとウィーン・フィルの水際立った上手さなのである。この点で、後年のバイエルンとの録音は、残念ながら到底及ばない。要するに、ブラームスの語法とは、暗い北欧的な基盤のなかで重量感と情熱を表出する点に本質がある。このような、ブラームスの内心の発露こそがブラームスの魅力であると同時に、逆説的に言えば、ブラームスが嫌われることの多い作曲家である理由でもある。

なお、クーベリックとウィーン・フィルの第4が、後年のバイエルンとの再録音を上回っていると私が考える部分をいくつか指摘しておきたい。第一に、第1楽章展開部から再現部にかけての処理。ここの部分を情熱豊かに、かつ滑らかに移行させていく録音は数少ない。第二に、第2楽章の深い内面性への共感度。クーベリックの深い部分でのブラームスへの愛情が感じ取れる部分である。第三に、第4楽章の重厚な表現力。パッサカリアを実に見事に処理しきっている。これらを上手く中和した演奏となっている点で、後年のバイエルンとの物を上回っていると考える。要するに、ブラームスの野暮ったい田舎者の側面と、妙な明るさを持った万年青年の側面の、ジキルとハイド的な二面性をうまく融合して表出しているこのブラームスを私は高く評価している。煮え切らないブラームスを逆手にとって、表現しつくした演奏とも言い換えられるだろう。

投稿: pp | 2017年12月24日 (日) 19時34分

影の王子さん、こんにちは。

>レパートリーは広いが、他の指揮者の演奏で十分な曲ばかり・・・
EMIの録音は年代問わず悪いし、DGのは「のっぺり」とした音響が聴く気を殺ぐ

はい100%同感です。あえて言えば「他の指揮者でもっと良いものが沢山ある」というところでしょうか。あれこれ聴き比べるのは面倒くさいという方にとっては「カラヤンなら間違いはない」となるのでしょうね。

①②は良いですよね。あとはSKドレスデンとの「マイスタージンガー」やウイーンフィルとの「薔薇の騎士」なんかも愛聴盤です。
もっともたぶんにオケの魅力が大きいのですが。

投稿: ハルくん | 2017年12月25日 (月) 10時51分

PPさん

私もクーベリック/バイエルン放送響盤はそれほど気に入ってはいません。
1950年代後半にウイーンPOとDECCAに残した録音には良いものが多いです。
当時のウイーンPOの魅力というのも多分に有りますが。

投稿: ハルくん | 2017年12月25日 (月) 11時10分

セルのブラームス全集はタワーレコードから出たSACD盤はお聞きになられたでしょうか。CBSによるちょっと薄味の録音が、セル晩年のEMI録音のように、肉太で滔々と流れる豊穣な音楽として聞こえてきます。初期CDではエッジが立った筋肉質の引き締まった演奏の印象でしたが、リマスターで音が劇的に変わり、セル/クリーブランドに対するイメージが大きく変わってしまいました。

カラヤンのブラームスはセッション録音は作り物めいていて不自然な整形美人のようですが、サントリーホールでのライブ録音盤(88年5月5日、交響曲第1番)などは、カラヤンがライブの人だったことの証左になるような熱気が伝わってきます。今となっては録音だけで評価されるので仕方ないですが、レコードやCDは演奏者のある1面しか捉えていないのでしょう。

同曲のライブ盤ではベーム/ウィーンフィルのNHKホール録音(1975年3月)の盛り上がりも忘れがたいです。当時あの会場で生演奏を聴いた際に感激した記憶がよみがえってきます。とはいえ、やはり録音は箱庭的でこじんまりしています。

投稿: ROYCE | 2017年12月30日 (土) 19時21分

ROYCEさん、明けましておめでとうございます。

SACD盤は友人の家でも聴いて良いなとは思うのですが、ディスクが高価な点がネックで未だにプレーヤーも購入していません。

CBSの録音は楽器に限らずオン・マイクの残響の少ないものが多いので生々しさが生きる結果となり、それはそれで嫌いではありません。
現在はデジタル技術でどんな風にも音を造れますので怖いです。おっしやる通り録音だけで評価するのは非常に危険です。
ただ、細かいことを言えば実演でも座る席で聞こえ方が大きく異なるのも事実であり、これもまた鵜呑みには出来ません。
NHKホールのステージから遠く離れた最上階で聴くのが良いか、CDをハイファイ装置で聴くのが良いか、全て聴き手の主観的なものだと思っています。
鑑賞も奥が深いですよね。

投稿: ハルくん | 2018年1月 2日 (火) 18時33分

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