モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ 名曲集 名盤
モーツァルトの「ヴァイオリン・ソナタ」は、正確には「ヴァイオリン伴奏付きクラヴサンもしくはクラヴィーアのためのソナタ」です。貴族のお嬢様たちが、音楽教師のヴァイオリン伴奏に合わせてピアノを練習するために書かれた曲がほとんどです。
そのために、純粋な「ピアノ・ソナタ」と比べるとピアノのパートが易しく書かれていますし、曲そのものもそれほど凝った内容ではありません。にもかかわらず、とてもチャーミングな作品ばかりで、モーツァルティアーナにとってはやはり心惹かれるのですね。
これらの作品には第43番まで曲番号が付けられていますが、K100番以下の初期の作品の中には一部偽作が含まれています。ですので、一般的には第24番K296以降の作品が演奏されることがほとんどです。特にウイーンに移ってから書かれた第32番K376以降の作品は大半が三楽章構成であり楽曲も充実しています。
その中で、僕が魅力を感じている作品をざっと上げてみます。
第24番ハ長調K296
第25番 ト長調K301
第28番ホ短調K304
第34番変ロ長調K378
第35番 ト長調K379
第40番変ロ長調K454
第43番ヘ長調K547
その中でも飛びきり好きな曲と言えば、やはり第28番ホ短調K304ということになります。この曲に、最も”霊感”(インスピレーション)を感じるからです。曲全体を短調特有の苦悩や哀しみが覆っていますが、第2楽章中間部の静寂の中に射し込める微かな薄明かりは、ほんの束の間の幸福を想わせて涙を誘われずにいられません。
第34番変ロ長調K378にも、やはり霊感を感じます。第2楽章は、あのアインシュタインがヴァイオリンを弾いた録音が発見されたと話題になりましたが、実際は別の演奏家の録音であったようです。その真偽はともかくとしても、純粋無垢な美しさが心に浸み入る素晴らしい音楽です。
それに続く第35番ト長調K379も非常に魅力的ですね。
さて、僕の愛聴盤ですが、主要な曲を集めた選集から先にご紹介したいと思います。
ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn)、カール・ゼーマン(Vn)(1953-1955年録音/グラモフォン盤)
CD3枚にソナタ13曲が収められたBOXセットです。曲目は少なめですが、K547以外の主要なソナタは網羅されています。録音年代から当然モノラルで幾らか古さは感じますが、音はヴァイオリンもピアノも明瞭です。なにしろシュナイダーハン以降、ウイーン出身の優れた独奏ヴァイオリニストがすっかり減ってしまったことからも、この録音は貴重です。全体の演奏は端正ながら、何気ない音型のあちらこちらにウイーンの甘さ、柔らかさを感じさせるのが本当に魅力的です。テンポは総じてゆったりとしているので現代の耳にはもたついて聞こえるかもしれませんが、これこそが鄙びたウイーン情緒であり味わいです。ウインナ・カフェを飲みながら聴くならば、やはりこの演奏でしょう!
カール・ズスケ(Vn)、ワルター・オルベルツ(Vn)(1967-1972年録音/edel盤)
CD5枚にソナタ18曲と小品3曲が収められたBOXセットです。K296以降のクラヴィーアとヴァイオリンのための作品をすべて網羅しているのがポイントです。二人とも旧東ドイツの演奏家らしく、どの曲に於いてもリズムや音符の処理が正確で、造形のしっかりとした演奏を聴かせます。ズスケの音は綺麗ですがやや細身で、もう少しふくよかさが有っても良いかなというところですが、かつて実演で聴いた音もやはり同様の印象でした。オルベルツは時にバロック的に聞こえるほど厳格な弾き方ですが、ズスケとはピタリと息が合っています。二人の演奏は真面目過ぎる印象が無きにしも非ずで、もう少し微笑みやウイーン的な甘さが欲しい気がします。ですので、何曲も連続して聴いていると幾らか飽きが感じられるかもしれません。何とも些細な不満ではありますが。録音は優れています。
シモン・ゴールドベルク(Vn)、ラドゥ・ルプー(Pf)(1974年録音/DECCA盤)
CD4枚にソナタ16曲が収められたBOXセットです。親子ほどの齢の違いのあるコンビがロンドンで全曲演奏会を開いて大成功した直後に行われたレコーディングです。ゴールドベルクはSP時代にもリリー・クラウスとのコンビで録音を残しましたが、このルプーとの録音の方が気に入っていたようです。二人とも虚飾の無い端正な演奏家ですので、ギャラント風のスタイルとはだいぶ異なりますが、ゴールドベルクのしっとりと落ち着いた雰囲気が何とも魅力的です。この録音時65歳ですが、技巧的にも衰えは感じられません。もちろんルプーのピアノも地味ながらも底光りするような美しい音と演奏で、ゴールドベルクとは相性が抜群です。DECCAによる録音も優秀ですし、これはモーツァルティアンの為の最高の選集だと思います。
続いては1枚もののご紹介です。
アルトゥール・グリュミオー(Vn)、クララ・ハスキル(Pf)(1958年録音/フィリップス盤) これはもう定番中の定番ですのでいまさら何をいわんやですが、正に不滅の名盤です。古雅な趣のハスキルのピアノとギャラント風で小股の切れ上がったグリュミオーのヴァイオリンは一見合わなそうですが、実際はモーツァルトの音楽の微笑みと哀しみ、陰影の深さを他のどんな演奏家達よりも見事に描き出しています。テンポ感とフレージングもこれ以上無いほどに絶妙です。K304の第2楽章など、その余りの美しさに息もつけないほどです。唯一の不満は、ピアノの音が遠く感じられる録音バランスですが、素晴らしい演奏に聴き惚れているとそれも気にならなくなります。K301、K304、K376、K378の4曲が収められていて選曲もほぼベストです。
ヘンリック・シェリング(Vn)、イングリッド・ヘブラー(Pf)(1969-1972年録音/フィリップス盤) この二人はかなりの録音を残していてBOXでも出ていますが、僕のCDはK304、K376、K379、K454の収められた1枚ものです。選曲は悪くはありません。シェリングは三大B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)は最高なのですが、モーツァルトの演奏には微笑みや茶目っ気がやや不足するように思います。ズスケと同じように”真面目過ぎ”に感じられるのですね。その典型がK304で、もっと感情に溺れても良いのになぁと思います。ヘブラーも傾向は同じですが、シェリングほどは気になりません。逆に曲想にピタリと適して素晴らしいのはK379です。二人とも本当に美しく、潤いのある音を奏でているので残念でいますし、響きの柔らかい録音も優秀です。
イツァーク・パールマン(Vn)、ダニエル・バレンボイム(Pf)(1984年録音/グラモフォン盤) このCDはオリジナルのLP盤そのままなので、K301、K302、K303、K304が収録されています。これ1枚だとちょっと曲目が片寄ります。二人の演奏はとてもロマンティックなもので、甘く表情豊かに歌わせています。といって様式を崩している訳では有りません。およそ神経質さが無く、おおらかで自由奔放な雰囲気なのが魅力です。どの曲も無条件で楽しめます。但し、大好きなK304の第2楽章が以外にあっさりとしていて物足りません。パールマンの音は乾いた印象ですが、とても美しいです。これを決して”白痴美”などと誤って評することなかれ。
オーギュスタン・デュメイ(Vn)、マリア・ジョアン・ピリス(Pf)(1990-1991年録音/グラモフォン盤) この演奏も人気が高いと思います。収録曲もK301、K304、K378、K379と、1枚ものではベストの選曲です。録音もずっと新しくなるので二人の楽器がとても艶やかな音で録れています。デュメイ、ピリスともに歌い回しや表情づけが非常に豊かであり、少なくともここに上げた演奏の中では最も大胆です。両者ともにセンスが良いのでとても楽しめます。但し、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタに清純さや純粋無垢な雰囲気を求めるとすると、この演奏は少々枠をはみ出していそうです。聴き様によってはある種の”あざとさ”を感じてしまうかもしれません。そこが好き嫌いの分かれ目です。
ということで、どれも魅力を感じる演奏ばかりですが、あえて選集、1枚ものからそれぞれたった一つ選ぶとすれば、迷うことなく選集はゴールドベルク&ルプー盤、1枚ものはグリュミオー&ハスキル盤です。特に後者はたった4曲でもベストに近い選曲ですし、奇跡的な名演奏なので、仮に選集、1枚もの問わず選ぶとしても、やはりこのディスクになります。この演奏のピアノの音に古めかしさを感じられる場合には、デュメイ&ピリス盤がお勧めできます。
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コメント
モーツァルトの曲は、恐らく所有しているCDの2~3割位を占めていると思います。今日も少し懐に余裕ができたので、中古CDを扱う有名店に出かけるのですが、売っているCDの中でもモーツァルトは多いのです。少しは、他の珍しい作曲家のものをと思っても少ないのです。ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、ブルックナー、モーツァルト、シューベルト。どうしても、売られているものも、交響曲主体になるのでこうなるのでしょうね。自分のコレクションもいつの間にか、モーツァルトが多くなっていきます。
さて、前置きはこの辺にして、沢山所有しているモーツァルトですが、ヴァイオリン・ソナタはどうかな?と思って見てみると、殆どないといった状況です。というか、私の持っているのは、ご紹介のグリュミオーのステレオ盤、そして、40盤、41番のモノラル盤です。これでOKと思っていました。ご指摘のようにピアノが右奥に少し引っ込んだ収録になっていますが、くすんだ響きがたまりません!私は34盤を愛聴しますが、もうこの2枚で十分だと思っていたので、コレクションが増えていかなかったのです。
私のコレクションの考え方は、「定評のある古い録音ばかりが、クラシック音楽の聴き方でもあるまい」と思っています。そこで、時々、新しい演奏にも手を染めますが、最近、チャンネル・クラシックから出ている、ポッジャー(vn)、クーパー(pf)盤を購入してみました。SACDで飛びっきりの高音質録音ですが、ポッジャーのヴァイオリンの何と素晴らしいことか。以前、バッハの無伴奏を購入していましたが、この人のCDはどれも聴きものです。モーツァルトもこの二人で全集になっているようですが、いずれ揃えてみたいと思っています。古い演奏も良いですが、現在の演奏家の良い録音を聴くことも、大いなる楽しみの一つではないでしょうか?
投稿: クレモナ | 2014年7月18日 (金) 04時42分
モーツァルトのヴァイオリンソナタ 大好きです。
ゴールドベルグとリリー・クラウスのSPから
聴いています。LP,CDでも出ましたがk296,k378 とてもいいと思います。すっきりと美しい演奏と思います。
ゴールドベルグとルプーはその演奏を思い出させる素敵なCD。
最近ではデュメイとピリス 賛成です。
スタインバーグと内田はピアノがちょっと主張し過ぎでしょうか。
投稿: 蝶 旅の友 | 2014年7月18日 (金) 09時35分
ハルくんさん、こんばんは
LP4枚に計11曲を録音したワルター・バリリとパウル・バドゥラ=スコダの演奏は、形がはっきりと整っている中で、豊かな表現が聴かれ、繰り返し聴いても、飽きることがありません。最近は、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聴きたくなった時に、もっぱら取り出して聴く演奏録音です。HABABI
投稿: HABABI | 2014年7月18日 (金) 20時09分
クレモナさん
モーツァルトはとにかく名曲が多いですからね。自然にコレクションが増えてしまうのも無理有りません。
グリュミオー盤のハスキルの音がくすんでいるのは当時のプロデューサーの意向だったようですね。協奏曲にも共通しています。実際に古雅な響きだったと思いますが、曲によってはちょっと極端ですね。ただ何と言っても演奏は最高ですので有無を言わせませんね。
ポッジャー盤はまだ聴いていません。新世代の有望な演奏家を発見するのも楽しいものですが、新盤は録音が優れるのは良いのですが、高価な割に演奏がそれに見合わないというリスクが有るので、どうしても購入は控え目になります。その点、長い時を経て生き残った往年の名演奏家の録音はCDが廉価な場合が多くしかも得難い魅力が有るものが多いですね。
予算に限りが合りますので、どうしてもそのような傾向にはなりがちです。
投稿: ハルくん | 2014年7月18日 (金) 21時10分
蝶 旅の友さん
ゴールドベルグとクラウス盤は昔はLP盤で持っていましたが、現在は有りません。
あの人のヴァイオリンは本当に素晴らしいですね。
内田光子さんのピアノは、余り好んでいません。なんというか音楽が”重い”のですね。何を弾いても思い入れが強過ぎるのではないでしょうか。個人的にはもう少し肩の力を抜いてほしいなぁと思います。
投稿: ハルくん | 2014年7月18日 (金) 21時17分
HABABIさん、こんばんは。
バリリとバドゥラ=スコダの演奏は昔LP盤を1枚持っていた記憶があります。曲は憶えていませんが、もちろん良い印象です。
とても懐かしいですし、久しぶりにまた聴いてみたいです。どうもありがとうございました。
投稿: ハルくん | 2014年7月18日 (金) 21時22分
ハルくんさん、こんばんは。
モーツァルトはあらゆるジャンルに名作を残しているので、彼のファンはすごく幸せだと思います。(まあ、そのぶんCD代はかかりますが……(笑))
ヴァイオリン・ソナタの名盤と言えば やはり グリュミオーとハスキルの モノラルとステレオの2枚ですよね。私は LP時代から聴いてきましたので、脳みそに刷り込まれてしまっています。(笑)
あと、ウィーンの演奏家が好きなので、シュナイダーハン盤とバリリ盤は、外せません。
特に バリリとB=スコダの第32番……。絶品です。
最近購入した ゴールドベルグ/ルプー盤も なかなか素晴らしいです。
投稿: ヨシツグカ | 2014年7月18日 (金) 22時25分
ヨシツグカさん、こんばんは。
本当ですね。CD代がかかること、かかること。幸せなのか不幸なのか。。。
やっぱり幸せですね!
いやー、グリュミオーとハスキル盤、やはり人気高いですね。それにバリリとバドゥラ=スコダ盤も。バリリは増々聴き直してみたくなりました。
ゴールドベルグとルプー盤はウイーン的とは違うのですが、あのしっとりと瑞々しい情感は聴けば聴くほどにじわじわとハマります。
投稿: ハルくん | 2014年7月18日 (金) 23時05分
やっぱり私もグリュミオー・ハスキル盤が大好きです。フィリップスには数多くの名盤が有りますが、これはその中でも鉄板の名盤でしょう。
いかにもモーツァルトといった感じで、同じくフィリップスのクリップスによる後期交響曲集同様何度も聞きたくなる音です。
投稿: ボナンザ | 2014年7月19日 (土) 19時48分
ハルくんさん、こんにちは!
K304良いですよね。
大好きな曲です。(^.^)
一時期この曲の入っているディスクばかり買ってました。
私もハスキル、グリュミオー盤好きです。
それと少しオタク的になりますが同じフィリップスのナップ・デ・クリィン、アリス・ヘクシュも素晴らしいです。特にヘクシュの清楚なピアノの音色が堪りません。
投稿: よーちゃん | 2014年7月20日 (日) 10時23分
ボナンザさん
グリュミオーとハスキル盤は本当に支持者が多いですね。改めて認識させられますが、それだけ素晴らしい演奏ですね。
クリップスの交響曲選集も本当に素晴らしいですね。全く同感です。
投稿: ハルくん | 2014年7月20日 (日) 22時19分
よーちゃんさん、こんにちは。
K304素晴らしいですね。本当に天才の業だと思いますね。
グリュミオーとハスキル盤については本当に皆さんに好まれていますね。こんなに支持者の集中した演奏は珍しいですね。
クリィン、ヘクシュ盤ですか。一度も聞いたことありませんが、機会有れば聴いてみたいです。ありがとうございます。
投稿: ハルくん | 2014年7月20日 (日) 22時33分
こんばんは。
リヒテルのモーツァルトが好きなので、学び直したいと共演を望んだカガンとの32,34,35番が初体験で、何故これまでVnソナタに縁が無かったのかと。貴blogを拝読して、
①グリュミオー/ハスキル
②ゴールドベルク/ルプー
③バリリ/スコダの24,35,40番
を入手。特に③の、コノ時代ならではのウィーンの香りに参ってしまい、光の速さで残りのバラ売りも入手。
ただ、28番は短調らしさが出ている①②です。特に①は、キレの在る1楽章に「このままの調子で2楽章にいかれると...」という不安も、一転してテンポを落としてウットリさせてくれるので強く印象に残ります。
今年も貴blog、コメントを残される諸先輩方に深謝です。皆さま、よいお年を。
m(_ _)m
投稿: source man | 2016年12月28日 (水) 22時35分
source manさん、こんばんは。
バリリのその辺りは昔LP盤で親しんだ演奏です。CDでの収集はまだ出来ていませんが、本当に魅力的な演奏ですよね。
グリュミオー/ハスキル盤についてはこれはもう言うまでも有りませんね。”定番”という呼び名が最も適した演奏の一つです。
この一年、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
投稿: ハルくん | 2016年12月31日 (土) 00時27分