« 「市民団体、河野談話見直し中止を」だって?? | トップページ | フルトヴェングラーと同時代の作曲家 ~エルンスト・ペッピング&ハインツ・シューベルト~ »

2014年3月16日 (日)

モーツァルト ミサ曲ハ短調 K.427 名盤 ~大ミサ曲~

Mozartandconstanzeweber0

モーツァルトはザルツブルク時代には宗教音楽を数多く手がけましたが、ウイーンへ移ってからはそれが極端に少なくなります。ザルツブルク時代には教会音楽作曲家としての立場からそのための音楽を多く書かなければなりませんでしたが、ウイーンではフリー音楽家に転身したので、特に依頼が無ければ書く必要が無かったからです。他人からの依頼による作品の代表作は有名な「レクイエム」ですが、反対に誰からの依頼も無いのに書こうとしたのが「ミサ曲ハ短調」です。この作品はモーツァルトの宗教曲の中で最も規模の大きな作品であるために、「大ミサ曲(Grosse Messe)」とも呼ばれます。

モーツァルトがこの曲を書き始めた動機としては、当時の父親との関係に有るというのが通説です。

モーツァルトは父レオポルドの猛反対を押し切ってコンスタンツェと結婚をしたので、それ以来二人の関係は最悪のものとなっていました。
そんな折、「後宮からの誘拐」がウィーンで大成功して、ザルツブルクでも上演されることになったため、モーツァルトはコンスタンツェを伴ってザルツブルクへ行くことになります。そこでモーツァルトは一計を企てました。大きなミサ曲を作って、そのソプラノ独唱をコンスタンツェに歌わせようとしたのです。そうすれば新妻が父親から見直されて、二人の関係が修復されると期待したのです。

ところが作曲時間が余り無いのに曲の規模をやたらとに大きくしてしまったために、モーツァルトは演奏会までに曲を完成出来ませんでした。やむなく演奏会では従来のミサ曲からの一部が使用されたそうです。

演奏の出来映え、特にコンスタンツェが果たしてこの難しい独唱をどれだけ歌えたのかは分かりませんが、父親との和解には何ら効果が見られず、完全にモーツァルトのもくろみは外れてしまいました。

その後、モーツァルトはこの曲を完成させようとはしませんでした。ウイーンではフリー音楽家でしたので、収入になる曲を優先させているうちに後回しになったのかもしれません。あるいは父親との和解が失敗に終わったので意欲を失ったのかもしれません。

曲の構成は下記の通りです。

第1曲「キリエ」
第2曲「グローリア」
第3曲「クレド」(未完成。一部補筆)
第4曲「サンクトゥス」
第5曲「ベネディクトゥス」
    「アニュス・デイ」(未着手)

第1曲「キリエ」での哀しみを湛えた厳かな表情は胸に迫りますし、8部から成る長大な第2曲「グローリア」は非常に聴き応えが有ります。そして未完成とは言え、第3曲「クレド」の第2部(「エト・インカルナトゥス・エスト」)での、コロラトゥーラによる華やかなソプラノ・パートはモーツァルトらしい霊感に溢れた素晴らしさです。本当にコンスタンツェが歌えたのでしょうか。
ただ、この力作も「アニュス・デイ」が未着手に終わったことから、第5曲「ベネディクトゥス」で終わるために、どうしても尻切れトンボの印象を残すのは止むを得ません。

このように、このミサ曲は未完成に終わりましたが、それでも演奏に50分程度はかかる長い作品ですし、もしも完成していれば1時間を優に超える大作になったのは間違いありません。それが果たしてバッハの「ロ短調ミサ曲」に匹敵したかどうかは分かりませんが、とにかく非常に惜しまれます。
とは言え、ウイーン時代の円熟した技法で書かれたこのミサ曲は、「レクイエム」に次ぐモーツァルトの宗教音楽の傑作でしょう。

ところで、モーツァルトはのちにこのミサ曲ハ短調を転用してカンタータ「悔悟(かいご)するダヴィデ」K.469という曲を書いています。これはウイーンでの慈善演奏会の為に新しく曲を作る時間が無かった為に、ミサ曲の「キリエ」と「グローリア」にイタリア語による歌詞を付けて、2曲のアリアを新たに加えるというバッハ得意の”転用術”を用いたのです。
アインシュタインなどは、この曲を「はなだしく分裂した作品だ」と酷評していますが、それは少々言い過ぎだと思います。ミサ曲ハ短調を愛する人は一度聴かれても損は無いと思います。

それでは僕の愛聴盤のご紹介です。

ミサ曲ハ短調 K.427

51mxz5danbl__sl500_aa300_ フェレンツ・フリッチャイ/ベルリン放送響(1959年録音/グラモフォン盤) 昔からこの曲の定番とされた演奏ですが、大編成による旧時代的でロマンティックな演奏です。当時最高のメンバーを揃えた歌手陣や優れた合唱の素晴らしさは圧巻ですらありますが、ソプラノの歌唱などはいささかドラマティックに過ぎるように感じられます。ただ、元からオペラのような華やかさも持ち合わせた「大ミサ曲」ですので、それほどの抵抗は感じません。録音には幾らか古めかしさを感じますが、鑑賞に問題が有るほどではありません、現在でもこの曲の代表的演奏としての価値は失われていないと思います。

519ew7qxmal ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1986年録音/カプリッチオ盤) 同じケルンライブ・シリーズの「レクイエム」の5年前の録音です。大編成ながらも過剰なロマンティックさを排除して端正さが感じられるのは良いです。ただ、オケも合唱も「レクイエム」の素晴らしさに比べると少々劣るように思います。もしかすると録音の明瞭さの不足が影響しているのかもしれません。ソプラノの歌唱は幾らかオペラティックに聞こえていて、出来栄えも今一つのように感じます。

Mozart_sacredmusicニクラス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス(1984年録音/テルデック盤) アーノンクールのモーツァルト宗教曲全集に収録されています。オケが古楽器の割にはウイーン国立歌劇場による合唱の編成は大きめに感じられます。もちろん全体的にアーノンクール調の鋭いスタッカートやダイナミクスの変化が見られますが、この曲では余り抵抗を受けません。むしろ、この大曲の肥大化を防いで、全体が引き締まった印象を受けます。ソプラノの歌唱は優秀で、決してオペラティックにならない凛とした美しさが感じられて素晴らしいです。

Cci00036 ペーター・ノイマン指揮コレギウム・カルトゥジアヌム、ケルン室内合唱団(1990年/ヴァージン盤) ペーター・ノイマンのモーツァルト宗教曲選集に収録されています。古楽器による演奏ですが、ノイマンは古楽の無味乾燥さとは無縁で、端正な音の中にロマン的な深い味わいを内包しているように感じます。テンポをむやみに速めることもなく、落ち着きを持っているのが良いです。独唱陣も合唱も非常に優秀なので、安心して音楽に身を委ねられます。古臭くも無く先鋭的でも無い、正にリファレンスにしたいような素晴らしい演奏です。

この中で一つを取るとすれば、ペーター・ノイマン盤です。もう一つとなれば、フェレンツ・フリッチャイ盤です。

これ以外では、昔懐かしいウイーンの合唱指揮者フェルディナント・グロスマンが録音したCDを持っていましたが、その頃は気に入らずに手放してしまいました。改めて聴き直してみたいのですが、レアなCDなのでもう手には入らなそうです。アレ~(涙)

カンタータ「悔悟(かいご)するダヴィデ」K.469

51rfit8heml シギスヴァルト・クイケン/ラ・プティット・バンド、オランダ室内合唱団(1985年録音/ドイツ・ハルモニア・ムンディ盤) バロック音楽の古楽器演奏で名を成したクイケンが、古典派作品の演奏にも取り組み始めたころの録音です。この曲はそもそも録音の数が少ないので、ほとんど比較のしようも無いのですが、「ミサ曲ハ短調」の幾つかの演奏と比べても非常に素晴らしい演奏です。深々とした敬虔な雰囲気がたまりません。ラ・プティット・バンドの演奏も流石に優秀です。これほどの出来栄えとなると、ミサ曲のほうの演奏が是非とも聴いてみたくなります。そのうちに録音をしてくれないものでしょうか。

|

« 「市民団体、河野談話見直し中止を」だって?? | トップページ | フルトヴェングラーと同時代の作曲家 ~エルンスト・ペッピング&ハインツ・シューベルト~ »

モーツァルト(声楽曲)」カテゴリの記事

コメント

ハルくんさん、こんにちは。
モーツァルトのハ短調の作品は 「大ミサ曲」の他に、ピアノ協奏曲の24番、ピアノソナタの14番が有名ですが、この3曲、なんとなく いつものモーツァルトらしくありませんよね。劇的過ぎると言うか、ロマン的過ぎと言うか…。
やっぱり ウィーンに出て来て「いっちょ やったるか!」と言う思いがあったのでしょうか?(う~む…)
私の持っている「大ミサ曲」のCDは フリッチャイ盤、リリングの新盤、ガーディナー盤、ホグウッド盤ですが、良く聴くものは オジェーのソプラノが美しい ホグウッド盤です。

投稿: ヨシツグカ | 2014年3月16日 (日) 12時32分

ヨシツグカさん、こんにちは。

ウイーンに出てきて「やってやるぞ!」という意気込みが相当有ったのは間違いないでしょうね。
モーツァルトが目指した「前衛」。それが端的に出ているのがハ短調かもしれません。それはベートーヴェンへと続く進化の道ですね。

さすがに「大ミサ曲」には色々と録音が有りますね。
お気に入りのホグウッド盤は少年合唱を使用しているのですよね。聴いてみたいなぁと思っています。宗教曲の主要作品を一巡してからになるとは思いますが。

投稿: ハルくん | 2014年3月16日 (日) 15時45分

手持ちのバーンスタイン盤で聴きましたが、実に美しい曲ですね。
未完成なので「唐突に終わる感」ハンパないですが
少なくとも退屈はしません。
今後、聴き倒したいです。

投稿: 影の王子 | 2017年12月 5日 (火) 19時16分

影の王子さん、こんにちは。

この曲は未完成ながらも傑出した作品ですね。
古楽系の演奏も聴かれると楽しいと思います。

投稿: ハルくん | 2017年12月 6日 (水) 12時39分

ハルくん様
愚生のこの曲の手元にある盤は、レッパード指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、ジョン・オールディスCho、コトゥルバス、テ・カナワ、クレン、ゾーティンの、しかもLP盤でフランスEMI2c069-02471のみですね。
女声御二人が、スターダムにのしあがる前の集録で、演奏全体の印象もあざとい演出臭がなく、均整の取れた好演奏です。カトリックでも、プロテスタントでもないので、西洋の宗教音楽に及び腰気味なせいか、ミサにレクイエムのジャンルはあまり同曲異盤を、集めないようです(笑)。

投稿: リゴレットさん | 2018年3月13日 (火) 13時44分

リゴレットさん

私もカトリックでも、プロテスタントでもありませんが、宗教曲の持つ厳粛な雰囲気が好きなので色々と聴いてしまいます。管弦楽曲以上に演奏者により違いが大きいのは面白いところです。
それに、いわゆるコンサート指揮者と合唱指揮者の演奏の違いや、同じ指揮者でもオーケストラ曲と宗教曲を演奏するときのスタイルの違い(あるいは全く変わらない)など中々に面白いですよ。

投稿: ハルくん | 2018年3月13日 (火) 16時06分

ハルくん様
この前手元にあります、故・小石忠男さん著の世界の名指揮者…1975年・刊…の、クリュイタンスの項を見ましたら、このお方がクリュイタンスに宗教音楽を理解するには、その宗教への信仰が必要でしょうか?と尋ねた所、急に厳しい顔付きになり、即座に否定なさって宗教音楽はそうでなくとも理解できると、断言されたそうです。1964年5月のパリ音楽院管弦楽団を率いての、唯一の来日公演の際のインタヴューの、一節からでした。

投稿: リゴレットさん | 2018年4月28日 (土) 08時58分

リゴレットさん

これは非常に深い問題かと思います。
たとえ宗教への理解が不要だとしても、幾らかでも理解がある人とそうでない人で聴き方が全く同じというようには思えません。
あるいは徹底的に純音楽的に聴く人は「音楽」への理解は深いでしょうから、宗教を理解していても純音楽的には理解が浅い人と比較するのも難しそうです。
そもそも「理解量」がそのまま「感動量」に比例するものでもないでしょうしね。

投稿: ハルくん | 2018年5月 1日 (火) 12時53分

ハルくん様
う~む…。

投稿: リゴレットさん | 2018年5月12日 (土) 16時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1080200/55173888

この記事へのトラックバック一覧です: モーツァルト ミサ曲ハ短調 K.427 名盤 ~大ミサ曲~:

« 「市民団体、河野談話見直し中止を」だって?? | トップページ | フルトヴェングラーと同時代の作曲家 ~エルンスト・ペッピング&ハインツ・シューベルト~ »