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2013年11月

2013年11月29日 (金)

秋のブラームス祭り フィナーレ ~今年聴いたシンフォニーのCDから~

すっかり寒くなってきました。昨日は北国だけではなく西日本でも雪がちらついたそうです。”冬将軍”の足音もどんどんと大きくなって、晩秋も終わりを遂げようとしています。
ということで「秋のブラームス祭り」も、いよいよフィナーレですが、締めくくりはやはりシンフォニー特集と行きましょう。但し、今年は新しく聴いたブラームスの交響曲のCDが例年に比べて不作でした。これも異常気象と猛暑の影響なのでしょうか。夏の暑さがずっと続いて、秋の訪れが遅れてしまっては、さすがのブラージアーナーといえどもブラームスを聴く気分が減退させられても不思議は有りません。ブラームス愛好家の減少を防ぐためにも、世界の温暖化対策の実施は火急の責務でしょう。(ホント?)

などなどと、妙ちくりんな話をウジウジと並べたてる、こういう性格こそがブラームジアーナーたる所以なのですが。(苦笑)

ともかく、今年ご紹介するブラームスのシンフォニーCDは本当に少ないのですよ。フィナーレと呼ぶのもはばかれる枚数ですが、順にご紹介してゆきます。

交響曲第1番

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クリストフ・エッシェンバッハ指揮北ドイツ放送響(2000年録音/En Larmes盤)

いきなり海賊盤CD-Rが登場するあたり、今年の不作を物語りますが、エッシェンバッハのブラームスは昨年、ヒューストン響と録音した交響曲全集をご紹介しました。まるでドイツのオケと間違えるような響きを醸し出したスケールの大きな名演奏ですが、細部にこだわって聴いてみると微妙な違いにはどうしても気付かされてしまいます。そこで、北ドイツ放送響あたりとの再録音を望みたいと書いたのでしたが、その夢が多少でも適ったのが、この海賊盤です。海賊盤のCD-Rにはメジャーレーベルの正規盤以上の音質のものも数多く存在しますが、もちろん逆のものも有ります。En Larmesはレーベルとしては優秀な方だと思っていますが、実際に聴いてみるまでは分かりません。
で、このディスクの音質は最優秀では有りませんが、合格です。最強音時に僅かに音のざらつきをを感じますが、全体的にはバランスも良く、下手なアナログ・リマスター盤よりはずっとまともです。EMI録音のヒューストン響と比べても、やはりドイツのオケの音を聴いている実感が湧いてきます。実際に聴いたこのオケの生の音に近いのが嬉しいです。シュターツカペレ・ドレスデン、それにゲヴァントハウス管と並んで、ドイツの三大ブラームス・オーケストラと僕が考えている北ドイツ放送響のいかにも「プロシア的」な厚く暗い響きを聴くことが出来ます。エッシェンバッハの指揮は遅めのテンポでスケールが大きいですが、そこに微妙なテンポの加減を与えて情熱的に盛り上げます。全体のバランスや造形性を損ねたりしないのが実に素晴らしいです。あのフルトヴェングラーやカラヤンが失敗するブラームス演奏の愚を決して行なったりはしません。ますます、このオケとの組み合わせで全集録音を聴いてみたくなります。

交響曲第3番

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コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1992年録音/Profile盤)

ディヴィスはSKドレスデンの首席指揮者にこそ就いたことは有りませんが、数多くの共演、録音を行ないました。これは1992年の本拠地ゼンパーオーパーでのライブ録音です。このオケのブラームスというと、どうしても不動の名盤であるザンデルリンクの全集録音と比べてしまうので気の毒です。それはともかく、ディヴィスの演奏のテンポは遅めですが、ザンデルリンクよりは速いです。リズムの腰の座り方もザンデルリンクのテコでも動かない安定感と比べれば遜色を感じます。それは単にテンポの問題では無く、リズムの刻みの深さの違いだと思われます。ただし、旋律をだらしなくベタベタと歌い崩さないのは理想的です。オケの響きについては、ザンデルリンクが正にこのオケの持つ古雅な響きが最も魅力的であった1970年代に録音しましたので、それを越えることは不可能です。それに実演のハンディでもあるのでしょう、頭の音に微妙なズレを感じることが幾度となく有ります。従って、どうしてもザンデルリンク盤には劣る印象ですが、”最高のブラームス・オーケストラ”という肩書きを返上する必要は有りません。同じ年代の録音で、これ以上のブラ3の演奏もそうそう思いつかないからです。それがシュターツカペレ・ドレスデンたる所以です。

交響曲第4番

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クルト・ザンデルリンク指揮スウェーデン放送響(1990年録音/WEITBLICK盤)

”ブラームス演奏の神様”ザンデルリンクのブラ4と言えば、代表的なところでは1972年のSKドレスデン盤、1984年のミュンヘン・フィル盤、1990年のベルリン響盤があります。今回のスウェーデン放送響盤と同じ年の録音であるベルリン響盤は、もたれるほどに遅いテンポによる沈み込むような味わいの名演奏でした。但し、聴いていて時に覇気に欠けるように感じてしまう部分も有ります。このスウェーデン放送響盤ではテンポは遅めですが、ベルリン響盤のようにもたれる印象は受けません。これは実演による流れの良さが有るからでしょう。特筆すべきは、旋律を大きく歌わせて、感情を思いきり吐露していることです。その点では、これまでの客観的で大袈裟に感情移入しない演奏スタイルとはだいぶ異なります。晩年においてもザンデルリンクは決して枯れることなく、非常にロマンティックなハートを持ち続けていたことの証明です。スウェーデン放送響の音はドイツ的というわけでも無いのですが、とても美しくブレンドされた厚みのある響きでブラームスを堪能させてくれます。やはり優れたオーケストラです。録音が生々しいのも理想的で、残響過多のベルリン響盤よりもずっと好みます。ザンデルリンクのブラ4では、これからSKドレスデン盤と並んで愛聴しそうです。カップリングされているのは「悲劇的序曲」ですが、交響曲全集の新盤にこの曲は含まれていなかったので大変貴重です。演奏も実に素晴らしいです。ということで、これを今年聴いたブラームスのシンフォニーのCDのベスト盤にしたいと思います。

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ルドルフ・ケンぺ指揮BBC響(1976年録音/BBC Music)

ケンぺは同じドイツの指揮者でもザンデルリンクのような重量級では無く、中量級のイメージです。リズムにテコでも動かないような念押しは有りませんし、表情を刻々と変化させてゆく軽妙なフットワークを持っています。それでももちろんドイツ人ですので音楽を上滑りさせるようなことはありません。特にこの晩年のライブでは、英国放送のオーケストラを感情豊かに歌わせて、聴き手の心に強く訴えかけています。元々ケンぺはスタジオ録音では冷静で居ても、実演になると気迫を前面に押し出して、聴衆を圧倒するタイプでした。カール・ベームに似ています。ここでも、その実演での良さが一杯に現れています。第1楽章では後半になればなるほど熱気が増してきて非常に充実感を感じさせます。第2楽章は中庸で引き締まったテンポですが、旋律が充分に歌い切れていて寂しい情感が心に深く染み入ります。第3楽章では他の楽章とのバランス的には幾らか遅めに感じます。爆演とはかけ離れた充実した響きと重みのある素晴らしい演奏です。ドイツのオケに比べて金管の音質が明るめなのと、トランぺットの音量が高めなのが少々引っ掛かりますが、許容範囲です。終楽章も好演です。イギリスのオケにこれだけのブラームスを演奏させるのは決して容易なことでは無いと思います。カップリングはシューベルトの交響曲第5番ですが、これも素晴らしい演奏です。

ということで、今年もまた「秋のブラームス祭り」にお付き合い下さいまして誠にありがとうございました。次回は、シベリアからやってくる冬将軍閣下の到来に合わせて「冬のロシア音楽祭り」をスタートします。

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2013年11月27日 (水)

晩秋の高尾山へ紅葉狩り

晩秋の高尾山へ紅葉狩りに行きました。この高尾山は東京からも近いですし、ミシュランガイドにも三つ星スポットとして載りましたが、ずいぶん長いこと訪れていませんでした。前に来たのは、なにせ大学生の時ですから、およそ38年?ぶりです!

高尾山口駅で電車を降りると、土産物屋が数多く並んでいます。昔もこんなに多かったっけなぁ・・・。たぶん随分と増えたのでしょうね。それはともかく周囲は山の麓から紅葉が実に見事です。

久々の山登り??でもあるので、無理はせずに登りのケーブルカーに乗りました。平日にも拘わらず、結構多くの人が乗っていました。やはり自分のような年配者が多いようです。

ケーブルカーの山上駅からは歩きますが、紅葉が本当に綺麗。ただし、山の上のピークは既に過ぎつつあるようで、所々で少しづつ色が落ちかけているように見えます。”錦秋”というよりも”晩秋”か。それもまた良しですね。冷たく澄んだ空気が本当に気持ち良いです。

山門の周りは紅葉が綺麗です。(クリックで写真が大きくなります)

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薬王院にお参りしましたが、裏手の紅葉が素晴らしかったです。

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天気が良かったので山頂から山並みが眺望できました。遠く雪景色の富士山も眺められました。

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帰りは歩いて下山しましたが、反対方向からは多くの人が登って来ます。すれ違いながら見ると、歩いているのは若い人が圧倒的に多いですね。年配者はやはりケーブルカーでしょ。(笑)

ようやく麓まで下りてみると、どこの土産物屋も帰りの客で大賑わい。平日でこれでは、週末の土日はさぞかし大変な人出になるのでしょうね。ミシュラン効果も良いような悪いような・・・。

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2013年11月22日 (金)

モーツァルト 「レクイエム」 ~50年前のケネディ大統領追悼ミサ~

1963年11月22日。今からちょうど50年前の今日、第35代アメリカの大統領であったジョン・F・ケネディはテキサス州ダラスのパレード中に狙撃されて亡くなりました。その時に自分は8歳でしたが、テレビから流れるニュース放送に「大変なことが起きたのだ」と思ったのを、はっきりと憶えています。

それから42年後の2005年に仕事の為にテキサス州のダラスを訪れる機会が有ったので、狙撃された現場を見に行きました。すると、昔テレビで見た通りの雰囲気のように感じました。ケネディが狙撃された地点から、犯人が狙撃を行なったビル(下の写真)を見上げることが出来ます。ビルはそのままになっていて、犯行現場の部屋(最上階の確か写真右から2番目か3番目)はその後、使用されずに当時のまま保存されているそうです。訪れたのが夜間であったので、何かとても不気味な印象を受けました。

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犯人がケネディ大統領を狙撃したビル(2005年撮影)

そして、その事件の2か月後にボストンの教会で追悼の為のミサが行われましたが、その時に演奏されたモーツァルトの「レクイエム」がCD化されています。

927エーリッヒ・ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団(1964年録音/SONY盤)

1964年1月19日に行なわれたミサの実況録音は、これまでにもレコード化されたことが有りましたが、今年の没後50年を記念してCDのリマスターが行なわれました。ボストンの聖十字架教会で行われた本当の追悼ミサであるために、開始の鐘の音や、オルガンの演奏、大司教の祈りの言葉などのカトリック典礼が、そのままに収録されています。

ミサの一環として演奏された「レクイエム」は、エーリッヒ・ラインスドルフが手兵のボストン響と合唱団を指揮して演奏しています。この時代ですので、当然ながら大編成の劇的な演奏スタイルではありますが、本当のミサ、それも国民に心から愛された大統領の為のものでしたので、演奏者やそれを包む聴衆の哀しみの雰囲気そのものがひしひしと感じられてなりません。現代は古楽器スタイルの演奏が主流になりつつある時代ですが、そのような議論の差し挟まれる余地の全く無い、一つの時代の記録です。

制約のある録音条件から、音質の状態は決して万全という訳ではありませんし、オリジナルのアナログ・テープの劣化による音揺れも何か所かに存在します。けれども、この特別な儀式の中での演奏の雰囲気を味わうには充分な音質であり、このような記録を鑑賞できる価値にはとても変えられません。

色々な意味も含めたうえで、最も胸を打つモーツァルトの「レクイエム」の演奏であることは確かです。

<追記>
下記の文章は、ブログお友達のまつやすさんから頂いたコメントです。大変貴重な内容ですので、あえて本文にも掲載をさせて頂くことにしました。

―まつやすさんからのコメント―

11月22日はケネディ大統領の命日でした。50年前私は9才、こども心にアメリカの大統領が暗殺されたニュースは私をテレビから釘付けにしてしまい、あのときのショックというか大事件は私の記憶に鮮明に残ってしまいました。なにしろ脳ミソが飛び散りそれを婦人が拾っていたあの光景、わすれることが出来ません。何度も何度もあのシーンを見て映画JFKも何度となく見て、それでもまだ足りずに本までいくつか読んでいた記憶があります。それほどこの奇怪な事件は私の心を揺さぶったことだったのです。そしてその2か月後にボストンで追悼ミサが行われたというニュースは記憶が定かではありません。しかし数年後にこの映像を見るチャンスが訪れました。先程YouTubeで探そうと試みましたがニュース映像はあったものの演奏の映像はみつかりませんでした。でも必ずあるはずです。そしてこのCD世界初発売は確か2006年日本で発売されています。アメリカにもうかれこれ30年すんでいる妹が私が日本で手にいれた後に日本版を買って持ち帰ったという経緯がありました。私はかれこれ20年以上も前に日本ではCDになっていないのでアメリカで探すように妹に頼んだところアメリカでも発売当時のレコードしかなく手に入らないということでした。今は、リマスター盤がタワーでもHMVでも買えるようです。演奏の方はそれはもう大変な名演奏でして、大統領に追悼ミサということを考えなくても素晴らしいものです。魂の演奏だからですが、この演奏終了後にカッシング枢機卿の説教があって、その内容が日本文でブックレットに掲載されています。ミサの意義、特にケネディとモーツァルト関係を述べていると書いてあります。また、ジャクリーンがラインスドルフ率いるボストン響と合唱団に素晴らしい演奏にたいしてお礼を述べて、そのため会場はなかなかひかなかったこと、そしてカッシング枢機卿がこんなにすごい人々と一緒に歌う勇気なんか僕にはないと言ったことに対し、大切なのはこころであって声ではないのですと言ったラインスドルフ。(引用)日本版のブックレットは私の宝なのです(BVVC-38391-92)
今この演奏ではない、あえて記録を聞いています。是非とももしかしたらあるのかも知れませんが映像で全体をみたいものです。とてつもなく長くなりましたがこの辺にしておきます。

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2013年11月21日 (木)

ブラームス 「ハンガリア舞曲集」 イヴァン・フィッシャー/ブダペスト祝祭管盤

ブラームスの「ハンガリア舞曲集」は、音楽にジプシー的な要素を強く求めるのであれば、ヨゼフ・ヨアヒムの編曲したヴァイオリンとピアノ版がベストではないかと前回書きましたが、ピアノ版もオーケストラ版もやはり魅力的なことには変わりがありません。

オーケストラ版については、ブログお友達のヨシツグカさんに教えて頂いた、アンタル/ハンガリー国立響盤も素晴らしそうなのですが、実は以前から聴きたいと思っていたイヴァン・フィッシャーのCDを入手しましたので、今回はこの演奏をご紹介します。

P1010070イヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団(1985年録音/フンガロトン盤)

実は、このコンビはハンガリア舞曲集を2度録音していて、最初はハンガリーのフンガロトン・レーベルへの1985年の録音、2度目はフィリップスへの1998年の録音です。どちらにも共通する特徴としては、フィッシャーが編曲に手を加えていて、ジプシー・ヴァイオリンやツィンバロンといった民族楽器を多く取り入れていることです。当然ですが、演奏も通常よりずっと民族色が豊かであり、情緒的な旋律が哀愁を一杯に漂わせて歌われています。

それにしても、管弦楽版でもここまでジプシー風な演奏が可能なのかと感心させられます。元々この曲集はブラームス自身の管弦楽編曲は第1番、第3番、第10番の3曲のみであり、それ以外の曲は他の人の編曲ですので、それほど違和感は感じません。逆に新鮮味が増していて大いに楽しめます。

そこで次に、フンガロトン盤とフィリップス盤のどちらを取るかなのですが、フィリップス盤は試聴でしか聴いていないので確かではありませんが、フンガロトン盤に比べると、良く言えば「表情づけがより大胆」、悪く言えば「厚化粧に過ぎる」と言えそうです。音の造りもフンガロトン盤の方が軽みが有り、フィリップス盤には音の重さを感じます。このあたりは、初回録音と再録音の違いも有るのでしょうが、むしろ余り肩に力の入らないローカル・レーベル録音と、ワールドワイドにセールス展開されるメジャー・レーベルへの録音という違いから生まれているような気がします。ブダペスト祝祭管はフィッシャーの徹底したトレーニングぶりが想像される大変優秀なものです。弦楽器の切れ味や管楽器の上手さなどは申し分ありません。

不思議なことに、新しいフィリップス盤は既に廃盤扱いで、古いフンガロトン盤はいまだに現役盤です。派手に売ってさっさと廃盤にするメジャー・レーベルと、地道にコツコツと販売してゆくローカル・レーベルの対応の違いだとすれば、やはり後者の方が好感が持てます。もちろん、それだけではなく、音と演奏の傾向の違いから、あえて僕は旧盤を選んだだけのことです。録音は一般的には新盤の方が良いという評価になるのでしょうが、旧盤の素朴な雰囲気は好きです。といって音が悪い訳ではありません。れっきとしたデジタル録音ですし、単に音のダイナミズムがオーバーに付けられていないだけです。
このあたりは好みの問題でしょうから、どちらを選ばれても構わないと思います。

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2013年11月14日 (木)

ブラームス/ヨアヒム編曲 「ハンガリア舞曲集」 ~ジプシー・ヴァイオリン~

Remenyi_and_j_brahmsエドゥアルト・レメーニ(左)とヨハネス・ブラームス(右)

クラシックをほとんど聴かない人にも知られている「ハンガリア舞曲集」は、ブラームスによる『編曲集』ですね。ブラームスが青春時代に交友を持ち、一緒に演奏旅行に出かけたハンガリー出身のヴァイオリニスト、エドゥアルト・レメーニから教えられたジプシー音楽に興味を持ったブラームスが、色々な旅先でメロディを採譜して、それをピアノ連弾用に編曲したのが「ハンガリア舞曲集」です。この曲集は大ヒットとなり、それを知ったレメーニはブラームスを訴えましたが、ブラームスは楽譜を「作曲」ではなく「編曲」としていたので、この訴えは退けられました。

ちなみに、このレメーニは、1886年に世界一周の演奏旅行を行なったときに日本にも来て、何回か演奏会を開いています。それは明治天皇の御前演奏会や鹿鳴館、さらに神戸や横浜での演奏会です。

この曲集はピアノ連弾版を基に、ブラームス自身をはじめ、何人かの作曲家の手で管弦楽用に編曲をされました。この曲集はコンサートのアンコール用として大変にポピュラーな存在です。もちろんピアノ連弾版も広く親しまれています。

更には、ブラームスの友人でもあるヴァイオリニストのヨゼフ・ヨアヒムの手によってヴァイオリンとピアノ用に編曲されています。ヨアヒムはハンガリー出身の大ヴァイオリニストですが、この人をブラームスに紹介したのもレメーニでした。

最初にブラームスにジプシー音楽を教えたレメーニは、当然ヴァイオリンで演奏をしたことでしょう。また、多くのジプシー達が街で演奏をしていた楽器はヴァイオリンか、小規模なアンサンブルであったと考えられます。そうしてみると、この音楽の原点はピアノ連弾でもオーケストラでも無く、実はヴァイオリンであるような気がします。ところが、『ブラームスのハンガリア舞曲集』としては、ヴァイオリン版はそれほどポピュラーではありません。CDを入手しようとしても、録音の数は多く有りません。そんな中で、これはと思って選んだのがナクソス盤です。

8_553026マラト・ビゼンガリエフ(Vn)、ジョン・レナハン(Pf)(1994年録音/ナクソス盤)

ビゼンガリエフというヴァイオリニストは1962年生まれのカザフスタン人です。カザフスタンは旧ソ連でしたが、中央アジアに位置して古くはモンゴルと同じ遊牧民族でした。カザフの語源である「カザク」とは「放浪の民」を意味します。早い話がジプシーですね。そのカザフスタン生まれの実力派ヴァイオリニストとあれば、期待できそうな気がしました。そしてCDを聴いてみたところ、期待を大きく上回る素晴らしさだったのです。この曲集をヴァイオリン演奏で聴いていると、放浪の民のジプシーたちが、楽器を携えて旅先で演奏をする姿が目に浮かんできます。これこそは、この音楽の原点であろうと思えるほどです。ピアノやオーケストラで聴く曲とは全く違って聞こえるのです。ヴァイオリン技法を駆使した編曲はヨアヒムの手に寄りますが、ヨアヒム自身がハンガリー生まれですし、ブラームスの書いた楽譜よりもむしろ元々のジプシー音楽に近いのではないかと推測されます。

ビゼンガリエフの演奏も本当に素晴らしいです。即興的で変幻自在を極めた弾き方であり、こういう演奏はどんなに上手いオーケストラでも無理でしょう。テクニックと艶のある音色は文句の無い素晴らしさですし、何よりもジプシーの奔放さや哀愁がこぼれるのが最高です。ジョン・レナハンのピアノもヴァイオリンにピタリと合っていて不満は有りません。

というわけで、ピアノ版やオーケストラ版よりも魅力的とすら思えるヨアヒムのヴァイオリン版ですが、このナクソスのCDには全21曲が収録されていて、もちろん録音も優れています。おまけに珍しいヨアヒム自作曲の小品「アンダンティーノ」「ロマンス」まで聴けるというサービスぶりですので、五つ星の大推薦盤です。

ちなみにナクソスのサイトで試聴ができます。さわりを聴くだけで、きっと虜になると思いますよ。

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2013年11月 8日 (金)

ブラームス ヴァイオリン・ソナタ集 ユーディ・メニューインの名盤

”秋のブラームス祭り” 本日の出し物はヴァイオリン・ソナタ集です。この3曲、どれもが深まりゆく秋に聴くのに、とっても相応しい名曲ですね。
そして、登場する演奏家はユーディ・メニューインです。

41yf1812vwlユーディ・メニューイン(Vn)、ルイス・ケントナー(Pf)(1956-57年録音/EMI盤)

ユーディ・メニューインは1916年生れのユダヤ系アメリカ人で、1999年に亡くなりました。この人は不思議なヴァイオリニストでした。幼少の頃には「神童」としてもてはやされて大変な人気を獲得しましたが、彼は早熟の天才であったために曲を楽々と弾きこなせてしまい、多くのコンサートに明け暮れました。そのために、普通であれば若い年齢の時に地道に取り組むべき基礎練習が不足していたそうなのです。結局、その付けが回って、後年になってから技術的な問題が起きて来たという話です。確かに壮年期以降のメニューインを同じ世代のオイストラフやスターン、ミルシュテイン、シェリングらと比べると、ボウイングには滑らかさが不足して音がしばしばカスれますし、フィンガリングも何となくぎくしゃくした印象を受けてしまいます。

僕がメニューインの演奏を最初に聴いたのは学生時代で、フルトヴェングラーと共演したベートーヴェンの協奏曲の録音でしたが、当時の東芝EMIのアナログLP盤の音の悪さも手伝って、全く良さが分かりませんでした。

ところが、随分と後になってウィルヘルム・ケンプと組んだベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ集を聴いたのですが、その演奏の素晴らしさには驚かされました。特徴は少しも変わらないのにです。要するにこの人は、晩年のヨゼフ・シゲティのタイプなのですね。音はカスれ気味で、テクニックはヨレヨレしていても、そこから聞こえてくる音楽には妙に説得力が有って、心に訴えかけてくるという具合です。これはもう理屈では無くて、演奏家の持つパッションが聴き手の心に対してダイレクトに届くということなのでしょう。

それ以来、この人のバッハやブラームス、ベートーヴェンなどの録音を色々と聴いてみましたが、どれもが素晴らしいものでした。そして既に廃盤となっているために中古盤を入手するのに苦労をしていた(というのも、Amazonでは法外な高値で販売されていますので)ブラームスのヴァイオリン・ソナタ集をようやくリーゾナブルな価格で手に入れることが出来ました。これは1956年から1957年にかけてのEMI録音です。ピアノを弾いているのはハンガリー出身のルイス・ケントナーという人で、メニューインとはしばしば共演をしていました。

この録音は、なにせ最初期のステレオ録音ですので優れているとは言えません。けれどもデジタル・リマスターで高音強調に加工されていないのがむしろ良かったように思います。メニューインの音楽に似合った人肌の温もりを感じさせるような音質だからです。それは、とても古い写真のセピア色の雰囲気を連想させます。メニューインの実際の音もこのような音であったのではないでしょうか。この人は日本にも来ていますから、生演奏に接した人に聞いてみたい気がします。

それにしても、メニューインの奏でるブラームスは何とも人間的です。若手でテクニックがバリバリのヴァイオリニストがするような演奏とは最も遠い世界です。こういう演奏が良いと感じるのは、自分が齢をとった証拠なのでしょうが、でも良く考えてみれば僕は学生の頃からシゲティ晩年の枯れた演奏が大好きでしたので、ブラームスと同じ”年齢不詳の青年”だったのかもしれません。

3曲の中では、第1番と第2番の穏やかな曲想は、メニューインに実に適しています。ルイス・ケントナーのピアノもメニューインが組んでいるだけあってピタリとはまっています。深まりゆく秋に聴くブラームスの味わいを心から満喫できます。ああ、こんな音楽を聴いていると、若い頃の恋を思い出してしまいますね・・・。う~ん、詩人になってしまう??

曲想の激しい第3番も意外に(?)素晴らしいです。世評の高いオイストラフ&リヒテルという巨人同士の剛演のような迫力は有りませんが、ブラームス特有の暗い情熱を余すところなく表現しています。しかも生身の人間の等身大の演奏ですので、3楽章などは何とも心に染み入ります。終楽章での気迫も充分です。

ブラームスのヴァイオリン・ソナタ集では、リファレンスとしては今でもシェリング&ルービンシュタイン盤が最適だと思っています。ただ個人的には、CDが分かれてはいますがシゲティ&ホルショフスキー盤に最も強く惹かれます。最近ではスーク&バドゥラ=スコダの1997年録音盤が録音の優秀なことも含めて非常に気に入っています。このメニューイン&ケントナー盤も音質が古めかしいものの、これから愛聴盤の一角を占めそうです。

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2013年11月 4日 (月)

ビエロフラーヴェク/チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 2013 日本公演

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昨夜は、ミューザ川崎にチェコ・フィルハーモニーのコンサートを聴きに行きました。日本シリーズの最終戦が有るので家でテレビ観戦もしたかったのですが、それは諦めて出かけました。

今回指揮をするのはチェコ・フィルの首席指揮者に再び返り咲いたイルジー・ビエロフラーヴェクです。自分が名門チェコ・フィルの生演奏を聴いたのは、これまでにたったの一度だけ。今から30年以上も昔の、確か1976年のことです。自分は20代前半でした。その時の指揮者はヴァーツラフ・ノイマン。会場は東京文化会館。曲目はRシュトラウスの「ドン・ファン」とドヴォルザークの交響曲第8番だったのですが、オーケストラがよほど調子が良かったのか、弦の透明感あふれる瑞々しさも管楽器の輝かしさも最高でした。これまで聴いたウイーン・フィルやシュターツカペレ・ドレスデンの音ともまた違う、けれども魅力の上では全く遜色の無い印象でした。その時以来の生演奏を聴くので本当に楽しみでした。

曲目は、グリンカ「ルスランとリュドミラ」序曲、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」、ドヴォルザーク「新世界より」という、典型的な名曲プログラムですね。ピアノ独奏は日本人の河村尚子です。

イルジー・ビエロフラーヴェクはやはり自分の学生時代に日本フィルに客演したコンサートを聴いた記憶が有ります。ステージに登場した姿を見ると、すっかり貫禄が付いていて、時の流れを感じます。

さて、演奏が始まりましたが、「ルスランとリュドミラ」序曲はごく普通の前プロという印象。弦のアンサンブルの難しいこの曲ですが、特に完璧というほどでも無く、全体の音の厚みもそれなりでした。

「おっ」と思ったのは、二曲目のラフマニノフです。オケの音に非常に厚みが出て、各パートが良く歌います。とくにヴィオラの活躍する部分での押し出しの強さには感心しました。この曲の演奏には、甘くたっぷりと歌うハリウッド・スタイルと、暗く土着的に歌うロシアン・スタイルが有ると思いますが、この演奏は正にスラヴ的とでも呼べる印象です。河村さんのピアノは特別にロマンティックに没入するようなタイプではありませんが、この曲の魅力を中々に伝えていたと思います。まずは好演と言えるのではないでしょうか。

ここで休憩を挟みますが、楽天VS巨人の試合経過をワンセグでチェック。おおっ、楽天が2点のリードです!頑張れ!

後半はいよいよ「新世界より」です。チェコの楽団の演奏するドヴォルザークは言うまでもなく本場もの。本場ものの大好きな自分は最近では、どちらかいうとチェコ・フィルよりも更にローカル色の濃厚な、スロヴァキア・フィルやブラティスラヴァ放送響といったオケの音を好んで聴いています。しかしチェコ・フィルの音色はやはり素晴らしいです。現代的なオケの輝かしい極彩色の音とは全く異なる、ずっと暖色系のくすみがかった響きです。それはドイツの重量感のある音とも違います。チェコの爽やかな弦楽カルテットがそのまま大きくなったような弦楽器群の音に、重くなり過ぎない管楽器の音が絶妙にブレンドされているのです。昔、東京文化会館で聴いた音には、透明感と輝かしさを非常に感じたものですが、今日はそれよりもずっと古風な響きに感じられたのはホールや座席の違いも影響しているのかもしれません。けれども極めて魅力的な音であったのは確かです。ホルンの音色は本当に美しいですし、例の第2楽章のイングリッシュ・ホルンのソロの歌わせ方なども絶品です。ともすれば爆演になってしまう終楽章でも、騒々しさとはまるで無縁でハーモニーを”美しく”鳴り響かせる充実し切った演奏でした。

ビエロフラーヴェクの指揮はもちろん極めてオーソドックスなのですが、100%オケ任せで何もしないわけではありません。微妙なテンポの変化、楽器同士のバランスの扱い、聞かせどころでの楽器の目立たせ、アクセントなど、意外なほどコントロールしています。けれどもそれが全て適度な範囲なのですね。大袈裟にならないので全く違和感を感じません。それをみな消化して、伝統的な演奏スタイルを聞かせるチェコ・フィルという楽団。彼らが世代も越えて一体どれだけ演奏したかしれない「新世界より」という名曲。これを聴いていると例えてみれば、歌舞伎十八番の出し物を観ているかのような満足感を得られます。やはり、本場ものの伝統芸からは圧倒的な説得力と感銘を受けずにはいられません。

アンコールは、ブラームス「ハンガリア舞曲第5番」、ドヴォルザーク「スラヴ舞曲第3番」、日本の歌「ふるさと」でした。こういうオーソドックスな選曲、演奏がやはり良いのです。心から満足出来ました。

演奏会場を出て再び日本シリーズをチェックすると、楽天が3点リードをして、最終回に田中マー君が登場するではありませんか。電車の中で固唾を飲んで試合を見守っていると、ピンチを迎えたものの抑え切りゲームセット。やりましたね!

コンサートの余韻と日本シリーズの喜びとが混じり合って、なんとも心地良かったです。ジャイアンツは残念でした。でも今年も優勝してしまったら世の中から憎まれますよ。今年はこれで良かったのですよ。

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2013年11月 1日 (金)

ブラームス 弦楽六重奏曲第1番&2番 ジュリアード四重奏団のライヴ盤

僕は基本的にはサッカー・ファンなので、プロ野球にはそれほど興味が湧かないのですが、今年の野球は面白いですね。メジャーリーグではボストン・レッドソックスが優勝しましたが、田沢が活躍し、上原が胴上げ投手となりました。直前に、かつてボストンで活躍した小澤征爾さんが二人を激励したのが良かったのかな?

日本シリーズでも、東北楽天ゴールデン・イーグルスと読売ジャイアンツが熱戦を繰り広げていますね。連日テレビで観戦して声援を送っています。東京育ちの自分は一応はジャイアンツ・ファンなのですが、今回ばかりは楽天に肩入れしています。未曽有の大震災が起きて、いまだに元の生活を取り戻せないでいる多くの人を含めて、東北の人たちの大きな励ましに成っていると思うからです。東北に力を!頑張れ!

そんな今年の秋もいよいよ深まってきました。”秋のブラームス祭り”はまだまだ続きます。ということで、今日のお題は、弦楽六重奏曲です。

51mbmz9qbalジュリアード弦楽四重奏団、ワルター・トランプラー(Va)、レスリー・パーナス(Vc:第1番)、バーナード・グリーンハウス(Vc:第2番)(1964-65年録音/Dremi盤)

ジュリアード弦楽四重奏団と言えば、自分が初めてその名前と演奏スタイルを知ったのは吉田秀和さんの著書からでした。確か高校生の頃だったと思います。その著書によれば、『ブダペスト四重奏団の正確無比なアンサンブルを更に研ぎ澄まして、まるで精密機械のような演奏を行う』というような紹介だったと思います。そこで、実際に吉田さんのお薦めのベートーヴェンの中期弦楽四重奏セットを購入して聴いてみたのですが、自分にとっては当時好きだったブッシュ四重奏団やブダペスト四重奏団に比べると、余りにも味気の無い演奏に感じられたので余り好きには成れませんでした。

そのイメージが強かったので、その後も余り積極的に彼らの演奏を聴くことは有りませんでした。ところがそんな彼らのイメージが大きく変わったのは、1990年代に録音された、ブラームスのクラリネット五重奏曲を聴いてからです。この団体で50年もの長い期間、第一ヴァイオリンを弾いてリーダーを務めたロバート・マンの奏でる音楽が、以前とは違って何か非常に大きなものに感じたからです。「これは、まるでヴァイオリンの大巨匠の音楽ではないか!」というようにです。それをきっかけに弦楽四重奏や五重奏を聴きましたが、どれもやはり同じように気宇の大きな音楽でした。更にベートーヴェンの弦楽四重奏曲の二度目の全集録音を聴いてみたところ、ライヴ録音ということもあって、かつての精密機械みたいで味気の無い演奏とは全く異なりました。正確さや緻密さは後退していますが、ここには偉大なベートーヴェンの魂しか感じさせないような真に音楽的な演奏が有ったのです。

ところが、更に改めて、かつての1960年代から70年代にかけて録音された旧全集盤を聴き直してみると、表面的には精密機械のようではあっても、ロバート・マンのロマンティックな資質がそこに見え隠れていることに気付きました。高校生の頃にはとてもそれを聞き取る耳は持っていなかったということですね。

今回ご紹介するCDは、カナダのDremiレーベルからリリースされた、1964年と65年にワシントンの米国議会図書館のホールで行われたライブ録音です。世界有数のこの図書館には室内楽ホールが併設されていて、昔から多くの大物演奏家がコンサートを行っています。かつてはホールのレジデンス・カルテットとして、ブダペスト四重奏団が担当をしていましたが、その後を引き継いだのがジュリアード四重奏団です。それは正に、ニ十世紀の最も偉大なカルテットのバトン・タッチだとも言えるのかもしれません。

何しろ、彼らはこの二曲のスタジオ録音は一度も行っていません。それを聴けるというのは大変に貴重です。もちろん六重奏ですので、ジュリアードSQの四人に加えて、ヴィオラとチェロが一人づつ加わります。ヴィオラには名手として有名なワルター・トランプラーが、そしてチェロにも名手レスリー・パーナスが第1番に、バーナード・グリーンハウスが第2番に参加しています。

演奏を聴いてみると非常に興味深いものでした。1960年代当時の彼らはスタジオ録音では、あれほどまでに機能的に研ぎ澄まされた演奏を行なっていましたが、それよりも晩年の演奏に近いようなロマンティックな情緒を感じさせます。とは言っても、精度が高く、ダイナミックで切れ味の良いスタイルは、やはりジュリアードSQです。全盛期の機能性と晩年の情緒性の両方を兼ね備えた演奏は、ライヴのせいかもしれません。どの団体も実演では、自然な高揚感に溢れる演奏を行う傾向にありますので。

第1番には、パブロ・カザルス、アイザック・スターン達の破格の演奏や、アマデウスSQとアルバンベルクSQのメンバーが合同で行った名演奏が有りますので、それ以上だということは有りません。けれども充分に存在感の有る演奏です。一音一音を噛みしめるように演奏して、熱い青春の息吹を感じさせて感動的です。ジュリアードSQのイメージとは余り重ならないこの曲がこんなに素晴らしいとは驚きです。終楽章の立体的な造形性もすこぶる聴き応えが有ります。

第2番では、アマデウス&アルバンベルクSQのライブ録音盤が、この曲の控え目な曲想に対しては幾らか大袈裟な気がしていて、むしろ昔のウイーン・コンツェルトハウスSQたちの演奏が好きでした。ジュリアードSQたちの演奏は、よく歌ってはいても表情の度をわきまえているように感じます。第2楽章スケルツォのあのいじらしい主題が何ともチャーミングです。第2番に関しては、W.コンツェルトハウスSQたちの名盤に並ぶ魅力を感じます。

この録音は恐らくCBSが行ったのだと思います。同時代のブダペストSQやジュリアードSQの録音での、残響が控え目で楽器の分離の良い音と非常に似かよっています。個人的には残響過多なEMIの録音あたりよりもずっと好きです。音揺れも有りません。特に第1番の録音が明瞭で快感です。第2番の方は1年古いだけなのに少々鮮度が落ちている印象です。

一見マニアライクなディスクに思えそうですが、聴いてみれば非常に魅力的な演奏ですので、広くお勧めしたいと思います。

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