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2012年12月18日 (火)

ブラームス 「4つの厳粛な歌」op.121 ~ああ、死よ~

ブラームスは63歳の誕生日に、歌曲集「4つの厳粛な歌」作品121を完成させました。この作品は「ドイツ・レクイエム」と同じように、ブラームスが自分で聖書から詩句を選び出したものです。その内容は、人間の「死」というものを強く意識したものでしたが、それというのも、数年の間にブラームスは何人もの親しかった人たちの死に直面してきたからです。

作品は4曲の歌で構成されていますが、そのタイトルと主たる内容を記しておきます。 

「4つの厳粛な歌」op.121

第1曲「人の子らに臨むところは獣にも臨むからである」
 人も獣もみな、同様の息を持っていて、同じように死ぬ。みな、塵から出て塵に帰るのである。

第2曲「私はまた、陽の下に行なわれる、すべての虐げを見た」
 虐げられる者の涙を慰める者は居ない。虐げる者を慰める者も居ない。よって、生きている者よりも、既に死んだ者を幸いな者だと思う。

第3曲「ああ死よ、お前を思いだすのは何とつらいことか」
 財を持ち、安穏に暮らして者にとって、「死」を思いだすのは何と辛いことか。力が衰えて、困窮している者にとって、「死」を思いだすのは、なんと喜ばしいことか。

第4曲「たとえ私が、人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても」
 御使いたちの言葉や、あらゆる知識、深い信仰心が有ったとしても、もしも「愛」が無ければ、それは無に等しい。最も大いなるものは「愛」である。

この作品は、亡くなっていった友人たちへの鎮魂歌だったのでしょう。そして更に、自らのそれをも意識していたのかもしれません。いや、間違いないでしょう。

曲を書き上げたブラームスの元へ、病床にあるクララから一通の手紙が届きました。それには「心から愛するあなたのクララ・シューマンより、心からお喜びを」と、ブラームスの誕生日を祝福する言葉が記されていました。ブラームスはどんなに喜んだことでしょう。

ところがクララは、その2週間後にこの世を去ってしまいます。その知らせが遅れたうえに、動転したブラームスはシューマン宅へ向う列車の乗継を間違えてしまい、葬儀には間に合いませんでした。墓地への埋葬の立ち会いで、既に閉じられてしまった棺を見ることができただけでした。

ブラームスは、そのとき友人に、「ああ、なんということだ。この世では全てが虚しい。私が本当に愛した、ただひとりの人間。それを今日、私は墓に葬ってしまったのだ・・・・」と語りました。

「4つの厳粛な歌」を書いた時に、果たしてクララの死を予感していたのかどうかは分りません。けれども、もしかしたら予感をしていたのかもしれませんね。

この歌曲は、聴くと心が痛むので、余りCDの聴き比べということはしてはいません。ですので所有しているCDも限られています。

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キャスリーン・フェリアー(A)、ジョン・ニューマーク(Pf)(1952年録音/DECCA盤) 
フェリアーというとワルター/ウイーン・フィルとのマーラー「大地の歌」「亡き子をしのぶ歌」あるいは「リュッケルトによる5つの詩から」の歌唱が余りにも有名ですが、ブラームスの「アルト・ラプソディ」や、この「4つの厳粛な歌」もまた素晴らしい歌唱です。歌唱に幾らか古めかしさは感じますが、およそ情感の深さに於いてはこの人以上の女流歌手は思いつきません。”厳粛な”というよりも”慈愛”に満ち溢れた印象を強く受けます。第3曲の「ああ、死よ」での、心の奥底に訴えかけるような歌唱は比類が有りません。モノラル録音ですが音は明瞭ですので何の支障も有りません。

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ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)、イェルク・デムス(Pf)(1958年録音/グラモフォン盤)
これは、Fディースカウの生誕75歳記念に再発売されたCDで、「4つの厳粛な歌」の他にも、ブラームスの歌が20曲以上収められていますが、どれもFディースカウが、まだ30代であった1957年と58年の録音です。この人は手放しで好きというわけでは無く、全盛期の余りに上手い歌いっぷりには、演出臭さを感じてしまう場合が有ります。その点、若い時代の歌はストレートな歌いぶりによる真摯さを感じます。もちろん歌唱の上手さは当時から群を抜いています。この録音で、ブラームス晩年の「死」を意識した胸の内が完全に表現出来ているかというと、よく分りませんが、「ああ、死よ」では「Oh、Tod(ああ、死よ)・・」と、歌が痛切に響きます。やはり優れた名唱です。

この両盤はどちらも素晴らしいのですが、好みで言えば、やはり深い慈愛を感じるフェリアーに強く惹かれます。

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コメント

ハルくんさん、こんばんは。 私も この歌曲集はめったに聴きません。  あまりにブラームスの「寂しさ」や「辛さ」がダイレクトに伝わって来て、聴いていて胸が痛くなってきます。 でも、ブラームジアーナーにとっては 大切な、大切な作品です。
CDは フィッシャー・ディースカウ盤(カップリングは ケンペ/ベルリン・フィルの「ドイツ・レクイエム」です)とフェリアー盤を持っています。  特に フェリアーの深いアルトで聴いていると 本当に涙が止まらなくなってしまいます。

投稿: ヨシツグカ | 2012年12月19日 (水) 19時22分

ヨシツグカさん、こんばんは。

この曲はブラームス自身の歌だと考えると、やはりバスで聴くのが自然で良いようには思いますが、フェリアーのアルトも非常に深くて良いですね。彼女はこの曲を英語で歌っていましたね。

DFディースカウでは後年のライブ(ピアノはサヴァリッシュ)を聴きたいと思っています。でも、それは来年の秋の特集かな?

投稿: ハルくん | 2012年12月19日 (水) 23時09分

昨日某公共放送FM朝6:00からの『ビバ!合唱』で、ブラームスの無伴奏合唱曲『二つのモテット/作品74』を聴き、その美しさと深さに息をのみました。ギュンター・ノイホルト指揮による演奏でしたが、ブラームスがウジウジしていて湿っぽく好きに成れないと言う方々に、是非お薦めしたい曲であり演奏でした。

投稿: リゴレットさん | 2020年4月12日 (日) 11時35分

リゴレットさん

ブラームスでも声楽曲、とりわけ合唱曲は器楽曲で感じられる情緒的なブラームスとは印象がだいぶ変わりますね。
それもまた良しです。

投稿: ハルくん | 2020年4月13日 (月) 15時47分

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