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2012年10月

2012年10月25日 (木)

ブラームス ピアノ協奏曲第1番 グレン・グールドと レナード・バーンスタイン ~歴史的?演奏会~

朝晩めっきり冷え込んで来ましたね。まさに秋本番です。

秋は夕暮。うら寂しく、人を恋しく思うころ、ひとり窓より外を眺め、ブラームスの調べなど聴きたるは、いとをかし。(清少ハル納言)

これは一昨年に、ブラームスのチェロ・ソナタの記事を書いた時の一句ですが、中々にブラームスの音楽の魅力を言い当てていると思いませんか?秋の深まる季節に、ブラームスの音楽ほど似合っているものはありません。

というわけで、今年もまた「秋のブラームス特集」ですが、まずはピアノ協奏曲第1番で行きましょう。

この曲はブラームスの作品15で、彼が23歳から25歳にかけて書いた曲ですが、まぁなんて曲なのでしょうね。まだ青春時代だというのに、まるで初老の作曲家が遠い昔を懐古しているような趣きです。ブラームスは若いころはあんなに可愛らしい顔をしているのに、精神的には完全に「とっつぁん坊や」ですね。しかもこの曲の完成度は並み大抵ではありません。古典的な3楽章構成にして、50分近くの長丁場を少しも飽きさせない、驚くほど充実したピアノ協奏曲です。第2番と並んで、「ピアノ協奏曲」というジャンルにおける頂点ではないでしょうか。それを、まだ20代前半に書いてしまうのですから、これを「奇跡」と言わずして何と言いましょう。

この曲の愛聴ディスクについては、「ピアノ協奏曲第1番名盤」「ピアノ協奏曲第1番 続・名盤」で二度記事にしていますが、今日は、ちょっと別の演奏を聴いてみます。グレン・グールドとレナード・バーンスタインの歴史的?な演奏会の録音です。

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時は1962年4月6日、ニューヨークのカーネギーホールのステージの上からバーンスタインが客席に向かってスピーチをしています。

「驚いてはいけませんよ。ミスター・グールドはちゃんと来ています。」(観客の笑い)

どうしてこんなことを言ったかというと、リハーサルの段階で曲の演奏解釈についてグールドとバーンスタインとの間で論争が起きてしまい、それを新聞が「Who is the boss? Soloist or conductor?」(誰がボスなのか?独奏者、それとも指揮者?)という記事にしたために騒動になっていたからです。

さらに、バースタインのスピーチは続きます。

「これから、かなり型破りのブラームスのピアノコンチェルトを聴いてもらいます。並外れて幅の広いテンポ、楽譜の指示を無視したダイナミックスは、これまで聴いて来た演奏とは全く異なります。但し、私はグールドの解釈に賛成は出来ません。
それでは、なぜ指揮をするのか?という疑問ですが、それはグールドが真剣な芸術家だからです。その彼が誠意をもって生み出したものであれば、私もそれを真剣に受け止める必要があります。彼の解釈は非常に興味深いものであり、それを皆さんに聴いて頂きたいからです。

コンチェルトにおいて、独奏者と指揮者のどちらがボスかという問題ですが、時には一方、またあるときはもう一方というのが答えです。しかし今回は、お互いの意見が余りにも異なるために、このようなスピーチを行わなければならなくなりました。 
しかし、演奏され尽くしたこの作品に、新しい装いを与えられるチャンスを持てることは喜びです。ミスター・グールドの演奏には、彼の信念が浮き彫りにされています。私たちは、この並外れた芸術家から何かを学び取ることが出来るでしょう。
このブラームスのコンチェルトをミスター・グールドとコラボレートする一週間は正に冒険でした。その冒険の精神を持って、皆さんにこの演奏をお届けします。」

以上がスピーチの概要です。このCDにはスピーチがそのまま(もちろん英語で)収録されています。これを聞いたら絶対に演奏を聴いてみたくなりますよね。

で、演奏を実際に聴いてみた感想です。

第1楽章は確かに遅めのテンポで開始されます。最も遅い部類です。けれども演奏が珍奇かというと、決してそんなことはありません。僕などは堂々とした良いテンポに感じます。ただしオーケストラは幾らか戸惑いを感じているようで、全体的にどことなくしっくりしていないかもしれません。むしろ、それよりも気になるのは、ニューヨーク・フィルの響きです。オン・マイクの録音の影響も大きいとは思いますが、普段ドイツのオケで聴ける、ぶ厚く暗いブラームスの響きからはほど遠いです。アメリカのオケのブラームスの音への適応性は諦めるしかないでしょう。アンサンブルも、少々がさつに聞こえます。ただし、名人揃いのオケですので、管のソロ・パートの演奏には文句が有りません。
グールドのピアノは、テクニックを誇示する様な演奏では有りません。一音一音に心を込めて弾いています。そこかしこに孤独感を感じさせる趣がブラームスに適しています。ブラームスとグールドの二人の青春の孤独感が、そのままピタリと重なり合うように感じられます。聴き進むうちにオケの響きも気にならなくなります。

第2楽章では、さらに深く心の底に沈滞してゆく雰囲気がたまりません。グールドもバーンスタインも、本質的に極めてロマンティックな演奏家ですが、この曲はやはりこうでなくては。孤独でロマンティックな音楽にすっかり浸りきってしまいます。

第3楽章は情熱的ですが、ことさらテンポを速めて煽るわけではなく、ずっしりとした男っぽい手ごたえを感じます。表面的で、単にスマートなだけの演奏とは全く違います。

これは、演奏前のスピーチから想像されるような珍奇な演奏などでは決してありません。ブラームスの心の内にある青春の孤独感と一体になった素晴らしい演奏だと思います。

演奏終了後の盛大な拍手も収録されていて、この日の聴衆が満足し切った様子が手に取るように分ります。

この曲のリファレンスとしては、エレーヌ・グリモーがクルト・ザンデルリンクと組んだCDを第一に選びますが、このCDも天才グールドの残した歴史的ライブの演奏を聴くことが出来る点で大変貴重です。

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2012年10月20日 (土)

ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」 名盤

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フランスのバレエと言えば、僕が大好きなのはモーリス・ラヴェル作曲の「ダフニスとクロエ」です。この曲は本来はバレエ音楽なのですが、それが忘れられるくらい頻繁にコンサート曲目として演奏されています。それだけ素晴らしい音楽だということでしょう。事実、ラヴェルは自伝においてこの曲を「3部からなる舞踏交響曲」だと形容しています。専門家による分析によれば、この曲は第1部の前半までに登場する幾つかの主題とその動機の展開が全体に統一性を与えているのだそうです。

このバレエもまた、ディアギレフのロシアバレエ団がパリで初演を行いました。1912年のことです。ディアギレフは当時の新進気鋭の作曲家たちにバレエ音楽を依頼しましたが、ストラヴィンスキーもラヴェルもその一人です。ディアギレフという人は、本当に音楽を聴く耳と理解力を持っていたのでしょうね。

ところで、その「ダフニスとクロエ」の原作をご存知ですか?遥か大昔の2世紀末から3世紀初めごろの古代ギリシアでロンゴスという人が書いた恋愛物語です。エーゲ海に浮かぶ牧歌的な情景の島が舞台となり、少年と少女の純真な恋とその成就が、様々な逸話を絡めて抒情豊かに描かれています。

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―物語のあらすじ―

エーゲ海に浮かぶ美しい島、レスボス島にあるミュティレーネーは豊かな自然に恵まれた町です。

山羊に育てられている一人の男の子をある日山羊飼いが見つけ、「ダフニス」と名付けて育てることにしました。

2年後、ある羊飼いはニンフ(”妖精”です)の洞窟に捨てられていた女の子を見つけ、「クロエ」と名付けて育てることにしました。

やがてダフニスが15歳になったころ、ダフニスは山羊飼いに、クロエは羊飼いになり、一緒に仕事をするようになりました。

ある日、ニンフの洞窟で身体を洗うダフニスを目にしたクロエは、水を浴びる彼の身体の余りの美しさに目を奪われて恋に落ちてしまいました。けれどもまだ「恋」というものを知らない彼女は、自分の心の状態を、何かの「病気」なのだと考えたのです。

牛飼いのドルコンはクロエに想いを寄せていて、何とかして想いを遂げようとしていました。あるとき、ドルコンとダフニスは、どちらが魅力があるかということで口喧嘩をしていました。そこでクロエはダフニスを勝者として選び、口づけをしました。それからダフニスもクロエに恋をするようになりました。

ある日、海賊が町を襲いました。略奪をして、ダフニスも一緒にさらわれてしまいました。ドルコンは海賊にやられてしまい、クロエに笛を託して息を引き取ります。クロエがその笛を吹くと、海賊の船が難破して、ダフニスは海を泳いで戻ってくることができました。

ダフニスとクロエは、ある日老人に出会いました。老人は「恋の神様」の話を二人にします。すると彼らは自分たちが今その状態にあることに初めて気が付きます。

ミュティレーネーと近隣の町とで戦争が起こりますが、クロエは捕虜の一人として囚われてしまいます。ダフニスがニンフの洞に行き、助けてくれるように嘆願します。すると夜、沖合の船の上で休んでした敵の前にパン神が現れて不思議な現象が起こります。やがて「夜明け」となり、クロエは無事にダフニスのもとへ戻ってくることができました。

ダフニス達は、ニンフやパンへの感謝として、食べ物や酒を捧げて二人で踊りました。

春になり、成長したダフニスはクロエと結ばれたいと思いますが、二人ともどうしてよいのか分らず、ダフニスは自分の無知を恥じて泣き出します。

その様子を見ていた農夫の美しい女房リセイオンは、「あなたのしたいことを教えてあげる」と言葉巧みにダフニスを森へ誘い、彼女の下心に気付かない純真なダフニスは、その若い体を奪われてしまいます。

夏になると、すっかり年頃になったクロエに縁談がたくさん来るようになります。それを聞いたダフニスは落ち込みますが、思い切ってクロエの両親に求婚の承諾を請います。クロエの父親は承諾しましたが、ダフニスの父親は最初反対します。けれども、すったもんだの末に二人の結婚が認められて、盛大な披露宴が行われて全員が踊ります。

こうして、人々の祝福の中でダフニスとクロエは夫婦となり、島で幸せな暮らしを続けました。

というのがロンゴスの原作ですが、ディアギレフのバレエ版では、内容が幾らか変えられています。

一番の大きな違いは、海賊の襲来と、隣町との戦争が一つの話にまとめられ、海賊にさらわれてゆくのはクロエのほうの設定です。パン神がクロエを助けるのは、かつてパンがニンフに恋をした想い出の為だという理由です。二人はニンフの洞窟の前で再開して、そのままフィナーレの全員の踊りまで話は一気に進んでいきます。バレエでは全体的に神話的な雰囲気が色濃く演出されているように感じますが、いずれにしてもストーリーを知ることで、この名曲を聴く楽しみが増すのは間違いありません。

バレエ構成は全3部に分かれていて、「第1部」は若者たちの踊りと、ダフニスとクロエの登場から海賊にクロエがさらわれるまで。「第2部」は海賊たちの戦いの踊りから、パン神がクロエを救うまで。「第3部」は夜明けとダフニスとクロエの再開からフィナーレの全員の踊りまでです。

但し、ディアギレフとラヴェルの間でもめたのが、合唱についてです。ディアギレフは出演者の人数が多く成り過ぎるので合唱を使用しないように求めたのですが、ラヴェルは譲りませんでした。結局、大きな会場の公演では合唱を使い、小さな会場での公演では合唱無しとすることで、話がまとまりました。

僕は、このバレエを昨年、英国ロイヤルバレエ団の公演で観ましたが、それまで夢にまで見ていた「ダフニスとクロエ」のバレエ舞台は本当に素晴らしかったです。

ところで、この音楽をコンサートで演奏する際には、「第2組曲」という、「第3部」がそのままの版で行なわれることが多いですし、CDでもよく収録されています。確かに、このバレエ音楽の一番の聴きどころの「夜明け」から始まるのは便利ではあるのですが、これでは映画のクライマックスからいきなり見始めるようで、少々物足りません。これは、やはり全曲盤で楽しみたいものです。

それでは、僕の愛聴するCDをご紹介してみます。いずれも全曲盤です。

3201111202シャルル・ミュンシュ指揮ボストン響(1961年録音/RCA盤) フランスものの得意なミュンシュですし、ボストン響はアメリカのオケの中では、最もヨーロッパ的な音を持ちますが、やはり完全なフランスの音というわけではありません。案外と楷書的で明瞭な歌いまわしをしていますが、これはこれで魅力が有ります。ことに「海賊の踊り」や「全員の踊り」の迫力には汗が出るほどに圧倒されます。ミュンシュには晩年にパリ管と録音した「第2組曲」も有って素晴らしい演奏なのですが、この曲はやはり全曲盤で聴きたいと思います。

51nanzp73gl__sl500_aa300_アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管(1962年録音/EMI盤) このころのEMIの録音は、どうしてもパリッとした明瞭度に不足しますが、定番中の定番のクリュイタンス盤を外すわけにはいきません。パリ音楽院管の持つ弦や管の柔らかく、まるで夢を見ているような美しい響きはどうでしょう。管楽奏者たちの上手さにも唖然とさせられます。そのパリ音楽院でデュカスに師事したルネ・デュクロの率いる合唱団も神秘的な歌声で、天上から聞えてくる声のようです。「夜明け」での神々しいまでの美しさも、この演奏が一番のように思います。それでいて「海賊の踊り」や「全員の踊り」での切れの良さと迫力も中々のものです。

Martinonジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管(1974年録音/EMI盤) マルティノンのドヴュッシー全集をLP盤時代に愛聴しましたが、そのドヴュッシーとラヴェルの管弦楽全集が8枚のCDボックスになっています。当然「ダフニス」も含まれています。生粋のパリジャンである彼の紡ぎだす軽味のある音と演奏は、他の誰よりもフランス的だと思います。「夜明け」の神秘感などはクリュイタンスに迫りますが、「最後の踊り」では音が軽く、幾らか迫力不足の感、無きにしもあらずです。もっとも、それも含めて全てフランス的ということなのですが。

13a76cfd22811ecbd2be4ffcec9b116cシャルル・デュトワ指揮モントリオール管(1981年録音/DECCA盤) デュトワのラヴェル管弦楽曲をBOXにまとめたものです。デュトワのフランスものには定評が有りますが、このラヴェルも秀逸です。強いて言えば、上品で貴族的なラヴェルです。従ってパリの街の庶民的な味は余り感じません。よく知られるように、カナダのモントリオールはフランス語圏に有りますが、フランス以外のオケでこれだけのラヴェルの演奏はちょっと不可能ではないでしょうか。さすがはデュトワです。どうしても優秀な録音で聴きたいという方にはお薦めです。

ということで、どれか1枚を選べと言われれば、録音に幾らか不満を感じながらも、やはりクリュイタンス/パリ音楽院管盤を選びます。

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2012年10月18日 (木)

陶芸家への道 第一章??

先週の土曜日のことですが、生まれて初めて陶芸教室に行く機会が有りました。たまたま古くからの友人が誘ってくれたからです。

自分は全国各地の○○焼といった知識は全く有りませんし、陶器を収集しているわけでもありません。いわばズブズブのしろうとです。ただ、珈琲やビールを美しい器で飲むときの楽しさは非常に感じますし、以前からあの「ろくろ」なるものを回してみたいなぁと思っていました。まぁ、その夢がかなったということです。

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先生にお手本を見せてもらい、指導を受けなが「らくろ」を回してみました。やはり中々に難しいものです。手の構え、指の位置、力の入れ具合、ろくろの回転の速さ、全てが融合しないと気に入ったものは造れないのだろうな、ということが薄々分かってきます。

何度も失敗しながらも、だんだんと形になってゆくのが実に楽しいです。でも、「とても良い形になってきたぞぉ」と思って気を緩めた瞬間に、形が崩れたりします。「あっちゃ~(涙)」

最初は気楽におしゃべりをしながら回していましたが、いつしか無言となり、造作の世界に没入していました。

何個か出来上がった中から3つを選んで、教室の窯で焼いてもらうことになりました。次回は焼きあがった僕の処女作品に色をつける予定です。

以前から陶芸教室に通っている友人によれば、とても初めてとは思えないぐらいに形が出来ていたよ、と言われました。

ひょっとしたら、この日がプロの陶芸家への道のりの記念すべき第一歩だったのかもしれませんね。なんちゃって。(苦笑)

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2012年10月14日 (日)

ドリーブ バレエ音楽「コッペリア」 名盤

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ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」は、わら人形を主人公としたバレエでしたが、同じように人形が登場するフランスのバレエにレオ・ドリーブの「コッペリア」があります。ドリーブは”フランス・バレエ音楽の父”と呼ばれた作曲家です。

ロシアバレエ団のディアギレフは、当時のパリの上流階級の単なる娯楽に陥っていたバレエの芸術性を極限にまで高めようとストラヴィンスキーの革新的な音楽を使いましたが、それより40年も前の1870年にパリ・オペラ座で初演された「コッペリア」は、誰が聴いても楽しめる非常に解り易い音楽です。「プレリュード」、「スワニルダのワルツ」、「チャールダッシュ」など、曲名に憶えは無くても、必ずどこかで耳にしたメロディが幾つも登場することでしょう。

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話の内容は、人間のように動く人形に恋をするという人間の狂気性をベースに登場人物が繰り広げる喜劇となっています。

―あらすじ―

第1幕 人形作り職人のコッペリウスは変わり者ですが、家の二階のベランダでは、からくり人形の少女、コッペリアが座って本を読んでいます。けれども誰もコッペリアが人形だとは知りません。

向かいに住むスワニルダは明るい少女で村の人気ものですが、彼女の恋人フランツは、最近可愛いコッペリアが気になる様子。それを知ったスワニルダは焼きもちを焼いてフランツと喧嘩をしてしまいます。

ある日、コッペリウスは町に出かけますが、家の前にカギを落としてゆきます。それを見つけたスワニルダと友達は好奇心からコッペリウスの家に忍び込みます。

第2幕 薄暗いコッペリウスの家には人形が並んでいて、スワニルダたちはコッペリアも人形だったと知ります。そこへコッペリウスが戻って来たため、友達は逃げ帰りますが、スワニルダは一人で部屋に隠れます。

そこへ何も知らないフランツがコッペリアに会いに来ますが、コッペリウスはフランツに薬を飲ませて眠らせ、命を抜いて、それをコッペリアに吹き込もうとします。

それを陰から見ていたスワニルダはコッペリアに成りすまし、コッペリアをからかって悪戯の限りを尽くします。その騒ぎで目を覚ましたフランツは、コッペリアの正体を悟ってスワニルダと仲直りします。

第3幕 村の祭りの日に、スワニルダとフランツは結婚式を上げます。その祝宴に人形を壊されて起こったコッペリウスが怒鳴り込んで来ますが、村長の取り成しで二人はコッペリウスに謝り、コッペリウスは機嫌を直します。祝宴の踊りが続き、最後は全員のギャロップによるフィナーレとなります。

このように初演での演出はハッピーエンドで楽しく幕を閉じますが、フィナーレは演出によって異なります。僕が生で観た新国立劇場で公演されたローラン・プティによる演出版では、コッペリウスは祝宴から離れて部屋で一人、足元にバラバラに壊れたコッペリアの人形の傍で呆然と立ち尽くすという、とても可哀そうな幕切れとなります。これはドンチャン騒ぎのフィナーレよりも、ずっと心に余韻を残すエスプリを感じる演出なので大好きです。新国立劇場では何度か再演していますので、是非一度ご覧になられることをお勧めします。

それにしても、最近では人間の心を癒すヒーリング・ロボットがよく話題になりますが、考えてみればコッペリアはその元祖かもしれませんね。うん?寂しい大人の男性を癒す女性型の人形?それって、もしやダッチワイフとかいうのでは・・・??

この曲には、初演されたパリ・オペラ座のオーケストラの演奏による全曲盤が有るのでご紹介します。
41bsm4ah4glジャン=バティスト・マリ指揮パリ国立歌劇場管(1977年録音/EMI盤)

「コッペリア」というとLP盤時代に聴いたエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管の演奏がとても懐かしいのですが、現在はこのバレエが初演されたパリ・オペラ座の管弦楽団(但し名称は変わりました)による演奏を愛聴しています。このオーケストラはその後、バスティーユ管弦楽団となり、チョン・ミュンフンが飛躍的に向上させましたが、そもそもフランス人は練習嫌いなので、昔はリハーサルと本番のメンバーが入れ替わるなんてのは珍しいことではなかったそうです。初めから厳しいアンサンブルなどは望むべきで無かったのでしょうね。この演奏にもそういうユルさが見受けられるのですが、逆にそれがフランスを感じさせます。柔らかいフランス語で恋を語るかのような甘く軽味のある音です。それはまるで、古き良き時代のパリの劇場で聴いているような雰囲気と言えるでしょう。

指揮をしているのはフランスの名匠ジャン=バディスト・マリです。この人は、かつて東京フィハーモニーにしばしば客演していましたので、オールド・ファンには懐かしいでしょう。僕も何度か実演で聴いた覚えが有ります。

フランス人指揮者とフランスの劇場のオーケストラが演奏するフランスのバレエ音楽。これ以上の組み合わせはちょっと考えられないような気がします。元々、本場もの嗜好が人一倍強い自分ですが、こういう演奏を聴いてしまうと、心から納得してしまうのです。

楽しき哉、巴里の街!これぞ、おフランスざんす~

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2012年10月 9日 (火)

ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」 名盤

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ストラヴィンスキーの三大バレエの第一作「火の鳥」に続く第二作は「ペトルーシュカ」です。彼は気分転換のためにピアノ協奏曲(正確には”ピアノ協奏曲風の管弦楽曲”)を書いていたときに、頭にある幻影が浮かびました。それは、『糸を解かれて自由になったあやつり人形が、悪魔的なアルペジオを響かせると、オーケストラが激怒して、脅かすようなトランペットのファンファーレがやり返し、ひどい騒ぎが頂点に達したときに、哀れなあやつり人形が崩れるように倒れて騒ぎが終わる』というものでした。

ロシアバレエ団のディアギレフは、その話を聞いて気に入り、ストラヴィンスキーにそれをバレエ音楽にするように依頼します。そこでストラヴィンスキーは、例のピアノ協奏曲を途中からバレエ曲に書き替えました。そのため、この曲にはピアノの独奏があちらこちらに登場して、とても重要な役割を果たします。

”ペトルーシュカ”というのはロシア文学に出てくるペーターの縮小名で、他の国では”ピエロ”に当たります。いわゆる、お人好しで間抜けな悲喜劇的人物ですね。

このバレエに登場する主要な人物は、人形のペトルーシュカ、ムーア人、踊り子と、見世物小屋の老手品師です。

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―主なあらすじ―

第1場(謝肉祭の市) サンクトペテルブルクの広場を群衆が行き交います。見世物小屋の前では太鼓が鳴り響き、小屋の老手品師が笛を吹くと、ペトルーシュカ、ムーア人、踊り子の3つの人形が現れて、ぎこちない動きでロシア舞曲を踊り始めます。

第2場(ペトルーシュカの部屋) 劇中劇になり、ペトルーシュカは見世物師に蹴飛ばされて部屋に放り込まれます。そこへ現れた踊り子にペトルーシュカは思いを寄せますが、踊り子は全く相手にしてくれません。

第3場(ムーア人の部屋) 色黒のムーア人がグロテスクな踊りをおどっています。そこへ踊り子が現れて二人は仲良くワルツを踊ります。それを見たペトルーシュカは怒ってムーア人につかみかかりますが、逆に部屋から追い出されてしまいます。

第4場(謝肉祭の市の夕方) 広場の雑踏にペトルーシュカが飛び出してきますが、それを追いかけてきたムーア人に切り殺されてしまいます。見世物師は、ざわつく群衆に向ってペトルーシュカが人形であることを説明しますが、その時突如、見世物小屋の屋根の上にペトルーシュカの幽霊が現れて終わります。

前作「火の鳥」の場合、オリジナルの1910年版は、途中にやや緩慢な部分が見られ、バレエ公演では良いとしても、コンサート曲としては少々長く感じられます。その為に簡略化した1919年版が存在しますが、今度は短くし過ぎた感が有りました。

その点、「ペトルーシュカ」には無駄な部分が全く無く、最初から最後まで飽きさせません。オリジナルの1911年版は4管編成で大規模なので、コンサート用に演奏のしやすい3管編成に書き替えられたのが1947年版です。1947年版には終曲にコーダが付け加えられましたが、それ以外には両者の構成や長さにはほとんど違いは無く、むしろ演奏そのものによる違いの方が大きいと思います。

それにしても「ペトルーシュカ」は素晴らしい作品です。「春の祭典」が最高傑作とはいえども、この曲の魅力はそれに優るとも劣りません。打楽器や管楽器が大いに活躍したり、リズムの面白さが際立ちますが、随所に出てくるメルヘンチックな旋律の魅惑的なことや、漂う詩情が何とも言えません。

恋をしても実らず、哀しい思いをする主人公のペトルーシュカは自分の青春時代と重なり合います。僕もしばしば恋に破れたピエロになったからです。

恋をする者は詩人になり、やがてピエロになる (ハルくん作)

それでは僕の愛聴盤をご紹介します。

Cci00042bレナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1969年録音/SONY盤) 自分でも劇音楽を作曲するバーンスタインらしい、テンポの緩急とメリハリがよく効いた解りやすい演奏です。多少ドタバタした印象も有りますが、聴いていて楽しいことではこの上ありません。アンサンブルの緻密さはそれほどでは無いのですが、各管楽器の独奏に非常に味わいがあるのは流石に名人揃いのNYPです。1947年版による演奏です。

4108081088ズービン・メータ指揮ロサンゼルス・フィル(1969年録音/DECCA盤) 30代でショルティと並ぶDECCAの看板スターになったメータの当時の演奏には確かに魅力を感じます。アメリカ西海岸の楽団とインド出身のマエストロのコンビのせいか、音楽も響きもとても温かく、クールさやドライさを少しも感じません。心の優しいペトルーシュカを想わせるような演奏です。反面。グロテスクさは弱い気がします。アンサンブルもクリーヴランドOのような完璧さは無くとも非常によくコントロールされていて申し分ありません。1947年版による演奏です。

Stravinsky_petrushkaピエール・ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィル(1971年録音/Sony盤) 現在は「春の祭典」のCDにカップリングされていますが、LP盤時代に愛聴したせいか、写真のジャケットに愛着が有ります。よく言われるように、ややアバウトなアンサンブルのバーンスタイン時代のNYPとは段違いの完璧さを持っています。バーンスタイン、メータの温かい音楽とは異なり、とてもクールな印象ですが、面白くないわけでは全く無く、この曲の持つ美しさを十全に引き出しています。極めて高い次元の演奏として風格さえ漂わせます。出来栄えとしては1969年のクリーヴランドとの「春の祭典」以上に優れていると思います。これは1911年版による演奏です。

5111kaaeapl__ss500_ コリン・ディヴィス指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1977年録音/Philips盤) つくづくコンセルトへボウは優れたオケだと思います。むろん古典派、ロマン派の音楽には定評が有りますが、近代曲を演奏しても実に素晴らしいです。機能的に上手いだけでなく、厚く美しい響きにはしっとりとした潤いが有ります。デイヴィスの指揮は音楽性に溢れたもので、器用なだけの若手指揮者とはまるで違った貫禄と風格を感じます。何度でも聴きかえしたくなる音であり演奏です。1947年版による演奏です。

1195050668リッカルド・シャイー指揮クリーヴランド管(1993年録音/DECCA盤) クリーヴランド管は優秀ですし、リズムの切れの良い、非常にスタイリッシュな演奏です。但し「春の祭典」でも感じたことですが、どうもオケの音が明るく健康的に過ぎて、この曲のグロテスクな面が感じられません。楽しいばかりでは無く、暗く哀しい部分にもっと注目しなければいけない曲だと思うのです。まとまりの良い演奏ではありますが、特に強く惹かれるということはありません。1947年版による演奏です。

51l67zgy3fl__sl500_aa300_ロバート・クラフト指揮フィルハーモニア管(1997年録音/NAXOS盤) ロバート・クラフトはストラヴィンスキーと親交が深かったので、作曲者の意図を最も理解した指揮者でしょう。この演奏は演出の過剰さを少しも感じさせない、どっしりと構えたオーソドックスなものです。従って若手指揮者のような派手さは有りません。良くも悪くも、ある種の緩さを感じさせます。神経質な演奏が苦手の人には奨められることでしょう。と言っても、昔のモントゥー時代のような大雑把な演奏ではありません。1947年版による演奏です。

ということで、この名曲をどの演奏も楽しめますが、厳選するとブーレーズ/NYP盤とCデイヴィス/コンセルトへボウ盤が双璧です。

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2012年10月 7日 (日)

日本の領土を守れ その6 ~亡国のドジョウ~

反日デモを巧みに演出した中国は一転して沈静化させたが、相変わらず漁業監視船だけはでなく、軍艦までを尖閣諸島海域に投入しようとしている。それを恒常化して、「尖閣を実効支配しているのは我が国である」と世界に主張しようとしているのだ。うそつき国家は、尖閣を支配下に置くことに成功すれば、次は「歴史的にさかのぼれば琉球は中国の領土である」とさえ言い出しかねない(というか既に何度か発言している)。

沖縄ではオスプレイの配備に抗議活動が広まり、マスメディアも「保育園の上をオスプレイの轟音が響いている」などとセンチメンタリズムな報道を行なってそれを煽っている。いかにも国民が喜ぶ(新聞が売れる)ような書き方に傾いている。実は、自分の勤めている会社は厚木基地の飛行ルートの下に有るので米軍機の飛行の際には轟音が轟いてビル内でも会話が出来なくなる。当然保育園もあちこちに有る。何も沖縄だけの問題では無いのだ。ましてオスプレイだけの問題では無い。ところがオスプレイを悪魔の道具のように言って、反対運動を助長しているのは偏ったメディアに大いに責任が有る。

普天間が危険な基地であることは誰でも理解している。だからこそ辺野古への移転が決まっていたのだ。それを能天気の鳩山元総理が既存計画を全てぶち壊してしまった。「最低でも県外」という無責任な発言に沖縄県民が踊らされてしまった。その責任はマスメディアの責任とは比較ならないぐらいに大きい。

以前も書いたが、オスプレイはアジアの安定のためにどうしても必要だと思う。中国という嘘つき強権国家が存在する限り、わが国だけで侵略から防備するのは絶対に不可能である。尖閣諸島という実質沖縄の地域が奪われることは沖縄を奪われることに等しい。だからこそ、非常時に機動性を最も発揮できる(中国に一番近い)沖縄に配備が必要となるのだ。沖縄県の方は「我々をこれ以上いじめないでくれ」と言うが、国防上危険な地域に位置しているからこそ、強固なセキュリティが必要なのだ。もしも中国に支配されても構わないというのなら話は別なのだが。

無能な政権党や防衛大臣がろくな説明をしていない以上、マスメディアは大衆に迎合した記事ばかり書いていないで、しっかりとその配備の必要性を主張しなければいけない。民主党政権は日米同盟をギクシャクさせ、対中国、対韓国の外交を目茶目茶にしたあげく、「近いうちに衆院解散」という約束をずるずると延ばしている。さらには、解散を迫られるので臨時国会さえ開こうとしない。赤字国債法案審議が必要なのにもかかわらずである。理由は支持率が下がったままで、総選挙を行なえば落選する議員が続出するのが明らかだからである。うそつきドジョウ内閣が国民の生活よりも自己保身のために、泥臭くヌルヌルと逃げれば逃げるほど国民の生活は危機に陥ってゆくだろう。亡国のドジョウはもう要らない。

以上は、自分が現在思っていることそのままです。沖縄の方や人によっては反対の意見が有ると思いますが、その際は、どうぞご意見をお寄せください。ただし無記名や「通行人」などという失礼な投稿はやめて頂きたい。どうせ本名では無いのだから、それぐらいの礼儀はわきまえて頂きたいと思います。

追記: マスメディアには大いに失望していますが、今日のWEB記事にはようやくまともな記事が書かれていました。
オスプレイ配備から見えてくる世界、沖縄、野田首相

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2012年10月 4日 (木)

ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」 名盤 ~ハルの採点~

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ストラヴィンスキーの書いた三大バレエ音楽は、各曲それぞれの個性的な書法や性格の違いが楽しめるので大好きです。複雑な管弦楽法の面白さだけではなく、音楽の内容が真に素晴らしいです。そのうちの「火の鳥」「ペトルーシュカ」も大変な傑作ですが、やはり頂点に位置するのは「春の祭典」ですね。ストラヴィンスキーの最高傑作、そして20世紀の屈指の名曲、それが「春の祭典」です。

___images_articles_stravinsky_27012この曲は、作曲者本人の空想が基に成りました。それは「一人の乙女をいけにえとして、ハルの神(じゃなかった”春の神”)に捧げる、異教徒の儀式」です。この話をパリでロシアバレエ団のディアギレフにしたところ、彼はすっかり夢中になり、ストラヴィンスキーにバレエ音楽の作曲を頼んだそうです。

曲は第1部と第2部に分かれていて、第1部「大地への賛歌」では、若い男女や、春の祭りのために競う諸部族の踊りが大地への祈りのために捧げられます。第2部「いけにえ」では、若者たちによっていけにえになる乙女が選ばれ、長老たちが円座になって見守る中で踊り狂い、ついには息絶えたその乙女を長老たちが神様に捧げます。

三大バレエに共通しているのは、非常に革新的、斬新な書法で書かれているにもかかわらず、聴いていて少しも難しい気がしないことです。特に「春の祭典」は粗暴なまでのリズムと迫力を持つ一方で、大地の神秘的な美しさと抒情を曲一杯に湛えています。この曲はよく、変拍子のリズムの複雑さや音楽の持つ迫力が語られますが、決してそれだけではありません。それが真の名曲たる所以です。ですので、演奏を鑑賞する場合も、それらをどれだけ表現出来ているかという点を評価のポイントとしたいです。

この曲は、以前ライプチッヒ・バレエ団のDVDをご紹介した時に、CDの愛聴盤についても一部を紹介しましたが、なにしろこの曲には名盤が目白押しです。そこで、今回は改めて愛聴盤をご紹介し直したいと思います。前回ご紹介のディスクについては、おおよそ同じ内容ですが、採点は改めて付け直しました。

それでは順にご紹介してゆきます。推薦CD「ハルの採点」です。

Cci00042b レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1958年録音/SONY盤) ヤング・レニーのかつてのベストセラーですが、何故かCDは後年のロンドン響との再録音のほうばかりが販売されていてニューヨーク盤は廃盤状態が続いています(僕のはレニーのエッセンシャル盤です)。なんでやろね?NYP音楽監督就任直後の演奏は荒削りではあっても、若々しい情熱に溢れていて実に魅力的です。彼こそは本物の「青春の巨匠」ですよ。この演奏も始めのうちは安全運転ですが、「春のロンド」あたりから突然アクセルがかかってノッてきます。そういえば、このあたりは曲が「ウエストサイドストーリー」みたいですものね。いや、影響を受けたのは作曲家レニーのほうなのでした。これはやっぱり時々聴きたくなる演奏です。75点。

4108081088ズービン・メータ指揮ロサンゼルス・フィル(1967年録音/DECCA盤) 当時30歳そこそこのメータの才能が光り輝いています。「春のきざし」は超快速で飛ばして爽快この上ありません。速い部分が際立つので、遅い部分が実際以上に遅く感じます。ロス・フィルの音はキレが有りますが、フォルテでも音の柔らかさを失わず、騒々しく刺激的にならないのは素晴らしいです。第2部も非常に美しい響きですが、神秘感と終結部の迫力はいま一つかもしれません。全体を通して、楽しいことこの上なく非常に素晴らしい演奏です。90点。

41spkgnk6sl__ss500_ ピエール・ブーレーズ指揮クリーヴランド管(1969年録音/Sony盤) セルがまだ現役時代の名器クリーヴランド管を使って録音を行った、一世を風靡した歴史的名盤です。よく言われる、各楽器の音がレントゲン写真のように聞こえる演奏は、録音技術の功績も大であって、生のステージではちょっと有り得ないでしょう。切れ味の鋭い演奏ですが、それだけでは無いある種の「落ち着き」や「風格」を感じさせます。ブーレーズはずっと後にベルリン・フィルと再録音をしていますが、聴いていて面白いのは断然このクリーヴランド盤のほうです。前半は文句無しですが、後半の迫力がいま一つなので85点。

51s68tcedgl__ss500_レナード・バーンスタイン指揮ロンドン響(1972年録音/SONY盤) 旧盤から14年後の再録音盤ですが、旧盤の若々しさに比べて、ずっと大人の印象に変わりました。テンポは遅めでスケールが大きく重量感が増しています。その分、旧盤の切れの良さは失われた感じです。前半よりも後半が良く、深みが有ります。管楽器のソロはNYPのほうが上に思いますが、全体のまとまりは新盤のほうが上です。どちらを好むかは人によって分れそうです。75点。

5111kaaeapl__ss500_ コリン・ディヴィス指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1976年録音/Philips盤) このCDはアナログ録音でありながら非常に音が良いです。というか逆に優秀なアナログ録音だからこそコンセルトへボウの分厚い音の響きを充分に捉えられたのかもしれません。まさに圧倒されるようなパワーなのですが少しもうるささを感じません。これはデイヴィスの指揮と楽団の優秀さのせいでしょう。弦楽や管楽の各パートの上手なことはまさに特筆ものです。ただし前半はややおとなしめ。「春のロンド」あたりから音の厚味を増して本領発揮は後半です。100点。

Aa017878wリッカルド・シャイー指揮クリーヴランド管(1985年録音/DECCA盤) 当然オケは優秀ですし、リズムの切れも良く、現代的な演奏と言えます。迫力は充分に有りますが、非常に健康的でスタイリッシュ、オケの響きは明るく、土俗感や神秘感を余り感じさせません。そのあたりが聴き手の好みの分かれるところではないでしょうか。評論家筋には評価の高い演奏なのですが、自分としては、この曲にしては楽天的過ぎるので、もっと原始的な荒々しさや神秘感が欲しいと思えてしまいます。80点

Stravinsky71eniuaoftl__sl1084_マイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ響(1996年録音/RCA盤) トーマスはロシア系の血筋を持ちます。また若いころにストラヴィンスキー本人からこの作品について詳しく伝授されました。ですので曲への思い入れは相当強いと思います。この曲の二度目の録音であり完成度が非常に高いです。第一部から集中力の高いアンサンブルを聴かせますが、第二部に入ると更に集中力と熱気を増してゆきます。非常にダイナミックですが雑な部分が無く各楽器のソロもアンサンブルも非常に優秀です。録音も優秀で分離の良さが見事ですが、演奏そのものが熱いので分析的には聞こえません。100点。

Cci00042ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管(1999年録音/Philips盤) もう10年近く前ですがこのコンビの「春の祭典」は東京で生演奏を聴いています。その時はどちらかいうとスマートな印象(席が遠かったせいかも)だったのですが、その頃に録音されたCDでは随分と荒々しさを加えて素晴らしい出来栄えです。精緻さとバーバリズムの共存というこの曲の理想的な演奏となりました。いたるところでロシアの大地の雰囲気を感じさせるのもやはり自国の楽団ならではです。現在も非常に気に入った演奏です。100点

51sq7hjv7blロバート・クラフト指揮フィルハーモニア管(2007年録音/NAXOS盤) ストラヴィンスキーと親交が深く、長くアシスタント指揮者を務めてロシアツアーなどにも同行したロバート・クラフトは、作曲者の意図を恐らく最も理解した指揮者だと思います。この前にもロンドン響との録音を残していますが、僕は新盤のほうで聴いています。複雑な楽譜を目の前に示されるような演奏ですが、最近の指揮者のように、曲を無理やり味付けて料理してやろうというようには感じません。ハッタリや演出が無いので一聴すると面白みに欠けるようですが、実は非常に風格の有る演奏です。ストラヴィンスキーの生誕125周年を記念したこの録音は、やはり聴いておきたいと思います。85点

これ以外の演奏では、ストラヴィンスキー本人の指揮でコロムビア響盤を聴きましたが、正直面白く無かったです。作曲者の演奏ということで過剰な期待は禁物です。イーゴリ・マルケヴィチ/フィルハーモニア管も古くから評判が良かったですが、さほど気に入りませんでした。アンタール・ドラティ/デトロイト響は一時期よく聴いたのですが、オケの響きがドライでキンキンすることもあって現在は余り好んでいません。

というわけで、3年前にはゲルギエフ盤を一番に上げましたが、現在はコリン・ディヴィス盤、ティルソン・トーマス盤、ゲルギエフ盤がトップスリーです。

次点としてはメータ/ロス・フィル盤を上げたいですが、ブーレーズ/クリーヴランド盤とロバート・クラフト盤も外せません。

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