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2012年5月

2012年5月25日 (金)

シューマン 「子供の情景」op.15 名盤 ~子供は眠る~ 

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「眠る子供たち」 ワシーリー・ペローフ(ロシア)

僕は、どちらか言えばピアノ曲よりも、ヴァイオリンや室内楽を聴くことが多いのですが、ピアノ曲も決して嫌いなわけではありません。ベートーヴェン、ショパン、シューマン、シューベルトあるいはドビュッシーなんかも結構好んでいます。中でもシューマンの曲は、自分の肌に一番合っていると思います。明暗が余りはっきりとしないマーブル色の色彩の曲想に、とても惹きつけられるのです。

シューマンのピアノ作品の中では、とりわけ「幻想曲」「クライスレリアーナ」「交響的練習曲」の3曲を好んでいます。楽曲の充実感が群を抜いているからです。それ以外の曲で上げるとすれば、「幻想小曲集」が好きですが、もう一つ「子供の情景」も中々気に入っています。

「子供の情景」を聴いて思い出すのは、児童文学作家の森絵都(もり・えと)さんの短編小説「子供は眠る」です。主人公の中学生が、何人かのいとこたちと海の近くの別荘で夏休みを過ごす話ですが、別荘の持ち主の家の年長のお兄さんが、毎晩、「音楽鑑賞の時間だぞ」と言って、みんなに無理やり「子供の情景」のレコードを聴かせます。ですので、みんなはすぐに眠くなってしまい、最後まで聴き通せないのですが、その時の子供たちの様子や別荘での生活ぶりが、詩情豊かに描かれていて、大変ほのぼのとした気持ちになります。

さて、シューマンの「子供の情景」は、全部で13曲から成ります。

「知らない国々」「珍しいお話」「鬼ごっこ」「おねだり」「満足」「大事件」「トロイメライ(夢)」「炉辺で」「木馬の騎士」「むきになって」「おどかし」「子供は眠る」「詩人のお話」

これらはすべて3分以内、短いものは30秒ほどの小曲ばかりです。子供のためのアルバム、と言えるのでしょうが、単に子供に弾かせるためのピアノピースということではありません。大人が自らの子供時代の回想をしているような趣が有ります。シューマン自身も、クララから「ときどき、あなたは子供に見える」と言われた言葉の余韻の中で作曲をしたそうです。シューマン特有の光りと影のまだら模様の雰囲気が、全曲に共通して感じられます。

第6曲「トロイメライ」は最も有名で、美しさの極まった名曲ですが、こういう曲は演奏が案外難しいと思います。情緒を感じさせてくれなくては話になりませんが、かといって余りにゆっくり思いを込め過ぎても、もたれてしまい旋律線があやふやになります。いくら「夢」だといっても、それは困ります。

第12曲「子供は眠る」は、子供の寝ている姿を眺めて幸福感に浸るというよりも、「大人になってしまった自分は、もう二度と幸せな子供の頃には戻ることが出来ないのだなぁ」という寂しさや哀しさを感じます。この曲と、それに続く終曲「詩人のお話」は、いかにもシューマンらしい沈滞した雰囲気に包まれています。

それでは、この曲の愛聴盤のご紹介です。

51lod210vsl__ss500_ ウラジーミル・ホロヴィッツ(1969年録音/CBS SONY盤) ホロヴィッツの弾く「クライスレリアーナ」は最高でしたが、「子供の情景」にも一切手を抜きません。ピアノタッチが明瞭で、音符の全てが光り輝いています。とても子供のためのアルバムどころではありません。「トロイメライ」の美しさも際立っています。それに比べると、最後の2曲は、意外にあっさりと流れてしまい、もう少し余韻を感じさせてくれても良かったように思います。

61ez9sietxl__ss500_ ウィルヘルム・ケンプ(1972年録音/グラモフォン盤) ケンプの演奏は、少しもヴィルトゥオーゾ的で無いので、曲によっては物足りなさを感じることが有ります。もちろんそれは、この人の魅力の裏表なのですが。その点、この曲では、少しも物足りなさを感じません。老ケンプが、子供時代に馳せる思いを淡々と弾き表す姿には、とても心を打たれます。特に「子供は眠る」から「詩人のお話」へと続く終曲では、何と深い感動に包まれることでしょうか。

51mmmcehxil__ss500_ マルタ・アルゲリッチ(1983年録音/グラモフォン盤) アルゲリッチにしては、案外淡々と弾いています。それでもテンポや音の強弱にメリハリが適度に効いていて、バランスの良さを感じます。僕が彼女の演奏でしばしば気に入らない原因となる「あざとさ」を少しも感じさせません。但し「トロイメライ」は、弱々しくのっぺりし過ぎで物足りません。逆に最後の2曲では深々と余韻を感じさせてくれます。ピアノ演奏は難しいものです。

この3つの演奏はどれも特徴が有りますが、全曲を聴き終わった後に、一番「良かったなぁ」と思わずにいられないのは、ケンプです。特に最後の2曲の良さが光ります。終わりよければすべて良しですが、この曲の場合には特にそう感じます。

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2012年5月23日 (水)

~燃える闘魂~ アントキノ・イノキ

今回は、音楽とは、ちょっと違うお話です。

Inoki昨年末のことですが、書店で「燃えろ新日本プロレス~至高の名勝負コレクション~」というDVD付の本を購入しました。

なにしろ、僕らが子供の頃には、プロレスリングの人気が凄かったです。力道山時代は、かすかな記憶しかありませんが、ジャイアント馬場時代になると大変に熱中しました。

そんな僕が中学生の時ですが、学校の放課後に同級生と二人で、東京体育館へ日本プロレスの「第11回ワールド・リーグ戦」の優勝決定戦を観に行ったことがありました。1969年5月のことです。
その時には、ジャイアント馬場とボボ・ブラジル、アントニオ猪木とクリス・マルコフの2試合が決勝の形となり、馬場がブラジルと時間切れ引き分けになり、猪木がマルコフを必殺技卍固めで破ったために、猪木の優勝となりました。実は、この試合は非常に大きな意味を持ち、それ以後はアントニオ猪木はジャイアント馬場と並び立つ存在となり、馬場&猪木時代になったからです。二人は対照的で、スケール大きく動きのゆったりとした馬場に比べて、猪木はスピーディで躍動していました。馬場がクレンペラーなら、猪木はクライバーです。また、数少ない必殺技がお決まりだった馬場に比べると、猪木は多彩な必殺技を次々と見せてくれて、まさに技のデパートでした。

その後、猪木は日本プロレスから独立して、異種格闘技戦として柔道金メダリストのルスカやボクシングのモハメド・アリらと戦って大きな話題となりました。そして、新日本プロレスを立ち上げて、ここでIWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)という大きな大会を開催して、空前絶後の盛り上がりを見せたのです。購入したDVDはこの新日本プロレスの名勝負をコレクション化したものです。

この頃の、プロレスは子供も大人も大いに楽しませたと思います。プロレスというと、よく真っ赤な血を流すシーンが有るので、特に女性などには嫌う人も多いと思いますし、男性でも「あんなものはシナリオの有るショーだ。」と言って冷ややかな人も多かったです。でも、ショーで良かったのです。鍛え抜かれた肉体と肉体が、がっちりと組み合い、お互いに技を出し合い、受け合うさまが、まさに男のワンダーランドなのです。その後にはK-1の大ブームが起こり、一世を風靡しましたが、あのころのプロレスの楽しさは格別でした。今でも決して忘れられません。あんときの猪木は正に僕らのスーパーヒーローだったのです。

その初刊DVDを、観戦しました。収録されているのは次の4試合です。

①アントニオ猪木 VS ハルク・ホーガン(1983年 IWGP決勝戦)

②アントニオ猪木 VS 前田 明(1983年)

③タイガー・マスク VS ダイナマイト・キッド(1981年)

④アンドレ・ザ・ジャイアント VS スタン・ハンセン(1981年)

いやー、どれも懐かしくて、感無量です。
①猪木VSホーガンでは、猪木が試合中に失神してホーガンに敗れてしまいますが、両者の白熱の攻防には大満足です。敗れてなお、猪木の凄さが思い知らされるというものです。
③は初代タイガーマスクのセンセーショナルなデビュー戦です。まさか子供の頃に見た人気アニメさながらのレスラーが本当に戦う姿が観られるとは思いもしませんでした。
④アンドレ・ザ・ジャイアントVSハンセンは超重力級レスラー同士の激突ですが、これほどのド迫力の試合は後にも先にも観たことは有りません。

これらは至高の名勝負の名に恥じない素晴らしい試合ばかりですが、それを大いに盛り上げた若き古舘伊知郎の熱いアナウンスが実に懐かしかったです。

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2012年5月19日 (土)

ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集「調和の霊感」op.3 愛聴盤 ~ピエタ~ 

4591122670アントニオ・ヴィヴァルディは、25歳で司祭になりましたが、赤毛であったため、「赤毛の司祭」と呼ばれました。また、同じ年にヴェネツィアのピエタ慈善院付属音楽院のヴァイオリンの教師となり、合奏と作曲を教えました。

ピエタ慈善院というのは、孤児や捨て子を養育するために設立された慈善機関です。男の子は大きくなるとここを離れることに決められていましたが、女の子は結婚しないかぎりは生涯をここで暮らしました。但し、音楽の才能が認められた女子は、付属する音楽院の合奏、合唱団の一員になることができ、彼女らの開くコンサートの収入は慈善院の運営を支えていました。特にヴィヴァルディが楽長に就任してからは技量が飛躍的にアップして、広くヨーロッパから客が集まったそうです。ヴィヴァルディの愛弟子であるヴァイオリニストのアンナ・マリーアは最も有名で、ヴィヴァルディがピエタを去った後には音楽院の楽長を継ぎました。現在、ピエタ慈善院は存在せず、代わりに「慈悲の聖母マリア児童施設」というのが有るそうです。

ヴィヴァルディは40年近くもの間、ピエタに多くの楽曲を提供しましたが、その中で良く知られているのは、作品3の「L’estro Armonico」(「調和の霊感」もしくは「調和の幻想」とも)です。この12曲のヴァイオリン協奏曲から成る曲集は、アムステルダムの出版社から出版されてヨーロッパ中で爆発的な人気を呼びました。どの曲も、とても親しみ易く、ヴェネチアの潮風に吹かれるような心地よさを感じます。第6曲イ短調は、ヴァイオリンの入門者が必ず学習する曲ですが、これが意外に味のある名曲です。第10曲ロ短調も、ラジオでよく耳にする名曲です。全曲を通して聴くと、親しみ易い反面、聴き応えに欠ける印象を受けるかもしれませんが、理屈抜きで音楽の美しさを楽しめる名曲集だと思います。

後年、ヴィヴァルディは、ウイーンに行って、オペラ公演を開こうとしている間に病気で亡くなりますが、ピエタから失われてしまった一枚の楽譜をめぐるミステリー仕立ての小説「ピエタ」を大島真寿美さんが書いています。物語の中には、ピエタの日常や、アンナ・マリーアが才能を開花させてゆく様子などが、詳しく描かれています。何よりも素敵なのは、全編にわたって彼女たちが「調和の霊感」を演奏する音が聞こえてくるかのようなのです。この小説はミステリーとして読むには、物語がゆっくりと進むので、緊張感に不足するように感じられるかもしれませんが、最後に明かされる秘密には、何とも言えない心の癒しと幸福感を呼び起こされます。

~ほんとうに、ほんとうにわたしたちは、幸せな捨て子だった~

そんな言葉が、心の奥底に沁み込んで来ます。

さて、最後に「調和の霊感」の愛聴盤をご紹介しておきます。

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イ・ムジチ合奏団、ロベルト・ミケルッチ(Vn独奏)(1962年録音/フィリップス盤)

ヴィヴァルディとあっては、イ・ムジチを抜かすわけには行きません。僕の持っているのは何種類かあるうちのミケルッチ盤です。この人は、アーヨの後任としてイ・ムジチのリーダーとなりましたが、ずっと演奏がスマートでした。その為に、当時は何となく物足りなさを感じたものですが、現在聴くと後年のイ・ムジチの演奏に近いすっきりとした味わいを感じます。それでいて、過度にカッチリとし過ぎない、良い意味での「緩さ」が感じられるので、この曲集の場合は、むしろ好ましく思われます。ピエタの音楽院の「幸せな孤児たち」が楽しみながら演奏しているイメージが湧いてきて、聴いている自分も思わず幸せな気持ちになります。

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イタリア合奏団、ジョヴァンニ・グリエルモ(Vn独奏)(1988年録音/DNNON盤)

かつては、ローマ合奏団の名称で活動していたこの団体は、アンサンブルが極めて優秀です。第1ヴァイオリンをグリエルモだけでなく、3人が交代に弾くほどに、各メンバーの技術が優れています。現代楽器を使用していますが、演奏のテンポは速めですっきりと洗練されていて、古めかしさは少しも感じさせません。独奏ヴァイオリンの曲も素晴らしいですが、4台のヴァイオリンのための曲が非常に聴きごたえがあります。但し、少々上手過ぎて、ピエタの音楽院の演奏というイメージは余り湧いてきません。

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2012年5月18日 (金)

~海峡を渡るバイオリン~ 陳昌絃さんの思い出

一昨日の新聞に小さく訃報の記事が有り、思わず目に留まりました。

ヴァイオリン制作者の陳昌絃(ちん・しょうげん)さんが13日にお亡くなりになられたそうです。陳さんは、戦前に日本の統治下にあった朝鮮半島から日本に渡り、独学でヴァイオリンの制作に励み、1976年には米国の楽器制作コンクールで優勝し、ついには世界に5人だけという無鑑査マスターメーカーに認定されました。世界的に高い評価を得て「東洋のストラディバリ」と呼ばれました。陳さんの半生は「海峡を渡るバイオリン」というテレビドラマになって放送されましたので、ご覧になられた方も多いと思います。

実は僕の所有しているヴィオラは、陳さんの手によるものです。といっても、新制作ではなく、ドイツから輸入された普及品に陳さんが手を加えたものです。陳さんの工房は昔から東京の仙川に有って、いまから約35年前、大学のオーケストラに初心者として入部した自分は、友人からの紹介で陳さんの工房を訪れて、その楽器を格安で譲って頂いたのでした。

その時の陳さんのお話が非常に印象的でしたので、今でも耳にはっきりと焼き付いています。

「良い楽器は耳元では、余り鳴っていないように音が小さく感じられます。けれども遠くに離れると、実はよく聞こえるのです。反対に、悪い楽器は耳元ではよく鳴るが、遠くにまで音は届きません。」という内容でした。

その時には、正直「ふーん、そんなものかなぁ」と半信半疑でしたが、それから僅か数年後に陳さんは世界的なコンクールで優勝されたので、「やはり本当だったんだなあ」と一人で納得したものです。

陳さんのヴィオラは今でも家に有りますが、なにしろ弾かなくなって10年以上も経ちます。陳さんの訃報を知って、久しぶりに楽器を手にしたくなりました。この週末は、楽器を弾きながら名ヴァイオリン制作者を偲ぼうかと思っています。

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2012年5月11日 (金)

~名曲シリーズ~ ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調op47「クロイツェル」 名盤

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ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番に「クロイツェル」というタイトルが付けられているのは、この曲が当時のフランスの名ヴァイオリニスであるルドルフ・クロイツェルに捧げられたからです。ベートーヴェン以前のヴァイオリン・ソナタというのは、「ヴァイオリンを伴うピアノ・ソナタ」と呼ばれたように、とても優雅で、音楽好きな貴族のために書かれたような雰囲気を持っていました。ところが、この曲ではピアノとヴァイオリンが、まるで格闘でもするかのような激しさを持って両者譲らず競い合います。

ロシアの文豪トルストイは、この曲に影響されて、小説「クロイツェル・ソナタ」を書きました。ヴァイオリニストの男への嫉妬心がもとで妻を殺してしまう主人公の独白という形で物語は進んでゆきますが、その中で、彼の妻はピアノを弾き、この曲をヴァイオリニストと共演します。そして主人公はこの曲の第1楽章について、「これは貴婦人の前で演奏してはいけない曲だ」と述べます。貞節な淑女の心をも挑発してしまう恐ろしい曲だ、ということを言いたかったのです。

また、モラヴィアの作曲家ヤナーチェクは、そのトルストイの小説を読んで大きな衝撃を受けて、弦楽四重奏曲「クロイツェル・ソナタ」を書きました。

ブリネという画家も、やはりトルストイの小説に刺激されて、同じタイトルの絵を書きました(上の写真です)。愛欲に憑りつかれた男と女という、いかにも妖しい雰囲気の漂ってくる絵ですね。

というように、ベートーヴェンの書いた曲が、次々と連鎖を生んで行きます。それほど想像力を掻き立てられる名曲だと言えるのでしょう。

第1楽章アダージョ・ソステヌート-プレスト 荘重なアダージョの導入が終わるとプレストに突入して、余りの激しさに息をつく間を与えません。これには貴婦人ならずとも、強く感情を揺さぶられることでしょう。

第2楽章アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ トルストイは、この楽章についても小説の中で主人公に語らせています。それは「美しいが月並みで新味がない」のだそうです。随分と手厳しいですね。確かに平凡な演奏では、それは事実なのですが、優れた演奏で聴いた場合は、実に高貴な音楽になると思っています。

第3楽章プレスト この楽章にはトルストイは更に「極めて出来が悪い」とまでこきおろしています。もちろん第1楽章に比べると平凡な印象は有りますが、この楽章も演奏さえ良ければ中々に面白く聴けると思っています。

この曲は、やはり第1楽章の魅力が全てです。そこで、女性の方に是非お尋ねをしてみたいと思うのですが、もしも男性のヴァイオリニストに目の前でこの曲を演奏されたら、心が乱れますか? それでしたら、僕も弾いてみたいところですが、残念ながら僕の楽器はヴィオラです。「スプリング・ソナタ」ならば、ヴィオラ編曲版で友人にピアノをひいてもらって弾いたことは有りますが、「クロイツェル・ソナタ」では、まったりしたヴィオラで弾いても淑女の心を乱すのはちょっと無理でしょうね。(しょんぼり)

さて、馬鹿な事を言っていないで、僕の愛聴盤のご紹介です。

Cci00061b ブロニスラフ・フーベルマン(Vn)、イグナツ・フリードマン(Pf)(1930年録音/EMI盤) 20世紀最大のヴルトゥオーゾ、フーベルマンこそはトルストイの書いたヴァイオリニストのイメージに最も近いのかもしれません。即興的な歌い回しや艶めかしいポルタメントのオン・パレードで、テンポの崩しもへいちゃらです。妖艶なこと、この上ありません。フリードマンのピアノもフーベルマンと息がぴったりです。録音年代の割には音がしっかりしていますので、鑑賞には支障ありません。

Shigeti8ヨゼフ・シゲティ(Vn)、ベラ・バルトーク(Pf)(1940年録音/ヴァンガード盤) シゲティは大好きなヴァイオリニストですが、共演がバルトークという歴史的演奏です。但し古いライブ録音ですので音質には余り期待できません。二人ともハンガリー人ですのでマジャール民族の熱い血を想わせる白熱の演奏です。シゲティはまだ晩年のボウイングの衰えは見せていませんし、気迫が凄まじいです。やはりこの曲はこういう男性的な演奏で楽しみたいものです。

379アドルフ・ブッシュ(Vn)、ルドルフ・ゼルキン(P)(1941年録音/NAXOS盤) この曲の一番凄い演奏は誰か。フーベルマン?シゲティ?ハイフェッツ?違います。僕なら、迷うことなくアドルフ・ブッシュが第二次大戦中にアメリカに渡って残したこの演奏を上げます。第1楽章では、若きゼルキンの素晴らしいピアノと共に、阿修羅のごとく燃え上がる演奏を繰り広げています。これには淑女ならずとも、いかなる冷静な紳士でも興奮させられてしまうでしょう。一転して、2楽章の高貴さはどうでしょう。この楽章が決して美しいだけの音楽では無いことを証明しています。これぞ偉大なるドイツの魂です。鑑賞するには昔の米CBSのアナログ盤が良いのですが、CDではNAXOSレーベルがSP盤の板起しで復刻しています。これは中々に力強く明瞭な音で聴くことが出来ます。biddulphレーベルからもゼルキン/ワルターの「皇帝」とカップリングで出ていますが、アナログ的な低域の量感は魅力的なものの、音のクリアーさではNAXOS盤のほうが上です。

Betocci00015_2 ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn)、ヴィルヘルム・ケンプ(P)(1952年録音/グラモフォン盤) ウイーン出身のシュナイダーハンは、とても好きなヴァイオリニストです。少しもヴィルトゥオーゾっぽく無いところが良いです。このコンビの「スプリング・ソナタ」はステレオ盤以上に魅力的でした。但し「クロイツェル」の場合は、1楽章が迫力不足に感じます。音程やフィンガリングにも、僅かの箇所ですが、おや?と思うところが有ります。従って、この曲の場合は、後述のステレオ盤に軍配を上げたいと思います。

Beethoguryucci00015 アルトゥール・グリュミオー(Vn)、クララ・ハスキル(P)(1957年録音/フィリップス盤) アルトゥール青年とクララおばちゃまのコンビは非常に品格を感じさせるので、トルストイの書いたような荒々しさは感じません。青年紳士と貴婦人の二重奏というところでしょうか。それでも彼らのモーツァルト演奏とは、また異なる男性的な印象も受けます。若きグリュミオーのヴァイオリンは切れが良く、躍動感が有って素晴らしく思います。ハスキルも、いぶし銀の音色がまた素晴らしいですが、案外と力強さも感じさせます。第2楽章も抒情的でとても美しいです。

636 ヘンリク・シェリング(Vn)、アルトゥール・ルービンシュタイン(P)(1958年録音/RCA盤) 移住先のメキシコで音大の教師をしていたシェリングの演奏を聴いて、余りの上手さに驚いた同じポーランド出身のルービンシュタインがシェリングを世に知らせるために共演した録音です。導入のアダージョから、あのバッハの「無伴奏」のような荘重で美しい和音が響きます。プレストでは、イン・テンポで格調の高さを感じますし、テクニックは完璧、気迫も相当なものです。シェリングに触発されたのか、ルービンシュタインがいつになく真剣で力強い音を響かせています。両者のアンサンブルも見事の一言です。2楽章も気品が有って、変奏部分でも少しも退屈になりません。これほど音楽的に充実した演奏は稀だと思います。

726ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn)、カール・ゼーマン(P)(1959年録音/グラモフォン盤) 昔、アナログ盤で愛聴しましたが、現在はCDの全集で聴いています。特に第1楽章の出来栄えが非常に素晴らしく、「クロイツェル」に関しては、モノラル盤よりもステレオ盤を取ります。技術的にも進歩していて完璧です。ゼーマンのピアノも力強くて良いです。欠点は2楽章の気高さに少々不足することですが、1、3楽章の魅力がそれを補っています。

225ダヴィド・オイストラフ(Vn)、レフ・オボーリン(Pf)(1962年録音/フィリップス盤) オイストラフはシゲティとは逆に楽器から美音を引き出して温かみのある演奏を聴かせます。それが「スプリング・ソナタ」では魅力を感じたのですが、この曲の場合には場違いに聞こえます。どこまでも楽天的で、音楽と闘争するような印象は皆無です。上手いことは確かなのですが、変なところでポルタメント気味に音を引っ張ったりと違和感を与えます。オボーリンのピアノもぬるま湯的で締まりに欠けています。

Beethocci00016 カール・ズスケ(Vn)、ワルター・オルベルツ(P)(1969年録音/シャルプラッテン盤) かつてベルリン弦楽四重奏団(後にズスケSQに改名)の第1奏者として生で聴いた音に近い、緻密で瑞々しい演奏です。他の大ソリスト達に比べると幾らかスケールの小ささを感じますが、室内楽的な緻密さとキレの良さが彼らの魅力なのでしょう。速めのテンポで追い込んでゆく迫力にも不足しませんし、オルベルツのピアノはズスケと息がピタリと合っていて好演だと言えます。

1198031330 ユーディ・メニューイン(Vn)、ヴィルヘルム・ケンプ(P)(1970年録音/グラモフォン盤) メニューイン50代半ばの録音で、「スプリング・ソナタ」が非常に好きでしたが、この「クロイツェル」も素晴らしい演奏です。初めはおっとり刀で始まったかと思って聴いているうちに、じわじわと増してゆく気迫に飲み込まれてゆきます。何という大きな音楽なのでしょう。美音にはほど遠いヴァイオリンですが、綺麗ごとでは無い真実味を感じます。2楽章も高貴さがあって少しも飽きさせません。ケンプのピアノは外面的な迫力は幾らか不足気味ですが、大家ならではの長年の間に熟成されたような深い味わいに満ち溢れています。

Bcd9165ヘンリク・シェリング(Vn)、ゲリー・グラフマン(P)(1970年録音/BRIDGE盤) シェリングのアメリカでのライブ録音です。この人はスタジオでもライブでもテクニックや造形の完璧性に違いは有りません。とは言え、59年の録音に比べると、ほんの僅かにロマンティシズムと即興性、そして熱気が加わっている印象です。どちらを好むかは人によるでしょうが、どちらも最高度に素晴らしい演奏だというのは間違いありません。グラフマンのピアノは、男性的な迫力が充分で、ルービンシュタインの品格には及ばないものの優れています。録音は優秀です。

41k49wvcpkl__sl500_aa300_ギドン・クレーメル(Vn)、マルタ・アルゲリッチ(Pf)(1994年録音/グラモフォン盤) この二人のシューマンのソナタの演奏は好きなのですが、この「クロイツェル」のほうは余り好きではありません。演奏をリードしているのは明らかにアルゲリッチですが、表現意欲が旺盛すぎて、逆に煩わしさを感じてしまいます。このように変化球多用の演奏は、ベートーヴェンではどうかなと思ってしまいます。もっとストレート球で勝負して欲しいのです。但し、これは僕の感覚ですので、これがお好きなファンも多いと思います。

これ以外では、ヴァイオリンの魔人ハイフェッツのライブによる演奏が有ります。唖然とするほど上手いのですが、僕はこの人の演奏が何となく苦手です。おそらくブッシュのように、魂が燃え尽きてしまうかのような感覚が得られないからだと思います。

また、我が愛しの諏訪内晶子さまも録音をしていますが、購入はしていません。もしも、あの美しい晶子さまに妖艶に弾かれたら、この貞節な心をかき乱されてしまうのが目に見えているからです。「キケン!キケン!」(←宇宙家族ロビンソンのロボット、フライデー)

というわけで、さすがにこの曲には名演奏が揃っていますが、ベートーヴェンの魂に最も肉薄している演奏としては、何を置いてもブッシュ/ゼルキン盤を上げたいです。次点にはシェリングの2種類、それに個人的にはメニューイン/ケンプ盤を上げたいです。あとはシュナイダーハン/ゼーマン盤、ズスケ/オルベルツ盤が、中々に捨てがたいところです。

さて、皆さんの心をかき乱される演奏はどれでしょうか?

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2012年5月 5日 (土)

峠の我が家 ~丹沢山麓より~

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昨年のゴールデンウイークに、長年住み慣れた東京都内から神奈川県の厚木市に引っ越しをしましたが、それからちょうど1年が経ちました。我が家は車がひっきりなしに通る幹線通りから、裏通りに一歩入った静かな住宅街に有りますが、住み始めてから数日経った休みの日に、ぶらりと家の裏側の方面に散歩に行って、えらく驚いたのです。ものの5分も歩かないうちに、景色が激変して、まるでどこかの田舎にワープしたかのようなのです。もちろん丹沢山系の麓とは認識していましたが、これほど近くに自然が有るとは全く気が付きませんでした。元々田舎の好きな自分ですので、こりゃ良い場所に越してきたなぁと嬉しくなりました。冬になると山の上は雪で白くなり、春には緑の野山が一望できます。休みの日には愛犬を連れて散歩をするのが大きな楽しみです。すっかりGWらしい良い天気になった今朝、散歩をしながら上の写真を撮影しました。

一応、音楽日記ですし、せっかくなので好きな1曲のご紹介を。「峠の我が家」です。アメリカのフォークソングですが、原題は「Home on the range」ですので、直訳すると「平原の我が家」になりそうです。この曲は古い歌ですので、色々な人が歌っています。ピート・シーガーのカントリー調の歌も良いですが、大歌手フランク・シナトラの素晴らしい歌も大好きです。YouTubeで見つけましたので、どうぞ丹沢の写真をご覧になりながらお聴きください。
「峠の我が家」 歌:フランク・シナトラ

もう一人、本場のカントリーもので素敵な歌手を見つけました。これも素晴らしいです。
「峠の我が家」 歌:トム・ルーシュ

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2012年5月 4日 (金)

リヒャルト・ワーグナー 舞台神聖祝祭劇「パルジファル」 名盤

Parsifal

「パルジファル」はワーグナーの書いた最後の作品ですが、彼はこの作品を「歌劇」とも「楽劇」とも呼ばずに、「舞台神聖祝祭劇」と名付けました。それはこの作品が非常に宗教的な色合いが濃かったからです。更に、この作品の上演の際には、観客に拍手を行なわないように指示をしています。

ワーグナーは自分の作品を理想的な環境条件で上演するために、バイロイトに専用の劇場を建てました。有名なバイロイト祝祭歌劇場です。「パルジファル」は、この劇場で初演されました。この劇場は、オーケストラの演奏するピットが舞台の下に隠れていて客席からは見えないことが最大の特徴です。そのために観客は舞台に集中できるわけですが、オーケストラの音はこもって柔らく聞こえるようになります。

―劇の概要―

物語背景 キリストが十字架で処刑されたときに流れた血を受けた聖杯と、処刑に使われた槍(すなわち聖槍)をまつるために聖杯守護の騎士団を抱えることになったティトゥレル王が年老いたために、二代目のアンフォルタスに譲位をした。アンフォルタス王は、魔法を使って騎士たちを誘惑して信仰の王国を破滅させようとする魔法城の主クリングゾルを倒そうとする。ところが、クリングゾルの魔法にかかって妖女に変身したクンドリへの愛欲に迷わされ、聖槍を奪われたあげくに重傷を負わされてしまう。

第1幕 アンフォルタスは、負った傷を毎日のように湖の水で流すが、いつまでも癒されずにいる。王の傷が治るには、「同情により知を得る、清らかなる愚か者」が現れることが必要であった。

王に使える騎士グルネマンツは、森で育った愚直な若者パルジファルを見つけて、「この者か!」と思い、聖杯城の儀式を見せるが、何の興味も示さないので失望して、彼を城から追い出してしまう。

第2幕 パルジファルが森をさまよっているのを、魔法城のクリングゾルが見つけるが、同時に彼の使命を察知して、抹殺しようとする。魔法の園の美女たちがパルジファルに近づいて誘惑をしようとするが、彼はそれに全く反応しない。そこで妖女に変身したクンドリが「パルジファル待て!」と呼び止めると、彼は自分の名前を思い出す。クンドリが彼の母親の生涯について語り、母のように接吻をすると、パルジファルは自分の使命を思い出した。クンドリは一度だけでも彼と結ばれたいと哀願するが、パルジファルはそれを拒絶するので、激昂する。そこにクリングゾルが現れて聖槍をパルジファルに向かって投げつけるが奇跡が起こり、槍はパルジファルの頭の上で止まってしまう。パルジファルがその槍で十字を切ると、魔法の城と園は跡形もなく消え去ってしまい、クリングゾルも姿を消す。

第3幕 さまよい続けたパルジファルは鎧を身にまとい、聖金曜日の朝に、聖杯の森に足を踏み入れる。既に老騎士となったグルネマンツが彼と出会うが、その聖槍を持つ騎士が、かつて自分が聖城に連れて行った若者であることに気が付いて驚き、再び聖城に連れて行く。聖城に入るとパルジファルは聖槍でアンフォルタス王の傷を治して、王の後継者となる。

「トリスタンとイゾルデ」が、官能の愛とエロスの世界だとすれば、「パルジファル」は、愛欲に打ち勝つ聖なる信仰の世界です。この二つのテーマこそは、およそ古代からの人間にとって最も重要なものではないでしょうか。はたしてワーグナーは、それぞれのテーマに最高の作品を残したわけです。

この最後の作品は、それまでの作品のような派手で豪華な音楽では無く、非常に地味で控えめな印象です。けれども、動機(ライトモティーフ)を使った音楽が物語の進行に有機的にかかわり合ったり、曲ごとの番号オペラでは無く、音楽が切れ目なく無限旋律的に続いてゆく技法が実に精妙に駆使されていて、ワーグナーの音楽の完成形と言えるでしょう。もちろん物量的には、上演に4日間を必要とする「ニーベルングの指輪」のスケールが群を抜いていますが、作品の凝縮された質の高さとしては、僕はやはり「トリスタンとイゾルデ」と「パルジファル」が双璧であると考えています。

そこで、僕の愛聴盤です。

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ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭歌劇場(1962年録音/フィリップス盤)

第二次大戦終結後にバイロイト音楽祭が再開された1951年から1964年まで、53年を除いて毎年、クナッパーツブッシュはこの曲の指揮台に立ちました。この巨人指揮者(実際の身長は高くはありません)が、ワーグナーの聖地で、どれほどカリスマであったかが良く分ります。音楽の精妙さだとか緻密さに於いては、これ以上の演奏はいくらでも有ります。けれども、これほど厳粛な雰囲気を感じさせる演奏は聴いたことが有りません。「前奏曲」や「聖金曜日の音楽」の敬虔な響きと表情は神々しいほどですし、「場面転換の音楽」から続く「騎士たちの合唱」での呼吸の深さと、怖ろしくなるほどの巨大さは如何ばかりでしょう。何よりも、聴衆に「聴かせよう」という演出効果に目もくれず、ただ我が道を行く素朴な指揮ぶりが、禁欲的なこの曲に実に良く似合います。録音は、他のスタジオ盤のクリアーな音と比べると、大分こもったような音に感じますが、実はこれが本来のバイロイトの音なのです。実際に生で聴いたことのない自分がこのようなことを書くのもおこがましいですが、30年前にバイロイトでこの曲を聴いたという信頼できる友人に聞いた話では、このクナ盤の音は、当時の実際のバイロイト歌劇場の音そのものであるそうです。24ビット化されたリマスター盤ではアナログLP盤と比べても遜色の無い優れた音質で聴くことが出来ます。正にワーグナー・ファンの最高の宝と呼べる演奏録音だと思います。クナの毎年の演奏のCDは、正規盤、海賊盤を含めると、数多く出回っていますので、マニアの間では、何年の演奏が良いとか、どの歌手が良いとか、色々と語られるでしょうが、バイロイトの音を忠実に鑑賞できるのは、このフィリップス盤のみですので、一般的には文句なく決定盤だと言えます。演奏中も聴衆の咳ばらいが頻繁に聞こえるのが欠点ですが、これも臨場感あふれるライブ録音だと思えば、気にならなくなります。

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ピエール・ブーレーズ指揮バイロイト祝祭歌劇場(1970年録音/グラモフォン盤)

前述のクナ盤が有れば他は要らない、と言っても構わないのですが、それでは余りに偏ってしまうので、もう一つ愛聴している演奏が有ります。それが1970年のピエール・ブーレーズのバイロイトでのライブ盤です。これも昔、アナログ盤で聴いていましたが、しばらく聴かずにいました。それをCDで買い直して聴き直してみると、やはり素晴らしい演奏でした。クナッパーツブッシュに比べればテンポは相当速いですが、せせこましい印象は受けません。むしろ聴き易い良いテンポです。オケの響きはとても透明感があり、クナ時代の重厚な響きとはかなり異なります。ワーグナーの書いた精緻な音は、実はこのようであったのかと改めて認識させられます。ライト・モティーフの精妙、複雑なからみ合いが非常に聴きとりやすいので、音によるドラマが手に取るように理解できます。歌手陣も、クナ時代の歌手たちよりも、ずっと軽みの有る声で精妙に歌っています。これも歴史に残る名演奏だと思います。

この他では、クーベリック盤の評判が良いので以前から興味が有りますが、未聴です。

自分は、どう考えても「パルジファル」では無く「トリスタンとイゾルデ」の世界の側の人間??だと思いますが、この二つの作品には心の底から共感を覚えます。

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2012年5月 1日 (火)

ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 クリスティアン・ティーレマン/ウイーン国立歌劇場盤

41ciltrjol_2クリスティアン・ティーレマン指揮ウイーン国立歌劇場(2003年録音/グラモフォン盤) 

ゴールデン・ウイークには、普段中々聴けないCDをじっくりと聴くのも大きな楽しみです。最近は、家でオペラを聴くことが少なくなっています。昔はCD(LP?)やビデオでも良く鑑賞していたのですが、この頃は余り取り出すことが有りません。もちろん鑑賞に長時間が必要だということもありますが、ならばバッハの大作の鑑賞をしているのですから、余り理由にはなりません。たぶん自分の中で、オペラは家でCD、DVDを鑑賞するよりも、劇場で生の舞台を鑑賞する方が愉しいという感覚が強くなっているのかもしれません。ただ、その割には、生の舞台で期待外れになることも少なく無いので、結局のところは良くわかりません。

ワーグナーのオペラのディスクは一通り持っていますが、頻繁に取り出して聴くのは「トリスタンとイゾルデ」と「パルジファル」の二つだけです。それ以外は「指輪」も含めて、滅多に聴きません。

「トリスタン」については、以前、「トリスタンとイゾルデ 名盤 ~禁断の恋~」という記事で愛聴盤のご紹介をしました。その後、クリスティアン・ティーレマンが2003年にウイーン国立歌劇場で演奏したライブ盤を購入したのですが、きちんとは聴いていませんでした。今回、それを、ようやくじっくりと聴いてみました。

オーストリア放送協会による放送用録音ですので、スタジオ録音と比べると、どうしても緻密さや分離、ダイナミック・レンジの点で劣るかもしれません。但し、昔から放送録音を聴き慣れてきた耳には、スタジオ録音の人工的な音造りよりも、舞台が目の前に浮かぶ自然な音像がむしろ好ましく感じられます。

今からもう10年も前の演奏なのですが、カぺルマイスターとして地道にキャリアを積んできたティーレマンのオペラ指揮だけあって、実に堂に入ったものです。ワーグナーの傑作オペラだからといって妙に肩に力の入リ過ぎていない、のびのびとした指揮ぶりの印象です。テンポが特に遅いわけでも無いのに、何かゆったりと聞こえるのは、フレージングの良さでしょうか。カール・ベームの、あの極度の緊張感に包まれた壮絶な演奏とは異なります。と言っても、何も緩んだ演奏だということでは全く無く、1幕の結びや、3幕での緊迫した部分における迫力は中々のものです。けれども、最も印象に残るのは、オーケストラ、すなわちウイーン・フィルのしなやかで美しい演奏です。僕がこれまで愛聴してきた、ベーム盤はバイロイト管、フルトヴェングラーはフィルハーモニア管、バーンスタインはバイエルン放送響ですので、ウイーン・フィルの全曲盤は持っていませんでした。かのクナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルの抜粋盤などを聴くと、「ああ、これが全曲盤であったらさぞや・・・」と思わずにいられなかったのです。もちろん、ティーレマンはクナッパーツブッシュではありませんが、このしなやかで艶の有る美しい響きは、やはりウイーン・フィルならではです。それに、表現力の素晴らしさも、最高の機能を持った歌劇場オーケストラならではの実力を、余すところなく示しています。トリスタンを歌うトーマス・モーザーは決して超人的なヘルデン・テナーではありません。けれども、恋に落ちてしまい、悲劇的な結末を迎える人間的な弱さを持ったトリスタンとして、魅力は充分です。イゾルデを歌うデボラ・ヴォイトも、若々しく美しい声が、恋に落ちる美女を想像させてとても良いです。これが、もしもDVDだと、彼女の恰幅の良い姿がアップで見えてしまうので、むしろ興ざめ??になりかねません。現実よりも、想像の世界の方が良いことは世の中によく有ることです。(笑)

全体として、ベームの迫力には及ばず、フルトヴェングラーの沈滞の深さにも及ばず、バーンスタインの濃厚なロマンティシズムにも及びませんが、ワーグナーの書いた管弦楽の美しさを、これほどまでに生かし切って、しかも愛と悲劇のドラマを充分に感じさせる演奏はこれまで無かったかもしれません。オリンピックであれば、種目別では他の選手にメダルを譲っても、団体総合で金メダルというところです。

補足ですが、このCDも各3幕が、1枚毎にぴったり収まっているので、鑑賞には便利です。

大好きな「トリスタンとイゾルデ」に、またまた愛聴盤が加わりました。やっぱり人生は愛だわなぁ~(笑)

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