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2012年3月 4日 (日)

J.S.バッハ 「マタイ受難曲」BWV244 名盤 ~人類の遺産~

Saint_thomas
ライプチッヒの聖トーマス教会

「マタイ受難曲」はバッハがライプチッヒの聖トーマス教会のカントールであった時代の聖金曜日に、この教会で初演されました。歌詞の内容は、新約聖書の「マタイによる福音書」で語られるイエスの受難物語(ただしルターによるドイツ語訳)です。物語は福音史家(エヴァンゲリスト:テノール)、イエス(バス)を中心にしたレチタティーヴォで進められ、加えてそれぞれ2群に分かれた合唱、独唱、オーケストラが、アリア、コラールを歌ってゆくという壮大な構成の楽曲です。合唱が二つに分かれているのには意味が有り、第1群は当時その場に居合わせて、事件を目撃した人々の視点から歌うことが多いグループで、第2群は現在の信徒たちの視点から歌うことが多いグループなのだそうです。

物語は1部と2部に分かれますが、1部ではイエスがユダの裏切りで囚われの身になるまで、2部ではイエスが裁判にかけられ、ゴルゴダの丘で処刑されて埋葬され、その後に天変地変が起きるまでが語られています。演奏時間は約3時間に及び、「人類の罪をあがなうための神の子の受難」というキリスト教の思想を、ドラマティックなオラトリオと化した、単にバッハの最高傑作と言うよりも、およそ考えられる人類最高の音楽遺産であるのは間違いないでしょう。たとえばワグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「パルジファル」、ベートーヴェンの「第九」、ブルックナーやマーラーの優れた交響曲、あるいは同じバッハの大作「ロ短調ミサ曲」や「ヨハネ受難曲」も有りますが、「マタイ」を超える作品だとは、中々言い切れません。

自分がこの曲に出会ったのは大学の卒業まじかに、聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団の来日公演をたまたま聴く機会が有ったからです。それまで知っていた音楽とは全く異なる凄さを感じて、大変なショックを受けました。それ以来、少なくとも自分にとって、やはり特別な音楽だと言えます。

このような作品を、いつものように愛聴盤を並べて、どうのこうのと語る気にも余りならないのですが、実際に鑑賞すれば心の中で思い、感じることはもちろん多々有ります。そんな気持ちを少しでもご理解して頂けると有り難いと思います。

19701 ルドルフ&エアハルト・マウエルスベルガー指揮聖トーマス教会&聖十字架合唱団/ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1970年録音/Berlin Classics盤) トーマス教会合唱団で「マタイ」の洗礼を受けた自分が、最初に買ったレコードはもちろんこれでした。この録音の数年後に生で聴いているので、演奏スタイルも変わりないと思います。当時ドレスデン聖十字架合唱団のカントールであった兄ルドルフと、ライプチ聖トーマス教会合唱団のカントールであった弟エアハルトが二つの合唱団を合わせて、オ―ケストラはゲヴァントハウス管弦楽団、独唱陣もエヴァンゲリストに若きシュライヤー、イエスにテオ・アダム、テノールにロッチェ、アルトにブルマイスターと層々たるソリストが顔を並べるという、正に当時の東ドイツ国家を上げて制作された録音です。演奏も、ことさらに悲劇のドラマを強調するわけではなく、むしろ底光りのするような美しさを放ちながら、淡々と慈愛に満ちて歌い進めてゆくという印象です。現代の古楽器派に多くみられる速いテンポで俊敏に進む演奏とは印象が全く異なります。それにしても、少年合唱団の歌声は本当に美しいですし、まるでドイツの教会で聴いているかのような敬虔な雰囲気は、どんなに上手いプロの合唱団でも味わうことは出来ません。当時のゲヴァントハウス管のコンサートマスター、ゲルハルト・ボッセ教授は、ここでは第2群のソロを弾いていますので、第42曲「我に返せ、わがイエスを」のヴァイオリン独奏が聴きものです。第39曲「憐れみたまえ」での第1群のソロも非常に上手く、ボッセ教授と遜色ありません。録音も柔らかく自然な響きで満足できます。

Matthaus カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団/管弦楽団(1958年録音/アルヒーフ盤) リヒターはトーマス・カントールのギュンター・ラミンらに師事しましたので、聖トーマス教会のいわば分家みたいなものです。そのトーマス教会からはラミンの後任としてカントールの要請を受けましたが、それを断って尽力したのがミュンヘンの地です。ミュンヘン・バッハ合唱団は、リヒターが自ら街頭に立ってメンバー募集のビラを配って結成したアマチュア合唱団ですので、その真摯な歌声にはプロっぽさが有りません。ですので現代の少人数の合唱ほど洗練された透明感や上手さは持ち合わせませんが、胸の奥底に響く真実味が感じられます。リヒターの演奏するカンタータには曲によって幾らか凸凹が有るように思いますが、受難曲で表現する、絶望や哀しみの痛切さ、あるいは人間の喜びの感情の表出は、ちょっと比類が無いように感じるからです。独唱陣も、エヴァンゲリストのヘフリガーやアルトのテッパーを始めとして、素晴らしい歌唱が揃います。どんなに古楽器派全盛の時代になっても、このリヒターの残した演奏の価値は変わらないと思います。

Df951ed1223a5675443f0adfd1c1cafc ウイレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1939年録音/フィリップス盤) 第二次大戦下で行われたライブの録音です。当然、音質は古めかしいですが、鑑賞に耐えないほどではありません。演奏スタイルも現在の古楽器派の演奏に慣れた耳で聞いたら、卒倒するぐらいに個性的で大時代的です。テンポは大きく揺れ動き、旋律は極端なレガートで歌われます。アリア「憐れみたまえ」での、ポルタメントを一杯にかけてすすり泣くように奏されるヴァイオリンや、終曲の合唱で途中で完全に止まってしまうかのようなテンポの動きは、ほんの一例です。けれども、この演奏には不思議な「真実味」を感じます。これは、出演者の全員が明日の命も判らない時代に、心の底から偉大な音楽に没入して演奏し、歌っているからに違いありません。これは、やはり一聴に値する演奏です。

G5424747w オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管(1960年録音/EMI盤) この演奏もメンゲルベルクほど古くはありませんが、個性的な点では並びます。全体が、本当にイエスが自ら十字架をかかえて、引き擦りながら歩くかのように遅い足取りのテンポです。その結果、この作品が極限まで巨大な威容を示されています。どこまでがバッハの偉大さか、クレンペラーの偉大さかが判らなくなるほどです。ウイルヘルム・ピッツ指揮の大編成の合唱団は絶唱するあまり、ワーグナーのようにオペラスティックに感じる場合がありますし、DFディースカウ、シュワルツコップ、ルードビッヒなどの名歌手達も同傾向の歌い方です。宗教合唱曲としては、少々イメージから外れていますが、だからこそ逆に古楽器派ファンに是非とも一聴をお勧めしたい演奏です。好きになるにしろ嫌いになるにしろ、対極に有る演奏を聴くことは作品の理解を深めるのに必ずプラスになると思うのです。

891bab7e1c76de8afc4805f85bdaf3a0 グスタフ・レオンハルト指揮ラ・プテット・バンド/合唱団(1989年録音/DHM盤) 僕は個人的には、必ずしも古楽器の演奏が好きということは有りません。オーケストラが現代楽器でベタベタと奏されるのも嫌ですが、古楽器の痩せた音は、確かに「当時のそれらしい雰囲気」は感じさせるものの、表現力に物足りなさを感じるからです。(古楽器ファンの方ごめんなさい) それでも、このレオンハルトの演奏は結構気に入って聴いています。プレガルティエンのエヴァンゲリストは非常な美声で聞かせますし、男性合唱団とテルツ少年合唱団も澄んだ歌声で魅了します。レオンハルトの指揮はそれほど速いテンポでは無く、しっかりとドイツ的なリズムの重さを感じさせてくれるのがとても良いです。時には現代楽器を聴き慣れた耳の垢を落とすのも必要だと思って聴いています。

以上の演奏は、どれもが不滅の価値を持つものだと断言できますが、個人的にはマウエルスベルガー盤をリファレンスにしています。この演奏はやはり自分のマタイ体験の原点とも言える演奏です。それに並ぶ大切な演奏がリヒター盤です。この二つはバッハの作品の偉大さと共に、「人類の遺産」と呼べると思います。もうひとつ、クレンペラー盤が色々と不満な点は有りますが、どうしても外せません。

古楽器派の演奏ではレオンハルト盤しか持っていませんので、もしも良い演奏が有ればご紹介頂けると嬉しいです。

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J.S.バッハ(ミサ曲、受難曲)」カテゴリの記事

コメント

ハルくんさん(私より先輩だったので・・・)おはようございます。私が初めてマタイ受難曲を聴いたのは 中学生の頃、クレンペラーのレコードでした。その雄大な演奏でこの曲を好きになり、次に買ったリヒター盤で魂が揺さぶられる程の感動を味わい、号泣したことを思い出します。(この盤のテッパーのアルトソロは今でも最高だと思います) その後、メンゲルベルグ盤 リヒターの東京ライブ盤 ガーディナー盤 コープマン盤を聴いていました。どれも良い演奏ですが リヒター旧盤よりは・・・という感じがしました。その間、マウエルスベルガーのシュッツの2枚の素晴らしいCDに出会い、「マタイ」も購入。その 真摯な演奏に リヒター盤とは異なる「穏やかな深い感動」で 涙が止まりませんでした。今では 「一生の宝物」だと思っています。

投稿: ヨシツグカ | 2012年3月 4日 (日) 10時09分

ヨシツグカさん、こんにちは。

お互いに世代が近いことも有るようですが、同じような演奏に共感していますね。
リヒターとマウエルスベルガー、クレンペラー、どれもが一生の宝です。

古楽器派については、違いを味わうという目的で、もう少し色々聴いてみたいなぁとは思っています。

投稿: ハルくん | 2012年3月 4日 (日) 17時21分

ハルくんさん、ヨシツグカさん、こんにちは。

思い返してみれば、最初に聴いたのはリヒターの新盤でした。よく通っていた吉祥寺の喫茶店(当初は古楽中心にかけていた)でこの曲を導入してもらったのが、たまたまリヒターだったのです。素晴らしい演奏ですが、テンポが少し速すぎるかなと思いました。しばらくして例の講義を通じマウエルスベルガーにふれ、この演奏に得心しました。その講義では、ホイスという評論家の解説(というか演奏解釈論)を読みながらマウエルスベルガーの演奏を聴いたのですが、両者の見解が一致していないところがあって講師の先生も苦笑していました。

こういう曲の解釈では、あくまで教会音楽(宗教音楽ではなく)のスタイルを尊重して演奏しようという立場と、教会という枠を離れて全人類が感動できる文化遺産として味わうという立場がある、と考えることもできそうです。講師の先生やマウエルスベルガーは前者の立場で、ですから教会附属のオケと合唱団により演奏したいと考えるそうです(シュライヤーやアダムもそこで育ったソリストですものね)。クレンペラーやメンゲルベルクの録音は後者の典型で、バッハ時代の教会のスタイルにはとらわれず、指揮者個人の解釈と時代の精神を押し出して演奏しているように感じます。ご指摘のように、それはそれで一つの真実ですね。

ところで上の第一の立場を突き詰めると、演奏の精神性が最も大事であって、楽器などはそのとき手に入るもので演奏すればよい、という考えもありそうです。古楽器やピリオド奏法であってもかまわないけれど、「そうでなければならない」というこだわりは行き過ぎだと。では逆に、普段そういうこだわりを大事にしている古楽器派の方は、教会音楽に対してどう考えるのだろうか、などと思いました。

投稿: かげっち | 2012年3月 5日 (月) 12時33分

かげっちさん、こんばんは。

非常に深いご意見をご紹介頂きまして有難うございます。
我々が鑑賞者のポジションに立つときは非常に気楽なもので、教会音楽的立場の演奏も、そうでない演奏も、どちらも楽しむことが出来ます。好みで言えば僕は前者のほうなのですが、やはり両方とも素晴らしいと思うのです。
リヒターは、クレンペラーやメンゲルベルクに比べれば、はるかに贅肉を取り除いた演奏ですが、根本的には後者のほうで、教会演奏家から出発しても、到底その枠に収まりきれなかったのでしょう。

古楽器の演奏家は器楽曲であれば悩む必要は無いのでしょうが、教会音楽を演奏する時には、本当にどのような精神的立場を取るのでしょうね。非常に興味深いですね。

投稿: ハルくん | 2012年3月 5日 (月) 22時38分

ハルくんさん、かげっちさん、こんばんは。 そもそもクラシック音楽は 教会での「祈り」から発展してきた音楽ですからね・・・。古楽器、モダン楽器 関係なく「祈り」が根本にあるように思います。(特に欧米の奏者は) ですので奏方や表現の違いがあっても教会音楽は特別なものだと思います。聴き手は そこから「何か」を感じるから 「感動」が生まれるのではないでしょうか。

投稿: ヨシツグカ | 2012年3月 5日 (月) 23時45分

ヨシツグカさん、こんばんは。

おっしゃる通り、教会音楽は単なる「音響」ではありませんからね。敬虔な気持ち<祈り>を感じられなくては話になりません。
演奏家が発する<祈り>が、聴き手の心を揺さぶり、感動させるのでしょうね。
僕は特別な宗教は信仰していませんが、この世の摂理だとか、人智を超えた神?の意思の存在は必ずしも否定しません。
そういう感覚に訴えかけてくる音楽というのは、宗教音楽もありますが、ブルックナーやシベリウスの音楽などにもとても感じてしまいます。

投稿: ハルくん | 2012年3月 6日 (火) 19時59分

リヒターのバッハはテンポを遅めにとっているものが多いので、重厚感がいっそう際立っていますね。管弦楽組曲などでもリヒター以外はあんまり聴く気がしないです。私が中学生くらいの頃にはすでに大家中の大家になっていました。それから30年経ってもいまだに名盤というところが歴史に残る所以でしょう。

リヒターは学者肌の生真面目な人だったらしいですが、バッハにはそれくらいのほうがいいんじゃないかと思ってます。鍵盤作品も自分でかなり弾いてますね。オルガン曲の動画を見ていると風貌もカッコいい人だったのだなと改めて思います。

投稿: NY | 2012年3月 7日 (水) 23時28分

NYさん、こんばんは。

リヒターの演奏はコラールなんかの曲によっては遅過ぎに感じる場合も有りますが、古楽器派の軽い演奏に比べると、ずしりとした聴きごたえが有って好きです。
彼の残したバッハは、いまだに超えるものが中々見当たらないです。

確かに学者肌なのですが、いわゆる悪い意味でのアカデミックな印象は全く無く、喜びや哀しみをこの人ほど痛切に感じさせる演奏家は居ません。そこがこの人の一番凄いところですね。

投稿: ハルくん | 2012年3月 8日 (木) 00時46分

ハルくんさん、ヨシツグカさん、NYさん、こんにちは。たまたま私はキリスト教徒なので、伝統的なプロテスタント教会がこの種の音楽をどう考えてきたかを補足します(イコール私の意見とは限りませんので念のため)。

マタイのように聖書そのものを歌詞テキストに含む曲では、聖書部分は「神が人に与えた言葉」です。たまたま筆を執ったのはモーセやダビデやマタイだったかもしれないけれど、言葉を選ばせたのは神の霊感だと。すると、歌詞は「人から発した祈り」ではないので、恣意的にユニークな歌い方は慎むべきであり、歌詞がよくわかるように歌うべきであり(ラテン語をドイツ語に訳したのもそのため)、神からいただいた言葉であることを明示するため楽譜を持って歌う(たとえ暗譜していても)べきだということになります。

余談ですがサヴァリッシュは、教会音楽でなくても(ブラームスの4番とか)スコアを指揮台の前に置いているようです(毎回確認したわけではありませんが)。実際には暗譜で指揮し、最後まで頁を開かなかったスコアが演奏終了後に残されているのをTVで見ました。おそらく作曲者への敬意からでしょう。

上の発想では、人間的な(ロマン的な)感情を過度に込めた演奏は慎むべきだということになりますが、マタイのアリアなどはバッハが人間的な感情をかなり入れ込んで書いた音楽なので、ロマン的に演奏したくなるのも事実でしょう。リヒターもそのはざまで考え抜いて、ああいう演奏になったのかもしれません。

なおカトリック教会の音楽は、聖書そのものをテキストとするより、教会が定めた典礼分をテキストとするものが多いこともあり、歌詞の精神性より響きの荘厳さを重んずる傾向がありますね。その延長上にブルックナーの響きがあります。聖書の言葉を介さないので、信仰を同じくしない人にも感覚的に親しみやすい(鑑賞しやすい)と言ってもよいでしょう。シベリウスはカトリックではないけれど、響きはブルックナーの影響を感じませんか?

投稿: かげっち | 2012年3月 8日 (木) 12時41分

三拍子の序曲は本当に名曲中の名曲です。私が持っているのはリヒターの1979年版ですが、やはりこの曲はこれくらい遅いテンポでないと軽い音楽に聴こえてしまいます。重い曲は思い切って重くしないと思想も伝わらないですからね。

リヒターは意外に若くして亡くなったんですね。還暦にも満たない。管弦楽組曲2番で共演していたフルートのニコレはまだ存命らしいですよ。

昔はFMラジオでカンタータをよく放送してまして、テープに録音するのが楽しみでした。今は動画もたくさんありますからいつでも検索して聴けるわけですが、大した苦労もなくいい音楽が聴けるというのは幸せなことと思いつつも、やはり時代の移り変わりを感じます。

投稿: NY | 2012年3月 8日 (木) 23時40分

かげっちさん、こんばんは。

非常に詳しくご説明頂きまして有難うございます。
一口にキリスト教と言っても、カトリックとプロテスタントの実質的な違いなどは全く知らないので大変参考になります。

それにしても、「聖書を歌詞テキストに含む曲は、人間的な感情を過度に込めた演奏は慎むべきだ」という点は難しいところですね。音楽は「音楽」であって、「聖書の朗読」とは異なります。ならば、人間の感情に深く訴えかける演奏の是非を判断するのは実に難しい。「過度な」演奏はいけないと言う、過度とはいったいどこまでか。どこまでなら許されるのか。難しいですよ。
ブルックナーの演奏に人間感情を移入し過ぎると、フルトヴェングラーの演奏のようになってしまい、問題が有るのは理解出来ます。しかしメンゲルベルクの「マタイ」が、許されざる演奏だとは思えません。ですのでリヒターのバッハは全く問題なく素晴らしいと思えます。

シベリウスの音にはブルックナーと同じ性質の響きが有るように感じますよ。やはりある種「人間的」ではない自然音なのです。

投稿: ハルくん | 2012年3月 9日 (金) 00時04分

NYさん、こんばんは。

そうですね。マタイの第1曲はリヒターやクレンペラーのような遅く、大河の流れのような演奏は受け入れられても、速く軽い演奏には少々とまどってしまいます。決してそんなに軽い内容ではないと思うのです。

リヒターは54歳で亡くなりましたので、今の自分よりも若いくらいです。それであの偉業ですから凄い。古楽器派全盛の時代だからこそ、あらためて注目しなくてはいけないと思います。

投稿: ハルくん | 2012年3月 9日 (金) 00時18分

ハルくんさん、こんにちは。
まったくおっしゃるとおりです。

「人間の感情に深く訴えかける演奏の是非を判断するのは実に難しい・・・過度とはいったいどこまでか。どこまでなら許されるのか。」

感情抜きの音楽も聖書朗読もあり得ないですから、実際の演奏を聴いて、許容範囲であるとか過度であるとか決めることは難しいですね。

私の意見としては、感情を込めることがいけないのではなく「個人の名人芸をひけらかすような演奏態度はよくない」という程度しか言えないのではないかと思います。もっともバッハ自身、マタイのアリアの器楽には巨匠風のパッセージをたくさん書いてしまっているのですが。結果(演奏)に対する聴く人の好き嫌いは、また別の問題です。

投稿: かげっち | 2012年3月 9日 (金) 12時25分

ハルさん、こんばんは。
私はクラシックにハマってから、わずか3年なので、
まだあまり宗教的なもので感動したものは少ないです。
が、このマタイには、激しく揺さぶられました。
私は、まだオットー・クレンペラーのものしか
持っていません。
今のところ、それで十分なような気がしています。
そのうち、対極のものを聴いてみるとは思いますが、
まだまだ先のことでしょうね。

投稿: 四季歩 | 2012年3月 9日 (金) 20時23分

ハルくんさん、こんばんは。 私は バッハ以前の作曲家も聴くのですが、時代を遡る程 音楽から「神聖」なものを感じる事が多いです。もちろん、古楽器を使った演奏ですが、その演奏を聴くと、そこから演奏者のひたむきな「心」を感じるのです。ベートーヴェンが 「ミサ・ソレニムス」の冒頭に書いている 「心より出て (願わくば) 心に向かわん事を・・・。」 という気持ちが大切なのだと あらためて思いました。

投稿: ヨシツグカ | 2012年3月 9日 (金) 22時55分

かげっちさん、こんばんは。

「個人の名人芸をひけらかすような演奏態度はよくない」
正にその通りです!「個人の名人芸」⇒「自我」とも置き換えられるでしょうね。
これは教会音楽や、ブルックナー、シベリウスの音楽にも共通して言えることだと思います。

投稿: ハルくん | 2012年3月 9日 (金) 23時09分

四季歩さん、こんばんは。

ひとくちに宗教音楽と言っても、色々な曲が有りますが、この曲ほど感動的な曲は少ない(無い?)です。この音楽に魂を揺さぶられる方は幸いです。

クレンペラーはもちろん素晴らしいですが、トーマス教会のものや古楽器のものも機会あれば是非お聴きになられると良いと思いますよ。

投稿: ハルくん | 2012年3月 9日 (金) 23時16分

ヨシツグカさん、こんばんは。

バッハ以前のグレゴリア聖歌などは、確かに何か一層神聖な雰囲気が有りますね。たぶん、人間の精神は昔の方が、神聖でひたむきだったのかもしれません。
過去、最も神聖さを失った時代が、現代なのかもしれません。毎日の社会のニュースなどを聞いていると、いやでもそんな気がしてきます。

投稿: ハルくん | 2012年3月 9日 (金) 23時23分

古楽器はどうして流行るのでしょうかね。私などは今さらバッハの鍵盤音楽をチェンバロを聴きたいとは思わず、ピアノ曲をクラヴィーアで聴きたいとも思わないのですけれども、弦楽器や管楽器の人はプロでしかわからないこだわりがあるんでしょうか。

さすがに管弦楽組曲の通奏低音をピアノでというのは聴いたことがないですが、ブランデンブルク協奏曲や鍵盤楽器の協奏曲ならピアノの方が聴きやすいです。グールドやシフの名盤もありますし。

投稿: NY | 2012年3月10日 (土) 03時22分

NYさん、おはようございます。

現代楽器を聴き慣れた耳に、確かに古楽器は新鮮に聞こえます。でも嫌なのは、「いまどき現代楽器で演奏するバロックなんて時代遅れだ」という考え方です。なので猫も杓子も古楽器と古楽器奏法を指向するのには反対です。でも、そのうちにまた、「脱古楽器」なんて動きが起きることもあるのかもしれませんね。
流行にとらわれずに本当に良いと思えるものを聴いてゆきたいと思います。

投稿: ハルくん | 2012年3月10日 (土) 09時21分

古い曲は音源が残っていないので、楽譜解読の助けになる知識は奏者にとってありがたいわけで、当時どうやって弾いていたのかという話なら興味深いです。

ただ、当時の楽器や奏法に作者が満足していたかどうかは別問題だろうと思います。バッハやベートーヴェンが「こういう楽器があったらなあ」「こういうオケがあったらなあ」と思っていた可能性は大いにありそうです。。

もちろん「作者が思いもよらなかった弾き方もあり」です・・・グールドのバッハ演奏を面白いと思うか、とんでもないと思うかは、意見が分かれるでしょう。バッハの鍵盤曲をピアノで弾く(聴く)かチェンバロで聴くか(私は前者です)も、同じように趣味の問題でしかないと思います。

木管楽器なんか、バッハの時代から現代に至るまで進化を続けて来たので、時代だけでなく地域や演奏者により音色もピッチもメカニックもかなり違います。モーツァルトのクラリネット曲は依頼者シュタットラーの楽器に合わせて書かれたようですが、依頼者が別の奏者だったら別の楽器に合わせて書いた可能性があります。とすると、シュタットラーのための譜面やシュタットラーの奏法が絶対的なものではないはず。管楽器で古楽器にこだわる人は、単にその古楽器が好きなだけだろうと、同じ木管奏者として考える次第です。

投稿: かげっち | 2012年3月14日 (水) 13時04分

かげっちさん、コメントを沢山ありがとうございます。

音楽が美術や文学と決定的に異なる点は、楽譜を実際の音にする再現者(=演奏家)が居て、はじめて鑑賞者に伝わるということです。
そのうえ、作曲者がもしも現在生きていて、同じ曲を聴衆に聴かせるとしたら、果たして当時と同じ音や演奏スタイルを望むだろうか、という疑問が生れます。ピリオド演奏の考えは、時代考証的には正しくても、上記の疑問の答えにはならないと思うのです。要するに、誰が正しいか、何が正しいかは判らないと言うことです。であれば、鑑賞者は自分の耳と感性に合った演奏を楽しむより他にないのでしょうね。

投稿: ハルくん | 2012年3月14日 (水) 23時39分

鍵盤曲に限って言えば、バッハはあまり楽器を意識していない作曲家ですね。つまり、対位法の輪郭がわかればどんな楽器を使ってもいいという観念論的な作曲家です。グールドの本にも詳しく載ってますが、その対極がショパンとかリストとか、ピアノ以外の楽器で演奏してもほとんど無意味になってしまう経験論的な作曲家達。そういう意味では古楽器でのバッハ演奏も面白いんですが。

管楽器の奏法は私にはよくわからないです。移調が難しそうですよね。ピアノは鍵盤を押すだけでまともな音が出る珍しい楽器です。でもピアノだけ習った人は私も含めてハ音記号が読めませんから(たまに読める人もいますが)管楽器の理解はなかなかハードルが高いと思ってます。

投稿: NY | 2012年3月15日 (木) 01時57分

ハルくんさん、NYさん、応答ありがとうございます。基本的に同感です。楽譜から音を再現するには二重の「翻訳の問題」がつきまといます。時に作曲者が何かを言葉で書き残してくれていると、とても参考になることがあります。

「あまり楽器を意識していない」傾向はバッハの場合、鍵盤に顕著かもしれませんね(ちなみにメサイアも残っている自筆譜に楽器指定はなく、よく演奏されるのはモーツァルトの編曲です)。そこでレパートリーが少ない管楽器奏者は、よく他の楽器の曲をアレンジして取り上げます。無伴奏チェロ組曲や、無伴奏ヴァイオリンのシャコンヌを、無伴奏クラリネットにアレンジした楽譜が市販されているほどです(人前で吹くのは難しいし恥ずかしいですが)。

移調が問題になるのは主にクラリネット、トランペット、ホルンです。寄席で言えば色物ですかねヽ(´▽`)/

投稿: かげっち | 2012年3月15日 (木) 12時40分

NYさん、かげっちさん、こんばんは。

バッハが、というかバッハ以前のポリフォニーの音楽は、楽器を余り特定しない性質が有るように思います。とくに鍵盤楽器の場合は、右手と左手が旋律と和音という関係では無く、全く対等のことを行いますから、どんな楽器で演奏されても面白いのだと思います。
バッハがクラシック以外の、例えばJazzでよく演奏されるのも、きっとその性質があればこそなのでしょう。

投稿: ハルくん | 2012年3月16日 (金) 00時05分

ハルくんさん、はじめまして。行きずりのherr_froschと申します。マタイ。EEですよね。まあ、私はヨハネのほうが好きなんですけどw

リヒターもマウエルスベルガーもレオンハルトもEEのですが(レオンハルトは愛聴盤のひとつです)、私はミュンヒンガー盤がベストに感じています。無論現代楽器だし、朴訥とした演奏で、エヴァンゲリストのピーター・ピアーズは好悪を分けると思いますが、ミュンヒンガーの温かい音楽作り、合掌を少年のみに限った純粋さ(大人のほうが上手ではありましょうけど)、そして特筆大書されるべきは、イエス役のヘルマン・プライです。浪漫的に過ぎるとの声もありますが、これほどの美声で、押し付けがましくない、「イエスって、精霊の子だけど、やっぱり人間イエスだよね」と云うことに気付かされます。もし未聴ならば是非ご一聴をお勧めします♪( ´▽`)

投稿: herr_frosch | 2012年4月10日 (火) 03時51分

herr_froschさん、はじめまして。
コメントを頂きまして有難うございました。

「ヨハネ」良いですよね。どうしても「マタイ」の陰に隠れがちですが、本当に素晴らしいです。

ミュンヒンガー盤、たしかにピーター・ピアーズに??と、敬遠していましたが、聖歌隊のみの合唱というのは、自分の好みです。
プライのバッハも素晴らしいですからね。DFディースカウのイエスなどは立派過ぎて、押しつけがましさを感じますので、プライで是非聴いてみたいです。

貴重な情報を有難うございました。できれば「ヨハネ」のほうもお薦めを教えて頂けると嬉しいです。

投稿: ハルくん | 2012年4月10日 (火) 22時24分

忙しくて書き込みできる日があまりないのでこのように一度に連投で書き込む形になりすみません。マタイとなるとどれもいい演奏だと思います。宗教曲となるととにかく合唱が命だと思っているのでリフキン式の1パート1人の演奏は全く好みません。リヒター盤やクレンペラー盤、マウエルスベルガー盤については私が申し上げるまでもありません。楽器については正直古楽器の演奏を博物館の展示品のようで表面的な演奏と思ったり現代楽器の演奏を一概に古いと決めつけるのはどうかと思いますが、リヒターやクレンペラー、マウエルスベルガーの演奏を聴いていると古楽器演奏が軽薄だと思ってしまう一方でヘレヴェッヘやレオンハルト盤を聴くと現代楽器の演奏があざとく感じてしまうのです。ですから私はどちらでもいいと思います。個人的には、古楽器演奏が苦手な人にはヘレヴェッヘ盤、現代楽器の演奏が苦手な人にはコルボ盤やマウエルスベルガー盤がいいと思います。先ほどから長文ばかりすみません。それでは失礼いたします。

投稿: RR | 2012年10月 7日 (日) 23時43分

RRさん、こんにちは。

まあ、何しろマタイですから、どんな演奏で聴いても偉大な音楽であることに変わりは有りませんね。
古楽器も現代楽器も特にとらわれることなく、両方の良さを味わいたいものです。
僕も1パート1人のスタイルは余り好みません。少年聖歌隊の歌声が一番好きです。もちろんそれだけしか聴かないと言うことではありませんが。
これだけ素晴らしい音楽ですから、幅広く聴きたいです。好みはそのあとの話ですね。

投稿: ハルくん | 2012年10月 8日 (月) 14時26分

再びこんばんは。

中古屋で物色してると、或るマタイが目に留まりました。マウエルスベルガー...聞き憶えが...手に取って裏ジャケットを...シュライアーにロッチュ、最近ハマってるケヴァントハウス...スゴい面子にルカ教会...即試聴、録音の良さに「間違いない」と即購入。

クレンペラーで初体験して余りの重さに中々手が伸びず、リヒターは音の押し寄せ感がスゴいので同じく気軽には...。両盤とも2枚目を聴くのに時間を要しました笑。

型番75CO~の国内盤で解説書が専門寄りなのでアレですけど笑、終始柔らかい音色に程好い残響で、初めて積極的に2枚目を聴きたくなり笑、1夜1枚で3日間..先程聴き終えました。フォーレやモーツァルトのレクイエムや、アレグリのミサみたく、気軽に手を伸ばせます。

学生時代に実演を聴かれたなんて羨ましいです。

投稿: source man | 2015年4月 9日 (木) 22時22分

source manさん、こんにちは。

元もと「マタイ」は気軽に聴くような音楽ではありませんが、そうは言っても余りに気が重くなるような演奏は滅多に聴けませんね。
その点で、聖トーマス教会の素朴な少年合唱は深刻さよりも滋愛が感じられて心が和みます。

最初に触れた「マタイ」の生演奏はいまだに耳にも目にもはっきりと焼き付いています。
ホントに偶然聴けたのが運命のように思えます。

投稿: ハルくん | 2015年4月11日 (土) 14時54分

こんにちは。
キリスト教徒にとっては、イエスの生誕から、ほぼ2016年。
後で計算したら、これは間違いで、数年の誤差があったとか・・・。

日本人にとっては、皇紀2676年。
ユダヤ教徒にとっては、今年はユダヤ歴、何年でしたっけ・・・?
3760+2016(誤差)ですね。
5876年ですね。
天地創造からの年数です。

クレンペラー氏は、ユダヤ教徒であられました。
マタイ受難曲を、どのように見ておられたのでしょうか?
イエスを敵対視することはありません。
それは間違った理解です。
ついでながら、イスラム教徒も、イエスを敵対視することはありません。

ナザレ出身の、優秀なラビ(宗教指導者の一人)と言う事です。
贋キリスト(メシア)の出現は、数限りなく歴史にあり、しかし大きな影響力を持った人物は少なかった。

一般の演奏と比べて、極めて巨視的。
エネルギー量の包括が、極めて巨大。

微細的な部分など・・・。
第一部の終曲など、一般的な演奏と比べて、絶望的に遅いナンバーもあり、その解釈をどのように受け止めるのか、自分には他人に語る程の、理解はありません。

まだ、メシアの出現を待っているとしたら、余りにも時間が長くて、仏教徒の一部のように、輪廻の思想に近くなってしまいます。

プロの人に語って欲しいです。

投稿: jun | 2016年12月22日 (木) 20時23分

junさん、興味深いコメントを頂きましてありがとうございました。

クレンペラーの信仰については詳しくありませんが、この人にとって「マタイ」が特別な音楽であったのかどうかということも良くは分かりません。
一例を上げればマーラーの7番のように、”異常に遅いテンポで巨大な音楽”は何もマタイだけではないからです。
ですので信仰、思想とクレンペラーのマタイの関係という点については、もしどなたか専門に研究をされている方がおられれば是非伺ってみたいですよね。同感です。

投稿: ハルくん | 2016年12月23日 (金) 23時16分

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