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2012年3月20日 (火)

ハンス・クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルのライブ盤 ~新盤~

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「新盤」と言っても1961年と62年の録音ですから、もう半世紀も前の演奏です。にもかかわらず、この発売ニュースを知って非常に嬉しくなりました。どちらも巨人(ジャイアンツではありません)クナッパーツブッシュがウイーン・フィルを指揮したライブ演奏ですが、一つはブルックナーの交響曲第8番、もう一つはシューマンの交響曲第4番/Rシュトラウスの「死と変容」です。ブルックナーとシューマンは、過去の記事の中でご紹介済みですが、何しろこれまでは海賊盤でしか聴くことが出来ませんでしたので、いつか正規音源で聴きたいと願っていました。それが、とうとうAltusによってリリースされましたので、早速購入して聴きました。

どちらもオーストリア放送協会によるモノラル録音ですが、音質が期待以上の素晴らしさです。海賊盤の伊Memories盤も悪くありませんでしたが、今回の正規音源の音の良さには感激です。特に1962年のシューマン4番のほうは、下手なステレオ録音を遥かに上回る極上の音質です。元々、クナの演奏は、かのフルトヴェングラーに迫る唯一の凄演でしたが、こうして正規盤で聴くと改めて凄さが伝わります。個人的な好みで言えば、いまだフルトヴェングラーの濃厚なロマン性を取りたいですが、クナの巨大な音楽の凄さは別次元で存在感が有ります。シューマンの4番が好きな方には、フルトヴェングラー盤と並んで必聴だと思います。同じ日の「死と変容」が、これまたとてつもなく巨大なスケールの演奏です。こちらはフルトヴェングラー/ウイーン・フィルの名演奏を更に凌いでいると確信します。

ブルックナーの8番も、当時のウイーン・フィルの弦の艶やかさと管のパワフルさが圧巻です。ただ、余りに陶酔的なのが8番の演奏としては自分の好みにやや合いません。同じライブ演奏ならば、むしろ1963年のミュンヘン・フィル盤を取ります。もちろん、これは人によるでしょうから、是非ご自分の耳で聴き比べてみて下さい。

なお、この2枚については過去記事のMemories盤紹介をAltus盤に書き替えました。

<過去記事>

~浪漫と幻想~ シューマン 交響曲第4番

ブルックナー 交響曲第8番 名盤

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コメント

おはようございます。
どなたも書き込みされていらっしゃらない頁なので、長文コメントをお許しください。

ご紹介のAltusによるほうの2枚のCD、私も愛聴しております。
特に、シューマンの4番と「死と変容」の録音については、演奏がどうこうというよりも、その録音を初めて聴いた当時の、ある強烈な思い出と深く結びついていて、聴くとその当時のことが思い出され、必ず切なくなってしまうのです。

ブルックナーの8番録音についても、やはり初めて聴いた当時の思い出と結びついていて、演奏の出来の良し悪しとか、世評とか、他の盤との比較など、私にはまったくどうでもよいことになってしまいました。

でも、元来、音楽体験などというものは、個人的思い出抜きに語れないのではないでしょうか?

もう8年ほど前になりますが、その業界とは何の関係ない私が書いた駄文が、某オーディオメーカーが刊行した書籍に、ふとしたご縁で掲載されたことがあります。それは、だいたい下のような内容でした。

「目は閉じると見えなくなるので、見たくない物は見なくて済ませることができますが、耳は閉じることができませんから、ある特定の音を聴かずに済ますなどということは、一般的にはできません。これはあくまでも一般的な聴覚の話です。耳は常に外界に向けて開かれていて、音波としての刺激は平等に耳には届くがじつは平等さが保たれるのは鼓膜にいたるまでです。鼓膜から先は耳という器官の精密な構造とそこに張り巡らされた神経が働く領域になり、脳との連携プレーで音波は音として知覚されることになります。

脳は100人100通りですから、この段階で音波の平等性は失われることになり、さらに、脳に届いた音波は脳内に蓄積されたさまざま音の記憶と対照されて、その人の聴く音となります。したがって、厳密にいえば、一つの音でも聴く人によってそれぞれ異なってしまうのです。
人は脳という高性能コンピューターと耳という器官が連動して音を聴いているのだと考えられます。聴覚生理学でも、音は記憶とともに保存されているから、聴きなれた音は覚えやすいとか、心地よく感じられると説明されています。

では、脳にはどのような形で音や音楽の記憶が記録されているのでしょうか。これはまだ十分には解明されていませんが、分子生物学者の福岡伸一氏は『動的平衡』(木楽舎)で、記憶について次のような説明を試みています。

脳にある刺激が入力されると、クリスマスのイルミネーションのように明かりが順番にともり星座のような形を作ります。これが神経回路です。脳内の神経細胞のタンパク質分子は、合成と分解を受けてすっかり入れ替わりますが、細胞と細胞が形作る神経回路の形は保持されます。あるとき、過去に体験したのと同じ刺激を受けると、それは活動電位の波となって伝わり、順番に神経細胞に明かりをともします。ずっと忘れていたにもかかわらず、回路はかつて作られたときと同じ星座となってほんの一瞬、青白い光を発します。

なんとも美しい説明です。同じ音でも聴く人が違えば、その印象も変わります。その不思議は、記憶された音の星座の形が人それぞれに異なるからなのかもしれません」

投稿: 犍陀多 | 2020年11月 8日 (日) 09時24分

犍陀多さん、こんにちは。

古い記事へのご投稿ありがとうございます!
脳科学というのは実に興味深いですね。音と記憶の関係は間違いなく有りますし、とても大きいと思います。まずほとんどの方がそう思われるでしょう。

それと音楽には、実際の経験と直接関連している訳ではないのに、イメージが湧いてくることも多いです。
その代表的な例として、パッヘルベルのカノンという曲で、以前この曲の記事中でこんなことを書きました。

『この曲は、よく街中なんかでもBGMとして流れていたりしますが、僕はそんな喧騒の中ですらハッと耳を奪われて、思わず涙腺が緩んだりしてしまいます。この曲を聴いていると、何だかノスタルジックな気持ちに誘われて、過去の人生や現在の人生、あるいは多くの友人たちとの出会い、そして愛する人との出会いと別れ・・・。そういった様々な思いが次から次へと走馬灯のように心に浮かんでは消えてゆくのです。それは正に「人生のカノン」のように思えます。でも、この曲は決して感傷的では無く、ずっと肯定的な気分にさせてくれます。
僕はそんな風に感じるのですが、皆さんはどうでしょう?』

という内容でした。

投稿: ハルくん | 2020年11月 8日 (日) 13時15分

ご紹介いただきました、パッヘルベルのカノンの記事からのお言葉、大いに共感いたしました!

音楽には、おっしゃるように 「実際の経験と直接関連している訳ではないのに、イメージが湧いてくる」 といった、脳科学ではおそらく解明しきれていないこと思われることも、確かに多いでしょうね。

よく指摘されていることですが、一般的に、短調の曲は何故悲しいと感じるのか? 
(日本人でも江戸の昔以前にはそうではなかったのではないか? 他の民族では歴史的にどうか?)

長調でも、モーツァルトの一部の傑作などでは、何故、悲しく、寂しく、侘しく、感じるのか?

理屈だけではわからないことだらけですね!

熱帯地域でしか暮らしたことがないクラシックファンに、日本人のコアなクラシック音楽ファンがイメージする、「ブルックナーの神髄」や、特に「シベリウスの神髄」 と共通の認識を、果たして共有することができるのでしょうか。

投稿: 犍陀多 | 2020年11月 8日 (日) 16時56分

犍陀多さん

もちろん国民を十把一絡げに出来るはずは無いですが、どの国でも国民性というのは有りますから、熱帯地域の国民がブルックナーやシベリウスを理解するのは中々に難しそうですよね。そういう気はします。

投稿: ハルくん | 2020年11月 9日 (月) 11時00分

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