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2012年3月

2012年3月31日 (土)

J.S.バッハ カンタータ 第140番「目覚めよと我らに呼ばわる声あり」BWV140 名盤

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「バッハは小川にあらず、海よりも偉大である。」と語ったのはベートーヴェンです。「Bach」はドイツ語で「小川」を意味するので、例えに使ったわけです。

それにしても、この小川さんは大変な人です。教会音楽家ですので、宗教声楽曲を数えられないほど多く書いていますし、器楽曲などもやはり相当な数に及びます。そのうえ、子供の数も数えられないほど(というのはオーバーですが、20人です)たくさん作ったことは良く知られています。「音楽の父」であり、大勢の子供の父親でもあったわけです。作曲に忙しかったのでしょうに、夜もホントに精力的だったのですね。やっぱり偉人は違います。

話を戻して、声楽曲の大傑作と言えば何と言っても「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ミサ曲ロ短調」です。これらは大海に浮かぶ大陸のようなものです。極論すれば、バッハはこの3曲に始まり、この3曲に終わると言っても言い過ぎでは無いのかもしれません。でも、そうは言っても、他にも多くの名作が有ります。特にカンタータには、楽譜が残っているものだけで200曲以上、分らなくなったものも合わせると300曲は書いているはずだと言われています。そんなアルプス山脈のようなカンタータ群には、聴き込もうとしても、余りの曲の多さに、どこから山頂を目指して登って良いのか分からず、山のふもと辺りでうろうろしている自分を見るような気分です。

でも、そんなカンタータの中に、昔から大好きな愛聴曲が有ります。第140番「目覚めよと我らに呼ばわる声あり」です。この曲のコラールは、何でも「三位一体節後第27日曜日用の作品」として書かれたそうですが、キリスト教徒でない自分にはそれが何のことかよく分かりせん。ただ、この日は暦の関係で、復活節が相当早く、3月26日以前に繰り上がった年にのみ巡ってくるそうで、かなり珍しいのだそうです。バッハのカントル在職中にもたった2回有っただけなので、この日のためのカンタータはこの曲が唯一なのだそうです。

この曲の歌詞は、マタイ伝の一節が元になっていますが、それは花婿の到着を待つ花嫁と出迎えの10人の乙女たちの話です。

『結婚式が予定されて、花嫁と乙女たちは花婿の到着を待っているが、いつまでたっても到着しないので、皆寝込んでしまう。すると、夜も更けた頃に花婿の到着を告げる物見らの「目覚めなさい」という声に起こされる。けれども、灯火の油をちゃんと用意していた5人の乙女は婚礼に参加できたが、残りの5人の乙女は参加させてもらえなかった。』という内容の話です。

「花婿」というのはイエスのことで、「10人の乙女たち」というのは我々人間(信者)のことです。要するに、これはイエスの再臨(神の国の到来)についての例え話です。その日は中々やっては来ないけれども、その日のためにいつも心して準備しているように、という教えなのですね。

曲は7曲で構成されています。

1.コラール「目覚めよと我らに呼ばわる声あり」

2.レシタティーフ(テノール)「来る、来る、花婿が来る」

3.アリア(ソプラノ、バス)「いつ汝は来るや、我が救いよ」

4.コラール(テノール)「シオンは物見らの歌うを聞く」

5.レシタティーフ(バス)「さあ私のところに来なさい」

6.アリア(ソプラノ、バス)「我が友は我がもの」

7.コラール「栄光が汝に向かって歌われよ」

第1曲のコラールは付点リズムでさっそうと、かつ威厳を持って足取りを進めます。非常に素晴らしい曲ですが、そういえば、ソフトバンクのお父さん犬のCMの初めのころのにバックで流れていました。

第3曲の二重唱は、イエスと花嫁として描かれた信者の魂との対話です。オブリガードで奏されるヴィオリーノ・ピッコロが非常に美しいです。

第4曲のコラールは、バッハの書いた最も美しいコラールではないかと思います。弦楽のユニゾンに伴奏された歌のなんと美しいこと!ところが、実は大きな問題が有ります。この曲のテノールのパートが、楽譜上にただ「テノール」と書かれている為に、合唱なのだか独唱なのだかが明確でなく、演奏は解釈で分かれます。楽譜の指示では確かに独唱のように受け止められなくも有りませんが、3曲のコラールのこの曲だけが独唱で歌われるのには違和感を感じます。結論は出ないでのしょうが、個人的にはこのテナー・パートの音型はどう聴いてもコラール(合唱)音型ですので、合唱が正解だと思っています。

第6曲の二重唱も再びイエスと花嫁の対話ですが、印象的なオーボエの助奏を伴って、「汝は我と天のバラの中で楽しまん」と喜びを歌う至上の愛のデュエットです。

第7曲のコラールは栄光の喜びに溢れた感動の終曲になります。

このカンタータは本当に素晴らしい作品です。他にも好きなカンタータは幾つか有りますが、この曲ほど充実仕切った名作は、いまだ知りません。バッハ愛好家にとっては、何を今更のことでしょうが、もしも、これから聴き始めようという方がおいででしたら、真っ先にお勧めしたいのがこの曲です。

僕の愛聴盤ですが、教会合唱団が好きなので、かなり偏っています。

089クルト・トーマス指揮聖トーマス教会合唱団/ゲヴァントハウス管(1960年録音/Berlin Classics盤) 大学生のときに最初に聴いた演奏です。東芝EMIのアナログ盤でした。現在はCDで聴いていますが、この名曲をこの演奏で知ったのは幸せでした。ゆったりとしたテンポのコラールは威厳に満ちていて、立派この上ありません。第4曲のコラールも独唱では無く合唱ですが、これを聴いてしまっては独唱では満足できません。独唱陣もロッチェ、グリュンマー、アダムの3人とも素晴らしいですが、二重唱のアリアも最高です。ゲヴァントハウス管も現代楽器ながら古風な音色が素晴らしく、上手さも文句無しです。クルト・トーマスはラミンの後任としてトーマス・カントルに就任しましたが、たった3年で西側へ亡命してしまったために、録音が非常に少ないので、カンタータ集のCDが海外盤だけとはいえ数枚残されているのは嬉しいです。

P1000831エアハルト・マウエルスベルガー指揮聖トーマス教会合唱団/ゲヴァントハウス管(1966年録音/アルヒーフ盤) クルト・トーマスの後任のトーマス・カントル(洒落では無い)は、マウエルスベルガー兄弟の弟のエアハルトです。トーマスと比べると幾らか速めのテンポですが、伝統的なスタイルを守っています。独唱陣はギーベル、シュライヤー、アダムと名歌手が揃っていますし、ゲヴァントハウス管ももちろん素晴らしいです。ところが問題は、第4曲をテノール独唱にしていることです。これは、どんなにシュライヤーの歌唱が素晴らしくても、合唱の感動には及びません。非常に悔やまれます。この演奏は組み物のCDには含まれているようですが、単独では出ていないません。ですので僕は昔のアルヒーフのアナログ盤で聴いています。

909ハンス・ヨアヒム・ロッチェ指揮聖トーマス教会合唱団/新バッハ・コレギウム・ムジクム(1983年録音/Berlin Classics盤) 弟マウエルスベルガーの後任としてトーマス・カントルに就任したのはロッチェでした。この人は、クルト・トーマス盤で素晴らしいテノールの歌を聴かせていました。この演奏ではオーケストラがゲヴァントハウス管のメンバーからなる小編成の合奏団になっています。そのためか、演奏のスタイルはテンポが速めでリズムを強調した、ピリオド奏法に近づいています。第4曲を合唱が歌うのは我が意を得たりで良いのですが、ソプラノがやや落ちるために、二重唱の感動がいま一つです。聖トーマス教会合唱団は相変わらず真摯な歌声が素晴らしいです。

Imagescak42olwカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団/管弦樂団(1978年録音/アルヒーフ盤) リヒターが音楽家になるきっかけになったのは、この曲に心を打たれたからだという話を記憶しています。その為に、非常に思い入れの有る演奏をしていて一般の評判も良いのですが、僕には遅いテンポでリズムが重く、引き擦るように感じられます。思い入れが余りに強過ぎてしまったように思うのです。リヒターも第4曲のコラールをテノール独唱としているので、それも僕には大きなマイナスポイントです。

51zb5vcyvll__sl500_aa300_ヘルムート・リリング指揮ゲヒンゲン聖歌隊/シュトゥットガルト・バッハ合奏団(1983‐4年録音/ヘンスラー盤) これは全集盤からの演奏です。古楽器風の速いテンポによる躍動感のある演奏ですが、反面、この曲の持つ威厳は損なわれているように感じます。第4曲のコラールを合唱にしているのは良いのですが、リズムの過度の強調が、あの美しい旋律を少々損ねているようにも感じます。あくまでも全集の中の1曲ということで価値が有るのだと思っています。

ということで、この曲の素晴らしさを最高に感じさせてくれるのは、やはりクルト・トーマス/聖トーマス教会合唱団盤です。

この曲は、福音書の内容や歌詞が全く分らずとも、音楽的な素晴らしさに感動することが充分に可能です。ですのでご心配なくこの名曲を気軽に味わってください。そして、どうかバッハの素晴らしさに目覚められんことを!

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2012年3月24日 (土)

~名曲シリーズ~ フォーレ 「レクイエム」op.48 名盤

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ガブリエル・フォーレ・・・なんとも美しい響きの名前ですね。そして、このフランスの作曲家は名前の響きの通り、実に美しい音楽を書きました。「美しい音楽」というキーワードから、僕は真っ先にフォーレの曲を思い浮べますが、本当にこれほど繊細で優しい美しさを持った音楽は、ちょっと他に思い当たりません。

そのフォーレの曲で、僕が良く聴くのは10曲ほどの室内楽曲、それに「レクイエム」です。傑作ぞろいの室内楽曲については別の機会にまとめて記事にしたいと思っていますが、今回は<名曲シリーズ>として、「レクイエム」を取り上げます。

今から数年前に自分の父親を亡くしたとき、初めて訪れた家族の死の悲しみに、とても音楽を聴くどころではありませんでした。それでも、ちょっと聴いてみようかな、と思えた音楽が、フォーレの「レクイエム」だったのです。そして、この曲の美しさが心に沁み入ってきて、胸がいっぱいになりました。

フォーレはある人に宛てた手紙の中で、次のように書いています。

「私のレクイエム……は、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません。」

そうなのですね。亡くなる前に病気で苦しんだ父親には、きっと天国で喜びに満たされてもらいたいという気持ちになってしまうのです。

フォーレはパリのマドレーヌ寺院で教会オルガニストを何年も務めましたが、この曲はその教会でフォーレ自身の手で初演されました。ところが、寺院の司祭からは「斬新過ぎる」と叱責を受けたそうです。それもそのはずで、当時のカトリックの死者へのミサでは、最後の審判を描く「怒りの日」は欠くことが出来ないのですが、フォーレは手紙に書いた考えのように、それを除いてしまったのです。

その初演の際には、現在の7曲の構成では無く、第2曲「オッフェルトリウム」と第6曲「リベラ・メ」を欠く、5曲の構成でした。現在の7曲構成に書き換えられたのは1893年ですので、それは<1893年版(原典版)>と呼ばれます。

第1曲 入祭唱とキリエ

第2曲 オッフェルトリウム(奉献唱)

第3曲 サンクトゥス(聖なるかな)

第4曲 ピエ・イエズ(ああ、イエスよ)

第5曲 アニュス・デイ(神の子羊)

第6曲 リベラ・メ(許したまえ)

第7曲 イン・パラディスム(楽園へ)

1893年版は、マドレーヌ寺院での初演の時のように、極めて小さな編成がとられています。それは従来、一般的に演奏されてきた、フォーレの弟子が楽譜出版の際に、出版社から要請されたために編成を大きく書き換えた<改定版>とは大きく異なります。ですので、最近では1893年版をもって、本来の姿と言われるようになりましたが、僕は<改定版>が必ずしも<改悪>だとは思えません。

管弦楽については、元々ヴァイオリンを排した、ヴィオラ主体の非常に柔らかい音色ですが、唯一ヴァイオリンが加わる「サンクトゥス」で、原典版では独奏でしたが、改定版では重奏になるので、かなり印象が変わります。ティンパニの扱いは一番難しく思います。原典版では、どうしても音量のバランスが大過ぎに感じてしまう演奏が多いのですが、改訂版ではバランスが丁度良いように感じます。

このように改訂版は、むしろ<改善>と言えないことも有りません。ですので、僕としては余り「原典主義」にこだわる必要は無く、両方の良さを味わえば、それで良いのではないかと思っています。

また、この曲は声楽の扱いも問題になります。初演の際には、昔の教会音楽のならわし通りに女性の起用は無く、ソプラノはボーイソプラノ、女性合唱は少年合唱団が歌いました。けれどもその後、コンサートで演奏される場合には、ソプラノ独唱と女性合唱で歌われることが多くなりました。これは教会音楽に共通する問題ですが、個人的には少年合唱を好みますが、どうしてもというこだわりは有りません。

7曲はどれもが本当に素晴らしい曲ですが、僕が特に愛して止まないのは、第5曲「アニュス・デイ」です。嗚呼、何と美しき哉!

それでは、その愛聴している演奏をご紹介します。

Faure35111471_0 ジョン・ラター指揮シティ・オブ・ロンドン、ケンブリッジ・シンガーズ(1984年録音/コレギウム・レコード盤) これは原典版の先駆けとなった演奏です。いかにもイギリスの合唱らしく、厳かで禁欲的な雰囲気がこの曲によく適しています。大人のコーラスでも、これほどの純度の高さで歌われると、心底魅了されます。ソプラノ独唱は女性のキャロライン・アシュトンですが、ノン・ヴィヴラートの歌唱が非常に美しく素晴らしいです。オーケストラも美しく、ティンパニーや金管も突出することなくバランスが取れています。この透明で室内楽的な響きこそが、フォーレの尽きせぬ魅力だと、つくづく思い知らされます。

Becc780al フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮シャペル・ロワイヤル/サン=ルイ少年合唱団(1988年録音/ハルモニアムンディ盤) これも原典版による演奏です。ラター盤ほどに厳格に統率されてはおらず、良い意味でフランス的な曖昧さを感じます。音に軽みと温かみのあるのが魅力です。ソプラノ独唱のアネェス・メロンの少年のような純粋な歌唱も聴きどころです。ティンパニーや金管がやや目立ち気味で、音のバランスの悪さを感じますが、これが原典版の演奏の難しさです。

Recd2815 ミシェル・コルボ指揮ベルン交響楽団、聖ピエール=オ=リアン・ド・ビュール聖歌隊(1972年録音/エラート盤) 改訂版での演奏ですが、長い間「名盤」と呼ばれていただけあって、いまだ少しも魅力を失いません。聖歌隊の美しい歌声は、まさに教会の中で敬虔な雰囲気に包まれて聴いているような気になります。ボーイ・ソプラノのソロが素晴らしいのもメリットです。アラン・クレマンという少年が歌っていますが、これだけ美しく上手く歌われると、「汚れを知った」大人の声では、ちょっと敵わないなと思わせるのが凄いです。コルボは、この曲を何度も録音していますが、この美しい演奏の価値は決して変わらないと思います。

ということで、原典版ならラター盤、改訂版ならコルボ盤を特に愛聴しています。

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2012年3月20日 (火)

ハンス・クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルのライブ盤 ~新盤~

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「新盤」と言っても1961年と62年の録音ですから、もう半世紀も前の演奏です。にもかかわらず、この発売ニュースを知って非常に嬉しくなりました。どちらも巨人(ジャイアンツではありません)クナッパーツブッシュがウイーン・フィルを指揮したライブ演奏ですが、一つはブルックナーの交響曲第8番、もう一つはシューマンの交響曲第4番/Rシュトラウスの「死と変容」です。ブルックナーとシューマンは、過去の記事の中でご紹介済みですが、何しろこれまでは海賊盤でしか聴くことが出来ませんでしたので、いつか正規音源で聴きたいと願っていました。それが、とうとうAltusによってリリースされましたので、早速購入して聴きました。

どちらもオーストリア放送協会によるモノラル録音ですが、音質が期待以上の素晴らしさです。海賊盤の伊Memories盤も悪くありませんでしたが、今回の正規音源の音の良さには感激です。特に1962年のシューマン4番のほうは、下手なステレオ録音を遥かに上回る極上の音質です。元々、クナの演奏は、かのフルトヴェングラーに迫る唯一の凄演でしたが、こうして正規盤で聴くと改めて凄さが伝わります。個人的な好みで言えば、いまだフルトヴェングラーの濃厚なロマン性を取りたいですが、クナの巨大な音楽の凄さは別次元で存在感が有ります。シューマンの4番が好きな方には、フルトヴェングラー盤と並んで必聴だと思います。同じ日の「死と変容」が、これまたとてつもなく巨大なスケールの演奏です。こちらはフルトヴェングラー/ウイーン・フィルの名演奏を更に凌いでいると確信します。

ブルックナーの8番も、当時のウイーン・フィルの弦の艶やかさと管のパワフルさが圧巻です。ただ、余りに陶酔的なのが8番の演奏としては自分の好みにやや合いません。同じライブ演奏ならば、むしろ1963年のミュンヘン・フィル盤を取ります。もちろん、これは人によるでしょうから、是非ご自分の耳で聴き比べてみて下さい。

なお、この2枚については過去記事のMemories盤紹介をAltus盤に書き替えました。

<過去記事>

~浪漫と幻想~ シューマン 交響曲第4番

ブルックナー 交響曲第8番 名盤

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2012年3月18日 (日)

J.S.バッハ 「ミサ曲 ロ短調」 BWV232 名盤 ~最高傑作~

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「ミサ曲」とは、古くは2世紀ごろからカトリックの典礼のための式文に付けられた音楽です。それが20世紀(21世紀?)に至るまでの長い間に数えられないぐらい多くの曲が作られたはずです。かつては、日常的なミサに用いられていましたが、18世紀ごろからは、特別な祝祭の式典に用いられるための大きな規模のミサ曲が作られるようになり、それは通常のミサ曲と区別するために、「ミサ・ソレムニス」と呼ばれました。有名な作品としては、ベートーヴェンのソレが有るのは言うまでもありません。バッハが亡くなる前の年に書き上げた大作「ミサ曲ロ短調」も、トランペットなどの楽器を加えた、非常に壮麗で祝典的なミサ・ソレムニスです。

バッハの2曲の受難曲では、ルターのドイツ語の聖書がテキストでしたが、こちらは通常のラテン語の典礼文が歌詞として使用されています。全曲を演奏すると約2時間を要する壮大で崇高な情感に満ち溢れた大作で、「マタイ受難曲」、「ヨハネ受難曲」と並ぶ、バッハの音楽の集大成と呼べるのは間違いありませんし、人によっては、この曲をバッハの最高傑作と考える人も少なくは有りません。

全体は27曲に及びますが、構成は下記の通りです。

Ⅰ ミサ

   キリエ (3曲)

   グローリア (9曲)

Ⅱ ニケーア信経(クレド) (9曲)

Ⅲ サンクトゥス (1曲)

Ⅳ ホザンナ、べネディクトゥス、アニュス・デイ、ドナ・ノビス (5曲)

ところが、この作品は非常に謎に包まれています。4つの部分に分かれていますが、前半のミサ(「キリエ」「グローア」)は、1733年にドレスデンの宮廷に教会音楽家として奉職を申し出た時に献呈した作品ですが、これだけで一つの完成されたミサ曲です。その15年後に後半の「ニケーア信経(クレド)」「サンクトゥス」「ホザンナ、べネディクトゥス、アニュス・デイ、ドナ・ノビス」が付け加えられましたが、大半の曲は過去の作品の改作です。そもそも、バッハが何の目的で、この大作を書き上げたのかは分かっていません。生前に実際に演奏されたのかどうかすらも分かっていません。あげくには、学者の中には「バッハは”ミサ曲ロ短調”などという作品は書いたことが無い。誰かが別々の作品を綴じ合わせただけだ。」という説を唱える人まで現れる始末です。事実、バッハ自身も完成譜に何らタイトルを付けませんでした。真相が分かっていないことだらけのこの作品ですが、確かなのは一大傑作であるということです。

個人的には、オラトリオ風で、ストーリー性、ロマン性の強い「受難曲」を更に好んでいますが、この曲を聴いていると、本当にそれ以上かもしれないと、ふと思える時もあります。

僕は「受難曲」の場合は、どちらかいえば現代楽器の演奏のほうが好きなのですが、「ロ短調ミサ」では、逆に古楽器のほうが好きかもしれません。現代楽器だとトランペットの音量バランスを保つのが難しいので、大抵の演奏で音が大き過ぎて耳障りに感じます。その点、古楽器であれば適度なバランスを保ちやすくなります。そのような音響的な問題も有りますが、元からロマン性の高い受難曲と、バロック性の高いミサ曲との違いも有るのかもしれません。

それでは、僕の愛聴している演奏のご紹介です。

0091712bcs ルドルフ・マウエルスベルガー指揮ドレスデン聖十字架合唱団/シュターツカペレ・ドレスデン(1958年録音/Berlin Classics盤) 旧東ドイツ時代の聖トーマス教会合唱団の録音が無いのがつくづく残念ですが、代わりに聖十字架合唱団の録音が有ります。オーケストラもバッハが前半の「キリエ~グローリア」を捧げたドレスデンの宮廷楽団です。繰り返しになりますが、僕はプロの合唱団が少人数で歌う洗練されたバッハよりも、教会の少年合唱団の素朴で真摯な歌声を好みます。本当に大聖堂の中でミサに参列しているかのような雰囲気がたまらないのです。指揮をする兄マウエルスベルガーのテンポはゆったりと落ち着いていますし、管弦楽の響きも非常に古雅で美しいです。独唱陣もヘフリガー、アダム、シュターダーといった素晴らしい歌手が揃っています。

00000150639_2カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団/管弦楽団(1961年録音/アルヒーフ盤) 「キリエ」の出だしの音の一撃が凄いです。合唱と管弦楽の悲痛な響きには言葉を失うほどです。重厚で劇的、ロマンティックですが、時代遅れの印象は無く、むしろ古楽器派ではこれほどまでには感じられない強靭な神への祈りに圧倒されます。こんなアマチュア合唱団が存在したことはつくづく驚きです。現代楽器の弦楽も、時折ポルタメント気味に弾きますが、違和感は全く有りません。管楽のトランペットだけはどうしても音が強過ぎに感じますが、逆に祝祭的な気分が高まりますし許容は出来ます。独唱陣も、ヘフリガー、DFディースカウ、テッパーといった最高の歌手が揃っています。         

Richter2413 カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団/管弦楽団(1969年録音/アルヒーフ盤) リヒター全盛期の日本公演でのライブ録音です。会場は東京文化会館です。演奏スタイルは1961年盤とほぼ同じで、感動的な合唱が本当に素晴らしいです。ライブならではの感興の高さが有りますし、これだけ質の高い演奏が日本で行われたのは驚きです。但し、スタジオ盤と比べた場には、幾らか不安定さを感じるのは事実です。独唱陣は女性がやや落ちますし、トランペットの音量バランスが強過ぎるのが耳障りです。ディスクとして何度も繰り返して鑑賞する場合には、やはり1961年盤のほうを取ります。

Hmollparrott アンドリュ―・パロット指揮タヴァナー・コンソート&プレイヤーズ(1984年録音/EMI盤) 彼らの「ヨハネ受難曲」のディスクに先駆けること6年前の演奏ですが、この時すでに1パート1人を基本としたリフキンの学説スタイルを、いち早く取リ入れています。透明感あふれる重唱と小編成の器楽が再現する精妙な音は見事の一言です。それまでに聴いてきた「大編成」の演奏とはまるで異なる室内楽的な演奏に驚かせられます。本当に美しいと思うのですが、この演奏に宗教音楽としての峻厳さが感じられるかというと答えはノーです。ですので、精神性云々という議論は、この際忘れることにして楽しんでいます。

059bruggen フランス・ブリュッヘン指揮オランダ室内合唱団/18世紀オーケストラ(1989年録音/フィリップス盤) 同じ古楽派でも、ある程度の人数をかけた編成ですので、1パート1人の重唱と比べると遥かにハーモニーに厚みが有ります。オーケストラも同様で、ノンヴィブラートの響きがパイプオルガンのように聞こえます。音に厚みが有り、それでいて古楽の味わいを持ちますので、最もリファレンス的に鑑賞することができます。管弦楽はソロ部分も含めて非常に優秀ですし、独唱陣も素晴らしいです。普通は僕の好まないカウンター・テナーもマイケル・チャンスが声質も技巧も抜群で、並みの女性アルトよりもずっと素晴らしいです。何よりも、精神性が希薄に感じられることが多い古楽器で、これほど聴きごたえのある演奏は少ないのではないでしょうか。ブリュッヘンには新盤も有りますが、そちらはまだ聴いていません。

Hengel520825 トーマス・ヘンゲルブロック指揮バルタザール=ノイマン合唱団/フライブルク・バロック・オーケストラ(1996年録音/BMG盤) トーマス・ヘンゲルブロックが北ドイツ放送響の指揮者に就任したのは驚きでした。あのオケ特有の重厚な響きは果たして変わってしまうのでしょうか。このCDは得意の古楽器による少人数の編成の演奏です。透明感あふれるルネッサンス期のようなハーモニーが魅力的です。オーケストラのノン・ヴィブラートの響きは澄み切っていて、アーテュキレーションが非常に豊かです。古楽器派にしては基本的に遅いテンポでじっくりと演奏しますが、グローリアのような速いテンポの曲は、躍動感を持って祝祭的な華やかさを非常によく出しています。この演奏も宗教音楽としての峻厳さは感じませんが、楽しめる点ではパロット盤と並びます。 

Imagescawiap1l ゲオルク・クリストフ・ビラー指揮聖トーマス教会合唱団/ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(2000年録音/フィリップス盤) バッハ没後250年記念演奏会として、ライプチッヒの聖トーマス教会でバッハの命日に行われたコンサートが全世界にTV生中継されましたが、これはその時のライブ録音です。元々、緻密さよりは真摯な歌声が魅力の少年合唱団ですし、これは実演なので、演奏の精度は決して高くはありません。けれども、何といっても記念すべき演奏会の記録ですので、その場に居合わすことが出来なかった渇きを潤すことにしています。バッハゆかりの教会で聴く臨場感を一杯に味わうことができます。ビラーはこの後に、古楽器オケで再録音を行なっていますが、こちらは現代楽器による演奏です。その為か、テンポもそれほど速過ぎないオーソドックスなものになっています。演奏も初めは堅い印象ですが、後半に入ってどんどん高揚してゆくのは実演ならではです。DVD化もされていますが、そちらには行きつけである川崎の名曲喫茶”珈琲の詩”のマスターが最前列で聴かれている姿が映っています。

この曲の場合には古楽器の演奏も好んでいるため、愛聴盤はどうしても多くなります。強いていえば、リヒターの1961年盤とブリュッヘン盤の二つに絞り込めますが、リヒターの東京ライブ盤、マウエルスベルガー盤、パロット盤、ヘンゲルブロック盤、ビラー盤も、それぞれ折に触れて聴きたくなります。

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2012年3月10日 (土)

J.S.バッハ 「ヨハネ受難曲」BWV245 名盤

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ライプチッヒの聖ニコライ教会

バッハは「受難曲」を生涯に4曲か5曲書いたとも言われていますが、正確なことは分かっておらず、楽譜が残されているのは、マタイ福音書からの「マタイ受難曲」とヨハネ福音書からの「ヨハネ受難曲」の二つだけです。マタイ受難曲はライプチッヒの聖トーマス教会で初演されましたが、ヨハネ受難曲は同じライプチッヒでも、聖ニコライ教会で初演されたと伝えられています。それはマタイの初演の3年前の聖金曜日です。

二つの受難曲は、どちらも傑作中の傑作ですが、一般的に人気の高いのは「マタイ受難曲」のほうなので、バッハのファンといえども、「マタイ」は聴いても「ヨハネ」は聴かない、という人も居るようです。どちらも、ユダの裏切りから、イエスの裁判、処刑、埋葬までの話を元にしたオラトリオ風の受難曲ですが、内容は幾らか異なります。「マタイ」は、受難を悲劇として捉えていて、哀しみに溢れたアリアを多く含んでいます。それに対して「ヨハネ」は、受難そのものを神の愛の成就と捉えているので、マタイよりもずっと光を多く感じる作品です。二曲の違いを象徴しているのは第1曲で、「マタイ」が暗く静かに開始されるのに対して、「ヨハネ」はずっと動的であり切迫感を感じます。それはまた、イエスがゴルゴダの丘で十字架にかかることの表現の違いでもあります。「マタイ」でのイエスの最後の言葉が「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」に対して、「ヨハネ」では、それが「こと果たされぬ」となります。この言葉からも、処刑をよりポジティヴに捉えていることが分かります。

全体の曲想も、「マタイ」が暗く重苦しいのに比べると、「ヨハネ」のほうは、もっと明るさを感じます。作品の規模としては、「マタイ」は通常、演奏時間が3時間にも及びますが、「ヨハネ」はおよそ2時間です。最大の聴きどころは、まず第1曲「主、われらを統べ治める君よ」で、悲劇的かつ雄大な合唱曲です。それに最後の合唱曲「憩え、安らけく」とコラール「ああ主よ、汝の御使いに命じ」です。この曲を通して聴くのが長いと感じられる方は、まずこの最初と最後をじっくり聴かれると良いと思います。特に終曲は「マタイ」の終曲と比べても全く遜色無いと思います。他にも、第一部の最後、第13曲のテノールのアリア「ああ、我が念いよ」や、第二部では第20曲の、やはりテノールのアリア「心して思いはかれ」、第24曲のバスのアリアと合唱「急げや、悩める魂よ」などのドラマティックなアリアが多いことでは「マタイ」をむしろ上回るかもしれません。

「マタイ」と「ヨハネ」のどちらが優れているかという比較を、どうしてもしたくなるでしょうが、それは余り考えて欲しくありません。正直に言えば、やはり「マタイ」ということにはなるのでしょうが、これほど偉大な二つの受難曲を、そんな風に優劣で語るのは、馬鹿馬鹿しいことだと思うのです。

それでは、僕が愛聴している演奏のご紹介です。

41hbymsjewl__sl500_aa300_ ハンス・ヨアヒム・ロッチェ指揮聖トーマス教会合唱団/ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1975年録音/キングレコード盤) 元は旧東ドイツのシャルプラッテンの録音ですが、キングレコードが数年前にハイパー・リマスター化して、アナログ的な素晴らしい音質を蘇らせました。ロッチェのバッハはかつて東京で「マタイ」の実演を聴いていますが、それは本当に感動的な演奏で、今でも自分の心の宝になっています。前任のマウエルスベルガーからトーマス・カントールを引き継いだロッチェの時代は伝統的で保守的なバッハ解釈の最高到達点だったような気がします。次のビラーは、かなり(トーマス・カントールとしては)革新的なので、ピリオド奏法を取り入れて変化させてゆきます。とにかく、この聖トーマス教会の少年合唱団の素晴らしさといったら言葉になりません。大人が少人数で歌う現代の洗練されたバッハも悪くは有りませんが、目を閉じて聴いていて、本当に教会の中に居るかのような雰囲気になる点ではこの録音がベストです。僕は実際にドイツの大聖堂で礼拝に参加したことが有ります(ただし信者ではありません)が、あの時の讃美歌の敬虔な雰囲気がそのままに感じられます。独唱陣もシュライヤー、アダム、オジェーといった素晴らしい歌手が揃っています。ゲヴァントハウス管弦楽団は現代楽器を使用していますが、派手さの無い古雅な響きは実に魅力的なうえに、表現の巾では古楽器を上回ります。例えば第一部最後のテノールのアリア「ああ、我が念いよ」での重厚な音による凄みには圧倒されます。ロッチェはカンタータにも多くの録音を残しましたが、この「ヨハネ」こそが最大の遺産だと思います。出来れば是非、このハイパー・マスタリング盤でお聴きになられてください。「マタイ」に比べて「ヨハネ」は物足りないと思われている方にこそお勧めします。

Remin_bc ギュンター・ラミン指揮聖トーマス教会合唱団/ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1954年録音/Berlin Classics盤) ラミンは第二次世界大戦中にトーマス・カントールに就きましたが、無事に戦後まで務め果たしました。カール・リヒターの師としても知られています。録音は非常に少ないのですが、最も条件の整ったものとして、この「ヨハネ」が代表盤に挙げられます。後継者のマウエルスベルガーやロッチェと比べると、テンポがかなり遅めで、ロマンティックな解釈です。リヒターのバッハ演奏の原点がここに有ることが分かります。トーマス教会の合唱も、良く言えば非常に素朴、悪く言えばかなり粗さが目立ちます。ただ、それも大海のような音楽の前では些細な傷ですし、気にもなりません。第1曲から、その巨大な演奏に圧倒されてしまいます。独唱者ではヘフリガーがエヴァンゲリストを若々しい声で非常にドラマティックに歌っています。この録音の2か月前に、フルトヴェングラー生涯最後の「第九」をルツェルンで歌ったことも影響しているのではないか、などと考えてしまいます。実際、あの第九でのテノール独唱は最高でしたから。

Richter_johhannes カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団/管弦楽団(1964年録音/アルヒーフ盤) リヒターはライプチッヒ時代の師であるラミンが亡くなった時に、トーマス・カントールの後継者の要請を受けました。けれども、彼は既にスタートをさせていたミュンヘンでの音楽活動から離れようとはしませんでした。地位や名声よりも、人間愛や心を大切にしたからだろうと思います。自らが育て上げたミュンヘン・バッハ合唱団の合唱は、あの「マタイ」での感動的な歌唱と変わりません。アマチュア団体らしい僅かな粗さは有っても、逆にその真摯な歌声にはプロの団体では味わえない良さを感じるからです。もちろん好みの問題ですが、僕は上手いだけのプロ合唱よりも、むしろアマチュアの合唱が好きです。そのアマチュア・コーラスの究極の姿がここに有ると思います。最後の合唱曲「憩え、安らけく」での感動的な合唱が典型です。独唱陣も、エヴァンゲリストのヘフリガーを始めとして、プライやテッパーなどの素晴らしい歌手が揃っています。

Cd_bwv245 シギスヴァルト・クイケン指揮ラ・プテット・バンド/合唱団(1987年録音/DHM盤) クイケンというとバロック・ヴァイオリンというイメージですが、僕は案外指揮者としてのこの人が好きです。モーツァルトのミサ曲なんかにも良い演奏が有ったと思います。レオンハルトと比べると、ちょっと大人し過ぎかなとも思いますが、逆にこの静かなたたずまいの「ヨハネ」も意外に良いと思います。この曲にドラマティックさを求める人には向かないと思いますが、なんとなくグレゴリア聖歌を想わせるような静寂さがユニークです。一人静かに部屋で聴くには良いのではないでしょうか。全体に古楽派にしては、さほど速過ぎないテンポも気に入っています。器楽の扱いの上手さも、さすがはヴァイオリンの名手です。独唱陣では、プレガルティエンのエヴァンゲリストが非常な美声で魅了します。

Johns_passion_5 アンドリュ―・パロット指揮タヴァナー・コンソート&プレイヤーズ(1990年録音/EMI盤) 1パート1人を基本とした編成を取っているのは、リフキンの学説スタイルですが、驚くほど精妙な重唱(合唱ではありません)を楽しめます。その美しさと上手さは唖然とするほどですが、この演奏は感心はするけれど、感動するかというと、また別の問題です。感心して聞いているうちに、なんだか「受難曲」を聴くと言うよりも、美しいBGMを聴いている気になります。昔居た、スウィンガル・シンガーズ、あれみたいなのです。古楽器派は精神性が乏しいという偏見(?それとも事実?)はこういう演奏から生まれてしまうのではないでしょうか。

以上の演奏の中では、何と言ってもロッチェ/トーマス教会合唱団/ゲヴァントハウス管の素晴らしさに尽きます。リヒター・ファン、古楽器ファンの方にこそ、是非とも聴いて頂きたいと思います。

もちろん、リヒター盤は非常に感動的で大切な存在ですし、ラミン盤、クイケン盤も、それぞれとても好んでいます。

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2012年3月 4日 (日)

J.S.バッハ 「マタイ受難曲」BWV244 名盤 ~人類の遺産~

Saint_thomas
ライプチッヒの聖トーマス教会

「マタイ受難曲」はバッハがライプチッヒの聖トーマス教会のカントールであった時代の聖金曜日に、この教会で初演されました。歌詞の内容は、新約聖書の「マタイによる福音書」で語られるイエスの受難物語(ただしルターによるドイツ語訳)です。物語は福音史家(エヴァンゲリスト:テノール)、イエス(バス)を中心にしたレチタティーヴォで進められ、加えてそれぞれ2群に分かれた合唱、独唱、オーケストラが、アリア、コラールを歌ってゆくという壮大な構成の楽曲です。合唱が二つに分かれているのには意味が有り、第1群は当時その場に居合わせて、事件を目撃した人々の視点から歌うことが多いグループで、第2群は現在の信徒たちの視点から歌うことが多いグループなのだそうです。

物語は1部と2部に分かれますが、1部ではイエスがユダの裏切りで囚われの身になるまで、2部ではイエスが裁判にかけられ、ゴルゴダの丘で処刑されて埋葬され、その後に天変地変が起きるまでが語られています。演奏時間は約3時間に及び、「人類の罪をあがなうための神の子の受難」というキリスト教の思想を、ドラマティックなオラトリオと化した、単にバッハの最高傑作と言うよりも、およそ考えられる人類最高の音楽遺産であるのは間違いないでしょう。たとえばワグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「パルジファル」、ベートーヴェンの「第九」、ブルックナーやマーラーの優れた交響曲、あるいは同じバッハの大作「ロ短調ミサ曲」や「ヨハネ受難曲」も有りますが、「マタイ」を超える作品だとは、中々言い切れません。

自分がこの曲に出会ったのは大学の卒業まじかに、聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団の来日公演をたまたま聴く機会が有ったからです。それまで知っていた音楽とは全く異なる凄さを感じて、大変なショックを受けました。それ以来、少なくとも自分にとって、やはり特別な音楽だと言えます。

このような作品を、いつものように愛聴盤を並べて、どうのこうのと語る気にも余りならないのですが、実際に鑑賞すれば心の中で思い、感じることはもちろん多々有ります。そんな気持ちを少しでもご理解して頂けると有り難いと思います。

19701 ルドルフ&エアハルト・マウエルスベルガー指揮聖トーマス教会&聖十字架合唱団/ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1970年録音/Berlin Classics盤) トーマス教会合唱団で「マタイ」の洗礼を受けた自分が、最初に買ったレコードはもちろんこれでした。この録音の数年後に生で聴いているので、演奏スタイルも変わりないと思います。当時ドレスデン聖十字架合唱団のカントールであった兄ルドルフと、ライプチ聖トーマス教会合唱団のカントールであった弟エアハルトが二つの合唱団を合わせて、オ―ケストラはゲヴァントハウス管弦楽団、独唱陣もエヴァンゲリストに若きシュライヤー、イエスにテオ・アダム、テノールにロッチェ、アルトにブルマイスターと層々たるソリストが顔を並べるという、正に当時の東ドイツ国家を上げて制作された録音です。演奏も、ことさらに悲劇のドラマを強調するわけではなく、むしろ底光りのするような美しさを放ちながら、淡々と慈愛に満ちて歌い進めてゆくという印象です。現代の古楽器派に多くみられる速いテンポで俊敏に進む演奏とは印象が全く異なります。それにしても、少年合唱団の歌声は本当に美しいですし、まるでドイツの教会で聴いているかのような敬虔な雰囲気は、どんなに上手いプロの合唱団でも味わうことは出来ません。当時のゲヴァントハウス管のコンサートマスター、ゲルハルト・ボッセ教授は、ここでは第2群のソロを弾いていますので、第42曲「我に返せ、わがイエスを」のヴァイオリン独奏が聴きものです。第39曲「憐れみたまえ」での第1群のソロも非常に上手く、ボッセ教授と遜色ありません。録音も柔らかく自然な響きで満足できます。

Matthaus カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団/管弦楽団(1958年録音/アルヒーフ盤) リヒターはトーマス・カントールのギュンター・ラミンらに師事しましたので、聖トーマス教会のいわば分家みたいなものです。そのトーマス教会からはラミンの後任としてカントールの要請を受けましたが、それを断って尽力したのがミュンヘンの地です。ミュンヘン・バッハ合唱団は、リヒターが自ら街頭に立ってメンバー募集のビラを配って結成したアマチュア合唱団ですので、その真摯な歌声にはプロっぽさが有りません。ですので現代の少人数の合唱ほど洗練された透明感や上手さは持ち合わせませんが、胸の奥底に響く真実味が感じられます。リヒターの演奏するカンタータには曲によって幾らか凸凹が有るように思いますが、受難曲で表現する、絶望や哀しみの痛切さ、あるいは人間の喜びの感情の表出は、ちょっと比類が無いように感じるからです。独唱陣も、エヴァンゲリストのヘフリガーやアルトのテッパーを始めとして、素晴らしい歌唱が揃います。どんなに古楽器派全盛の時代になっても、このリヒターの残した演奏の価値は変わらないと思います。

Df951ed1223a5675443f0adfd1c1cafc ウイレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1939年録音/フィリップス盤) 第二次大戦下で行われたライブの録音です。当然、音質は古めかしいですが、鑑賞に耐えないほどではありません。演奏スタイルも現在の古楽器派の演奏に慣れた耳で聞いたら、卒倒するぐらいに個性的で大時代的です。テンポは大きく揺れ動き、旋律は極端なレガートで歌われます。アリア「憐れみたまえ」での、ポルタメントを一杯にかけてすすり泣くように奏されるヴァイオリンや、終曲の合唱で途中で完全に止まってしまうかのようなテンポの動きは、ほんの一例です。けれども、この演奏には不思議な「真実味」を感じます。これは、出演者の全員が明日の命も判らない時代に、心の底から偉大な音楽に没入して演奏し、歌っているからに違いありません。これは、やはり一聴に値する演奏です。

G5424747w オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管(1960年録音/EMI盤) この演奏もメンゲルベルクほど古くはありませんが、個性的な点では並びます。全体が、本当にイエスが自ら十字架をかかえて、引き擦りながら歩くかのように遅い足取りのテンポです。その結果、この作品が極限まで巨大な威容を示されています。どこまでがバッハの偉大さか、クレンペラーの偉大さかが判らなくなるほどです。ウイルヘルム・ピッツ指揮の大編成の合唱団は絶唱するあまり、ワーグナーのようにオペラスティックに感じる場合がありますし、DFディースカウ、シュワルツコップ、ルードビッヒなどの名歌手達も同傾向の歌い方です。宗教合唱曲としては、少々イメージから外れていますが、だからこそ逆に古楽器派ファンに是非とも一聴をお勧めしたい演奏です。好きになるにしろ嫌いになるにしろ、対極に有る演奏を聴くことは作品の理解を深めるのに必ずプラスになると思うのです。

891bab7e1c76de8afc4805f85bdaf3a0 グスタフ・レオンハルト指揮ラ・プテット・バンド/合唱団(1989年録音/DHM盤) 僕は個人的には、必ずしも古楽器の演奏が好きということは有りません。オーケストラが現代楽器でベタベタと奏されるのも嫌ですが、古楽器の痩せた音は、確かに「当時のそれらしい雰囲気」は感じさせるものの、表現力に物足りなさを感じるからです。(古楽器ファンの方ごめんなさい) それでも、このレオンハルトの演奏は結構気に入って聴いています。プレガルティエンのエヴァンゲリストは非常な美声で聞かせますし、男性合唱団とテルツ少年合唱団も澄んだ歌声で魅了します。レオンハルトの指揮はそれほど速いテンポでは無く、しっかりとドイツ的なリズムの重さを感じさせてくれるのがとても良いです。時には現代楽器を聴き慣れた耳の垢を落とすのも必要だと思って聴いています。

以上の演奏は、どれもが不滅の価値を持つものだと断言できますが、個人的にはマウエルスベルガー盤をリファレンスにしています。この演奏はやはり自分のマタイ体験の原点とも言える演奏です。それに並ぶ大切な演奏がリヒター盤です。この二つはバッハの作品の偉大さと共に、「人類の遺産」と呼べると思います。もうひとつ、クレンペラー盤が色々と不満な点は有りますが、どうしても外せません。

古楽器派の演奏ではレオンハルト盤しか持っていませんので、もしも良い演奏が有ればご紹介頂けると嬉しいです。

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