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2012年2月11日 (土)

モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」ハ長調K.551 名盤 ~最高の創造神~

Jupiter

「ジュピター」という副題はモーツァルト自身が付けたわけではありませんし、誰が付けたのかも分かっていません。けれども、ローマ神話に出てくる最高の創造神(ギリシア神話ではゼウスのこと)の名前というイメージが、この曲の持つ崇高で壮大な内容にピタリと合うからでしょう。実際、三大交響曲の最後を締めくくるにこれほどふさわしい曲はありません。そしてそれはモーツァルトの全交響曲の最後でもあります。これ以降、彼が天に召されるまでの三年間に交響曲を書くことは二度とありませんでした。

この曲は基調がハ長調ということもあり、最も明快さと壮麗さを持つ作品です。その点、前作の40番とはまるで対照的な内容です。その余りに完全で立派過ぎる曲想が、どこか近寄り難さを感じてしまい、個人的にはむしろ39番や40番、あるいは38番を聴く機会のほうが多いです。とは言え、3楽章のスケール壮大なメヌエット(これが!)や、フーガの技法を駆使した終楽章での、この世のいかなるものも追いつけないかのような疾走感、さらに終結部での三重フーガの壮大さには、ただただ言葉を失います。あのリヒャルト・シュトラウスも、「ジュピター・シンフォニーは、私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたときに、私は天にいるかの思いがした」との賛辞を残しています。

それでは、僕の愛聴盤のご紹介です。

Brahms_sym1 クレメンス・クラウス指揮ブレーメン国立フィル(1952年録音/TAHARA盤) 古いライブ録音ですが、案外明快で生々しい音質です。併録されたメインのブラ1と同様に、速めのイン・テンポで颯爽と進みます。リズムは前のめりですし、下手なミスが随所に聞かれます。ところが、最近の整理された演奏とは比べものにならないニュアンスの変化と面白さが有ります。流石は往年の名人指揮者で、どこをとっても音楽に香りが漂っています。それでいて終楽章の迫力も圧巻です。

Mozart_6_symph_walterブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1959年録音/CBS盤) ニューヨークPOとのモノラル盤と比べると、別人のようにゆったりとした演奏です。エネルギー不足という指摘もありますが、僕はこのウイーン的な柔らかさを感じさせるステレオ盤が大好きです。さすがに終楽章では、テンポの遅さが少々まどろっこしく感じさせますが、ワルターの長い生涯にわたるモーツァルト演奏の最終到達点ですので、心から楽しみながら聴いています。

Cdh7649042カール・シューリヒト指揮ウイーン・フィル(1960年録音/EMI盤) ザルツブルクでのライブです。併録の「プラハ」の演奏は最高でしたが、こちらも素晴らしいです。シューリヒトのウイーンPOとのライブが聴けるのは幸せなことです。例によって速いテンポで飄々と進みますが、ここには1950年代のウイーンPOの柔らかい音がそのままで、管も弦も得も言われぬ名人芸が味わえます。終楽章のじわりじわりと高揚してゆくのも聴き応えがあります。

9528aad8eb5aa6add4cd619595c9df9fカール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1962年録音/グラモフォン盤) 流石にベーム壮年期の演奏で、速いテンポで切れ良く厳格なリズムを刻みます。ベルリンPOは上手く力強さに溢れていて圧倒されます。音像が立体的なので、あたかもギリシア神殿を見上げるようです。これは曲と演奏スタイルが見事に合致した、まれにみる幸福な組み合わせの結果だと思います。

Mozart41schurichtカール・シューリヒト指揮パリ・オペラ座管(1963年録音/DENON盤) コンサートホール・レーベル録音です。室内楽的な味わいは良いとしても、編成が小さいせいか、音に薄さを感じます。「リンツ」「プラハ」と比べても、緊張感の少なさに驚きます。終楽章のフーガはシューリヒトならではの面白さは有りますが、この曲の演奏としては、やはりウイーン・フィルとのライブ盤を取るべきだと思います。

706パブロ・カザルス指揮マールボロ音楽祭管(1967年録音/SONY盤) 1楽章は遅いですが、リズムには強い念押しが有り、一つ一つの音符に気迫がこめられています。オケの洗練されない音は、例えれば現代のビルディングではなく、人間が手で積み上げた石造りの大神殿のようです。2楽章もこれほど大きな表情で魂に訴えかけるような演奏は聴いたことが有りません。終楽章はテンポアップして炎のように燃えていて圧倒されます。これは真の大芸術家カザルスにしか成し得ない破格の演奏です。

Klempe77d オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/テスタメント盤) これはウイーン芸術週間のライブ演奏です。クレンペラーも遅いですが、更に大きいリタルダンドをかけるので余計遅く感じます。ところが大地が動くような推進力が有るので決してもたれません。これもまた「大」芸術です。こんな破格の音楽家がまだ何人も生き残っていた1960年代とは何という幸福な時代だったのでしょう。柔らかい音で目いっぱい歌うウイーンPOの魅力も絶大です。

026 ラファエル・クーベリック指揮ウイーン・フィル(1971年録音/オルフェオ盤) ザルツブルク音楽祭でのライブ演奏です。ことさらに曲の威容を強調した演奏ではありません。ウイーンPOの美音を生かしたすっきりと流れの良い演奏です。テンポも速過ぎず遅過ぎず、実に自然です。クレンペラーほどには大きく歌わせませんが、凡百のオケと比べれば充分に柔らかく歌っています。音楽を安心して楽しめるという点では最右翼の演奏かもしれません。終楽章のフーガの聴き応えも充分です。

858ヨーゼフ・クリップス指揮コンセルトへボウ管(1972年録音/DECCA盤) コンセルトへボウの柔らかく溶け合う響きも本当に美しく、正にウイーンPOと双璧です。クリップスはアクセントやフォルテをことさら強調しませんが、その品の良さが魅力です。単に平板な演奏とは次元が異なります。テンポにもゆとりが有り、心に本当に安らぎを与えてくれます。この心地よさは他の演奏ではちょっと味わえません。

435オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1974年録音/Berlin Classics盤) SKドレスデンの響きの美しさもウイーンPOとコンセルトへボウに並びます。木管もまるで「純木」でできているような古雅な音ですし、名手ゾンダーマンの叩くティンパニの音と上手さも最高です。全体のマルカートで楷書的な音の出し方は、39番と並んで曲に向いています。スウィトナーのテンポは速いインテンポで一気苛性の勢いが有りますが、優しさも充分に兼ね備えています。

Yamano_3200121246カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1976年録音/グラモフォン盤) ベルリンPOとの旧盤は非常に立派な演奏だと思いますが、改めてウイーンPOとの新盤を聴いてみると、気迫に於いて少しも負けていないことに気が付きます。音楽にゆとりが有る分、一見パワー不足に感じるかもしれませんが、それは誤りです。ギリシア神殿の上空のエーゲ海の青空を仰ぎ見るようなスケールの大きさを感じます。アナログ録音末期の完成された音作りもウイーンPOの美音を完璧に捕えています。

Suitner398オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン(1978年録音/TDK盤) 僕が聴いた厚生年金会館でのコンサートでも順に3曲が演奏されました。今こうして当夜の録音を聴き直してみると、本当に素晴らしい演奏です。かっちりとしてマルカート的なSKドレスデンに比べると、SKベルリンは音のしなやかさが魅力です。スウィトナーの指揮に大きな違いは有りませんが、やはりライブでの感興の高さが有ります。特に終楽章では当日の興奮がひしひしと蘇ります。続けてアンコールの「フィガロの結婚」序曲も聴けますが、これがまた本当に素晴らしいです。

Cla111012012ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1980年録音/SONY盤) クーベリックのモーツァルト全般に言えるのですが、極めてオーソドックスで文句の付けようのない演奏です。ところが、何か特別に印象に残る点が有るかというと考えてしまいます。音楽をありのままの姿で聴こうという場合には良いでしょうが、才気あふれる閃きを期待すると裏切られます。そんな中では、王道を行く音楽内容のこの曲には最も向いていると思います。

175 オイゲン・ヨッフム指揮ウイーン・フィル(1981年録音/Altus盤) ウイーン楽友協会大ホールでのベーム追悼演奏会のライブです。従ってベームの得意とした「ジュピター」を演奏したのでしょう。敬愛するベームを悼んでウイーンPOのメンバー達が熱演しています。ヨッフムの指揮も良いのですが、ベームの指揮と比べるとモーツァルト演奏の深みに於いては一歩及ばない印象です。逆にベームの凄さを再認識することになりました。

014レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1984年録音/グラモフォン盤) こういう曲をウイーン・フィルに演奏させれば誰が指揮しても美演になるのは確実です。にもかわらず、ベームのような含蓄の深さを誰でも出せるわけではありません。ここが指揮の難しいところです。バーンスタインの指揮は、とても立派で躍動感も有りますが、それ以上の「特別な何か」を感じさせてくれることはありません。

こうして聴き終えてマイ・フェイヴァリットを選ぶとすれば、やはりベームの2種です。特に、録音、演奏共に最高のウイーン・フィル盤を最上位にしたいです。次いでは、スウィトナーですが、ここはアンコールの「フィガロ」序曲も加えてシュターツカペレ・ベルリン盤としたいです。もう一つはクリップス/コンセルトへボウ盤にします。それと、もうひとつ決して忘れてはならないのがカザルス盤です。

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モーツァルト(交響曲)」カテゴリの記事

コメント

ハルくん こんにちは。いよいよ「ジュピター」ですね。私がもし「古今東西の交響曲の最高傑作は?」と聞かれたら、ブルッナー 第9番と シベリウス 第6番を横目に見ながら 「ジュピター!」と答えます。この曲の中には この世界の森羅万象が全て入っていて モーツァルトは 完璧なプロポーションの中に それを音化しています。 私が知っている音楽の中で これに匹敵するのは バッハの 無伴奏ヴァイオリンのための「シャコンヌ」 ぐらいしか思いつきません。クラシック音楽が達した 最高到達点のひとつだと思います。さて、好きな演奏は やはり ベーム BPOですね。まさに完璧です! あと、SP復刻の ワルター VPO がなかなか良いです。

投稿: ヨシツグカ | 2012年2月11日 (土) 14時40分

ヨシツグカさん、こんにちは。

この曲は本当に完全無欠ですね。
ただ、余りに完璧過ぎるのが、個人的にはある種のよそよそしさを感じてしまうんです。
ですので、好みから言うと、40番とか38番、39番のほうが好きかもしれません。

古今の交響曲では、ブルックナー9番、マーラー9番、ベートーヴェン9番がベスト3でしょうか。シベリウスの6番は僕も本当に大好きで、ベスト10かあるいは5を狙うぐらいです。7番も好きですけど。

投稿: ハルくん | 2012年2月11日 (土) 14時52分

ハルくん、こんにちわ

第41番ですか、この曲、私も第35番~第40番に比較して、何か、よそよそしい感じがするので、あまり聴かない曲です。と言っても、円盤は30枚以上ありますが。その中では、やはり、カザルス盤が一番でしょうか。

投稿: matsumo | 2012年2月11日 (土) 16時39分

今晩は、ハル様。相変わらず寒い日が続きます。ワルター/コロムビア盤は40番と41番がカップリングなので猫みたく丸くなって聞いています。先週、NHKBSクラシッククラブで、東京国際ヴィオラコンクールのガラコンサートが放送されていました。6人のヴィオリストの競演や女帝今井信子さんと店村真積さん…タナムラマズミさんと読むのかな?…の合奏がありの滅多に見られないコンクール風景にちょっとエキサイティング!この前、今井信子さんの噂をしたのを聞きつけたかの様なタイミングにハル様の神通力を感じましたよ♪

投稿: from Seiko | 2012年2月11日 (土) 19時21分

ジュピターは作曲史上の奇跡ですね。この曲の完璧さはある程度歳を重ねないとわからないのではないかと思ってます。

私は指揮者とかオーケストラはあまり気にならないほうで、強いて言えばテンポの好みくらいでしょうか。最近は動画でいろいろな演奏が見れるので参考になります。

月並みな選択ですが、個人的に好きな交響曲はジュピター、ベートーヴェン第9、ブラームス1番、チャイコフスキー6番あたりでしょうか。

チャイコフスキーは玄人受けしないのかもしれませんけど、やはり日本人には合っていると思いますね。誰でも白鳥の湖とか悲愴あたりからクラシックを聴きますから、幼少時から刷り込まれてるんでしょうか。ドイツ系にはない偉大さを感じます。

投稿: NY | 2012年2月11日 (土) 19時40分

この曲、私はまだカンブルランさんと読響のしか
持っていません。
なかなかモーツァルトに腰を据えられません(汗)
ハルさんの記事を読みながら、これではいかんと・・・・

でも、CD買い出しに行くときには、
いつもハルさんの記事抱えて行ってますからね。

投稿: 四季歩 | 2012年2月11日 (土) 20時43分

matsumoさん、こんばんは。

カザルスの演奏はあの人にしか成し得ないですね。あれほど強烈な印象の「ジュピター」は聴いたことが有りません。

投稿: ハルくん | 2012年2月11日 (土) 21時32分

Seikoさん、こんばんは。
毎日寒いですね。

猫のように(こたつで?)丸くなって(みかんでも食べながら?)聴くモーツァルトも風情が有っていいですね。

6人のヴィオリストの共演、凄いですね。
店村真積さんはタナムラマズミさんですよ。学生時代にこの人のリサイタルを最前列の席で聴いたことが有ります。凄いと思っていたら、いつの間にか有名になってしまいました。

投稿: ハルくん | 2012年2月11日 (土) 21時40分

NYさん、こんばんは。

「ジュピター」の完璧さは凄いです。この副題を付けた人も凄いですね。

僕はチャイコフスキーも大好きですよ。プッチーニと並ぶ、最高のメロディメーカーだと思います。「白鳥の湖」「悲愴」「ピアノ協奏曲第1番」などの美しいメロディはちょっと他の人には書けないですね。

投稿: ハルくん | 2012年2月11日 (土) 21時47分

四季歩さん、こんばんは。

モーツァルトはなにしろ曲の数が多いですから大変ですね。その分、高い山に一歩づつ登るような喜びがありますけれど。一曲づつ地道に聴いてゆきましょう。

CD購入の際のお話、大変恐縮ですが嬉しく思います。ありがとうございます。

投稿: ハルくん | 2012年2月11日 (土) 21時52分

はじめまして。
クラシック初心者で、少し前に初めてこの曲を聴いたばかりです。こんな凄い音楽に出会ってしまって驚いて、曲を調べていてこちらに辿り着きました。
ものすごい数の音源を聴いていらっしゃるんですね。それに普通についていってるみなさんのコメントにもびっくりします。
ハルくんさん、みなさんのコメントを音源を探すときの参考にさせてくださいね。
これから素晴らしい曲や演奏にたくさん出会えるかと思うとワクワクしています。

投稿: るり | 2012年2月11日 (土) 23時21分

るりさん、はじめまして。

コメントを頂きまして大変ありがとうございます。
僕もクラシックを聴き始めたころのことをよく覚えています。「名曲」と呼ばれている曲を調べて、1曲づつ聴いては毎回感動しました。当時はインターネットの無い時代でしたので、図書館の本が主な情報源です。そうしているうちに知り合ったクラシック音楽好きの友人と語リ会うのが大きな情報源にもなり、同時に大きな楽しみになったのです。今こうしてブログをしているのも、そういう音楽仲間と沢山ふれあいたいからなのです。
どんなことでも構いませんので、どうぞお気軽にコメント下さいね。楽しみにお待ちしています!

投稿: ハルくん | 2012年2月11日 (土) 23時37分

モーツァルトが9歳の時、作曲した交響曲第1番K.16を聴いたことがある方は誰もが驚いたでしょう。
第2楽章アンダンテの旋律が最後の交響曲である第41番「ジュピター」の最終楽章で見事な3重フーガになるのだから!
以上、全くの余談でした。失礼しました。

投稿: オペラファン | 2012年2月12日 (日) 23時27分

オペラファンさん、こんばんは。

そうですよね。「ジュピター」が余りに有名なので、ジュピター音型とは呼ばれますが、最初に登場したのは第1番でした。
第33番の第1楽章でも使われていますし、その他の曲でも何度も登場しますね。でも「ジュピター」ほど見事な例は無いでしょう。

投稿: ハルくん | 2012年2月12日 (日) 23時54分

ハルさん、おはようございます。

ジュピター音型の話題が出ていましたので、最近気付いたことを書きます。

ハイドンの交響曲第13番の終楽章にもジュピター音型が沢山出てきます。もしかしたら、モーツァルトはハイドンのこの楽章の音型をヒントにしたのかもしれませんね。あくまで私の妄想ですが(笑)。

最近CDで聴くジュピターは、ヴェーグ指揮カメラータ・ザルツブルク(レーベル:オルフェオ)のライヴ録音です。ヴェーグの細部にまで徹底した指示がときに煩わしく感じることもありますし、第1楽章のテンポはゆっくりした方が個人的好みに合うので、強い共感は覚えませんが、これはこれで峻厳な表現の演奏として高いレベルだと感じます。

投稿: たろう | 2012年2月13日 (月) 09時09分

こうしてみると名曲には名演が多いのだなと、当たり前のことをつくづく思ってしまいます。交響曲の傑作と言う時、自分にとっての基準で選ぶか、万人に評価される価値で選ぶのかで違うと思いますが、私にとってどちらの基準で選んでも入選の曲です。クラ吹きですが、クラのないこの曲の価値は認めざるを得ません。奥も深いが、深く考えずスポーティな快感を味わうだけでもよい。

あとは・・・趣味的に言うとブラームスの3/4番、シベリウスの5/7番あたりかしら?スコットランド、ベートーヴェンの4番、シベリウスの3/6番も大好きですが、コンパクトな曲なので「三大」を選ぶとなると躊躇します。

投稿: かげっち | 2012年2月13日 (月) 12時44分

ハルさん、こんにちは。

ジュピターは私もとても好きな曲ですが、皆さんが「どこかよそよそしい」とおっしゃるように、完璧すぎて感情移入ができない曲です。天才が書いたというより未来から来た全知全能の人が書いた曲のよう。

私にとって、クラシック音楽は、つらい時や気持ちの整理がつかないときに聴く音楽でもありますが、そういうときにモーツァルトは癒してくれそうにありません。マーラーとかシューマンあたりが、私の「傷をなめてくれる音楽」です。

うちにあるジュピターは、ベーム ウィーンフィル、マリナー アカデミーによるものだけです。実際の演奏もN響で一度聴いただけかもしれません。

ハルさんの記事を読んだ結果、次はシューリヒトを買ってみようと思いました。

投稿: 雪子 | 2012年2月13日 (月) 14時37分

ハルくんさん
ごぶさたしております。
ジュピターはやっぱり最高傑作ですね。
実は、私がクラシックを聴き始めた一番最初
がこのジュピターで、しかもベーム/ウィーンPOの演奏でした。その後、おそらく発売されたほとんどの演奏を聴きましたが、私もやはりベーム/ウィーンPOかベルリンPOの演奏が最高だと思っております。他の演奏を聴いても最後にはやはりベームに戻ってきます。
最近では、マッケラスの演奏もいいと思ってます。もし、機会があれば聴いてみて下さい。

投稿: コバ | 2012年2月13日 (月) 21時30分

たろうさん、こんばんは。

ジュピター音型はハイドンにも出てきますか。
調べてみたら、この音型の起源はグレゴリア聖歌なんだそうですね。ハイドン以外にも数えきれないぐらい多くの作曲家が使用しているそうです。その最高峰がモーツァルトだったのでしょう。

ヴェーグというと、どうしてもヴァイオリン奏者としてのイメージなのですが、晩年にはモーツァルトを中心に随分と指揮をしていますね。ほとんど聴いていませんので、聴いてみたいです。

投稿: ハルくん | 2012年2月13日 (月) 22時27分

かげっちさん、こんばんは。

この曲の完璧度から言って、交響曲の傑作に誰しもが上げない訳にはいかないでしょう。
僕ももちろん好きですが、心に自然に染み入るという基準では、やはり38番、39番、40番なんですよね。ブラームスの3/4番、シベリウスの5/7番、イイですね~。
あとはコンパクトでもシベリウスの6番も入れたいなぁ。ベートーヴェンを上げると3番、5番、6番、9番と沢山出過ぎて困ります。

投稿: ハルくん | 2012年2月13日 (月) 22時46分

雪子さん、こんばんは。

そうですね。感情移入は難しいでしょうね。「未来から来た全知全能の人が書いたような曲」です、「未来」を「宇宙」に置き換えても良さそうです。

「傷をなめてくれる音楽」としては、マーラー、シューマン、それにブラームスを上げたいですね。

シューリヒトならウイーンフィルが良いですよ。「プラハ」の方が更に出来が良いですけど。

投稿: ハルくん | 2012年2月13日 (月) 23時01分

コバさん、ご無沙汰しました。
でもお元気そうで何よりです。

ベーム/ウィーン盤かベルリン盤、正に最高ですね。僕も今回改めて聴き直してみて、そのように感じました。

お薦めのマッケラスも是非聴いてみたいですね。ありがとうございます。

投稿: ハルくん | 2012年2月13日 (月) 23時11分

41番は、この作曲家としては駄作の部類だと思う。38番を頂点として、音楽的想像力は下降曲線に入っていく。もし、この曲に感動をおぼえるとしたら、音楽そのものというよりは、それ以外のものを持ち込むことでしか達成できない。フィナーレのフーガも全盛期のモーツアルトであればもっと良く書けたはずだ。

投稿: tora | 2012年2月15日 (水) 00時11分

toraさん、こんばんは。

うーん、なるほどtoraさんらしい鋭い見方ですね。分かる様な気がするのは、僕も「霊感」というか「インスピレーション」というかは、38番の方により多く感じるからです。41番は作曲技法を駆使して出来上がったような印象です。それで、以前から必ずしも一番好きな曲とは言い難かったのかもしれません。
とは言え「究極の音の遊び」とも言えそうなこの曲は決して駄作なんかとは思いませんし、ましてやフィナーレは、これ以上のものは想像もつきません。

投稿: ハルくん | 2012年2月15日 (水) 21時16分

我々は音楽以外のもので音楽を聴いているのが現実ですからね。ある程度そういうファクターは避けられないでしょう。

ジュピターは問題なく傑作だと私は思ってますけど、ベートーヴェンの後期作品でも、それほどでもないと思える曲が高く評価されていたりします。

モーツァルトはそれほどフーガに思い入れはなかったと私は思う。ピアノ曲のフーガなんか見てるとかなり雑で、あんまり真面目に書いてないような気がします。何でも出来た人だからこそ、その傑作群には中庸をはずさない良さがあります。それが若い人にはあんまり支持されないのもある意味では当然でしょう。

投稿: NY | 2012年2月16日 (木) 06時58分

NYさん、こんばんは。

モーツァルトにしてもベートーヴェンにしても、「これは本当に傑作なのかしらん?」と首をかしげる曲は有りますね。けれども両者の得意とするジャンル、前者ならピアノ協奏曲、後者なら交響曲や弦楽四重奏曲は「傑作率」が非常に高いと思います。ジャンルを限らずに全体の傑作率が高いのは、むしろブラームスだと思っています。あの人は本当に凄いですよ。

投稿: ハルくん | 2012年2月16日 (木) 22時30分

このジュピター交響曲、正直傑作とは思えません。旋律美に乏しく、野暮ったさを感じる場面もあります。絶賛者もいる終楽章も、展開部(中間部)はダレており平板で、提示部とのコントラストや劇的迫力に欠けると思います。また教会音楽を含むモーツァルト作品全般に感じることですが、この作曲家は多声的書法があまり得意ではなく、ぎこちなさがあり満足感が得られません。K243やK387でもそう思います。ジュピター交響曲の場合はイタリア風のギャラントな旋律美や優雅さという点でも、後のベートーヴェン流の劇的表現という点でも、徹し切れずに中途半端なものにとどまっていて、何がしたかったのかよく分かりません。「神話」による先入観抜きでこの曲を聴くと、急いで継ぎはぎで作ったようにも思われます。作曲者が別人だったらこの曲が傑作として賞賛されたでしょうか。
モーツァルトのほぼ全作品の音盤を所有しており決して嫌いではないですが、この作曲家は余りにも実力以上の評価をされ過ぎていると思います。

投稿: 花鳥 | 2012年4月16日 (月) 22時39分

花鳥さん、初めまして。
コメントをどうもありがとうございます。

忌憚のないご意見、とても興味深く拝読いたしました。
僕も、コメント欄に書きました通り、この曲は最高に好きということではありません。どうも作曲技巧的に書かれた感が残るからです。それでも傑作の名に値しないとまでは思いません。終楽章は決してダレているようには感じませんし、この楽章は傑作だと思います。この時代のこの曲がもしも駄作だとすると、傑作管弦楽曲というのは他に何が有るか?考えてしまいます。
ただ、自分にとってもモーツァルトの作品には退屈な曲も多く有りますし、実力以上に評価されてると言うのも理解できます。おそらく大ファンにとってはどの曲も愛すべき作品になるからではないでしょうか。
それはそれで構わないと思いますよ。逆に、モーツァルトは嫌いだと言う人も多くいると思いますから。

宜しければ、何でもまたコメントをお願いします。楽しみにお待ちしておりますので。

投稿: ハルくん | 2012年4月16日 (月) 23時49分

ハルさん初めまして。
こちらこそご丁寧なコメント有難うございます。若干補足ですが、僕はこの曲を駄作と言うつもりではありません。上記の通り傑作とも思わないですが。モーツァルトの交響曲では21番が最も好きです。

ところで「傑作管弦楽曲というのは他に何が有るか?」と書かれている件についてです。これ、ベートーヴェンやロマン派は一切除外してのお話ですか?というのも、言うまでもないことですが世間一般的にはそれこそが同ジャンルの傑作の宝庫という認識でしょうから。
それともモーツァルトの活躍期限定のお話でしょうか。そうだという仮定の上で書きますと、僕の所感ではその時代限定でもこの41番は傑作とは思えないですね~。御存知と思いますが18世紀後半だけで少なくとも10000曲以上の交響曲が書かれたそうです。僕はモーツァルトおたくであると同時にバロック・古典の時代のおたくでもあるので、18世紀の交響曲は数百曲(正確な数は数えていません)聴いているのですが、サンプル数が増えるほど音楽史観が変わってきます。昔からモーツァルト好きとはいえ、厨房の頃からモーツァルト頌や天才神話などは胡散臭くカルトのようで信用していなかったのですが、実際にモーツァルト以外の曲も多く聴くとそれが裏付けられるんですね。当たり前のことかもしれませんが、サンプル数が30曲の人と1000曲の人とでは音楽観・音楽史観に大いに差が出てくると思います。
おっと、話し込んでごめんなさい。また機会があれば立ち寄らせて頂きます。


投稿: 花鳥 | 2012年4月18日 (水) 21時47分

花鳥さん、コメントを再びありがとうございます。

すみません、言葉足らずでした。前回「傑作管弦楽曲」と言ったのは、あくまでもモーツァルトの活躍期限定のつもりです。
ただ、モーツァルトの交響曲全体って、ピアノ協奏曲なんかと比べると必ずしも最高とは感じません。21番は良い曲だとは思いますが、35番以前ならば、むしろセレナーデとかディヴェルティメントの方が好きかもです。

たとえ神格化された話を知らずとも、協奏曲、オペラ、宗教曲など、様々なスタイルの音楽を色々と聴いていると、僕はモーツァルトの天才は、やはり揺るがないと思うのですがねぇ。

投稿: ハルくん | 2012年4月18日 (水) 22時54分

初めてですが気になったので一言。
この曲の終楽章は三重フーガですか?
ソナタ形式と見ることはできますが
楽章全体がフーガってことはないですよね。
フガート楽章とは言えるでしょうけど。

投稿: 通りがかり | 2012年5月 8日 (火) 12時40分

通りがかりさま、コメントをありがとうございます。

終楽章はれっきとしたソナタ形式です。楽章全体がフーガ形式ということではありません。正確には「フーガ技法を持つフィナーレ」ですね。従って、仰られる通り「フガート」と呼ぶべきです。
ただ、昔からこの曲は、便宜上(解りやすく?)、「フィナーレにフーガを持つ交響曲」という表現が使われたきたようです。ですので、正直それでもいいんじゃないかなぁとは思っています。

どちらにしても、誤解を招いてしまう書き方でしたので、さっそく訂正を行いました。大変貴重なご指摘を頂きましたことを心より感謝申し上げます。

投稿: ハルくん | 2012年5月 8日 (火) 21時03分

当然の前提のように「三重フーガ」
という言葉が出てきて
実は多くの人が強く疑問に思ってる
ところだと思うんですが
この曲の終楽章の三重フーガの技法って
具体的にはどの箇所を指してる
んですかねぇ?

モーツァルトが生きた古典派時代の
特徴はホモフォニー優位、
だからこの時代のフーガは
各声部、各主題の扱いが対等で独立的
なものにはなっていない
ホモフォニックなフーガが多いですよね。
バッハのフーガを聴いた後に
モーツァルトのフーガを聴くと、楽曲の
構成以前の声部処理の点でフーガ
らしくないなぁーと直感的に感じる人
も多いかもしれません。
同じ古典派でもハイドンあたりでは
よりフーガらしいフーガになってい
るのですが。

この曲の終楽章第357小節以下のコーダで、
第385小節からは見ようによっては
四重フーガと呼べないこともない
(人により三重フーガとも五重フーガ
ともいう)ですが、
どっちにしてもここは一瞬のことで
演奏時間にして1分にも満たないですから
ここだけをとって「絶妙な三重フーガ!」
と言うのはとっても???に感じる
ところです。


投稿: prunus | 2012年5月 9日 (水) 23時56分

prunusさん、コメントありがとうございます。

モーツァルトは何もフーガらしいフーガを書こうと思ったわけでは無いと思います。ソナタ形式の中で素晴らしく巨大なフーガを書いたわけですから。だから新鮮に感じられるのではないでしょうか。

終結部は一般的には「三重フーガ」と呼ばれていると受け止めています。時間的な短さも人によって感じ方が違うと思います。それがたとえ一瞬でも、印象が強烈であればそれで構わないと思うのですが。
当然のことながら異論はお有りでしょうが、この場は音楽学の場では有りませんので、どうかご容赦ください。

投稿: ハルくん | 2012年5月10日 (木) 01時13分

横からですが。
このブロクが音楽学の場でないのは事実ですけれど、「三重フーガ」の正しい意味も該当箇所もわからないまま、人の請け売りで「この曲の三重フーガの素晴らしさ」云々を語っても、知ったかぶりの中学生の妄想会話のようで、説得力がなくてちょっと失笑を誘ってしまうところもあるかなと。どうでしょうかね。

投稿: | 2012年5月10日 (木) 12時45分

名無しさま

prunusさんが、ちゃんと「357小節以下のコーダ」とお書きになられています。特に壮大で凄いのは373小節からの部分ですが、そんなことは楽譜を見ていれば誰でも分かりますので。
一般的に三重フーガと言われているので、それに従ったまでです。自分は素人ですので、色々な専門的な記述を参考、引用せずに記事を書くなどということは到底不可能です。それは、趣味でブログを書いている方であれば、ごく当たり前のことだと思っています。それを失笑されるのはご自由ですが、モーツァルトの音楽に感動して、それを多くの人に伝えたいという自分の気持ちは、心ある方ならば分かってもらえると信じています。
ただ、今後は書き方には気を付けたいと思いました。おかげで良い勉強になりました。

相当に音楽にお詳しい方だとお見受けしましたので、ホームページなどをお持ちであれば是非ご紹介ください。勉強させて頂きます。

投稿: ハルくん | 2012年5月10日 (木) 19時51分

コーダが三重フーガになっていると言われるのは後世の人が対位法の書式に多大な敬意を表した結果です。全声部が独立したフーガというのはありえず、どこかでホモフォニーに塗り込められるのは当然です。完全に厳格なフーガというものは存在せず、バッハですら作曲していません。むしろ完全でないからフーガと言うわけでしょう。対位法の程度や長さを問題にするならフゲッタと言えばいいのですが、そんなことはほとんど常識ですし、この楽章ははじめから対位法の色彩が濃いのですから通念どおり「フーガ」でいい。

この曲、人によっては駄作と思われる方もおられるようですね。それはそれとして、音楽の傑作というのは定義上、後世の多くの人に愛された曲のことですから、ジュピターは傑作でないと言っても語義が矛盾するだけです。この曲は多くの人に愛されたという意味で傑作だが様々な理由で好きではないというのならわかりますが。

所詮、趣味の問題ですから私がどうこう言う問題でもないのですけど、余裕をもって聴いていればあまり細かいことはどうでもいいような気がします。

投稿: NY | 2012年5月10日 (木) 21時06分

NYさん、とても的確なご意見を頂き有難うございます。

あのリヒャルト・シュトラウスでさえも、「ジュピター・シンフォニーは、私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたときに、私は天にいるかの思いがした」と述べているそうです。この人が音楽理論を知らない訳は無く、広い意味合いで「フーガ」と言っただけでしょう。フーガっぽい音楽を、わざわざ「フガート」とも「フゲッタ」とも言い直す必要は無いからです。

歴史を超えて愛され評価された名曲なのですから「大傑作」と呼んで間違いありません。それでも意義を唱えられる方は、こんな素人のブログでいきり立って主張されるのではなく、ご自分のブログで思う存分主張されたら良いのになぁと思ってしまいます。



投稿: ハルくん | 2012年5月11日 (金) 19時27分

猫丸さま

コメントを頂きましてありがとうございます。
ご指摘のコメントの削除理由は、その内容の正しい、誤りを語る以前の問題として、管理人である私、およびこのブログを楽しんでいる方々に対して非礼、不適切な表現が多く含まれると判断をしたからです。
ですので、貴殿のコメント、ご意見もそれを擁護されるということであれば、やはり不適切と判断をせざるを得ません。私の記事を含めて、記述内容の正確性を事細かく問うことが、必ずしも有意義であるとは思えません。ましてや攻撃的な姿勢で誹謗嘲笑が加えられていれば尚更です。ですので、これは言論統制でも何でもありません。
しょせん素人の趣味ブログです。お互いに寛容な気持ちで向き合わない限りは、楽しくはいられません。誤りを正す為の議論をするにしても、相手に対する敬意が絶対に必要です。それが私のポリシーですので、もしもご同意頂けなければ、誠に申し訳ありませんが、こちらへはご遠慮ください。

投稿: ハルくん | 2012年5月11日 (金) 23時41分

モーツァルトをよく聴く人でも、この曲は
好きでない人結構多くいます。
僕も35,36,38のが断然好き。

広い世の中、ベートーヴェンの第9を駄作と言う人もいたそうですから、さすがに英雄、運命、第9のような記念碑的大傑作と肩を並べるほどではないモーツァルト41番を駄作と言う人がいても、まあ全然不思議ではない気がしますね。

この曲で好きな盤はミンコフスキ盤です。
ピリオド楽器演奏が一つも出てこない
のは正直さびしいです(悲)。

投稿: OZ | 2012年5月16日 (水) 19時32分

OZさん、

そう言われてみれば、ピリオド楽器のオケの演奏が有りませんね。
バッハあたりでも、どちらか言うと現代楽器を好んでいますので、ハイドン、モーツァルトでは、どうも嗜好が現代楽器になってしまします。でも、一つぐらいは含めるべきでした。いつかピリオドオケの名盤特集など出来れば良いと思います。

自分は好みで言えば38,39,40ですが、41はやはり素晴らしいですよ。先行者ということを加味すれば、「英雄」「運命」には充分肩を並べると思います。「第九」はまた別格ですが。

投稿: ハルくん | 2012年5月16日 (水) 22時35分

音楽専攻者です。ブログ参加者コメント中の間違いの箇所について書きます。

フーガの書式は「各声部(少なくとも2声部以上)が独立し、相互に対位的に並流しつつ進むのであり、フーガは対位法的要素が最も純粋に発揮される楽曲である。(中略)バッハは無数のフーガを残して、『フーガの技法』では、フーガ的技法のあらゆる可能な面を悉く書き尽くしている。」(以上、音楽之友社 新音楽辞典)。
またフガートを3種の英英辞典で引くと
◎A fugal passage in a composition that is not a fugue.
◎a passage in fugal style within
another work that is not a fugue.
◎A fugal passage in a nonfugal piece, such as in the development
section of a sonata-allegro form.
とあり、いずれも「フーガではない楽曲」の中に含まれるものであることに意味のポイントがあることがおわかり頂けるでしょう。18世紀中期までは、器楽曲に「フーガ」と題される楽章があり、フーガの形式を採っていることが珍しくありませんでした。それらはフーガ楽章と呼んで差支えないものです。しかし、その後、音楽の書法や形式は大きく変化しました。18世紀末に書かれたジュピター交響曲・終楽章はフーガではなく、前述のようなフーガ楽章とは明らかに異なります。フーガ楽章とフガートを含むだけの楽章とは「少しだけ違いがあるが、ほぼ同じ物」なのではなく、その正反対、「一部にだけ共通要素はあるが、全体として見ると明らかな別物」なのです。上記の英英辞典の3つ目「ソナタ形式の急速楽章の展開部のような、フーガではない楽曲中の、フーガ的パッセージ」という定義がまさにそれを言い表しています。フーガという前時代的形式によることなく、新しくて自由な形式の下で古い技法を部分的にのみに用いることに積極的意義があったわけです。このような理解の下にフガートの指定がなされたと見られるものの一例として、ベートーヴェンのチェロ・ソナタOp.102-2の終楽章があげられます。

投稿: BACH愛好家 | 2012年6月 3日 (日) 17時30分

BACH愛好家さま

さすがに音楽をご専攻されていらっしゃるだけに、非常に詳しいご説明を頂きましてありがとうございます。

以前の記事では、正式な意味での「フーガ楽章」を論じていたわけでは無く、フーガっぽい要素を持ち、フガートを含むだけの楽章を便宜的に「偉大なるフーガ」と呼んだ訳ですので、
正直言って余りこだわる必要は感じていません。当然こんなことを書けば、異を唱えられる心配はありますが、元々音楽はただの趣味のしろうとブログですので、神経質にはなりたくないのです。とくにコメントを書くのに記述内容の誤りを指摘されるのが怖くなってしまうような雰囲気は避けたいと思っています。もちろんBACH愛好家さまのような親切丁寧な方ばかりであれば良いのですが、中には正直言って閉口する場合もあるのです。

話が外れてしまいましたが、ということで小生の記述にもいい加減な事ばかりが書かれていると思いますが、そこはどうか目をつぶってご覧になってください。

投稿: ハルくん | 2012年6月 3日 (日) 18時54分

音楽の型式に厳密な定義はできないので、時代とともに呼称が変遷したり複数の解釈が出るのは仕方のないことです。私は勢いでフーガと言ってしまい、本当は今でもそう思っているのですが、フガートでもあんまり違和感はないですよ。フゲッタというのはピアノ曲の小品に使われることが多いので、この場合はそぐわないのかもしれません。

いずれにしてもフーガの純度なんか測れないわけですし、ニュートンの古典力学を後世の人が応用しても実質は変わらないのと同じではないでしょうか。時代が下れば古典をそっくり真似ても意味がないので芸術家も学者も過去の形式の一部を拝借したり引用するのは当然と思われます。

個人的にはこの曲のコーダ以降はフーガ(様)楽章の切迫部としてとらえるのが妥当だと思います。おそらくそれも人によりけりなので、こんなこと書いてるとバッハも草葉の陰で苦笑いしてると思いますが。この話題、面白いのですが、さすがにハルくんさんもそろそろ食傷されておられますよね(笑)。

投稿: NY | 2012年6月 4日 (月) 00時33分

NYさん、こんばんは。

確かにこの話題は面白いのですけれど、いつかの投稿者の攻撃的な態度がトラウマになってしまったようです。(苦笑)

元々音学的よりも文学的な聴き方に傾いている自分にとっては、便宜的な言い方で何ら違和感は無いのですけどね。

投稿: ハルくん | 2012年6月 5日 (火) 01時07分

こんばんは、ハル様。いや~、皆さん熱く語っていらっしゃいますね。私なんぞにフーガを語らせたら「追いかけぇて、追いかけぇて、すがりつきたいのぉ」のザ・ピーナッツの恋のフーガとか「たらり~ん、鼻から牛乳~」の嘉門達夫のトッカータとフーガくらいしか語れませなんだ。ふざけるな!と怒らせてしまいそうなのでこのくらいで…。侃々諤々の意見の飛び交いも皆さんが音楽を愛するがゆえの事と思います。ジュピター交響曲は、そしてモーツァルトは、人を平常心でいられなくさせるものがあるんですね。 なんて偉そうな事言ってしまいました。

投稿: from Seiko | 2012年6月 5日 (火) 22時01分

Seikoさん、こんばんは。

ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」は名曲ですよね。エリーゼのためにを編曲した「情熱の花」も大好きでした。
嘉門達夫の「鼻から牛乳~」も懐かしいですね。

そういえば、ジュピターや40番など、モーツァルトの記事へのコメントには熱い内容が多いです。それだけ注目度が高いのでしょう。ジャイアンツと同じで、「キライ、キライも好きのうち」なのでは?

投稿: ハルくん | 2012年6月 5日 (火) 23時47分

個人的意見ですがブログをやるのに
間違いを恐れて萎縮する必要なんて
全然ないと思います。
間違いがない人なんていないんですから。

でも間違いだとわかったら素直に訂正
する姿勢が大切かなと思います。
フーガのお話では、フーガの意味を知らない
ズブの素人の方(ブログ主様とは別の方ですよ!)が自己流のデタラメ説
(というより要は単なる無理解)
に固執して、素直に訂正をしないために
相次いで突っ込みが入って
しまうのではないでしょうか。

オーソライズされた文献で
41番のフィナーレ全体をフーガと明言する
ものは、僕が見た限りで皆無ですし、
基礎知識がしっかりあれば、この楽章
をフーガと呼べないことが理解できる
はずです。この楽章をフーガと呼ぶことが
音楽界や世の中での通念であるという事実
もありません。
見る人が見れば容易にわかる初歩的間違いに
固執することは、知識レベルが低いことを
印象づけてブログのイメージを悪く
してしまうように思います。

いずれにしてもブログ主様は直接関与
されていないことですが。今後もご健闘
ください。

投稿: 通行人 | 2012年6月 6日 (水) 08時34分

通行人様

「ブログへのコメントに間違いを恐れる必要は無い」⇒同感です。
「間違いだとわかったら素直に訂正する姿勢が大切である」⇒同感です。

問題なのは、他人のコメントや間違いに対して、敬意も何もなく単に攻撃的なコメントを発する方が稀にいらっしゃることです。そういう内容の書き方は、第三者を不快にさせますし、相手の方の素直に訂正する気持ちさえも阻害しかねません。仮に内容が正しかったとしても、そのような書き方のコメントであれば頂きたくはありませんし、無い方がマシぐらいに考えてしまいます。
個人の考え、意見は尊重されるべきです。「それは間違いだ」と単に非難攻撃するのではなく、「それは間違いではないですか。自分はこのように考えますが。」というスタンスが大切です。それを忘れてしまう方がどうもおられます。

また、コメントの意図や真意を伝えることは非常に難しいとも思います。終楽章の件では、記事中の文章を繰り返しますが、

『あのリヒャルト・シュトラウスでさえも、「ジュピター・シンフォニーは、私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたときに、私は天にいるかの思いがした。」と述べています。』

シュトラウスは、この時に広い意味合いで「フーガ」と言っただけなのは明らかです。そのことに「この楽章をフーガと呼ぶのは誤りである」なんて非難をした人は当時、誰も居なかったと思います。

他人の言葉の真意を理解せずに、音楽論だけをふりかざして攻撃的な態度を取ることこそが、私の最も忌み嫌うことなのです。
という内容も言葉では中々お伝えしずらいのですが、少しでもご理解頂ければ有り難いのですが。

投稿: ハルくん | 2012年6月 6日 (水) 10時42分

R.シュトラウスの発言は、出典の明記
がないですね。なので本当に彼が
そう発言したかどうか自体が怪しい。
いわゆる伝聞情報ですから
アカデミックな世界では、証拠価値が低い
ものと見なされてしまいます。
またその発言が真実だと仮定しても、
その発言は、楽章の中のフーガ
に言及しているだけであって、
「楽章全体がフーガ形式」という内容は
一切含まれていないように考えられます。

いずれにしても攻撃的な態度はよくあり
ませんし、意地になって間違いを
訂正しない頑なな姿勢もまたよくない
ですね。

このブロクのますますの発展を願って
おります。

投稿: 通行人 | 2012年6月 6日 (水) 12時37分

最初から通読すればわかるように、誰も自説に固執などしていませんよ。文脈上何も問題ないところへ語義をめぐる発言があったのでちょっと話がそれただけのことです。

ご指摘のようなことは専門家でなくとも誰でも知っていることでして、多くの方々はそれを踏まえた発言をされているように思われます。ただ、私を含めて参加者が意見を頼んだわけでもないのにこの場で知識レベルが低いなどと評されるいわれはありませんね。なお、ブログ主様にはいつも丁寧なお返事を頂いているにもかかわらずお手数をかけて申し訳ないと思っております。

投稿: NY | 2012年6月 9日 (土) 23時41分

NYさん、申し訳ないのはこちらのほうです。
元はと言えば、自分が誤解をされるような表現の記述をしたことからヘンなつっこみが始まり、それを擁護頂いたNYさんにこそご迷惑をおかけしてしまったと思っています。

ほとんどの方は、初めからちゃんと読んで頂いて曲解はされていないと思いますのでご安心ください。

投稿: ハルくん | 2012年6月10日 (日) 00時13分

最初から通読させて頂いている者の1人です。何人かの方が既に書いているように、間違いは間違いとして正直に認めて、訂正を行うことが大切かと思います。誰もがアクセスできる公開の場で、間違いをそのままにしておくのは、読者をミスリードしかねないという意味で責任重大です。また、読者は書き手の真意までわからないのが通常ですから、書き手はそう書くつもりではなかったとしても、100と書くべきところを10と書いた場合は、やはり間違いというほかありません。真意はこうだったから間違いじゃないんだ、大した問題じゃないんだ、なんてことを言い出したら、いくらでも間違いがまかり通ってしまい、読者を惑わせる弊害も大きくなると思います。
また間違いの指摘は、内容を正しくすることに資するわけですから、非難というようなネガティブな捉え方をするべきではないと思います。間違いを正面から認め、きちんと訂正をしておくことは、ブログ全体のためになることではないでしょうか。もちろん、礼儀を弁えない口論がもっての外であることは言うまでもありませんが。

投稿: KOT | 2012年6月10日 (日) 08時01分

KOTさん、ありがとうございます。

ブログ主の立場として繰り返し発言いたしますが、この曲の終楽章全体は形式上の「フーガ」ではありません。しかし「フーガ」っぽい楽章を「偉大なるフーガ」と呼ぶことを間違いだとは決して思いません。モーツァルトがフーガ技法を応用して素晴らしい音楽を書いたということが全てです。私の「個人的な」考えはこうです。NYさんの「個人的な」お考えもそうだと思います。ですので、その言葉尻を捕えて「間違いだ」と言われるのは、正直閉口しています。

それでも、他の方がどうしてもそれを間違いだと述べたければ、敬意を忘れずに意見を述べれば良いだけです。
しかし余りにも、目くじらを立てて、やれ「間違いは正せ」だの、まして「知識レベルが低い」といった不敬な物言いが多かったので、正直閉口、食傷しているだけです。

また、しろうとブログの「個人的な」意見に全てアカデミックな裏付けが必要だとも思っていません。アカデミックな常識こそ、時代が変われば常識で亡くなる場合も有りえる。「正しい」ことの定義はそんなに単純なことではないと思います。私もそのように考えてしまう人間です。
そんなブログ主ですので、もしもお気に召さなければどうか無視なさってください。

などなどと述べましたが、先の客観的なご意見には感謝しております。

投稿: ハルくん | 2012年6月10日 (日) 10時52分

通行人さんも書いているように、間違ったことを書いた人が一向に訂正しないから度重なる注文がつくのだと思います。どうして素直に訂正して間違いを認めないのか一読者として謎ですね。間違いを押し通すことは、読者を欺くことになりますから、道徳的に見れば決して誉められる行為ではありません。

具体論を出さない限り話が平行線になりそうですので、他の人の指摘とかぶって恐縮ですが、明らかに間違っている箇所を書きましょう。
1.NYさんが仰る「全声部が独立したフーガというのはありえず」⇒ 間違いです。
フーガ論の最初の入口、フーガの定義からして間違っています。教本や音楽事典を参照下さい。また下の各サイトも参考になりますよ。http://www.panse.co.jp/lesson/pfy22.html

http://www.denen.org/gakushiki/c009.xhtml
余談ですが、バッハの曲をピアノ等で弾いた経験があれば、フーガの声部の特徴などは理屈でなく体で覚えているはずだと思います。

2.NYさんの「この楽章ははじめから対位法の色彩が濃いのですから通念どおりフーガでいい」 ⇒ 間違いです。
音楽専攻者さんが書いているように、フーガとフガートを含むだけの楽章とは別物です。フガートは、フーガではない楽曲に含まれている一部分にすぎません。日本語では曖昧さが残りますが、音楽専攻者さんが紹介してくれた英英辞典の定義はさすがに明瞭ですね。一部に共通要素があっても、山羊を便宜上、鹿と呼ぶことなどないのと同様に、フガートを含むだけの楽章を便宜上フーガと呼ぶこともないです。あるとすれば、「よくある間違い」あるいは「よくある不正確表現」ということになります。念押しですが東京書籍発行の「モーツァルト事典」(監修:海老澤敏/吉田泰輔)では、「第4楽章のフガート」「完全なフーガを形成するわけでもない」と明確にフーガとは区別しています。

また時代により語意が変化したり、多義的な語というものも一般論としては存在しますが、フーガは、そこまで多義的だったり、各人各様の意味になったり、理解が変遷しまくっているということもありません。NYさんの「時代とともに呼称が変遷したり複数の解釈が出る」は、18世紀以降に関してはあまり正しくないです。もしそうなら誰もフーガについて語り合うことも出来なくなりますから。

意固地になって間違いを正当化したり、間違いを正当化する為に捏造したウソの歴史を書くことは、読者への悪影響など全く考慮しない自己中心的な行動であって、正直なところ驚いています。

投稿: KOT | 2012年6月10日 (日) 14時59分

KOTさん、せっかく詳しくお書き頂いたのですが、この件についてはいささか食傷しております(というのも既に書きましたが)。

ブログ主である自分には「音楽定義論争」などを望む気持ちはさらさら無いのですが、音楽の知識をお持ちの方にとっては黙っていられないのでしょうね。 2.についても既に同じことを何度となく書きました。

また、KOTさんはお気づきになられないかもしれませんが、立派に他の人を「非難」していらっしゃいます。もう少し別の書き方があるはずですし、私はそれを望んでいます。

このフーガの件は、おそらく最初のボタンの掛け違えから始まっているのだと思います。ですのでこれ以上、不本意なコメントが続くようであれば、本件に関連したコメントは全て削除しようと思います。
大変に申し訳ありません。

投稿: ハルくん | 2012年6月10日 (日) 22時17分

私もブログでは、いろいろな経験をしました。
お詫びをしても、攻撃的なコメントが続き、ブログの閉鎖も考えたこともありましたが、ご常連様の暖かいホローで乗り越えることが出来ました。
今回の一連の「ジュピター」のコメントを読んで私の時と同じだなあと思ったのは、初めてコメントを書き込んだ方々の攻撃的コメントです。けっしてご常連様から火をつけていないということです。
間違いを指摘するのは間違っていませんが、けっして相手を追い込まない、そしてブロガーとしてのエチケットを守って他人様のブログを楽しみたいものです。
このハルくんのブログはたいへん得難いブログです。どうか皆さん、暖かく見守って行きましょう。

投稿: オペラファン | 2012年6月11日 (月) 23時23分

オペラファンさん、暖かいコメントを誠にありがとうございます。

何人かのコメントの中に「公共の場なのだから」という言葉が有りましたが、私は決して単なる公共の場、ましてや公開討論会などとは少しも思っていません。
ここは、音楽好きの友人が楽しく語り合う場だと思っています。ですので、仮に誰かが間違ったことを言ったとしても、あくまで友達通しの会話として、意見を交わしたいのです。
ですので、いきなり通行人や見ず知らずの人が割って入って、(本人にとっては正論の)意見を振りかざして、友人を非難する様な真似は絶対に許せません。
たとえ本当に顔を合わせたことは無くとも、ここは友人通しの集まりだと思っています。
もちろん、初めての方でも敬意を持って友好的に会話に加わられる場合には、いつでも大歓迎なのは言うまでも有りませんが。

投稿: ハルくん | 2012年6月12日 (火) 00時01分

まあ、私の記事内容などは多少どう言われてもいいのですが、無償で参加させて頂いている人様の趣味ブログなのですからTPOに合った語彙で語るのが筋でして、真面目な方が多すぎても困るのはどの分野でも同じでしょう。あまり神経質になると伏字でフ〇ガとか書く人が出ます(笑)。。。この頃は日本全体が余裕を失ってますね。言葉というのは所詮手段であって、原義でも断片でもなく文脈とTPOが大事なのではないでしょうか。

余談はさておき、このたびは反論・擁護論ともに大変興味深く拝見致しました。公開性の問題は真摯に受け止めたいと思っております。また違う機会でお話致しましょう。ブログ主様をはじめ参加者各位のご努力に改めて敬意を表する次第です。

投稿: NY | 2012年6月12日 (火) 06時58分

NYさんへ。
私の個人的意見ですが
心に余裕があれば、間違いを
正直に認めることなど朝飯前
だと思うのですけれどね。
しかも基礎レベルの間違いは
みんなが気付いてしまうので
どこに行っても誰かには
指摘されてしまいますからね。

これも私の個人的意見なので
どうか御容赦を。

場所をお借りして
ハルさんにはどうも失礼しました。

投稿: 通行人 | 2012年6月13日 (水) 08時32分

通行人さん

この件は、もう終わりにしたいのでコメントの削除も考えましたが、あえて残します。

もしも他の人に心の余裕を説かれたいのであれば、あなたが前のコメントの中で残された誹謗嘲笑の言葉に対する謝罪を先に行うべきでしょうね。
私はそのように思いますよ。

再コメントは頂かないで結構です。

投稿: ハルくん | 2012年6月13日 (水) 09時39分

ハルさん。
落ち着いて下さい。
この文章は載せなくて結構ですが
誹謗嘲笑の言葉って何ですか?
勘違いされているのでは?

投稿: 通行人 | 2012年6月13日 (水) 12時26分

通行人さん

いえ、落ち着いておりますよ。

ご質問頂いたので、一応お答えはしますけど。
以下は6月6日の貴方のコメントです。

>フーガの意味を知らないズブの素人の方(ブログ主様とは別の方ですよ!)が自己流のデタラメ説(というより要は単なる無理解)に固執して、素直に訂正をしないために

という部分ですが、非礼だとは思われませんか?まさか別の通行人さんではあるまいと思いますが・・・

投稿: ハルくん | 2012年6月13日 (水) 13時02分

ブログで一番最悪なのはブログ主以外の者どうしが、やりあうこと。こうなると、もう泥仕合。修復不能となります。
私は以前、今回と同じような状況となって消えてしまった素晴らしいブログを知っています。
ですから、たいへん心配しています。

通行人さんに言いたい。。
言いたいことが多々あるのは良くわかりますが、もう退きなさい!どこまで、泥仕合をするつもりですか?ここまで来ると、どんなご立派なご意見、知識を持っていても、もうブログ荒しですよ。
この素晴らしいブログを無茶苦茶にする気ですか?
言いたいことがあるならご自分でブログを開設して、ご自身のブログで堂々と論じるべきです。そして「通行人」と言う実体のつかめない無責任な名前を変更してです。それが真のブロガーと言うものだと信じています。
私は、もう我慢が出来ません。

投稿: オペラファン | 2012年6月13日 (水) 17時50分

オペラファンさん、Seikoさん、暖かい声援には本当に感謝しています。
正直、嫌になることもありましたが、そんな時に大きな支えとなり、力となるのは皆さんの声援です。
楽しく和気あいあいと語り合える雰囲気を取り戻せるように、気を取り直して頑張りたいと思います。
どうもありがとうございました!

投稿: ハルくん | 2012年6月13日 (水) 21時02分

もしそれを非礼と仰るのであれば
それ以上に非礼な言葉を
ハルさんも含めてその他
の方も発しておられると思いますが
如何でしょう?
またそもそもNYさんはプロなのですか。
とてもそうは思えなかったので
そう書きました。素人を素人と呼んで
何が非礼なのかわかりません。
本筋とは無関係な話題ですからこの件は
これ以上は控えます。

ブログも人それぞれなのは当然ですが
間違い1つを認めるだけでここまで
自己弁護に徹してこじれるブログは
初めて見ました。加えて、
公平な運用がなされているか極めて疑問が
あります。間違いを擁護するコメント
は放任され、間違いを指摘するコメント
は削除するぞと言われる。この違いは
何なのでしょう?
今後の発展の為には、改善点もあるのでは
という感想を持ちました。
失礼します。

投稿: 通行人 | 2012年6月14日 (木) 08時30分

通行人さん

前回も同じことを書きましたが、私は公開討論会の司会者でも審判でもありません。
日常から会話を楽しんでいるお友達と、非礼な言動で名前も知らぬ通りすがりの方を公平に扱えというほうが無理です。

誰が非礼で、誰がそうでないかは、一連のコメントを読まれれば多くの方はお分かりになるものと思います。ですので貴方の今回のコメントはそのまま残しておきます。

投稿: ハルくん | 2012年6月14日 (木) 09時45分

皆様へ

当記事に関わるコメントで多くの方に不快な思いをさせてしまいましたことを深くお詫び申し上げます。元はといえば私の生半可な知識による曖昧な記事内容が発端ですので、大いに反省をしています。
とはいえ、私は音楽のプロでも何でもありません。コメントを頂くお友達もみな同じだと思います。ですので礼節を欠いてまで、何が何でも自論、正論を押し通そうという態度は決して歓迎できるものではありません。これはブログ主としてのポリシーです。
異論をお持ちの方もおられるでしょうが、このような素人ブログなどはどうか無視なさり通り過ぎてください。

この件に関するコメントは、今後、擁護論、反論のどちらもすべて削除致します。(いつもの楽しい会話内容であればもちろん構いませんよ)
どうかご了承お願い致します。

投稿: ブログ主(ハルくん) | 2012年6月14日 (木) 10時06分

ご無沙汰しております。最近のハルサイ、ペトルーシカの貴記事では、C・デイヴィス盤をこよなく愛する私としては「我が意を得たり」と夜中に一人にたにたしておりました。
本題のジュピターですが、最近購入しましたヴァンデルノート&パリ音楽院管弦楽団の演奏が大変素晴らしいものでした。全曲をとおしてのテンポ設定が絶妙で、且つ特に両端楽章の活き活きとした躍動感はこれまで聴いたどの演奏よりも好みにぴったりとはまりました。
キンキンとした録音(もしくはマスタリング)が残念ではありますが、それを差し引いても今の私にとってのFavoriteです。

投稿: kenken | 2012年10月15日 (月) 23時35分

kenkenさん、こんにちは。

Cディヴィスの春祭、ぺトルーシュカは本当に素晴らしいですものね。ファンが多いというのも改めて認識しました。

ヴァンデルノート/パリ音楽院管のモーツァルトというと、どうしてもハイドシェックとのPコンでの素晴らしい演奏を思い起こします。K488など最高でした。
シンフォニーの演奏も興味はありましたが未聴です。非常に良さそうですね。
EMIのリマスターは高域がキンキンするものが多く閉口しますね。元の録音が明瞭でないので音をいじるのでしょうが、まったく逆効果です。レコード会社には音のわからないエンジニア(プロデューサー?)が多くて困ります。

投稿: ハルくん | 2012年10月16日 (火) 12時40分

一般的にいってモーツアルトの音楽にはムシズが走る私であるが、ジュピターだけは別。この曲をすべての交響曲の頂点に立つかと思うぐらいに、高く評価している。(張り合えるのは、フーガの技法とか弦チェレとか、あるいはオケゲムのレクイエムとか、ごく限られた音楽となろう。)

子供時分にこの曲を最初聞いた時、全然楽しめなかった。滑稽感があったり旋律美を感じなかったりで、例えば運命とかチャイコフスキーの5番のほうがはるかに優れていると感じられたのである。今思うととんでもないとしか言えない。

この一見「いつものモーツアルトと同じ」「普通のロココスタイルの音と同じ」ように聞こえるジュピターが、それなのになぜ偉大なのだろうか。それはハ長調の主和音を連ねただけの冒頭にある。これが運命主題のような、或いは隠れた対旋律のような効果を発揮している。対位法出ない部分も「実は対位法」であるかのように響くというような。あるいはすべての音が冒頭主題から生み出されたかのような。

主和音がすべての音と協和するのは当然なのだが、それをあえて用いえたのはものすごい。しかも運命主題がある特定の感情を表しているのに、この曲の場合は「すべて」を表している。

そしてあのフーガが来る。「第1楽章からメヌエットまでにもこのテーマは伏線として隠されている」のである。

すべての音がなっているそれだけで存在するのではなく、立体的に構築され、「記憶にある音」と交響・対位する。単に理屈だけでなく、それを効果として実感させてくれる。誠に驚異的な作品である。

投稿: gkrsnama | 2013年9月12日 (木) 03時32分

gkrsnamaさん

自分はモーツァルトの音楽にムシズが走るなんてことは有りませんが、この作品は彼の生んだ数々の傑作中の傑作だと思っています。とりわけ終楽章の素晴らしさは正に奇跡。
モーツァルトの存在自体が奇跡ですので、奇跡が奇跡を生んでも不思議は無いのですが。

投稿: ハルくん | 2013年9月12日 (木) 23時12分

こんばんは。

今日はアマオケでこの曲を聴きました。
といっても、指揮とチェロ独奏(シューマンの協奏曲)が
プロのチェリストの花崎薫氏です。
http://cello-cafe.com/artist/hanazakikaoru-2/

残念ながら田舎(「ここ破綻するんじゃないの」とご婦人方々が)
の残響の無いホールで、ソロの粗が目立ちましたが
演奏自体は実に素晴らしかったです。
特に終楽章の高揚は恍惚感すら覚えました。

「モーツァルトってやはりいいな」と思えた素敵な一日でした
(もちろん、シューマンも良かったです)。

12/3にもまたこの曲を聴く予定です。

投稿: 影の王子 | 2016年11月13日 (日) 21時01分

影の王子さん、こんにちは。

ジュピターはやはり終楽章が素晴らしいです。
その素晴らしさがそのまま感じられたのは、本当に良い演奏だったからでしょうね。
秋はジュピター三昧ですか!
また良い演奏をお聴きになれるとイイですね!

投稿: ハルくん | 2016年11月14日 (月) 12時52分

こんばんは。

ワルター&コロムビア響、「しなやかな歌」が魅力です。
この曲の立体感や厳しさは不足してますが
心に染みわたるものが確かにあります。

ワルターの演奏ですが、全般的にコロムビア響とのステレオ録音
の方がモノラル録音の数々より僕は好きです。
単なる録音の優位性ではなくて、ワルターの魅力の「しなやかな歌」
はステレオ録音の方がより伝わってきます。

コロムビア響とのステレオ録音
正規のソニーから音質改善して全て網羅して出て欲しいです。

投稿: 影の王子 | 2017年3月11日 (土) 00時00分

影の王子さん、こんにちは。

ワルターはよくモノラル録音時代のほうが生命力があるので良いということが言われますが、どうもアメリカ的で潤いを感じませんね。
その点、ステレオ録音時代には活力は減衰しましたがヨーロッパ的な潤いやゆとり、しなやかさを感じます。
当然好みの問題ですが、僕も総じてステレオ時代が好きですよ。
もっともモノラル時代でもウイーンフィルを指揮した演奏はもちろんこの限りではありません。あくまでアメリカのオケを指揮した場合ですね。

投稿: ハルくん | 2017年3月13日 (月) 15時01分

ワルター・コロムビア響の話があったので、最近経験したことを少しだけ。ジュピターではなかったのですが、最晩年のステレオ録音の交響曲(すみません、何だったかすぐに出てきません。)をカナダプレスのLPで聴きました。ビックリしました。今まで思っていたワルターの印象が全く吹っ飛んでしまいました。最晩年のはずなのに、生き生きとしていてむしろ元気すぎるくらい、全然好々爺ではないのです。
たぶん、皆さん必ず通過する、フルトベングラー、トスカニーニ、ワルターの比較で多くの方がたが共通で認識しているであろうワルターの音楽が、根底から覆されました。
他の楽曲でもCDのリマスタリングの話題がありますが、Vinyl派ではプレスの違いも大きな話題のひとつです。

トロント出身のグレングールドは録音で演奏を残すことに決めたわけですが、トロントでプレスされた彼の演奏が彼のそもそもの姿だとすると、そして今手元にあるアメリカプレスの彼の演奏が実はかなり違うものだとすると。。。
まずはカナダプレスの彼のLPを探すことから始めます。

(すみません、ジュピターとは関係ない話になってしまったので、移動させるなり削除するなりしていただいて構いません。ゴメンナサイ。)

投稿: のりのり | 2017年3月15日 (水) 02時53分

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