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2011年10月

2011年10月28日 (金)

モーツァルト ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」ニ長調K.537 名盤

モーツァルトのピアノ協奏曲特集も、残すところ2曲となりました。今回は最後から2番目の、第26番「戴冠式」K537です。この副題が付いたのは、神聖ローマ皇帝レオポルド2世の戴冠式の祝典がフランクフルトで開かれた際に、モーツァルト自身が演奏を行った曲だからです。けれども、この頃は既にウイーンの聴衆の好みに合う曲を書かなくなったため、予約音楽会にも客が集まらずに収入に困っていて、フランクフルトへ行くのにも借金をして工面したそうです。

元々この曲は戴冠式の為に書かれた曲では有りません。前作の第25番で、ウイーンの聴衆が喜ぶような音楽に再び戻ろうとしたモーツァルトが、同じ意図で書いた曲です。ところが時すでに遅し、予約演奏会に客は全く集まらなかった為に、新曲の演奏機会が無かったのです。

そういう作曲の背景から、この曲は第20番以降の作品ではとても明るく分り易い、言うなればウイーンの聴衆にも理解できるような曲になりました。従って、かつては頻繁に演奏される人気曲でした。もちろん現在でもポピュラーですが、他の充実した曲の人気が高まるのにつれて、徐々に地盤沈下しているようです。それは例えば、モーツァルトの愛好家でもあるアインシュタインが、「この曲は単純で分り易過ぎて、モーツァルトの真の魅力を半分も伝えていない」と評していることからも伺い知れます。

この曲がそういう評価を受けてしまうのは、曲想のみでなく楽譜の不備にも起因しています。というのも、この曲は、楽譜の上で未完成の作品なのです。多くの部分で音符が右手パートしか書かれてなく、左手部分が欠落しています。モーツァルトにとっては、左手は演奏会のその場でたやすく即興演奏ができたからでしょう。ブライトコプフ社の「旧全集」では、後世の人間が加筆した楽譜で出版をしましたが、「モーツァルト新全集」では、加筆部分は省かれて、極力元の楽譜に戻されました。

そういう「未完成協奏曲」であるにもかかわらず、この曲はやはり天才の手による名作だと思います。たとえ「真の魅力の半分」だとしても、凡才の完成作の魅力を遥かに上回るからです。

第1楽章アレグロは、いかにも戴冠式の祝典に似合うような優雅で華やかな音楽です。まるで、第20番以前の曲の様です。主題は非常にチャーミングですし、聴き手の心を不安に陥らせるような転調は行ないません。

第2楽章ラルゲットは、淡々とした随分と単純な曲ですが、モーツァルトはこういう曲でもとても魅力を感じさせます。

第3楽章アレグレットは、ロンド形式です。この楽章もシンプルですが、愉しさに満ち溢れています。もしも第20番以降に、こういう曲を書き続けていたら、ウイーンでの人気も衰えずに済んでいたことでしょう。けれども、それでは後世の人達が聴くことが出来る真の名曲が減ってしまうわけですから、芸術家の創作活動というのは難しいものですね。

それでは、僕の愛聴盤をご紹介します。

Casad_00ロベール・カザドシュ独奏、セル指揮コロムビア響(1962年録音/CBS盤) イン・テンポで余計な表情づけをしていません。カザドシュのピアノもセルの伴奏も一つ一つの音符を本当に忠実に再現しています。およそ不純物の混ざらない清潔な印象です。かといって四角四面で面白くない演奏ではありません。カザドシュは宝石のように粒立ちの良い音で清々しさを感じさせます。過剰にロマンティックな演奏が苦手な人には最高なのではないでしょうか。

C0852659 リリー・クラウス独奏、サイモン指揮ウイーン音楽祭管(1965年録音/SONY盤) モーツァルトを得意とするクラウスは、女流ですが男性よりもずっと力強い演奏をします。と言っても、無神経で雑なのではありません。女々しくないだけです。彼女は「機械的」とか「神経質」とは無縁の人間的な温かい肌触りを感じる音を出すので好きです。2楽章の淡々とした中にも、ぐんぐん惹きつけられるような魅力は凄いです。3楽章の毅然としていて立派な演奏も素晴らしいです。オーケストラの質は最上とは言えませんが、音楽の良さは充分に出ています。

671ゲザ・アンダ独奏/指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム室内管(1965年録音/グラモフォン盤) 全集盤からの演奏です。1楽章は速めのテンポで非常に躍動感を感じます。但しその分、優雅さはやや欠ける気がします。アンダのピアノはこの曲でも硬質の音で力強く明瞭で素晴らしいです。2楽章は淡々とというよりも、弾むように前へと進むようです。3楽章は速いテンポが曲想にピッタリで、聴いていて本当に愉しいです。

2edebf2ef962870ed7a190d588ced904 ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、イギリス室内管(1974年録音/EMI盤) EMIの全集盤に含まれています。1楽章のテンポはゆったり気味で、立派さと優雅さを上手く出しています。ピアノの音の粒の明瞭さは普通という感じです。2楽章はとても遅く濃厚なロマンティックさです。3楽章も1楽章と同様に、堂々と立派で優雅さも感じさせます。時折見せる効果的なルバートにもうっとりと酔わせられます。

Fi2546314_0e アンネローゼ・ シュミット独奏、マズア指揮ドレスデン・フィル(1974年録音/独edel盤) 全集盤からの演奏です。1楽章は速めのイン・テンポで進みますが、安定感が有るのはさすがにドイツ流です。曲の持つロマン的な雰囲気よりは、古典的な造形性を強く感じさせます。ですのでこの曲の持つ、感情の激しさを求めると肩透かしをくらいます。2楽章も速いテンポで、あっさりとすり抜けます。3楽章も1楽章と同様に余り悲劇的な雰囲気を感じさせないので、少々物足りなさを覚えてしまいます。

Vcm_s_kf_repr_615x846 マレイ・ペライア独奏/イギリス室内管(1983年録音/SONY盤)  ペライアのモーツァルトは僅かしか聴いていませんが、この演奏は実に美しいです。ピアノの粒が非常に整っているのと、フレージングがとても自然です。こと美しさにかけては一番かもしれません。特に弱音で静かにゆっくりと弾く2楽章は、まるで夢を見ているようです。但し、全体的に強音のアタックにまで抑制がかかっているので、幾らか物足りなさを感じないでも有りません。

31sa8psmmzl__sl500_aa300_ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、ベルリン・フィル(1989年録音/TELDEC盤) ピアノに関してはEMIの旧盤に比べて音の粒立ちや細かい表情が良くなっている気はしますが、大きな違いは感じません。印象が異なるのはオーケストラの響きです。シンフォニーのように厚い音で壮麗に鳴っています。ですので堂々とした1楽章などは益々立派に聞こえます。25番やこの曲のように華やかな曲では、ベルリン・フィルとの新盤のほうが優るように思います。

4109031243_2 エリック・ハイドシェック独奏、グラーフ指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管(1992年録音/VICTOR盤) ハイドシェックの最大の魅力は、自由自在、天衣無縫の演奏にあります。若いころは、幾らか未消化な部分が有っとしても、頭で考え過ぎずに本能で自然に弾いていました。それに対して、この演奏は、魔法のような表情の変化を聴かせて実に愉しめるものの、少々作為を感じさせます。これには好みが分かれるのではないでしょうか。

以上の中のマイ・フェイヴァリットはというと、カザドシュ盤、ペライア盤、バレンボイム/ベルリン・フィル盤ですが、リリー・クラウス盤にも惹かれます。

さて、次回は特集の最終回、第27番K595です。他のどの曲とも異なる孤高の名曲を、じっくりと聴き直しながら記事を書きたいと思っています。

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2011年10月21日 (金)

モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503 名盤

モーツァルトのピアノ協奏曲の第20番以降の曲は、どれもが大変な傑作ですが、その中で一番地味で目立たない曲と言えば、この第25番でしょう。前作の第24番がハ短調であれほど悲劇的な曲想だったのに、この曲は一転してハ長調の華麗で明るい曲想です。それにもかかわらず目立たないのは何故でしょう。とても美しい曲なのですが、ほかの曲のような霊感に少々乏しいからでしょうか。確かに第20番以前の曲でも、ずっと霊感を感じさせる曲は多く有りました。それに何しろ、この曲の直後には、あの傑作交響曲の第38番「プラハ」を書いているのですから、その落差は感じてしまいます。

この曲は恐らく、第20番以降の難しい曲で、ウイーンの聴衆からそっぽを向かれた反動から、それ以前の華やかで分り易い音楽に戻そうと試みたのではないかと思います。その曖昧な立ち位置が、この曲を何となくとりとめの無い作品にしてしまった気がします。とは言いながらも、この曲がとても美しく立派な音楽に仕立てられているのは、天才モーツァルトの円熟した匠の業です。ところで、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番も同じハ長調ですが、1楽章の第2主題がどことなく似ている気がします。

第1楽章アレグロ・マエストーソは、力強く立派で華麗な音楽です。但し演奏によっては、確かにとりとめが無い曲に聞こえてしまいます。

第2楽章アンダンテは、ゆったりとした明るく美しい音楽です。にもかかわらず、ここにはどうも「何か」が足りないように思えてしまいます。

第3楽章アレグレットはロンド形式ですが、僕はこの楽章は大変好きです。まるでオペラを観ている時のように、心がうきうきと愉しくなるからです。

それでは、僕の愛聴盤をご紹介します。

25_27 エリック・ハイドシェック独奏、ヴァンデルノート指揮パリ音楽院管(1962年録音/EMI盤) 1楽章は速いテンポで、まずオーケストラの壮麗な響きに惹きつけられます。ハイドシェックのピアノは登場するや、自由自在に駆け回る印象です。若いころのこの人は、天衣無縫で本当に素晴らしいです。2楽章も美しいですが、3楽章の愉しさは正に最高で、この曲がやはり素晴らしい傑作なのではないかと思えてしまうほどです。

671ゲザ・アンダ独奏/指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム室内管(1968年録音/グラモフォン盤) 全集盤からの演奏です。この1楽章もハイドシェック盤並みに快速です。やはり、このほうが楽しく感じます。アンダはこの速さでも音の粒立ちが良いのには感心します。2楽章も速めで音楽の流れが良いです。3楽章では更に加速していて実に爽快なのですが、これでは少々速過ぎで愉悦感は逆に薄れるかなという気もします。

Fi2546314_0e アンネローゼ・ シュミット独奏、マズア指揮ドレスデン・フィル(1973年録音/独edel盤) 全集盤からの演奏です。1楽章は速めで躍動感が有って良いです。マズアの率いるオケの響きも非常に美しいです。シュミットのピアノもオーソドックスで面白みこそ有りませんが、曲の良さは充分出していると思います。2楽章も実に美しいです。3楽章はしっとりと落ち着いていますが、音楽は良く流れていて決してもたれません。

2edebf2ef962870ed7a190d588ced904ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、イギリス室内管弦楽団(1974年録音/EMI盤) EMIの全集盤に含まれています。1楽章を速いテンポにするのは我が意を得たりです。やはり、この方がこの曲は楽しめます。それでいて、かしこにロマンの香りがプンプンするのは、この人ならではです。2楽章ではゆったりと更にロマンの雰囲気を感じさせます。3楽章は軽快ですが速過ぎずに、理想的なテンポに思えます。そして演奏の自由自在さが益々この曲の愉悦感を高めます。

Hmv_3637652 フリードリッヒ・グルダ独奏、アバド指揮ウイーン・フィル(1975年録音/グラモフォン盤) アバドは1楽章を遅めのテンポで堂々と立派に演奏しようとしていますが、逆に音楽が重くもたれる結果となり、余り楽しくありません。それはウイーン・フィルの典雅な音をもってしてもカバー仕切れないようです。2楽章もオケの音が美しい割には余り酔うことができません。3楽章のテンポもゆったり気味ですが、ここではグルダの美しく瑞々しいピアノに弾きつけられます。

Mozart_serkin ルドルフ・ゼルキン独奏、アバド指揮ロンドン響(1981年録音/グラモフォン盤) これもまた、アバドの指揮ですが、1楽章の遅いテンポはゼルキンの要求でもあるでしょう。始めは止まりそうなぐらい遅く感じます。ところがゼルキンは音符ひとつひとつを本当に慈しむように弾いてゆくので、いつの間にか惹きつけられてしまいます。2楽章も遅いですが、グルダ盤よりももたれません。白眉は3楽章で、非常に遅いテンポでとうとう最後まで乗り切ってしまうどころか、独特のたおやかさを感じさせるのが魅力的です。

31sa8psmmzl__sl500_aa300__2ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、ベルリン・フィル(1988年録音/TELDEC盤) EMI盤から20年後の新盤です。ベルリン・フィルの壮麗でシンフォニックな響きはこの曲にピッタリという印象です。バレンボイムのピアノも旧盤よりも弾きこんだ印象で輝きを増しています。2楽章はロマンティックでピアノもオケも非常に美しいです。3楽章も歯切れの良さと優美さが両立していて素晴らしいです。聴いていて胸いっぱいに愉しさが溢れてきます。 

Michelangeli20 アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ独奏、ガーベン指揮北ドイツ放送響(1989年録音/グラモフォン盤) これはライブですが、録音は優秀です。ミケランジェリはかつての鋭い切れ味は衰えたものの、透明感のある音と繊細なタッチは失っていません。ことさらに立派にしようという力みを感じることもなく、ゆったりしたテンポで音楽を慈しむかのようです。北ドイツ放送響の響きは落ち着いていてピアノと合っています。

以上の中のマイ・フェヴァリット盤はといえば、何と言ってもハイドシェックのEMI盤ですが、もうひとつバレンボイム/ベルリン・フィル盤も上げたいです。

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2011年10月16日 (日)

モーツァルト ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491 名盤

第22番、23番に続く第24番も同じ年の作品です。けれども曲想はがらりと変わります。モーツァルトのピアノ協奏曲の中で短調の曲はわずかに2曲ですが、ひとつはあの第20番K466。もうひとつがこの曲です。どちらの曲も同じように暗くデモーニッシュな雰囲気ですが、感情をストレートに吐露する点で第24番は第20番以上です。

この曲は調性がハ短調ですが、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番が同じハ短調です。ですので、この2曲には何となく同じ香りを感じます。おそらくベートーヴェンはモーツァルトのこの曲に深い共感を覚えていたに違いありません。

この曲は、モーツァルトが予約演奏会のために書いた最後の曲になりました。自分の書きたい音楽をあからさまに表現してしまったために、耳触りがよく、明るく社交的な音楽を望むウイーンの聴衆からはこれで完全に見放されることになります。そういう点でも、この曲は孤高で悲壮感に溢れる音楽です。

第1楽章アレグロは、暗くものものしく始まったあとに、感情が激しく爆発する楽章です。ウイーンの聴衆はさぞかし驚いたことでしょう。ロマン派を先取りするような音楽は、ベートーヴェンが手をつける前からモーツァルトによって成されていたのです。

第2楽章ラルゲットは、第20番の第2楽章と共通するような、穏やかで優しい静寂に包まれた音楽です。木管楽器がピアノと何と美しく寄り添ったり離れたりすることでしょう。

第3楽章アレグレットは、主題に8つの変奏曲が続きます。1楽章と同じように、哀しみの感情が激しく爆発しますが、この曲ではとうとう20番のように明るく終えることも出来ずに、悲劇的なままに曲を閉じます。

おそらく、「モーツァルトの音楽は綺麗だけれども、どうも聴き応えに不足する」と感じておられる方にとっては、この第24番は第20番と同じように受け入れられるはずです。ちなみに自分の場合は、第23番や27番を更に好んではいますが、もちろんこの曲にも効し難い魅力を感じています。

それでは、僕の愛聴盤をご紹介してゆきます。

Img_232134_8126049_0クララ・ハスキル独奏、マルケヴィチ指揮コンセール・ラムルー管(1960年録音/フィリップス盤) ハスキル最後の録音であり、第20番とカップリングの定番ディスクです。最新リマスターではハスキルのピアノの音がとても美しく嬉しいです。しかもタッチが非常に力強いのにも驚かされます。一つ一つの音符やスケールの全てが大切に意味深く扱われているのにもつくづく感心します。2楽章の深い哀しみの情感はどうでしょう。マルケヴィチの指揮は非常に激しくデモーニッシュなものですが、打楽器が強硬され過ぎに感じます。 

41h5p5kghfl__sl500_aa300_ウイルヘルム・ケンプ独奏、ライトナー指揮バンベルク響(1960年録音/グラモフォン盤) ライトナーの指揮するオケのほの暗く美しい響きに驚きます。リズムに切れも有ります。ケンプのピアノは、おおらかな印象で、取り立てて深刻ぶらないのに味わいが有ります。ベートーヴェンでは音にひ弱さを感じるケンプですが、モーツァルトではフォルテが強過ぎずに丁度良いです。イン・テンポで弾いているのに少しも機械的に感じないのもさすがです。2楽章は淡々としていますが、自然にじみ出るような哀しみの情感を感じます。但し、3楽章は更にデモーニッシュな雰囲気が欲しいところです。録音はこの時代にしては優秀です。

Casad_00ロベール・カザドシュ独奏、セル指揮クリーヴランド管(1961年録音/CBS盤) 冒頭、セルの威厳のある指揮に惹きつけられます。響きが美しく、フレージングやアクセントに多彩な表情がつけられていて感心します。カザドシュのピアノは淡々としていますが、決して無味乾燥なわけでは無く、とても美しい演奏です。但し、ピアノの録音がこもりがちでパリッとしないのが欠点です。せっかくの珠を転がすようなタッチが魅力半減です。

671ゲザ・アンダ独奏/指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム室内管(1966年録音/グラモフォン盤) 全集盤からの演奏です。1楽章は速めのテンポで切迫感を感じます。この曲にしてはいくらかオケの響きに薄さを感じないでもありませんが、デモーニッシュな雰囲気で悪くありません。アンダのピアノは硬質の音で力強く素晴らしいです。2楽章では大きめの音であっけらかんと弾いているようでいて、不思議と美しい情感を感じさせます。3楽章も1楽章と同様の表現で良いです。

932 パウル・バドゥラ=スコダ独奏/指揮、プラハ室内管(1970年録音/スプラフォン盤) バドゥラ=スコダ教授の弾き振りです。いかにもウイーン正統派のスタイルという印象です。ドイツ流ほど厳格では無く、フランス流ほど自由さは有りません。音符やフレーズの処理がきっちりしていても窮屈にならないのが良いです。3楽章は速めで歯切れの良さが有ります。全体的に端正なピアノですが、とても美しさを感じます。こういう演奏だったら当時のウイーンの聴衆にも受け入れられたんじゃないかと思います。

2edebf2ef962870ed7a190d588ced904ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、イギリス室内管(1971年録音/EMI盤) EMIの全集盤に含まれています。まず冒頭のオケの濃厚でロマンティックな表情に圧倒されます。フォルテの音は激しくデモーニッシュさを感じさせます。こういう指揮が出来たら指揮者に転向して当然ですね。ピアノのタッチも重すぎず、自由自在さが有って、僕には理想のモーツァルトの音に聞こえます。2楽章もたっぷりとロマンティックに酔わせてくれます。3楽章も素晴らしく、力強いピアノとオケが最高です。それでいて音が少しも固くなりません。この演奏は、全集の中でも第22番と並ぶ名演だと思います。

Fi2546314_0e アンネローゼ・ シュミット独奏、マズア指揮ドレスデン・フィル(1972年録音/独edel盤) 全集盤からの演奏です。1楽章は速めのイン・テンポで進みますが、安定感が有るのはさすがにドイツ流です。曲の持つロマン的な雰囲気よりは、古典的な造形性を強く感じさせます。ですのでこの曲の持つ、感情の激しさを求めると肩透かしをくらいます。2楽章も速いテンポで、あっさりとすり抜けます。3楽章も1楽章と同様に余り悲劇的な雰囲気を感じさせないので、少々物足りなさを覚えてしまいます。

Mozart_serkin ルドルフ・ゼルキン独奏、アバド指揮ロンドン響(1981年録音/グラモフォン盤) ゼルキン&アバドの選集に含まれています。この曲でもやはり遅いテンポのゼルキンにアバドがしっかりと合わせています。1楽章では両者とも感情の爆発がかなり抑制されている印象で、その代わりに深い哀しみの表情が心に浸みこんできます。2楽章は意外にテンポの微妙な揺れや間が有るので、淡々とした感じは受けません。3楽章ではゼルキンのピアノが俄然力強さを押し出してベートーヴェンさながらです。スケールの大きさがユニークです。

31sa8psmmzl__sl500_aa300_ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、ベルリン・フィル(1988年録音/TELDEC盤) まずは冒頭のオーケストラの迫力に圧倒されます。まるでシンフォニーのようです。いや、以上かも。ピアノももちろん頑張っていますが、自分の指揮するオケに対して分が悪いというのは皮肉です。全体にEMI盤と同じように大変ロマンティックな演奏で聴きごたえが有りますが、個人的にはピアノとオケのバランスが取れたEMI盤のほうが、聴いていて自然に惹き込まれます。

4109031243_2 エリック・ハイドシェック独奏、グラーフ指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管(1992年録音/VICTOR盤) ハイドシェックは若い時代にこの曲のモノラル録音を残していますが、聴いたことはありません。ですので、時を経て新しい演奏を聴くことができたのは嬉しいです。昔と比べると表情づけがずっと濃厚になりました。ただし個人的には、たとえ未熟な部分は有っても、ひたすら感性で天衣無縫に弾いていた若い時代の演奏のほうを好みます。それに、美しかったタッチも少々衰えを感じます。オーケストラが第一級とは言えないのも残念です。

ということで、以上の中のマイ・フェイヴァリット盤はというと、ピアノとオケの両方が素晴らしいバレンボイムのEMI盤です。そしてピアノだけならハスキル盤も大好きです。

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モーツァルト ピアノ協奏曲第24、21、17、12番 ポリーニ/ウイーン・フィル盤

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2011年10月15日 (土)

ヤノフスキ/ベルリン放送交響楽団 2011日本公演 ~秋の夜はブラームス~

Berlin_brahms_consert

「秋の夜はブラームス」。これは、ブラームスの音楽を愛する人の合言葉ですね。日を追うごとに肌寒さを感じてくる秋の夜、人恋しくなったときに聴く音楽として、これほどふさわしいものは有りません。そんな昨夜は、ブラームスのコンサートを聴きに行きました。演奏は来日中のベルリン放送交響楽団で、指揮はマレク・ヤノフスキです。そしてプログラムは、ブラームスの交響曲第3番、第4番という、これこそ秋の夜のコンサートにピッタリの曲です。

「ベルリン放送交響楽団」という名前は、実は誤解しやすいのです。戦後ベルリンが東と西に分かれた時代に、それぞれに全く別の団体が存在したからです。オールド・ファンにはなじみが有りますが、東独の団体はかつてヘルマン・アーベントロートやハインツ・レーグナーが指揮しました。西独の団体はフェレンツ・フリッチャイや若きロリン・マゼールが指揮しました。東独の団体は昔も現在も同じ名前なのですが、西独の団体は現在はベルリン・ドイツ交響楽団と名前が変わっています。

ということで、今回来日しているのは旧東独の団体です。北の街ハンブルクに生まれ育ったブラームスの音楽の暗く、厚い響きを再現するのにはやはりドイツ北部の街のオーケストラが適しています。とは言っても、同じベルリンのオーケストラでありながら、現在のベルリン・フィルハーモニーは既にドイツ人だけでなく、世界中から選りすぐりのプレーヤーが集まっていますので、伝統的なドイツの音とは言えません。その点、今日のステージの上のこのオーケストラを見渡すと、大半がドイツ人団員のようです。それには安心します(ホッ)。意外に美女が多いのにも感心します(ドキドキ)。

前置きが長く成りましたが、プログラム前半の曲が第3番です。演奏はというと、弦楽器がベースになって管楽器をブレンドさせる音造りがいかにもドイツ・スタイルです。ヤノフスキがしきりに管楽器の音を抑えるようなしぐさをしていたのが印象的でした。弦楽は最前列から最後列まで実に同じような音が出ています。日本のオケだと中々こうは行きません。ヤノフスキのテンポは好みで言うと幾らか速めに思いましたが、音楽の流れが良くて悪くありません。それでも刻むリズムが堅牢なので、決して前にのめりません。さすがにドイツ人たちです。個々のプレーヤーが飛びぬけて優秀という印象では有りませんが、全体としてまとまったときに大きな魅力となるのです。いい第3番でした。

後半の第4番では、1楽章の前半が何とも安全運転(ならし運転?)のようで、アレレという感じ。ところが後半に入ると突然ギアが入った(速くなるわけではありません。気持ちがです。)ようで、音の表情が豊かになり惹きつけられました。この曲はアマチュア・オケで演奏したことが有りますが、弾いていると非常に興奮する曲なんです。それが往々にして爆演になってしまう原因なのでしょうが、やはりブラームスの演奏は、このように「内に秘めたる炎」であって欲しいです。1939年生まれのベテラン・マエストロ、ヤノフスキさんは職人タイプですが、特別な才気に富んだ印象は有りません。それでもオーソドックスな演奏というものは、下手に表現意欲旺盛な演奏よりも好ましく思うことが有ります。昨夜はそんな演奏を楽しみました。

それにしても、本当に3番と4番は好きですね。ブラームス「らしい」最高のプログラムでした。僕が指揮者なら、更に前プロに「悲劇的序曲」でも加えちゃうんですけどね。現代のプレーヤーからはブーブーでしょうけど、昔のプログラムは今よりもずっと長かったんですよ。

アンコールはシューベルトの「ロザムンデ」からあの静かな「間奏曲」でした。秋の夜の音楽会の余韻に浸れる、良い選曲でしたね。

11月には、このブログで晩秋のブラームス特集をしてみたいと思っています。

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2011年10月 7日 (金)

モーツァルト ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488 名盤

秋の雰囲気がだいぶ深まってきましたね。どうしたってセンチメンタルになってしまうこの季節に、とてもふさわしい曲に順番が回ってきました。モーツァルト・ファンであれば、「ケッヘルよんぱっぱー」と聞いただけで、胸にきゅーんと来てしまうのではないでしょうか。僕自身、ピアノ協奏曲の中では1、2を争う大好きな曲です。

このピアノ協奏曲第23番K488は、前の第22番と次の第24番と同じ年の作品ですが、共通しているのは、管楽器が非常に印象的に使用されてる点です。特に22番、24番ではまるで、管楽器のシンフォニア・コンツェルタンテと間違えそうな部分がしばしば現れます。それに比べると、この第23番はティンパニーとトランペットが使用されない為に、全体の響きはずっと室内楽的に聞こえます。ですので、曲全体が夏のような輝かしい陽射しの元での色彩では無く、秋の紅葉のように非常に陰影に富んだ色彩を持っています。そして、この曲でもやはりクラリネットが重要な役割を担っていますが、第1楽章冒頭の主題が、名作「クラリネット協奏曲」と「クラリネット五重奏曲」のそれとよく似ているのが面白いです。

この曲は全3楽章のいずれもが、実に魅力的なのに驚かされます。ひとつひとつの音符、フレーズが一瞬さえも飽きさせることが有りません。元よりモーツァルトのピアノ協奏曲に駄曲は一曲も無いとは思っていますが、この曲ほど、完成度の高い曲も中々無いと思います。

第1楽章アレグロは、オーケストラの奏でる主題をピアノが繰り返すという単純明快な構成です。それでいて何度聴いても飽きさせないのは、やはり旋律、楽想の素晴らしさだと思います。「複雑にする必要の無い」下地の良さが有ればこそです。

第2楽章アダージョは、単独でも演奏されるほどに魅力的で、まるで秋の夕暮れのように人恋しさや物寂しさを感じさせてやみません。ホロヴィッツが記録映像の中で、「この楽章はシチリア―ノだ。」と述べながら、6/8拍子のリズムを強調して弾いていましたが、余りに強調し過ぎて違和感を覚えました。あくまでも「シチリア―ノ風」であって、舞曲の「シチリア―ノ」では無いと個人的には思っています。

第3楽章アレグロ・アッサイはロンドですが、2楽章から一転して飛び跳ねるように快活な音楽に変わります。正に「輪舞(ろんど)」です。今まで深く沈んでいたのに突然歓喜に豹変するのは、まるでモーツァルト自身のようだったのかもしれません。ところが、中間美以降は光と影が混じり合い、色彩が刻々と変化していって、嬉しいのか哀しいのか、よく判らなくなってしまいます。音楽のその余りに素早い展開に置いてきぼりにされそうで、ついてゆくのに精一杯です。ああっ、ウォルフィーくん、君って人は・・・・。この楽章は、本当にモーツァルトの魅力が極まっていると思います。

ということで、この曲は大切な大切な曲ですが、普段は所有ディスクをまとめて聴くなんてことは有りません。ですので、今から心がわくわくしています。では順番に聴いてゆきます。

1197111202 クララ・ハスキル独奏、パウムガルトナー指揮ウイーン響(1954年録音/フィリップス盤) ハスキルが僅か8歳でデビューした時の曲が、この曲です。モーツァルトを弾くために生涯を捧げたクララおばさんが、何十年も最重要レパートリーとして弾き続けたこの曲の演奏には、聴いていて思わず涙ぐまずにいられません。音符のひとつひとつを慈しむように歌わせて、どこまでもゆったりと音楽に身を浸り切らせたような一体感が本当に素晴らしいです。実は僕が学生時代に最初に買ったのもこの演奏のLP盤でした。モノラル録音で、オケの音は良好ですが、ピアノの音が古めかしいのが残念です。

Casad_00ロベール・カザドシュ独奏、セル指揮コロムビア響(1959年録音/CBS盤) 曲の性格の違いか、いつものセルの厳格なオーケストラの音に、やや窮屈さを感じます。カザドシュのピアノは、ここでもやはり粒がよく揃った、いぶし銀の輝きです。但し、この曲の持つ翳りの部分が少々希薄に感じられるのがもの足りません。どちらかいうと「秋」よりも「春」を感じさせます。このコンビの録音の中では、好みで下位にランクされる演奏です。

41h5p5kghfl__sl500_aa300_ ウイルヘルム・ケンプ独奏、ライトナー指揮バンベルク響(1960年録音/グラモフォン盤) 1楽章は、速過ぎず遅すぎず実に良いテンポで進みます。ケンプのピアノは、相変わらず神経質なところが無いおおらかさで一杯です。2楽章は淡々ととしていますが、じわりとにじみ出るような味わいを感じます。3楽章は意外に早いテンポで躍動感が有ります。ライトナーが指揮するバンベルク響も美しい響きです。この曲の持つ室内楽的な雰囲気を生かしていて素晴らしいと思います。

20080324_28671 エリック・ハイドシェック独奏、ヴァンデルノート指揮パリ音楽院管(1962年録音/EMI盤) 若い頃のハイドシェックのモーツァルトはタッチに軽みを感じるのと、天衣無縫の自在さが大好きです。特にこの曲の第3楽章は驚異的な速さで弾き切りますが、その中での一瞬のルバートや変幻自在のニュアンスが正に天才的です。同じフランス人でも、この曲に関しては一本調子のカザドシュとはまるで違います。ヴァンデルノートとオケもピタリと伴奏していて見事ですが、あの速さでファゴットが吹き切るののも驚嘆です。1、2楽章ではそこまで凄くは有りませんが、やはり好きな演奏です。

671ゲザ・アンダ独奏/指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム室内管(1963年録音/グラモフォン盤) 全集盤からの演奏です。アンダのピアノの音が綺麗に録れていますし、情感的にも不足しない良い演奏だと思います。全集として曲の素晴らしさを味わうのには、これで何の不満も感じません。但し、演奏に何か特別な閃きを求めた場合には、もしかしたらここには見当たらないかもしれません。

Uccd34291クリフォード・カーゾン独奏、セル指揮ウイーン・フィル(1964年録音/DECCA盤) カーゾンのK488は、ケルテス指揮盤が一般的ですが、僕はセル盤で聴いています。セルの指揮はやはり厳格ですが、ウイーン・フィルの音の柔らかさが潤いを与えてくれます。カーゾンのピアノも柔らかなタッチでじっくりと一音一音をかみしめるように弾いています。落ち着いて心静かに味わうには、とても良い演奏だと思います。

C0852659 リリー・クラウス独奏、サイモン指揮ウイーン音楽祭管(1965年録音/SONY盤) ハスキルより8年あとに生まれたクラウスも、やはりモーツァルトを得意としました。ハスキルほどロマンティックでは無く、ずっとすっきりと演奏しますが、やはり昔の人だけあって少しも機械的に弾くことは無く、人間の温かい肌触りを感じます。若々しさも失っていませんし、好きな演奏です。オーケストラは聞いたことの無い名前ですが、臨時編成でしょうか。上手く無いですし、オン・マイクで弦の粗さがよく分かります。アマチュア・オケを経験した自分にはさほど抵抗はありませんが、一般のリスナーには聴きづらいかもしれません。

2edebf2ef962870ed7a190d588ced904ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、イギリス室内管弦楽団(1967年録音/EMI盤) EMIの全集盤に含まれています。ユニークなのは2楽章の遅さで、淡々とモノローグのように弾くので、まるで第22番の2楽章のようです。1、2楽章については、この人にしては平均的な出来栄えに思います。特別な閃きも感じない代わりに、これといって不満も有りません。曲の素晴らしさは充分に伝えられています。

Fi2546314_0e アンネローゼ・ シュミット独奏、マズア指揮ドレスデン・フィル(1974年録音/独edel盤) 全集盤からの演奏です。1楽章は速めのイン・テンポでサラサラ流れるように進む演奏です。古典的な造形性では随一です。2楽章は淡々としていますが、それが逆に虚無感を生んでいて良いと思います。3楽章は速めで颯爽としています。オケも上手いですし、あらゆる点で中庸のリファレンス的な演奏だと思います。その分、特別に強い印象は残りません。

Img_1323059_44008530_0 マウリツィオ・ポリーニ独奏、ベーム指揮ウイーン・フィル(1976年録音/グラモフォン盤) ベーム/ウイーン・フィルのモーツァルトのピアノ協奏曲伴奏は他に27番が有っただけだと思いますが、もっと沢山聴きたくなるほど美しい演奏です。立派で威厳が有るのに、窮屈になりません。但し、ポリーニのピアノは真面目の一言に尽きます。ベームの前で、肩に力を入れ過ぎたのかもしれませんね。指揮にピタリと合わせていますが、自在さが無いので余り楽しくありません。

Mozart_serkin ルドルフ・ゼルキン独奏、アバド指揮ロンドン響(1981年録音/グラモフォン盤) BOX選集に含まれています。他の曲と同様にだいぶ遅いテンポです。それも徹頭徹尾遅いので、正直もたれてしまう印象です。2楽章などは、それが効果的に働きそうなものですが、そうとも思えません。アバドも、ゼルキンのテンポに付けてゆくのが辛そうです。アバドの好きなテンポで演奏すれば、ずっと良かったんではないかという気がしてなりません。

349 ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、ベルリン・フィル(1988年録音/TELDEC盤) テンポ設定や表現スタイルはEMI盤と変わりません。ピアノの音が幾らか重く感じるのと、オケの音に高いカロリーを感じます。特に3楽章では、かなりシンフォニックに聞こえます。徹底しているのは良いとしても、この室内楽的な曲には少々過剰なんじゃないでしょうか。但しEMI盤も、幾らか消化不良を感じるので、この曲ではむしろ新盤を取りたい気もします。

Gulda_0 フリードリッヒ・グルダ独奏/指揮北ドイツ放送響(1993年録音/EMI盤) グルダには以前、アーノンクールが伴奏指揮したスタジオ盤が有りました。リズムが妙に誇張された演奏で余り好みませんでした。これはライブ演奏ですが、ずっとオーソドックスです。それでもピアノの低音部を強調してみたり、自由な解釈は色々と有りますが違和感を感じません。1、2楽章の落ち着いたテンポと、3楽章の速いテンポも理想的です。北ドイツ放送響の音は陰影が深く、しっとりとして美しいです。

ということで、改めて聴き比べてみましたが、最も魅力的に感じたのは、やはりハイドシェックEMI盤とハスキル盤でした。それに次点として、ケンプ盤とグルダのライブ盤です。

今回の記事には間に合いませんでしたが、もうじきリリースされる予定のグリモー盤も有ります。なんと言っても、僕の好きな美人ですし(コラ、邪道!)、近いうちに聴いて感想を追記したいと思います。

<後日記事>
エレーヌ・グリモーのモーツァルト/ピアノ協奏曲第23番

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2011年10月 1日 (土)

モーツァルト ピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482 名盤

今日から10月ですね。爽やかな秋の季節になりました。初秋に聴くモーツァルトは大好きですが、もう少し秋が深まってきたら・・・やはりブラームスでしょうね。

モーツァルトのピアノ協奏曲特集ですが、今回は第22番です。彼はピアノ協奏曲では、この曲で初めてクラリネットを使用しました。クラリネットは、次の第23番、24番にも同じように効果的に使用されていますし、あの大傑作のクラリネット協奏曲が有るように、モーツァルトはクラリネットの音を好んでいたようです。この楽器が加わると、全体の響きが柔らかくまろやかに溶け合います。

ところで、この第22番という曲はポピュラリティで言えば、第20番、21番、あるいは23番という一連の名作と比べると幾らか落ちるように思われますが、内容的には少しも劣ることの無い、充実し切った名曲です。宇野功芳先生も、いつごろからか「モーツァルトのピアノ協奏曲の中で一番好きだ」と仰られるようになりました。

第1楽章アレグロは、堂々とした立派な曲想です。シンフォニックな響きの管弦楽が素晴らしいですが、ピアノがそれに互角に渡り合っていて非常に聴き応えがあります。

第2楽章アンダンテは、いかにも後期のモーツァルトらしい、深く沈みこむようなモノローグが延々と続きます。そして中間部のドラマティックな盛り上がりは、哀しみに耐えきれなくなったモーツァルトの心の叫びのように思えます。

第3楽章アレグロはロンド形式ですが、この協奏曲で最も魅力的な楽章ではないでしょうか。冒頭の主題は映画「アマデウス」の中で、馬車がウイーンの街を駆けてゆくシーンで流れましたので、きっとご記憶に残っていると思います。白眉は中間部でテンポをアンダンティーノ・カンタービレにぐっと落として、優しく優しく歌いかけてくる部分です。ここではクラリネットが何とも甘く歌います。まるで耳元でそっとささやかれるようなので、身体がゾクゾクしてしまいます。う~ん、モーツァルト!

それでは僕の愛聴盤のご紹介です。

31jkgj0kfhl__sl500_aa300_ タチアナ・ニコラーエワ独奏、シューリヒト指揮ウイーン・フィル(1956年録音/ISMS盤) いきなり番外ともいうべき演奏ですが、モーツァルト生誕200周年のザルツブルクでのライブ録音です。シューリヒトとウイーン・フィルのモーツァルトとくれば、ファンには唾液ものです。少しも力みの無い、くつろいだ雰囲気にとても惹かれます。若きニコラーエワも美しく流れるようなタッチで中々に聴かせてくれます。録音はもちろんモノラルですが、この年代にしてはかなり明瞭です。

Casad_00ロベール・カザドシュ独奏、セル指揮コロムビア響(1959年録音/CBS盤) まず、セルのオーケストラの素晴らしさに驚きます。テンポは速めでスッキリしていますが、響きが立派で細部のニュアンスに富んでいます。カザドシュの音は粒がよく揃っていて、いぶし銀の輝きを放っています。要所要所で見せるアタックにも厳しさが有ります。2楽章の透明感ある孤独な悲哀も心に染み入るようです。3楽章は軽快で切れが有り、かつ愉悦感に溢れますが、中間部では純粋な美しさに魅惑されます。このコンビのモーツァルトはどれも素晴らしいです。

671ゲザ・アンダ独奏/指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム室内管(1962年録音/グラモフォン盤) 全集盤からの演奏です。導入部のオーケストラがとても立派で素晴らしいので、ピアノにも期待します。確かに良いのですが、オケほどの充実感は感じられません。けれども2楽章ではさすがにアンダです。非常に沈んだ雰囲気が漂っていて、哀しみで一杯です。3楽章も良い演奏です。愉悦感というよりも、しっとりと落ち着いた雰囲気です。

2edebf2ef962870ed7a190d588ced904ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、イギリス室内管弦楽団(1971年録音/EMI盤) EMIの全集盤に含まれています。バレンボイムは若いころからこの曲を得意にしていたようで、ピアノもオーケストラも完成度が非常に高く、旧全集の中でも1、2を争う出来ではないでしょうか。ロマンティックなスタイルですが、表情が実に豊かで天衣無縫の演奏です。正にモーツァルトの真髄をついていると思います。名女流クラリネット奏者のシーア・キングさんを始めとする木管の演奏もとても美しいです。

Fi2546314_0eアンネローゼ・ シュミット独奏、マズア指揮ドレスデン・フィル(1972年録音/独edel盤) 全集盤からの演奏です。 1楽章は速めのイン・テンポですが、この曲のシンフォニックな立派さに欠けます。オケもピアノも余り面白さを感じません。2楽章も速めですが、ここでは静かに哀しみを独白しています。3楽章はリズミカルで軽快ですが、この曲の持つ魅惑を更に感じさせてほしい気もします。それでも中間部は中々の美しさです。

Mozart_serkinルドルフ・ゼルキン独奏、アバド指揮ロンドン響(1984年録音/グラモフォン盤) BOX選集に含まれています。まず、1楽章では、アバドのオーケストラがテヌートで音を引っ張るのに、どうもだらしなさを感じます。セルの威厳ある音とは対照的です。けれどもゼルキンは、「そんなことはどうでもいい」とばかりにマイペースでゆったりと弾いてゆきますので、後はアバドがゼルキンにひたすら合わせてゆくだけです。2楽章もオケは割に平凡ですが、ピアノにはとても深みが有ります。3楽章の中間部も同様ですが、全体は少々重すぎて愉悦感に不足します。

349 ダニエル・バレンボイム独奏/指揮、ベルリン・フィル(1989年録音/TELDEC盤) EMI盤から20年後の新盤です。まずベルリン・フィルのシンフォニックな響きが凄いです。但し、個人的には旧盤のイギリス室内管の繊細な響きの方を好みます。ピアノについては、旧盤と比べると表情が更に濃くなりましたが、バレンボイムの頭と指先の間に僅かな隙間が存在する様な気がします。これは既に本格的に指揮者に転向したからかもしれません。とは言いながら、やはりこの人のK482は素晴らしいです。

ということで、以上の中のマイ・フェイヴァリットは、やはりバレンボイムの特にEMI盤の方ですが、カザドシュ/セル盤にもまた別の魅力が有って大好きです。

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