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2011年4月 6日 (水)

「自粛」とは ~東日本大震災後の日本に思う~

東日本大震災の影響は一部では収まりつつも、未だに大勢の行方不明者が存在していることや、困窮する被災者が多数居ること、福島原発の危機的状況が一進一退していることなど、未解決のことが山のように残っています。

そんな中で、米国のニューヨーク・タイムズが先週の紙面に「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」との見出しの記事を掲載して、日本国民の多くが地震や津波の犠牲者への弔意から日常の活動を縮小するようになり、国民経済への悪影響が懸念されると伝えたそうです。
 同記事は、日本で「地震、津波、原発で何十万という国民が被害を受けたことから、被災地以外でも、少しでもぜいたくにみえる活動はすべて非難されるようになった」とし、日本国民のすべての層が生活面での「自粛」をするようになったと報じました。
 自粛はまず電力の節約という形をとり、日本国民が「電灯、エレベーター、暖房、トイレ座席の暖房まで止めるようになった」とし、安売りカメラ店の客案内の音声やカラオケ店への出入り、桜の花見、高校野球応援、東京都知事選の候補の音声までが自粛されていると指摘しました。
 同記事は自粛が過剰になっていることを示唆し、企業や学校の行事のキャンセルが日本の経済全体の60%に及ぶ消費支出を大幅に減らし、「もともと停滞していた日本経済に浸食効果をもたらし、倒産を急増させるだろう」と述べています。
 また「東京都民にとっての自粛は被災地の人々との連帯を示し、自粛をする側を何か良いことをしているという気分にさせる安易な方法だ。しかし、当人たちは実際にどんな効果をもたらすかはあまり考えていないようだ」とも論評しました。
 記事は、おおよそ以上のような内容です。日本人の真面目な気質、精神からして、これらは無理のない行動だとは思います。ただ、確かに気になることが色々と有ります。例えば入学式を中止にした大学も多いと聞きますが、どうなのでしょう。こういう未曽有の危機的状況だからこそ、そんな時期に入学をする学生達に、「君たちが被災者、被災地のために一体何が出来るか。これからの日本の復興を、将来を、どうしたら良いかを日々真剣に考えて学生生活を送って下さい。」というようなメッセージを送ることだって出来ると思います。それが果たしていけないことなのでしょうか?例年と全く変わリ映えのしない入学式なら確かに中止でも構いませんが、逆に意義のある入学式にすることも可能だと思うのです。大学関係者がどこまで議論しているのかは判りませんが、僕はそんな風に感じます。
クソ味噌いっしょに自粛自粛、それは他の国から見られているように必ずしも正しいこととは思えません。

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音楽やその他諸事」カテゴリの記事

コメント

ハルさんこんにちは。
アメリカのその新聞記事にも一理あるとはおもいます。もし我が国の経済が破綻してしまえばとんでもない事になる。ただ、アメリカという国には「消費は美徳」という諺があるそうで、そのあたりは僕は少し違和感を感じていました。僕は、・・主義者では全くないですが、若い時から大量生産、大量消費ばかりに経済の安定を頼るのには、いささか疑問でした。
自粛が過剰になっている現在の我が国、ハルさんの仰せられる通りだと思います。僕は大学には縁がありませんでしたし、社会の底辺にいる身なので偉そうな事は言えませんが。何が、我が国の復興のために良い事なのか、
積極的に我々が意見を交わすのは意義のある事ではないでしょうか。
長々と失礼いたしました。

投稿: sasa yo | 2011年4月 6日 (水) 10時48分

実際に大学が被災したり、入学者の一部が被災していたりするところでは、延期や中止も仕方ないでしょうけれどね。

被災しなかった人が悪感を覚え、喜び楽しみを控えようと思うのは自然のことですが、これが正義だと主張し自粛を要求する声はどうでしょうか?

尊敬する知人からのメールです……

「震災が示しているのは私たちの生活の土台がいかに脆いかということ。明日は我が身…私たちの人生にも、断食して涙を流さざるを得ない時が必ず来るのです。そのとき、楽しい思い出をより多く持っている人こそが、困難に立ち向かう力を発揮することができる。日頃から喜びを自粛し、神にあって喜ぶことができていない人は、困難の中で、神が共にいてくださるという安心感を持つこともできない。 」

彼と同じ信仰に立たない人は後半に全面的に賛同できないかもしれませんが、宗教的背景ぬきに考えても共感はできそうに思います。

喜びを知る人ほど悲しみに耐えられる。友が多い人ほど孤独に耐えられる。内面が豊かな人ほどアウシュビッツの地獄に耐えられる。フランクルがこう報告したのと通じることでしょう。

無用の自粛をするなという意見の中で、最も明快な説得力ある見解として読みました。

投稿: かげっち | 2011年4月 6日 (水) 12時15分

sasa yoさん、こんにちは。

僕は何もアメリカ人の書いた記事に全面的に賛成するわけではありません。それどころか「こいつ日本人の心が分かっていないな~」と思いもします。
でもね、やっぱり景気がどん底状態になってしまっては、国の税収も伸びないで、復興対策に回せる予算が少なくなってしまうでしょう。
東北地方の復興のためにも、度を過ぎた「倹約」「自粛」はやはり好ましいとは思いません。

投稿: ハルくん | 2011年4月 6日 (水) 23時27分

かげっちさん、こんにちは。

前のコメントにも書きましたが、「自粛」「自粛」で日本経済が破綻してしまっては、被災地の復興に資金を投入することも出来なくなります、
単なる自己満足ではなく、何が本当に国民全体の為になるかをよくよく考えないといけませんね。

投稿: ハルくん | 2011年4月 6日 (水) 23時37分

ハルくんさん。こんにちは。
うちの娘は震災の4日後が卒業式でした。公共の交通手段がどうにもならなかったので延期は仕方がないかなとも思ったのですが、でも中止と連絡があった時にはちょっと悲しかったですね。
追い打ちをかけるように大学の入学式の中止と授業開始の延期の連絡がありました。
ただこのあたりになってくるとちょっと???な面もあるような気がしなくもなく、自粛というより学問よりお金が大事?事務や経理処理でラクをしたいだけ?と思わないでもないです。被災地からの受験生に関しては特例で入学手続きの延長を認めるなどして、1週間遅れぐらいで授業を開始してほしかったです。
経済的な難しいことはわかりませんが、準備予定していたことがすべてダダ無駄になってしまって、それが悲しかったです。
ただこれが仕事の問題だったとなるとお金が付いてまわることなので事情はもっと深刻でしょうね。
賃貸ワンルームを始め新学期需要をあてにしていた業者もすっかり冷え込んでいるのは確かです。
授業が始まったからと言っても、入学式シーズンのような盛り上がりがなければ需要は見込めませんから。
どんなものでも旬という時期があるので、それを過ぎてしまうとダメなんですよね。
でなくても今の日本経済は自転車操業なので持ちこたえる体力がないわけで、そうなると倒れるしかありませんから。
私は省エネ以外はいつもと同じように過ごしていますが、それでも「贅沢は敵だ!」みたいな感覚になることがあります。

投稿: はるりん | 2011年4月 7日 (木) 20時45分

はるりんさん、おはようございます。

この時期、被災者に対する配慮は必要ですが、入学式、卒業式を中止して何の意味が有るのか疑問です。学校で出来なければ別の会場を借りれば良いし、出席出来ない人がいれば半年後に別にまた集めて開催してもいいですし。ドンチャン騒ぎの酒宴と一緒にしてはいけません。卒業式、入学式とは厳かで意義深いものです。

投稿: ハルくん | 2011年4月 8日 (金) 07時39分

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