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2011年4月

2011年4月24日 (日)

”名曲シリーズ” ムソルグスキー 「展覧会の絵」 ~演奏いろいろ~

今夜のN響アワーは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」なのですね。丁度このブログの名曲シリーズの題材を考えていたところなので、相乗りしてしまいましょう。

実は「展覧会の絵」は、自分の音楽人生を左右した大変に思い出深い作品なんです。僕は中学~高校時代にバリバリのハード・ロック少年だったのですが、当時エマーソン・レイク&パーマー(略してELP)という前衛ロックグル―プが有りました。このグループが、こともあろうに「展覧会の絵」をロックに編曲して1枚のアルバムにしてしまったのです。元々、このグループのリーダーのキース・エマーソンという人は、以前からバッハ、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、シベリウスなどの名曲をロックにアレンジしては演奏していましたが、最高傑作となったのがこの「展覧会の絵」です。僕はELPのアルバムを夢中になって聴きましたが、そのうちに原曲を聴いてみたくなり、リヒテルの弾いたピアノ版のレコードを買ってきたのです。この曲は、オリジナルのピアノ曲版を別の人の手によってオーケストラに編曲された版も有れば、ELPのようにロックにもなってしまうことが驚きで、実に面白いなと思いました。

そこで、ELPの演奏している他のクラシック曲のオリジナルも聴いてみたくなり、次々と聴き進んでいるうちに、気がつけばクラシック・ファンになっていました。ですので、この曲は自分にとって、クラシック音楽を聴くようになるきっかけとなった、とても重要な曲なんです。

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ムソルグスキーは友人であった画家ヴィクトル・ハルトマンが亡くなったあとに開かれた遺作展で10枚の絵を見て、その印象をピアノ曲にしました。それらは、ロシアやさまざまな国の風物が描かれていました。但し、10枚の絵の曲が単純に並ぶのではなく、「プロムナード」という短い前奏曲(間奏曲)が繰り返して挿入されています。この「プロムナード」というのは、ムソルグスキーが展覧会で絵を順に見ながら歩く姿なんだそうです。

曲は「プロムナード」、「古城」、「卵の殻をつけた雛の踊り」、「ビドロ」、「鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤーガ」、「キエフの大門」、などですが、どれもが非常に親しみ易い旋律と変化にとんだユニークな曲ばかりです。そして、これだけ色々な編曲版が現れるというのは、やはりムソルグスキーの天才の作なのだと思います。

それでは僕の愛聴盤をご紹介します。

―ピアノ版(原曲)― 

1台のピアノによる楽曲の表現力は凄いです。驚くほど色彩と変化に富んでいて飽きさせません。やはり原曲の素晴しさですね。但し現在はCDを持っていません。昔レコードで聴いたのは、リヒテル盤とホロヴィッツ盤なのですが、久しぶりに聴いてみたくなりました。

―管弦楽版― 

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ワレリー・ゲルギエフ/ウイーン・フィル(2000年録音/フィリップス盤)

色々な人が編曲版を書いていますが、一番有名なのはモーリス・ラヴェル版です。ただラヴェルの編曲は、音色が少々華やかに過ぎるように感じられます。従って、個人的には明るい音のフランスやアメリカのオケの演奏は余り好みません。そこで気に入っているのが、ワレリー・ゲルギエフがウイーン・フィルを指揮した演奏です。これは華やか過ぎないウイーン・フィルの音色に上手くロシア風味の味つけを加えたものなので、自分の好みに合います。こういう演奏で聴くと、この曲はフランスのラヴェルの作曲では無くて、やはりロシア人の作った曲なのだなぁ、という風に実感します。そして、こういう曲の語り口の上手さという点でも、ゲルギエフは本当に素晴らしいです。

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セルジュ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル(1993年録音/EMI盤)

チェリビダッケの演奏は大抵の場合で極度に遅いテンポが息苦しくなり好きではありませんが、確かにユニークな愉しさを覚えることはあります。この曲でも、異常に遅い「プロローグ」には吹き出しそうですが、元々破格の作品ですので、異常な演奏も有る意味「可」なのかもしれません。「ビドロ」や「キエフの大門」での天を仰ぎ見るような壮大なスケール感は、しばし言葉を失うほどです。一方「バーバ・ヤーガ」などの曲では、音楽が遅く重くもたれるのに閉口してしまいます。オーケストラの響きはフォルテでも澄んでいて綺麗ですが、その割に明る過ぎないのは良いです。まともな演奏のリファレンスとしてはゲルギエフ盤を選びますが、もう一つ変わり種の演奏を聴いてみたい場合には、チェリビダッケ盤は案外面白いと思います。

―非クラシック版―

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エマーソン、レイク&パーマー(1971年録音/アトランティック原盤)

これはもうエマーソン、レイク&パーマーしか有りません。ムソルグスキーの音楽の味わいを残しながらも、パーフェクトなプログレッシヴ・ロックに仕上がっています。原曲とは関係の無いアコースティック・ギターと歌の「賢人」や、バリバリのロック「ブルース・バリエーション」は、ムソルグシキーの音楽の流れに自然に溶け込んでいますし、「バーバヤーガ」での演奏の迫力はオーケストラをむしろ凌ぎます。終曲「キエフの大門」での、主旋律に対位法的に加えたボーカルメロディの感動的なことも正に天才的です。ボーカルのグレッグ・レイクの声質がとても美しいので音楽にとても良く合います。アンコール曲として挿入されたチャイコフスキーの「くるみ割り人形」からの行進曲が「ナット・ロッカー」というのも揮っていますね。このアルバムはロックのアルバムとしても歴史上のトップ5に入ろうかという傑作だと思いますし、ラヴェル編曲版と比べても、楽しさの点では、むしろ上回る傑作だと思います。

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日本の選挙はうるさい!?

産経WEBニュースの今朝の小さな記事です。

―記事― 

埼玉県警所沢署は23日、公選法違反(自由妨害)の疑いで、英国籍で自称英会話教師のエドワード・ジョーンズ容疑者(34)=東京都荒川区西日暮里=を現行犯逮捕した。逮捕容疑は23日夕、同県所沢市東所沢5丁目のJR東所沢駅前歩道で、演説中の所沢市議選立候補者が持っていたマイクをつかみ、「日本の選挙はうるさい」などと怒鳴って妨害した疑い。所沢署によると、ジョーンズ容疑者は直前まで友人と飲酒していた。運動員が近くの交番に届け、駅構内にいた同容疑者を署員が取り押さえた。  

以上なのですが、日本の選挙運動は本当にうるさいですよね。駅前街頭演説の大音量は正に音の暴力ですし、静かな住宅地に現れる選挙宣伝カーなどは何をいわんやです。僕はああいう選挙カーの来た候補者には絶対に投票しません。絶叫する候補者のマイクも本当に取り上げたくなります。ですので、僕はイギリス人の行動には拍手喝采を贈ります。民主的な議会発祥の地の人の感覚には、我々は大いに学ぶべきではないでしょうか。

候補者の主義主張が本当に理解できるような選挙活動とは一体どのようにあるべきなのか。こういう事件?をきっかけに我々日本人が改めて考え直すと良いと思うのですが・・・

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2011年4月17日 (日)

広大な土地は被災、領土も奪われてゆく・・・

今朝の産経WEBニュースです。TVでも報道されていることと思います。

<記事要約>

韓国が不法占拠している竹島(韓国名・独島)付近の日本領海内で計画中の「総合海洋科学基地」建設工事の落札が終わり、近く基礎工事が始まることが分かった。 基地は竹島の北西約1キロに建設され、韓国政府が300億ウォン(約22億円)かけ、2013(平成25)年の竣工(しゅんこう)を目指している。不法占拠の既成事実化を狙った不当な工事である。しかも、日本は今、東日本大震災の復旧・復興に向けて悪戦苦闘している最中だ。そのような時期に工事を始めるとは、隣国としての信義にももとる。松本剛明外相は衆院外務委員会で、ソウルの日本大使館を通じて韓国に抗議したことを明らかにし、「韓国の竹島への措置は到底、受け入れられない」と強調した。当然である。  ー以上ー

現在の民主党政権に変わってから、沖縄の普天間基地の移転問題、中国漁船衝突事件、ロシアとの北方領土問題などの外交問題が次々と起きては、政府の対応には正直首をかしげ続けていました。けれども、いよいよ韓国による竹島の実効支配が強固なものになりそうな危機的状況です。自民党では石破さんが中心になって対応策を進めているようですが、ただでさえ危うい政府外交では現在のような状況下では、まず何も期待できないだろうな、と思ってしまいます。日本はこれで良いのでしょうか。

これは、自宅の庭に隣の家が自由に入り込んで、小屋を建てようとしているようなものです。単に「ここはうちの庭だ、やめてくれ。」と言うだけでは、気の強い隣人はやめるわけがありません。こういう時には、境界線に立ちはだかって、庭に入り込んでこようとする隣人を力づくでも静止するしかありません。もちろん自民党政権の時でも、そんな毅然とした対応を示していたとは思いませんが、今の政府は余りにも無策です。政府が領土防衛の指針を示さないかぎりは海上自衛隊も何もできません。政府が腹をくくれない国は、どんどん領土を奪われていくでしょう。と言いながらも、自分のブログで意見を書く程度しか出来ない自分にも歯がゆさを覚えます。

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2011年4月16日 (土)

震災では無く人災だった!?(その2)

4/8にBS朝日で放送されたTV番組「ニュースの深層」を、TVウオッチBLOGで視聴することが出来ます。

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「ニュースの深層」これからの福島第一原発と放射能汚染 ゲスト:武田邦彦(中部大学教授)

原子力関連の専門家である武田教授が福島原発事故について解説をされています。もちろん氏の見解の全てが正しいとは限りませんが(ご本人も何度もそのようにおっしゃられています)、これまでの我が国の原子力発電所の安全基準が恐ろしくなります。今後も原発を本当に安全に運用出来るのかどうか、はなはだ疑問です。これは大変貴重な番組であるにもかかわらず、テレビ朝日はBSでしか放送しなかったようです。番組を未視聴の方は是非ともご覧になられた方が良いと思います。

ちなみに武田教授のブログでは、原発事故に関する記事を毎日読むことが出来ます。

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2011年4月15日 (金)

ブラームス ピアノ四重奏曲第1番ト短調 op.25(シェーンベルク編曲管弦楽版)

ブラームスの交響曲特集でのご紹介はもちろん4曲でしたが、実はブラームス・テイストのシンフォニック作品がもうひとつ有ります。「テイスト」と言ったのは、曲の素材はブラームスですが、料理人が別の人だからです。

ブラームスは多くの室内楽作品を書いていますが、とりわけ自身が演奏を得意としていたピアノを伴う作品には名曲が目白押しです。そのうちのピアノ四重奏曲第1番ト短調 op.25は、ブラームスがまだ二十代の時の作品ですが、非常に人気があります。以前、このブログでもブラームスの室内楽曲特集をした時に「ピアノ四重奏曲集」として記事にしたことが有ります。

Schenberg_2 この曲を大オーケストラ編成の管弦楽版に編曲したのは他ならぬアルノルト・シェーンベルクです。この編曲版は、今では日本のオーケストラの定期演奏会でも結構取り上げられて良く知られていますが、昔は滅多に演奏されてることが有りませんでした。僕は学生時代にFM放送された海外コンサートを録音して何度も繰り返して聴きました。

シェーンベルクの編曲は旋律線や曲構造、テンポが原曲にとても忠実です。ですので一聴してブラームスの曲と分かります。けれどもブラームスのシンフォニーでは余り目立たないトランペットや打楽器が多用されるので、響きはだいぶ近代曲風にアレンジされています。特に打楽器群は大太鼓、スネアドラム、シンバル、グロッケン・シュピールまで登場しますので、ブラームス風の渋い音とは全く異なっています。それでも原曲が名曲なので、別の楽しみを味わえるという点で僕はこの編曲版は大好きです。「一度食べて二度おいしい!」という感じですね。特に第3楽章の中間部で行進曲風に演奏される部分のド迫力といったら楽しくてスカッとすることこの上ありません。もしもブラームスの生まれたのが、もう50年あとだったら、こんな響きの曲を自分で書いていたかもしれませんね。

昔、僕が聴いたのは、グスタフ・クーンがシュトゥットガルト放送響を指揮したライブ演奏でした。オーケストラだけでなく、オペラや合唱曲なども幅広く指揮するクーンの演奏はとても良かったです。最近になっては余りこの曲を聴いてはいませんでしたが、タワーレコードが昨年、DECCA録音を廉価盤でライセンスCD化してくれました。それを交響曲特集のおまけとしてご紹介しておきます。

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TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION Vol.9

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クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ウイーン・フィルハーモニー(1995年録音DECCA盤/ライセンス発売タワーレコード) 元々ブラームスの原曲も渋すぎない流麗さと若々しさを持つ音楽でしたが、シェーンベルクの編曲がそれに更に近代的な響きを加えていますので、ウイーン・フィルの音が実にうってつけです。ブラ―ムスの曲の良さと、シェーンベルクの編曲の良さを余すところなく再現しています。あらゆる部分でこれまで聴いていた音とは異なる新しい発見が有ります。特に終楽章の響きの面白さには「目からうろこ」の驚きです。ドホナーニという指揮者はこれまで特に魅力を感じることは有りませんでしたが、この演奏では見事にツボにハマっています。

ちなみにこのCDにはベートーヴェンの名作、弦楽四重奏曲第11番ヘ長調OP.95「セリオーソ」をグスタフ・マーラーが弦楽合奏に編曲したものの演奏が組み合わされています。こちらも良いのですが、面白さという点では何と言ってもブラームスのほうです。眼立たない貴重な録音をたびたびライセンス販売してくれるタワーレコードにはブラーボーを贈りたいと思います。

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2011年4月 9日 (土)

シューマン 交響曲第1番「春」変ロ長調op.38 ~春への祈り~

朝晩はまだ幾らか肌寒く感じますが、昼間はだいぶ暖かくなり、東京では桜が満開となりました。例年であれば春満喫というところですが、今年は未曽有の大災害が起きてしまい、亡くなられた大勢の方や、いまだに被災地で困窮生活を送られている方々のことを思うと非常に心が痛み、とても心の底から春の喜びを感じることは出来ません。きっと同じような心境の方は多いのではないでしょうか。

昨年の春にはこのブログで、ベートーヴェンの「スプリング・ソナタ」を取り上げました。いかにも春を迎えた喜びに満ち溢れた曲です。他にも春を題材にした音楽は、メンデルスゾーンの「春の歌」や、ヨハン・シュトラウスの「春の声」と、多く有りますが、ほとんどの曲は春の喜びが一杯の明るい曲です。そんな中で少々趣が異なるのが、シューマンの交響曲弟1番「春」です。

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この曲のどこが趣きを異にするかと言えば、明るいだけでは無く、暗さを感じさせる部分が案外多いからです。

シューマンは、この交響曲第1番を初めは「春の交響曲」と呼んでいました。各楽章にも春に関連したタイトルを付けていましたが、それは後で削除してしまいました。それでもシューマンは、この曲の初演者であるメンデルスゾーンに宛てた手紙の中で、第1楽章について「春の訪れを表現している」と記したそうです。確かに音楽にそのようなイメージを感じます。けれども途中途中で幾度も気持ちの翳りを感じさせます。第2楽章ラルゲットも美しいですが、とても寂しい雰囲気が有ります。更に第3楽章スケルツォでの気持ちの重さは一体何なのでしょう。とても春には思えません。第4楽章ではようやく晴れやかな気分を感じさせますが、それでも北ドイツ的な控えめな明るさで、南ドイツのような開放的な明るさとは異なります。

この曲は、明るい陽の光りの下で春の訪れを喜ぶ人が居る一方で、その同じ時間にも世界のどこかには病気に苦しむ人や、命を落としている人が居るのだと言う複雑な気持ちを表現しているように思えてなりません。春だというのに決して底抜けに明るくなれないのが、いかにもロベルトなのだと思います。タイトルに惑わされて、この曲を明るいだけの曲と捉えては大きな間違いです。正にシューマネスクな曲なのです。

実はこの曲のシューマンの自筆譜では、冒頭のトランペットとホルンによるファンファーレが現在の楽譜よりも三度低く書かれていました。ところが当時のバルブ無しの楽器では演奏が難しいことから、初演時にメンデルスゾーンの助言によってシューマンは現在の音に書き変えました。その後、更に改定を加えましたが、現在一般的に使われているのはその改定版のほうです。この自筆譜は改定版に比べると響きが非常に暗く感じます。シューマンは元々はこの曲に随分暗い音をイメージしていたのです。ですので、この曲を理解するためには自筆譜初稿版による演奏も必ず聴いておく必要が有ります。

この曲は1841年に、そのメンデルスゾーンが指揮するライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演されました。

それでは僕の愛聴盤をご紹介します。

Furtwangler_schu_franck ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウイーン・フィル(1951年録音/ロンドン盤) ミュンヘンのドイツ博物館のホールでのライブ録音です。この曲の持つデモーニッシュな面を表現した演奏です。導入部の暗い雰囲気に驚きますが、主部に入ると生命力に溢れます。けれども堂々とした重さを失いません。テンポの揺れやルバートが頻繁に現れますが、少しも不自然にならずにスムーズに流れるのは流石です。2楽章の深いロマンも素晴らしいですし、3楽章の重量感には圧倒されます。終楽章もやはり重さと暗い情熱の有る演奏でシューマネスクなことこの上ありません。残念なのは、録音年代の割に音が余り良くないことです。フルトヴェングラーのシューマンと言うと4番ばかりが評価されますが、録音さえ良ければこの1番ももっと評価されてしかるべしです。

Cci00034 フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1960年録音/BerlinClassics) 何と言っても初演を行なったゲヴァントハウスの演奏です。管楽器と弦楽器とが美しく一体化した音は正に伝統的なドイツの響きです。60年代初頭当時の古風な音がたまらない魅力です。コンヴィチュニーは融通の利かない頑固親父のような指揮ぶりで、少しもせせこましさを感じさせない堂々と立派な構えが、いかにも往年のカぺルマイスターです。う~ん、これぞドイツ!

P2_g3245420wウォルフガング・サヴァリッシュ指揮ドレスデン国立歌劇場管(1972年録音/EMI盤) シュターツカペレ・ドレスデンの全盛期の音は特別です。柔らかく厚みが有り、いぶし銀の響きが最高だからです。当時の録音は余り評判の良くないことが多かったEMIですが、これは東独エテルナとの共同制作だった為に、響きの素晴らしさを損なわない名録音です。サヴァリッシュの指揮は速いテンポで生命力に溢れ、春の息吹を感じさせますが、リズムが前のめりにコケることは決してありません。

Cci00034b ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1979年録音/SONY盤) 導入部がゆったりと開始されたかと思うと、主部は速めのテンポで闊達になります。曲の各部の気分による変化を明確につけているのは良いのですが、幾らか小賢しさを感じないでもありません。オケのふくよかで柔らかい音は魅力的で、この曲に適しています。うるさいことを言わなければ中々に良い演奏だと思います。クーベリックにはベルリン・フィルとの旧盤もありますが、この再録盤のほうがずっと好きです。

Cci00035 オトマール・スイトナー指揮ベルリン国立歌劇場管(1986年録音/DENON盤) これはシューマン自筆の初稿譜による演奏です。初めてファンファーレ部分を聴くと、普段聴き慣れた曲との余りの違いに驚かされます。けれどもこの音こそがシューマンの元々のイメージなのです。スイトナーの指揮は、ゆったりしたテンポで曲全体の音楽の陰りを忠実に感じさせてくれますし、SKベルリンの深く柔らかい響きにもとても惹きつけられます。この演奏は必ず聴いておく必要が有ります。

Schuman_vonk_654 ハンス・フォンク指揮ケルン放送響(1992年録音/EMI盤) ケルンの大聖堂を想わせるような響きです(なんて陳腐な言い方??)。ふくよかで目の詰んだ響きがいかにもドイツ的で、シューマンの音楽に適しています。フォンクの指揮も全体にゆったりと陰影を生かした表現で中々に素晴らしいです。終楽章の彫の深いリズムと表情も秀逸です。フォンクの残した全集には中々の名演が揃っています。

Cci00036 クリストフ・エッシェンバッハ指揮北ドイツ放送響(1999年録音/RCA盤) 実演で聴く北ドイツ放送響の音は厚みの有るほの暗い響きでいかにも北ドイツ的です。それがシューマンの音楽には似合います。エッシェンバッハも珍しいくらいに暗い情念を持つ人ですが、1楽章は意外に早いテンポで闊達です。3楽章、4楽章もそれほど重くはなりません。期待が大きい分、エッシェンバッハにしては幾らか肩透かしをくらった印象無きにしもあらずです。

以上の演奏は、どれも魅力的なのですが、録音を度外視した演奏のみの魅力では、フルトヴェングラー/ウイーン・フィルが最高です。コンヴィチュニー/ゲヴァントハウスとサヴァリッシュ/SKドレスデンは、長い歴史を誇るドイツの名門楽団同士の対決で両者譲りません。響きの好みではSKドレスデンを上にしたいところですが、サヴァリッシュの指揮がやや元気に過ぎるので引き分けです。そして、スイトナー/SKベルリンは自筆初稿譜による演奏ということで絶対に外せません。

今年の春には、この曲以上に相応しい曲は無いのではないでしょうか。被災に遭った東北地方には、早く本当に暖かな春が訪れることを心から祈ります。

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2011年4月 6日 (水)

「自粛」とは ~東日本大震災後の日本に思う~

東日本大震災の影響は一部では収まりつつも、未だに大勢の行方不明者が存在していることや、困窮する被災者が多数居ること、福島原発の危機的状況が一進一退していることなど、未解決のことが山のように残っています。

そんな中で、米国のニューヨーク・タイムズが先週の紙面に「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」との見出しの記事を掲載して、日本国民の多くが地震や津波の犠牲者への弔意から日常の活動を縮小するようになり、国民経済への悪影響が懸念されると伝えたそうです。
 同記事は、日本で「地震、津波、原発で何十万という国民が被害を受けたことから、被災地以外でも、少しでもぜいたくにみえる活動はすべて非難されるようになった」とし、日本国民のすべての層が生活面での「自粛」をするようになったと報じました。
 自粛はまず電力の節約という形をとり、日本国民が「電灯、エレベーター、暖房、トイレ座席の暖房まで止めるようになった」とし、安売りカメラ店の客案内の音声やカラオケ店への出入り、桜の花見、高校野球応援、東京都知事選の候補の音声までが自粛されていると指摘しました。
 同記事は自粛が過剰になっていることを示唆し、企業や学校の行事のキャンセルが日本の経済全体の60%に及ぶ消費支出を大幅に減らし、「もともと停滞していた日本経済に浸食効果をもたらし、倒産を急増させるだろう」と述べています。
 また「東京都民にとっての自粛は被災地の人々との連帯を示し、自粛をする側を何か良いことをしているという気分にさせる安易な方法だ。しかし、当人たちは実際にどんな効果をもたらすかはあまり考えていないようだ」とも論評しました。
 記事は、おおよそ以上のような内容です。日本人の真面目な気質、精神からして、これらは無理のない行動だとは思います。ただ、確かに気になることが色々と有ります。例えば入学式を中止にした大学も多いと聞きますが、どうなのでしょう。こういう未曽有の危機的状況だからこそ、そんな時期に入学をする学生達に、「君たちが被災者、被災地のために一体何が出来るか。これからの日本の復興を、将来を、どうしたら良いかを日々真剣に考えて学生生活を送って下さい。」というようなメッセージを送ることだって出来ると思います。それが果たしていけないことなのでしょうか?例年と全く変わリ映えのしない入学式なら確かに中止でも構いませんが、逆に意義のある入学式にすることも可能だと思うのです。大学関係者がどこまで議論しているのかは判りませんが、僕はそんな風に感じます。
クソ味噌いっしょに自粛自粛、それは他の国から見られているように必ずしも正しいこととは思えません。

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