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2010年5月

2010年5月28日 (金)

ヘルベルト・ケーゲルのブルックナー交響曲第3番

本当はマーラーの9番の記事を書くためにCDを順に聴き直しているのですが、中々進まないのでひとつ別の記事にします。

Bur3_kegel

ヘルベルト・ケーゲルは東ドイツで活躍した指揮者ですが、1990年にピストル自殺しました。自殺の原因は明らかでは無く、東西ドイツの統一後に仕事が減ったことに落胆しただとか、色々と言われてはいます。この人のレパートリーは意外に広く、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラーといったドイツものだけでなくショスタコーヴィチからシベリウス、ビゼーまで、ジャンルも元々は合唱指揮者だけあってオペラなども得意としていました。実はケーゲルには熱烈なファンが多く、その人達にとってはほとんどが大変な名演とされています。僕はケーゲルを多くは聴いていませんが、残念ながらこれまで最高レベルに気に入った演奏は有りません。中ではマーラーの「大地の歌」が、例えれば『棺に体を半分収めたような』暗く重苦しい、ユニークで印象的な演奏でした。この人の録音はほとんどが、ライプチヒ放送響、もしくはドレスデン・フィルです。どちらのオケも超一流とは言いがたいので(ライプチヒ放送は、以前のアーベントロート時代には優秀でしたが)、どうも聞き劣りするのも正直なところです。そんなケーゲルが珍しく、名門ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮してブルックナーの3番を演奏したCDが有ります(1986年録音/WEITBRICK盤)。これを最近聴いてみたのですが、中々に良いのです。なんといっても純ドイツ的で無骨な音色を残したゲヴァントハウス管そのものに惹かれます。けれども、そのオケの響きを生かしてブルックナーの魅力を引き出したケーゲルも素晴らしいと思います。繊細であっても神経質にならず、スケールの大きさはあっても騒々しくならず、ほぼ理想のブルックナーです。さすがにクナッパーツブッシュのような風格は感じませんけれども、とても素晴らしい演奏だと思います。以前に、第3番の記事を書きましたが、録音の良い演奏では特別に気入ったものが無いので、これは僕のベスト盤のひとつに上げられるかもしれません。そうなると自ら命を絶たずに、ゲヴァントハウスやシュターツカペレ・ドレスデンのように優秀なオケともっと録音を残して欲しかったと思います。

<過去記事>「ブルックナー交響曲第3番 名盤」

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2010年5月14日 (金)

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調 名盤

Bigban

ブルックナーは最後の交響曲である第9番を第3楽章まで書き上げましたが、完成をさせることが出来ずにこの世を去りました。終楽章には巨大なフーガ楽章を置こうと考えていたようです。けれども、この曲は未完成であるにもかかわらず、音楽のとてつもない深遠さによって圧倒的な存在感を与えています。幸いなのは第3楽章アダージョが、あたかも完成された曲の終結部のように感じられることです。この楽章までを聴き終わった後に少しも不自然さを感じずに済みます。むしろ、この楽章に続くのにふさわしい音楽が果たして存在し得るかどうか疑問に感じてしまいます。もしや未完成に終わったのは、ブルックナーの命の時間切れの為ではなく、人智では到底作曲が不可能だったからなのではないでしょうか。

それにしても、この第9交響曲はとんでもない曲です。これはもう音楽であって音楽でない、とてもこの世界のものとは思えない、宇宙そのもののような印象です。初めてこの曲を聴いた時には、遠い宇宙の果てに一瞬にしてワープさせられたような感覚に陥りました。音楽を聴いていて、そんな体験をしたのは、後にも先にもこの曲のみです。
第1楽章の導入部は真に圧倒的で、これほどまでに印象的なファンファーレはリヒャルト・シュトラウスの「ツアラトゥストラはかく語りき」ぐらいしか思いつきません。正にカオスの中に生れた宇宙のビッグバンです。そして宇宙の鳴動のような第2楽章を経て、第3楽章アダージョの終結部のカタルシスが過ぎ去ったあとに訪れる静寂は、天国的というよりも、全てが「無」に帰ってしまったかのごとき印象を与えられます。

この曲を鑑賞して「愉しむ」ことはなかなか難しいかと思います。余りに音楽が厳し過ぎるからです。けれども、この曲に真摯に向きあった時には、とてつもない感動が得られます。これほどの音楽に匹敵するのは、交響曲に限定すれば、マーラーの9番、ブルックナーの8番、ベートーヴェンの第九ぐらいではないでしょうか。

ところで、僕は大学生の時にこの曲を演奏した経験が有ります。ジュネス・コンサートで、指揮は山岡重信氏、会場はNHKホールでした。大学選抜のメンバーですが、もちろんアマチュアです。前の年にはマーラーの「復活」を演奏しましたが、ブルックナーのほうが音楽にするのが遙かに難しいと感じました。そのときに思ったことは、『アマチュアがブルックナーを演奏するのは考えものだ』ということです。

僕がこれまで接することができた生演奏のベストとしては、ギュンター・ヴァントが2000年に北ドイツ放送響と来日して行なったコンサートです。ヴァントの最後の日本ツアーでブルックナーの9番を聴けたことは本当に幸運でした。

愛聴盤については、昔からいろいろな録音を聴いてきましたが、それらを順にご紹介してみます。

51ckzaa796l__sl500_aa300_ ヨゼフ・カイルベルト指揮ハンブルク国立フィル(1956年録音/テレフンケン盤) 僕がブルックナーを聴き始めた頃にLP盤で愛聴した演奏です。オケは技術的には荒さがありますが、古色蒼然とした音色は現在聴くととても魅力的です。失われたドイツの響きが聞こえてきます。カイルベルトも質実剛健な指揮ぶりで、特にスケルツォが素晴らしく、厳格に刻むリズムには凄みを感じます。1、2楽章はテンポがやや速めに感じますが、味わい深さはなかなか有ります。

Buru9_schu カール・シューリヒト指揮ウイーン・フィル(1961年録音/EMI盤) 僕がブルックナーに目覚めた演奏です。初めはもちろんLP盤でした。冒頭の音から衝撃的でした。ことさらに大げさでは無いのに、完璧に溶け合った響きがどこまでも大きく広がります。表情はどこをとっても実に自然で流れるようです。特に1楽章が完璧といって良く、単に「音楽」を聴いているのでなく、宇宙を感じることのできる、最高のブルックナーです。2楽章も透徹し切った、真に厳しい演奏です。3楽章の美しさは比類が無いほどですが、スケールの大きさという点で幾らかの物足りなさを感じる方もいるかもしれません。

Sss0007 フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプチッヒ放送響(1962年録音/WEITBLICK盤) ステレオ録音とありますがモノラルだと思います。コンヴィチュニーの無骨で豪快なスタイルは、手兵であったゲヴァントハウス管のときと変わりませんが、時折見せるロマンティックな表情と造形の乱れに古めかしさを感じます。この曲は本当に演奏が難しいので、一昔前の演奏には造形が崩れているものが多く、なかなか良いものが有りません。この演奏は限界ぎりぎりで、魅力と抵抗感が半々というところです。

1197111145 オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィル(1964年録音/グラモフォン盤) この演奏もLP盤でよく聴きました。ベルリンフィルがまだまだドイツ的な暗い音色を残しているのが嬉しいです。ハンブルク・フィルやライプチッヒ放送響と比べてもオケの上手さはずっと上ですし、ヨッフムの指揮は豪快で、細部にこだわるよりも大きな流れに乗ったような勢いを感じます。1楽章の終結部のたたみかけるような迫力や3楽章後半のカタルシスも壮絶です。後年のドレスデン盤も有りますが、この旧盤も忘れることはできません。

186 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1966年録音/グラモフォン盤) ヨッフム盤から僅か2年後に、グラモフォンは再びベルリン・フィルでこの曲を録音しました。今では考えられないような音楽産業全盛期の時代です。ベルリンフィルは70年代から急速に音が明るくなりますので、その前の貴重なドイツ的な音色を味わえます。スケルツォの重厚な低弦も惚れ惚れします。トゥッティではヨッフム以上にオケを鳴らしていますが、過ぎたるは及ばざるが如しで、ヨッフム盤のほうが美しさを感じます。

Buru9_krajan_wien ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィル(1967年録音/グラモフォン盤) ウイーン・フィル150周年シリーズの中の1枚は、カラヤンのライブ録音です。ライブという条件が今こうしてCDで聴いてしまうと必ずしも成功しているとは思えません。ティンパニーの強打は許せるとしても、金管がフォルテで力むあまりに響きが汚いのです。ウイーン・フィルとは思えないほどヒステリックに聞こえます。ベルリンPOとのスタジオ録音でも似た傾向でしたが、ライブではそれに輪をかけています。弦楽に関しては余り神秘性は出ていないものの、ロマンティックによく歌っていて悪くありません。  

00000698318 オイゲン・ヨッフム指揮ドレスデン国立歌劇場管(1978年録音/EMI盤) ヨッフムはベルリン・フィルとのグラモフィン盤が相当に豪快な演奏でしたが、ドレスデンとの再録音盤も、テンポや表現はよく似かよっています。但し荒々しさが過ぎて、美感を損ねている部分がしばしば有ります。トゥッティでの金管の音が、耳にうるさく感じられてしまいます。しばしば大胆なアッチェレランドを見せるのも、ヨッフムの壮年期までの特徴ですが、それが往々にしてスケール感を損うことがあります。ベルリン盤とは大きな差はありませんが、どちらかいうとベルリン盤を好むかもしれません。

3202041015 ロブロ・フォン・マタチッチ指揮チェコ・フィル(1980年録音/スプラフォン盤) マタチッチ/チェコ・フィルのブルックナーといえば67年の7番、70年の5番という名盤を生んだにもかかわらず、録音がストップしてしまいました。唯一9番が10年後にライブ録音されました。ライブとは思えないほどの完成度の高さです。1、3楽章での少しもうるささを感じさせないオケの鳴らしぶりはさすがです。但しスケルツォは意外におとなしい印象です。84年にもウイーン響とのライブ盤が有りますが、僕はチェコ・フィル盤を好みます。

Buru9_litner972 フェルディナント・ライトナー指揮シュットゥットガルト放送響(1983年録音/ヘンスラー盤) ライトナーはかつてN響を振っていたので、日本のオールド・ファンには懐かしい名前でしょう。一方、録音は伴奏指揮がほとんどなので、若い世代の方には馴染みが薄いと思います。そんなこの人の大曲のライブ演奏です。スケールの大きさに驚きますが、むしろ印象的なのは遅い部分のゆったりとした自然な歌わせ方です。なんと美しいのでしょうか。欠点はトゥッティでの金管強奏がやはりうるさく耳につくことです。それ以外が見事なので非常に残念です。

Img_214390_34269880_0 オイゲン・ヨッフム指揮ミュンヘン・フィル(1983年録音/WEITBLICK盤) ヨッフムのブル9には、グラモフォン、EMIのスタジオ盤の他に78年のベルリン・フィルとのライブ盤も有りますが、それらの中で最も素晴らしいのがこのミュンヘンでのライブです。海賊盤では前から出ていましたが、3年前に正規音源が出た時にはとうとうシューリヒトに匹敵する名盤が登場したかと心が躍りました。ミュンヘン・フィルも絶好調ですが、特に1楽章の第1主題以降や3楽章の主題部での、大波が何度も何度も繰り返してくるような大きな歌には心の底から感動させられます。深みのあるオーケストラの響きも大変に魅力的です。

Buru9_kube ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1985年録音/Orfeo盤) クーベリックのブルックナーは金管のうるささが気になることがよく有りますが、この演奏では全然感じません。けれども決して大人しいわけではなく、クーベリックらしく燃焼した演奏です。ようするにフォルテでの楽器の音量バランスが良いのです。スケールも大きいですし、適度にロマンティックな味わいや美しさも持ち合わせていて、大変に魅力的です。正規音源の録音も優れているので、自分のコレクションからは外せない1枚です。

478858e30ad04663a620ba93877f29bd カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウイーン・フィル(1988年録音/グラモフォン盤) 全体を通して相当遅いテンポで粘ってよく歌うので、悪く言えばしつこい演奏です。以前はこの演奏は嫌いでした。現在でも決して好きではないのですが、齢をとって許容の巾がユルくなったのか(笑)、それなりに愉しむことができます。カンタービレを過度に効かせたフレージングに音楽の「厳しさ」は薄れているかもしれません。ですがウイーン・フィルの美しい音を生かした演奏にゆったりと浸かるのも悪くはありません。終楽章のカタルシスは凄まじさの限りです。

Albrecht_bruckner_9_min ゲルト・アルブレヒト指揮チェコ・フィル(1994年録音/CANYON盤) アルブレヒトはかつて読売日響の常任をしていたので日本ではお馴染みの指揮者です。CANYONへは8番も録音していますが、それは腰の軽過ぎる演奏で好みませんでした。ところがこの9番は中々落ち着いて良い演奏です。全体的に凝縮された厳しさは全く無く、とても柔和な印象ですが、ニュアンスの変化が豊かで、しかもツボにはまっているので思わず惹かれます。チェコ・フィルも少しも機能的でなく素朴で、とても好感を覚えます。思わぬ掘り出し物の演奏です。 

1196090920 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1995年録音/DECCA盤) ゲヴァントハウス管との全集の新録音を終えたブロムシュテットですが、これは旧録音になります。ドイツ的な武骨さを残したオーケストラの響きが魅力です。フォルテシモの豪放で分厚い音がとても素晴らしいです。ブロムシュテットの指揮はオーソドックスで目新しいものは有りませんし、部分的にはもう少し歌わせて欲しい気もしますが、その実直さがこの人の美徳です。聴き終わった後には不思議と充実感が残ります。

Cheli_buru9 セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(1995年録音/EMI盤) チェリビダッケ最晩年のライブですが、演奏はこの人のいつもの「勝利の方程式」通りです。2楽章、3楽章では呼吸が止まるぐらいに遅いテンポで、深淵長大な世界を創り上げます。熱烈なファンにはこたえられないでしょうが、残念ながら僕にとっては同じミュンヘン・フィルを指揮したヨッフムのような感動は得られません。それでも金管が強奏して騒々しく感じないのは、さすがにチェリビダッケです。

Bru9_juri123 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シュットゥットガルト放送響(1996年録音/ヘンスラー盤) ウイーン・フィル盤から6年後の演奏ですが、ライブの為かテンポは多少速めです。フレージングに効かせるカンタービレもウイーン・フィルよりは薄めの印象です。ですので逆に音楽の「厳しさ」は増した気がします。このあたりの受止めかたは人によって変わると思います。トゥッティでの金管もこの演奏の方が抑制が効いていて美しさを感じます。ですので個人的には全体としてウイーン・フィル盤よりもこちらの演奏を好みます。録音も優秀です。

Ph06045 ギュンター・ヴァント指揮ミュンヘン・フィル(1998年録音/Profile盤) ミュンヘンでのライブ演奏です。当然同じ晩年のベルリン・フィルとのライブ盤との比較になるのですが、これまで何度か書いたとおり、ベルリン・フィルは上手くても音が華やか過ぎるので余り好みません。ミュンヘン・フィルの音も明るいのですが、野趣の趣を僅かに残しているので好きです。但し強奏部分では音がやや荒れてうるささを感じます。各主題は遅いテンポで歌われますが、フレーズのつながりにいまひとつ流れの悪さを感じます。ブルックナー指揮職人の人間国宝にしてはやや不満が残ります。

Img_1023790_20551577_0 ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送響(2000年録音/RCA盤) 「ヴァントが街にやってきた」演奏です。街というのは東京初台のオペラシティですが、この時の演奏は本当に素晴らしかったです。北ドイツ放送響の音は色彩が暗くモノトーンのようなのですが、この曲に正にぴったりでした。この録音は実際の音をかなり忠実に捉えていると思います。金管の強奏では分厚く鳴り響いてもうるささを感じません。それにフレージングの流れの良さもミュンヘン・フィル盤よりも上だと思います。3楽章では神の光を見たような気さえしました。この演奏を生で聴けたことは一生の宝です。

Oc218 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ/ザール・ブリュッケン放送響(2001録音/OEHMS盤) 柔らかく音が溶け合った良い録音です。弦楽器は非常にしなやかで美しいですし、管がそれに上手く乗っかって、とても美しい響きを生み出しています。いたるところにハッとするアクセントや、音のバランスの変化、間合いが見られて飽きません。職人技を120%出し切った演奏ですが、聴いているうちにそれが段々としつこく感じてくるかもしれません。とは言え、この演奏はスクロヴァチェフスキ・ファンならずとも一聴の価値があると思います。

この曲は不思議と上手いオーケストラが普通に演奏すると、どれも標準点に達します。意外と差が出にくいのです。けれども、自分が心底素晴らしいと思っている演奏を選ぶとすれば、迷うことなくシューリヒト/ウイーン・フィルのEMI盤とヨッフム/ミュンヘン・フィルのライブ盤の二つが双璧です。それにもう一つ加えるとすれば、ヴァント/北ドイツ放送響の日本ライブ盤です。

毎回、新しい記事を書くときには手持ちのCDを全部聴き直してみることにしているのですが、今回は疲れました。この曲はそう続けて聴けるものではありません。それほど集中力が要求されます。次回はマーラーの第9。またまたしんどそうです。

<補足>
ブロムシュテット/ゲヴァントハウス管を追記しました。

<関連記事>
ブルックナー 交響曲第9番 サヴァリッシュ/ウイーン・フィルのライブ盤

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2010年5月 5日 (水)

マーラー 交響曲「大地の歌」 名盤

Vienna マーラーはアルマと結婚してから5年間に、「5番」「6番」「7番」「8番」の交響曲、幾つかの歌曲、それに「大地の歌」のスケッチ、と作曲活動に驚くべき成果をあげていました。けれどもマーラーは、この「大地の歌」に交響曲としての番号をつけることを避けようとしました。なぜならベートーヴェンもブルックナーも10番目にたどりつけなかったことから、第9交響曲という観念にひどくおびえていたからです。彼は「大地の歌」を最初は9番のつもりで書き始めて、あとでこの番号を消したのでした。その後、現在の第9交響曲にとりかかっていたときに、アルマに「これは本当は10番なんだ。『大地の歌』が本当の9番だからね。これで危険は去ったというわけだ!」と言いました。偉大な交響曲作曲家は9番以上は書けないという迷信におびえて、この作品を交響曲と呼ぶ勇気がなかったのです。そう呼ばずにおくことで、彼は運命の神様を出し抜いたつもりでいたのです。でも結局、彼は9番の初演には生きて立ち会うことができず、10番はついに完成にも至りませんでした。やはり迷信の通りになってしまったという、いかにもマーラーらしい逸話です。

マーラーは1908年の夏に、熱に浮かされたように中国の詩集をテキストにしたこの作品の創作に没頭しました。自分の苦悩と不安の全てをこの作品の中に注ぎこみました。それが「大地の歌」なのです。当初の表題は「大地の嘆きの歌」でした。第一楽章に引用された李太白の詩の中の「天は永遠に青みわたり、大地はゆるぎなく立って、春来れば花咲く。けれど人間はどれだけ生きられるというのだ。」という節から来ています。曲は全部で6楽章で構成されていますが、最後の「告別」が全体の半分近くを占める最重要な楽章です。

第1楽章「大地(現世)の悲しみを歌う酒の歌」

第2楽章「秋の日に独りありて」

第3楽章「青春について歌う」

第4楽章「美について歌う」

第5楽章「春の日に酔える者」

第6楽章「告別」

この曲ではテノールとアルトの独唱が重要な役割を占めています。奇数楽章をテノールが、偶数楽章をアルトが交互に歌います。いかにもマーラー的な交響曲である一方で、完璧な声楽曲でもあるわけです。この曲をマーラーの交響曲の中で一番好きだという友人も居ます。ですが僕としては6番、9番、あるいは2番、5番の方が好みかもしれません。まあ全部大好きなのですけれど。

それでは僕の愛聴CDを順にご紹介していきます。この曲の演奏はオーケストラ、歌唱の出来栄えはもちろん重要ですが、聴き手にとっては歌手の声そのものが好みであるかどうかがとても大切だと思います。

415bvxhj78l ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1952年録音/DECCA盤) マーラーが高く評価していたワルターは、マーラーの死の半年後にこの曲を初演しました。この録音はモノラルですが、優秀なDECCA録音で驚くほどに色彩的、立体的に鑑賞することができます。演奏もマーラーが監督を務めたウイーン・フィルという最高の組み合わせです。これは単に歴史的な演奏というだけでなく、楽譜の隅々まで本当に血の通った素晴らしい演奏です。テノールのパツァーク、アルトのフェリアーも声の質、歌唱共に曲に合っていて最高です。なお、最新の24bitリマスタリングは音が薄っぺらいので、旧盤の栄光のロンドンサウンドシリーズもしくは西ドイツ製の旧盤を選ぶ方が良いと思います。

728 ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1952年録音/TAHRA盤) これはDECCA盤の録音が終わった翌日の実際のコンサート記録です。歌手も同じパツァークとフェリアーです。当時のライブ録音としては比較的良い音で残されているので、ワルターファンは一度は聴かれるべきです。演奏に時々キズがある反面、彫りがより深い部分も有ります。終曲の「告別」では、さすがにライブだけあって、どんどん音楽が深まってゆき、感動の大きさでDECCA盤を上回ります。ただ、DECCA盤は演奏も録音も素晴らしいので、日常的にはDECCA盤を聴きたいと思います。どちらか一つならやはりDECCA盤です。

F4bd84da オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア(1966年録音/EMI盤) やはりマーラーの弟子の一人であったクレンペラーは2、4、9番と大地の歌を頻繁に演奏していたようです。録音に残された中では7番が最高だと思いますが、この大地の歌も非常に素晴らしい演奏です。ゆったりと立派なのですが、脂ぎらない達観した表情が、逆に虚無感を感じさせて心に染み入ります。オケの響きが色彩鮮やかでなく淡色的なのも曲に向いています。テノールのヴンダーリッヒ、アルトのルートヴィッヒもともに素晴らしい歌唱です。

Das_lied_von_der_erde レナード・バーンスタイン指揮ウイーン・フィル(1966年録音/DECCA盤) バーンスタインが60年代にウイーンに登場した頃の録音なので、とても若々しい演奏です。さすがにウイーン・フィルは音色と味わいが素晴らしいのですが、問題はアルトパートをバリトンのフィッシャー=ディースカウが歌っていることです。元々僕はこの人の演技臭さが余り好きでは無いのですが、まるでオペラの演技みたいです。テノールのジェイムス・キングは問題ありません。楽章では「青春について」はとても心楽しいのですが、「美について歌う」の中間部では元気が有り過ぎて、なんだかハリウッドのミュージカルのように聞こえます。

330 ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送響(1970年録音/audite盤) クーベリックのグラモフォンの交響曲全集には「大地の歌」は含まれませんので、このライブ録音は貴重です。明快ですが明る過ぎずに厚い響きの優れた録音が曲に適しています。テノールはヴァルデマール・クメント、アルトはジャネット・ベイカーです。ワルター、バーンスタインの粘っこい演奏に比べると、しつこさが無いので人によっては、むしろ好まれるかもしれません。ユダヤ風のように粘らない「ドイツ的」な演奏は意外と少ないので、お薦めできます。「美について歌う」の中間部ではハリウッドではなく戦前のベルリンのキャバレーみたいかな。

465 ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィル(1971年録音/Radio Servis盤) ノイマンのスプラフォンの交響曲全集にも「大地の歌」が含まれませんでしたので、貴重な録音です。テノールはヴィレム・ブジビル、アルトはヴィエラ・ソウクポヴァーという自国の歌手です。ノイマンは晩年になっても、独特のあっさりとした(けれども味わいのある)マーラーを演奏していましたが、この録音はそれ以上に速めで、少々あっさりし過ぎています。別の1983年の録音も有りますが残念ながら廃盤です。恐らくは、年代的にそちらのほうが好みだと思います。また、ウイーン・フィルでもこの曲を振ったことが有るので、いつかその正規録音盤が出るのを願っています。

993 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル(1973年録音/グラモフォン盤) 非常に立派な演奏です。しかもテノールはルネ・コロ、アルトはルートヴィッヒです。コロの声は力強く、まるでジークフリートみたいです。ですので1楽章に『現世を悲しんでいる』雰囲気はありません。カラヤン自身もそんなタイプの人間では無いですし。ですがこの演奏は、2楽章以降が耽美的に美しいのです。オリエンタルな雰囲気もよく出ています。これはマーラーが意図した一面を極限まで音にしているのではないでしょうか。余りに美しすぎるものは儚く哀しい。そんな気にさえなってきます。「告別」でも決して慟哭するのではなく、静けさに包まれていますが、それがまた哀しいのです。

11330717 レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(1974年録音/SONY盤) カラヤン盤の翌年に、同じコロとルートヴィッヒをソリストに迎えての演奏です。オケの音はウイーン・フィルやベルリン・フィルと比べると荒削りに感じますが、むしろ色彩的で無く洗練されていないところが魅力です。「美について歌う」はウイーン・フィル盤以上に元気が良いですし、アルトが歌うので「マイフェアレディ」という感じです。それはよいとしても、僕はやはりアルト・パートはそのまま女性が歌ったほうが好きです。「告別」の後半にはオケがドスの効いた迫力で迫り来ます。録音についてはそれほど良くないように感じます。

687 ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプチヒ放送響(1977年録音/WEITBLICK盤) ケーゲルは70歳の時にピストル自殺しました。その原因については諸説有りますが、とにかく普通に人生を終わらせた人ではありません。そのことを、ことさらにこの演奏に結び付けたくもないのですが、どこか『死にゆく者の虚しさ』を感じさせるような暗さを持ちます。オケの表情はおよそ明るさを感じませんし、テノールのライナー・ゴールドベルクとヴィエラ・ソウクポヴァーのどちらの歌声も、ひどく暗さを感じます。聴いていて段々と気が滅入ってくるというのは、この曲の場合、もしかしたら凄い名演なのでしょうか・・・・。

51yfg55b6jl__sl500_aa300_ クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1982年録音/EMI盤) テンシュテットが喉頭癌を発病したのは85年なので、できればこの曲はそれ以降の演奏で聴きたかったと思います。何故なら、それらの演奏の迫真性が大きく増しているからです。この演奏も、全体的にゆったりとした印象で悪くは有りませんが、テンシュテットにしては少々食い足りない印象が残ります。それはそのままロンドン・フィルの印象でもあります。テノールはクラウス・ケーニッヒ、アルトはアグネス・バルツァですが、特にバルツァの良さが光ります。録音は並みという程度です。 

913 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウイーン・フィル(1987年録音/オルフェオ盤) ジュリーニにはベルリン・フィルとのスタジオ録音盤もありますが、これはザルツブルク音楽祭でのライブです。大きな違いはやはりオケの音色です。明るく明快なベルリン・フィルに対して、ウイーン・フィルはほの暗くしっとりしています。録音も生の会場を思わせるもので僕は好きです。演奏は1楽章からスケールが大きく壮絶ですが、2楽章以降もじっくりとウイーン・フィルの魅力が全開で聴き応え充分です。歌手はテノールのアライサが実に素晴らしいですが、アルトのファスベンダーも文句有りません。

Mahler_ber ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1991年録音/EMI盤) これはEMIの全集盤の演奏ですが、東京でのライブ収録です。この演奏の完成度は実に素晴らしいです。録音が生々しいのも良いですが、とにかく響きが美しいですし、オケの音に力を感じます。時に表面的な美しさに終わる演奏が無いわけでもないベルティーニが、マーラーの死に向う心境の音楽を余すところなく表現していると思います。どの曲の演奏も良いですが、「告別」では静けさの中から「死への恐れ」がじわじわと立ち込めてくるようです。歌手はテノールのベン・へフナー、メゾソプラノのリポヴシェクのどちらも素晴らしいです。

Mara9_bulez ピエール・ブーレーズ指揮ウイーン・フィル(1999年録音/グラモフォン盤) ウイーン・フィルもベームが居なくなった頃から音が段々と近代的に変わってきた気がします。機能的に優れることと引き替えに、あのしっとりとした情緒がかなり失われてしまいました。この演奏はブーレーズということもあり、美しいことには違い有りませんが、随分明るく軽やかな印象です。人生の苦悩や不安を余り感じさせません。テノールのミヒャエル・シャーデもメゾ・ソプラノのヴィオレッタ・ウルマーナもやはり軽い歌声です。気楽に聴くには良いですが、そもそもこの曲をそんな風に聴けるものでしょうか。

というわけで僕のベスト3をあげるとすれば、ワルター/ウイーン・フィル(DECCA)、ジュリーニ/ウイーン・フィル(オルフェオ)、ベルティーニ/ケルン放送響(EMI)です。続いては、クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア(EMI)とカラヤン/ベルリン・フィル(グラモフォン)が気に入っています。さてみなさんのお好きな演奏は誰でしょうか。

ああ、マーラーもブルックナーも次回はとうとう9番となってしまいました・・・。

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