マーラー 交響曲第7番ホ短調「夜の歌」 名盤
マーラーは7番目の交響曲に副題として「ナハトムジーク(夜曲)」と名付けました。もちろんこれはドイツ語です。英語なら「ナイト・ミュージック」。今ひとつ品格が有りませんね。(笑)
さて、モーツァルトの名曲「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が「小夜曲」ならば、こちらはさしずめ「大夜曲」です。この曲はマーラーの作品の中では余り一般的ではありません。他の作品に比べて、ことさら悲劇的なわけでも無いですし、歓喜にむせるわけでも有りません。この曲にはそうした、とらえどころの無さを感じてしまうからでしょうね。事実、プラハで行われたマーラー自身の指揮による初演の際にも、聴衆のほとんどは音楽を理解できずに拍手もまばらだったそうです。
マーラーの妻アルマは著書「回想と手紙」の中でこの曲に関して次のように記述しています。
「1905年の夏にマーラーは第7交響曲を一種の熱狂の中で書き上げた。その《見取り図》と彼が呼んでいたものは、既に1904年の夏にできていた。二つの夜曲の楽章を書いているときには、アイヒェンドルフ的な幻想が彼の念頭にただよっていた。ちょろちょろ流れる泉、あのドイツ・ロマン派的情景が。その他の点では、この交響曲は標題的ではない。」
アイヒェンドルフというのは後期ロマン派の詩人です。彼の文学の特徴は、当時の芸術家や思想家を襲ったのと同じ、機械文明の急速な発達の結果引き起こされる、新しいものと古いものとの狭間に落ち込み、引き裂かれる人間の苦悩です。またそれは、美しい田舎に生れ、故郷を愛していたにもかかわらず、都市生活を送らなければならかった人生の悲哀でもあるのです。その故郷喪失感は《さすらい》というイメージをとって表現されるのです。実はマーラーも自らを「私は三重の意味で故郷の無い人間だ。オーストリア人の間ではボヘミア人として、ドイツ人の間ではオーストリア人として、全世界の中ではユダヤ人として、どこに行っても歓迎されることは無い。」としばしば語っていたそうです。
第7交響曲は、そうしたロマン的な雰囲気に溢れた純粋な器楽曲です。この曲は全5楽章構成で、真ん中の第3楽章がスケルツオ、その前後をはさむ第2、第4楽章が「夜の歌」、そして両端の第1、第5楽章がアレグロです。これは、同じ5楽章構成の第5交響曲と構成的によく似ています。第4楽章は「夜の歌」といってもセレナーデなので、伴奏楽器をイメージさせたギターとマンドリンが効果的に使用されています。こうした珍しい楽器も使用されますし、この曲には革新性が大いに有ります。たぶんそれは当時交流のあった若きシェーンベルク達の新しい音楽を非常に意識してのことだと思います。
それにしてもマーラーの各交響曲の個性、構成の多様さにはつくづく感心します。この曲は、比較的聴く回数は少ないほうですが、この楽曲にどっぷりと浸っているうちに、やはり名作だなぁ、と感じます。
この曲の実演は一度、ロス・フィルの本拠地のウォルト・ディズニー・ホールでサロネンの指揮で聴いたことがあります。清涼感のあるロマンティシズムに覆われた非常に聴き易い演奏でした。
それでは僕の愛聴盤のご紹介をしてみます。
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1965年録音/SONY盤) まだまだマーラーが一般的では無かった時代に、特に難解と思われていたこの曲を世に知らしめた名盤です。「ほら少しも難しいことは無いんだよ」とバースタインが解説でもしながら聴かせてくれているような演奏です。この曲の構造やロマンティシズムが手に取るように感じられます。近代的なニューヨーク・フィルの音色はマイナスになりませんし、聴いていてとても楽しいです。しかしこの3年後にリリースされるクレンペラーの余りに衝撃的な演奏に存在が霞んでしまった感は否めません。特にコアなマーラーのファンの間ではそうだったのでは無いでしょうか。しかし現在聴いても新盤だけでなくこの旧盤にも捨てがたい良さが有ります。
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア(1968年録音/EMI盤) 破格の曲の破格の演奏として昔から有名な録音です。この曲の初演の際には、本番直前までマーラーが楽譜を修正しようとしたので、弟子達が必死にオーケストラ譜の書き直しを手伝ったそうです。その弟子の中の一人がクレンペラーです。当然、本番の演奏を聴いているに違いないクレンペラーの解釈は無視できません。それにしてもこの演奏は破格です。今にも止まりそうなほどに遅いテンポで巨大なスケールです。果たしてマーラー自身のテンポはどうだったのかは分かりませんが、両端楽章などは、正に『肥大化した後期ロマン派楽曲の終焉』という雰囲気そのものです。2つの「夜曲」の深みも底無しです。これは絶対に聴いておかなければならない演奏です。
ラファエル・クーべリック指揮バイエルン放送響(1976年録音/Audite盤) この演奏はクーベリックのグラモフォンへの全集盤ではなく、ミュンヘンのヘラクレスザールでのライブ録音です。全体は比較的速いテンポで子気味良く進みます。遅く重い演奏に慣れていると、やや速すぎるようにも感じますが、決して腰が軽くせわしないわけでは有りません。オケの響きもドイツのオケらしく落ち着いた厚い音色なのが嬉しいです。クーベリックの指揮の表情の彫りは深いですし、マーラーの音楽への共感が有るので聴き応えにも不足しません。普段重すぎる演奏ばかり聴いている場合のカンフル剤として非常に良い演奏だと思います。最初にこの曲に親しむのにも適しているかもしれません。
ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィル(1984年録音/CBS盤) マーラーはかつてウイーンの国立歌劇場の監督でしたが、その割りに交響曲のどれもにウイーン・フィルの録音が多いわけでは有りません。特に7番には少ないので、ウイーン・フィルの演奏が聴けるこの録音は貴重です。やはりアメリカや他の国のオーケストラと比べると、管楽器や弦楽器の音の柔らかさが際立っていて大変に魅力的です。マゼールの指揮もけっして派手過ぎずに、ゆったりとオケの特色を生かしています。沈滞する部分の音楽の持つ情緒も実に美しく描かれていて、これはウイーン・フィルならではなぁ、と感じずには居られません。両端楽章も少しも騒々しくならずに響きが美しいです。気になるのはスケルツォ主部のリズムが鈍くやや魅力に欠けるぐらいですが、欠点というほどでは有りません。ウイーン・フィルのマーラーは、やはりかけがえのないものです。
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(1985年録音/グラモフォン盤) ニューヨークでのライブ録音です。同じニューヨーク・フィルとの旧盤と比べて飛躍的にスケールが大きくなり、あらゆる部分の表現において非常に彫りが深くなりました。両端楽章のグラマラスな迫力と熱気はマーラーの音楽をもはみ出している気もしますが、聴き応えという点で破格の演奏です。2つの「夜曲」はクレンペラーのように沈滞するわけではなく、もっと喜びの感情に満ちていて、これはこれで魅力的ですし、うって変わった中間部の情緒感にも事欠きません。終楽章がやや明るく健康的に過ぎるような気もしますが、実際にそういう曲ですし終結部の迫力に至っては随一です。ライブ演奏ですが、オケも録音も優れています。旧盤ではクレンペラーに出し抜かれたレニーでしたが、新盤でついに肩を並べました。
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管(1985年録音/フィリップス盤) ハイティンクが毎年クリスマスのマチネに行ったマーラー・コンサートのライブです。元々はオランダ国内のみでBOXで出されましたが、今はタワーレコードで入手が可能です。この7番の演奏はハイティンクとは思えないようなパワフルさに驚きます。1楽章や終楽章の迫力はかなりのものです。しかしコンセルトヘボウの音はフォルテで力強くは有っても、決して騒々しくはなりません。全体のテンポはどちらか言えば速めで推進力が有り、余り沈滞するような印象は受けません。しかし音の色彩感は流石で、美しい響きからロマンティシズムを生み出すのには感心します。やはりいい演奏です。
ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送響(1990年録音/EMI盤) ベルティーニのマーラーはどれも明るく健康的です。けれども決してノー天気というわけではなく、ユダヤ的な粘りとロマンティックな雰囲気を持ち合わせています。ケルン放送が非常に驚くほど緻密で美しい音を出しているのも、にわかに信じ難いほどです。テンポは速めですが、拙速な印象は無く、逆に流れの良さを感じます。この長大な曲が退屈する間もなく次々と進行します。やはり素晴らしい演奏です。
クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィル(1993年録音/EMI盤) 最も優れたマーラー指揮者の一人のテンシュテットは円熟期に喉頭癌に犯されたために引退しました。その後は一時的に復帰して指揮台に立ちますが、その時の演奏は正に自らの余命を意識した壮絶なものでした。EMIに残されたライブの第6と第7はその代表的な演奏記録です。手兵のロンドン・フィルは大抵の録音で力量不足を感じさせますが、この演奏では全く感じさせません。楽団員が「テンシュテットの棒でマーラーの演奏を行えるのもこれが最後かもしれない」という命がけの大熱演を行っています。クレンペラーの巨大さにも迫るスケールの大きさに加えて、そんな楽員達の思いが乗り移った素晴らしい演奏です。
小林研一郎指揮チェコ・フィル(1998年録音/CANYON盤) 「コバケンはマーラーに限る」と言いたいほど、この人のマーラーは好きです。東京で演奏会が有るときには必ず駆けつけるようにしていますが、手兵の日本のオケにはどうしても力量不足を感じてしまいます。その点チェコ・フィルであれば文句なしです。クレンペラーやテンシュテットの巨大さ、重圧さ、グロテスクさを持ち、かつ現代的な機能性を兼ね備えてまとめあげた素晴らしい演奏だと思います。ロマンティックな雰囲気も充分ですし、時にドラマティックに歌いまわしたり、大見得を切るのも実に堂に入っています。もちろんチェコ・フィルの美しい音を忠実にとらえたCANYONの優秀な録音も強みです。
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル(2001年録音/グラモフォン盤) 2000年に胃癌の摘出手術を行ったアバドが復帰した直後のライブによる収録ですが、この曲の二度目の録音となります。アバドは全体をゆっくり目のテンポでスケール大きく聴かせますが、終楽章などではテンポの変化が大胆で非常にエネルギッシュです。ベルリン・フィルは流石にライブでもセッション録音の様に完璧です。細部の仕上げも実に美しく、繊細なロマンティシズムが零れ落ちます。ベルリン・フィルのヴィルトゥオーゾ性が音楽にそっくりそのまま忠実に貢献している印象です。アバドはブランク前よりもむしろ大胆でパワフルになった印象を受けます。何か精神面で吹っ切れたところが有ったのでしょうか。素晴らしい演奏です。
ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管(2005年録音/ワーナー盤) 全体的にテンポは早めですが、せわしない印象は有りません。むしろ適度にロマンティックで粘りのある表情なのが現代的で良いでしょう。演奏にはグロテスクさを余り感じさせないので、この曲が確かに「交響曲」であることを意識させます。ベルリン歌劇場の音色も伝統的なドイツの音の名残を残していますし、過剰なまでの機能性は感じませんので、僕はむしろアメリカのオーケストラあたりよりも好きです。録音も新しく、細部の楽器の動きがよく聞き取れるので、初めてこの曲に接する場合には馴染み易いのではないかと思います。但しこの曲の真価を表わしているかというと疑問です。
エリアフ・インバル指揮チェコ・フィル(2011年録音/EXTON盤) インバルの再録音盤ですが、これもまた素晴らしいです。まずチェコ・フィルの音がとても良い。マーラーは演奏するオケによっては往々に金属的な響きに感じられますが、チェコ・フィルはボヘミア的な草の匂いを失いません。管楽器の音の柔らかさはもちろん弦楽器の美しさも特筆されます。1楽章は堂々とした構えを聴かせますが、ホルンの音色、歌わせ方が最高です。2、3、4楽章の濃い味わいも大変魅力的です。聴き惚れているうちに曲がどんどんと進み行きます。終楽章はやや速めのテンポで颯爽と進む印象です。録音もチェコ・フィルの美音をしっかりと捉えていて文句無しです。
この曲の場合は、なかなか好きな演奏を絞り込むのが難しいです。そのいずれにも良さが有るからです。けれども絶対に外せない演奏は、何といってもクレンペラー盤です。そしてバーンスタインの新盤が肩を並べます。更にテンシュテット、アバド、ハイティンクと続きますが、コバケン、インバルのチェコ・フィルとの両盤は録音の良さも相俟ってポイントを高く上げています。
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コメント
かなり以前、サイモン・ラトルとバーミンガム響の最後の日本ツアーで7番を大阪で聴きました。大阪シンフォニーホールの素晴らしい音響と相まって素晴らしい演奏でしたが、彼のマーラーの録音は、その素晴らしさが少しも伝わってこないのが本当に残念です。
私の7番の録音の本命はコバケン盤ですが、ブーレーズ指揮クリーブランド管とのドイツグラモフォン盤も気に入っています。バーンスタインの演奏と比べてかなりスッキリしていますが、曲の複雑さはストレートに伝わってきます。
また私の秘蔵?の録音では朝比奈隆と大阪フィルとの1981年のライブ録音も、大変、無骨な演奏ですがスケールが大きく、私にとって無視できない録音です。
投稿: オペラファン | 2010年3月28日 (日) 23時45分
オペラファンさん、こんばんは。
ラトルは幾つか聴いたCDが余り印象が良くなかった(好みと合わなかった)ので、そのうち聴かなくなりました。ウイーンフィルとのマーラー9番にはがっかりでした。7番あたりの方がむいているかもしれませんね。
ブーレーズ盤は以前持っていましたが、手放しました。ちょっとスッキリし過ぎなのが、気にいらなかったのかもしれません。
朝比奈隆の7番というのは中々興味の有るところです。聴いてみたいですね。
投稿: ハルくん | 2010年3月29日 (月) 22時48分
ハルくん今晩は。
マーラー7番は名曲ですよね。たいして通でもない私ですので、知ったかぶりして偉そうな事を言うとボロが出そうですが、1,2楽章を聞いて割りと金管が全面に出ている交響曲だなぁというのが最初の印象でしたね(3楽章以降はそうでもないんですが)何故「夜の歌」なんだろうと疑問だったのですが、ハル様のさしずめ-大夜曲-ですねという解説に納得。流石に先生、上手い事をおっしゃる。座布団3枚くらい差し上げたい気分です。
「シャネル&ストラビンスキー」 見て参りました。なかなか大人のシーンが多くて、刺激的でしたね。カーチャ役の女優さんが中世の絵画に描かれている女性の様で魅惑的でした。来月は「クララ・シューマン」が公開予定。これは又々、足を運ばねば…
投稿: From Seiko | 2010年4月 1日 (木) 01時14分
「セレナード」「小夜曲」「夜の歌」「夜の音楽」日本語への訳し方によって語感がちがいますが、大夜曲というのは言い得て妙です。マーラーの副題は3楽章のことだけを言っているのでなく、曲全体に付けたものだと理解するのが普通でしょうが、そうであれば「夜の歌」ではないほうがよいかも。ドイツ語にはNachtgesangという言い方とNacht Musikという言い方の両方があるので、「夜の歌」は前者だろうという気もします。
ところでこの曲、クラリネットのソロの中に最低音より低い音が出てきたます。他の楽器でも同じ事があるかもしれません。フルートだと「管を継ぎ足す」ことで対応可能なので、そのための増設管を市販しています。でもクラリネットだとこの対応には無理があり(音色が悪い)ソロではしない方がよい、「それ専用の楽器」を持ってくるしかないのです。プロのオーケストラでどうしているのかわかりませんが、マーラーはそんな事情におかまいなしに書いたのだろうと、作曲の背景に関するご説明を読んでわかりました。
他の作曲家であれば、この曲想には小編成を考えることも多いでしょうが、それを大編成の交響曲にするところがマーラーらしいです。局所局所を聴くとビッグサウンドばかりじゃないのですが。
投稿: かげっち | 2010年4月 1日 (木) 12時16分
Seikoさん、こんばんは。
座布団三枚頂きましてありがとうございます。記事を書いて座布団をもらったのは初めてです。(笑)
「シャネル&ストラビンスキー」ご覧になられたのですね。面白かったでしょう?確かにR18だけあって少々刺激的ですけど。乙女は思わず顔を伏せて(でも目だけは上を向いて??)しまうでしょうね~。(笑)
僕は「クララ・シューマン」は見ていないのです。もちろん大いに興味はあります。
投稿: ハルくん | 2010年4月 1日 (木) 21時20分
かげっちさん、こんばんは。
7番のタイトルですが、ここは無理に訳さずに「ナハトムジーク」で良いと思いますが、まあ訳して「夜の歌」「夜曲」でも構わないと思います。
マーラーは大編成によるビッグサウンドも得意ですが、小編成の室内楽風な部分もとても魅力的です。しかもこの人でしか書けないような独奏性に溢れていますね。
投稿: ハルくん | 2010年4月 1日 (木) 22時40分
ハル様、おはようございます。 昨日、何気なくテレビのチャンネルをまわしたら、マエストロ ドゥダメルのロサンゼルスフィルハーモニー音楽監督就任コンサート…マーラー1番…を放映中。この方の名前も知らない私でしたが、とっても素敵な演奏会でした。会場も夢いっぱい、ウォルトディズニーホールにて。最後はスタンディングオーベーシュンの中、彩とりどりの紙袋が舞い日本とは違うな~(p_;)\
3楽章を聞くといつも思うのが、1971年公開の映画、小さな恋のメロディ←当然ご覧になったという前提です話しますが…
ダニーとメロディが縦笛で奏でる曲(あぁ曲目が出てこない。音階はドレミドドレミドミファソミファソソラサファミドソラサファミドドソドドソドです)あ~疲れた〔ж〕
日本語で歌詞もあるほどポピュラーな曲なのに↓どうしても、あの曲が甦ってくるのです。こんな事を思うのは私だけ?
投稿: From Seiko | 2010年4月 3日 (土) 12時49分
ハル様、舞うのは紙袋ではなく、紙吹雪です。変換間違い。音階も一部ソがサになってました(恥っの)
投稿: From Seiko | 2010年4月 3日 (土) 12時53分
Seikoさん、こんにちは。
コンサートホールに紙袋や風船が舞ったら、コンサート会場ではなく、ドジャース・スタジアムになってしまいますね。(笑)
実は、そのウォルト・ディズニーホールって3年前に行ったことが有ります。とっても美しく素晴らしいホールでした。たまたま聴いたのがマーラーの7番(偶然!)だったのですが、演奏後の拍手とブラボーの雰囲気がなんとなく野球場を思わせるような雰囲気なんです。マーラーの後にこれでは、「やっぱりウェストコーストだなぁ~」なんて思いました。(笑)
「小さな恋のメロディ」もちろん知っていますよ。あの曲ですね。いや確かにマーラーはあの曲をパクって転調して使ったのかもしれませんよ。お見事な発見です!
投稿: ハルくん | 2010年4月 3日 (土) 13時13分
Seikoさんがご指摘になったのは1番のカノンの主題ですね?「ねぼすけ修道士のジャック」といった歌詞で歌われますが、いろんな替え歌があるようです。マーラーはこれを短調に移調したのでしょう。
http://www.worldfolksong.com/kids/song/sleeping.htm
それにしてもあの映画にドキドキしたのは何時のことだったか・・・「クララ・シューマン」家族が見てきたそうです。「なかなか良かったけれど、クララがなぜこういう人物なのかという理由がわからなかった」そうです。「シャネル&ストラビンスキー」はまだこちら(大分)で上映されていません。
投稿: かげっち | 2010年4月 5日 (月) 13時21分
かげっちさん、こんにちは。
なるほど原曲はこんな歌なんですね。
マーラーがこんな歌をパロディったとは知りませんでした。中々ユーモアが有ったのですね。
「シャネル&ストラビンスキー」は大分でも直に公開されるのではないでしょうか。是非ご覧になられてください。
投稿: ハルくん | 2010年4月 5日 (月) 20時24分
今晩は、ハルくん。今日は「大夜曲」の方ではなく、この記事の中にあったモーツァルトの「小夜曲」についてです。NHKの『名曲探偵アマデウス』という番組で知った事なのですが、今では曲目は知らなくとも誰しも聞いた事があると答えるほど、ポピュラーなこの曲が、モーツァルトの死後ほとんど演奏される事もなく忘れられた曲だった事や、評価も低かった事。それが1920年以降のSPレコードの普及によって、広く知られる様になった事…片面4分程度しか録音出来なかったSP盤にアイネクライネナハトムジークは時間的に、丁度良く曲が途中で切れる事なくはまった事からなんですね…初めて知りました。こういった裏話を知るのも楽しいですね。
只今、昨日の夜中に放送されたクルト・マズア/ゲヴァントハウスの演奏会の録画を見つつコメントしていました。映画「オーケストラ」は、我が住む町には2か月後にしか来てくれません。東京ではドン・ジョバンニも公開されたのでしょう?いいなぁ!
では、お休みなさい(ρ.-)ネムイ
投稿: From Seiko | 2010年4月20日 (火) 00時38分
Seikoさん、こんにちは。
モーツァルトの「小夜曲」ですか。映画「アマデウス」の中では、サリエリが存命している時代から世に知られていたことになっていましたね。あれは映画での話なんですね。
映画「オーケストラ」は、是非観たいなと思っています。但し、週末にしか行けないので都合が付くかなぁ。ちょっと遅れてでもちゃんと公開されればイイじゃないですか。
投稿: ハルくん | 2010年4月20日 (火) 06時44分
こんばんは。
クレンペラー/NPO聴きました。両端楽章はハッキリしてますが、2~4楽章は何とも表現できない雰囲気で、頭の中をゆっくり回される様な不思議な感覚。
にしても長い
。今後は2(1)~4楽章だけ聴くコトになりそです。
7番をココまで演奏できたなら、2番も名演を遺せたと思うのですが...。
投稿: source man | 2011年2月 8日 (火) 23時05分
source manさん、こんばんは。
クレンペラーのマーラーの最高傑作は7番だと思います。続いては「大地の歌」ですね。「復活」は僕もどうもいま一つに感じます。
もちろん聴き方はお好みなのですが、出来れば全曲を通して聴かれる方がよろしいのでは?
確かに長いですよねー。でも、それでこそマーラーです。
投稿: ハルくん | 2011年2月 8日 (火) 23時35分
マーラーの作品の中でも
「嘆きの歌」「第8」とこの「第7」は一番後に
聴き始めた曲で、正直いまだに愛着が湧きません。
この「第7」、シャイー盤で久しぶりに聴き直してみました。
シャイーの大らかで朗らかなテンポと
ロイヤル・コンセルトヘボウの暖かい音色が
うまくマッチングして
この曲の晦渋さを薄めており、最後まで聴き通せました。
この曲はマーラーの他の曲ほどメッセージ性は無く
案外、オーケストレーションの技法を誇示したいがために
作曲したのでは?と感じます。
私はこの「第7」をマーラー版「管弦楽のための協奏曲」
と勝手に解釈しています。
同じ5楽章で、フィナーレの派手さもデモンストレーション的です。
投稿: 影の王子 | 2014年1月12日 (日) 23時06分
影の王子さん
「嘆きの歌」はともかくとしても、曲の性格はだいぶ異なりますが「第7」と「第8」はやはり名曲だと思います。
メッセージ性のある音楽というよりは、ひたすらロマンティックな音楽ですが。
シャイー盤は聴いていませんが、美しくて聴き易いみたいですね。ブーレーズも聴き易いと思いました。
でもクレンペラーのグロテスクなまでに破格の演奏には効し難い魅力を感じます。
投稿: ハルくん | 2014年1月13日 (月) 00時18分
こんばんは。
本日、アマ・オケでこの曲を聴いてきました。
金管以外は皆大健闘の熱演でした。
生で聴くと(見ると)編成の巨大さや特殊楽器の存在
精緻なオーケストレーションの素晴らしさにただ圧倒されました。
この曲を見直すいいキッカケになりました。
それにしてもマーラーの飽くなき音響への執念には
頭が下がります。
あらためてマーラーを好きになりました。
投稿: 影の王子 | 2014年3月16日 (日) 19時41分
影の王子さん、こんばんは。
アマチュアでマラ7とは凄いです。
プロ・アマを問わず、マーラーの生演奏は良いですからね。しかも7番を見直すきっかけになったとは、聴きに行かれた価値が有りましたね。
マーラーの曲ってクラシックを聴く一つの大きな醍醐味ですね。
投稿: ハルくん | 2014年3月16日 (日) 23時47分
バーンスタイン&ニューヨークのCBS盤は
1965年と録音も古く、オケの魅力も今一つです。
陰影に乏しく、明快で「ノリの軽い」演奏です。
マーラーの暗さ・粘着性が感じられません。
お薦めできる演奏ではありませんが
個人的にはこうした方向性もありかな?と思います。
いずれにせよ、マーラーの音楽には様々な解釈を受け入れる
「拡さ」があるのではないでしょうか?
投稿: 影の王子 | 2014年9月20日 (土) 22時10分
影の王子さん、こんにちは。
バーンスタインのCBSへの一連の旧録音はオーケストラがやや粗い面がありますが、グラモフォンへの新録音が粘り過ぎに感じられる方には逆に良いかと思います。
仰る通りマーラーの曲には多様なアプローチが可能ですね。ただ、マーラーの音楽の本質である「情念」が余りに希薄な演奏は個人的には付いてゆけません。
投稿: ハルくん | 2014年9月21日 (日) 10時34分
無機的な演奏かも知れませんがショルティ/CSOに惹かれます。管の美しさは絶品です。最近のCSOにはない味があると思います
投稿: k | 2014年9月22日 (月) 18時31分
Kさん
ショルティの演奏には往々にしてパワーハラスメントを受けているような圧迫感が感じられてしまい、昔からどうも苦手です。もちろんそうでない演奏も有るのですが。
マーラーの演奏には「情念」が欠かせないと思いますのでどうでしょう。ブーレーズ/クリーヴランドのような精緻でロマンティシズムを感じさせるような演奏であれば案外気に入るかもしれません。
投稿: ハルくん | 2014年9月23日 (火) 10時44分
バッハの影響を受けたとされる第5から第7番は和声が非常にきれいでこの点がクリアーされればある程度聴けると思っていました。反面情緒的な面、作曲者の心の葛藤まで踏み込もうとすると愛聴盤選びは難しいのですね。ブーレーズ確かに素晴らしいと思います。手許には他にノイマンLGO、インバル、コンドラシン、クレンペラーしかありませんがこの曲自体に非常に愛着があるのでまた比較してみたいと思います。(毎日聞いても決して飽きません)
投稿: k | 2014年9月23日 (火) 23時05分
この曲は"とらえどころのない曲"と感じてる人も多そうですね。
しかし、よく聞くといろんな感情が入り組んで複雑に交錯するところに変態的凄みを感じます。
アバドの指揮を見てると精神分裂患者が踊ってるような変態指揮を随所に見ます。
同時進行で複雑な感情が入り組んでるマーラーの真骨頂が感じられるこの曲は、最もマーラー的かもしれません。
複雑で精緻な変態音楽がもっと評価されてほしいし、もっと分析評論を期待したい。
プロコフィエフも変態的メロディですが、なかなか魅力的なんです。
投稿: pp | 2017年11月29日 (水) 20時14分
ppさん、こんばんは。
この曲から大きな”感情”の変化を聴きとるのは難しいですね。
大抵のマーラーの曲が最高の喜びから最低の悲劇にまで瞬間移動するのと比べると、この曲では非常にレンジの狭い領域を行ったり来たりですから。
やはりアイヒェンドルフ的なドイツ・ロマン派の情景というのは言い得ていますね。
投稿: ハルくん | 2017年11月30日 (木) 00時03分
こんばんは。
今晩のパーヴォ・ヤルヴィ&N響の放送
第3楽章までが非常に纏まりの良い演奏だと思いましたが
肝心の第4楽章が即物的過ぎというか雑な印象で
終楽章の叩き込むような迫力も味気なく感じてしまいました。
この曲はアマオケですが実演で聴いているし
各種CDも聴きましたが、やはり曲の魅力自体に
いつも限界がある気がします。
どうやらパーヴォの責任ではなさそうでした。
投稿: 影の王子 | 2018年4月15日 (日) 22時51分
影の王子さん
昨日の放送は見逃しました。
パーヴォ・ヤルヴィは5番の生演奏を聴きましたが(オケはフランクフルト放送)素晴らしかったです。ただ6番、7番は向いていないような気がしました。
7番もクレンペラーの録音などで聴くとすばらしい曲だなぁと思いますが。
投稿: ハルくん | 2018年4月16日 (月) 13時13分
こんばんは。
パーヴォの放送を観ていますと
右側がヴァイオリン、いわゆる「両翼配置」なのですが
最近のオケはもっぱらこれが主流なのでしょうか?
宇野先生の文献だと「両翼配置を取る指揮者は少ない」
と書いてあったので・・・
「両翼配置の方が指揮は難しい」そうですが?
ご教授お願い致します。
投稿: 影の王子 | 2018年4月22日 (日) 23時05分
影の王子さん
一応はアマオケ経験が有りますので多少は分りますが、指揮そのものが難しいことは無いと思います。難しいとすればむしろ団員の方かと思いますが、それも慣れが大きいと思います。
ただ、やはり古今の作曲家は大抵はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ベースに役割をメロディから伴奏にと順に分担させる比重が高いので、似たような仕事が近くに居た方が演奏はし易いでしょうね。しかし作品によってもそれは変わります。
また聴き手にとっての演奏効果が両翼配置に向いている作品とそうでもないものと色々ありますし、演奏がし易ければ必ずしも良いとは限りませんよね。
一般的には両翼型では無い現在の配置が多いということは、演奏のしやすさと聴衆の聴き易さの点で望ましいことが多いということなのでしょうね。
投稿: ハルくん | 2018年4月23日 (月) 16時08分
ご教授ありがとうございます。
ラトルがウィーン・フィルを初指揮した際に
両翼配置を指示したために、ひと悶着あったそうです
(バーンスタインとの映像では右側にチェロ)。
やはり演奏する側の負担があるのではないでしょうか。
なかなか録音だけでは聴きとれないので
映像を見る際に注意します。
ところで、昨日放送のパーヴォの「指輪」抜粋。
物語順ではないシャッフルな曲順にガッカリ・・・
「葬送行進曲」の後が「ラインへの旅」では興醒めでしかありません。
投稿: 影の王子 | 2018年4月23日 (月) 19時56分
影の王子さん
そうですね。
あの長大な作品の抜粋では物語順というのも無理が有るとは思いますが、「葬送行進曲」の後に「ラインへの旅」というのはちょっとですね。
投稿: ハルくん | 2018年4月24日 (火) 09時23分
ハル君様
晩秋にしては暑すぎる日々が続いてますが、お元気でしょうか?
秋の夜長には、マーラーの交響曲第7番が不思議と聴きたくなります。
マーラーの交響曲の中では不人気な曲ですが、僕は「夜の歌」は秋に相応しいと思っています。
愛聴盤は以下の通りです。
① テンシュテット/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1993年・ライヴ)
② クレンペラー/ニュー・フィルハーモニー管弦楽団
③ ショルティ/シカゴ交響楽団
①は何と言ってもテンシュテットの気迫に圧倒されます。オーケストラの技術力は落ちますが、聴き終えた後の充実感は大変なものです。作家の島田雅彦さんは「ベートーヴェンが交響曲を巨人に変えたと言うのなら、マーラーはそれを化け物に変えたと言える」と小説に書いておられましたが、テンシュテットはその「化け物」を見事に現代に蘇らせることのできた稀有な演奏家だったと思います。
②はこれこそ「化け物」と言える演奏でしょう。レコードの時代だったら、おそらく回転数を間違えたと思う人がいても不思議ではないと思います。
クレンペラーはマーラーの高弟だったので、おそらくマーラーのテンポに従っているのだと思います。特に第5楽章など、このテンポで持ちこたえられるのは、多分、クレンペラー以外に誰もいないでしょう。
③はこの「化け物」から正確なスコアと情報量を得たいときに時々聴きます。
ショルティはとにかく楽譜に忠実な演奏をする人ですが、時々それが強引過ぎて、ワーグナーなんかだと彼の個性と合って面白い効果があると思いますが、マーラーでは聴くのが疲れます。
ただ、この難曲を楽譜に忠実に表現できるのはショルティと当時世界最高の技術を持つと言われたシカゴ交響楽団のコンビだと思います。
この駄文を書いている内に第5楽章が始まりました。近所迷惑なので少し音量を下げます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
投稿: motosumiyosi | 2018年11月 8日 (木) 22時49分
motosumiyosiさん、こんにちは。
マーラーのシンフォニーので初めはとっつきにくいのが7番、8番でしょうね。しかし何回も聴き返すうちにやはり大変な傑作だということが分ります。
演奏ではクレンペラーとテンシュテットのライヴ盤は双璧だと負います。ショルティ盤は所有していませんが、楽譜を忠実に再現した演奏としてはブーレーズ/クリーヴランド管盤も優れていました。繰り返して聴きたいかというと?でしたが。
投稿: ハルくん | 2018年11月 9日 (金) 15時56分
ハルくんさん、こんばんは。
この摩訶不思議な魅力溢れる7番ですが、実は私が最初に聴いたマーラーでした。当然の如くその当時は全く理解できず、しかも1時間を優に超える作品だったので拷問のようでした。更には翌日に8番を聴いてしまい、合唱ばかりのこちらも80分コースの拷問(当時は)を味わってしまったために「ああ、自分にはもうマーラーとは縁がないだろうな・・・」と思ってしまったものです。今では両方とも大好きな曲でありますが。
さて、私のこの作品での愛聴盤はハルくんさんも推していらっしゃるクレンペラー盤です。この奇妙奇天烈な作品を、これほど強烈に表現し尽くした演奏を私は他に知りません。あの猛烈な遅さにもかかわらず、緊張感が全くダレる事なく最初から最後まで持続しているのは驚異的とさえ思います。この演奏を聴いたが最後、他のいかなる素晴らしい演奏を聴いても満足出来ません。テンシュテットやバーンスタイン、アバドやインバル等の多数の名演を知らないわけではありませんが、これはもう格が違うとしか思えません。
「クセになる」演奏の典型的な例かもしれませんね。
投稿: げるねお | 2020年4月18日 (土) 00時57分
げるねおさん、こんにちは。
マーラーご入門が7番。続いて8番ですか!
私は確か1番、2番、5番、だったかなぁ?
しかしクレンペラーの7番は凄いですねぇ。
この人には9番とか大地の歌とか良い演奏は有りますが、やはり7番が最高ですね。
「クセになる」演奏の典型的な例、正にそれです!
投稿: ハルくん | 2020年4月18日 (土) 14時09分